夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

北朝鮮において客観的な歴史は可能か?1.

2016-06-08 | review
 先日、八重洲ブックセンターで北朝鮮の歴史に関する本を探しました。歴史的にも地理的にも関係の深い国であるにもかかわらず、これといった文献はなかったんですが、せっかく足を運んだんで何冊か買い求めました。

 この重村智計の本は『はじめに――北朝鮮は戦争できない』となっているように、北の核を恐れることはない、だって彼らは石油がないからという主張で一貫しています。日本のマスコミとかは今にも北が戦争を始めるような報道を繰り返しているけれども、それは北の戦争の危機を思い込ませる戦略に協力している(56ページ)からだと言いきります。確かに北はオオカミ少年のようなところがありますから、傾聴に値する指摘でしょう。しかし、本当にオオカミや核ミサイルは来ないのでしょうか。北はオオカミでもなんでもなく、「対外的には四面楚歌。国内的には、不安定で不満が広がり抑えが利かず、国民の生活は向上しない状況」(244ページ)と片づけてしまっていいのでしょうか。

 重村は石油を大量に必要とする全面戦争をする能力がないと言っているだけで、北の核ミサイルが日本のどこかを攻撃する能力がないとは言っていません。それどころか、アメリカによる北の核武装交渉は核実験の放棄といった部分合意に満足してしまい、次の段階での交渉決裂ですべての合意を反故にしてしまう北のやり口には通用しなかったと言います。しかしながら、アメリカの漸進主義的な交渉は外交交渉の基本中の基本であり、重村が言うような核関連技術や設備を一気に放棄させるようなアプローチは交渉ではなく、脅迫でしょう。重村が「核施設をピンポイント攻撃するか、攻撃すると脅して譲歩させるしかない」と述べる箇所(226ページ)を読んで、イラクのサダムフセインを思い出しました。つまり北を国家として扱ってはならず、ならず者として扱うのが正しいと主張しているように思えます。

 実際のところ、国名に反して民主主義によらず世襲を重ね、人民の人権を弾圧し、2千万人の国民のうち20万人が政治犯の国に正当性はないと思います。ピョンヤンの24か国の外交官でさえ、許可なしには政府高官に会えず、軍幹部とは絶対に接触できず、情報収集が不可能(229ページ)だというのですから、この本を含めて北についての真実などどこにもないように思えてきます。だとすると北を存続させる必要性はアメリカ軍と中国軍の直接対峙を避けるための緩衝地帯という意味だけでしょうし、現在の各国の認識もそんなところかもしれません。

 この本は2013年5月に出版されていますが、同年2月に朴槿恵が韓国の大統領に就任した一方で、北では2011年12月に金正日が死去し、金正恩の体制がまだ確立していない時期です。そうした時代状況を濃く反映して、南については朴正煕元大統領を持ち上げ、その娘への期待を描く一方で、北については叔母や古参の軍幹部に操られる不安定で未熟な3代目といったイメージで彩られています。ところが、重村の想いは天には通じなかったのか、わずか3年でこの2人の立場は逆転したように見えます。あちこちに気を遣えば遣うほどリーダーシップのなさを露呈しておどおどしている彼女と、1980年以来の労働党大会を開催し、政府はもとより軍も党の支配下に置くことに成功し、名実ともに独裁者の地位を確立したかに見える自信満々の表情の彼とでは雲泥の差があります。

 どうしてこういった甚だしい見込み違いが生じたのでしょうか。それは簡単に言ってしまえば重村の思い入れが強すぎて、事実をありのままに、かつ歴史を十分踏まえて物事を見ようとしなかったからでしょう。北については確たる情報がほとんどないし、情報があっても重村自身が何度も指摘しているように、北の支配者か、その反対勢力の思惑や誘導だとまずは疑うべきだというスタンスを貫くべきであったと思います。つまり片々たる情報や事実は脇に置いて、祖父から父への継承が多少ゴタゴタしながらも果たせたのだから、父から子への継承もできる方が可能性は高いと考えるべきだったのです。何十年にもわたって彼らに対する暗殺計画やクーデタの企みはあったようなのに一度も成功していないのだから、内部崩壊は起こりにくいと考えるべきだったのです。

 それは韓国の大統領の評価についても同様で、何度も朴正熙を褒め、繰り返し金大中を貶しすぎていて、それが仮に事実であったとしても、ウソと裏切りばかりしていた老獪な人物を大統領に選ぶだけでなく、歴代の大統領が辞めるとまるで前の王朝の貴人のように執拗に討伐されてしまう韓国の政治風土と国民の政治意識に重大な問題があるかのような印象を与えかねません。

 ピョンヤン駐在の外交官は毎日のように集まって「北朝鮮は、いつどのように崩壊するか」を論議しているそうですが、暴動やクーデタでは崩壊しないとの結論で一致したそうです。そこで話をやめておけばいいのにと老婆心から思ってしまうのですが、それでは外交官として駐在する意味がないとでも思ったのでしょうか、崩壊がどのようにして起きるかを無理やり考えて、独裁体制が不安定になり、締め付けがさらに厳しくなると軍の幹部や元老たちの間で意見が衝突し、そして崩壊に向かい、5年から10年で金正恩は追放されるといった「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなシナリオを考えたそうです(230ページ)。情報のパイプもないくせに何を妄想しているんだろうと一笑に付すべきであるところ、重村は「多くの外交官は、旧社会主義国の出身者で、共産主義国家の崩壊を経験している。それだけに、彼らのこの判断は重い」などと言います。彼らはトラウマによって判断が偏りがちだとでも言うべきではなかったのではないでしょうか。

 南の歴史についての方が北よりもはるかに詳しいのは仕方ないでしょうし、それはなかなかおもしろい情報があるのですが、解釈においては理解に苦しむ点が多いのも違和感の原因です。端的な例が「歴史認識」の問題でしょう。重村によれば韓国国内では常に歴史認識の論争が繰り返されて来たそうです。1945年の独立(解放)前後の歴史をどう認識するか、左翼革新系の学者は北に正統性を与える意図が強く隠されていて、それに対して保守民族主義系の知識人たちは違う認識を明らかにしてきたそうです(248ページ)。つまり北と南のどちらに正統性があるのかといった大義名分のかかった問題であり、日本への「正しい歴史認識」要求は、この国内論争に日本を巻き込もうとするものだから、韓国の要求には終わりがなく、永遠に続くと考えるべきだと言います。

 なるほど、本当にそんな国際常識をわきまえない国だとすれば適当にあしらっておくくらいしか対処方法はなさそうですが、重村は謝るなら謝り続けるしかないと言います。韓国人は歴史は書き直せると思い込んでいるそうですが、おそらく多くの日本人には理解しがたいものでしょう。歴史はわかっていない部分以外は既に物体のように固定したものというイメージに近いんじゃないでしょうか。例えば明智光秀がなぜ本能寺の変を起こしたかについては、種々雑多な解釈があってなかなか定説がなく、新説が生まれたり、忘れられたりはしても、結果として織田信長の天下統一は成らず、豊臣秀吉が徳川家康ら諸侯より早くそれを成し遂げたことには異論はないでしょう。そういう考え方を韓国人はしないというのですから、驚くほかはありません。例えば秀吉は朝鮮を侵略したのだから彼の天下統一には正統性も大義名分もなく、徳川家康の傀儡政権に過ぎなかったとするのが正しい歴史認識と考えるといったことでしょうか。

 こうした歴史は書き直せるという考えは北も同様で、ソ連崩壊によって明らかになったように、北の侵略計画と先制攻撃によって1950年に始まり、今も休戦状態にある朝鮮戦争を金正日は1953年の休戦翌日のラジオ放送で「アメリカ帝国主義者が李承晩傀儡徒党を煽動して起こしたこの戦争において、朝鮮人民と人民軍は英雄的に戦い抜き勝利した」と述べたそうですが、重村によると北の軍人約60万人が死亡し、民間人の死者は200万人を超え、300万人が韓国に避難したとのことですが、そんなことは北にとってはどうでもよくて、もちろんその後の北の歴史もその時々の都合で適宜適切に書き換えられてきたし、今後も同様なのでしょう。

 であるとすると、民族性といった言葉を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、そんなことを言ってみてもまさか国交断絶できるわけでもなく、せいぜい観光や文物の輸入への影響くらいが関の山です。南が李明博政権の末期から竹島に乗り込んだり、天皇に謝罪を要求するなど反日的行動をしきりに行うばかりでなく、アメリカとも距離をとって中国に偏りすぎたことをアメリカ政府がたしなめ、ぎこちない感じはあるものの、米日韓の合同軍事演習によって北に圧力をかける戦略を取ったことはとりあえず賢明な対応だと思われます。なんせ北は米韓軍事演習を「北にそのまま攻め込む作戦」と見てしまい、なけなしの石油を消費する演習を対抗上してしまうので困り果てているそうですから(220ページ)。在韓米軍が撤退すれば北は武力統一が可能と勘違いしているという重村の指摘(217ページ)と合わせて、夜郎自大という言葉がぴったりの国のようです。

 歴史を書き直せるものと見る大きな原因は歴史にあるとぼくは考えます。最近の話からすれば重村が述べるように1943年のカイロ宣言から戦争の終了まで米英はほとんど朝鮮半島に関心などなかったのです(89ページ)。李承晩はアメリカで祖国独立のためにロビイングをしていたものの政府高官には相手にはされず、金日成は1945年9月にスターリンの面接を受けた際に4時間の間、「ハイ、ハイ」と答えるのがやっとの有り様だったそうです(108ページ)。ハムソクホンという日本で教育を受けた内村鑑三の影響下にキリスト教無教会主義を唱えた人は、「解放後の韓国人の腹立たしい言動と醜さは、ひとつやふたつではない。…彼らは、自分だけは解放を早くから知っていたと言いふらす。…それはウソだ。もしそれほど先見の明があったら、どうして解放前日の8月14日まで、日本人にへつらい服従していたのか。…神社参拝をしろと言われれば腰が折れんばかりに拝み、姓を改めろと言われると競い合って改め、転向しろと言われればじつにアッサリ転向した」などと書いているそうです(52ページ)。そんな様だか無様を民族の歴史にしたくないのは心情的には理解できないこともなくはありません。

 その後の朝鮮戦争によって半島は分断される憂き目に遭い、ソ連のスターリン批判やキューバ危機やニクソン訪中といった大国の動きに翻弄されてきたのです。冷戦のせいで分断され、それが雪どけし始めたことで、もうソ連や中国に頼っていられない、マルクスレーニン主義では弱いということで、北は主体(チュチェ)思想を編み出し、金日成王朝へと向かったのです(164ページ)。そう考えればアメリカに頼りきりの南よりも北の方が正統性、大義名分を主張しやすく、韓国と日本の左翼も、朝鮮総連やかつての日本社会党も北のためなら平気でウソを吐き、捏造をし、拉致被害を悪意に満ちた中傷だと罵倒し、それが破綻しても自己批判も懺悔もしないで知らんぷりを決め込んで恥じないのもよくわかります(188ページなどを参照)。

 朝鮮半島は大小500回を超える侵略を受けたと重村は言います(54ページ)。その中には日本も数回、女真族やモンゴルや匈奴や鮮卑といった北方民族も数十回くらいは含まれているかもしれませんが、何より漢民族が多いように思いますが、どうでしょうか。いずれにせよそんなに侵略ばかり受けながら王朝の生命は長く、1200年の間、日本で言うと平安から明治までの7つの時代に新羅、高麗、朝鮮の3つしかなかったそうで、要は中国の各王朝に媚びへつらうことに腐心し、宮廷内の党派争いしか興味がなく、国民の生活などどこ吹く風だったからのようです(54ページ)。うるさいマスコミやSNSにさらされる朴槿恵はさぞや昔か北に生まれたかったことでしょう。

 重村は沖永良部島の出身だそうで、かつて薩摩藩と琉球王朝の両方にいじめられたそうです。その詳しい内容は書かれていませんが、琉球王朝は中国の王朝にも日本にも臣従しながら、独立国として振る舞っていたようですから朝鮮半島の王朝と似たところがあるのかもしれません。沖縄は唯一地上戦を経験した点でも半島と似ていますし、左翼系知識人は基地問題のせいなのか、単なる反政府なのか沖縄の肩を持ちますが、かつての琉球王朝は薩摩藩からの重税を八重山や宮古の島人に人頭税として押しつけ、美女と見れば出先の役人は人妻であってもなんでも、comfort girlにしてしまうといった過酷な政治を行っていました。弱者がより小さな弱者をいじめることや被害者が次には加害者になり、卑怯者が何食わぬ顔でヒーローになったりといったことは、歴史上枚挙に暇がありません。

 フランスはナチスドイツに屈服させられて媚びを売っていただけですし、アメリカ軍を主力としたノルマンディ侵攻までソ連軍だけが正面から戦っていたのに、なぜか日本人はフランスに憧れ、ロシアに反感を抱き、アメリカの悪口ばかり言ってきたのです。中国というアジアの将来にとって最重要の国に対しても、日本人もコリアンも深い思慮もなく、反省の必要性すら感じていないでしょうから、認識を共有することはおそらく永遠に不可能でしょう。

 岩波書店の『世界』に長く連載されていた「韓国からの通信」は、古い本ばかり読んでいた若い頃にちょっと流し読みしたことがあるだけですが、その現実感のない不思議な感触はTK生というペンネームとともによく覚えています。重村はあの連載で当時の新聞記者は朝鮮問題を勉強し、雑誌自体が知識人の必読書だったと指摘し、2003年になって筆者だと名乗り出た池明観ではなく、『世界』の編集長が文章をまとめていたと推測(70ページ)していますが、それは客観的な報道は昔も今も期待する方が無茶だと絶望感を与えるためのように感じます。朝鮮半島の歴史や報道については日本も韓国も内容などは二の次で、どこの誰が言ったとか、どのマスコミの言い分なのかとかが最重要のポイントであり、これまでの経緯から言って左翼的な立場の人の主張はまずウソか欺瞞か自己弁護のいずかに分類してから読むべきなのかもしれません。重村の本についてはもう少し述べたいことがありますが、これくらいにしておきましょう。






 

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