日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

松岡洋右『少年に語る』

2023-12-02 10:50:04 | 大川周明

      
 
    
松岡洋右 『少年五語る』  

はしがき  

 松岡先生が、満州事変の当時国際聯盟会議の帝国首席全権として、屡々ジェネバに使わし、日本の国威を全世界に宣揚されたことは皆さんのよくご記憶の事であります。又、先生が、今満鉄総裁として我が国の大陸国策遂行のため真っ黒になって働いておられることも御承知でありましょう。今一つ、松岡先生が、まことに忠孝の念篤く身をもってこれらを実行しておられる立派な人格者であられることも、新聞、雑誌の記事でよくみなさんが知っておられるところであります。

この松岡先生は、現在日本のもつ世界的偉人であり、日本精神の権化ともいうべき人です。

 

 この松岡先生は常日頃から『日本で一番大事なものは子供たちだ!』と言っておられます。ですから、子供たちに向かってお話しされるのは、本当に一生懸命で、熱をこめ力を入れて、真心からお話しされるのであります。

 このほんは、松岡先生が、大連において、小学校の生徒とそのお母さま方になされた講演でありますが、これまた同時に、全国の少年少女に贈る、先生の心からの叫びであります。

 

 皆さんは、どうぞ、此の本を粗末にせず、大事に読んでください。心で読んで下さい。そしてこの本の中に溢れている、松岡先生の精神を皆さんの精神として、志をたてて立派な日本人になってください。

                        編輯責任者 上村 勝爾 記す

 

 

     少年に語る   目次

 

一 少年に語る        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一

二 日清戦争の頃の日本  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 九  

三 支那分割論と団匪事変 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 十七  

四 臥薪嘗胆の十年     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二十五  

五 日露戦争と国威の発揚 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二十九  

六 世界體汚染と日本    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三十五  

七 満州事変と聯盟脱退後の日本 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三十九 

八 忠 と 孝      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  四十六   

九 明治天皇様の御恩       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 五十三         

 

 

 ただいま紹介を受けました私が松岡陽介でございます。控え室で聞いておりますと、餘り褒められたので顔が赤うなって、茲へ出るのが恥ずかしいような気がいたしまして、兎も角お約束いたしましたから出てまいりました。  

  
 あなた方の御年輩では、今日は土曜日で半ドンですからお遊びになりたいのだと思う。それがわざわざこのように大勢、私に会うためにおいで下さいました事は私にとりまして非常な光栄に思う所では無論ありますが、なんだか、わざわざお出でになり甲斐があるであろうか、というような気もして、お気の毒な様にも思うのであります。   


 併し、私と致しましては、之から先々大きくなられて日本のために盡される、大人になって天子様に忠義なさらなければならない皆さん方にお目にかかることは、非常に愉快に思うのであります。

 私は若いころからよく申しているのでありますが、自分が生まれた故郷に帰りまして自分の育ちました小学校に行って、お子供衆に話を致します時、又日本全国をまわりまして小学校に行って話をする時が一番愉快であり、且つまた力を入れるのであります。  


 観ようによっては、松岡という人は何故子供に話す時、一生懸命になるのだろうと、なぜあれほど熱を以ってはなすのであろうか、子供には宜し頃加減に話したらよさそうなものだ、という感を持たれる方があるかも知れませぬが、実のところ私は、大人に話を致します時よりも、御子供衆に話をする時の方が何倍の熱をもち、さうして諄くなる程話をするのであります。


 それはなぜかと申しますと、大人になった人は私の話を聞いて、よし感服致しましても、一晩寝るともう対外忘れてしまう。なかなかそれから人間が変ちゃ来ぬのです。ところがあなた御子供衆は、之から人間になる人達です。貴方方は良くもなれば悪くなることもできる、偉い人にもなれれば、良い人になれる代わりにがらくたの人間に成る事もできるのである。これからどうにでもできる。そういう御子供衆に話を致します時に、若し私の精神が此の千何百人かの今日集まって居られるるお子供衆の中でたった一人だけでも本当に判って貰って、その為に他日志を立てて、良い、偉い人になるならば、私がこれからの数時間を以って話しても、酬いられて余りがあるのである。  

話し甲斐あるのである。私は若い時からいつも、左様に思って、お子供衆にお話をするのであります。


 と申しますのは、自分に経験が有るからであります。私は山口県の室積という田舎の町にうまれたのでありますが、そのころ頃私共の教育を受けました学校は、餘り立派でない建物であり、又そのころの教え方も今の小学校の教え方よりもよほど幼稚であったのであります。


 或る日に、私の先生・・・・・この人は今から考えるとまだに二十歳餘のひとでありました。言はば青年であります。白面の一青年であったのでありますが、その先生が非常な精神家でありまして、そのころは遊歩時間と言っておりましたが、今は何でもお休み時間というそうでありますが、習う隙の休む時間に外に出て遊ぶ時間であります。その時間に、今でも私は眼を閉じるとはっきりと其の学校の廊下、其の場所の形も眼に映ずるのでありますが、其処に五六人の子供を集めて、この先生が「治外法権」ということについて話をされた、固より子供の事でありますから、治外法権というような難しい理屈は判らない、何やら頻りにこの先生が話してくれました。

 その時私は十二歳でありましたが、子供心に、兎も角、治外法権というものは、言語道断なものである・欧米人が我が国に来て、吾々日本人の頭を土足に掛けて踏みつけているのである。・・・・・・ということだけが判った。   


 そこで、そういうことが我が日本で行われていたのか、宜しい!俺が大きくなったら、欧米人を・・・・・實は心の中で、この毛等どもが!とおもった。ちつと下品でだが私は先年京都に於ける太平洋会議で、欧米人の前で、その通りの言葉を使って自分の経験談を下のであります。


 「毛等どもが!」 とその時申しました。・・・・・この毛等ども! けしからぬ奴だ、俺が大きくなったら追っ払ってやろう、叩き出してやろうあと決心しました。十二歳の時に田舎の小学校の廊下で遊ぶ時間に、青年の先生の話、之に動かされて決心したのである。この時の決心が今日まで、私の一生を貫いて、私を動かして居るのであります。尤も誤解のないように説明しておきますが、私がだんだん年を取りまして、理屈もだんだん判ってきましてからは、何も毛等どもが! と考えている訳ではありませぬ。子供の時はこの毛等どもが、と思った・その後は其の考えは捨てましたが、治外法権ということはどうしても止めてもらわねばならない。そうして白人に対して絶対に平等権を出張しなければならない。

 こういう考えを私は捨てなかった。唯、幸いに私が世に出まして、まだ若いうちに、我が国からこの治外法権と言うものが無くなって、そうして対等国となったのでのであります。併しこれも幾多の日本人が、私と同じような考えをもって、そうした我々の先輩が非常に奮闘したために、結局そういうことになったのであります。  


 この私の子供の時の経験を、後になって考えますと、小学校のお子供衆に話をする時、之だけ居る数の中に、どうかしたら一人や二人は当時の十二歳の松岡洋右というような少年が居りはしないか、若し其の心に本当に触れることが出来て、そうした子供が志を立てて、他日日本の為に、又進んでは世界の為に良いことをするようになったならば、私の話は話甲斐があったのであるという様に私は何時も考えているものである。だから、坤為地の話もその積りで話しますから皆さんもどうぞその積りでお聞きください。


 私は此処へ来る道でどういう話をしようかと考えてみた。大人に反すのは非常に楽であります。漢語を使ってもなんでもお判り下されるけれども、あなた方の御年配ではでは話が難しくなると、訳が判らぬことになる。お子供衆に分らぬ話は私はしたくない。判って貰わねばならない。そこで難しくなる。どういう話をしたら第一したら宜しいか。 
 と考えてみました所、私が日本全国を行脚しましたと時に、多くの小学校でした話、併しそれは大概二、三十分でありましたから、十分盡すことは出来なかった。今日一時間半かに時間は辛抱していただけるという話でありますから、多くの場合にお子供衆にしてきた話を、時間の許す限り詳しくお話したいと思う。


 それは難であるかと申しますと。どうして我が日本という国は、今日のような世界三大國の一つ、アメリカ、イギリス、日本、こういう国になったのか、そうして貴方方が、ある方は親に連れられてこの大連においでになった方もあろうが、又此処でお生まれになった子供衆も随分おありなさろう、どうして満州三界に来て、貴方方がこうやって小学校に行っているのか、どうしてそういうようになれたかということを話してみたい。軈てだんだん大きくなって、今後貴方がたが日本と言う者を背負って行かなければならないことについて、又背負って行かねばならない人間に成るについて、参考になるじゃろうと思う。


 あなた方はまだ子供であるから、なんとなく日本は昔からこんな偉い国であった、と思われるかもしれない。それは我が国は、国其のものとしては、二千六百年の歴史を持っており世界に類のない国体をもっている。万世一系の天皇様を戴いて、忠と考とを基として居るというような、最初から立派な国であったのでありますが、併し、極く平たく申して、主に物質的ではあるけれども、どうして国としてこんなに偉くなったのか、それはたつたこの間、貴方方のお祖父さんの時には、世界でこんな偉い国と思うて貰えなかった、いな、たつたこの間までは、みじめなくにであった。


 そのみじめな国として世界の舞台に現れて来た日本が、だんだんと偉くなって茲迄来た、その道行を私はお話致しましょう。  
 

〔関連記事〕 
 松岡洋右『東亜全局の動揺』 第四章 満蒙問題 一、満蒙問題の展望





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