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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

厄神除け

2008-02-15 23:38:57 | 民俗学


 昭和46年(1971)に下伊那郡松川町教育委員会が発行した『松川町の年中行事』という本は大変興味深い。以前PTAの役員をしていた際、「オヤス作り」をするといって年末に子どもたちを集めて正月飾りを作る催しがあった際、それほど難しい作りではないものの、視覚で説明できる資料がないものかと探したら、この本に図説されていた。実はこの本、松川中央小学校の子どもたちがまとめたものである。飯田市以北の地域では、詳しい民俗調査がされていない。ということで、資料もない地域である。そんななかで松川町の年中行事だけではあるが、子どもたちがまとめてくれた資料がとても参考になる。子どもたちとはいってもこれをまとめた子どもたちはわたしより年配の人たちである。既に40年近く前のことであるからだ。

 さてその本は参考にはなるのだが、いまひとつどこで聞いたことなのか不明な部分があるとともに、解りづらい部分もけっこうある。そんなひとつの例が下記のものである。

「紙に馬という字を十二書き(たてに三つ横に四つ)それを封筒の中に入れ、よそのの四つ辻に持って行って捨て、後を振り向かないようにして帰ってくる。そうすると一年中に悪いやまいがはいらなかった。
 どうしてこのようにしたかについて次のようにいわれている。
 年寄りが「馬の夢を見ると風邪をひく」ということを昔は言ったということを聞いたことがあるような記憶がある。あるいはこの地にそんな言い伝えがあり、そのため馬を書いたのかも知れません。
 十二書いた理由は果して何かわかりません。あるいは十二か月でもあらわす意でしょうか?
 昔から馬の夢を見ると風邪をひくといい伝えがあるが、たしかにうなづける。
 それで馬の字を書いて道に捨てておく。それを外の人が拾うとその人が風邪をひいてくれて、自分の風邪が軽くてすむ。こんな事を少し前までする人がいたが、現在はそんな人に迷惑のかかることは良くないのでしないようになった。
 どうして馬と書くかわからないが、よく風邪をひくと紙に馬の字を一字ずつ十二枚書いて辻に捨てた。何げなしにそれを拾うと風邪がうつるとか言った。
 昔は家内中風邪をひくと馬の字十二字を書いて封筒に入れて道の四つ辻にすてて風邪を追い出した。
 風邪にかかると紙に馬という字を書き、竹ざさにつけ道路の四つ辻に立て全快を祈ったという。
 この時に鶏の絵を一枚紙に書いて馬頭観音に供えると、子供の鳥ぜきがよくなるといった。
 村中へはやり病や悪者がはいりこまないように、村の入口のところに「塞の神」というものを竹の皮や太の小さい箱、中には単に建札を立てて、防ぐおまじないをする。塞の神のお札を竹の棒にはさみ道ばたに立てる。これを「厄神よけ」という。今ではもうみられない。厄病神除けのお札を竹の皮で包み、前だけ見えるようにして二米ぐらいの竹竿の先につけ、区の入口(県道・大きな道の境界)にむこう(よその方をむけて)むきに建て、むこうのから厄病神が来ないようにする。となりのでもそうするのでお札が向き合って立つ状態になる。によっては直径一mもある大きなわらじを作っての入口に吊して置いた。このにはこんな偉大な男がいるから悪神など来れないぞという示威運動だそうです。」

というものである。事例によっては調査地が記入されているが、このデータにはそれがない。そして一か所で聞かれたことではなく、複数の回答が絡んでしまっているような記述である。とはいえ、この行事は2月6日に行なわれたものだというが、大変興味深いことが書いてある。事念仏と風の神送りは、飯田市上久堅を中心として天竜川以東に顕著に見られる行事である。それが少し離れたこの地域にも同じような形で行なわれていたというのだ。もちろん現在は跡形もない。最も楽しいのは「馬の字を書いて道に捨てておく。それを外の人が拾うとその人が風邪をひいてくれて、自分の風邪が軽くてすむ。こんな事を少し前までする人がいたが、現在はそんな人に迷惑のかかることは良くないのでしないようになった」という部分である。道に捨てて誰かが拾うと迷惑になる、だからしないようになったという感覚である。神頼みのワザであるにもかかわらず、迷惑になるから辞めたということが聞けたとすれば、事例としてそんな現実的がいくつもあったのだろうか。

 そして本日は最後に記述されている厄神除けの草履作りを見学してきた。
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