Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

田ごしらえ

2010-05-03 20:56:41 | 農村環境

 撮影 2010.5.3 ボタ叩き

 この3日間、妻の実家の田ごしらえを続けた。わたしは長男ではないため、農家の生まれではあるものの、稲作については本当のところは詳しくない。妻に言われるように働いているが、以前から「こんなやり方で良いのだろうか」という疑問は少しばかりあった。とはいえところ変わればやり方も違うと納得していたのだが、そんな妻のご指導が最近は怪しい。最近もめているのが田ごしらえである。この季節、田植えに向けて田んぼの準備をする。田んぼの面は代掻きをすればそれで良いが、山間地の畦畔の大きいところでは畔作業が重くのしかかる。その畔づくりがなんとも怪しいのである。結婚してから毎年のように手伝いに行ってはいたが、そこではかつてのような畔塗りということはしない。では畦畔シートをするかといえばそうでもなく、そのまま代掻きに入っていた。そのあたりが「ところ変われば」という最初の思いだったのだが、ほ場整備のされた固まった畦畔ならいざしらず、叩けば凹んでしまいそうなしなやかな畦はしっかりこしらえないと水持ちが悪い。畦畔シートが施してあるからというので安心はしていたが、「水持ちが悪い」という単語は常にこの時期に流れていた。そして妻はここ数年畦畔を固めるために「ボタ叩き」というものをする。木の槌で畦を叩く作業をそう呼ぶのだが、この辺りではどこの家でも当たり前のようにする。

  この畦を叩く作業、畦を固めてしっかりさせるという意味もあるのだが、そもそもモグラの穴を塞ぐ、という意味が強い。田んぼと田んぼの段差がないような平らな地域ではモグラの穴が開いていてもさほど気にすることもないかもしれないが、段差があれば当たり前のように浸けた水は低い方へ流れていってしまう。とすれば浸けた水を逃がさないよう畦をしっかりさせることは重要な作業となる。この作業が田植え前の最も重労働となるのだ。ところがこの漏水を防ぐための作業はけっこう家によって異なる。高台にある妻の実家の田んぼから眺めていても農家ごと田ごしらえはさまざま。驚くほどにみな違うのである。

  妻は水持ちが悪いために除草剤が効かないといって、よその家と同じようにボタ叩きを始めた。女手でボタを叩くのはかなりのもの。そのボタを叩くにも妻は畦が痩せないように畦際を鍬で掘って叩くが、よその家を見ているとモグラの穴をはっきり確認できるようにシャベルで畦を掘って土の面を綺麗に露出させてから叩く。痩せさせたくないという妻のやり方と、近隣のやり方はここから既に違う。それを問うと「わたしもどうすれば一番良いか解らない」と試行錯誤をしているありさま。楽な方法でモグラの穴対策ができる方法とはどういうものなのか、これがこの季節の難題なのである。

  さて、この田植え前の田ごしらえについて『長野県史民俗編』で紐解いてみようとするが、そもそも稲作の記述に田植え以前のことは極めて少ない。同「総説Ⅰ概説」を開いても畦に関する記述は「あぜつきにすきを用いていた。大正時代に馬耕が普及し、また農家ではミツマタを使用するようになりすき起こししなくなった。昭和四十年ころまで水田のあぜつきにだけはすきを使用したが、けいはんブロックやあせシートを使うようになって、それもしなくなった。」というもののみである。さらに同資料編(南信地方)を開いても皆無といってもよい。ときに資料編に「回し溝」なるものが登場するが、この回し溝は温水用のものとして取り上げられているが、妻の実家あたりではこの溝を回すことで畦づくり準備となっている。ようはかつて行なわれた畦塗りも「回し溝」に水を回して作ったわけだ。それにしても田植え前の拵えに重労働が伴うのに、なぜ民俗学ではまったく触れられてこなかったのか不思議でならない。

 撮影 平成元年6月4日

 2006年6月2日の日記に「しょうぶはたき」を記した。そこで取り上げた写真を再びここに載せるが、これは下高井郡木島平村で行なわれていた行事のもので、モグラを追い出す意味があるという。妻の実家の辺りで言うボタ叩きは、モグラ叩きと言っても差し支えない。


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