二十四 永久平和か戦争か
地上往々にして論ぜられつつある彼の平和論と戦争観とに対して、最後に一定の懸案を下しておくことは、本書に対する一部の義務であると信ずる。思うに平和を去って戦争はない。戦争は真の平和を出現せしむるが為、強制追及さるる暴力であると観察するは、蓋し一般の見解である。
併しながら戦争を歓迎し愛好する者はない筈である。吾等は斯くの如きミゼラブの手段を経ずして、平和を助長し維持するを得ば、それに優るの道は他にないからである。
古来よりこれに関して、幾多の宗教家、学者、政治家等の論議があった。クレメントの如き、カントの如き、ルーテルの如き、或いはサビエル、ヘンリー4世、ベンザムの如き、近世にはビクトル・ユーゴーの如き、現代にはブライアン、タフト、カーネーギー、ベネデクトローマ法王等その他挙げて数ふべくもない。
然も議論のみは盡したが、依然として戦争は閉止されない。即ち平和論の高調により、或る機関の平和は維持する事を得べきも、絶対的な平和は不可能なりということに帰着するのである。
元来平和論が、欧州の天地に敷衍されたのは、第2世紀時代の、セントイレアネスの称動せる「剣劇を変じて平和の具とする」との所論より来れり、更にキリスト教の根本義たる敵をも愛せよ、人若し汝の右の頬を打たば、左の頬をも廻らして打たしめよ。
又剣に於にて起つ者は剣にて亡ぶべし等の教義に迎合するもので、この点より言う時は、キリスト教国民は、仏教若しくは回教徒国民よりは、平和論に於いて進歩せりということが出来る。然しながらその半面たる戦争状態においても、尚且つ30年戦争や、7年戦争の如きレコード破りもあった。
近愛の国際連盟成立以前に於いては、彼のヘーグの平和条約なる者が同盟の主なる権威であった。されどこの条約は条約自身に於いて矛盾していた。なんとなれば平和のために規定せるは仲裁裁判の件のみであって、他は悉く戦争を是認する戦時に関する軍器その他の条項が主なるものであったからである。
今回の国際連盟憲章に遉に、条文としては完成なるだけそれだけ、総てに欠くる所は少ないが、条文を離れての列国政策の現状は全然矛盾である。所謂大国主重勝手主義であって結局強制力の微弱は依然としている。此の意味に於いてこの回の憲章も所謂大国の前の戦争ツラストであると言うべきである。
これを要するに、世界平和論者の従来結論する所を統括的に列挙すれば、
一、強国的国際平和連盟によるの説
二、欧州を一団とする連邦主義を主張する説
三、軍備の制限縮少によりて目的を達すべしとの説
四、欧州を一団とする合衆国組織を主張する説
五、住中調停又は仲裁裁判に依りて目的を達するの説
の五項目に帰着するであろう。
これ等の方法に依りて永久平和を維持し得べしとは一応考えられないでもない。また実際に於いて、第五項中に定められたる、居中調停若しくは仲裁裁判の手に懸かりて、完全に解決された件数の少なくない。
1770年代より今日まで、其の件数572、3件に達せるに徴するも、決して侮るべからざるを知るであろう。その中最も著しきものは、彼のアラバマ事件であって、その大体は仲裁裁判に依りて解決さるゞに至ったのである。
このアラバマ事件を除いては、その多くは実質上小問題ばかりで、問題の重大なるものに至りては、即ち内容実質如何の問題に関しては絶対的に防止することを得べきか否か、これ多くの疑問を有する点である。
仮に仲裁裁判に於いて控訴院とか大審院とか称する、最後の決定問題は如何にすべきか、若し最後の判決が、最高仲裁裁判所に於いて行わるる者として果たしてこれに服するか服せざるかの問題が起こらざるを得ない。
服せざる時にありては、其の制裁法として、商業貿易遮断又は共同行動を以てする強制的手段を講ずるとしようか、これに帰する所は当然戦争を意味するものに外ならない。
先年米国リテラルダイゼスト誌に掲げられたる、永久平和の大論文には、文明国共通の自由並びに民主的自覚を以て論じている。また英国のロバート・セシル卿が、かつて連合国最高軍事会議に出席して述べられたる、平和論に依れば、各国民会議を開催し、絶対的に言論討議を以て採決せば、永久の平和を得べしと論じた。
パリ・マチン誌に現れたる仏国大政治家アルバート・トーマス氏の所論も、各国民の友誼的一致協力が、平和の保障なりとし、その論決する所何れも平和の連盟説にして、戦争と平和を超越して、徹底的に論ぜられた所謂調和論ではなかったのである。
私はここに最も大胆に告白せとす。曰く平和を助長するに務むべし、併しながら同時に戦争をも是認せざるを得ない。これ甚だしき矛盾なりと言うであろう。然り一種の矛盾である。矛盾なると共に、甚だ欲の深き論者なるを自覚している。
さりながら今日最も寡欲なる絶対平和論者が、最も戦争に加担せるを見よ。彼らは寡欲を標榜しつつ、その実に驚くべき貪欲をほしいままにしているではないか。もって何の眼色かある。以て何の面目や立つべきであるか。
力強き世の寡欲なる者は、以て斯くの如しである。彼らはそれにて満足であろう。然し貪欲ならざるも、せめて一杯の水を欲する。哀れなる欲求者は、斯くしても尚且つ同一律の平和論に均霑を強いらるべきであろうか、そは甚だ高価なる不釣り合いなる賛同者である。
私は決してカイザルを弁護する者ではない。然し彼とて一定の平和論は持っていたのだ。要するに、平和も戦争も先天的にこれを所持している。例えば、一滴に蒸留水を得るに幾多の糟粕水が現はるゞと同じく、何人と雖も糟粕水を好まぬであろう。又不体裁を感ずるであろう。されどこれ有るに至っては、如何ともすることが出来ない。
世の平和論は、口一度開けば忽ち軍備縮小云々を以てする。恰もお稲荷様の鳥居然としている。軍備縮小を実行することそれ自身が、既に一の重大問題である。これを実行することによって、或いは戦争を惹起せざるを保し難い。されば平和と戦争は異名同質にも等しきものである。
きわめて密接的なものである。最初より分離的に立論して、戦争を度外視して論ずる平和論は、即ち奇形的片務論であると言わざるを得ない。両者を一丸して研究せられたる調和的講和論にして初めて吾人の意ある理想論を発見し得べきである。
然れば、この点よりせる日米戦争に対する吾人の見解も簡単明瞭である。
曰く両国国交は、両国民の耐久と自重とに依りて可及的永久平和を維持する事である。同時に、一方に於いて不幸にも其の平和が破れば致し方ない。即ち国を挙げ財を盡して、絶対的に戦う迄である。斯うなった以上は戦って最後の勝利を獲得せねばならぬ。この最後の勝利こそ真に吾人の永久平和なりと信ずるに如くないのである。
日米戦う可きか 終
平元兵吾著『日米戦ふ可きか』
二十三 海軍戦略の大洋主義
第42議会に提出せられたる海軍充実案の内容を見ると、8年計画の軍艦製造費7億5千万円にして、戦艦4隻、巡洋戦艦4隻、巡洋艦12隻、駆逐艦37隻、潜水艇40余隻、特務艦13隻建造するというのである。この計画は、大正12年(1923年)度に完成の分と合して大正16年(1927年)度には艦齢8年を経過せざる第一戦隊、戦艦8隻、巡洋戦艦8隻の所謂八八艦隊一隊を実現せしむるにあるこは一点疑いない。
私は所謂海軍通でも何でもないが、私は前述の通り国防の民衆化的立場より、当然主張し得べき所信を披歴するん止まる。然れば専門的戦術、例えば乙字形戦術とか、丁字形戦略と云うが如き兵法に対しては吾々の敢えて感知する所ではない。唯右計画に対する批判と仮想敵国に対する一般戦略の根本方針に関して、当局者と大いに其の意見を異にしている点多々あるを以てである。
先ず海軍の戦場である防備区域より観察するに、従来の実例は日本海中心主義であった。然しながら今後の戦場は、斯かる嚢中の鼠的好都合の区域ではなく限りなく拡大せられたる太平洋上である。更に縦長性に富む日本領土の防備困難なるは言うまでもない。
然るに当局者の計画たる八八艦隊一隊案はこの防備区域の広大を忘れ開戦の大洋主義を滅却し、併せて仮想敵国の何れにあるやを疑わしむるの憾みがある。なんとなればこの案はます第一に、我が国軍人の勇猛性に適合セル奇襲戦法の方策に欠如しているからである。八八艦隊の声は最早14年前たる明治40年(1907年)に計画したのではないか。
しかもその後幾回となく計画の声はありしも、一回だに実在せることなく、当局者は未だに其の古臭粉々たる、これ言葉に乗じて、漸く21年目の大正16年(1927年)に実現せしめんとしている。果たして16年に於いて八八一隊が成立するも、同年次に於ける米国の弩級精鋭隻数36隻に対して如何とする、依然として彼は吾の2倍以上の勢力を維持しているではないか。
独り海軍だけに非ず。国防は敵があるが故に吾を守るのである。吾を守るために勝手たる道具を用意して守るのではない対敵そのものである。八八のために海軍の充実を国民が認めるのではない。八八の二隊も三隊も有する対敵あるに依って、はじめて充実の意義が現わされる。敵が六六とか四四とかなれば、八八は大なる進歩であり、大なる威力である。
同時に八八の二隊三隊に対して、吾の一隊は大なる退歩であり大なる微力であらねばならぬ。果たして然らば国民はこの単純なる退歩案を、八八の美名の下に承認すると言うに帰着する。固より国民の富力、増艦能力等を無視して法外なる計画を建つることは不可能なるべきも、決して他に方策これなきやと言うに、必ずしも然らざるを思う。
私が数年前から主張し来った奇襲戦能力の発揮は即ちこれである。当たって砕けるのである。どうせ数十隻の弩級艦艇が海を圧して来る米国艦隊に八八一隊で決戦はおぼつかない。固より彼らとて集合的全艦隊を以て来るの愚を演ぜざるべしと雖も、結局は吾を封鎖せずは已むまい。
この時にあたって当局者は、如何に奇襲能力の欠乏を感知しても、事既に遅い。彼の独逸大艦隊が、キール深く遁入して、英国封鎖艦隊を突破し得ざると同一の羽目に陥るや必セリである。ここに於いてか、奇襲能力発揮に伴う充実案を建つることは、果たして目下の急務たると同時に、将来永く彼の拡大されたる防備区域の大洋主義に一致し、以て敵国に対する大なる威嚇たるを得べきである。
この案は捨て鉢主義である。危険千万であると反対する者あらんかなれど、日本海軍に於いて初めて信頼することが出役る弾丸雨下の旅順湾口に於いて、斯くの如き冒険的封鎖を敢行した歴史ある日本海軍に於いてはじめて奇襲能力が発揮できるのである。ある一定の形式物は、なし得ることより以上を為すことは出来ない。
一定ならざる形式物を以て為し得る以上を行うは、決して普通に非ざるは固よりでえある。これ即ち変化に富むべき奇襲である。奇襲には夜戦あり、近接戦あり、後方襲撃あり海上ガス散布戦あり、要するに敵の不意を襲うて、主力艦隊の勢力を駆逐するにある。
多数の駆逐艦を中心として、高速巡洋戦艦の共同援護即ちこれである。従来の如き超弩級の艦艇若しくは巡洋戦艦に見るも、等しく速力遅きは、以て奇襲能力を発揮し得ない。大洋主義の海戦には愈々以て不適当であると言うに帰着する。
然しながら全部の計画をこの奇襲能力に発揮すべしとと言うのではない。六六一隊若しくは八四一隊なりの主力守勢艦隊として準備すべきは固よりである。更に主力攻勢艦隊として、速力増大なる巡洋戦艦12隻(仮に)駆逐艦60隻、潜水艇50隻と言う如く、国力と増艦能力に準じて、所謂奇襲艦隊を準備するのである。斯くして大正16年より更に6隻又は4年計画を以て攻勢奇襲艦隊の充実を継続し、守勢艦隊の一部充実をも補足していくのである。
かつて昨秋、米国大西洋艦隊が、太平洋に回航し来りし際、その一部目的たる会員募集を実施すべく南加州サンデァゴ港に入港したるに、全艦隊を通じて、数千名の逃亡者を出し、却ってアベコベなる結果を産み、一部隊は桑港に回航するを得ずして、同港に停滞せるの滑稽を演じたる米国艦隊には決して完全なる奇襲能力を発揮し得べしとは思われない。
俄然弩級艦40隻50隻と云うが如き、集合大艦隊を以て威嚇するの外道はない。吾に彼れ程の富力なし 随って大艦隊の完成は容易ではない。然るに茲に彼らの最も怖るゞ奇襲能力を発揮し得るは、蓋し最も面白き対照ではあるまいか。
これを要するに、日本海軍の防備責任は、独り米国に対するのみならず、今後に於いては南北太平洋を包括する大洋主義に一致する方針の下に建てられねばならぬ。
即ち防備能力の高度は、敵に対する適度の大艦隊を必要とするも、一方に於いて大戦艦の少数よりも小戦艦の多数を必要著するに考慮を煩わす必要がある。大英国に於いてすら、大戦中に於いて、最も痛切に感じたのは奇襲能力の不備だったのだ。大艦隊の封鎖が往々にして独逸の水雷艇又は潜水艦に悩まされたに依っても明らかである。
若しも独逸にして今一層の奇襲能力を発揮し得べき有力なる準備が組織されておったならば、英国艦隊の損害はどれだけ大であったか分からぬ。英国海軍は今後この点に就いて大いなる改革を断行する意気込みである。
米国に於いても目下建造中の巡洋戦艦が、著しき改良が施され、悉く速力35ノットと云う快速度に加うるに巨砲14インチ若しくは16インチというが如く、戦艦に劣らぬ戦闘能力を有する者である。
日本の長門は16インチ8門、速力26ノットであるが、米国の目下完成に近き巡洋戦艦ランジャー号は16インチ8門、速力35ノットである。
世界列強の大勢は、今後の海軍に於いて、必ず快速度を増し、加うるに15インチと云う巨砲を防備する特殊の巡洋戦艦に力を盡すことは争はれない。即ち守勢にも攻勢にも、此の巡戦の有する威力は、著しき能力を発揮し得るからである。
然るに、我が新規計画たる内容には、この点に留意しているものは一つも窺うことができない。すでに大洋主義を滅却し、奇襲能力を発揮し得べき何らの計画なく、全然根本方針を誤っている以上、あり得べき道理が無い。しかも国民は、これをも黙して盲印を押すであろうか。此の新国難に際しての新規計画としては、洵に心細い次第であると言わねばならなぬ。
我々はこの計画を非難し弾劾するを以て足れりとしない。国民と共にこの新危機に際して当局の誤れる計画を矯正し改造せしめて、世界の大勢に順応し新仮想敵国に対抗し得る、所謂叙上の大洋主義を根本とせる主力守備艦隊と主力攻勢艦隊の責任に依りて、驚異の奇襲能力を発揮し得る日本海軍を建設すべしである。
〔続〕
1920年、平元兵吾著『日米戦ふ可きか』二十四 永久平和か戦争か
1920年、平元兵吾著『日米戦ふ可きか』
二十二 国防計画と仮想敵国
国費の国防の充実は、其の是非善悪は去て置いて、緒局事実上の問題である、 それ故、其の柔術充官内容に豆つては・時局の如何により円より伸縮あるを免れない。然れば其の何が故たるを明瞭ならずして、所謂一犬虚に吠えて万犬実を伝えるの類であってはならぬ。
これ即ち国防を論ずるにあたっては必ずやそこに仮想敵国なるものが、存在せざるを得ない所以である。
故に私は茲に国防を論ずるにおいても、勿論仮想敵なるものに対しての樹論たることは言うまでもない。まず国防の意義を明らかにすることは、軍国主義と混同せざるがためのみでなく、却って軍国主義を根絶するために、而して防務観念の一般的自覚と普及とを以て、一部軍閥者の専断より遠ざかる必要上、これを明瞭ならしめたいのである。
国防は個人の生活基調の確立擁護より出発する。我々が生命を安全に維持していく以上、身体の健康保持の立場より、すべての物に対してプロテクトしていく以上、身体の健康保持の立場より出発する。これと同時に個人の集合体である国家の一団が、其の国家の利益と安全のために、他の競争者妨害者に向かって常にプロテクトすることは当然の成り行きである。
我々は決して国防のためにプロテクするのではない、国防のための国防は即ち軍国主義である。この観念の下に剣を握る者は即ち軍閥である。若し其の観念の下にあらずとも、軍人なる者が、剣を執る者の特殊な階級として一般民衆の国防観念より遠ざかりつつありとせば、これまた憐れむべき軍閥者流であると同時に、国防の精神が奈辺に存在するや、恰も彼のローマ滅亡当時における、所謂ノルマンの傭兵その儘であると言わねばならぬ。
されば我々の国防は、あく迄も我々の競争者に対するデフィエンスであると同時に、国民全般の心理より湧き出た国防であらねばならない。
然るに我が国の軍事当局者の方針は、兵舎軍衙の閉鎖主義、軍事の極端なる秘密主義、士官養成法のまさに特殊的である。其の結果一般人民より、軍事当局者に対する反感的権威を以てするが如き傾向はないか。
斯くして自ら国防精神を国民に閑却せしめつつある罪はないか。彼の平時における兵士の帯剣問題の如きも一寸した問題ではあるが、平時練兵以外の外出に其の必要は認められない。世界の大勢は軍国主義に偏するを矯めんが為にその傾向になったのである。軍人精神を忘れざらしめ、彼等が習慣的訓練上必要とあらば私はそれ以上追及しない。
唯無用なる形式を捨て実質的なる能力を発揮せねばならぬ。戦後改造すべき軍人の心得として私の精神が奈辺にあるかを酌まれれば可なりであるが、少く共日本の軍人精神には、今少しく民衆化国防化するの必要がある。
軍人は固より国防の直接責任者であるが軍人のみが国防の全責任者に有らずして、軍人も国民も伴に倶に等しくその責任を分かつべきものであると云う、ミューチュアル、デフィエンスを軍人は固より、一般国民の脳裡に銘刻せしむべきである。それがため、欧米においては各将軍をはじめ、各専門的士官は、常に民間各種劇場、公会堂に出張して、演説に講演にそれが普及方法を講究して国防観念の充実発達を図っている。
日本の所謂挙国皆兵の趣旨もここにあるではないか。これ即ち真の民衆的国防化であって、一般民衆より国防の必須を忘れざらしむと同時に、軍備充実の負担を潔く満足的に国民に応ぜしむることを得る所以である。況や複雑極まる各種改良武器の現はるるに伴い之を準備せざるべからず今日に於いておやである。
次に吾人に対する他の競争者の最も大なる者即ち仮想敵国である。私より茲に具体化せずとも、読者自らの某国なることは容易に判断し得らるゞ事と思う。然し戦後の食糧問題、原料不足問題等の影響より、其の宝庫とも言はるゞ支那に対して多大な野心を有する者は某国ばかりではない。今や欧米列強は、目をいからして支那を睨んでいる。恰も飢えた狼が肉を睨んで固めるにも等しい。
この時に際して獅子たる虎たるべき地位にある吾人は、飢えたる多くの狼に如何程の威嚇を示し得べきであるか。これ蓋し重大なるバランスの問題であると同時に外交的手段の機微と威力の充実とは、愈々益々切実なるを感ぜねばならぬ。即ち一仮想敵国にすら対抗すべき充分の力なき我に、更に幾多の仮想敵国が増加せんとしている。実に国家の危機は近き将来に、実現さるべきか否かの二途其の一を選ばれるに至りつゞあるものである。
果して然りとすれば、日本は、全く孤立に陥るか、もしくは外交的手腕其の他に依りて、幸い有力なる二三の提携又は後援国を得るに至るべきか、洵に寒心の至りであると言わねばならぬ。
軍備充実の急務は、もはや争うことのできない事実の問題であるとういことが明瞭になってきた。我が軍事当局者に於ても勿論其の必要を認めて、国民としては少なからぬ負担の下に、軍備充実予算なる者が、本年の議会に現れた。国民は固より其の額と精神に於て不賛成を称える者は一人もなかるべき筈である。
即ら大正9年度が約一億万円の新親増額で、次年度より一億五千九百万円、次は一億六千万円という風に、八か年継続の新規計画である。その比例に於いては大体陸軍を一とし海軍を二としてある。 而して当局者は、世界大戦の幾多の経験に鑑みて、将来陸軍に於ては、三個聯隊編成の四十二個師団、二十一個軍団、海軍に於ては、艦齢八個年を超過せざる第一線の八隻艦隊三隊組織を標準兵力として計画しつゝある と言ふことである。
財政の許す限り、当局に於いては、幾多専門的考査を以てして、竟に案出されたるもの、即ちこの新規計画であると言はねばならぬ。併し私は此の新規計画に対して、根本的に意見を異にしている者である。 先ず海軍充実問題を後廻しにして陸軍の問題より点検し見るに、陸軍当局者の意見は恐らく長期戦争を予想しての、永久的計画にあるは一点の疑ひなかるべく、随って厖大なる軍団組織に着手したのであらう。
而して在営年限を二か年に短縮して、養成兵員の数を増加せしめ、一旦急あるに臨んで、戦時得員敬を多からしむる点に於ては、固より不賛成ではないが、然らば何が故に、平時に於て大軍団組織の下に多くの兵員を在営せしむるのであるか。最少限度の軍団組織内に於て、短期の間に、其の多くを養成する可なりである。
然し最大限度の最大多数兵員を養成するの方針は経費と仮想敵関係上吾人の取らざる所である。米国の如きは、大戦前常備兵力は僅々十二万五千人で、戦役のの今日に於てすら、常備兵数八十万説破れ、五十万説破れ、結局二十八万人と限定され、強制軍事訓練が僅に六箇月乃至八か月と限られたのである。
即ち私は米国の所説を適切なりと認むる者でもないが、兵の精度は決して在管年限の長期にのみ信頼することは出来ない。戦いの決勝は機械に依りて始まり、肉弾に依りて終止するは固よりであるが、兵器の進歩は肉弾戦に対する一大驚異たるは這次の大戦がこれを語っている。
果して然りとせば、各兵員は各種兵器に対して共通的運応に熟達せしむるの必要あるべきである。欧米の一兵卒は己が分担以外の、装甲車、自動車、重軽砲、空中狙撃砲、大小火砲、自動自転車、擲弾、電報通信、毒ガス若しくはこれをプロダクトする知識等、兎に角一般兵器に対する応用能力の精度はおそらく我が日本本の兵卒の及ぶ限りではないと思はれる。
それには、結局最少限度の軍団組織を以てして、其の余裕を各種兵器の準備に資するの必要がある。いづくんぞ其の規模を大にして、不足なる財政を無益なる方面に投ずるの必要があらうぞ。
次に吾々の解するに苦しむは、今日の場合陸軍当局果して仮想敵を如何なる方面に描出しつゝあるかである。在来陸軍当局の対敵準備は、第一を露国の復讐戦に備へたのではなかったか、今日に於ては果して奈何、露国既に斯の如く、独逸然り、今日我が陸軍として、直接的仮想敵国は無い筈である。
此の点より判断を下しても、私は当局者の取らんとする大軍団編成方針は断じて賛意を表することは出来ない。各種新式兵器の設備、航空機増加、沿岸要塞改善等、緊切なる問題の横はれる今日の場合に於てをやである。
這次の大戦に於て、航空機の能力、長距離射撃の巨砲、毒瓦斯散布の威力等、如何なる好果を齎したかに関しては、今更茲に呶々を要しない。米軍の仏国戦線に於ける高級機の成績は、っ大略失敗に終わったが、其の経験に鑑みて、超弩の威力ある機(一時間に二百四十哩速力)をも発明され、其の数に於いて、今日に於ては約一万台に達する巨数に上っている。
更に彼等は、 航空法に関して、ガソリンを燃焼せずして、無限力を空中より得て飛行すの方法さへ研究中である。尚散兵線を悩ます毒瓦斯の種類に関して、独、仏等にて使用せられたる以上の強威あるもの発明せられ休戦と同時に米国陸軍は其の悉くを大西洋に運搬して海中に投じて終ったのである。勿論其の種類、成分名称等に関しては、今尚絶対秘密に附せられている。是等の諸点に関しても、勿論日本は閑却することは出来ない。
於絃乎、学者も、工業家も、各種技術家も、一致協力して、軍事当局者と連絡する場合あろことを忘れてはならぬ。米国にて、これに貢献しつゞあるものは、彼のソサイチイ、オブ、ナショナル、デフインスとパトリオチツク、 オーダーソン、オブ、アメリカとである。是等の国防会は勿論、軍事当局者と密接の関係を有して、所謂国防の民衆化を遺憾なく発揮しつゞあるので ある。
然るに日本に於ては、先年大隈内閣当時、国防会議なるものがあったが、所謂民衆的国防会議ではない。国民全体を一括して結集されたる国防会の欠如されていることこれを以て見ても明かである。
軍事当局は勿論此の必要を国民に促さ促さない。国民また等しく目利に没頭して省みない。以上は陸軍軍備充実の根本方針に於て、私が当局と其の意見を異にしている諸点であるが、更に海軍充実の新規計画に至りては、一言にして言はば、実に姑息極まる補充に過ぎないと言はざるを得ない。
国防観念より打算せる吾人の見解よりすれば、海主陸従も陸主海従もない。国防あって甫めて海軍あり陸軍がある。従来の如く陸海の確執割拠は沙汰の限りである。時に或いは海主たる可く時に或いは陸主たるべきは、対敵の奈何に対して臨機の方針に出ずぺきは、軍事門家ならぬ私の言ふ迄もない。此の意味より解釈を下して、海主たる可き対敵の場合に於いては潔よく陸軍当局は、海軍の心を以て心とし、其の完全なる準備に対してヘルプすべきである。
〔続〕
1920年、平元兵吾著『日米戦ふ可きか』 二十三 海軍戦略の大洋主義
1920年、平元兵吾著『日米戦ふ可きか』二十四 永久平和か戦争か
1920年、平元兵吾著『日米戦ふ可きか』
二十一 日米戦争の実現奈何(いかん、なりゆき)
果たして日米戦争なるものが、近き将来に於いて実現されるべきか如何、という疑問は今や日本国民挙って、懸念しつつある重大問題である。
隨而、私はここに軽々しくその朦朧たる懸案に対して真否を事実いらしく断言すべきでない。例え、今両国間に戦うべき多くの理由を有していても、我々は開く迄も我々の理性に訴えて判断しなければならぬ。
日本の財政力、日本の軍事力が、現在の如き状態である以上、戦うか戦わざるを論決する以前いまず、まずとるべき道は左の二つしか発見し得ない。即ち戦端を構うることなくして、日米両国利害協調のの一致点を見だすこと、もしこの方法が完全に行われずとあれば、吾は彼を威圧するに足る一層の力を得るにあること、この二途である。
否、両国協調が行われて行われなくとも吾々の力を養うことの緊急は変わりない。
戦わずして両国利害協調の一致点を見出だすことは、云うまでもなく軍事上では守勢的防御の方法で国民全般の覚悟よりすれば即ち両国実業家又は有識者の努力を待ちて、日米共通の利益を図るにある。支那に於いても、シベリアに於いても、何処に於いても両国共通の各種事業の提携即ちこれである。
また商業貿易の旺盛もその有力な一助である。日米貿易は幸いにして、年々これが繁栄を極めてきた。大正6年(1916年)の取引総額は約4億万円にも達して、日本は約2億万円以上の輸出超過を見た。越えて大正7年(1918年)には。例の米国禁輸で大打撃であったが、それでも約2千3百万円以上の輸出超過であった。
解禁後の大正8年(1919年)には、たちまち前轍に恢復し来たって総取引が5億万円以上にも達したのである。斯くの如く貿易関係より見るときは、容易に両国は戦はれるものではないと、この点より非戦論を唱えている者も少なくない。
次に、所謂戦わずして彼を威圧するとは、勿論陸海軍の充実を意味している。分けて日米戦争を予想する時、第一着に憂慮されるゝは、陸軍にあらずして海軍である。即ち海軍の充実問題である。彼の山本内閣瓦解の当時に於いて、政治上の問題を以て、海軍軍政上の問題と混同し、遂に海軍充実の大部分を犠牲に供したのは、洵にもって日本朝野の愚の極を暴露したとともに、返す返すも口惜しき極みである。既往は追うべからず、吾々は将来に於いてこれが懺悔を一日も早く恢復する覚悟なくてはならない。
前にも説明した如く、国際連盟の理想も、遂に理想に過ぎない。
ウイルソン氏の明誠も、彼の仏国レパブリック、フランセ紙が評したる如く、ウ氏の理想の美なること彼の蜃気楼の如しと揶揄されたのを最初として、今やウ氏の高遠なる理想論は、消滅しさって地に落ちた。して其の理想論を産んだ米国は、厭が上にも軍備を充実している。
戦わずして、両国利害協調の一致、戦わずして彼を威圧する。これも現実でなくして一種の理想であるかもしれない。案外下らない一小事件で両国は戦端開始となるかも測られない。戦争の発端は、盲目なる感情の発作であるから、吾々は保証は出来ない。国際競争の極地は、何時でも戦争を惹起するの例が多い。商業競争の緊張は知らず知らず戦争に導くものである。されば日米戦うべきかの疑問に対しても、将来若し日米間の国際競争が今日以上著しく緊張し来れば、或いは日米戦争も開始されはすまいかと案じられるのである。
私はこれ以上深く立ち入って、不確定なる開戦の夢を辿りたくないと同時に、戦争が必ず開始されないかと言うような、子供らしき易者の言致を学びたくない。唯私の此れに付言したきは、日本は全力を盡して国防を充実せしめよと叫びたいのである。
日本の朝鮮統治策は斯くの如く横暴であるという所
果たして然らば、日米間の国際競争が、幾何の程度迄緊張しつつあるかが問題であると言わねばならぬ。前叙の所謂三東問題に関する米人の暴論、シベリアにおける日米軍の不和、加州における排日、志那人の日貨排斥、朝鮮の独立騒動等、これ等は即ち、両国国際競争の齎したる緊張の賜物である。洵に日本国民としては遺憾である。残念である。然しながらこれらは原動力でない、一つの飛沫である。原動力は隠れて吾人には見えない。
そこに緊張の秘密がある。競争の黒煙がある。これは今日以上米国的臭味が、東洋に割り込み来れば、それだけ当然の結果として、より以上緊張の已む無きに立ち至れるべきである。
シベリアにおける米軍の撤兵は幾分其の緊張を緩和し得たが、如何に如何にして再び出兵し来らぬとも限らない。観じ来れば、日米両国における国交は、益々重大なる関係を生じ来りつつあるものであると言わねばならぬ。
不幸にして、日米両国は戦端を構えるに至ったとしたならば、日本国民の打算は果たして如何であるか。国民意気の打算、兵力の打算、財力の打算、此の三打算を一丸として彼に対する時、果たして彼を威圧し屈服せしむるを得るであろうか。
先ず意気の点に於いては、吾は彼に優ること固よりであるが、兵力、財力の二点に至ってはまことに心細いと言わねばならぬ。米国の富力は云うまでもなく世界第一である。
二千九百万億万弗の膨大富力は、日本の到底彼が脚下にも達することができない。見よ千九百十八年度の戦時予算総額は、220億万弗即ち日本の440億万円であったではないか。日本の富力を仮に500億万弗と見積もり、その十分の一、50億万弗の戦時予算を編制することすら、最初より容易ではないという有様である。
次に兵力の点に至っては更に心細いのである。日米戦争は主として海軍の戦争であることは、蓋し何人も異論はない。米国の海軍は大正6年(1916年)大拡張このかた、約3回にわたって拡張計画を立てた。しかるにまた、大々的拡張の計画を為さんとするとの意図ありということである。現在にお於いて、日本海軍消息通の調査した、日米海軍の主力、即ち第一線に立つべき艦隊を比較したのに依って見ると、即ち下表のとおりである。
以上は即ち大正8年(1919年)12月の調査で会って、目下日本は計画中である8年計画の分は、計上されていない。若し新計画が議会を通過した暁には、多少の優勢を示すことが出来得べきも、要するに、近き将来の数年間に於いては米国の大袈裟な拡張計画に追従することが出来ない。日本が拡張すれば、また米国も拡張すると言ったように、殆ど競争的拡張状態で折角日本が充実計画が成れば、忽ち米国に先進される。
先ず右表にあるが如く、米国主力勢力位置に対して日本は常に零コンマ3より6,7の間を往復していると言ったような有様である。
軍人精神の勇壮にして、錬磨またその極に達して他に比類なき日本軍人と雖も、現代にありては、優秀なる武器を有してからの問題である。
着弾距離の遠き巨砲、貫通力に抵抗強き装甲の鍛鋳鉄、快速力標準の進歩せる彼の従来のピストン式に代わるに、タービン式の機械に変化せる、其の他無線電信の強力なる、水雷魚雷の速力進歩と長距離に進歩せる、一艦に対して数台の飛行機を備え付くる等、最新式弩級戦艦の威力に対して、従来の老朽なる艦艇に至りては、殆ど能力の低下せることから、かの艀船にも等しいのである。
如何に優勢なる戦艦を具備しても、これを運用する軍人精神の未熟なるに至っても、これまた其の目的を達すること不可能であるが、要するに兵員の勇壮熟達なるに加えて、世界の大勢に均衡して出来得る限りの優勢艦隊を組織せねばならぬ。況や我が日本の地理的四囲の現象と、某国に対する牽制対抗上、これが緊急必須の義務あることを信ずるが故である。
そこで結局の打算が、現況の如き日本海軍の状態では、大正9年(1920年)が、主力米国の一に対して、日本がコンマ41、来年度が同じく一に対して降ってコンマ3と言うような比例では、今日の場合軍力の打算を以ては決して彼を威圧することが出来ないとともに、恒に積極策を樹立することが不可能であるという結論に達せざるを得ない。
更に経済上の不果実的膨張の今日の状性では、ともに有利的打算を維持し得ないと言わねばならぬ。ここに於いてか、私は国防の充実、いな国防の改造を切実に感じると共に、現在軍事当局の計画しつつある国防策に対して甚だしき不備の点あることを発見しつつあるのである。
〔続〕
1920年、平元兵吾著『日米戦ふ可きか』 二十二 国防計画と仮想敵国
1920年 平元兵吾著『日米戦ふ可きか』
二十 日米戦争の煽動論者 黄禍論の死骸
基督教国民に封して、黄禍の恐るべきことを報告したのは、今より約二十三四年前、彼の独逸皇帝ウエルへルムであつたことは世の知るが如しである。欧米文明と東洋文明の異なれる点に迫及して、両者の接近を遮るが為には、洵にこよなき扇動剤であった。此の幻想的煽動論をして、最も克く迎合したのは、英国でも仏国でもなく、また本家本元の独逸でもなくて、実に露国とそして米国であったのである。
其の幻想の中毒を受けて、満洲を取り朝鮮を屠らんとして、一敗血に塗 れた露国は、黄禍論者よりすれば、愈々其の民の手に懸つた犠牲者であった。 だが、当時に於ける本尊宗の独帝は、驚くべき大陰謀を企てつゞあったもので、列強を糾合して、大英国に当たらんとし、日露の戦役に対しては、終始露国の為め、慇懃これ努め、独露両帝の間に交換された文書内容は、同国の国務大臣は勿論、何人と雖も興り知らないのであった。
其の大要に関して先年、米国のクロニクル新聞社に依りて公表された。即ち左の数通の書はこれである。
ヴラデイマー、バートフ及びシエゴシフ両氏の許可に依り、1904、5、6、7年の四年度に亘りて、露帝、ニコラスと独逸帝カイザーの両人間に交換されたる、絶対秘密文書公表されたり。同文書は当時の露国各大臣すらも知らず、僅かに最近旧帝のサークオセロに於ける手文庫中より発見されたるもの也。
諸通信に依りて想像するに、当時独帝が如何に奸黠(カンカツ=心がねじけて狡い)阿媚(アビ=媚びへつらう)を弄して、露帝を龍絡して、排英の気を注入せんことに努力せしかは、実に驚くの外なく、又目的の為めには手段を選ばざる彼の手腕は、悪みても猶予りある次第なり、叉彼等両人は、互いに最も親しき名を以て呼合ひたりき。
露帝を篭絡せる独帝は、露国の対日本作戦の連戦連敗に終れる当時の窮状を利用し、叉英、露協商の断絶せるを機とし、露帝を自己の陰謀に強迫的に参加せしめ叉仏国をも当時の英国との友誼を破棄して引込み、今より23年前前日清戦争当時、日本に加へたる三国干捗の如き露仏三角同盟を以て、英国の将来を制肘せんと試みたりき、友邦を無視せる露帝は、喜んで彼の悪陰謀に参加せんとし、既に全露の運命をして、独帝指揮下に在らしめんとしつゞありき。
されと其の後の形勢は、該陰謀の上に大変化を与えて、遂に実現するに至らざりしも、当時の企図が曳いて 今日の露仏同盟を現存せしめたるは明かなる事実なり。
日露戦役当時、独帝は露国の軍事行動に向って、細心の注意を払ひ、個人的に内面より露帝に対し声援を与え、又一面に於て彼の手に在る秘密 探偵の手を通じて裏面より諸列強の内状を報告し、或は外変的風評を製造して、講和締結に於ける露国の便に資すると共に、又自国の利をも導かんとし、与ふ限りの手段を盡したりき、カイゼルは露帝に忠告するに、至急農民間より諸議員を召集し、然かする導に依りて、日露戦役に於ける露国政府当局の責任を、講和会議に於いて、露国臣民にも分担せしむべく強いんとせるなり、叉これに依って露帝の面目及彼の君主権を保護し得ぺければなり。
叉彼は講和締結に●(?)ち得たる敵、ウツテ伯の手腕と名誉に対し、嫉妬を成じ居たる也。
日露国交断当時、露郡に駐在せる栗野大使再び欧洲巴里に出現せりとの情報を得たり、彼は講和締結に於ける、諾列強の同情をして、一層日本に厚からしめんと努力すぺく命令を受け居るものゞ如し、かゞるは即ち日本の兵力が既に極点に近づきつゞあるを示すものにして、支那をして該戦役内に影響せしめ、同時に支那に於ける列国の勢力を利用して、自国の戦果を有数たらしめんが為めに外ならず、戦役の時局足下に斯かる方面に迄、足下の手を延ばすを許さず、足下の最も親友の一人として時局の裏面に斯の如き推移を報ずるは、余の責任なるべしと信ず。
又斯の運動が英国に迄蔓延しつゞあるは一点疑ひなし。(千九四年十月)
日本の列強間の運動に関する状態報告に多謝す。余も(露帝)が該状態は略知ると雖も、英国に迄延びつゞありとは確知せざりき、露帝は此の戦役に於て、日本軍の最後の一人を満洲より駆逐する迄は中止せざるべし。然る後に講和は始めてロにさるべく、神の恩寵は我が露国の上に裕かなるべく、何物にも換え難き足下の友情を威謝する。
(千九百 四年十月)
英国新聞紙は貴国波艦隊の東洋遠征に際し、独国の食料石炭問題に援助を与えざる様独逸政府を圧迫しつゞあり、該目的は即ち貴国艦隊の遠征を日本の為に防止する為めにして、最も盡さざる可らざる此の際、 特に注意を払ふべき必要ありと思惟す。
若し仏国にして盟邦を無視する行為あるとも、彼のデルカツセ(当時の仏国外相)が又暇令新鋭的人物 なりとは言へ、彼は時局を達観するに敏むるぺく、露、独、仏の強個なる三角同盟に勢して、僅に日英の劣弱なる同盟が、其の艦隊を送って巴里を威嚇すべく、あまりに貧弱なるを如何せん足下は新船舶の建造を命ずるを忘るべからず。平和の暁は貴国の貿易を、締盟諸国の間に仲張するには、即ち海軍の力に依らざるべからず、独逸の私立造船所は投んで貴命に応ずずべしと思考す。(千九百四年十月二十七日)
勿論足下の提督の報知に依りて、北海の異変(英漁船砲撃事件)を既知 さるゞ筈なり、形勢は一変せり、余は英国の露国に対せる卑劣なる行動を批評するに、憤怒の適語を見出す能はず。余は我が艦隊の積炭の目的にて行動せる、貴国船舶に対して執れる、英国の傲慢なる態度に向かって足下の抗議に同意す。時局は切迫せり而して貴下の提出にかゞる露、仏、独の三国結合は、日英同監を粉砕すべく刻下の急務なり。足下は該運動に就て尽力を与えらるべきや、我等の準備整頓次第、仏国は直ちに我等に参加せざる可らず。(千九百四年十月二十九日)
本日余(独帝)は南阿喜望峰より、時局に対し最も危険なる電報を接受せり、積炭の準備確定する迄は、我等は第三国の何れにも、絶対秘密に附 すべきを要す。足下と余との方針は、我等両国政府の認容する処となれり。足下は余を信じて時局に対する急速登展の、蓋し遠きにあらざるを知らるべし云々。
以上の如く、日露戦役当時、波艦隊の東洋遠征が、従来事実上に於いて、 不可能なりしも関わらず、成功したりし所以は、露国の独仏両国よりの援助に待っ所多かりしは、既知の事実であるが、該時代に於て、独逸が我が日 本を陥るべく、又目の上の瑠とも言ふべき英国を抑制せんと如何にに苦慮 せるかは、本通信に依りて明かである。
電文中意味の不明なる点あるも、 そは書信等にて意思を往復せる結果で、特に後段波艦隊に積炭の一件などは、此の間に幾多の書信が交換せられたのは明瞭である。
米国の如きも、其の中毒者の甚だしき者を出した、彼の『無智の蛮勇』の著者ホーマーリの如き、議員アルバート、ジョンソンの如き、キヤプチン、ホゾンの日米戦争論の如き、議員フランク、スミスの如き、マハン提督の如き、ハースト新聞の如きみなこれである。是等中毒者の所論を、一々掲ぐるの煩を避けるが、其の帰するところは、日本を中心とせる亜細亜文明が永久に欧米思想に一致することなく、其の究局は、衝突あるのみと し、黄色人種を嫌忌し、恐怖し、排斥するにあるのだ。
以上の中毒者流中、 其の多くは今尚ほ生存し居るも、大戦終息後後の今日となっては、遉の中毒者も、如何に其の中毒が惧れる可きものであったかを後悔している筈である。所謂黄禍なるものが、排他心、嫌悪心、恐怖心より来れる幻想であるとすれば、吾等が黄禍であると言はるゞに先立ち、事実に於いて、其の幻想に憎悪されつゞある。亜細亜に対する白哲人が、我々日本を除ける総ての各国各議島を侵害されたるに対しては、夫れ何の名を以てこれに冠すぺきであ るか、若夫れ黄禍を言ふ者あらぱ、自禍こそより以上に惧るべく忌むべきものではないか。仮に東洋の一国がスカンヂナビアの一部なり、キール運河の一部なり。
又は米国東部のフロリダ辺に、租借地又は属領を有する者とせば、彼らは更に如何なる悪名を我々に冠するであろうか。正当なる理由に基づきて、我が海軍がマーシャル群島を一部掃討したるに於いてすら、米国の一部論者は、冠するに日本を以て火事場泥棒なりと称した。洵にあられも無き黄禍論者こそ、己が白禍を蔽はさんが為の詭弁者に過ぎないのである。斯くの如き恐怖心より来る幻想を一々認る場合には豈啻に東洋許りではない。常に闘争の絶え間なき欧州各国間には、実に惧るべき禍根が伏在せるを知るべきである。
欧州の歴史をひもどけば、全紙悉く大戦史大殺戮史である。しかるに東洋に於ける対国家戦は実に微々たるものである。彼の蒙古より起こったジンギスカン又は帖木児の豪友雄は、遠く露国莫斯科並に南露方面に迄、遠征したことが有ったが、東洋に於ては、元寇の役、日本対明国戦、英支戦争、米西戦争、日清戦役、北清団匪事件等で、他は悉く国内的争闘に過ぎない。げに東洋こそ、数千年間の大部分は、比較的和平の星霜を送ってきたのである。
彼の匈奴若しくは韃靼人が、ノルマン人やサラセン人やゴート人の如く、剽悍獰猛、略奪と侵略を事として、来襲するが如きは、数世紀以前の時代ならばいざ知らず、今日の如く、文運の世界的連繋に依りて進歩せる各国家が、攻守に対する相当なる武器も発達し、通信交通機関も充分進歩し来る現代に於いて、奈翁遠征時代の侵略的襲来を夢想するが如きは、実に愚の極みと言わざるを得ない。
若し強いて斯くの如き仮想的幻影に虜はれて、由緒なき排他的思想を鼓吹するが如きことあらば、求めて衝突を惹起されないとも限らない。黄禍といい白禍と称するも、特別な利害関係の衝突なき以上は、相互識者の尽力に依りて、共通的意思の疎通を実現し得ば、排他若しくは恐怖、憎悪等の忌まわしき妄想の存在する筈なく、両者の理解を与え得ざるは、その間に最も卑劣なる、最も非人道的なる魔物の禍根が潜伏せる事を意味するものである。此の如き魔物こそ、実に世界に言う黄禍に他ならないのである。
米国に於いては、彼のカーネーギー氏をはじめとし、武来安氏の如き、ハフト氏の如き、ギューリック博士の如き、マービー博士の如き、ビーボデ-氏の如き、スガッター白紙の如き、宗教上又は人道上の立場より世界人類は、著しく神の恩恵と福祉とを享くべきもので、地球上の全人類は、共通の利益と共通の理解とに立つことを努めねばならぬと説き、東洋西洋その他の特殊文明に対する、超越的共通の人道主義を宣布して、世界的平和思想の発達に貢献する所が少なくなかったが、一方に於いて、其の世界的人道思想を根本的破壊する者が現れたのである。
これ即ち前述の黄禍論者と而して其の中毒者流たる日米戦争の扇動者一派である。今や彼らの巨頭が死滅せる如く残党も又悉く其の頭を垂れて終わった。然して新たなる戦後の改造的黄禍を標榜して現れたのは、彼の米国上院一派の暴論の徒、彼れ及び彼に従属する多数の新聞であることを忘れてはならぬ。
〔続〕
1920年、平元兵吾著『日米戦ふ可きか』 二十一 日米戦争の実現奈何(いかん、なりゆき)
十九 西伯利と日米感情不和
日本を初めとし、英、仏、米列国が西伯利へ出兵を断行する迄に、当時 幾多のトラブルが起こっておった。分けても米国の輿論は其のトラブルの中 心であった。米国の出兵は独特の主義を有すとの名目の下に、日本並に列国との共同行動を執ることを賛成しなかった。
その理由とする所は、米国 には遠く米露協約の存するあり、ポリシビイキに対する米国の主義と利害とは、列国並に日本の方針と全然相反せりというにあった。其の真意に恐らく、彼のルート卿の露都訪問によりて得たる、西伯利鉄道の一部並に東清鉄道の管理権を約した勢ひに乗じて米国の民主主義を西伯利に宣伝し、以て各種の管理の獲得しようと言ふ底意であったことは、一点争う余地 があるまい。
嘗て我日本に対して、彼のノクツス柳をして、満州鉄道の中立を抗議し た米国は、今日遂に西伯利鉄道の一部並に東清鉄道進の管理権を符るに至つて、その画策策する所実に世界の注目に値した。然し其の後米国の消極的不統一は忽ちにして、彼等の不評を高調さるるに至つた。彼の力ルマ、コフ将軍麾下の、コサック兵千五百名抑留事件、武器没収事件、黒龍江附近にて日本本軍の全滅を拱手傍観せる事件、其の他に著しく露人の感情を害して終った。
斯くて彼等米軍の不評と不人気とがパット世界に伝わるや、彼等の厚 顔を以てしても、これ以上野心の権利問題に手を出す機会が無かったと言う形勢となった。多大の予期と興味とを以て、多くの米人に期待されつつあった西伯利も、殆ど何等具体的の貢献を印刻することなくして、唐突然として撤兵するに立至ったのであるが、吾々を以て言はしむれば、蓋しこれ自明の理であると言ふに帰せざるを得ない。
其の徹兵振りの傍若無人なりしこと、殆ど日本存在を認めないも同然で あった。畢かに我が質議に依って、米国政府は其の理由を付して陳謝の意を表したのだが、駐屯中に於ける行動がまた頗る不統一不見識極まっておった。
ある時は過激派に味方する如き手段に出でたり、ある時は、セミョノフ軍を圧迫したり、コルチャック軍のみに力を入れたり殆と勝手気儘な振る舞いであった。コルチャック将軍の敗滅は一面米軍の撤兵を促進せしめた理由のーつではあらうが、大体を通じて、日本軍、然も聯合軍の総司令官たる大谷将軍の命を奉ぜず、日本軍と殆と反対的行動を持続した誹りは免るゞことは 出来ない。
巷間伝ふる所に依れば、日本軍と変戦した過軍の戦利品より、米軍の所有に係る武器(擲弾)が沢山あったと言ふことである。私は其の真偽は保障する限りではないが、満更虚偽と打消すことも出来ない。然して其の武器たるものも、極く善意に解釈を下せば、過軍が米軍より奪っ たとも解せられ、また過軍ならざる露兵が過軍に投じた結果だとも解せら れないともないが、これを悪意に解すれぱ、米軍が我軍を憎悪するの除り、武器弾薬を過軍に興へて、日軍を悩ましたものと、解釈さられる斯の如き奇怪事は、不統一なりし米軍のあり勝ちのこととして、私は葬りたいのである。
兎に角、西伯利における、秩序回復の可能不可能、過激派勢力の台頭没頭如何は、悉く懸って我日本国の独気台となって来た。而して日本は、 米兵の撤退と同時に断固として増兵を行ったが、其の齎し来る結果は、果して如何であるか、僅少の出兵増加に依って、彼の拡大無涯なる西伯利の寒空に、点々出没巳まざる過軍を、何時如何にして全滅し得るであらうか、 将た叉、彼等の極端なるポルシヴィキヅムを閉止し得るであらうか。
成る程日本は地理上隣接的である。また日本の思想界より思ふて、憂ふ可き多くを有しているかも知れぬ。然し敵は本能寺にあることを忘れてはならぬ。西伯利は日本に対する大敵の集積ではない。第一過派に対する最近英仏の見解に鑑みねぱならぬ。されば日本は過軍たると否とを問はず、日本の有する抱負をして彼等の一角づゞ啓発せしめねばならぬ愛子であることを忘れてはならぬ。
米軍の撤兵に依りて、問題に遺されなければならぬものは、西伯利鉄道の一部並びに東清鉄道の管理権を全然放棄するの意か、其の他米人の有する各種権利の擁護は如何なる手段によるべきか、それらの協調が日本と如何なる結果に立ち至るべきか、これ亦重要なる問題であると同時に問題の転回によりては米軍はまた再び西伯利の天地に出兵し来らぬとも測り知り難いもので あると言わねばならぬ。
〔参考〕
〔続〕
1920年、平元兵吾著『日米戦ふ可きか』二十 日米戦争の煽動論者 黄禍論の死骸