Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

誰もいない観光パンフレットの地

2008-05-08 12:28:13 | ひとから学ぶ


 「まち むら」86号(あしたの日本を創る協会-2004年6月30日発行)に「大木が日陰をつくる熱田神社の境内は夏でも涼しく、子どもにはいちばんの遊び場です。しかし、どんなにいたずらをしても、彫刻のところまで登った子はいませんでした。当時は重要文化財に指定されていなかったんですが、あの彫刻だけには手を出してはいけない、子どもながらにそう感じるだけの気迫がありました」と紹介されている。旧長谷村の溝口にある熱田神社は、旧役場から少し上ったところにある森の中にたたずむ。わたしはここにこれほどの社殿があることをつい先日まで認識もしていなかった。共有山の管理を行なうことで賄ってきた地域の運営、そんな継承が同誌には綴られている。

 この休日に訪れることになった友人に送った伊那市のパンフレットに、確かにこの熱田神社が紹介されている。国の重要文化財の指定を受けている建物は、とくに近在のものについてはおおかた認識していたつもりだったが、ここのものは知らなかった。1993年の指定というから、このごろの動きに無頓着だったということなのだろう。冒頭のコメントは、当時の溝口森林組合長の保科政男さんの言葉である。きっと保科さんが子どものころには、もっと身近でこの社殿に触れることができたのかもしれない。例えば鍵がかかっておらず、覆屋の中にきっと日常的に入ることができたのだろう。覆屋には格子がされていて、その格子の隙間から社殿をうかがうのが今はせいぜいである。しかし、その隙間から垣間見る彫り物のすばらしさは、この近在にはない。さすがに国指定の文化財だけのことはある。なかなか目に触れ難いということもあるのだろうか、おそらくあまり認識されていない建物である。

 この連休、友人とともに辰野町からわが家までそんな史跡などを中心に訪れながら伊那谷を南下した。いわゆる観光パンフレットにも掲載されているものだから、けしてマイナーなものではないにもかかわらず、目標として訪れた箇所の7箇所に、ほかに見学者は誰もいなかった。伊那谷の史跡とか文化財の知名度はこんなものなのだ。いや、それほど知名度が高くないという程度のモノしかないといってしまえばそれまでだが、前述したようにそれが観光パンフレットに掲載されている。大型連休といえども、観光客の皆無にそのレベルを知らされる。落ち着いて静かに見学できるモノが、きっと世の中にはたくさんあるのだろう。それにしても、この社殿については、友人も口にしたが、もう少し見学者向けの配慮があっても良いとは思う。とはいうものの、管理者を置いて拝観料を徴収していた伊那部宿の伊澤家住宅において、入場する際の記帳を見たところその日はわたしたちだけ、前入場者は数日前であった。史跡に対して興味のない人が多いことは解るが、「それにしても」という印象が強くわたしにダメージを与える。博物館の数が多いといわれる箱物長野県の行政の無策を感じるとともに、たくさんの施設が箱だけ残して閉まっている事実も指摘しなくてはならない。

 なんともいえないのは、この日いかにも大型連休をイメージさせてくれた空間は、磁場ゼロの分杭峠だけである。あとは風呂代わりに訪れた日帰り温泉施設である。怪しいかぎりという人々の関心の持ちようである。

 この日、最後に訪れた大鹿村松下家は、かつて何度も仕事で訪れていた引の田という集落にある。かつてのオヤカタ様の家である。文政3年に建築された建物で、14.6mという通しの大梁が目立つ。おばさんがやってきて屋内に明かりを点けてくれたので、「お家の方ですか」と聞くと、見学者が来ると隣からやってきて管理をされているという。当家の方ではないのでオヤカタヒカンのことを聞いてみると、ここではそれほどオヤカタヒカンという関係が当家と集落の家の間にはなかったという。早い時期に、そうした関係が薄まったムラだったのだろう。

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