Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

造られた隔壁、そして分断

2021-04-17 23:38:30 | ひとから学ぶ

 昨日「土水路のようなコンクリートライニングされた水路」を記したが、実は昨日歩いた空間に、もうひとつ気になった光景を見た。

 このエリアには国道バイパスが通過している。直線化された道路だから、支障となる土地はもちろん買収されるわけだが、幅にして30メートル近くが影響エリアとして買収され、それは隔壁のように空間を分断する。このことは、かつて社会生活への影響があると想定し、ある論文を起こしたことがあったが、具体的な事例としてあげることはできなかった。昨日は、別の場所でもやはり用水路のことを聞いていると、「向こう側のことはよくわからない」と70歳代くらいの方が口にされた。実はその方の家から100メートルも離れていない空間のことを聞いたわけで、その方の家の近くから分水している。なぜ「向こう側」と口にされたかというと、その間に国道が通過している。聞くところによれば、その方が子どものころにはなかったと言うが、さすがに半世紀以上国道が壁となって存在していたから、もう壁の向こう側のことはわからないというのだ。この方の家は国道より低い位置にあり、国道は盛土されたところにある、いわゆる天井道路だ。「向こう側」にも家が立ち並び、どちらも同じ集落であることに違いはないのだが、国道が壁となっていて、「向こう側」は見えない。もちろん国道ができるまでは、現在の国道のある場所は水田になっていて、「向こう側」の家は隣であることに違いはなかっただろう。しかし、高く盛土された壁は、明らかに風を止め、隣接者の顔すら遮断してしまった。おそらく日常は大きく変わっただろう。地域空間を分断するような施設は、社会生活に大きな変化をもたらせることになる。

 さて、それはともかくとして、この日違和感を抱いたのは「壁」ではない。家構えである。よくある例ではあるが、「これほど」の例を見せられると、地域では「どうなのか」と考えさせられる。ようは国道バイパスのせいで、移転を余儀なくされた家屋が、近くに移転新築されている。バイパスが通過する前の地図を見れば、そこにあった家が明らかに移転したことはわかる。そしてその当時家がなかったところに新しい家が新築されていれば、それは移転された家であることは容易にわかる。その家構えがあまりにも巨大であり、いっぽう周囲にある昔ながらの家は、農村であるから構えはそこそこ大きいものの、移転新築した家とはあまりにも格差がある。それがどうこうというわけではないが、これほどの違いを見せられると、そもそもそこでこの後暮らしていく人々は、どう捉えられるだろう、という危惧なのだ。そうした家が何軒か見られるが、とりわけ巨大さを見せる家は、たまたまわたしの知っている人だった(昨日までその家が知人の家とは知らなかった)。

 現在彼は仕事の関係でそこには暮らしていない。おそらく移転新築した家に暮らしたことはないのだろう。彼がこの家で、どのように暮らしていくのか、まだ先のことだろうし、加えて勝手なお世話だろうが、心配でならない。


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