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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

消えた道祖神

2018-03-21 23:46:21 | 民俗学

 わたしは平成2年に遙北石造文化同好会の「遥北通信」100号(平成2年7月1日発行)へ次のような投稿をした。


消えた道祖神

 6月17日、京都の高木さんと茅野市北山の芹ケ沢にある道祖神を訪れた。ここの道祖神は男女神の二人が互いに向き合い、膝を突き合わせて座っている特異な像形のもので、写真のように同様の像形をした道祖神が二体安置されている。
 ところがこの日ここを訪れたところ、右側の道祖神はあったが、左側の道祖神はなくなっていた。安置されている堂の外にある燈籠も倒れており、その様子の変容さに胸をうたれた。隣の畑で農作業をしていた人に聞いたところでは、今年の始めごろなくなっているのに気がついたという。特異であり、また年代的にも古いもので非常に残念なことである。
 この道祖神については、北原昭著『諏訪の石仏』に詳しい。なくなった方の道祖神には「延享三丙寅年(1746)拾一月吉日」の銘文があり、丸顔でお地蔵様が向き合っているように見えた。残っている右側の道祖神には銘文がないが、損傷の跡などからして延享三年のものより古いように見える。また顔も猿のような顔で、恰好からして向かって左側が女神とわかる。
 区の古文書には次のように書かれているという。

 (撮影 HP管理者 1989.3.12-平成元年)

 

 「村草創より辻に二尊を奉祀したが、天文(1532)、弘治(1555)の頃ここへ引奉祝と也といへ共実は其頃建立也さいくわち坂へ引候は其後元和(1615)頃成由 石燈篭一本元文三戊午年霜月吉日(1738)建立施主村中也発起人北沢作兵衛也 又道陸神延享三丙寅年十一月吉日(1746)奉建立……。」

 この古文書によると天文・弘治年間以前から、道祖神を祀ってあったが、元和の頃、今の場所に移したということである。
 また、言い伝えであるが、ある年の一月十五日のおんべい焼きの時、火の不始末からの大半が火事となり、その責任を道祖神にして、罰として村の中にあったのを、今ある場所へ移したものだという。今の場所を「せいかん坂」というが元は「さいかん坂」と言ったという。さいの神のなまりと言えよう。
 なくなった左側のものが像高55cm、右側のものが60cmである。
 いずれにしても早く見つかり、帰ってくることを望む。

といったものである。近年芹ケ沢の道祖神を訪れたことはないが、10年ほど前に寄った際にも、相変わらず1体しかなかったことを覚えている。間もなく発行される『長野県道祖神碑一覧』の口絵に、この芹ケ沢の道祖神が掲載される。その写真は小幡麻美さんが撮られたものだが、やはり1体しか写っていない。

 かつて道祖神盗みが習俗として行われたようだが、現代のそれは明らかに泥棒の範疇。いいやかつても泥棒の範疇であったかもしれないが、現在のそれと同じにしたくない。

 この投稿後、平出一治氏が次のような投稿を、同じ「遥北通信」108号(平成3年3月1日発行)にしてくださった。

 

消えた道祖神 茅野市北山柏原の上道祖神場の双体道祖神

 石造文化財が持ち去られる話しを聞いていたし、三石稔さんが『遥北通信』第100号に、茅野市北山芹ケ沢の道祖神が持ち去られたことを報告している。自分がそのことに接しても信じられない気持が強く、未だに信じることができないでいる。しかし、それは事実であり帰ってくることを願うしかないようである。
 盗難にあったのは、北山柏原の観喜院参道隣の上道祖神場に祀られていた添立祝言像で昭和六十三年の春頃のことである。明確な記録や計測をしていないため写真1を紹介することしかできない。記憶では高さが85cm位であったと思う。碑面は敲打整形が施され、板碑状の区画彫りの中に二神をレリーフしたもので、銘文は刻まれていなかったように思う。


 

写真1 (撮影 平出一治 1987.1.14)

 

 平成二年春には、探しても見付からなかったということで、新たに抱肩握手像を祀っている。それが写真2で、銘文は刻まれていないが平成の道祖神である。高さ128cm、幅112cm、厚さ61cmの大きな自然石に、縦幅が61cm、横幅が48.8cm、深さ14.3cmを計る釣鐘状の区画彫りを施しその中に二神をレリーフしたもので、像高は男神がやや大きく39.5cm(烏帽子をいれると52.8cm)、女神は38cmである。

写真2 (撮影 平出一治 1990.10.24)

 

 ※「遙北石造文化同好会」のこと 後編に触れた通り、「平出一治氏のこと」について回想録として掲載している。

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