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昭和62年の記憶⑮ 上今井諏訪神社太々神楽

2021-04-18 23:25:09 | つぶやき

昭和62年の記憶⑭ 牛牧神社獅子舞より

 

 昭和62年4月19日には、同期入社した方の結婚式が長野市で行われた。そのあと、現在は中野市であるが、当時下水内郡豊田村であった上今井諏訪神社訪れ、太々神楽を見学した。ここでは「翁」や「へんべ」の面が登上するが、「翁」には文政10年(1827)の年号が、また「へんべ」には安政7年(1860)の年号がそれぞれ書かれており、これらは江戸時代に舞われていたことがかる。しかし、十六座ある曲の中には『吉備楽』と名のる曲が5曲もあり、これは太々神楽本来の内容からいえば異質であり、新しい付加といわれている。『吉備楽』は明治5年に創作されたもので、同11年の御前演奏を機に流行し、上今井でも吉備楽が後に付加されたものなのだろう。
 ここの神楽については、明治時代にある人物のただならぬ思い入れによって栄えたと言われている。その人物は「さとおっしゃん」と呼ばれた佐藤菊太郎だといわれる。文久3年の生まれで、明治中期に大々講をつくり、その楽長となって昭和8年に永眠するまで神楽を盛り立てたという。大正15年には有志を募って伶人会という神楽組織を発足させ、伝統の舞を後世に残そうとされた。

 上今井の祭典は毎年4月20日だったというが、今は第3日曜日となっている。最初の舞は「さんまい」と言われる舞で、米をまき散らしながら舞う。榊の舞、せりふの入る御幣楽、そして翁の舞と続く。「へんべの舞」は男性4人によるもので、とりかぶとを被り、恐ろし気な面をつける。悪鬼を払う意図があるという。その後女の子らによる吉備楽が舞われる。

昭和62年4月19日撮影

 


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