夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

「物語アイルランドの歴史」

2005-12-15 | review


 この元アイルランド大使の波多野裕造による新書について触れる前に、個人的な思い出を書かせていただきます。出張でフランクフルトに向かう飛行機の中で、隣に座ったイギリス人といろいろ話をして、ワインの選び方なんかを教えてもらううちに彼が日本のコリアに対して行ってきたことと現在の姿勢について、非難めいたことを言いました。いい加減お酒も飲んでいたし、飛行機の中だと回るのも早いので、そんなややこしい話を英語で説明するのも面倒なんで、「日本とコリアの関係はイギリスとアイルランドの関係のようなものだ」なんてまるで英作文の問題のような答え方をしたら、「いやアイルランドは……」とぶつぶつ言ってましたが、やがて黙ってしまいました。

 そのときはIRAのテロなんかの関係で、イギリスが相当ひどいことをアイルランドに行ってきたくらいの知識しかなかったので、一度はアイルランドの歴史をざっと知っておきたいなって思っていました。それでこの本を読んだんですが、物語ってなってますが、これは中公新書のシリーズ名だからそうなっているだけで、内容は古代のケルト民族の渡来以前から90年代までをカヴァーした概説書です。

 ケルト民族(ゲール人)についてはその神話・伝説やエンヤの歌なんかでけっこう人気があるようで、確かにいろいろと新しい知識を仕入れるのに役立ちました。ドルイド教を信仰していたケルト民族に聖パトリックらが布教を行い、キリスト教化していったわけですが、他の地域と違いドルイド教やケルト神話を否定も圧迫もしなかったお蔭で、妖精が今もアイルランドには生きています。ええ、実際に妖精が通るから注意って道路標識があるんですね。

 そのことは、アイルランドのカトリック信仰の根強さでもあるわけで、イギリスの支配を受けて、16世紀にイギリス国教会が確立した後もカトリックを捨てることは決してなかったのです。時代区分としては、このイギリスが新教化する前後で分けるのがいいようで、それ以前もイギリスの支配下にはあってもかなりゆるやかなもので、イギリス貴族がアイルランドの上流階級の娘を娶って同化していくようなパターンが多かったようです。ところが、16世紀以降はイギリス国教会が政治と一体となって、かつての南アフリカと変わりないような差別政策をアイルランド人=カトリック教徒に対して行います。カトリック教徒は公職に就けないのはもちろん、土地の所有すら認められません。例えば公務員や裁判官、弁護士になるためには、ミサの核心である聖体拝受を否定し、聖母マリアや聖人信仰も否定する宣誓を行わなければならないわけで、まあ踏み絵と同じです。土地はイギリスからの入植者のものになり、それが徹底していた北アイルランド(アルスター地方など)が今も国教会信者が多数を占めるため、今もイギリスの一部であり続けているわけです。

 20世紀になるまでアイルランド人は極めて貧しい状態に置かれ続け、19世紀半ばの大飢饉による死亡と国外脱出により人口は半減したそうで、“棺桶船”で国外に逃れても1/5が死亡したということです。現在のアイルランドの人口は400万人弱ですが、アメリカを始めとしてアイルランド系移民は7000万人にのぼると言われています。そして、ちょっと驚いたのが、アイルランドがイギリスから完全に独立したのは第二次世界大戦の後なんですね。1920年代からかなり独立性を認めてきたものの、イギリス国民自体にアイルランドを手放すことに強い抵抗があったんです。

 そうそう、アイルランドの国旗ってご存知ですか? 左から緑、白、オレンジで、緑はケルト民族で土着の人びと、オレンジはオレンジ公ウィリアムを支持した新教徒で植民者、真ん中の白は両者の融和を示しているそうです。ヨーロッパの国旗って、オランダ、イタリアなどの共和国はフランス革命のトリコロールで、イギリス、スカンジナヴィアなどの王国は十字の軍旗由来のもの、だいたいその二種類に分かれますね。

 さて、冒頭の話に戻って、他の国がひどいことをしたからと言って自分の国の行為を正当化するはずはありません。また、過去の政治をどのように現在の政治に反映させるか、あるいは反映させないか、さらに個人がそうした問題に相手国民や他の国民に対し、どのように対応すべきか、これらは簡単な問題ではありません。しかし、少しでも意味のあることが言いたいのであれば、世界の歴史自体を広く(深くとは言いません)知る必要があるでしょう。だから、私はあのイギリス人にもう一度会えば、「コリアとアイルランドの比較研究は進んだかね?」と言うでしょうね。




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6 コメント

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日の丸 (夢のもつれ)
2017-08-12 12:25:24
日の丸に対する偏見は昔と比べるとずいぶん少なくなったと思います。

デザインがダサいような気もしますが、前の東京オリンピックのポスターなどではうまく処理されていました。すったもんだした今度のオリンピックのエンブレムも大阪万博のも円が基本モチーフになっていることから、馴染みやすいのかもしれません。

いずれにしても自国にせよ他国にせよ、国旗に尊敬の念を持ち、敬意を払うのは当然のことであり、それを義務教育で教えるべきだと思います。
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国旗 (hyhatano)
2017-01-24 15:25:02
国旗についての考察を拝読し、大いに共感しました。日本人が日の丸を過去の戦争中のイメージと重ね合わせてしまうのは仕方ありませんが、デザインとしては単純明快で優れたものだし、もっと国旗に対する敬愛の気持ちを持ってもらいたいと思います。
三島由紀夫がノルウェー港に入港してきた日本の貨物船が船尾に掲げていた日の丸を見たときの気持ちをなまなましく描写していましたが、私も外国で見た時の感動を実感したことがあります。
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旗印 (夢のもつれ)
2005-12-20 00:32:27
オランダの三色が11世紀からというのは驚きましたね。。白旗を揚げましょうw。

ハプスブルクの赤、白、赤(ウィーン市は赤白だけ)はもちろん知っていましたし、神聖ローマ帝国だからと言って十字を使うわけでもなかったわけです。



で、ご教示を踏まえて、言いたかったことを簡単に言ってしまえばヨーロッパの国旗はトリコロールを中心とした縞模様か、十字のものが多く、円を使ったものはまずなく、韓国などのアジアに見られる意匠は日の丸の影響が顕著ではないかということです。

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旗印 (pfaelzerwein)
2005-12-19 19:34:01
なるほど。しかしオランダの三色は独立の共和制時代の制定では無くて11世紀からのものと説明があります。トリコロールもフランス革命が利用したと考える方が良さそうです。ですから、



共和制・君主制

ハブスブルク・トリコロール

ナポレオン・アンシャンレギーム



これら等の色や意匠による対比は複雑そうです。



ドイツ第二帝政のトリコロールやルクセンブルクや立てベルギーの独立と君主制、ハブスブルク家も13世紀以来二色三段で、家紋と違って旗印を示すのは矢張り難しそうです。

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ご指摘ありがとうございます (夢のもつれ)
2005-12-19 12:10:38
おっしゃるとおりですが、国旗が制定されたときの政体はお調べになりましたか?
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Unknown (pfaelzerwein)
2005-12-18 22:28:09
こんにちは。「だいたいその二種類」-凄いと思いましたが、オランダ等ベネルックス三カ国は、立憲君主制で共和制ではありません。反対にフィンランド共和国、ポルトガル共和国、ギリシャ共和国も十字架を使っています。どうも残念ながら当てはまらなかったようです。
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