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お宮参り

2024-09-15 22:56:44 | 民俗学

お宮参り (令和6年9月15日)

 

 かねてから仕事でお世話になっている方に、「お宮参り」があったら写真を撮りたいので紹介してほしい、そう依頼していたところ、本日お宮参りをされる方がおられると情報をいただいていた。「友引」の今日、南箕輪村の報徳二宮神社を訪れ、その「お宮参り」にご一緒させていただいた。

 先日初宮参りの日に触れた通り、かつてなら生後1か月後のあたりにお宮参りをしたものだが、今は祭典も土日に行われるように、それぞれの都合によってその日は決められている。今日お宮参りをされた方も、今年の夏が暑かったこともあり、2か月ほど経過してのお宮参りとなった。お宮参りの当事者である子どもさんを抱っこするのは里の母親。昔なら鉄漿親が背負ったという所が多いが、今は鉄漿親そのものがいない。従って里親ということになるのだろう、多くは。子どもの両親と里親、そして嫁ぎ先の母親が付き添われた。神社にはお酒と洗米をお供え物として持参し、お参りをして帰るが、今はお祝いは外で行われる。子どもの額には墨を付けられたと言うので見せていただいた。男の子なら墨、女の子なら紅を付けるというのも、よく言われたもので魔除けの意図があるよう。

 さて、今回お宮参りをしたお宮は戦後にできたお宮。このあたりは開拓地であったことから、戦後になって住宅化された。したがってお宮も新しいのである。写真の右に写っている石碑にその由来が刻まれており、次のようなものだった。

報徳二宮神社

 抑々此の神社は終戦直後 食糧増産県営緊急開拓団として
入植した南原開拓組合の人々が心の拠り所として創建した
神社設立にあたり 沢尻恩徳寺の宥人和尚に依頼し高遠の樹林
寺に保存されていた旧高遠藩上級藩士の神棚を譲りうけて祀っ
た 祭神には二宮大神他七社が祀られてあったが開拓地に於て
は 二宮尊徳翁を祀るのが最も相応しからんと衆議一決し昭和
二十三年五月 組合の共有地え祠を建立して二宮神社と号した
其の後二十数年を経過し地域内を中央自動車道が通過して南原
地区周辺は急速に宅地化が進み人口も急増して来た こうした社
会環境の変化に伴って社殿新築を要望する機運が高まり 崇敬
厚い区民の浄財を得て昭和五十六年四月十八日 建坪三十五平
方米の社殿の新築が完成した 旧祠は其のまま隣接地に遷座し
天満神宮として奉安した この新殿造営を機に小田原報徳二宮
神社の末社として草山朝子宮司により認証された
 今日開拓入植当時の先輩諸氏は相次いで故人となられ青年達
もまた既に老境に入った ここに神社創立四十周年を記念して
その由来を誌し末永く子孫に伝えんとこの社碑を建立する   
   昭和三十六年四月吉日   南原二宮神社総代会

 ところによっては二宮金次郎の像が撤去されると聞く今の時世。しかしここでは社名が「二宮」というだけに、二宮尊徳を祀っている。社殿の前に比較的新しい二宮尊徳の石造があって懐かしさを抱く。由来にもあるように旧社殿が拝殿南側に天神様として祀られている。この地域の信仰の経緯も興味深い。

 さて、南箕輪村の「お宮参り」について、『南箕輪村誌』から引用しておく。

 お宮詣り 男は32日目、女は33日目にするが、男は女より出世が早いという意味である。またこの日は母の里から子供が我が家に戻る日でもある。昔は子供の髪姿を整えるのに、頭の中央を直径1寸5分くらい(約5cmくらい)そり残した。また耳の上、こめかみの所1寸くらい(約3cmくらい)長方形に残した。このところは大事なところで、そこを保護するためだと思われる。
 里親に背負われて、我が家に着いた子供は、里親から贈られた着物、かけ衣装で鉄漿親に背負われてお宮に行く。お宮に行くときに御神酒、おひねり、おこわ(赤飯)など持参して行き、神前に供え子供を「無事息災で育ててくださいますように」とお願いした。
 帰りにあらかじめきめておいた三軒に寄り、赤ん坊の額に男なら墨を、女なら紅をつけてもらう。その家では真綿とか、100文のお金を祝儀としてくれた。橋を渡って帰ってはいけないといわれた。またその日にお祝いをいただいた家に赤飯を配る。貰った家では重箱の隅へ少し残し「まめに育つように」と豆、「白髪になるまで長生きするように」と真綿のおうつりを入れてかえした。
 この目は里親の外鉄漿親、仲人、おじおば、兄弟姉妹など招いて、お祝いし、引き物を出して精いっぱいのご馳走をする。

 最近はお宮参りをしない家も多いと聞く。さすがに村誌の後半部分、「三軒に寄る」というようなことはしないようだ。帰路、伊那市西町の春日神社に立ち寄ってみたが、賽銭箱の裏側の拝殿扉の根元に紙の酒パックと赤飯がセットで2組置かれていた。これは明らかにお宮参りをしたという痕跡である。

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