Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

行動にみる人間性

2008-02-08 17:18:56 | ひとから学ぶ
 人それぞれであることに違いはない。例えば「この荷物をわたしの家に届けておいて」と一言言ったとする。この場合わたしの家が解っていて、玄関も裏口も、そして荷物を置くことのできるような屋敷周りをある程度認識している人へお願いしたということとする。言葉はそれだけで、どこどこにといった具合に詳しい説明はないものとする。このケースで頼まれた人は、①玄関先に置く、②裏口に置く、③物置の中に置くといった具合に違いが出てくる。玄関に置いた人は、玄関ならすぐに気がつくだろうと思う。裏口に置いた人は、玄関先では誰かに持っていかれてはいけないからと、目立たない裏口を選択する。物置に置いた人はさらに人目につかないようにと慎重な人である。こんな具合に人によって考え方はことなる。いやね考え方が異なるのか、自分のふだんの行動、癖によるものかもしれない。何も考えずに「玄関に置く」人もいるだろう。ようは目立たないところに置くほどに、いろいろ考えている傾向は強いだろう。

 親戚の家から果物をいただく場合も、不在の時に持ってきていただくことが多いから、置く場所がさまざまである。玄関の鍵を掛け忘れていると、玄関の中に置いていってくれる。通常は鍵がかかっているから、玄関の脇に置いていく、あるいは裏口の脇に置く、だいたいこのケースである。さすがに物置の中に置いていくケースは滅多にない。よほどわが家の行動パターンを熟知している人でないと、物置に置くことはないだろう。それは、置いたことを認識してくれないと、いつまでもそのまま置かれてしまうという危惧があるからだ。だいたい置いていってくれた人が「リンゴを届けましたよ」とわざわざ電話などしてこない。もちろん誰が置いていったかも明示されていない。雰囲気で「これは○○さんが持って来てくれたものだ」と察知しなくてはならない。時にはそれが解らずに、電話を持って「○○をいただきました?」などと恐る恐る聞くことになるのだ。こんな具合にいただきものでも置かれる場所によって、さまざまにこちらも考えたりするのだ。

 会社で1ヶ月に1度、床の掃除を業者さんがしてくれる。会社が休日のときに掃除が行われるわけだが、明日掃除がされるというときは椅子を上げて帰宅する。そうした椅子を休日開けに降ろす当番を車内で決めているわけだが、この椅子降ろしひとつとってもなかなかなのだ。降ろすことそのものは、①比較的職場が近いから、休日明けの前日に会社を訪れ椅子を降ろしてしまう。休日開けの朝早くに会社にやってきて慌しく降ろすのは性分が合わない。②通常通り休日開けの早い時間に出社して椅子を降ろす。と言った程度の違いなのだろうが、正確を見せるひとつの場面がある。それはそうした掃除の日に出社する場合である。もちろんこの出社は正規な出社ではない。そうした場面での行動①仕事をしようと自分の椅子を降ろす。仕事が終わると再び椅子をあげてゆく(すでに掃除が終わっているのに)。②自分の椅子を降ろしただけでは圧迫感があるので、周辺の椅子を降ろす。降ろした椅子はそのままで帰宅する。③ついでに全部降ろす。などである。①のケースでもなぜ再び椅子を上げるかという部分に意識の違いがみてとれる。ひとつとして、自分の椅子だけ降ろしてあると出社したことを暗示しているように見えるから、再び元通りにする。ふたつめとしてとくに何も考えはなく、当番の仕事を減らす必要はないという意識。などがある。②はそれほど考えはなく、必要に応じた行動、③はおせっかいと言われる部類かもしれない。ところが①と②にはかなり共通した意識がある。ようはそこだけ降りていることに違和感を覚える人の選択パターンといえるだろう。元通りにするか、それともすべて降ろすかという違和感を与えない意識である。

 以上のように人それぞれではあるのだが、そうした行動をみながらささいなことなのだが、「えっ、なぜ」と思うようなことがよくある。この人は「こんな人」ということを悟りながら暮らすのである。
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