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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

昭和57年台風18号災害の記憶

2019-10-14 07:55:12 | 自然から学ぶ

 

 

 あらためて昭和57年台風18号災害の新聞記事を振り返ってみた。昭和58年の前年である昭和57年は、台風18号によって全国一の被害を被った。当時もわたしは飯山市に暮らしていた。千曲川支流の樽川の堤防が決壊し、飯山市木島地区が浸水した。まだ二十歳そこそこだったわたしは、この災害復旧に携わった。信濃毎日新聞9月14日朝刊に「七百戸が水につかった飯山市木島の水害は、二十三年前の昭和三十四年とほとんど同じパターンで襲った。地元の再三の陳情にもかかわらず、堤防改修はほとんど行われていなかったという。」と記されている。

 同じ信濃毎日新聞9月19日朝刊の記事には、「もろさ露呈 合流点」の文字が踊る。いまだにその地名の記憶が残るが、当時の浸水被害は木島だけではなく、豊野町、須坂市北相ノ島、更埴市雨宮、松代温泉団地など広範だった。この「合流点」という単語は記憶に留めるべき単語と言える。実は、今回千曲川本流堤防の決壊した長野市長沼は、対岸の須坂市側から八木沢川が少し下流で、また上流で百々川が流れ込んでいる。ようは、右岸側から支流が複数合流していることから、流れは左岸側に押されるわけだ。もちろんそれだけで決壊箇所を想定できるものではないが、危険域であったことは結果論かもしれないが言えそうなのだ。

 あえて言うなら、先月千葉県を襲った台風と同じような経路をたどった。長野県が進路の左側であったのも同じだ。15号と同じだと思っていたら、進路左側で雨がたくさん降った。経験に翻弄されたのかもしれない。

 

 国土地理院より「令和元年(2019年)台風19号に関する情報」が出され、長野市の「浸水推定段彩図(速報)」が公開されている。

 


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