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辰野町上辰野・霊符尊

2024-07-21 22:11:31 | 民俗学

 先日「下伊那那喬木村の木地屋」を記した。『長野県史 民俗編総説Ⅱ』(1991年)巻末にある「長野県民俗関係文献目録」にある私的同好会の通信に掲載されたわたしの報告文は3編ある。内1編は、過去に「下諏訪町東明館西の道祖神と第六天」と題して本日記に記している。平成元年2月19日に発行した『遥北通信』78号に掲載したものである。そしてもう1編が今回紹介する「霊符尊」の記事である。同年6月に発行した『遥北通信』84号に掲載したものである。

 なお、この碑は「辰野町堀上竹原の道祖神」と同じ竹淵三郎平の彫ったものである。

 

辰野町上辰野・霊符尊(れいふそん)

写真撮影 平成元年二月四日

 

 辰野町上辰野の道端の小高い所に、蚕玉様や大黒天と共にこの像が建っている。これは霊符尊という。国書刊行会の「日本石仏図典」には、次のように述べられている。
 霊符とは星座を象った呪符を指し、さまざまな霊符が、日常生活を律する信仰儀礼のなかで用いられてきたが、これが霊符尊として神格化されることもあった。写真の三尊像は、富士信仰の指導者が発行した御影に基づく造像と思われるが、中央が霊符尊神、左を抱卦童子、右を示卦童朗といい、下部に蛇と亀がみられるように、星座のなかでも北極星ないし北斗七屋の霊符の具象化である。富士信仰の一部には、富士と妙見や北斗七星と結び付ける教説があり、近代になって「北辰妙見星」などの石塔が多数造立された。写真の塔は像の周囲に八卦を配しているが、上部に北斗七星と八卦を刻んだ塔もある。密教経典では七星がそれぞれ人め生年に配当され、運命を支配すると説くが富士信仰にも類似の教説があったらしい。
 裏面に「明治七甲戌年七月廿八日」とある。
 碑高九十四㎝、幅八十一㎝、中央霊符尊神像高四十㎝、高三十七㎝、左像高三十七㎝。

『遥北通信』84 三石稔

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