Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

新聞を読まない会社

2008-02-14 12:37:16 | ひとから学ぶ
 先日、会社の会議の中で購読している新聞三紙のうち中日新聞を辞めるがどうだと問われた。赤字続きの会社だけに削れる経費はことごとく削られてゆく。それでも現在の部署にきて三紙も購読していて意外な印象ももった。前部所では一紙のみであったからだ。先般出版不況で触れたように、国民の活字離れは止まらない。世の中から本屋などというものは消えてしまいそうなくらいである。そんな状態であるから仕方ないことなのだが、問われて反対する人などいるはずもない。新聞を休み時間に読む人など少ない。かろうじて単身赴任でやってきている人たちは、新聞を購読していないからそんな人たちが盛んに手にする程度で、自宅から通っている人たちが手にすることはない。なぜ中日新聞かと言うのも当たり前のことなのだが、不思議と信濃毎日新聞を購読している事業所は多いのかもしれない。いや、自宅で信濃毎日新聞を購読しているから、むしろ違う新聞を選択するということも十分にある。果たしていかなる状態なのかは認識していない。

 三紙購読しているから、あまり内容のない長野日報を辞めてもらいたいと中日新聞を毎日手にしているわたしは意見したが、聞き入れられるはずもない。どうみても中日新聞を読んでいる人は少ない。きっとそれを問えば、信濃毎日新聞は地元の記事が多い、反面地元の情報が少ないから地元の情報を得るために信濃毎日新聞を読めば、中日新聞を読む必要はない、ということになる。全国ニュースも書いてある内容にそれほど差異は認められない。確かにそう捉えてゆくと共通項目のある新聞を重複して購読する必要はなくなる。そのあたりがわたしの視点とはまったく異なる。同じ新聞なら二紙はいらないが、異なるから両者を手にする。確かに重複する部分はあるが、重複しない部分もある。だから読むのに、相違点を見つけて情報を手に入れようという気配がそこにはない。もともと活字離れした人々にそんな視点はないのかもしれない。人それぞれとわたしは捉えるが、ほかの人たちは人それぞれの相違点を意識しない人たちだともいえる。

 以上はわたしが求めるものなのだが、自宅でどれほど新聞が購読されているかは知らない。今や購読者数もかなり少ないのかもしれない。たとえば会社にやってきて新聞に興味も示さない若年層は、自宅でも新聞は読まないのかもしれない。わたしの感覚では、県内での信濃毎日新聞の購読比率は高いだろう。わたしも自宅では信濃毎日新聞を購読している。だから会社に来て同じ新聞を読もうとは思わない。必ず違う新聞を手にする。そういう意味では、なぜ会社でこの新聞を手にする姿が目立つか、ということになる。ようは会社で新聞を読もうと手にするのは単身赴任者ばかりなのだ。もちろんそうでない人も手にするが、自宅で朝読む時間がなかった、あるいは会社の空き時間だから読めるというそれぞれの環境にもよるだろう。残念ながら中日新聞を辞められると、わたしの読むべく新聞はなくなる。おくやみ欄を読むことを目的にしている人たちには、全国紙はまったくようがないわけだ。どう考えても絞り込むのなら違う新聞にするべきだと思えないところが寂しい限りだし、そのくらいなら新聞などすべて辞めればよい、という極論も出したくなる。価値のある情報を有効に使おうという意識ない限り、その会社の姿も見えてくる。
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