Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

小田井の道祖神

2006-07-21 07:54:42 | 自然から学ぶ
 長野県における梅雨前線豪雨災害は、岡谷市の土石流、そして箕輪町における天竜川堤防の決壊といったところに報道が集中しているが、実はほかにもさまざまな影響を受けている。表には出てきていないが、千曲川の増水も一昨年の台風23号による洪水に匹敵、あるいはそれを超えようとするくらいの量になっているようだ。天竜川には堤外地の農地はほとんどないが、千曲川には堤外農地が多い。そうした農地はほとんど水没した。継続して降った雨の量は確かに多いが、果たして昭和36年に起きた伊那谷を襲った梅雨前線豪雨に匹敵するものかというと、あの災害は超越したものだった。このあとに再び数百と言う雨量があれば、かつてを思い起こすような災害が起きうるのかもしれない。そうならないことを願うばかりだ。

 ところで、岡谷市湊3の土石流災害は、多くの犠牲者を出してしまった。ニュースを聞きながら、湖岸に隣接して住宅が連なる裏には中央自動車道が走り、その南にはそれほど高くはない山がある風景が浮かんだ。ところが、昨日になって朝日新聞を読んでいると、「神社が流れた」というような記述があって、「もしや」と思ったのだ。さらに同紙の地方版を注意深く読むと、住民のコメントがあった。「車で新聞配達を始めたばかりだった近くの男性(55)は船魂神社付近で奥の山から流れてくる土石流を見て、とっさに車から飛び降りた。高台にある久保寺を夢中で駆け上がり、下を見ると、勢いある泥水で住宅地がぐちゃぐちゃになっていた。住宅3軒、自動車数台、それに無数の大木……。「本当に間一髪だった。あれに巻き込まれていたらと思うと、ぞっとする」と話した。」と書かれている。

 実はこの船魂社には5年ほど前に訪れている。この神社の入り口にある小田井の道祖神を調べに行ったのだ。小さなお宮ではあるが、諏訪のお宮であるから、小さくても御柱が建てられている。そして、この地らしいのだが、道祖神にも小さな御柱が建てられる。この道祖神は、もとは集落内の南小路の辻にあったもので、そこにはかつて火の見があって、集落の中心的な所であったという。そんな話しを道祖神の近くの家で聞いて歩いた。その船魂社の西側に交差点があって、山へ向かう縦道が高速道路をくぐって続いていた。まさしくこの道に沿って土石流はやってきたようだ。神社が流されたとあるが、船魂社のことなのか、近くにあったもうひとつの神社なのか、今は定かではないが、地域の高いところから人々の背後を見守るように建っていた道祖神は無事なのだろうか。

 訪れた場所が土石流に遭い悲しさを覚えるのは二度目である。15年、いやもう少し前かもしれないが、下伊那郡天龍村のJR伊那小沢駅のすぐ横の小さな沢から土石流がやってきて、駅の入り口にあった家がのみ込まれる災害があった。やはり何人か亡くなられたと記憶する。この伊那小沢では春先の祭りに神楽が披露される。それを訪れたのは、災害を受ける2、3年前だった。訪れた場所が災害を受けるということは、ほかにも何度が経験しているが、亡くなられる方が出るというのはつらい。

 今回の岡谷市湊の背後の山は、それほど深くはない。なぜこんな山から土石流が発生するのか、そんな疑問がわく。ここで起きるのなら、長野県中どこで起きても不思議ではない。今回も報道されているが、意外にも高速道路が土留となって、ある程度土石流を緩和したようだ。長野県内の高速道路をみると、とくに諏訪から伊那谷を通過している中央自動車道は、山付けに設けられていて、それでいて河川の堤防のように天井道路になっている箇所が多い。したがって、山からの土砂崩落は、この道路堤防が受け止めてくれるケースがある。そのいっぽうで今回のように、高架橋化されているような箇所は、土石流の通り道となる。皮肉にも道路が自らの生活を保護してくれる結果にもなるのだが、行き来しやすい抜け道には危険が潜んでいる。土留の役割としては、天井に限らず掘り込み箇所においても効果を発揮したりする。予想もつかないような場所での土石流。どうそれを察知するか、やはり、自らの住処を歴史も含めてよく認識することが第一なのだろう。

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