2011年は、本当によく人に死ぬ年だ。ジョンイルが死んで、森田芳光も死んだ。父も死んだ。義母も死んだ。松田君も死んだ。そして大震災で大勢の人が死んだ。
これだけ多く人が亡くなると、その遺族は、死んだ人の数倍いるだろうから、日本の人口のかなりの割合で身内を亡くしたことになるのではないだろうか。日本中で例年になく多くの人の胸に悲しみが去来したのだろう。
ただ、うちのニョーボに言わせると、「残された遺族の涙は、遺族のエゴである。」らしい。故人の人生は、本人の中では完結したのだから、それをかわいそうだとか残念だとかいうのは、他人が決めることではないのだと。
もちろん、一概にそうは言えないのだろう。子を亡くした親の悲しみはエゴであるわけはないのだが。ただ、彼女の言うことも、あながち、むちゃくちゃとは思えない。現に彼女も母親を今年突然亡くしている。心の整理のしかたなのである。