日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

福沢諭吉「亞細亞諸國との和戰は我榮辱に關するなきの説」

2023-07-27 17:19:55 | 福澤諭吉

   
亞細亞諸國との和戰は我榮辱に關するなきの説 

       福澤諭吉

 近日征韓の議論新聞紙上に飛雨をなし、世人の耳目も此論題に集るを以て、我儕の論鋒を之に向けること數囘、未だ心に慊らざりしが、福澤君より此論題に關する一議論を寄るに會へり。
固より社論と方向を同ふするを以て、之を掲げて本日の社論とす。

 

 世の中の事に就き輕重大小を見分るは甚だ難きことなり。
譬へば爰に一個の人あり、手足に怪我をして流血淋漓たらんには、傍の人皆是を見て驚かざる者なし。醫者よ藥よとて其手當をすることならん。されども其實は深く恐るゝに足らず、捨置くも自然に癒るものなり。

 又一個の人は其の容貌健なるには非ざれども、さしたる病症も見へず、唯朝夕少しく咳嗽して時々微熱を發する位のことなれば、素人の目には之を病人とも思はずして、動もすれば打捨て置くこと多けれども、其實は肺の病にして必死の期遠からず、幸にして去年の冬を過ごしたれども、今年の春に至て果して斃るゝことあり。

 

 僅かに身體の事にても斯の如し。
況や世の中の人事に於てをや。輕重大小の紛らはしくして處置を誤ること甚だ多し。故に人事を處するには外形に拘はらずして其内情を察し、内實に困難なるものを先にして之を救はざる可らざるなり。

 

 今日我日本の有樣を太平無事として悦ぶ者は甚だ少なし。
學問未だ上達せず、商賣未だ盛ならず、國未だ富まず、兵未だ強からずとて、之を憂るに非ずや。一口に云へば日本は未だ眞に開化の獨立國と稱す可らずとて之を心配することなり。

 此心配を抱く者は獨り政府の役人のみならず、凡そ此國に生れて國に叛くの惡心なきより以上の者は、共に此心配を與にする筈なり。此一段に至ては國内の人民、上下の別なく、華士族も平民も、目暗らも目明きも、學者も役者も、敵も味方も、異頭同心に一方に向ふことならん。

 

 今この國の獨立如何の心配ある其源を尋るに、我日本は亞細亞洲の諸國に對して其輕蔑を受るが爲歟、我學問の彼に及ばざるが爲歟、我商賣の彼に劣るが爲歟、我兵の彼より弱きが爲歟、我富の彼に若かざるが爲歟、是等の箇條に於ては我輩一も彼に恥るものなし。

 我輩の思ふ所にては、我日本は亞細亞の諸國に對して一歩をも讓らざる積りなり。
されば我國の獨立如何の心配は別に源因を求めざる可らず。
即ち其源因は亞細亞にあらずして歐羅巴に在るなり。

 

 虚心平氣、以て我國の有樣を詳にし、之を歐米諸國の有樣に比して、學問の優劣、商賣の盛否、國の貧富、兵の強弱を問はゞ、殘念ながら今日の處にて我は未だ彼に及ばずと云はざるを得ず。

 然り而して學問と商賣と國財と兵備とは一國獨立の元素なれば、彼に對して此物に欠典ありとすれば、我國の獨立如何は唯歐米諸國に對して心配あるのみ。

 故に今我邦の困難事は一概に外國交際に在りと云ふ可らず。
余輩は此外國の字義を狹くして歐米諸國との交際に付き困難ありと云はざるを得ざる也。

 

 近來世間に洋學の道開けたりと雖ども、我國人は彼に學ぶのみにして未だ彼に教る者あるを聞かず。
開港場に貿易ありと雖ども、商賣の權柄は彼の手に在りと云はざるを得ず。
世上に物産製造の企なきに非ざれども、我國人は彼に資本を借るのみにして未だ彼に貸す者あるを見ず。

 英米の軍艦は日本海を横行して我國人の膽を奪ふ可しと雖ども、我國の兵備未だ以て之に敵對するに足らず。


 是等の諸件は實に我國威に關することにして、其事跡に見はれたるものは枚擧に遑あらず。
日本國に屬したる貿易運上の權も我一方に在らず、裁判の權も我政府の自由に任せず、現に内外の間に起る公事訴訟も我國人は常に被告と爲て彼は常に原告たり。
 遇ま我人民より訴ることあるも、能く曲を伸ばす者は十中一に過ぎず。

 概して云へば我日本は歐米諸國の人民に對して曲を蒙る者と云はざるを得ず。
 但し其交際の外形は美にして互に輕擧暴動なきを以て、遠方より之を皮相する者は外形の美に欺かれて或は意に關せざるもの多しと雖ども、少しく内情に注意することあらば果して至難至困の勢を見出す可し。
 歐米の交際は我日本國の肺病と云ふ可きものなり。

 

 右の次第を以て考れば、我日本は亞細亞の諸國に對して和戰共に國の榮辱に差響くことなし。
永遠の事を心配するときは、戰て之に勝つも却て國の獨立に害ありと云はざるを得ず。

 近く其一證を示さん。昨年臺灣の一條は我國の勝利と云ふ可し。
之がため臺人も恐入りたることならん、支那人も閉口したることならん。
されども此勝利の後、此勝利の勢を以て、聊かにても歐米の交際に差響き、歐米の人民に對して我國威を燿かし、暗に彼を恐れしめて彼を制するの勢を得たるや。

 
 十目の見る所にて毫も其痕跡なきに非ずや。
此一條に付き今日に殘りたるものは、軍費數百萬圓の不足あるのみ。

 去年若し此數百萬圓を費さずして之を轉じて外債の一部を拂ふことあらば、我全國の人民は負擔の一部を卸して永遠獨立の一部を助け、全國肺病の一部を癒したるに非ずや。
思はざる可らざる也。

 

 歐米諸國に對して、我學問の不熟、我商賣の拙劣、我兵備の不足等は姑く閣き、簡易明白、何人にも分り易き我國の損亡は今の外債なり。
 之を人に聞く、方今我國の外債凡そ千五百萬圓、元利共に償却して今後毎年二百萬圓づゝを拂ひ、凡そ二十年、共計四千萬圓の金を拂て皆濟たる可しと。

 歐米諸國の政府にも國債なるものあれども、大概皆自國の人民に募りたるものなれば、自から借りて自から拂ふものなり。
然るに我國債は商賣の敵國に借用したるものなれば、拂ふ所の利金は一度び去て復た返らず。
 

 四千萬の内、元金千五百萬を引き、殘二千五百萬の利足を二十に分てば、一年に百二十五萬圓なり。
此高を償ふがため、毎年我國民の膏血を集めてこれを外國に輸出するとは惜む可きに非ずや。

一俵二圓の米なれば、毎年作り出したる米の内より六十萬俵餘の高を集めて、之を海に投ずるに異ならず。又金の損得のみに就て云へば、英國と戰ひ負けて二千五百萬圓の償金を拂ふに異ならず。
何れにしても外債は我國の經濟にからみ付たる肺病と云ふ可し。

 前日余が著述したる文明論之概略第六卷の四十二葉に、巨艦大砲は以て巨艦大砲の敵に敵す可くして借金の敵に敵す可らずと云へり。參考す可し。

 

 近日世上に征韓の話あり。
一と通り聞けば伐つ可き趣意もなきに非ず。
野蠻なる朝鮮人なれば必ず我に向て無禮を加へたることもあらん。
道理を述て解すこと能はざる相手なれば、伐つより外に術なしと云ふ説もあらん。
 
 加之これを伐たんと云ふ輩は敢て私心を挾むに非ず、愛國盡忠の赤心を事實に顯はさんとすることなれば、一概に之を咎む可らずと雖ども、國を愛するには之を愛するの法なかる可らず、忠を盡すには之を盡すの路を求めざる可らず。

 其法と路とを求るには、心を靜にして永遠の利害を察すること最も緊要なり。
彼の手足の怪我を見て狼狽するが如きは思慮の足らざる人と云ふ可し。

 

 朝鮮交際の利害を論ずるには先づ其國柄を察せざる可らず。
抑も此國を如何なるものぞと尋るに、亞細亞洲中の一小野蠻國にして、其文明の有樣は我日本に及ばざること遠しと云ふ可し。
之と貿易して利あるに非ず、之と通信して益あるに非ず、其學問取るに足らず、其兵力恐るゝに足らず、加之假令ひ彼より來朝して我屬國と爲るも、尚且之を悦ぶに足らず。

 蓋し其故は何ぞや。
前に云へる如く我日本は歐米諸國に對して竝立の權を取り、歐米諸國を制するの勢を得るに非ざれば、眞の獨立と云ふ可らず。

 而して朝鮮の交際は假令ひ我望む所の如くなるも、此獨立の權勢に就き一毫の力をも増すに足らざればなり。

 朝鮮は彼より來朝して我屬國と爲るも之を悦ぶに足らず。
況や事を起して之と戰ふに於てをや。之に勝て榮とするに足らず、之を取て利するに足らず。

 巨萬の軍用金を費して歐米の物を仰ぎ、歐米の船艦を買ひ、歐米の銃砲を求め、錢を歐米の人に與へて物を朝鮮の國に費し、結局我外債の高を増して、毎年海に投ずるに等しく償金を拂ふに等しき利足を外國に輸出するに過ぎず。
 
 青年の書生と雖ども、數學の初歩を學び得たるものなれば、明白に解す可き算當に非ずや。
永遠の利害を察するとは此邊の損得を思慮することなり。
愛國の至情を擴て獨り自から沈思せば必ず大に發明することあらん。

 方今我國は正に借金の敵に向て戰ふ可きの秋なり。
先づ此勁敵を壓倒して安心の地位を作り、砲艦の戰の如きは他日徐々に其謀ある可きなり。

 

 征韓論者の云く、征韓は固より好む所に非ざれども、既に雙方の間に釁を開く上は、一國の榮辱に於て捨置く可らず、大義名分は金のために誤る可らずと。
  
 一應尤の言なれども、前に云へる如く、我日本は親の病氣にも等しき歐米交際の困難なるものを抱けり。
今親の大病にて家内を靜謐にせざる可らざるの時に當り、門外に折助が亂妨喧嘩するとて、之に取合ひ、之と爭鬪して、家内の靜謐を妨げ、親の病氣に害を加ふ可きや。

 人心ある子弟ならば理も非も問はずして何事も後日の事に附し、其折助へは酒手にても取らせて追ひ返し、穩便に取扱ふこそ孝子の處分と云ふ可けれ。
 
 今の朝鮮人の無禮は折助の亂妨に異ならず。
之を度外に置くも何ぞ國の榮辱に關することあらんや。
論者は我日本をして折助と鬪はしめんと欲する乎。
余輩は本國のために却て之を恥るなり。
 
 論者又云く、朝鮮は目的に非ず、朝鮮に事を始て次で支那に及ぼし、支那の富を取て以て今日の費を償ふ可しと。
盛なる哉、此言や。
支那をして孤立せしめなば此言或は當る可しと雖ども、今日世界の有樣に於て支那は決して孤立するものに非ず。

 支那帝國は正に是れ歐米諸國人の田園なり。
豈他人をして貴重なる田園を蹂躪せしむることあらんや。
事こゝに至らば、歐米の人は支那人を憐むに非ずして、自から貿易の利を失ふを惜み、自から利するの私心を以て支那を助るや必然の勢なり。
假令ひ自から利するの私心なきものとするも、嫉妬の念を以て必ず他の所業を妨ることある可し。

 今を去ること十餘年、魯西亞人が對馬に上陸して地を占めんとせしとき、英の公使は力を盡して之を防ぎ、遂に其地を去らしめたることあり。
當時英公使の盡力は日本の爲にしたるに非ず。英國の面目として、魯人の日本に地を占るを惡み、其權力を嫉て之を妨げたるのみ。

 萬國の交際に於て權力を平均せしむるものは嫉妬の念に生ずること多し。
此亦心得ざる可らず。
されば日本人の思ひの儘に朝鮮に勝ち、朝鮮丈けは外國人が傍觀するものと假に定るも、支那に至りしとき日本人が四百餘州を蹂躪するを見て手を拱することあらんや。
是れも永遠の事なり。今より考へざる可からず。

 是に於てか愛國盡忠の輩は人事の輕重大小を辨別し、志を遠大にして眞に我國の獨立を謀り、
亞細亞諸國の交際に於ては和戰共に我獨立の權力に差響くことなきを知り、
我獨立は歐米に對立して始て滿足す可きを知り、
此獨立は學問と商賣と國財と兵備と四者各其釣合を得て始て安心の場合に至る可きを知り、
亞細亞諸國との和戰に由ては四者を目的として一も所得ある可らざるを知り、
加之戰へば必ず此四者を退歩せしめ、殊に國財の如きは第一番に不足を生じて却て外債を増す可きを知り、
 
今日朝鮮の事件は恰も手足の疵の如くして深く憂るに足らず、
其無禮は恰も折助の亂暴の如くして之を度外に置く可きを知り、
歐米の交際は肺病の如くして早晩必死の患ある可きを知り、
國の榮辱は一朝に在ずして永遠に在るを知り、
愛國の志あるも愛國の路を求むるの緊要なるを知り、
一朝の怒を忍て他日大に期する所あるこそ、眞の日本人に非ずや。

 人誰か愛國の至情なからんや。
余輩も日本國中の人民にして、國の一部は自から擔當する者なれば、只管他人の好尚に雷同するを得ず。
敢て愛國の趣を述ること斯の如きなり。

 

 論者又云く、征韓論の人心に萌芽するや日既に久し、
焔々の氣鬱結して遂に臺彎の師と爲り、其餘焔尚消滅せずして遂に今日に至りしものなれば、
何れにも其流通の路を設けざる可らず、即ち今日の事は鬱焔を洩らし滯水を通ずるの權道にして、勢こゝに至れば止んと欲して止む可らざるものなりと。

 其意味を察するに、此論者は前の二論者に比すれば全く所見を別にしたる者にして、中心征韓の非を知り、
國の獨立のために實に害あるを辨じながら、唯勢に迫られて止むを得ざるの策に出で、止むを得ざるの拙を行ふと云ふものゝ如し。


 余輩は甚だ以て不同心なり。抑も征韓論とは何れより來りしものなるや。
天より降るに非ず、地より生ずるに非ず。
征韓を以て日本國の利益と思ふ人の口より出たる議論なり。
其人は木石に非ず、水火に非ず。

 正に人心を具して道理を辨ず可き人類にして、然かも愛國の情に乏しからざる人物なれども、唯其所見近淺にして方向を誤るのみ。
今若し此人の心をして方向を改めしむるを得ば、征韓論は立所に止む可し。


 論者若し征韓の非を知らば何ぞ直に其非を述べ、或は書に記し或は言に發し公然と之と唱へざるや。
一點の愛國心に符合する所あれば、異説爭論も遂には一に歸せざるを得ず。

 然るに今其沙汰もなく、唯此論者の如く世間の人氣を測量して、或は其餘焔を洩らすと云ひ、或は其渟滯を通ずると云ひ、人を視ること水火の如く、手術を以て之を御せんとするは、同權の人類に對して無禮なりと云ふ可し。

 抑も亦彼の征韓論者の少年輩も、其熱中の甚しきに至ては、或は水火の如き勢もありて、水火の如く御せられて申譯なき場合もあらん乎、誠に氣の毒千萬なりと云ふ可し。 

 人は此世に居て他の拙を憂へて其不足を補ふ樣にこそありたきものなれ。然るに己が熱心の甚しきよりして、他人のために憂へらるゝの目的と爲るとは淺ましきことならずや。
少しく勘辨せざる可らず。兎に角に政治學者の權謀術數は余輩の知る所に非ず。

 余輩は日本國中の良民たる地位と面目とを全ふせんがため、亞細亞の和戰は國の榮辱とするに足らず、
朝鮮の征伐は止む可しとの説を主張し、之を天下の公議に附して、一人たりとも此説に同意する者多きを願ふなり。

 

           〔明治八(1875)年十月七日「郵便報知新聞」社説欄〕


福澤諭吉 『慶応義塾の目的、気品の泉源、智徳の模範』

2023-07-12 11:51:58 | 福澤諭吉

    
 慶応義塾の目的:
 気品の泉源、智徳の模範

   福澤諭吉

 

  左の一編は十一月一日、慶應義塾先進の故老生が懐旧会とて芝紅葉館に集会のとき、
 福澤先生の演説したるものなり。

 

 老生の演(の)べんとする所は、慶應義塾の由来に就(つ)き、言(げん)少しく自負に似て俗に云(い)う手前味噌(てまえみそ)の嫌(きらい)なきに非(あら)ざれども、事実は座中諸君の記憶に存する通り聊(いささか)も違(たが)うことなく、且(か)つ今夕は内輪の会合にして他に憚(はばか)る所もあらざれば、過ぎし昔の物語も吾々には自(おのず)から一入(ひとしお)の興味あるべし。   

 

抑(そもそ)も人間世界は苦中楽あり。今を去ること三十年、我党の士が府下、鉄砲洲(てっぽうず)の奥平藩邸を去て芝、新銭座(しんせんざ)に移り、匆々(そうそう)一小塾舎を経営して洋学に従事したるその時は、王政維新の戦争最中、天下、復(ま)た文を語る者なし。

況(いわ)んや洋学に於(おい)てをや。

 

時論は攘夷(じょうい)の頂上に達し、洋学者の如(ごと)きは所謂(いわゆる)悪魔外道の一種にして、世間に容(い)れられざるのみか、又、随(したがっ)てその悪(にく)む所と為(な)り、時としては身辺の危険さえ恐ろしき程の次第なりしかども、
 人生の性質は至極(しごく)剛情なるものにて、世人が概して自分等を敵視すれば、その敵意の盛(さかん)なる程に此方も亦(また)窃(ひそか)に之(これ)に敵するの心を生じて、公然力を以(もっ)てするは固(もと)より叶(かな)わざる所なれども、心の底には他の無識無謀を冷笑すると共に、故(こと)さらに勉(つと)めてその言わざる所を言い、その好まざる所を行い、一切の言行を世論の反対に差向(さしむ)けて意気劇烈、些少(さしょう)も仮(か)す所なく、満天下を敵にするの覚悟を以て自(みず)から居たるこそ一時の奇なれ。

 

蓋(けだ)し我党は夙(つと)に西洋文明の真実、無妄(むぼう)なるを知り、人間の居家(きょか)処世より立国の大事に至るまで、文明の大義を捨てゝ他に拠(よ)るべきものなきを信じて、世の俗論、古論、保守論を悦(よろこ)ばざることなれども、その文明論の極端を公言して人心を激したるは、亦、是(こ)れ人生の獣勇、闘争を好むの情に出(いで)たることならんと、今より回想して自(みず)から悟る所なり。


 然(しか)りと雖(いえど)もこの獣勇、決して無益ならず。
当時我党の士は天下の俗論古論者に敵すると同時に、一方には彼等を網羅して之(これ)を諭し、その古来、徹骨(てっこつ)の蒙(もう)を啓(ひらき)て我主義に同化せしめんとの本願なれば、四面暗黒の世の中に独(ひと)り文明の炬火(きょか)を点じて方向を示し、百難を冒(おか)して唯(ただ)前進するのみ。

 

兵馬、騒擾(そうじょう)の前後に、旧幕府の洋学校は無論、他の私塾家塾も疾(と)く既(すで)に廃して跡を留めず、新政府の学事も容易に興(おこ)るべきに非(あら)ず、苟(いやしく)も洋学と云(い)えば日本国中、唯(ただ)一処の慶應義塾、即(すなわ)ち東京の新銭座塾あるのみ。

 

世人は之(これ)を目(もく)して孤立と云うも、我れは自負して独立と称し、在昔(ざいせき)欧洲にてナポレオンの大変乱に荷蘭(オランダ)国の滅亡したるとき、日本長崎の出嶋には尚(な)おその国旗を飜(ひるがえ)して一日も地に下したることなきゆえ、荷蘭(オランダ)は日本の庇蔭(ひいん)に依り、建国以来、曾(かつ)て国脈を断絶したることなしとて、今に至るまで蘭人の記憶に存すとの談あり。


 同志の士は是等(これら)の故事を物語りして、気品の泉源、智徳の模範ものなりと、敢(あえ)て自(みず)からその任に当りて、ます/\新知識の輸入に怠らざる中にも、
従前(じゅうぜん)徳川時代の洋学は医術を始めとして、化学、窮理(きゅうり)、砲術等、多くは物理器械学の辺を専らにしたるものを、
慶應義塾は一歩を進めて世界の地理、歴史、法律、政治、人事の組織より経済、脩身、哲学等の書を求めてその講読に着手し、現に英語に云うポリチカル・エコノミーを経済と訳し、モラル・サイヤンスを訳して脩身学の名を下したるも慶應義塾の立案なり。


 その他英語のスピーチュに演説の訳字を下して会議演説の趣意を説き、あらゆる反対論を排して今日世間に普通なる彼の演説法を教えたるも義塾にして、スチームを汽と訳し、コピライトを版権と訳したるも義塾の発意なり。

凡(およ)そ是等を計(かぞう)れば枚挙(まいきょ)に遑(いとま)あらず。

 

同志結合、力のあらん限りを尽して文明の一方に向い、一切万事その旧を棄(す)てゝ新、是(こ)れ謀(はか)り、以(もっ)て日本全社会の根底より面目を改めんと試みたるその企望は、実際に於(おい)て固(もと)より微力の及ぶべき限りに非(あら)ず、

 

唯(ただ)是れ一時の空想に似たりしかども、爰(ここ)に驚くべきは我日本国民の資質、剛毅(ごうき)にして頑ならず、常にその固有の気力を保つと同時に、慧眼(けいがん)能(よ)く利害の在る所を察して、王政の一新と共に民心も亦(また)一新し、文明の進歩、駸々(しんしん)として我党の空想を実にしたるのみか、却(かえっ)てその空想者の思い到らざる所にまで達して、遂に明治の新日本を出現したるこそ不思議の変化なれ、望外(ぼうがい)の仕合(しあわせ)なれ。

 

前後の事情を回想すれば感極まりて唯涙あるのみ。畢竟(ひっきょう)時運の然(しか)らしむる所なりと云うも、素因(そいん)なくして結果はあるべからず。吾々は今日に居て只管(ひたすら)先人の余徳その遺伝の賜(たまもの)を拝する者なり。

左(さ)れば我党の士が旧幕府の時代、即(すなわ)ち彼の鉄砲洲(てっぽうず)の塾より新銭座(しんせんざ)の塾に又今の三田に移りし後に至るまでも、勉強辛苦は誠に辛苦なりしかども、首(こうべ)を回(めぐ)らして世上を窺(うかが)い、文明の風光次第に明(あきらか)にして次第に佳境に入るを見るは、畢生(ひっせい)の大快楽事にして譬(たと)えんに物なし。

苦中楽ありとは即(すなわち)是(こ)れなり。

 

然(しか)りと雖(いえど)も人生の多情、多慾(たよく)なる、殆(ほと)んど飽くことを知らず。

 

今日の慶應義塾を見るに、その学事は凡(およ)そ資金の許す限りに勉(つと)めざるはなし。否(い)な、世間普通の官私諸学校に比すれば資力以外の事にまで着手して見るべきものありと雖(いえど)も、天下の時勢、尚(な)お未(いま)だ独立の学校事業に可ならずして、経済の不如意と共に学事も亦(また)不如意の歎を免(まぬ)かれず。

 

又教場の学事は殆んど器械的の仕事にして、僅(わずか)に銭あれば以(もっ)て意の如(ごと)くすべしと雖も、我党の士に於(おい)て特に重んずる所は人生の気品に在り。

 

抑(そもそ)も気品とは英語にあるカラクトルの意味にして、人の気品の如何(いかん)は尋常一様の徳論に喋々(ちょうちょう)する善悪邪正など云(い)う簡単なる標準を以て律すべからず。

 

況(いわ)んや法律の如きに於てをや。固(もと)よりその制裁の及ぶべき限りに非(あら)ず。恰(あたか)も孟子(もうし)の云いし浩然(こうぜん)の気に等しく、之(これ)を説明すること甚(はなは)だ難(かた)しと雖も、人にして苟(いやしく)もその気風品格の高尚なるものあるに非ざれば、才智、伎倆(ぎりょう)の如何(いかん)に拘(かか)わらず、君子として世に立つべからざるの事実は、社会一般の首肯(しゅこう)する所なり。

 

幸(さいわい)にして我慶應義塾はこの辺に於て聊(いささ)か他に異なる所のものを存して、鉄砲洲以来今日に至るまで固有の気品を維持して、凡俗卑屈の譏(そしり)を免(まぬ)かれたることなれども、元来無形の談にして、口以て言うべからず、指以て示すべからず、仏者の語を借用すれば以心伝心の微妙、義塾を一団体とすればその団体中に充満する空気とも称すべきものにして、畢竟(ひっきょう)するに先進後進、相接(あいせっ)して無形の間に伝播(でんぱ)する感化に外ならず。

 

然るに今老生は申すまでもなく、座中の諸君も頭髪、漸(ようや)く白し。況(いわ)んや老少不常にして、先年、既(すで)に小幡仁三郎(おばたじんざぶろう)、藤野善蔵(ぜんぞう)、蘆野(あしの)巻蔵、村尾真一、小谷忍(おたにしのぶ)、馬場辰猪(たつい)等の諸氏を喪(うしな)い、又近年に至りては藤田茂吉(もきち)、藤本寿吉(じゅきち)、和田義郎(よしろう)、小泉信吉(のぶきち)、野本貞次郎(さだじろう)、中村貞吉(さだきち)、吉川泰次郎(よしかわたいじろう)氏等の不幸を見たり。

 

蓋(けだ)し人の死するは薪(たきぎ)の尽るが如く、その死後の余徳は火の尽きざるが如しと云うと雖も、薪と火と共に消滅するの虞(おそれ)なきに非ず。

従前既に幾多の名士を喪い、今又老生と諸君と共に老却したり。自然の約束に従て次第に世を去りたらば、跡に遺(のこ)る壮年輩を如何(いかに)すべきや。

 

壮年の活溌、能(よ)く吾々長老の遺志を継ぐべしと信ずれども、全体の気品を維持して固有の面目を全(まっと)うせしむるの一事は、特に吾々先輩の責任にして、死に至るまで之を勤るも尚(な)お足らざるを恐るゝ所のものなり。

吾々の生前果して能くこの責任を尽し了(おわ)りて、第二世の長老を見るべきや否(いな)や。之を思えば今日進歩の快楽中、亦、自(おのず)から無限の苦痛あり。

 

〔慶応義塾の目的〕
老生の本意はこの慶應義塾を単に一処の学塾として甘んずるを得ず。その目的は我日本国中に於(お)ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之(これ)を実際にしては居家(きょか)、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言うのみに非(あら)ず、躬行(きゅうこう)実践、以(もっ)て全社会の先導者たらんことを期する者なれば、今日この席の好機会に恰(あたか)も遺言の如(ごと)くにして之を諸君に嘱托するものなり。

 

 初出:「時事新報」 1896(明治29)年11月3日


福澤諭吉「学問のすすめ」第十七編 人望論 

2023-04-07 23:32:52 | 福澤諭吉

福澤諭吉 「学問のすすめ」  

 十七編 
人望論
  
十人の見るところ、百人の指(ゆびさ)すところにて、
「何某(なにがし)は慥(たし)かなる人なり、
たのもしき人物なり、
この始末を託しても必ず間違いなからん、
この仕事を任しても必ず成就することならん」 と、
あらかじめその人柄を当てにして世上一般より望みをかけらるる人を称して、
人望を得る人物という。 

 およそ人間世界に人望の大小軽重はあれども、
かりそめにも人に当てにせらるる人にあらざれば、
なんの用にも立たぬものなり。 

 その小なるを言えば、
十銭の銭を持たせて町使いに遣(や)る者も、
十銭だけの人望ありて、
十銭だけは人に当てにせらるる人物なり。 

 十銭より一円、
一円より千円万円、
ついには幾百万円の元金を集めたる銀行の支配人となり、
または一府一省の長官となりて、
ただに金銭を預かるのみならず、
人民の便不便を預かり、
その貧富を預かり、
その栄辱をも預かることあるものなれば、
かかる大任に当たる者は、
必ず平生より人望を得て、
人に当てにせらるる人にあらざれば、
とても事をなすことは叶い難し。

人を当てにせざるはその人を疑えばなり。
人を疑えば際限もあらず。
  
目付(めつけ)に目をつけるがために目付を置き、
監察を監察するがために監察を命じ、
結局なんの取締りにもならずして
いたずらに人の気配を損じたるの奇談は、
古今にその例はなはだ多し。

 また三井・大丸の品は正札(しょうふだ)にて大丈夫なりとて
品柄をも改めずしてこれを買い、
馬琴の作なれば必ずおもしろしとて、
表題ばかりを聞きて注文する者多し。

 ゆえに三井・大丸の店はますます繁盛し、
馬琴の著書はますます流行して、
商売にも著述にもはなはだ都合よきことあり。
人望を得るの大切なることもって知るべし。


 「十六貫目の力量ある者へ十六貫目の物を負わせ、
千円の身代ある者へ千円の金を貸すべし」と言うときは、
人望も栄名も無用に属し、
ただ実物を当てにして事をなすべきようなれども、
世の中の人事はかく簡易にして淡泊なるものにあらず、
十貫目の力量なき者も坐(ざ)して数百万貫の物を動かすべし、
千円の身代なき者も数十万の金を運用すべし。


 試みに今、
富豪の聞こえある商人の帳場に飛び込み、
一時に諸帳面の精算をなさば、
出入(しゅつにゅう)差引きして幾百幾千円の不足する者あらん。

 この不足はすなわち身代の零点より以下の不足なるゆえ、
無一銭の乞食に劣ること幾百幾千なれども、
世人のこれを視(み)ること乞食のごとくせざるはなんぞや。

 他なし、この商人に人望あればなり。

 されば人望はもとより力量によりて得(う)べきものにあらず、
また身代の富豪なるのみによりて得べきものにもあらず、
ただその人の活発なる才智の働きと
正直なる本心の徳義とをもってしだいに積んで得べきものなり。


 人望は智徳に属すること当然の道理にして、
必ず然るべきはずなれども、
天下古今の事実においてあるいはその反対を見ること少なからず。


 藪医者が玄関を広大にして盛んに流行し、
売薬師が看板を金にして大いに売り弘(ひろ)め、
山師の帳場に空虚なる金箱を据え、
学者の書斎に読めぬ原書を飾り、
人力車中に新聞紙を読みて宅に帰りて午睡(ごすい)を催す者あり、
日曜日の午後に礼拝堂に泣きて月曜日の朝に夫婦喧嘩する者あり。

 滔々(とうとう)たる天下、
真偽 雑駁(ざっぱく)
善悪混同、
いずれを是(ぜ)としいずれを非とすべきや。

 はなはだしきに至りては、
人望の属するを見て、
本人の不智不徳を卜(ぼく)すべき者なきにあらず。


 ここにおいてか、
やや見識高き士君子は世間に栄誉を求めず、
あるいはこれを浮世の虚名なりとして、
ことさらに避くる者あるもまた無理ならぬことなり。

 士君子の心がけにおいて称すべき一ヵ条と言うべし。


 然りといえども、
およそ世の事物につきその極度の一方のみを論ずれば弊害あらざるものなし。

 かの士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども、
そのこれを求むると求めざるとを決するの前に、
まず栄誉の性質を詳(つまび)らかにせざるべからず。


 その栄誉なるもの、
はたして虚名の極度にして、
医者の玄関、
売薬の看板のごとくならば、
もとよりこれを遠ざけ、
これを避くべきは論を俟(ま)たずといえども、
また一方より見れば社会の人事は悉皆(しっかい)
虚をもって成るものにあらず。


 人の智徳はなお花樹のごとく、
その栄誉人望はなお花のごとし。

 花樹を培養して花を開くに、
なんぞことさらにこれを避くることをせんや。
  栄誉の性質を詳らかにせずして、
概してこれを投棄せんとするは、
花を払いて樹木の所在を隠すがごとし。

 これを隠してその功用を増すにあらず、
あたかも活物を死用するに異ならず、
世間のためを謀(はか)りて不便利の大なるものと言うべし。


 しからばすなわち栄誉人望はこれを求むべきものか。

 いわく、然り、勉めてこれを求めざるべからず。
 ただこれを求むるに当たりて分に適すること緊要なるのみ。

 心身の働きをもって世間の人望を収むるは、
米を計りて人に渡すがごとし。

 升(ます)取りの巧みなる者は一斗の米を一斗三合に計り出し、
その拙なる者は九升七合に計り込むことあり。

  余輩のいわゆる分に適するとは、
計り出しもなくまた計り込みもなく、
まさに一斗の米を一斗に計ることなり。

 升取りには巧拙あるも、
これによりて生ずるところの差はわずかに内外の二、三分なれども、
才徳の働きを升取りするに至りてはその差けっして三分にとどまるべからず、
巧みなるは正味の二倍三倍にも計り出し、
拙なるは半分にも計り込む者あらん。

 この計り出しの法外なる者は
世間に法外なる妨げをなしてもとより悪(にく)むべきなれども、
しばらくこれを擱(お)き、
今ここには正味の働きを計り込む人のために少しく論ずるところあらんとす。


 孔子のいわく、
「君子は人の己れを知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う」 と。

 この教えは当時世間に流行する弊害を矯(た)めんとして述べたる言ならんといえども、

 後世無気無力の腐儒は、
この言葉をまともに受けて、
引込み思案にのみ心を凝らし、
その悪弊ようやく増長して、
ついには奇物変人、
無言無情、
笑うことも知らず、
泣くことも知らざる木の切れのごとき男を崇(あが)めて
奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは、
人間世界の一奇談なり。

 今この陋(いや)しき習俗を脱して活発なる境界に入り、
多くの事物に接し博(ひろ)く世人に交わり、
人をも知り己れをも知られ、
一身に持ち前正味の働きを逞しゅうして、自分のためにし、
兼ねて世のためにせんとするには、

 第一 言語を学ばざるべからず。

 文字に記して意を通ずるは、
もとより有力なるものにして、
文通または著述等の心がけも等閑にすべからざるは無論なれども、
近く人に接して、直ちにわが思うところを人に知らしむるには、
言葉のほかに有力なるものなし。

  ゆえに言葉は、
なるたけ流暢(りゅうちょう)にして活発ならざるべからず。

 近来世上に演説会の設けあり。
この演説にて有益なる事柄を聞くはもとより利益なれども、
このほかに言葉の流暢活発を得るの利益は、
演説者も聴聞者もともにするところなり。

 また今日不弁なる人の言を聞くに、
その言葉の数はなはだ少なくしていかにも不自由なるがごとし。

 譬(たと)えば学校の教師が訳書の講義なぞするときに、
「円(まる)き水晶の玉」とあれば、
わかりきったることと思うゆえか、
少しも弁解をなさず、
ただむずかしき顔をして子供を睨(にら)みつけ、
「円き水晶の玉」と言うばかりなれども、
もしこの教師が言葉に富みて言い回しのよき人物にして、
「円きとは角(かど)の取れて団子のようなということ、
水晶とは山から掘り出すガラスのようなもので
甲州なぞからいくらも出ます。

 この水晶でこしらえたごろごろする団子のような玉」と
解き聞かせたらば、
婦人にも子供にも腹の底からよくわかるべきはずなるに、
用いて不自由なき言葉を用いずして不自由するは、
畢竟演説を学ばざるの罪なり。

 あるいは書生が
「日本の言語は不便利にして、文章も演説もできぬゆえ、
英語を使い英文を用うる」なぞと、
取るにも足らぬ馬鹿を言う者あり。

 按(あん)ずるにこの書生は
日本に生まれていまだ十分に日本語を用いたることなき男ならん。
国の言葉はその国に事物の繁多なる割合に従いて、
しだいに増加し、
(ごう)も不自由なきはずのものなり。

 何はさておき
今の日本人は今の日本語を巧みに用いて
弁舌の上達せんことを勉むべきなり。


 第二 顔色容貌を快くして、
      一見、直ちに人に厭わるることなきを要す。


 肩をそびやかして諂(へつら)い笑い、
巧言令色、
太鼓持ちの媚(こび)を献ずるがごとくするはもとより厭うべしといえども、
苦虫を噛み潰して熊の胆(い)をすすりたるがごとく、
黙して誉(ほ)められて笑いて損をしたるがごとく、
終歳胸痛を患(うれ)うるがごとく、
生涯父母の喪にいるがごとくなるもまたはなはだ厭うべし。

 顔色容貌の活発愉快なるは人の徳義の一ヵ条にして、
人間交際においてもっとも大切なるものなり。

 人の顔色はなお家の門戸のごとし、
広く人に交わりて客来を自由にせんには、
まず門戸を開きて入口を洒掃(さいそう)し、
とにかくに寄りつきを好くするこそ緊要なれ。

 しかるに今、
人に交わらんとして顔色を和するに意を用いざるのみならず、
かえって偽君子を学んで、
ことさらに渋き風を示すは、
戸の入口に骸骨をぶら下げて、
門の前に棺桶を安置するがごとし。

 誰かこれに近づく者あらんや。

 世界中にフランスを文明の源と言い、
智識分布の中心と称するも、
その由縁を尋ぬれば、
国民の挙動常に活発気軽にして言語容貌ともに
親しむべく近づくべきの気風あるをもって原因の一カ条となせり。

 人あるいは言わん、
「言語・容貌は人々の天性に存するものなれば
勉めてこれを如何(いかん)ともすべからず、
これを論ずるも詰まるところは無益に属するのみ」 と。

 この言あるいは是(ぜ)なるがごとくなれども、
人智発育の理を考えなば、
その当たらざるを知るべし。

 およそ人心の働き、
これを進めて進まざるものあることなし。

 その趣は人身の手足を役(えき)してその筋を強くするに異ならず。

 されば言語・容貌も人の心身の働きなれば、
これを放却して上達するの理あるべからず。

 しかるに古来日本国中の習慣において、
この大切なる心身の働きを捨てて顧みる者なきは、
大なる心得違いにあらずや。

 ゆえに余輩の望むところは、
改めて今日より言語容貌の学問と言うにはあらざれども、
この働きを人の徳義の一ヵ条として等閑にすることなく、
常に心にとどめて忘れざらんことを欲するのみ。

 或る人またいわく、
「容貌を快くするとは表を飾(かざ)ることなり。
表を飾るをもって人間交際の要となすときは、
ただに容貌顔色のみならず、
衣服も飾り飲食も飾り、
気に叶わぬ客をも招待して、
身分不相応の馳走するなぞ、
まったく虚飾をもって人に交わるの弊あらん」と。 

 この言もまた一理あるがごとくなれども、
虚飾は交際の弊にしてその本色にあらず。


 事物の弊害はややもすればその本色に反対するもの多し。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、
すなわち弊害と本色と相反対するを評したる語なり。

 譬(たと)えば食物の要は身体を養うにありといえども、
これを過食すればかえってその栄養を害するがごとし。

 栄養は食物の本色なり、
過食はその弊害なり。

 弊害と本色と相反対するものと言うべし。
されば人間交際の要も和して真率なるにあるのみ。
その虚飾に流るるものはけっして交際の本色にあらず。

 およそ世の中に夫婦親子より親しき者はあらず、
これを天下の至親と称す。

 しこうしてこの至親の間を支配するは何ものなるや、
ただ和して真率なる丹心あるのみ。

 表面の虚飾を却(しりぞ)け、
またこれを掃(はら)い、
これを却掃し尽くして、
はじめて至親の存するものを見るべし。

 しからばすなわち交際の親睦は、
真率のうちに存して、
虚飾と並び立つべからざるものなり。

 余輩もとより今の人民に向かいて、
その交際、親子夫婦のごとくならんことを望むにあらざれども、
ただその赴くべきの方向を示すのみ。

 今日俗間の言に人を評して、
あの人は気軽な人と言い、
気のおけぬ人と言い、
遠慮なき人と言い、
さっぱりした人と言い、
男らしき人と言い、
あるいは多言なれどもほどのよき人と言い、
騒々しけれども悪(にく)からぬ人と言い、
無言なれども親切らしき人と言い、
こわいようなれどもあっさりした人と言うがごときは、
あたかも家族交際の有様を表わし出して、
和して真率なるを称したるものなり。



 第三 「道同じからざれば相ともに謀(はか)らず」 と。

 世人またこの教えを誤解して、
学者は学者、
医者は医者、
少しくその業を異にすれば相近づくことなし、
同塾同窓の懇意にても、
塾を巣立ちしたる後に、
一人が町人となり一人が役人となれば、
千里隔絶、
呉越の観をなす者なきにあらず。
 はなはだしき無分別なり。

 人に交わらんとするには、
ただに旧友を忘れざるのみならず、
兼ねてまた新友を求めざるべからず。

 人類相接せざれば互いにその意を尽くすこと能(あた)わず、
意を尽くすこと能わざればその人物を知るに由(よし)なし。 

 試みに思え、
世間の士君子、
いったんの偶然に人に遭(あ)うて生涯の親友たる者あるにあらずや。

 十人に遭うて一人の偶然に当たらば、
二十人に接して二人の偶然を得べし。

 人を知り、
人に知らるるの始源は、
多くこの辺にありて存するものなり。

 人望栄名なぞの話はしばらく擱(お)き、
今日世間に知己朋友の多きは、
差し向きの便利にあらずや。

 先年宮の渡しに同船したる人を、
今日銀座の往来に見かけて双方図らず便利を得ることあり。

 今年出入りの八百屋が、
来年奥州街道の旅籠屋(はたごや)にて腹痛の介抱してくれることもあらん。

 人類多しといえども、鬼にもあらず蛇(じゃ)にもあらず、
ことさらにわれを害せんとする悪敵はなきものなり。

 恐れはばかるところなく、
心事を丸出しにしてさっさと応接すべし。

 ゆえに交わりを広くするの要は、
この心事をなるたけ沢山にして、
多芸多能一色に偏せず、
さまざまの方向によりて人に接するにあり。

 あるいは学問をもって接し、
あるいは商売によりて交わり、
あるいは書画の友あり、
あるいは碁・将棋の相手あり、
およそ遊冶放蕩の悪事にあらざるより以上のことなれば、
友を会するの方便たらざるものなし。

 あるいはきわめて芸能なき者ならばともに会食するもよし、
茶を飲むもよし。
 なお下りて筋骨の丈夫なる者は腕押し、
枕引き、足 角力(ずもう)も一席の興として交際の一助たるべし。


 腕押しと学問とは道同じからずして相ともに謀るべからざるようなれども、
世界の土地は広く、
人間の交際は繁多にして、
三、五尾(び)の鮒(ふな)
井中(せいちゅう)に日月を消するとは少しく趣を異にするものなり。


 人にして人を毛嫌いするなかれ。


  「学問のすすめ」 終わり 


福澤諭吉「学問のすすめ」第十六編 手近く独立を守ること 

2023-04-07 23:10:18 | 福澤諭吉

福澤諭吉 「学問のすすめ」 

 十六編  
    手近く独立を守ること 

 不覊(ふき)独立の語は近来世間の話にも聞くところなれども、
世の中の話にはずいぶん間違いもあるものゆえ、
銘々にてよくその趣意を弁(わきま)えざるべからず。

 独立に二様の別あり、
一は有形なり、
一は無形なり。

 なお手近く言えば品物につきての独立と、
精神につきての独立と、
二様に区別あるなり。

 品物につきての独立とは、
世間の人が銘々に身代を持ち、
銘々に家業を勤めて、
他人の世話厄介にならぬよう、
一身一家内の始末をすることにて、
一口に申せば人に物を貰(
もら)わぬという義なり。

 有形の独立は右のごとく目にも見えて弁じやすけれども、
無形の精神の独立に至りては、
その意味深く、
その関係広くして、
独立の義に縁なきように思わるることにもこの趣意を存して、
これを誤るものはなはだ多し。

 細事ながら左にその一ヵ条を撮(
と)りてこれを述べん。
「一杯、人、酒を呑(の)み、三杯、酒、人を呑む」 という諺あり。

 今この諺を解けば、
「酒を好むの欲をもって人の本心を制し、
本心をして独立を得せしめず」 という義なり。
今日世の人々の行状を見るに、
本心を制するものは酒のみならず、
千状万態の事物ありて本心の独立を妨ぐることはなはだ多し。

 この着物に不似合いなりとてかの羽織を作り、
この衣裳に不相当なりとてかの煙草入れを買い、
衣服すでに備われば屋宅の狭きも不自由となり、
屋宅の普請はじめて落成すれば宴席を開かざるもまた不都合なり、
鰻飯は西洋料理の媒酌となり、
西洋料理は金の時計の手引きとなり、
(これ)より彼(かれ)に移り、
一より十に進み、
一進また一進、
段々限りあることなし。

 この趣を見れば一家の内には主人なきがごとく、
一身の内には精神なきがごとく、
物よく人をして物を求めしめ、
主人は品物の支配を受けてこれに奴隷使(どれいし)せらるるものと言うべし。


 なおこれよりはなはだしきものあり。
前の例は品物の支配を受くる者なりといえども、
その品物は自家の物なれば、
一身一家の内にて奴隷の境界に居るまでのことなれども、
ここにまた他人の物に使役せらるるの例あり。

 かの人がこの洋服を作りたるゆえ我もこれを作ると言い、
隣に二階の家を建てたるがゆえにわれは三階を建つると言い、
朋友の品物はわが買物の見本となり、
同僚の噂咄(うわさばなし)はわが注文書の腹稿となり、
色の黒き大の男が節くれ立ちたるその指に金の指輪はちと不似合いと自分も心に知りながら、
これも西洋人の風なりとて無理に了簡(りょうけん)を取り直して銭を奮発し、
極暑の晩景(ばんけい)
浴後には浴衣に団扇(うちわ)と思えども、
西洋人の真似なれば我慢を張りて筒袖に汗を流し、
ひたすら他人の好尚に同じからんことを心配するのみ。


 他人の好尚に同じゅうするはなおかつ許すべし。
 その笑うべきの極度に至りては他人の物を誤り認め、
隣りの細君が御召縮緬(おめしちりめん)に純金の簪(かんざし)をと聞きて大いに心を悩まし、
急に我もと注文して後によくよく吟味すれば、
(あに)計らんや、
隣家の品は綿縮緬に鍍金(めっき)なりしとぞ。

 かくのごときは、
すなわちわが本心を支配するものは自分の物にあらずまた他人の物にもあらず、
煙のごとき夢中の妄想に制せられて、
一身一家の世帯は妄想の往来に任ずるものと言うべし。

 精神独立の有様とは多少の距離あるべし。
 その距離の遠近は銘々にて測量すべきものなり。

 かかる夢中の世渡りに心を労し、身を役(えき)し、
一年千円の歳入も、
一月百円の月給も、
(つか)い果たしてその跡を見ず、
不幸にして家産歳入の路(みち)を失うか、
または月給の縁に離るることあれば、
気抜けのごとく、
間抜けのごとく、
家に残るものは無用の雑物(ぞうもつ)
身に残るものは奢侈(しゃし)の習慣のみ。

 憐れと言うもなおおろかならずや。


 産を立つるは一身の独立を求むるの基(もとい)なりとて心身を労しながら、
その家産を処置するの際に、
かえって家産のために制せられて独立の精神を失い尽くすとは、
まさにこれを求むるの術をもってこれを失うものなり。

 余輩あえて守銭奴の行状を称誉するにあらざれども、
ただ銭を用うるの法を工夫し、
銭を制して銭に制せられず、
(ごう)も精神の独立を害することなからんを欲するのみ。 
 

   心事と働きと相当すべきの論   

 議論と実業と両(ふたつ)ながらそのよろしきを得ざるべからずとのことは、
あまねく人の言うところなれども、
この言うところなるものもまたただ議論となるのみにして、
これを実地に行なう者はなはだ少なし。

 そもそも議論とは、
心に思うところを言に発し、
書に記すものなり。

 あるいはいまだ言と書に発せざれば、
これをその人の心事と言い、
またはその人の志と言う。

 ゆえに議論は外物に縁なきものと言うも可なり。
畢竟内に存するものなり、
自由なるものなり、
制限なきものなり。


 実業とは心に思うところを外に顕(あら)わし、
外物に接して処置を施すことなり。

 ゆえに実業には必ず制限なきを得ず、
外物に制せられて自由なるを得ざるものなり、
古人がこの両様を区別するには、
あるいは言と行と言い、
あるいは志と功と言えり。

 また今日俗間にて言うところの説と働きなるものも、
すなわちこれなり。


 言行 齟齬(そご)するとは、
議論に言うところと実地に行なうところと一様ならずということなり。

 「功に食(は)ましめて志に食ましめず」とは、
「実地の仕事次第によりてこそ物をも与うべけれ、
その心になんと思うとも形もなき人の心事をば賞すべからず」 との義なり。

 また俗間に、
「某(なにがし)の説はともかくも、
元来働きのなき人物なり」 とてこれを軽蔑することあり。

いずれも議論と実業と相当せざるを咎(とが)めたるものならん。

 さればこの議論と実業とは寸分も相齟齬せざるよう
正しく平均せざるべからざるものなり。

 今、初学の人の了解に便ならしめんがため、
人の心事と働きという二語を用いて、
その互いに相助けて平均をなし、
もって人間の益を致す所以(ゆえん)と、
この平均を失うよりして生ずるところの弊害を論ずること左のごとし。


 第一 人の働きには、大小軽重の別あり

 芝居も人の働きなり、
学問も人の働きなり、
人力車を挽(ひ)くも、
蒸気船を運用するも、
鍬をとりて農業するも、
筆を揮(ふる)いて著述するも、
等しく人の働きなれども、
役者たるを好まずして学者たるを勤め、
車挽きの仲間に入らずして航海の術を学び、
百姓の仕事を不満足なりとして著書の業に従事するがごときは、
働きの大小軽重を弁別し、
軽小を捨てて重大に従うものなり。

 人間の美事と言うべし。
然りしこうして、
そのこれを弁別せしむるものはなんぞや。

 本人の心なり、また志なり。

 かかる心志ある人を名づけて心事高尚なる人物と言う。
 ゆえにいわく、
人の心事は高尚ならざるべからず、
心事高尚ならざれば働きもまた高尚なるを得ざるなり。

 第二 人の働きはその難易にかかわらずして、
     用をなすの大なるものと小なるものとあり。

 囲碁・将棋等の技芸も易(やす)きことにあらず、
これらの技芸を研究して工夫を運(めぐ)らすの難(かた)きは、
天文・地理・器械・数学等の諸件に異ならずといえども、
その用をなすの大小に至りてはもとより同日の論にあらず。

 今この有用無用を明察して有用の方につかしむるものは、
すなわち心事の明らかなる人物なり。

 ゆえにいわく、
心事明らかならざれば
人の働きをしていたずらに労して功なからしむることあり。


 第三 人の働きには規則なかるべからず。
     その働きをなすに場所と時節とを察せざるべからず。

 譬(たと)えば道徳の説法はありがたきものなれども、
宴楽の最中に突然とこれを唱うればいたずらに人の嘲(あざけ)りを取るに足るのみ。

 書生の激論も時には面白からざるにあらずといえども、
親戚 児女子(
じじょし)団座の席にこれを聞けば発狂人と言わざるを得ず。


 この場所柄と時節柄とを弁別して規則あらしむるはすなわち心事の明らかなるものなり。
 人の働きのみ活発にして明智なきは、
蒸気に機関なきがごとく、船に楫(かじ)なきがごとし。

 ただに益をなさざるのみならずかえって害を致すこと多し。


 第四 前の条々は人に働きありて心事の不行届きなる弊害なれども、
今これに反し、
心事のみ高尚遠大にして事実の働きなきも、
またはなはだ不都合なるものなり。


 心事高大にして働きに乏しき者は、
常に不平をいだかざるを得ず。

 世間の有様を通覧して仕事を求むるに当たり、
(おの)が手に叶うことは悉皆(しっかい)己が心事より以下のことなれば
これに従事するを好まず、
さりとて己が心事を逞しゅうせんとするには実の働きに乏しくしてことに当たるべからず、
ここにおいてかその罪を己れに責めずして他を咎め、
あるいは 「時に遇(あ)わず」 と言い、
あるいは 「天命至らず」 と言い、
あたかも天地の間になすべき仕事なきもののごとくに思い込み、
ただ退きて私(ひそか)に煩悶するのみ。


 口に怨言を発し、
面に不平を顕(あら)わし、
身外みな敵のごとく、
天下みな不親切なるがごとし。

 その心中を形容すれば、
かつて人に金を貸さずして返金の遅きを怨むものと言うも可なり。


 儒者は己れを知る者なきを憂い、
書生は己れを助くる者なきを憂い、
役人は立身の手がかりなきを憂い、
町人は商売の繁盛せざるを憂い、
廃藩の士族は活計の路なきを憂い、
非役(ひやく)の華族は己れを敬する者なきを憂い、
朝々暮々憂いありて楽あることなし。

 今日世間にこの類の不平はなはだ多きを覚ゆ。


 その証を得んと欲せば、
日常交際の間によく人の顔色を窺(うかがい見て知るべし。

 言語・容貌、活発にして胸中の快楽 外(
そと)に溢(あふ)るるがごとき者は、
世上にその人はなはだまれなるべし。

 余輩の実験にては、
常に人の憂うるを見て悦ぶを見ず、
その面を借用したらば不幸の見舞いなどに
至極よろしからんと思わるるものこそ多けれ、
気の毒千万なる有様ならずや。


 もしこれらの人をしておのおのその働きの分限に従いて勤むることあらしめなば、
おのずから活発 為事(いじ)の楽地を得て、
しだいに事業の進歩をなし、
ついには心事と働きと相平均するの場合にも至るべきはずなるに、
かつてここに心づかず、働きの位は一におり、
心事の位は十にとどまり、
一にいて十を望み、
十にいて百を求め、
これを求めて得ずしていたずらに憂いを買う者と言うべし。


 これを譬(たと)えば石の地蔵に飛脚の魂を入れたるがごとく、
中風の患者に神経の穎敏(えいびん)を増したるがごとし。

 その不平不如意は推(お)して知るべきなり。


 また心事高尚にして働きに乏しき者は、
人に厭(いと)われて孤立することあり。

 己が働きと他人の働きとを比較すればもとより及ぶべきにあらざれども、
己が心事をもって他の働きを見れば、
これに満足すべからずして、
おのずから私(ひそか)に軽蔑の念なきを得ず。

 みだりに人を軽蔑する者は、
必ずまた人の軽蔑を免るべからず。


 互いに相不平をいだき、
互いに相蔑視して、
ついには変人奇物の嘲りを取り、
世間に歯(よわい)すべからざるに至るものなり。

 今日世の有様を見るにあるいは傲慢 不遜にして人に厭わるる者あり、
あるいは人に勝つことを欲して人に厭わるる者あり、
あるいは人に多を求めて人に厭わるる者あり、
あるいは人を誹謗(
ひぼう)して人に厭わるる者あり。

 いずれもみな人に対して比較するところを失い、
己が高尚なる心事をもって標的となし、
これに照らすに他の働きをもってして、
その際に恍惚(こうこつ)たる想像を造り、
もって人に厭わるるの端を開き、
ついにみずから人を避けて独歩孤立の苦界に陥る者なり。


 試みに告ぐ、
後進の少年輩、
人の仕事を見て心に不満足なりと思わば、
みずからその事を執(と)りてこれを試むべし。

 人の商売を見て拙なりと思わば、
みずからその商売に当たりてこれを試むべし。

 隣家の世帯を見て不取締りと思わば、
みずからこれを自家に試むべし。

 人の著書を評せんと欲せば、
みずから筆を執りて書を著(
あら)わすべし。
 学者を評せんと欲せば学者たるべし。
 医者を評せんと欲せば医者たるべし。

 至大のことより至細のことに至るまで、
他人の働きに喙(
くちばし)を容(い)れんと欲せば、
試みに身をその働きの地位に置きて躬(
み)みずから顧みざるべからず。

 あるいは職業のまったく相異なるものあらば、
よくその働きの難易軽重を計り、
異類の仕事にてもただ働きと働きとをもって
自他の比較をなさば大なる謬(あやま)りなかるべし。



福澤諭吉「学問のすすめ」第十五編 事物を疑いて取捨を断ずること 

2023-04-07 21:48:22 | 福澤諭吉

福澤諭吉 「学問のすすめ」 

 十五編  

   事物を疑いて取捨を断ずること   


 信の世界に偽詐(ざさ)多く、疑いの世界に真理多し。

試みに見よ、世間の愚民、 
人の言を信じ、
人の書を信じ、
小説を信じ、
風聞を信じ、
神仏を信じ、
卜筮(ぼくぜい)を信じ、
父母の大病に按摩(あんま)の説を信じて草根木皮を用い、
娘の縁談に家相見(かそうみ)の指図を信じて良夫を失い、
熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来を信ずるがためなり。

 三七日の断食に落命するは不動明王を信ずるがゆえなり。
 
 この人民の仲間に行なわるる真理の多寡を問わば、
これに答えて多しと言うべからず。

 真理少なければ偽詐多からざるを得ず。
 けだしこの人民は事物を信ずといえども、
その信は偽を信ずる者なり。
 ゆえにいわく、「信の世界に偽詐多し」と。


 文明の進歩は、
天地の間にある有形の物にても、
無形の人事にても、
その働きの趣を詮索して真実を発明するにあり。

 西洋諸国の人民が今日の文明に達したるその源を尋ぬれば、
疑いの一点より出でざるものなし。

 ガリレオが天文の旧説を疑いて地動を発明し、
ガルハニが蟆(がま)の脚の搐搦(ちくじゃく)するを疑いて動物のエレキを発明し、
ニュートンが林檎の落つるを見て重力の理に疑いを起こし、
ワットが鉄瓶の湯気を弄(もてあそ)んで蒸気の働きに疑いを生じたるがごとく、
いずれもみな疑いの路によりて真理の奥に達したるものと言うべし。

 格物窮理の域を去りて、
顧みて人事進歩の有様を見るもまたかくのごとし。

 売奴法の当否を疑いて天下後世に惨毒の源を絶えたる者は、
トーマス・クラレクソンなり。

 ローマ宗教の妄誕を疑いて教法に一面目を改めたる者はマルチン・ルーザなり。
 フランスの人民は貴族の跋扈(ばっこ)に疑いを起こして騒乱の端を開き、
アメリカの州民は英国の成法に疑いを容れて独立の功を成したり。

 今日においても、
西洋の諸大家が日新の説を唱えて人を文明に導くものを見るに、
その目的はただ古人の確定して駁(ばく)すべからざるの論説を駁し、
世上に普通にして疑いを容るべからざるの習慣に疑いを容るるにあるのみ。


 今の人事において男子は外を務め
婦人は内を治むるとてその関係ほとんど天然なるがごとくなれども、
スチュアルト・ミルは 『婦人論』 を著わして、
万古一定動かすべからざるのこの習慣を破らんことを試みたり。

 英国の経済家に自由法を悦ぶ者多くして、
これを信ずる輩はあたかももって世界普通の定法のごとくに認むれども、
アメリカの学者は保護法を唱えて自国一種の経済論を主張する者あり。

 一議したがって出ずれば一説したがってこれを駁し、
異説争論その極まるところを知るべからず。

 これをかのアジヤ諸州の人民が、
虚誕妄説を軽信して巫蠱(ふこ)神仏に惑溺し、
あるいはいわゆる聖賢者の言を聞きて一時にこれに和するのみならず、
万世の後に至りてなおその言の範囲を脱すること能わざるものに比すれば、
その品行の優劣、
心志の勇怯、
もとより年を同じゅうして語るべからざるなり。


 異説争論の際に事物の真理を求むるは、
なお逆風に向かいて舟を行(や)るがごとし。

 その舟路を右にし、
またこれを左にし、
浪に激し風に逆らい、
数十百里の海を経過するも、
その直達(ちょくたつ)の路を計れば、
進むことわずかに三、五里に過ぎず。

 航海にはしばしば順風の便ありといえども、
人事においてはけっしてこれなし。

 人事の進歩して真理に達するの路は、
ただ異説争論の際に間切(まぎ)るの一法あるのみ。

 しこうしてその説論の生ずる源は疑いの一点にありて存するものなり。
「疑いの世界に真理多し」 とはけだしこの謂(いい)なり。


 然りといえども、事物の軽々信ずべからざることはたして是(ぜ)ならば、
またこれを軽々疑うべからず。

 この信疑の際につき必ず取捨の明(めい)なかるべからず。
 けだし学問の要はこの明智を明らかにするにあるものならん。

 わが日本においても、
開国以来とみに人心の趣を変じ、
政府を改革し、
貴族を倒し、
学校を起こし、
新聞局を開き、
鉄道・電信・兵制・工業等、
百般の事物一時に旧套を改めたるは、
いずれもみな数千百年以来の習慣に疑いを容れ、
これを変革せんことを試みて功を奏したるものと言うべし。


 然りといえども、
わが人民の精神においてこの数千年の習慣に疑いを容れたるその原因を尋ぬれば、
はじめて国を開きて西洋諸国に交わり、
かの文明の有様を見てその美を信じ、
これに倣(ならわんとしてわが旧習に疑いを容れたるものなれば、
あたかもこれを自発の疑いと言うべからず。

 ただ旧を信ずるの信をもって新を信じ、
昔日は人心の信、
東にありしもの、
今日はそこを移して西に転じたるのみにして、
その信疑の取捨 如何(
いかん)に至りては、
はたして適当の明あるを保すべからず。

 余輩いまだ浅学寡聞、
この取捨の疑問に至り、
いちいち当否を論じてその箇条を枚挙する能わざるは、
もとよりみずから懺悔するところなれども、
世事転遷の大勢を察すれば、
天下の人心この勢いに乗ぜられて、
信ずるものは信に過ぎ、
疑うものは疑いに過ぎ、
信疑ともにその止まるところの適度を失するものあるは明らかに見るべし。

 左にその次第を述べん。


 東西の人民、
風俗を別にし情意を異にし、
数千百年の久しき、
おのおのその国土に行なわれたる習慣は、
たとい利害の明らかなるものといえども、
とみにこれを彼に取りて是(これ)に移すべからず、
いわんやその利害のいまだ詳(つまび)らかならざるものにおいてをや。

 これを採用せんとするには千思万慮歳月を積み、
ようやくその性質を明らかにして取捨を判断せざるべからず。

 しかるに近日世上の有様を見るに、
いやしくも中人以上の改革者流、
あるいは開化先生と称する輩は、
口を開けば西洋文明の美を称し、
一人これを唱うれば万人これに和し、
およそ智識、道徳の教えより治国、経済、衣食住の細事に至るまでも、
悉皆(しっかい)西洋の風を慕うてこれに倣わんとせざるものなし。

 あるいはいまだ西洋の事情につきその一斑をも知らざる者にても、
ひたすら旧物を廃棄してただ新をこれ求むるもののごとし。

 なんぞそれ事物を信ずるの軽々にして、
またこれを疑うの粗忽(そこつなるや。

 西洋の文明はわが国の右に出ずること必ず数等ならんといえども、
けっして文明の十全なるものにあらず。

 その欠点を計(かぞ)うれば枚挙に遑(いとま)あらず。
 彼の風俗ことごとく美にして信ずべきにあらず、
我の習慣ことごとく醜にして疑うべきにあらず。


 譬(たと)えばここに一少年あらん。
 学者先生に接してこれに心酔し、
その風に倣わんとしてにわかに心事を改め、
書籍を買い、文房の具を求めて、
日夜机に倚(よりて勉強するはもとより咎(とが)むべきにあらず。
これを美事と言うべし。

 然りといえどもこの少年が先生の風を擬するのあまりに、
先生の夜話に耽(ふけ)りて朝寝するの癖をも学び得て、
ついに身体の健康を害することあらば、
これを智者と言うべきか。

 けだしこの少年は先生を見て十全の学者と認め、
その行状の得失を察せずして悉皆これに倣わんとし、
もってこの不幸に陥りたるものなり。


 支那の諺に、
「西施(せいし)の顰(ひそ)みに倣うということあり。

 美人の顰みはその顰みの間におのずから趣ありしがゆえに
これに倣いしことなればいまだ深く咎むるに足らずといえども、
学者の朝寝になんの趣あるや。

 朝寝はすなわち朝寝にして、
懶惰(らんだ)不養生の悪事なり。

 人を慕うのあまりにその悪事に倣うとは笑うべきのはなはだしきにあらずや。
 されども今の世間の開化者流にはこの少年の輩(はい)はなはだ少なからず。
 

 仮りに今、
東西の風俗習慣を交易して開化先生の評論に付し、
その評論の言葉を想像してこれを記さん。

 西洋人は日に浴湯して日本人の浴湯は一月わずかに一、二次ならば、
開化先生これを評して言わん、
「文明開化の人民はよく浴湯して皮膚の蒸発を促(うなが)しもって衛生の法を守れども、
不文の日本人はすなわちこの理を知らず」と。

 日本人は寝屋の内に尿瓶(しびん)を置きてこれに小便を貯(たくわ)え、
あるいは便所より出でて手を洗うことなく、
洋人は夜中といえども起きて便所に行き、
なんら事故あるも必ず手を洗うの風ならば、
論者評して言わん、
「開化の人は清潔を貴ぶの風あれども、
不開化の人民は不潔の何ものたるを知らず、
けだし小児の智識いまだ発生せずして汚潔を弁ずること能(あた)わざる者に異ならず、
この人民といえどもしだいに進んで文明の域に入らば、
ついには西洋の美風に倣(なら)うことあるべし」 と。


 洋人は鼻汁を拭うに毎次紙を用いて直ちにこれを投棄し、
日本人は紙に代わるに布を用い、
したがって洗濯してしたがってまた用うるの風ならば、
論者たちまち頓智を運(めぐ)らし、
細事を推して経済論の大義に付会して言わん、
「資本に乏しき国土においては、
人民みずから知らずして節倹の道に従うことあり。
 日本全国の人民をして鼻紙を用うること西洋人のごとくならしめなば、
その国財の幾分を浪費すべきはずなるに、
よくその不潔を忍んで布を代用するは、
みずから資本の乏しきに迫られて節倹に赴くものと言うべし」 と。

 日本の婦人、
その耳に金環を掛け、
小腹を束縛して衣裳を飾ることあらば、
論者、人身窮理の端を持ち出して顰蹙(ひんしゅく)して言わん、
「はなはだしいかな、
不開化の人民、
理を弁じて天然に従うことを知らざるのみならず、
ことさらに肉体を傷つけて耳に荷物を掛け、
婦人の体においてもっとも貴要部たる小腹を束(つか)ねて蜂の腰のごとくならしめ、
もって妊娠の機を妨げ、
分娩の危難を増し、
その禍(わざわい)の小なるは一家の不幸を致し、
大なるは全国の人口生々の源を害するものなり」 と。


 西洋人は家の内外に錠を用うること少なく、
旅中に人足を雇うて荷物を持たしめ、
その行李(こうり)に慥(たし)かなる錠前なきものといえども常に物を盗まるることなく、
あるいは大工、
左官等のごとき職人に命じて普請を請け負わしむるに、
約定書の密なるものを用いずして、
後日に至り、
その約定につき公事(くじ)訴訟を起こすことまれなれども、
日本人は家内の一室ごとに締りを設けて座右(ざゆう)の手箱に至るまでも錠を卸し、
普請請負いの約定書等には一字一句を争うて紙に記せども、
なおかつ物を盗まれ、
あるいは違約等の事につき、
裁判所に訴うること多き風ならば、
論者また歎息していわん。

「ありがたきかな耶蘇(やそ)の聖教、
気の毒なるかなパガン外教の人民、
日本の人はあたかも盗賊と雑居するがごとし、
これをかの西洋諸国自由正直の風俗に比すれば万々同日の論にあらず、
実に聖教の行なわるる国土こそ道に遺を拾わずと言うべけれ」 と。

 日本人が煙草を咬(か)み、
巻煙草を吹かして、
西洋人が煙管(きせる)を用うることあらば、
「日本人は器械の術に乏しくしていまだ煙管の発明もあらず」 と言わん。

 日本人が靴を用いて西洋人が下駄をはくことあらば、
「日本人は足の指の用法を知らず」 と言わん。

 味噌も舶来品ならばかくまでに軽蔑を受くることもなからん。
 豆腐も洋人のテーブルに上(のぼ)らばいっそうの声価を増さん。

 鰻(うなぎ)の蒲焼き、
茶碗蒸し等に至りては世界第一美味の飛び切りとて評判を得(う)ることなるべし。

 これらの箇条を枚挙すれば際限あることなし。
 今少しく高尚に進みて宗旨のことに及ばん。

 四百年前西洋に親鸞上人を生じ、
日本にマルチン・ルーザを生じ、
上人は西洋に行なわるる仏法を改革して浄土真宗を弘(ひろ)め、
ルーザは日本のローマ宗教に敵してプロテスタントの教えを開きたることあらば、
論者必ず評して言わん、
「宗教の大趣意は衆生済度(しゅじょうさいど)にありて人を殺すにあらず。
いやしくもこの趣意を誤ればその余は見るに足らざるなり。

 西洋の親鸞上人はよくこの旨を体し、
野に臥(ふ)し、
石を枕にし、
千辛万苦、
生涯の力を尽くしてついにその国の宗教を改革し、
今日に至りては全国人民の大半を教化(きょうげ)したり。

 その教化の広大なることかくのごとしといえども、
上人の死後、
その門徒なる者、
宗教の事につき、
あえて他宗の人を殺したることなくまた殺されたることもなきは、
もっぱら宗徳をもって人を化したるものと言うべし。

 顧みて日本の有様を見れば、
ルーザひとたび世に出でてローマの旧教に敵対したりといえども、
ローマの宗徒容易にこれに服するにあらず、
旧教は虎のごとく新教は狼のごとく、
虎狼相闘い食肉流血、
ルーザの死後、
宗教のために日本の人民を殺し日本の国財を費やし、
(いくさ)を起こし国を滅ぼしたるその禍は、
筆もって記すべからず、
口もって語るべからず、
殺伐なるかな、
野蛮の日本人は、
衆生済度の教えをもって生霊を塗炭に陥(おとしい)れ、
敵を愛するの宗旨によりて無辜(むこ)の同類を屠(ほふ)り、
今日に至りてその成跡 如何を問えば、
ルーザの新教はいまだ日本人民の半ばを化すること能わずと言えり。 

 東西の宗教その趣を異にすることかくのごとし。
 余輩ここに疑いを容(い)
るること日すでに久しといえども、
いまだその原因の確かなるものを得ず。

 竊(ひそか)に按(あん)ずるに日本の耶蘇教も西洋の仏法も、
その性質は同一なれども、
野蛮の国土に行なわるればおのずから殺伐の気を促し、
文明の国に行なわるればおのずから温厚の風を存するによりて然るものか、
あるいは東方の耶蘇教と西方の仏法とは、
はじめよりその元素を異にするによりて然るものか、
あるいは改革の始祖たる日本のルーザと西洋の親鸞上人とその徳義に優劣ありて然るものか、
みだりに浅見をもって臆断すべからず。
ただ後世博識家の確説を待つのみ」と。


 しからばすなわち今の改革者流が日本の旧習を厭(いと)うて西洋の事物を信ずるは、
まったく軽信軽疑の譏(そしり)を免るべきものと言うべからず。

 いわゆる旧を信ずるの信をもって新を信じ、
西洋の文明を慕うのあまりに兼ねてその顰蹙朝寝の癖をも学ぶものと言うべし。

 なおはなはだしきはいまだ新の信ずべきものを探り得ずして早くすでに旧物を放却し、
一身あたかも空虚なるがごとくにして安心立命の地位を失い、
これがためついには発狂する者あるに至れり。

 憐れむべきにあらずや
  〔医師の話を聞くに、近来は神経病および発狂の病人多しという〕。

 西洋の文明もとより慕うべし。
これを慕いこれに倣(なら)わんとして日もまた足らずといえども、
軽々これを信ずるは信ぜざるの優に若(し)かず。

 彼の富強はまことに羨むべしといえども、
その人民の貧富不平均の弊をも兼ねてこれに倣うべからず。

 日本の租税寛なるにあらざれども、
英国の小民が地主に虐せらるるの苦痛を思えば、
かえってわが農民の有様を祝せざるべからず。

 西洋諸国、婦人を重んずるの風は人間世界の一美事なれども、
無頼なる細君が跋扈(ばっこ)して良人を窘(くる)しめ、
不順なる娘が父母を軽蔑して醜行を逞しゅうするの俗に心酔すべからず。

 されば今の日本に行なわるるところの事物は、
はたして今のごとくにしてその当を得たるものか、
商売会社の法、
今のごとくにして可ならんか、
政府の体裁、今のごとくにして可ならんか、
教育の制、今のごとくにして可ならんか、
著書の風、今のごとくにして可ならんか、
しかのみならず、現に余輩学問の法も今日の路に従いて可ならんか、
これを思えば百疑並び生じてほとんど暗中に物を探るがごとし。

 この雑沓混乱の最中にいて、
よく東西の事物を比較し、
信ずべきを信じ、
疑うべきを疑い、
取るべきを取り、
捨つべきを捨て、
信疑取捨そのよろしきを得んとするはまた難きにあらずや。


 然りしこうして今この責(せ)めに任ずる者は、
他なし、ただ一種わが党の学者あるのみ。

 学者勉めざるべからず。
 けだしこれを思うはこれを学ぶに若(し)かず。

 幾多の書を読み、
幾多の事物に接し、虚心平気、
活眼を開き、
もって真実のあるところを求めなば、
信疑たちまちところを異にして、
昨日の所信は今日の疑団となり、
今日の所疑は明日氷解することもあらん。

学者勉めざるべからざるなり。


福澤諭吉「学問のすすめ」第十四編 心事の棚卸し 

2023-04-07 21:29:18 | 福澤諭吉

福澤諭吉  


十四編
心事の棚卸し    

 人の世を渡る有様を見るに、
心に思うよりも案外に悪をなし、
心に思うよりも案外に愚を働き、
心に企つるよりも案外に功を成さざるものなり。 

 いかなる悪人にても、

生涯の間勉強して悪事のみをなさんと思う者はなけれども、
物に当たり事に接して、
ふと悪念を生じ、
わが身みずから悪と知りながら、
いろいろに身勝手なる説をつけて、
しいてみずから慰むる者あり。

 またあるいは物事に当たりて行なうときはけっしてこれを悪事と思わず、

(ごう)も心に恥ずるところなきのみならず、
一心一向に善(よ)きことと信じて、
他人の異見などあれば、
かえってこれを怒り、
これを怨(うら)むほどにありしことにても、
年月を経て後に考うれば、
大いにわが不行届きにて心に恥じ入ることあり。 

 また人の性に智愚強弱の別ありといえども、
みずから禽獣(きんじゅう)の智恵にも叶(かな)わぬと思う者はあるべからず。

 世の中にあるさまざまの仕事を見分けて、
この事なれば自分の手にも叶うことと思い、
自分相応にこれを引き受くることなれども、
その事を行なうの間に、
思いのほかに失策多くして最初の目的を誤り、
世間にも笑われ、
自分にも後悔すること多し。 

 世に功業を企てて誤る者を傍観すれば、
実に捧腹(ほうふく)にも堪えざるほどの愚を働きたるように見ゆれども、
そのこれを企てたる人は必ずしもさまで愚なるにあらず、
よくその情実を尋ぬれば、また尤(もっと)もなる次第あるものなり。

 畢竟世の事変は活物(いきもの)にて容易にその機変を前知すべからず。
 これがために智者といえども案外に愚を働くもの多し。

 また人の企ては常に大なるものにて、
事の難易大小と時日の長短とを比較することはなはだ難(かた)し。
フランキリン言えることあり、
「十分と思いし時も事に当たれば必ず足らざるを覚ゆるものなり」と。

 この言まことに然り。
大工に普請を言いつけ、
仕立屋に衣服を注文して、
十に八、九は必ずその日限を誤らざる者なし。

 こは大工・仕立屋のことさらに企てたる不埒(ふらち)にあらず。


 そのはじめに仕事と時日とを精密に比較せざりしより、
はからずも違約に立ち至りたるのみ。

  さて世間の人は大工・仕立屋に向かいて違約を責むることは珍しからず、
これを責むるにまた理屈なきにあらず。

 大工・仕立屋は常に恐れ入り、
旦那はよく道理のわかりたる人物のように見ゆれども、
その旦那なる者がみずから自分の請け合いたる仕事につき、
はたして日限のとおりに成したることあるや。

 田舎(いなか)の書生、
国を出(い)ずるときは、
難苦を嘗(な)めて三年のうちに成業とみずから期したる者、
よくその心の約束を践(ふ)みたるや。

 無理な才覚をして渇望したる原書を求め、
三カ月の間にこれを読み終わらんと約したる者、
はたしてよくその約のごとくしたるや。

 有志の士君子
「某(それがし)が政府に出ずれば、
この事務もかくのごとく処し、
かの改革もかくのごとく処し、
半年の間に政府の面目を改むべし」とて、
再三建白のうえようやく本望を達して出仕の後、
はたしてその前日の心事に背(そむ)かざるや。

 貧書生が
「われに万両の金あれば、
明日より日本国中の門並(かどな)みに学校を設けて家に不学の輩なからしめん」 と言う者を、
今日良縁によりて三井・鴻ノ池の養子たらしむることあらば、
はたしてその言のごとくなるべきや。

 この類の夢想を計れば枚挙(まいきょ)に遑(いとま)あらず。

 みな事の難易と時の長短とを比較せずして、
時を計ること寛に過ぎ、事を視ること易(い)に過ぎたる罪なり。

 また世間に事を企つる人の言を聞くに、
「生涯のうち」または「十年のうちにこれを成す」と言う者はもっとも多く、
「三年のうち」、
「一年のうちに」と言う者はやや少なく、
「一月のうち」、
あるいは「今日この事を企てて今まさにこれを行なう」と言う者はほとんどまれにして、
「十年前に企てたることを今すでに成したり」と言うがごときは余輩いまだその人を見ず。

 かくのごとく、
期限の長き未来を言うときにはたいそうなることを企つるようなれども、
その期限ようやく近くして今月今日と迫るに従いて、
明らかにその企ての次第を述ぶること能わざるは、
畢竟ことを企つるに当たりて時日の長短を勘定に入れざるより生ずる不都合なり。


 右所論のごとく、
人生の有様は徳義のことにつきても思いのほかに悪事をなし、
智恵のことにつきても思いのほかに愚を働き、
思いのほかに事業を遂げざるものなり。

 この不都合を防ぐの方便はさまざまなれども、
今ここに人のあまり心づかざる一ヵ条あり。

 その箇条とはなんぞや。
 事業の成否得失につき、
ときどき自分の胸中に差引きの勘定を立つることなり。

 商売にて言えば棚卸しの総勘定のごときものこれなり。

 およそ商売において、
最初より損亡(そんもう)を企つる者あるべからず。

 まず自分の才力と元金とを顧み、
世間の景気を察して事を始め、
千状万態の変に応じて、
あるいは当たりあるいは外(はず)れ、
この仕入れに損を蒙(こうむ)りかの売捌(うりさば)きに益を取り、
一年または一ヵ月の終わりに総勘定をなすときは、
あるいは見込みのとおりに行なわれたることもあり、
あるいは大いに相違したることもあり、
またあるいは売買繁劇の際にこの品につきては必ず益あることなりと思いしものも、
棚卸しにできたる損益平均の表を見れば案に相違して損亡なることあり。

 あるいは仕入れのときは品物不足と思いしものも、
棚卸しのときに残品を見れば、
売捌きに案外の時日を費やして、
その仕入れかえって多きに過ぎたるものもあり。

 ゆえに商売に一大緊要なるは平日の帳合いを精密にして、
棚卸しの期を誤らざるの一事なり

 他の人事もまたかくのごとし。
 人間生々の商売は十歳前後人心のできし時よりはじめたるものなれば、
平生、智徳事業の帳合いを精密にして、
勉めて損亡を引き受けざるように心がけざるべからず。
「過ぐる十年の間には何を損し何を益したるや。

 現今はなんらの商売をなしてその繁盛の有様はいかなるや。
 今は何品を仕入れていずれの時いずれのところに売り捌くつもりなるや。

 年来心の店の取締りは行き届きて遊冶懶惰(ゆうやらんだ)など名のる召使のために穴を明けられたることはなきや。 
 来年も同様の商売にて慥(たし)かなる見込みあるべきや。

 もはや別に智徳を益すべき工夫もなきや」と、
諸帳面を点検して棚卸しの総勘定をなすことあらば、
過去現在、
身の行状につき必ず不都合なることも多かるべし。


 その一、二を挙ぐれば、
「貧は士の常、尽忠報国」などとて、
みだりに百姓の米を食い潰して得意の色をなし、
今日に至りて事実に困る者は、
舶来の小銃あるを知らずして刀剣を仕入れ、
一時の利を得て、残品に後悔するがごとし。

 和漢の古書のみを研究して西洋日新の学を顧みず、
(いにしえ)を信じて疑わざりし者は、
過ぎたる夏の景気を忘れずして冬の差入りに蚊帷(かや)を買い込むがごとし。

 青年の書生いまだ学問も熟せずしてにわかに小官を求め、
一生の間、
等外に徘徊(はいかい)するは、
半ば仕立てたる衣服を質に入れて流すがごとし。

 地理、歴史の初歩をも知らず、
日用の手紙を書くこともむずかしくして、
みだりに高尚の書を読まんとし、
開巻五、六葉を見てまた他の書を求むるは、
元手なしに商売をはじめて日に業を変ずるがごとし、
和漢洋の書を読めども天下国家の形勢を知らず一身一家の生計にも苦しむ者は、
算盤(そろばん)を持たずして万屋(よろずや)の商売をなすがごとし。

 天下を治むるを知りて身を修むるを知らざる者は、
隣家の帳合いに助言して自家に盗賊の入るを知らざるがごとし。

 口に流行の日新を唱えて心に見るところなくわが
一身の何ものたるをも考えざる者は、
売品の名を知りて値段を知らざるもののごとし。

 これらの不都合は現に今の世に珍しからず。

 その原因は、ただ流れ渡りにこの世を渡りて、
かつてその身の有様に注意することなく、
生来今日に至るまでわが身は何事をなしたるや。

 今は何事をなせるや。
今後は何事をなすべきや」と、
みずからその身を点検せざるの罪なり。

 ゆえにいわく、
商売の有様を明らかにして後日の見込みを定むるものは帳面の総勘定なり、
一身の有様を明らかにして後日の方向を立つるものは智徳事業の棚卸しなり。

 

   世話の字の義

 世話の字に二つの意味あり、
一は「保護」の義なり、一は「命令」の義なり。

 保護とは人の事につき、傍
より番をして防ぎ護り、
あるいはこれに財物を与え、
あるいはこれがために時を費やし、
その人をして利益をも面目をも失わしめざるように世話をすることなり。

 命令とは人のために考えて、
その人の身に便利ならんと思うことを指図(さしず)し、
不便利ならんと思うことには意見を加え、
心の丈(たけ)を尽くして忠告することにて、
これまた世話の義なり。

 右のごとく世話の字に、
保護と指図と両様の義を備えて人の世話をするときは、
真によき世話にて世の中は円(まる)く治まるべし。

 譬(たと)えば父母の子供におけるがごとく、
衣食を与えて保護の世話をすれば、
子供は父母の言うことを聞きて指図を受け、
親子の間柄に不都合あることなし。

 また政府にては法律を設けて、
国民の生命と面目と私有とを大切に取り扱い、
一般の安全を謀(はか)りて保護の世話をなし、
人民は政府の命令に従いて指図の世話に戻(もと)ることあらざれば、
公私の間 円(まる)く治まるべし。


 ゆえに保護と指図とは両(ふたつ)ながらその至るところをともにし、
寸分も境界を誤るべからず。

  保護の至るところはすなわち指図の及ぶところなり。
 指図の及ぶところは必ず保護の至るところならざるを得ず。

 もし然らずしてこの二者の至り及ぶところの度を誤り、
わずかに齟齬(そご)することあれば、
たちまち不都合を生じて禍(わざわい)の原因となるべし。

 世間にその例少なからず。
 けだしその所以は、
世の人々常に世話の字の義を誤りて、
あるいは保護の意味に解し、
あるいは指図の意味に解し、
ただ一方にのみ偏して文字のまったき義を尽くすことなく、
もって大なる間違いに及びたるなり。


 譬えば父母の指図を聴かざる道楽息子へみだりに銭を与えて、
その遊冶放蕩を逞しゅうせしむるは、
保護の世話は行き届きて指図の世話は行なわれざるものなり。

 子供は謹慎勉強して父母の命に従うといえども、
この子供に衣食をも十分に給せずして無学文盲の苦界に陥(おとしい)らしむるは、
指図の世話のみをなして保護の世話を怠るものなり。

 甲は不孝にして乙は不慈なり。
 ともにこれを人間の悪事と言うべし。


 古人の教えに
「朋友に屡(しばしば)すれば疎(うとん)ぜらるる」とあり。

 そのわけは、
「わが忠告をも用いざる朋友に向かいて余計なる深切を尽くし、
その気前をも知らずして厚かましく意見をすれば、
ついにはかえってあいそつかしとなりて、
先の人に嫌われ、
あるいは怨まれ、
あるいは馬鹿にせられて、
事実に益なきゆえ、
大概に見計ろうてこちらから寄りつかぬようにすべし」との趣意なり。

 この趣意もすなわち指図の世話の行き届かぬところには保護の世話をなすべからずということなり。


 また昔かたぎに、田舎の老人が旧(ふる)き本家の系図を持ち出して別家の内を掻(か)きまわし、
あるいは銭もなき叔父さまが実家の姪(めい)を呼びつけてその家事を指図し、
その薄情を責めその不行届きを咎め、はなはだしきに至りては、
知らぬ祖父の遺言などとて姪の家の私有を奪い去らんとするがごときは、
指図の世話は厚きに過ぎて保護の世話の痕跡もなきものなり。

 諺(ことわざ)にいわゆる「大きにお世話」とはこのことなり。


 また世に貧民救助とて、
人物の良否を問わず、
その貧乏の原因を尋ねず、
ただ貧乏の有様を見て米銭を与うることあり。

 鰥寡(かんか)孤独、
実に頼るところなき者へは救助も尤(もっと)もなれども、
五升の御救米(おすくいまい)を貰うて三升は酒にして飲む者なきにあらず。

 禁酒の指図もできずしてみだりに米を与うるは、
指図の行き届かずして保護の度を越えたるものなり。

 諺にいわゆる
「大きに御苦労」とはこのことなり。
英国などにても救窮の法に困却するはこの一条なりという。

 この理を拡(おしひろ)めて一国の政治上に論ずれば、
人民は租税を出だして政府の入用を給し、
その世帯向きを保護するものなり。

 しかるに専制の政にて、
人民の助言をば少しも用いず、
またその助言を述ぶべき場所もなきは、
これまた保護の一方は達して指図の路は塞(ふさ)がりたるものなり。

 人民の有様は大きに御苦労なりと言うべし。


 この類を求めて例を挙ぐればいちいち計(かぞ)うるに遑(いとま)あらず。

 この「世話」の字義は経済論のもっとも大切なる箇条なれば、
人間の渡世において、
その職業の異同事柄の軽重にかかわらず、
常にこれに注意せざるべからず。

 あるいはこの議論はまったく算盤(そろばん)ずくにて薄情なるに似たれども、
薄くすべきところを無理に厚くせんとし、
あるいはその実の薄きを顧みずしてその名を厚くせんとし、
かえって人間の至情を害して世の交際を苦々(にがにが)しくするがごときは、
名を買わんとして実を失うものと言うべし。


 右のごとく議論は立てたれども、
世人の誤解を恐れて念のためここに数言を付せん。

 修身道徳の教えにおいてはあるいは経済の法と相 戻(もと)るがごときものあり。

 けだし一身の私徳は悉皆(しっかい)天下の経済にさし響くものにあらず、
見ず知らずの乞食に銭を投与し、
あるいは貧人の憐れむべき者を見れば、
その人の来歴をも問わずして多少の財物を給することあり。

 そのこれを投与しこれを給するはすなわち保護の世話なれども、
この保護は指図とともに行なわるるものにあらず、
考えの領分を窮屈にしてただ経済上の公をもってこれを論ずれば不都合なるに似たれども、
一身の私徳において恵与の心はもっとも貴ぶべく最も好(よ)みすべきものなり。

 譬(たと)えば天下に乞食を禁ずるの法はもとより公明正大なるものなれども、
人々の私において乞食に物を与えんとするの心は咎むべからず。

 人間万事算盤を用いて決定すべきものにあらず、
ただその用ゆべき場所と用ゆべからざる場所とを区別すること緊要なるのみ。
 世の学者、
経済の公論に酔いて仁恵の私徳を忘るるなかれ。


福澤諭吉「学問のすすめ」第十三編 怨望の人間に害あるを論ず

2023-04-07 20:24:12 | 福澤諭吉

福澤諭吉  


十三編 怨望の人間に害あるを論ず


 およそ人間に不徳の筒条多しといえども、
その交際に害あるものは怨望(えんぼう)より大なるはなし。
貪吝(たんりん)、奢侈、誹謗の類はいずれも不徳のいちじるしきものなれども、
よくこれを吟味すれば、
その働きの素質において不善なるにあらず。

これを施すべき場所柄と、
その強弱の度と、
その向かうところの方角とによりて、
不徳の名を免るることあり。

 譬(たと)えば銭を好んで飽くことを知らざるを貪吝と言う。
されども銭を好むは人の天性なれば、
その天性に従いて十分にこれを満足せしめんとするも
けっして咎(とが)むべきにあらず。
ただ理外の銭を得んとしてその場所を誤り、
銭を好むの心に限度なくして理の外に出(い)で、
銭を求むるの方向に迷うて理に反するときは、
これを貪吝の不徳と名づくるのみ。


 ゆえに銭を好む心の働きを見て、
直ちに不徳の名をくだすべからず。

 その徳と不徳との分界には一片の道理なるものありて、
この分界の内にあるものはすなわちこれを節倹と言い、
また経済と称して、
まさに人間の勉むべき美徳の一ヵ条なり。


 奢侈もまたかくのごとし。
 ただ身の分限を越ゆると否とによりて、
徳不徳の名をくだすべきのみ。

 軽暖を着て安宅に居るを好むは人の性情なり。
天理に従いてこの情欲を慰むるに、
なんぞこれを不徳と言うべけんや。
積んでよく散じ、散じて則(のり)を踰(こ)えざる者は、
人間の美事と称すべきなり。


 また誹謗と弁駁(べんばく)とその間に髪(はつ)を容(い)るべからず。
 他人に曲を誣(し)うるものを誹謗と言い、
他人の惑いを解きてわが真理と思うところを弁ずるものを弁駁と名づく。


 ゆえに世にいまだ真実 無妄(むもう)の公道を発明せざるの間は、
人の議論もまた、
いずれを是としていずれを非とすべきやこれを定むべからず。

是非いまだ定まらざるの間は
仮りに世界の衆論をもって公道となすべしといえども、
その衆論のあるところを明らかに知ることはなはだ易(やす)からず。

 ゆえに他人を誹謗する者を目して直ちにこれを不徳者と言うべからず。
そのはたして誹謗なるか、
または真の弁駁なるかを区別せんとするには、
まず世界中の公道を求めざるべからず。


 右のほか、驕傲(きょうごう)と勇敢と、
粗野と率直と、
固陋(ころう)と実着と、
浮薄と穎敏(えいびん)と相対するがごとく、
いずれもみな働きの場所と、
強弱の度と、
向かうところの方角とによりて、
あるいは不徳ともなるべく、
あるいは徳ともなるべきのみ。

 ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、
場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一カ条なり。

 怨望は働きの陰なるものにて、
進んで取ることなく、
他の有様によりて我に不平をいだき、
我を顧みずして他人に多を求め、
その不平を満足せしむるの術は、
我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。


 譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、
我に不足するところあれば、
わが有様を進めて満足するの法を求めずして、
かえって他人を不幸に陥(おとしい)れ、
他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。

 いわゆるこれを悪(にく)んでその死を欲するとはこのことなり。
 ゆえにこの輩の不平を満足せしむれば、
世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。


 或る人いわく、
「欺詐虚言の悪事も、
その実質において悪なるものなれば、
これを怨望に比していずれか軽重の別あるべからず」と。

 答えていわく、
「まことに然るがごとしといえども、
事の原因と事の結果とを区別すれば、
おのずから軽重の別なしと言うべからず。


 欺詐虚言はもとより大悪事たりといえども、
必ずしも怨望を生ずるの原因にはあらずして、
多くは怨望によりて生じたる結果なり。

 怨望はあたかも衆悪の母のごとく、
人間の悪事これによりて生ずべからざるものなし。

 疑猜(ぎさい)、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、
みな怨望より生ずるものにて、
その内形に見(あら)わるるところは、
私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、
徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫(しゅうごう)も国に益すことなくして、
(わざわい)の全国に波及するに至りては主客ともに免るることを得ず。

 いわゆる公利の費をもって私を逞(たくま)しゅうするものと言うべし」


 怨望の人間交際に害あることかくのごとし。
 今その原因を尋ぬるに、
ただ窮の一事にあり。

 ただしその窮とは困窮、
貧窮等の窮にあらず、
人の言路を塞(ふさ)ぎ、
人の業作(ぎょうさ)を妨ぐる等のごとく、
人類天然の働きを窮せしむることなり。


 貧窮、困窮をもって怨望の源とせば、
天下の貧民は悉皆(しっかい)不平を訴え、
富貴はあたかも怨みの府にして、
人間の交際は一日も保つべからざるはずなれども、
事実においてけっして然らず、
いかに貧賤(ひんせん)なる者にても、
その貧にして賤(いや)しき所以の原因を知り、
その原因の己が身より生じたることを了解すれば、
けっしてみだりに他人を怨望するものにあらず。

 その証拠はことさらに掲示するに及ばず、
今日世界中に貧富・貴賤の差ありて、
よく人間の交際を保つを見て、
明らかにこれを知るべし。

 ゆえにいわく、
富貴は怨みの府にあらず、
貧賤は不平の源にあらざるなり。


 これによりて考うれば怨望は貧賤によりて生ずるものにあらず。
 ただ人類天然の働きを塞(ふさ)ぎて、
禍福の来去みな偶然に係るべき地位においてはなはだしく流行するのみ。

 昔孔子が「女子と小人(しょうにん)とは近づけ難し、
さてさて困り入りたることかな」とて歎息したることあり。


 今をもって考うるに、
これ夫子みずから事を起こしてみずからその弊害を述べたるものと言うべし。

人の心の性は男子も女子も異なるの理なし。
また小人とは下人(げにん)と言うことならんか。


 下人の腹から出でたる者は必ず下人と定まりたるにあらず。
 下人も貴人も生まれ落ちたる時の性に
異同あらざるはもとより論を俟(ま)たず。

 しかるにこの女子と下人とに限りて取扱いに困るとは何ゆえぞ。

 平生卑屈の旨をもってあまねく人民に教え、
小弱なる婦人・下人の輩を束縛して、
その働きに毫(ごう)も自由を得せしめざるがために、
ついに怨望の気風を醸成し、
その極度に至りてさすがに孔子さまも歎息せられたることなり。


 元来人の性情において働きに自由を得ざれば、
その勢い必ず他を怨望せざるを得ず。

 因果応報の明らかなるは、
麦を蒔きて麦の生ずるがごとし。


 聖人の名を得たる孔夫子がこの理を知らず、
別に工夫もなくしていたずらに愚痴をこぼすとは
あまりたのもしからぬ話なり。

 そもそも孔子の時代は明治を去ること二千有余年、
野蛮 草昧(そうまい)の世の中なれば、
教えの趣意もその時代の風俗人情に従い、
天下の人心を維持せんがためには、
知りてことさらに束縛するの権道なかるべからず。


 もし孔子をして真の聖人ならしめ、
万世の後を洞察するの明識あらしめなば、
当時の権道をもって必ず心に慊(こころよ)しとしたることはなかるべし。
 
 ゆえに後世の孔子を学ぶ者は、
時代の考えを勘定のうちに入れて取捨せざるべからず。

 二千年前に行なわれたる教えをそのままに、
しき写しして明治年間に行なわんとする者は、
ともに事物の相場を談ずべからざる人なり。


 また近く一例を挙げて示さんに、
怨望の流行して交際を害したるものは、
わが封建の時代に沢山なる大名の御殿女中をもって最(さい)とす。

 そもそも御殿の大略を言えば、
無識無学の婦女子群居して無智無徳の一主人に仕え、
勉強をもって賞せらるるにあらず、
懶惰(らんだ)によりて罰せらるるにあらず、
(いさ)めて叱らるることもあり、
諫めずして叱らるることもあり、
言うも善し言わざるも善し、
詐(いつわ)るも悪し詐らざるも悪し、
ただ朝夕の臨機応変にて主人の寵愛を僥倖(ぎょうこう)するのみ。


 その状あたかも的(まと)なきに射るがごとく、
当たるも巧なるにあらず、
当たらざるも拙なるにあらず、
まさにこれを人間外の一乾坤(けんこん)と言うも可なり。

  この有様のうちに居(お)れば、
喜怒哀楽の心情必ずその性を変じて、
他の人間世界に異ならざるを得ず。

 たまたま朋輩に立身する者あるも、
その立身の方法を学ぶに由(よし)なければ、
ただこれを羨むのみ。

 これを羨むのあまりにはただこれを嫉(ねた)むのみ。

 朋輩を嫉み、
主人を怨望するに忙(いそが)わしければ、
なんぞお家のおんためを思うに遑(いとま)あらん。

 忠信節義は表向きの挨拶のみにて、
その実は畳に油をこぼしても、
人の見ぬところなれば拭(ぬぐ)いもせずに捨て置く流儀となり、
はなはだしきは主人の一命にかかる病の時にも、
平生、朋輩の睨(にら)み合いにからまりて、
思うままに看病をもなし得ざる者多し。
 

 なお一歩を進めて怨望嫉妬の極度に至りては、
毒害の沙汰もまれにはなきにあらず。

 古来もしこの大悪事につきその数を記したるスタチスチクの表ありて、
御殿に行なわれたる毒害の数と、
世間に行なわれたる毒害の数とを比較することあらば、
御殿に悪事の盛んなること断じて知るべし。

 怨望の禍(わざわい)(あに)恐怖すべきにあらずや。


 右御殿女中の一例を見ても大抵、
世の中の有様は推して知るべし。

 人間最大の禍は怨望にありて、
怨望の源は窮より生ずるものなれば、
人の言路は開かざるべからず、
人の業作は妨ぐべからず。

 試みに英亜諸国の有様とわが日本の有様とを比較して、
その人間の交際において、
いずれかよくかの御殿の趣を脱したるやと問う者あらば、
余輩は今の日本を目してまったく御殿に異ならずと言うにはあらざれども、
その境界(きょうがい)を去るの遠近を論ずれば、
日本はなおこれに近く、
英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず。


 英亜の人民、
貪吝驕奢ならざるにあらず、
粗野乱暴ならざるにあらず、
あるいは詐る者あり、
あるいは欺く者ありて、
その風俗けっして善美ならずといえども、
ただ怨望隠伏の一事に至りては必ずわが国と趣を異にするところあるべし。


 今、世の識者に民選議院の説あり、
また出版自由の論あり。

 その得失はしばらく擱(お)き、
もともとこの論説の起こる所以を尋ぬるに、
識者の所以はけだし今の日本国中をして古(いにしえ)の御殿のごとくならしめず、
今の人民をして古の御殿女中のごとくならしめず、
怨望に易(か)うるに活動をもってし、
嫉妬の念を絶ちて相競うの勇気を励まし、
禍福譏誉ことごとくみな自力をもってこれを取り、
満天下の人をして自業自得ならしめんとするの趣意なるべし。


 人民の言路を塞(ふさ)ぎ、
その業作を妨ぐるは、
もっぱら政府上に関して、
にわかにこれを聞けば、
ただ政治に限りたる病のごとくなれども、
この病は必ずしも政府のみに流行するものにあらず、
人民の間にも行なわれて、
毒を流すこともっともはなはだしきものなれば、
政治のみを改革するもその源(みなもと)を除くべきにあらず。

 今また数言を巻末に付し、
政府のほかにつきてこれを論ずべし。


 元来人の性は交わりを好むものなれども、
習慣によればかえってこれを嫌うに至るべし。

 世に変人奇物とて、
ことさらに山村 僻邑(へきゆう)におり世の交際を避くる者あり。

  これを隠者と名づく。
 あるいは真の隠者にあらざるも、
世間の付合いを好まずして一家に閉居し、
俗塵を避くるなどとて得意の色をなす者なきにあらず。 
 

 この輩の意を察するに、
必ずしも政府の所置を嫌うのみにて身を退くるにあらず、
その心志 怯弱(きょうじゃく)にして物に接するの勇なく、
その度量狭小にして人を容(い)るること能(あた)わず、
人を容るること能わざれば人もまたこれを容れず、
彼も一歩を退け我もまた一歩を退け、
歩々相遠ざかりてついに異類の者のごとくなり、
後には讐敵(しゅうてき)のごとくなりて、
互いに怨望するに至ることあり。

 世の中に大なる禍(わざわい)と言うべし。 
 

 また人間の交際において、
相手の人を見ずしてそのなしたる事を見るか、
もしくはその人の言を遠方より伝え聞きて、
少しくわが意に叶わざるものあれば、
必ず同情相 憐れむの心をば生ぜずして、
かえってこれを忌み嫌うの念を起こし、
これを悪(にく)んでその実に過ぐること多し。

  これまた人の天性と習慣とによりて然るものなり。
 

 物事の相談に伝言、
文通にて整わざるものも直談にて円(まる)く治まることあり。

 また人の常の言に、
「実はかくかくのわけなれども、
面と向かいてはまさかさようにも」ということあり。

 すなわちこれ人類の至情にて、
堪忍の心のあるところなり。

 すでに堪忍の心を生ずるときは、
情実互いに相通じて怨望嫉妬の念はたちまち消散せざるを得ず。  
 

 古今に暗殺の例少なからずといえども、
余常に言えることあり、
「もし好機会ありてその殺すものと殺さるる者とをして数日の間同処に置き、
互いに隠すところなくしてその実の心情を吐かしむることあらば、
いかなる讐敵にても必ず相和するのみならず、
あるいは無二の朋友たることもあるべし」と。
 

 右の次第をもって考うれば、
言路を塞ぎ、
業作を妨ぐるのことは、
ひとり政府のみの病にあらず、
全国人民の間に流行するものにて、
学者といえども、
あるいはこれを免れ難し。

 人生活発の気力は物に接せざれば生じ難し。

 自由に言わしめ、
自由に働かしめ、
富貴も貧賤もただ本人のみずから取るにまかして、
他よりこれを妨ぐべからざるなり。 
 


福澤諭吉「学問のすすめ」第十二編「演説の法を勧むるの説」

2023-04-07 20:08:27 | 福澤諭吉

福澤諭吉 「学問のすすめ」  


 十二編 
 

   演説の法を勧むるの説  
 

 演説とは英語にてスピイチと言い、
大勢の人を会して説を述べ、
席上にてわが思うところを人に伝うるの法なり。

 わが国には古(いにしえ)よりその法あるを聞かず、
寺院の説法などはまずこの類なるべし。

 西洋諸国にては演説の法もっとも盛んにして、
政府の議院、学者の集会、商人の会社、市民の寄合(よりあ)いより、
冠婚葬祭、開業・開店等の細事に至るまでも、
わずかに十数名の人を会することあれば、
必ずその会につき、あるいは会したる趣意を述べ、
あるいは人々平生の持論を吐き、
あるいは即席の思い付きを説きて、
衆客に披露するの風なり。

 この法の大切なるはもとより論を俟(ま)たず。

 譬(たと)えば今、
世間にて議院などの説あれども、
たとい院を開くも第一に説を述ぶるの法あらざれば、
議院もその用をなさざるべし。

 

 演説をもって事を述ぶれば、
その事柄の大切なると否とはしばらく擱(お)き、
ただ口上をもって述ぶるの際におのずから味を生ずるものなり。

 譬えば文章に記(しる)せばさまで意味なきことにても、
言葉をもって述ぶればこれを了解すること易(やす)くして人を感ぜしむるものあり。

 古今に名高き名詩名歌というものもこの類にて、
この詩歌を尋常の文に訳すれば絶えておもしろき味もなきがごとくなれども、
詩歌の法に従いてその体裁を備うれば、
限りなき風致を生じて衆心を感動せしむべし。

 ゆえに一人の意を衆人に伝うるの速やかなると否とは、
そのこれを伝うる方法に関することはなはだ大なり。


 学問はただ読書の一科にあらずとのことは、
すでに人の知るところなれば今これを論弁するに及ばず。

 学問の要は活用にあるのみ。
活用なき学問は無学に等し。

 在昔(ざいせき)或る朱子学の書生、
多年江戸に修業して、
その学流につき諸大家の説を写し取り、
日夜怠らずして数年の間にその写本数百巻を成し、
もはや学問も成業したるがゆえに故郷へ帰るべしとて、
その身は東海道を下り、
写本は葛籠(つづら)に納めて大回しの船に積み出(い)だせしが、
不幸なるかな、遠州
なだ)において難船に及びたり。

 この災難によりて、かの書生もその身は帰国したれども、
学問は悉皆(しっかい)海に流れて心身に付したるものとてはなに一物もあることなく、
いわゆる本来無一物にて、
その愚はまさしく前日に異なることなかりしという話あり。


 今の洋学者にもまたこの懸念なきにあらず。
今日都会の学校に入りて読書講論の様子を見れば、
これを評して学者と言わざるを得ず。

 されども今にわかにその原書を取り上げてこれを田舎に放逐することあらば、
親戚、朋友に逢うて「わが輩の学問は東京に残し置きたり」と言い訳するなどの奇談もあるべし。


 ゆえに学問の本趣意は読書のみにあらずして、
精神の働きにあり。

 この働きを活用して実地に施すにはさまざまの工夫なかるべからず。
 オブセルウェーションとは事物を視察することなり。
 リーゾニングとは事物の道理を推究して自分の説を付くることなり。

 この二カ条にてはもとよりいまだ学問の方便を尽くしたりと言うべからず。
 なおこのほかに書を読まざるべからず、
書を著わさざるべからず、
人と談話せざるべからず、
人に向かいて言を述べざるべからず、
この諸件の術を用い尽くしてはじめて学問を勉強する人と言うべし。

 すなわち視察、推究、読書はもって智見を集め、
談話はもって智見を交易し、
著書、演説はもって智見を散ずるの術なり。

 然りしこうしてこの諸術のうちに、
あるいは一人の私(わたくし)をもって能(よ)くすべきものありといえども、
談話と演説とに至りては必ずしも人とともにせざるを得ず。
演説会の要用なることもって知るべきなり。

 方今わが国民においてもっとも憂うべきはその見識の賤(いや)しきことなり。
 これを導きて高尚の域に進めんとするはもとより今の学者の職分なれば、
いやしくもその方便あるを知らば力を尽くしてこれに従事せざるべからず。
 
 しかるに学問の道において、
談話、演説の大切なるはすでに明白にして、
今日これを実に行なう者なきはなんぞや。
学者の懶惰(らんだ)と言うべし。

 人間の事には内外両様の別ありて、
(ふたつ)ながらこれを勉めざるべからず。

 今の学者は内の一方に身を委(まか)して、
外の務めを知らざる者多し。

 これを思わざるべからず。
 私に沈深なるは淵(ふち)のごとく、
人に接して活発なるは飛鳥のごとく、
その密なるや内なきがごとく、
その豪大なるや外なきがごとくして、
はじめて真の学者と称すべきなり。

 人の品行は高尚ならざるべからざるの論   

 前条に「方今わが国においてもっとも憂うべきは人民の見識いまだ高尚ならざるの一事なり」と言えり。

 人の見識品行は、
微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきにあらず。

 禅家に悟道などの事ありて、
その理すこぶる玄妙なる由なれども、
その僧侶の所業を見れば、
迂遠にして用に適せず、
事実においては漠然としてなんらの見識もなき者に等し。   

また人の見識、品行はただ聞見の博(ひろ)きのみにて高尚なるべきにあらず。

 万巻の書を読み、
天下の人に交わり、
なお一己(いっこ)の定見なき者あり。

 古習を墨守する漢儒者のごときこれなり。
 ただ儒者のみならず、
洋学者といえどもこの弊を免れず。

 いま西洋日新の学に志し、
あるいは経済書を読み、
あるいは修身論を講じ、
あるいは理学、
あるいは智学、
夜精神を学問に委(ゆだ)ねて、
その状あたかも荊棘(けいきょく)の上に坐
して刺衝(ししょう)に堪ゆべからざるのはずなるに、
その人の私につきてこれを見ればけっして然らず、
眼に経済書を見て一家の産を営むを知らず、
口に修身論を講じて一身の徳を修むるを知らず、
その所論とその所行とを比較するときは、
まさしく二個の人あるがごとくして、
さらに一定の見識あるを見ず。

 畢竟(ひっきょう)この輩の学者といえども、
その口に講じ、
眼に見るところの事をばあえて非となすにはあらざれども、
事物の是(ぜ)を是とするの心と、
その是を是としてこれを事実に行なうの心とは、
まったく別のものにて、
この二つの心なるものあるいは並び行なわるることあり、
あるいは並び行なわれざることあり。

 「医師の不養生」といい、
 「論語読みの論語知らず」という諺もこれらの謂(いい)ならん。

 ゆえにいわく、
人の見識、
品行は玄理を談じて高尚なるべきにあらず、
また聞見を博くするのみにて、
高尚なるべきにあらざるなり。  

 しからばすなわち、
人の見識を高尚にして、
その品行を提起するの法いかがすべきや。

 その要訣は事物の有様を比較して上流に向かい、
みずから満足することなきの一事にあり。

 ただし有様を比較するとはただ一事一物を比較するにあらず、
この一体の有様と、
かの一体の有様とを並べて、
双方の得失を残らず察せざるべからず。

 譬(たと)えば今、
少年の生徒、酒色に溺(おぼ)るるの沙汰もなくして謹慎勉強すれば、
父兄・長老に咎(とが)めらるることなく、
あるいは得意の色をなすべきに似たれども、
その得色はただ他の無頼生に比較してなすべき得色のみ。

 謹慎勉強は人類の常なり、
これを賞するに足らず、
人生の約束は別にまた高きものなかるべからず。

 広く古今の人物を計
(かぞ)え、
誰に比較して誰の功業に等しきものをなさばこれに満足すべきや。

 必ず上流の人物に向かわざるべからず。

 あるいは我に一得あるも彼に二得あるときは、
我はその一得に安んずるの理なし。

 いわんや後進は先進に優(まさ)るべき約束なれば、
(いにしえ)を空しゅうして比較すべき人物なきにおいてをや。

 今人(こんじん)の職分は大にして重しと言うべし。

 しかるに今わずかに謹慎勉強の一事をもって人類生涯の事となすべきや。
思わざるのはなはだしきものなり。
人として酒色に溺るる者はこれを非常の怪物と言うべきのみ。

 この怪物に比較して満足する者は、
これを譬えば双眼を具するをもって得意となし、
盲人に向かいて誇るがごとし。

 いたずらに愚を表するに足るのみ。

 ゆえに酒色云々の談をなして、
あるいはこれを論破し、
あるいはこれを是非するの間は、
到底諸論の賤(
いや)しきものと言わざるを得ず。

 人の品行少しく進むときはこれらの醜談はすでにすでに経過し了して、
言に発するも人に厭(いと)わるるに至るべきはずなり。


 方今日本にて学校を評するに、
「この学校の風俗はかくのごとし。

 かの学塾の取締りは云々とて、
世の父兄はもっぱらこの風俗取締りの事に心配せり。

 そもそも風俗取締りとはなんらの箇条をさして言うか。

 塾法厳にして生徒の放蕩無頼を防ぐにつき、
取締りの行き届きたることを言うならん。

 これを学問所の美事と称すべきか。
 余輩はかえってこれを羞(
は)ずるなり。

 西洋諸国の風俗けっして美なるにあらず、
あるいはその醜見るに忍びざるもの多しといえども、
その国の学校を評するに、
風俗の正しきと取締りの行き届きたるとのみによりて名誉を得るものあるを聞かず。

 学校の名誉は学科の高尚なると、
その教法の巧みなると、
その人物の品行高くして、
議論の賤しからざるとによるのみ。

 ゆえに今の学校を支配して今の学校に学ぶ者は、
他の賤しき学校に比較せずして、
世界中上流の学校を見て得失を弁ぜざるべからず。

 風俗の美にして取締りの行き届きたるも学校の一得と言うべしといえども、
その得は学校たるもののもっとも賤しむべき部分の得なれば、
(ごう)もこれを誇るに足らず。

 上流の学校に比較せんとするには別に勉むるところなかるべからず。
ゆえに学校の急務としていわゆる取締りの事を談ずるの間は、
たといその取締りはよく行き届くも、
けっしてその有様に満足すべからざるなり。


 一国の有様をもって論ずるもまたかくのごとし。
 譬(たと)えばここに一政府あらん。

 賢良方正の士を挙げて政(まつりごと)を任し、
民の苦楽を察して適宜の処置を施し、
信賞必罰、
恩威行なわれざるところなく、
万民腹を鼓して太平を謡うがごときは、まことに誇るべきに似たり。

  然りといえども、
その賞罰と言い、
恩威といい、
万民といい、
太平というも、
悉皆(しっかい)一国内の事なり、
一人あるいは数人の意に成りたるものなり。

 その得失はその国の前代に比較するか、
または他の悪政府に比較して誇るべきのみにて、
けっしてその国悉皆の有様を詳(つまび)らかにして他国と相対し、
一より十に至るまで比較したるものにあらず。

 もし一国を全体の一物とみなして他の文明の一国に比較し、
数十年の間に行なわるる双方の得失を察して互いに加減乗除し、
その実際に見(あら)われたるところの損益を論ずることあらば、
その誇るところのものはけっして誇るに足らざるものならん。


 譬えばインドの国体旧ならざるにあらず、
その文物の開けたるは西洋紀元の前数千年にありて、
理論の精密にして玄妙なるは、
おそらくは今の西洋諸国の理学に比して恥ずるなきもの多かるべし。

 また在昔トルコの政府も、
威権もっとも強盛にして、
礼楽征伐の法、
斉整ならざるはなし。

 君長賢明ならざるにあらず、
廷臣方正ならざるにあらず。

 人口の衆多なること兵士の武勇なること近国に比類なくして、
一時はその名誉を四方に燿(かがや)かしたることあり。

 ゆえにインドとトルコとを評すれば、
甲は有名の文国にして、
乙は武勇の大国と言わざるを得ず。


 しかるに方今この二大国の有様を見るに、
インドはすでに英国の所領に帰してその人民は英政府の奴隷に異ならず、
今のインド人の業はただ阿片を作りて支那人を毒殺し、
ひとり英商をしてその間に毒薬売買の利を得せしむるのみ。

 トルコの政府も名は独立と言うといえども、
商売の権は英仏の人に占められ、
自由貿易の功徳(くどく)をもって国の物産は日に衰微し、
(はた)を織る者もなく、
器械を製する者もなく、
額に汗して土地を耕すか、
または手を袖にしていたずらに日月を消するのみにて、
いっさいの製作品は英仏の輸入を仰ぎ、
また国の経済を治むるに由なく、
さすがに武勇なる兵士も貧乏に制せられて用をなさずと言う。


 右のごとく、
インドの文も、
トルコの武も、
かつてその国の文明に益せざるはなんぞや。

 その人民の所見わずかに一国内にとどまり、
自国の有様に満足し、
その有様の一部分をもって他国に比較し、
その間に優劣なきを見てこれに欺かれ、
議論もここに止まり、
徒党もここに止まり、
勝敗栄辱ともに他の有様の全体を目的とすることを知らずして、
万民太平を謡うか、
または兄弟(けいてい)(かき)に鬩(せめ)ぐのその間に、
商売の権威に圧しられて国を失うたるものなり。

 洋商の向かうところはアジヤに敵なし。
 恐れざるべからず。

 もしこの勁敵(けいてき)を恐れて、
兼ねてまたその国の文明を慕うことあらば、
よく内外の有様を比較して勉むるところなかるべからず。

 


福澤諭吉「学問のすすめ」第十一編 名分をもって偽君子を生ずるの論

2023-04-07 17:05:54 | 福澤諭吉

福澤諭吉    
  

十一編 名分をもって偽君子を生ずるの論    


 第八編に、上下貴賤の名分よりして夫婦・親子の間に生じたる弊害の例を示し、
「その害の及ぶところはこのほかにもなお多し」 との次第を記せり。

 そもそもこの名分のよって起こるところを案ずるに、
その形は強大の力をもって小弱を制するの義に相違なしといえども、
その本意は必ずしも悪念より生じたるにあらず。

 畢竟(ひっきょう)
世の中の人をば悉皆(しっかい)愚にして善なるものと思い、
これを救い、
これを導き、
これを教え、
これを助け、
ひたすら目上の人の命に従いて、
かりそめにも自分の了簡を出ださしめず、
目上の人はたいてい自分に覚えたる手心にて、
よきように取り計らい、
一国の政事も、
一村の支配も、
店の始末も、
家の世帯も、
上下心を一にして、
あたかも世の中の人間交際を親子の間柄のごとくになさんとする趣意なり。

 譬(たと)えば十歳前後の子供を取り扱うには、
もとよりその了簡を出ださしむべきにあらず、
たいてい両親の見計らいにて衣食を与え、
子供はただ親の言に戻(もと)らずしてその指図にさえ従えば、
寒き時にはちょうど綿入れの用意あり、
腹のへる時にはすでに飯の支度ととのい、
飯と着物はあたかも天より降り来たるがごとく、
わが思う時刻にその物を得て、
何一つの不自由なく安心して家に居(お)るべし。

 両親は己(おの)が身にも易(か)えられぬ愛子なれば、
これを教え、
これを諭し、
これを誉(ほ)むるも、
これを叱るも、
みな真の愛情より出でざるはなく、
親子の間一体のごとくして、
その快きこと譬えん方なし。

 すなわちこれ親子の交際にして、
その際には上下の名分も立ち、
かつて差しつかえあることなし。

 世の名分を主張する人は
この親子の交際をそのまま人間の交際に写し取らんとする考えにて、
ずいぶん面白き工夫のようなれども、
ここに大なる差しつかえあり。

  親子の交際はただ智力の熟したる実の父母と
十歳ばかりの実の子供との間に行なわるべきのみ。
他人の子供に対してはもとより叶(かな)い難し。

 たとい実の子供にても、
もはや二十歳以上に至ればしだいにその趣を改めざるを得ず。

 いわんや年すでに長じて大人となりたる他人と他人との間においてをや。

 とてもこの流儀にて交際の行なわるべき理なし。
いわゆる願うべくして行なわれ難きものとはこのことなり。

 さて今、
一国と言い、
一村と言い、
政府と言い、
会社と言い、
すべて人間の交際と名づくるものはみな大人と大人との仲間なり。

 他人と他人との付合いなり。
 この仲間付合いに実の親子の流儀を用いんとするもまた難きにあらずや。

 されども、たとい実には行なわれ難きことにても、
これを行のうてきわめて都合よからんと心に想像するものは、
その想像を実に施したく思うもまた人情の常にて、
すなわちこれ世に名分なるものの起こりて専制の行なわるる所以なり。
  
ゆえにいわく、
名分の本(もと)は悪念より生じたるにあらず、
想像によりてしいて造りたるものなり。

 アジヤ諸国においては、国君のことを民の父母と言い、
人民のことを臣子または赤子(せきし)と言い、
政府の仕事を牧民の職と唱えて、
支那には地方官のことを何州の牧と名づけたることあり。

 この牧の字は獣類を養うの義なれば、
一州の人民を牛羊のごとくに取り扱うつもりにて、
その名目を公然と看板に掛けたるものなり。

 あまり失礼なる仕方にはあらずや。

 かく人民を子供のごとく、
牛羊のごとく取り扱うといえども、
前段にも言えるとおり、
そのはじめの本意は必ずしも悪念にあらず、
かの実の父母が実の子供を養うがごとき趣向にて、
第一番に国君を聖明なるものと定め、
賢良方正の士を挙げてこれを輔(たす)け、
一片の私心なく半点の我欲なく、
清きこと水のごとく、
(なお)きこと矢のごとく、
己が心を推して人に及ぼし、
民を撫(ぶ)するに情愛を主とし、
饑饉(ききん)には米を給し、
火事には銭を与え、
扶助救育して衣食住の安楽を得せしめ、
(かみ)の徳化は南風の薫ずるがごとく、
民のこれに従うは草の靡(なび)くがごとく、
その柔らかなるは綿のごとく、
その無心なるは木石のごとく、
上下合体ともに太平を謡(うた)わんとするの目論見(もくろみ)ならん。

 実に極楽の有様を模写したるがごとし。

 されどもよく事実を考うれば、
政府と人民とはもと骨肉の縁あるにあらず、
実に他人の付合いなり。

 他人と他人との付合いには情実を用ゆべからず、
必ず規則約束なるものを作り、
互いにこれを守りて厘毛の差を争い、
双方ともにかえって円(まる)く治まるものにて、
これすなわち国法の起こりし所以なり。

 かつ右のごとく、
聖明の君と賢良の士と柔順なる民とその注文はあれども、
いずれの学校に入れば、
かく無疵(むきず)なる聖賢を造り出だすべきや、
なんらの教育を施せばかく結構なる民を得べきや、
唐人も周の世以来しきりにここに心配せしことならんが、
今日まで一度も注文どおりに治まりたる時はなく、
とどのつまりは今のとおりに外国人に押し付けられたるにあらずや。

 しかるにこの意味を知らずして、
きかぬ薬を再三飲むがごとく、
小刀細工の仁政を用い、
神ならぬ身の聖賢が、
その仁政に無理を調合してしいて御恩を蒙らしめんとし、
御恩は変じて迷惑となり、
仁政は化して苛法となり、
なおも太平を謡わんとするか。

 謡わんと欲せばひとり謡いて可なり。
 これを和する者はなかるべし。

 その目論見こそ迂遠なれ。
 実に隣ながらも捧腹(ほうふく)に堪えざる次第なり。

 この風儀はひとり政府のみに限らず、
商家にも、
学塾にも、
宮にも、
寺にも行なわれざるところなし。

 今その一例を挙げて言わん。
 店中に旦那が一番の物知りにて、
元帳を扱う者は旦那一人、
したがって番頭あり、
手代ありて、
おのおのその職分を勤むれども、
番頭・手代は商売全体の仕組みを知ることなく、
ただ喧(やかま)しき旦那の指図に任せて、
給金も指図次第、
仕事も指図次第、
商売の損得は元帳を見て知るべからず、
朝夕旦那の顔色を窺(うかが)い、
その顔に笑(え)みを含むときは商売の当たり、
眉の上に皺をよするときは商売の外(はず)れと推量するくらいのことにて、
なんの心配もあることなし。

 ただ一つの心配は己が預かりの帳面に筆の働きをもって
極内(ごくない)の仕事を行なわんとするの一事のみ。

 鷲(わし)に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、
律儀一偏の忠助と思いのほかに、
駆落(かけお)ちかまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、
(ほら)のごとき大穴をあけ、
はじめて人物の頼み難きを歎息するのみ。

 されどもこは人物の頼み難きにあらず、
専制の頼み難きなり。

旦那と忠助とは赤の他人の大人にあらずや。

 その忠助に商売の割合をば約束もせずして、
子供のごとくにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡(ふりょうけん)と言うべきなり。

 右のごとく上下貴賤の名分を正し、
ただその名のみを主張して専制の権を行なわんとするの原因よりして、
その毒の吹き出すところは人間に流行する欺詐(ぎさ)術策の容体なり。

 この病に罹(
かか)る者を偽君子と名づく。

 譬(たと)えば封建の世に大名の家来は表向きみな忠臣のつもりにて、
その形を見れば君臣上下の名分を正し、
辞儀をするにも敷居(しきい)一筋の内外(うちそと)を争い、
亡君の逮夜(たいや)には精進(しょうじん)を守り、
若殿の誕生には上下(かみしも)を着し、
年頭の祝儀、菩提所(ぼだいしょ)の参詣(さんけい)
一人も欠席あることなし。

 その口吻(こうふん)にいわく、
「貧は士の常、尽忠報国」
またいわく、
「その食を食(は)む者はその事に死す」などと、
たいそうらしく言い触らし、
すはといわば今にも討死(うちじに)せん勢いにて、
ひととおりの者はこれに欺かるべき有様なれども、
(ひそか)に一方より窺えば、
はたして例の偽君子なり。

 大名の家来によき役儀を勤むる者あれば、
その家に銭のできるは何ゆえぞ。

 定まりたる家禄と定まりたる役料にて一銭の余財も入るべき理なし。

 しかるに出入(しゅつにゅう)差引きして余りあるははなはだ怪しむべし。
 いわゆる役得にしもせよ、賄賂(わいろ)にもせよ、
旦那の物をせしめたるに相違はあらず。

 そのもっともいちじるしきものを挙げて言えば、
普請奉行が大工に割前(わりまえ)を促(うなが)し、
会計の役人が出入りの町人より付け届けを取るがごときは、
三百諸侯の家にほとんど定式(じょうしき)の法のごとし。

 旦那のためには御馬前に討死さえせんと言いし忠臣義士が、
その買物の棒先(ぼうさき)を切るとはあまり不都合ならずや。

 金箔付きの偽君子と言うべし。

 あるいはまれに正直なる役人ありて賄賂(わいろ)の沙汰も聞こえざれば、
前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、
その実はわずかに銭を盗まざるのみ。

 人に盗心なければとてさまで誉(ほ)むべきことにあらず。

 ただ偽君子の群集するその中に十人並みの人が雑(まじ)るゆえ、
格別に目立つまでのことなり。

 畢竟この偽君子の多きもその本(もと)を尋ぬれば古人の妄想にて、
世の人民をばみな結構人にして御しやすきものと思い込み、
その弊ついに専制抑圧に至り、
詰まるところは飼犬に手を噛(か)まるるものなり。

 返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。
 毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。
 恐るべきにあらずや。

 或る人いわく、
「かくのごとく人民不実の悪例のみを挙ぐれば際限もなきことなれども、
悉皆(しっかい)然るにもあらず。
わが日本は義の国にて、
古来義士の身を棄てて君のためにしたる例ははなはだ多し」と。

 答えていわく、
「まことに然り、古来義士なきにあらず、
ただその数少なくして算当に合わぬなり。

 元禄年中は義気の花盛りとも言うべき時代なり。
 この時に赤穂七万石の内に義士四十七名あり。
 七万石の領分におよそ七万の人口あるべし。
 七万の内に四十七あれば、
七百万の内には四千七百あるべし。

 物 換(か)わり星移り、
人情はしだいに薄く、
義気も落花の時節となりたるは、
世人の常に言うところにて相違もあらず。

 ゆえに元禄年中より人の義気に三割を減じて七掛けにすれば、
七百万につき三千二百九十の割合なり。

 今、日本の人口を三千万となし義士の数は一万四千百人なるべし。

 この人数にて日本国を保護するに足るべきや。
三歳の童子にも勘定(かんじょう)はできることならん」 

 右の議論によれば名分は丸つぶれの話なれども、
念のためここに一言を足さん。

 名分とは虚飾の名目を言うなり。
 虚名とあれば上下貴賤 悉皆(しっかい)無用のものなれども、
この虚飾の名目と実の職分とを入れ替えにして、
職分をさえ守ればこの名分も差しつかえあることなし。

 すなわち政府は一国の帳場にして、
人民を支配するの職分あり。 

 人民は一国の金主にして、
国用を給するの職分あり。

 文官の職分は政法を議定するにあり。
 武官の職分は命ずるところに赴きて戦うにあり。

 このほか、
学者にも町人にもおのおの定まりたる職分あらざるはなし。

 しかるに半解半知の飛び揚がりものが、
名分は無用と聞きて、
早くすでにその職分を忘れ、
人民の地位にいて政府の法を破り、
政府の命をもって人民の産業に手を出だし、
兵隊が政(まつりごと)を議してみずから師(いくさ)を起こし、
文官が腕の力に負けて武官の指図に任ずる等のことあらば、
これこそ国の大乱ならん。

 自主自由のなま噛(かじ)りにて無政無法の騒動なるべし。

 名分と職分とは文字こそ相似たれ、
その趣意はまったく別物なり。

 学者これを誤り認むることなかれ。

 


福澤諭吉「学問のすすめ」第十編 (前編の続き)中津の旧友に贈る  

2023-04-07 16:53:02 | 福澤諭吉

福澤諭吉 「学問のすすめ」 

 

 十編 (前編のつづき)中津の旧友に贈る 

 

 前編に学問の旨を二様に分けてこれを論じ、
その議論を概すれば、
「人たるものはただ一身一家の衣食を給し、
もってみずから満足すべからず、
人の天性にはなおこれよりも高き約束あるものなれば、
人間交際の仲間に入り、
その仲間たる身分をもって世のために勉(つと)むるところなかるべからず」との趣意を述べたるなり。


 学問するには、その志を高遠にせざるべからず。
飯を炊(た)き、風呂の火を焚(た)くも学問なり。
天下の事を論ずるもまた学問なり。

 されども一家の世帯は易(やす)くして、
天下の経済は難(かた)し。

  およそ世の事物、
これを得るに易きものは貴からず。
 物の貴き所以(ゆえん)はこれを得るの手段難ければなり。

 私(ひそか)に案ずるに、
今の学者あるいはその難を棄(す)てて易きにつくの弊あるに似たり。
昔封建の世においては、
学者あるいは所得あるも、
天下の事みなきりつめたる有様にて、
その学問を施すべき場所なければ、
やむをえずして学びしうえにもまた学問を勉め、
その学風はよろしからずといえども、
読書に勉強して、
その博識なるは今人(こんじん)の及ぶところにあらず。

 今の学者はすなわち然らず。
したがって学べばしたがってこれを実地に施すべし。

 たとえば洋学生、三年の修業をすればひととおりの歴史・窮理書を知り、
すなわち洋学教師と称して学校を開くべし、
また人に雇われて教授すべし、
あるいは政府に仕えて大いに用いらるべし。

 なおこれよりも易きことあり。
当時流行の訳書を読み、
世間に奔走して内外の新聞を聞き、
機に投じて官につけば、
すなわち厳然たる官員なり。

 かかる有様をもって風俗を成さば、
世の学問はついに高尚の域に進むことなかるべし。

 筆端少しく卑劣にわたり、
学者に向かいて言うべきことにあらずといえども、
銭の勘定をもってこれを説かん。

 学塾に入りて修業するには一年の費(つい)え百円に過ぎず、
三年の間に三百円の元入れを卸し、
すなわち一月に五、七十円の利益を得るは、
洋学生の商売なり。

 かの耳の学問にて官員となる者はこの三百円の元入れをも費やさざれば、
その得るところの月給は正味手取りの利益なり。


 世間諸商売のうちにかかる割合の大利を得るものあるべきや、
高利貸といえどもこれに三舎を譲るべし。

 もとより物価は世の需要の多寡により高低あるものにて、
方今、政府をはじめ諸方にて洋学者流を求むること急なるがため、
この相場の景気をも生じたるものなれば、
あえてその人を奸(かん)なりとて咎(とが)むるにあらず、
またこれを買う者を愚なりとて謗(そし)るにあらず、
ただわが輩の存意には、
この人をしてなお三、五年の艱苦(かんく)を忍び真に実学を勉強して後に事につかしめなば、
大いに成すこともあらんと思うのみ。

 かくありてこそ日本全国に分布せる智徳に力を増して、
はじめて西洋諸国の文明と鋒(ほこさき)
を争うの場合に至るべきなり。


 今の学者何を目的として学問に従事するや。
 不覊(ふき)独立の大義を求むると言い、
自主自由の権義を恢復すると言うにあらずや。

 すでに自由独立と言うときは、
その字義の中におのずからまた義務の考えなかるべからず。

  独立とは一軒の家に住居して他人へ衣食を仰がずとの義のみにあらず。
 こはただ内の義務なり。

 なお一歩を進めて外の義務を論ずれば、
日本国に居て日本人たる名を恥ずかしめず、
国中の人とともに力を尽くし、
この日本国をして自由独立の地位を得せしめ、
はじめて内外の義務を終わりたりと言うべし。

 ゆえに一軒の家に居てわずかに衣食する者は、
これを一家独立の主人と言うべし、
いまだ独立の日本人と言うべからず。


 試みに見よ、
方今、天下の形勢、
文明はその名あれどもいまだその実を見ず、
外の形は備われども内の精神は耗(むな)し。

 今のわが海陸軍をもって西洋諸国の兵と戦うべきや、
けっして戦うべからず。

 今のわが学術をもって西洋人に教ゆべきや、
けっして教ゆべきものなし。

 かえってこれを彼に学んでなおその及ばざるを恐るるのみ。

 外国に留学生あり、
内国に雇いの教師あり、
政府の省・寮・学校より、
諸府諸港に至るまで、
大概みな外国人を雇わざるものなし。

 あるいは私立の会社・学校の類といえども、
新たに事を企つるものは必ずまず外国人を雇い、
過分の給料を与えてこれに依頼するもの多し。

 彼の長を取りてわが短を補うとは人の口吻(こうふん)なれども、
今の有様を見れば我は悉皆(しっかい)短にして彼は悉皆長なるがごとし。


 もとより数百年来の鎖国を開きて、
とみに文明の人に交わることなれば、
その状あたかも火をもって水に接するがごとく、
この交際を平均せしめんがためには、
あるいは彼の人物を雇い、
あるいは彼の器品を買いて、
もって急須の欠を補い、
水火相触るるの動乱を鎮静するは必ずやむをえざるの勢いなれば、
一時の供給を彼に仰ぐも国の失策と言うべからず。

 然りといえども、
他国の物を仰いで自国の用を便ずるは、
もとより永久の計にあらず、
ただこれを一時の供給とみなして強いてみずから慰むるのみなれども、
その一時なるものはいずれの時に終わるべきや。

 その供給を他に仰がずしてみずから供するの法はいかがして得べきや。
 これを期することはなはだ難し。


 ただ、今の学者の成業を待ち、
この学者をして自国の用を便ぜしむるのほか、
さらに手段あるべからず。

 すなわちこれ学者の身に引き受けたる職分なれば、
その責(せ)め急なりと言うべし。

 今わが国内に雇い入れたる外国人は、
わが学者未熟なるがゆえにしばらくその名代を勤めしむるものなり。

 今わが国内に外国の器品を買い入るるは、
わが国の工業拙なるがゆえにしばらく銭と交易して用を便ずるものなり。

 この人を雇いこの品を買うがために金を費やすは、
わが学術のいまだ彼に及ばざるがために日本の財貨を外国へ棄つることなり。
国のためには惜しむべし。

学者の身となりては慚(は)ずべし。
かつ人として前途の望みなかるべからず、
望みあらざれば世に事を勉むる者なし。

 明日の幸を望んで今日の不幸をも慰むべし。
来年の楽を望んで今年の苦をも忍ぶべし。

 昔日は世の事物みな旧格に制せられて
有志の士といえども望みを養うべき目的なかりしが、
今や然らず、
この制限を一掃せしより後は、
あたかも学者のために新世界を開きしがごとく、
天下ところとして事をなすの地位あらざるはなし。


 農となり、商となり、学者となり、官員となり、
書を著わし、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起こすべし、
議院も開くべし、
百般の事業行なうべからざるものなし。

 しかもこの事業を成し得て、
国中の兄弟(けいてい)相 鬩(
せめ)ぐにあらず、
その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり、
この智戦に利あればすなわちわが国の地位を高くすべし。

 これに敗すればわが地位を落とすべし。

  その望み大にして期するところ明らかなりと言うべし。

 もとより天下の事を現に施行するには前後緩急あるべしといえども、
到底この国に欠くべからざるの事業は、
人々の所長によりて今より研究せざるべからず。

 いやしくも処世の義務を知る者は、
この時に当たりてこの事情を傍観するの理なし。
 学者勉めざるべからず。


 これによりて考うれば、
今の学者たる者はけっして尋常学校の教育をもって満足すべからず、
その志を高遠にして学術の真面目に達し、
不覊独立もって他人に依頼せず、
あるいは同志の朋友なくば一人にてこの日本国を維持するの気力を養い、
もって世のために尽くさざるべからず。

 余輩もとより和漢の古学者流が人を治むるを知りて
みずから修むるを知らざる者を好まず。

 これを好まざればこそ、
この書の初編より人民同権の説を主張し、
人々みずからその責めに任じて
みずからその力に食(は)むの大切なるを論じたれども、
この自力に食むの一事にては
いまだわが学問の趣意を終われりとするに足らず。


 これを譬(たと)えば、ここに沈湎冒色(ちんめんぼうしょく)
放蕩無頼の子弟あらん。

 これを御するの法いかがすべきや。
これを導きて人となさんとするには、
まずその飲酒を禁じ遊冶(ゆうや)を制し、
しかる後に相当の業につかしむることなるべし。

 その飲酒、遊冶を禁ぜざるの間は、
いまだともに家業の事を語るべからず。

 されども人にして酒色に耽(ふけ)らざればとて、
これをその人の徳義と言うべからず。

 ただ世の害をなさざるのみにて、
いまだ無用の長物たるの名は免れ難し。

 その飲酒、遊冶を禁じたるうえ、
またしたがって業につき、
身を養い、家に益することありて、
はじめて十人並みの少年と言うべきなり。

 自食の論もまたかくのごとし。


 わが国士族以上の人、
数千百年の旧習に慣れて、
衣食の何ものたるを知らず、
富有のよりて来たるところを弁ぜず、
傲然(ごうぜん)みずから無為に食して、
これを天然の権義と思い、
その状あたかも沈湎冒色、
前後を忘却する者のごとし。

 この時に当たり、この輩の人に告ぐるに何事をもってすべきや。

 ただ自食の説を唱えて、その酔夢を驚かすのほか手段なかるべし。

 この流の人に向かいて豈(あに)高尚の学を勧むべけんや。
 世を益するの大義を説くべけんや。

 たといこれに説き勧むるも、
夢中学に入れば、
その学問もまた夢中の夢のみ。

 すなわちこれわが輩がもっぱら自食の説を主張して、
いまだ真の学問を勧めざりし所以なり。

 ゆえにこの説は、
あまねく徒食の輩に告ぐるものにて、
学者に諭(さと)すべき言にあらず。


 しかるに聞く、
近日中律の旧友、
学問につく者のうち、
まれには学業いまだ半ばならずして早くすでに生計の道を求むる人ありと。

 生計もとより軽んずべからず。

 あるいはその人の才に長短もあることなれば、
後来の方向を定むるはまことに可なりといえども、
もしこの風を互いに相倣(あいなら)い、
ただ生計をこれ争うの勢いに至らば、
俊英の少年はその実を未熟に残(そこな)うの恐れなきにあらず。

 本人のためにも悲しむべし、
天下のためにも惜しむべし。

 かつ生計難しといえども、
よく一家の世帯を計れば、
早く一時に銭を取りこれを費やして小安を買わんより、
力を労して倹約を守り大成の時を待つに若(し)かず。

 学問に入らば大いに学問すべし。
 農たらば大農となれ、
商たらば大商となれ。

 学者小安に安んずるなかれ。

 粗衣粗食、寒暑を憚(はばか)らず、米も搗(つ)くべし、
薪も割るべし。

 学問は米を搗きながらもできるものなり。
人間の食物は西洋料理に限らず、
麦飯を食らい味噌汁を啜(すす)り、
もって文明の事を学ぶべきなり。

 


福澤諭吉「学問のすすめ」第九編 中津の旧友に贈る文

2023-04-07 16:41:55 | 福澤諭吉

福澤諭吉「学問のすすめ」   

 九編
中津の旧友に贈る文
 

 人の心身の働きを細かに見れば、
これを分かちて二様に区別すべし。

第一は一人たる身につきての働きなり。
第二は人間交際の仲間に居(お)り、
その交際の身につきての働きなり。

 第一 心身の働きをもって衣食住の安楽を致すもの、
これを一人の身につきての働きと言う。

然りといえども天地間の万物、
一として人の便利たらざるものなし。
一粒の種を蒔(ま)けば二、三百倍の実を生じ、
深山の樹木は培養せざるもよく成長し、
風はもって車を動かすべし、
海はもって運送の便をなすべし、
山の石炭を掘り、
河海の水を汲み、
火を点じて蒸気を造れば重大なる舟車を自由に進退すべし。

 このほか造化の妙工を計れば枚挙に遑(いとま)あらず。

人はただこの造化の妙工を藉(か)り、
わずかにその趣を変じてもってみずから利するなり。 

ゆえに人間の衣食住を得(う)るは、
すでに造化の手をもって九十九分(ぶ)
の調理を成したるものへ、
人力にて一分を加うるのみのことなれば、
人はこの衣食住を造ると言うべからず、
その実は路傍に棄(す)てたるものを拾い取るがごときのみ。
 

 ゆえに人としてみずから衣食住を給するは難(かた)きことにあらず。

 この事を成せばとて、
あえて誇るべきにあらず。

 もとより独立の活計は人間の一大事、
「汝の額の汗をもって汝の食(めし)を食(く)らえ」とは古人の教えなれども、
余が考えには、
この教えの趣旨を達したればとていまだ人たるものの務めを終われりとするに足らず。

この教えはわずかに人をして禽獣に劣ることなからしむるのみ。

 試みに見よ。
禽獣
魚虫、みずから食を得ざるものなし。
ただにこれを得て一時の満足を取るのみならず、
蟻のごときははるかに未来を図り、
穴を掘りて居処を作り、
冬日の用意に食料を貯
たくわ)うるにあらずや。
 

 しかるに世の中にはこの蟻の所業をもってみずから満足する人あり。

 今その一例を挙げん。
 男子年長じて、
あるいは工につき、
あるいは商に帰し、
あるいは官員となりて、
ようやく親類朋友の厄介たるを免れ、
相応に衣食して他人へ不義理の沙汰もなく、
借屋にあらざれば自分にて手軽に家を作り、
家什(かじゅう)はいまだ整わずとも細君だけはまずとりあえずとて、
望みのとおりに若き婦人を娶(めと)り、
身の治まりもつきて倹約を守り、
子供は沢山に生まれたれども
教育もひととおりのことなればさしたる銭もいらず、

 不時病気等の入用に三十円か五十円の金にはいつも差しつかえなくして、
細く永く長久の策に心配し、
とにもかくにも一軒の家を守る者あれば、
みずから独立の活計を得たりとて得意の色をなし、
世の人もこれを目して不覊(ふき)独立の人物と言い、
過分の働きをなしたる手柄もののように称すれども、
その実は大なる間違いならずや。

 この人はただ蟻の門人と言うべきのみ。

 生涯の事業は蟻の右に出(い)ずるを得ず。

 その衣食を求め家を作るの際に当たりては、
額に汗を流せしこともあらん、
胸に心配せしこともあらん、
古人の教えに対して恥ずることなしといえども、
その成功を見れば万物の霊たる人の目的を達したる者と言うべからず。

 右のごとく一身の衣食住を得てこれに満足すべきものとせば、
人間の渡世はただ生まれて死するのみ、
その死するときの有様は生まれしときの有様に異ならず。

 かくのごとくして子孫相伝えなば、
幾百代を経(ふ)るも一村の有様は旧(もと)の一村にして、
世上に公の工業を起こす者なく、
船をも造らず、
橋をも架せず、
一身一家の外は悉皆(しっかい)天然に任せて、
その土地に人間生々の痕跡を遺(のこ)すことなかるべし。

 西人言えることあり、
「世の人みなみずから満足するを知りて小安に安んぜなば、
今日の世界は開闢(かいびゃく)
のときの世界にも異なることなかるべし」と。
 このことまことに然り。

 もとより満足に二様の区別ありてその界を誤るべからず。

 一を得てまた二を欲し、
したがって足ればしたがって不足を覚え、
ついに飽くことを知らざるものはこれを欲と名づけ、
あるいは野心と称すべしといえども、
わが心身の働きを拡(おしひろ)めて達すべきの目的を達せざるものは
これを蠢愚(しゅんぐ)と言うべきなり。

 第二 人の性は群居を好み、
      けっして独歩孤立するを得ず。

 夫婦親子にてはいまだこの性情を満足せしむるに足らず、
必ずしも広く他人に交わり、
その交わりいよいよ広ければ一身の幸福いよいよ大なるを覚ゆるものにて、
すなわちこれ人間交際の起こる所以なり。

 すでに世間に居(い)てその交際中の一人となれば、
またしたがってその義務なかるべからず。

 およそ世に学問と言い、
工業と言い、
政治と言い、
法律と言うも、
みな人間交際のためにするものにて、
人間の交際あらざればいずれも不用のものたるべし。

 政府なんの所以をもって法律を設くるや、
悪人を防ぎ善人を保護し、
もって人間の交際を全からしめんがためなり。

 学者なんの所以をもって書を著述し、人を教育するや。

 後進の智見を導きて、もって人間の交際を保たんがためなり。

 往古或る支那人の言に、
「天下を治むること肉を分かつがごとく公平ならん」と言い、
「また庭前の草を除くよりも天下を掃除せん」と言いしも、
みな人間交際のために益をなさんとするの志を述べたるものにて、
およそ何人(なんぴと)にてもいささか身に所得あれば
これによりて世の益をなさんと欲するは人情の常なり。

 あるいは自分には世のためにするの意なきも、
知らず識(し)らずして後世、
子孫みずからその功徳を蒙(こうむ)ることあり。

 人にこの性情あればこそ人間交際の義務を達し得るなり。

 古(いにしえ)より世にかかる人物なかりせば、
わが輩今日に生まれて今の世界中にある文明の徳沢を蒙るを得ざるべし。

 親の身代を譲り受くればこれを遺物と名づくといえども、
この遺物はわずかに地面、家財等のみにて、
これを失えば失うて跡(あと)なかるべし。

 世の文明はすなわち然らず。
世界中の古人を一体にみなし、
この一体の古人より今の世界中の人なるわが輩へ譲り渡したる遺物なれば、
その洪大なること地面、家財の類にあらず。

 されども今、誰に向かいて現にこの恩を謝すべき相手を見ず。
 これを譬(たと)えば人生に必要なる日光、空気を得るに銭を須(もち)いざるがごとし。
 その物は貴しといえども、所持の主人あらず。
 ただこれを古人の陰徳恩賜と言うべきのみ。


 開闢のはじめには人智いまだ開けず。
 その有様を形容すれば、
あたかも初生の小児にいまだ智識の発生を見ざるもののごとし。
 譬えば麦を作りてこれを粉にするには、
天然の石と石とをもってこれを搗(つ)き砕きしことならん。

 その後或る人の工夫にて二つの石を円(まる)く平たき形に作り、
その中心に小さき孔(あな)を掘りて、
一つの石の孔に木か金の心棒をさし、
この石を下に据えてその上に一つの石を重ね、
下の石の心棒を上の石の孔にはめ、
この石と石との間に麦を入れて上の石を回し、
その石の重さにて麦を粉にする趣向を設けたることならん。

 すなわちこれ挽碓ひきうす)なり。
 古はこの挽碓を人の手にて回すことなりしが、
後世に至りては碓の形をもしだいに改め、
あるいはこれを水車、風車に仕掛け、
あるいは蒸気の力を用うることとなりて、
しだいに便利を増したるなり。

 何事もこのとおりにて、
世の中の有様はしだいに進み、
昨日便利とせしものも今日は迂遠(うえん)となり、
去年の新工夫も今年は陳腐に属す。

 西洋諸国日新の勢いを見るに、
電信・蒸気・百般の器械、
したがって出ずればしたがって面目を改め、
日に月に新奇ならざるはなし。

 ただに有形の器械のみ新奇なるにあらず、
人智いよいよ開くれば交際いよいよ広く、
交際いよいよ広ければ人情いよいよ和らぎ、
万国公法の説に権を得て、
戦争を起こすこと軽率ならず、
経済の議論盛んにして政治・商売の風を一変し、
学校の制度、
著書の体裁、
政府の商議、
議院の政談、
いよいよ改むればいよいよ高く、
その至るところの極を期すべからず。

 試みに西洋文明の歴史を読み、
開闢の時より紀元一六〇〇年代に至りて巻を閉ざし、
二百年の間を超えて、
とみに一八〇〇年代の巻を開きてこれを見ば、
誰かその長足の進歩に驚駭(きょうがい)せざるものあらんや。

 ほとんど同国の史記とは信じ難かるべし。

 然りしこうしてその進歩をなせし所以(ゆえん)の本(もと)を尋ぬれば、
みなこれ古人の遺物、
先進の賜(たまもの)なり。

 わが日本の文明も、
そのはじめは朝鮮・支那より来たり、
爾来
(じらい)わが国人の力にて切磋琢磨
もって近世の有様に至り、
洋学のごときはその源
(みなもと)遠く宝暦年間にあり
 〔『蘭学事始』 という版本を見るべし〕。

 輓近(ばんきん)外国の交際始まりしより、
西洋の説ようやく世上に行なわれ、
洋学を教うる者あり、
洋書を訳する者あり、
天下の人心さらに方向を変じて、これがため政府をも改め、
諸藩をも廃して、
今日の勢いになり、
重ねて文明の端を開きしも、
これまた古人の遺物、
先進の賜と言うべし。

 右所論のごとく、
古の時代より有力の人物、
心身を労して世のために事をなす者少なからず。

 今この人物の心事を想うに、
(あに)衣食住の饒(ゆた)かなるをもってみずから足れりとする者ならんや。

  人間交際の義務を重んじて、
その志すところけだし高遠にあるなり。

 今の学者はこの人物より文明の遺物を受けて、
まさしく進歩の先鋒に立ちたるものなれば、
その進むところに極度あるべからず。

 今より数十の星霜を経て後の文明の世に至れば、
また後人をしてわが輩の徳沢(とくたく)を仰ぐこと、
今わが輩が古人を崇(とうと)むがごとくならしめざるべからず。

 概してこれを言えば、
わが輩の職務は今日この世に居(お)り、
わが輩の生々したる痕跡を遺(のこ)して遠くこれを後世子孫に伝うるの一事にあり。
 その任また重しと言うべし。

 豈(あに)ただ数巻の学校本を読み、
商となり工となり、
小吏となり、
年に数百の金を得てわずかに妻子を養いもってみずから満足すべけんや。

 こはただ他人を害せざるのみ、
他人を益する者にあらず。
 かつ事をなすには時に便不便あり、
いやしくも時を得ざれば有力の人物も
その力を逞(たくま)しゅうすること能(あたわず。
 古今その例少なからず。

 近くはわが旧里にも俊英の士君子ありしは明らかにわが輩の知るところなり。
 もとより今の文明の眼をもってこの士君子なる者を評すれば、
その言行あるいは方向を誤るもの多しといえども、
こは時論の然らしむるところにて、
その人の罪にあらず、
その実は事をなすの気力に乏しからず。

  ただ不幸にして時に遇(あ)わず、
空しく宝を懐(ふところにして生涯を渡り、
あるいは死しあるいは老し、
ついに世上の人をして
大いにその徳を蒙らしむるを得ざりしは遺憾と言うべきのみ。

 今やすなわち然らず。

 前にも言えるごとく、
西洋の説ようやく行なわれてついに旧政府を倒し諸藩を廃したるは、
ただこれを戦争の変動とみなすべからず。
文明の功能はわずかに一場の戦争をもってやむべきものにあらず。

 ゆえにこの変動は戦争の変動にあらず、
文明に促(うなが)されたる人心の変動なれば、
かの戦争の変動はすでに七年前にやみてその跡なしといえども、
人心の変動は今なお依然たり。

 およそ物動かざればこれを導くべからず。
学問の道を首唱して天下の人心を導き、
推してこれを高尚の域に進ましむるには、
とくに今の時をもって好機会とし、
この機会に逢う者はすなわち今の学者なれば、
学者世のために勉強せざるべからず。  


  以下十編につづく。


福澤諭吉「学問のすすめ」第八編 わが心をもって他人の身を制すべからず 

2023-04-07 16:14:18 | 福澤諭吉

福澤諭吉
 


 八編 
わが心をもって
     他人の身を制すべからず
 

 アメリカのエイランドなる人の著わしたる『モラル・サイヤンス』という書に、
人の身心の自由を論じたることあり。

  その論の大意にいわく、
人の一身は他人と相離れて一人前の全体をなし、
みずからその身を取り扱い、
みずからそ心を用い、
みずから一人を支配して、
務むべき仕事を務むるはずのものなり。

 ゆえに、
第一、人にはおのおの身体あり。

身体はもって外物に接し、
その物を取りてわが求むるところを達すべし。

 譬たと)えば種を蒔(ま)きて米を作り、
綿を取りて衣服を製するがごとし。

 第二、人にはおのおの智恵あり。
 智恵はもって物の道理を発明し、
事を成すの目途を誤ることなし。

 譬えば米を作るに肥(こや)しの法を考え、
木綿を織るに機(はた)の工夫をするがごとし。
 みな智恵分別の働きなり。

 第三、人にはおのおの情欲あり。

 情欲はもって心身の働きを起こし、
この情欲を満足して一身の幸福をなすべし。

 たとえば人として美服美食を好まざる者なし。
 されどもこの美服美食はおのずから天地の間に生ずるものにあらず。
 これを得んとするには人の働きなかるべからず。

 ゆえに人の働きはたいていみな情欲の催促を受けて起こるものなり。
 この情欲あらざれば働きあるべからず、
この働きあらざれば安楽の幸福あるべからず。

 禅坊主などは働きもなく幸福もなきものと言うべし。


 第四、人にはおのおの至誠の本心あり。

 誠の心はもって情欲を制し、
その方向を正しくして止まるところを定むべし。

 たとえば情欲には限りなきものにて、
美服美食もいずれにて十分と界(さかい)を定め難し。
 今もし働くべき仕事をば捨て置き、
ひたすらわが欲するもののみを得んとせば、
他人を害してわが身を利するよりほかに道なし。

 これを人間の所業と言うべからず。
 この時に当たりて欲と道理とを分別し、
欲を離れて道理の内に入らしむるものは誠の本心なり。

 第五、人にはおのおの意思あり。

 意思はもって事をなすの志を立つべし。
 譬えば世の事は怪我の機(はずみ)にてできるものなし。
 善き事も悪き事もみな人のこれをなさんとする意ありてこそできるものなり。


 以上、五つのものは人に欠くべからざる性質にして、
この性質を自由自在に取り扱い、
もって一身の独立をなすものなり。

 さて独立といえば、
ひとり世の中の偏人奇物にて世間の付合いもなき者のように聞こゆれども、
けっして然らず。

 人として世に居(お)れば、
もとより朋友なかるべからずといえども、
その朋友もまたわれに交わりを求むること
なおわが朋友を慕うがごとくなれば、
世の交わりは相互いのことなり。

 ただこの五つの力を用うるに当たり、
天より定めたる法に従いて、
分限を越えざること緊要なるのみ。

 すなわちその分限とは、
我もこの力を用い、
他人もこの力を用いて、
相互にその働きを妨げざるを言うなり。

 かくのごとく、
人たる者の分限を誤らずして世を渡るときは、
人に咎(とが)めらるることもなく、
天に罪せらるることもなかるべし。

 これを人間の権義と言うなり。

 右の次第により、
人たる者は他人の権義を妨げざれば、
自由自在に己(おの)が身体を用うるの理あり。

 その好むところに行き、
その欲するところに止まり、
あるいは働き、あるいは遊び、
あるいはこの事を行ない、
あるいはかの業をなし、
あるいは昼夜勉強するも、
あるいは意に叶わざれば無為にして終日寝るも、
他人に関係なきことなれば、
(かたわら)よりかれこれとこれを議論するの理なし。


 今もし前の説に反し、
「人たる者は理非にかかわらず他人の心に従いて事をなすものなり、
わが了簡を出だすはよろしからず」という議論を立つる者あらん。

 この議論はたして理の当然なるか。
 理の当然ならば
およそ人と名のつきたる者の住居する世界には通用すべきはずなり。

 仮りにその一例を挙げて言わん。
禁裏さまは公方(くぼう)さまよりも貴きものなるゆえ、
禁裏さまの心をもって公方さまの身を勝手次第に動かし、
行かんとすれば「止(と)まれ」と言い、
止まらんとすれば「行け」と言い、
寝るも起きるも飲むも食うもわが思いのままに行なわるることなからん。

 公方さまはまた手下の大名を制し、
自分の心をもって大名の身を自由自在に取り扱わん。

 大名はまた自分の心をもって家老の身を制し、
家老は自分の心をもって用人の身を制し、
用人は徒士(かち)を制し、
徒士は足軽を制し、
足軽は百姓を制するならん。

 さて百姓に至りてはもはや目下の者もあらざれば少し当惑の次第なれども、
元来この議論は人間世界に通用すべき当然の理に基づきたるものなれば、
百万遍の道理にて、回れば本(もと)に返らざるを得ず。

 「百姓も人なり、禁裏さまも人なり、遠慮はなし」と御免を蒙り、
百姓の心をもって禁裏さまの身を勝手次第に取り扱い、
行幸あらんとすれば「止まれ」と言い、
行在(あんざい)に止まらんとすれば「還御(かんぎょ)」と言い、
起居眠食、
みな百姓の思いのままにて、
金衣玉食を廃して麦飯を進むるなどのことに至らば如何。

 かくのごときはすなわち日本国中の人民、
身みずからその身を制するの権義なくしてかえって他人を制するの権あり。

 人の身と心とはまったくその居処を別にして、
その身はあたかも他人の魂を止むる旅宿のごとし。

 下戸(げこ)の身に上戸の魂を入れ、
子供の身に老人の魂を止め、
盗賊の魂は孔夫子の身を借用し、
猟師の魂は釈迦の身に旅宿し、
下戸が酒を酌(く)んで愉快を尽くせば、
上戸は砂糖湯を飲んで満足を唱え、
老人が樹に攀(よ)じて戯るれば、
子供は杖をついて人の世話をやき、
孔夫子が門人を率いて賊をなせば、
釈迦如来は鉄砲を携えて殺生せっしょう)に行くならん。

 奇なり、妙なり、また不可思議なり。

 これを天理人情と言わんか、
これを文明開化と言わんか。

 三歳の童子にてもその返答は容易なるべし。
数千百年の古(いにしえ)より和漢の学者先生が、
上下貴賤の名分とて喧(やかま)しく言いしも、
つまるところは他人の魂をわが身に入れんとするの趣向ならん。

 これを教えこれを説き、
涙を流してこれを諭
(さと)し、
末世の今日に至りてはその功徳もようやく顕われ、
大は小を制し強は弱を圧するの風俗となりたれば、
学者先生も得意の色をなし、
神代の諸尊、周の世の聖賢も、
草葉の蔭にて満足なるべし。

 いまその功徳の一、二を挙げて示すこと左のごとし。

 政府の強大にして小民を制圧するの議論は、
前編にも記したるゆえここにはこれを略し、
まず人間男女の間をもってこれを言わん。

 そもそも世に生まれたる者は、
男も人なり女も人なり。

 この世に欠くべからざる用をなすところをもって言えば、
天下一日も男なかるべからず、
また女なかるべからず。

 その功能いかにも同様なれども、
ただその異なるところは、
男は強く女は弱し。

 大の男の力にて女と闘わば必ずこれに勝つべし。
 すなわちこれ男女の同じからざるところなり。

 いま世間を見るに、
力ずくにて人の物を奪うか、
または人を恥ずかしむる者あれば、
これを罪人と名づけて刑にも行なわるることあり。

 しかるに家の内にては公然と人を恥ずかしめ、
かつてこれを咎むる者なきはなんぞや。

 『女大学』 という書に、
「婦人に三従の道あり、稚
おさな)き時は父母に従い、
(よめ)いる時は夫に従い老いては子に従うべし」と言えり。

 稚き時に父母に従うは尤(もっと)もなれども、
嫁いりて後に夫に従うとはいかにしてこれに従うことなるや、
その従うさまを問わざるべからず。

 『女大学』の文によれば、
亭主は酒を飲み、
女郎に耽
(ふけ)り、
妻をののしり子を叱りて、
放蕩淫乱を尽くすも、
婦人はこれに従い、
この淫夫
(いんぷ)を天のごとく敬い尊み、
顔色を和らげ、
悦ばしき言葉にてこれを意見すべしとのみありて、
その先の始末をば記さず。

 さればこの教えの趣意は、
淫夫にても姦夫
(かんぷ)にてもすでに己(おのが夫と約束したるうえは、
いかなる恥辱を蒙
(こうむ)るもこれに従わざるをえず、
ただ心にも思わぬ顔色を作りて諫(いさ)むるの権義あるのみ。

 その諫めに従うと従わざるとは淫夫の心次第にて、
すなわち淫夫の心はこれを天命と思うよりほかに手段あることなし。

 仏書に罪業深き女人ということあり。
 実にこの有様を見れば、
女は生まれながら大罪を犯したる科人
(とがにん)に異ならず。
  
 また一方より婦人を責むることはなはだしく、
『女大学』に婦人の七去とて、
「淫乱なれば去る」と明らかにその裁判を記せり。

 男子のためには大いに便利なり。
あまり片落ちなる教えならずや。

 畢竟、男子は強く婦人は弱しというところより、
腕の力を本(もとにして男女上下の名分を立てたる教えなるべし。

 右は姦夫淫婦の話なれども、
またここに妾
の議論あり。

 世に生まるる男女の数は同様なる理なり。
西洋人の実験によれば、
男子の生まるることは女子よりも多く、
男子二十二人に女子二十人の割合なりと。

 されば一夫にて二、三の婦人を娶
(めと)るはもとより天理に背くこと明白なり。

 これを禽獣と言うも妨げなし。
 父をともにし母をともにする者を兄弟と名づけ、
父母兄弟ともに住居するところを家と名づく。

 しかるに今、兄弟、父をともにして母を異にし、
一父独立して衆母は群を成せり。

 これを人類の家と言うべきか。

 家の字の義を成さず。
 たといその楼閣は巍々
(ぎぎ)たるも、
その宮室は美麗なるも、
余が眼をもってこれを見れば人の家にあらず、
畜類の小屋と言わざるを得ず。

 妻妾(さいしょう)
家に群居して家内よく熟和するものは、
古今いまだその例を聞かず。

 妾といえども人類の子なり。

 一時の欲のために人の子を禽獣のごとくに使役し、
一家の風俗を乱りて子孫の教育を害し、
禍を天下に流して毒を後世に遺
(のこ)すもの、
(あに)これを罪人と言わざるべけんや。

 人あるいはいわく、
「衆妾を養うもその処置よろしきを得
(う)れば人情を害することなし」と。

 こは夫子みずから言うの言葉なり。
 もしそれはたして然らば、
一婦をして衆夫を養わしめ、
これを男妾と名づけて家族第二等親の位にあらしめなば如何
(いかん)

 かくのごとくしてよくその家を治め、
人間交際の大義に毫
(ごう)も害することなくば、
余が喋々
(ちょうちょう)の議論をもやめ、
口を閉ざしてまた言わざるべし。

天下の男子よろしくみずから顧みるべし。

 或る人またいわく、
「妾を養うは後あらしめんがためなり、
孟子
の教えに不孝に三つあり、
後なきを大なりとす」と。

 余答えていわく、
天理に戻
(もと)ることを唱うる者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、
これを罪人と言いて可なり。

 妻を娶(めと)り、
子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。

 遁辞
(とんじ)と言うもあまりはなはだしからずや。

 いやしくも人心を具えたる者なれば、
誰か孟子の妄言
(ぼうげん)を信ぜん。

 元来不孝とは、
子たる者にて理に背(そむ)きたることをなし、
親の身心をして快からしめざることを言うなり。

 もちろん老人の心にて孫の生まるるは悦ぶことなれども、
孫の誕生が晩
(おそ)しとて、
これをその子の不幸と言うべからず。

 試みに天下の父母たる者に問わん。

 子に良縁ありてよき嫁を娶り、
孫を生まずとてこれを怒り、
その嫁を叱り、
その子を笞
(むち)うち、
あるいはこれを勘当せんと欲するか。

 世界広しといえどもいまだかかる奇人あるを聞かず、
これらはもとより空論にて弁解を費やすにも及ばず。
人々みずからその心に問いてみずからこれに答うべきのみ。

 親に孝行するはもとより人たる者の当然、
老人とあれば他人にてもこれを丁寧にするはずなり。

 まして自分の父母に対し情を尽くさざるべけんや。
利のためにあらず、
名のためにあらず、
ただ己が親と思い、
天然の誠をもってこれに孝行すべきなり。

 古来和漢にて孝行を勧めたる話ははなはだ多く、
『二十四孝』をはじめとして
そのほかの著述書も計(かぞ)うるに遑いとま)あらず。

 しかるにこの書を見れば、
十に八、九は人間にでき難きことを勧むるか、
または愚にして笑うべきことを説くか、
はなはだしきは理に背きたることを誉(ほ)めて孝行とするものあり。

 寒中に裸体にて氷の上に臥(ふ)
その解くるを待たんとするも人間にできざることなり。

 夏の夜に自分の身に酒を灌(そそ)ぎて蚊に食われ親に近づく蚊を防ぐより、
その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者ならずや。

 父母を養うべき働きもなく途方に暮れて、
罪もなき子を生きながら穴に埋めんとするその心は、
鬼とも言うべし、
(じゃ)とも言うべし、
天理人情を害するの極度と言うべし。

 最前は不孝に三つありとて、
子を生まざるをさえ大不孝と言いながら、
今ここにはすでに生まれたる子を穴に埋めて後を絶たんとせり。

 いずれをもって孝行とするか、
前後不都合なる妄説ならずや。

 畢竟、この孝行の説も、
親子の名を糺
(ただ)し上下の分を明らかにせんとして、
無理に子を責むるものならん。

 そのこれを責むる箇条を聞けば、
「妊娠中に母を苦しめ、
生まれて後は三年父母の懐
(ふところ)を免れず、
その洪恩(こうおん)は如何
(いかん)」と言えり。

 されども子を生みて子を養うは人類のみにあらず、
禽獣みな然り。
 ただ人の父母の禽獣に異なるところは、
子に衣食を与うるのほかに、
これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事にあるのみ。

 しかるに世間の父母たる者、
よく子を生めども子を教うるの道を知らず、
身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、
家を汚し産を破りて貧困に陥り、
気力ようやく衰えて家産すでに尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、
すなわちその子に向かいて孝行を責むるとは、
はたしてなんの心ぞや。

 なんの鉄面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。

 父は子の財を貪(むさぼ)らんとし、
(しゅうとめ)は嫁の心を悩ましめ、
父母の心をもって子供夫婦の身を制し、
父母の不理屈は尤
(もっと)もにして子供の申し分は少しも立たず、
嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、
起居眠食、自由なるものなし。

 一も舅姑の意に戻(もと)ればすなわちこれを不孝者と称し、
世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、
己が身に引き受けざることなれば
まず親の不理屈に左袒
(さたん)して理不尽にその子を咎むるか、
あるいは通人の説に従えば、
理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。

 豈これを人間家内の道と言うべけんや。
 余かつて言えることあり。
 「姑の鑑(かがみ)遠からず嫁の時にあり」と。

 姑もし嫁を窘
(くる)しめんと欲せば、
己がかつて嫁たりし時を想うべきなり。

 右は上下貴賤の名分より生じたる悪弊にて、
夫婦親子の二例を示したるなり。

 世間にこの悪弊の行なわるるははなはだ広く、
事々物々、人間の交際に浸潤せざるはなし。

 なおその例は次編に記すべし。

 


福澤諭吉 「学問のすすめ」第七編「国民の職分を論ず」

2023-04-07 15:46:03 | 福澤諭吉

福澤諭吉



七編
国民の職分を論ず  

 

第六編に国法の貴きを論じ、
「国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるものなり」と言えり。


今またこの役目職分の事につき、
なおその詳(つまび)
らかなるを説きて六編の補遺となすこと左のごとし。 

およそ国民たる者は一人の身にして二ヵ条の勤めあり。
その一の勤めは政府の下に立つ一人の民たるところにてこれを論ず、
すなわち客のつもりなり。

 その二の勤めは国中の人民申し合わせて、
一国と名づくる会社を結び、社の法を立ててこれを施し行なうことなり、
すなわち主人のつもりなり。

 譬(たと)えばここに百人の町人ありてなんとかいう商社を結び、
社中相談のうえにて社の法を立て、
これを施し行なうところを見れば、
百人の人はその商社の主人なり。

 すでにこの法を定めて、
社中の人いずれもこれに従い違背せざるところを見れば、
百人の人は商社の客なり。

 ゆえに一国はなお商社のごとく、
人民はなお社中の人のごとく、
一人にて主客二様の職を勤むべき者なり。


 第一 客の身分をもって論ずれば、
一国の人民は国法を重んじ人間同等の趣意を忘るべからず。

 他人の来たりてわが権義を害するを欲せざれば、
われもまた他人の権義を妨(さまた)ぐべからず。

 わが楽しむところのものは他人もまたこれを楽しむがゆえに、
他人の楽しみを奪いてわが楽しみを増すべからず、
他人の物を盗んでわが富となすべからず、
人を殺すべからず、
人を讒(ざん)すべからず、
まさしく国法を守りて彼我(ひが)同等の大義に従うべし。

 また国の政体によりて定まりし法は、
たといあるいは愚かなるも、
あるいは不便なるも、
みだりにこれを破るの理なし。

 師(いくさ)を起こすも外国と条約を結ぶも政府の権にあることにて、
この権はもと約束にて人民より政府へ与えたるものなれば、
政府の政に関係なき者はけっしてそのことを評議すべからず。


 人民もしこの趣意を忘れて、
政府の処置につきわが意に叶(かな)わずとて恣(ほしいまま)に議論を起こし、
あるいは条約を破らんとし、
あるいは師(いくさ)を起こさんとし、
はなはだしきは一騎先駆け、
自刃を携えて飛び出すなどの挙動に及ぶことあらば、
国の政(まつりごと)は一日も保つべからず。

  これを譬えばかの百人の商社兼ねて申し合せのうえ、
社中の人物十人を選んで会社の支配人と定め置き、
その支配人の処置につき、
残り九十人の者どもわが意に叶(かな)わずとて銘々に商法を議し、
支配人は酒を売らんとすれば九十人の者は牡丹餅(ぼたもち)を仕入れんとし、
その評議区々にて、
はなはだしきは一了簡をもって私に牡丹餅の取引きを始め、
商社の法に背きて他人と争論に及ぶなどのことあらば、
会社の商売は一日も行なわるべからず。

 ついにその商社の分散するに至らば、
その損亡(そんもう)は商社百人一様の引受けなるべし。

 愚もまたはなはだしきものと言うべし。


 ゆえに国法は不正不便なりといえども、
その不正不便を口実に設けてこれを破るの理なし。

 もし事実において不正不便の箇条あらば、
一国の支配人たる政府に説き勧めて静かにその法を改めしむべし。

 政府もしわが説に従わずんば、

かつ力を尽くしかつ堪忍して時節を待つべきなり。


 第二 主人の身分をもって論ずれば、
一国の人民はすなわち政府なり。
そのゆえは一国中の人民 悉皆(しっかい)政をなすべきものにあらざれば、
政府なるものを設けてこれに国政を任せ、
人民の名代として事務を取り扱わしむべしとの約束を定めたればなり。

 ゆえに人民は家元なり、また主人なり。
政府は名代人なり、
また支配人なり。

 譬えば商社百人のうちより選ばれたる十人の支配人は政府にて、
残り九十人の社中は人民なるがごとし。

 この九十人の社中は自分にて事務を取り扱うことなしといえども、
己(おの)が代人として十人の者へ事を任せたるゆえ、
己れの身分を尋ぬればこれを商社の主人と言わざるを得ず。

 またかの十人の支配人は現在の事を取り扱うといえども、
もと社中の頼みを受けその意に従いて事をなすべしと約束したる者なれば、
その実は私にあらず、
商社の公務を勤むる者なり。

 いま世間にて政府に関わることを公務と言い公用と言うも、
その字のよって来たるところを尋ぬれば、
政府の事は役人の私事にあらず、
国民の名代となりて一国を支配する公の事務という義なり。


 右の次第をもって、
政府たるものは人民の委任を引き受け、
その約束に従いて一国の人をして貴賤(きせん)上下の別なく
いずれもその権義を逞(しゅう)せしめざるべからず、
法を正しゅうし罰を厳にして一点の私曲あるべからず。

 今ここに一群の賊徒来たりて人の家に乱入するとき、
政府これを見てこれを制すること能(あた)わざれば政府もその賊の徒党と言いて可なり。

 政府もし国法の趣意を達すること能わずして人民に損亡を蒙らしむることあらば、
その高(たか)の多少を論ぜずその事の新旧を問わず、
必ずこれを償(つぐな)わざるべからず。

 譬えば役人の不行届きにて国内の人か、
または外国人へ損亡をかけ、
三万円の償金を払うことあらん。 

 政府にはもとより金のあるべき理なければ、
その償金の出ずるところはかならず人民なり。

 この三万円を日本国中およそ三千万人の人口に割り付くれば、
一人前十文ずつに当たる。

 役人の不行届き十度を重ぬれば、
人民の出金一人前百文に当たり、
家内五人の家なれば五百文なり。

 田舎の小百姓に五百文の銭あれば、
妻子打ち寄り、
山家相応の馳走を設けて一夕の愉快を尽くすべきはずなるに、
ただ役人の不行届きのみにより、
全日本国中 無辜(むこ)の小民をして
その無上の歓楽を失わしむるは実に気の毒の至りならずや。


 人民の身としてはかかる馬鹿らしき金を出だすべき理なきに似たれども、
如何(いかん)せん、その人民は国の家元主人にて、
最初より政府へこの国を任せて事務を取り扱わしむるの約束をなし、
損得ともに家元にて引き受くべきはずのものなれば、
ただ金を失いしときのみに当たりて、
役人の不調法をかれこれと議論すべからず。

 ゆえに人民たる者は平生よりよく心を用い、
政府の処置を見て不安心と思うことあらば、
深切にこれを告げ、遠慮なく穏やかに論ずべきなり。


 人民はすでに一国の家元にて、
国を護るための入用を払うはもとよりその職分なれば、
この入用を出だすにつきけっして不平の顔色を見(あら)わすべからず。

 国を護るためには役人の給料なかるべからず、
海陸の軍費なかるべからず、
裁判所の入用もあり、
地方官の入用もあり、
その高を集めてこれを見れば大金のように思わるれども、
一人前の頭に割り付けてなにほどなるや。

 日本にて歳入の高を全国の人口に割り付けなば、
一人前に一円か二円なるべし。

 一年の間にわずか一、二円の金を払うて政府の保護を被り、
夜盗押込みの患いもなく、
ひとり旅行に山賊の恐れもなくして、
安穏にこの世を渡るは大なる便利ならずや。

 およそ世の中に割合よき商売ありといえども、
運上を払うて政府の保護を買うほど安きものはなかるべし。

 世上の有様を見るに、
普請に金を費やす者あり、
美服美食に力を尽くす者あり、
はなはだしきは酒色のために銭を棄てて身代を傾くる者もあり、
これらの費えをもって運上の高に比較しなば、
もとより同日の話にあらず、
不筋の金なればこそ一銭をも惜しむべけれども、
道理において出だすべきはずのみならず、
これを出だして安きものを買うべき銭なれば、
思案にも及ばず快く運上を払うべきなり。

 右のごとく人民も政府もおのおのその分限を尽くして
互いに居(お)り合うときは申し分もなきことなれども、
あるいは然らずして政府なるものその分限を越えて暴政を行なうことあり。

 ここに至りて人民の分としてなすべき挙動はただ三カ条あるのみ。
すなわち節を屈して政府に従うか、
力をもって政府に敵対するか、
正理を守りて身を棄つるか、
この三ヵ条なり。

 第一 節を屈して政府に従うははなはだよろしからず。
人たる者は天の正道に従うをもって職分とす。
しかるにその節を屈して政府人造の悪法に従うは、
人たるの職分を破るものと言うべし。

 かつひとたび節を屈して不正の法に従うときは、
後世子孫に悪例を遺(のこ)して天下一般の弊風を醸(かも)しなすべし。

 古来日本にても愚民の上に暴政府ありて、
政府虚威を逞(しゅう)すれば人民はこれに震い恐れ、
あるいは政府の処置を見て現に無理とは思いながら、
事の理非を明らかに述べなば必ずその怒りに触れ、
後日に至りて暗に役人らに窘(くる)しめらるることあらんを恐れて
言うべきことをも言うものなし。

 その後日の恐れとは俗にいわゆる犬の糞でかたきなるものにて、
人民はひたすらこの犬の糞を憚(はばか)り、
いかなる無理にても政府の命には従うべきものと心得て、
世上一般の気風をなし、ついに今日の浅ましき有様に陥りたるなり。

 すなわちこれ人民の節を屈して禍(わざわい)を後世に残したる一例と言うべし。


 第二 力をもって政府に敵対するはもとより一人の能くするところにあらず、
必ず徒党を結ばざるべからず。

 すなわちこれ内乱の師(いくさ)なり。
 けっしてこれを上策というべからず。
 すでに師を起こして政府に敵するときは、
事の理非曲直はしばらく論ぜずして、
ただ力の強弱のみを比較せざるべからず。

 しかるに古今内乱の歴史を見れば、
人民の力はつねに政府よりも弱きものなり。

 また内乱を起こせば、
従来その国に行なわれたる政治の仕組みを
ひとたび覆(くつが)えすはもとより論を俟(ま)たず。
しかるにその旧(もと)の政府なるもの、
たといいかなる悪政府にても、
おのずからまた善政良法あるにあらざれば
政府の名をもって若干の年月を渡るべき理なし。

 ゆえに一朝の妄動にてこれを倒すも、
暴をもって暴に代え、愚をもって愚に代うるのみ。

 また内乱の源を尋ぬれば、
もと人の不人情を悪(にく)みて起こしたるものなり。

 しかるにおよそ人間世界に内乱ほど不人情なるものはなし。
世間朋友の交わりを破るはもちろん、
はなはだしきは親子相殺し兄弟相敵し、
家を焼き人を屠(ほふ)り、
その悪事至らざるところなし。

 かかる恐ろしき有様にて人の心はますます残忍に陥り、
ほとんど禽獣(きんじゅう)とも言うべき挙動をなしながら、
かえって旧の政府よりもよき政を行ない寛大なる法を施して
天下の人情を厚きに導かんと欲するか。

 不都合なる考えと言うべし。


 第三 正理を守りて身を棄つるとは、
天の道理を信じて疑わず、
いかなる暴政の下に居ていかなる苛酷の法に窘しめらるるも、
その苦痛を忍びてわが志を挫(くじ)くことなく、
一寸の兵器を携えず片手の力を用いず、
ただ正理を唱えて政府に迫ることなり。


 以上三策のうち、
この第三策をもって上策の上とすべし。

 理をもって政府に迫れば、
その時その国にある善政良法はこれがため少しも害を被ることなし。

 その正論あるいは用いられざることあるも、
理のあるところはこの論によりてすでに明らかなれば、
天然の人心これに服せざることなし。

 ゆえに今年に行なわれざればまた明年を期すべし。 

 かつまた力をもって敵対するものは
一を得んとして百を害するの患(うれ)いあれども、
理を唱えて政府に迫るものはただ除くべきの害を除くのみにて他に事を生ずることなし。

 その目的とするところは政府の不正を止むるの趣意なるがゆえに、
政府の処置、正に帰すれば議論もまたともにやむべし。

 また力をもって政府に敵すれば、
政府は必ず怒りの気を生じ、
みずからその悪を顧みずしてかえってますます暴威を張り、
その非を遂げんとするの勢いに至るべしといえども、
静かに正理を唱うる者に対しては、
たとい暴政府といえどもその役人もまた同国の人類なれば、
正者の理を守りて身を棄つるを見て必ず同情相憐れむの心を生ずべし。

 すでに他を憐れむの心を生ずれば、
おのずから過(あやま)ちを悔い、
おのずから胆を落として、必ず改心するに至るべし。


 かくのごとく世を患(うれ)いて身を苦しめあるいは命を落とすものを、
西洋の語にてマルチルドムという。

 失うところのものはただ一人の身なれども、
その功能は千万人を殺し千万両を費やしたる内乱の師(いくさ)よりもはるかに優(まさ)れり。

 古来日本にて討死(うちじに)せし者も多く切腹せし者も多し、
いずれも忠臣義士とて評判は高しといえども、
その身を棄てたる所以を尋ぬるに、
多くは両主政権を争うの師に関係する者か、
または主人の敵討(かたきう)ちなどによりて花々しく一命を抛(なげう)ちたる者のみ。

 その形は美に似たれどもその実は世に益することなし。

 己(おの)が主人のためと言い己が主人に申し訳なしとて、
ただ一命をさえ棄つればよきものと思うは不文不明の世の常なれども、
いま文明の大義をもってこれを論ずれば、
これらの人はいまだ命の棄てどころを知らざる者と言うべし。

 元来、文明とは、
人の智徳を進め、
人々(にんにん)(み)みずからその身を支配して世間相交わり、
相害することもなく害せらるることもなく、
おのおのその権義を達して一般の安全繁盛を致すを言うなり。

 さればかの師(いくさ)にもせよ敵討ちにもせよ、
はたしてこの文明の趣意に叶(かな)い、
この師に勝ちてこの敵を滅ぼし、
この敵討ちを遂げてこの主人の面目を立つれば、
必ずこの世は文明に赴き、商売も行なわれ工業も起こりて、
一般の安全繁盛を致すべしとの目的あらば、
討死も敵討ちも尤(もっと)ものようなれども、
事柄においてけっしてその目的あるべからず。

 かつかの忠臣義士にもそれほどの見込みはあるまじ。
 ただ因果ずくにて旦那へ申し訳までのことなるべし。

 旦那へ申し訳にて命を棄てたる者を忠臣義士と言わば、
今日も世間にその人は多きものなり。

 権助が主人の使いに行き、
一両の金を落として途方に暮れ、
旦那へ申し訳なしとて思案を定め、
並木の枝にふんどしを掛けて首を縊(くく)るの例は世に珍しからず。

 今この義僕がみずから死を決する時の心を酌(く)んで、
その情実を察すれば、
また憐れむべきにあらずや。

 使いに出でていまだ帰らず、身まず死す。

 長く英雄をして涙を襟(えり)に満たしむべし。
 主人の委託を受けてみずから任じたる一両の金を失い、
君臣の分を尽くすに一死をもってするは、
古今の忠臣義士に対して毫(ごう)も恥ずることなし。

 その誠忠は日月とともに燿(かがや)き、
その功名は天地とともに永かるべきはずなるに、
世人みな薄情にしてこの権助を軽蔑し、
碑の銘を作りてその功業を称する者もなく、
宮殿を建てて祭る者もなきはなんぞや。

 人みな言わん、
「権助の死はわずかに一両のためにしてその事の次第はなはだ些細なり」 と。

 然りといえども事の軽重は金高の大小、
人数の多少をもって論ずべからず、
世の文明に益あると否とによりてその軽重を定むべきものなり。

  しかるに今かの忠臣義士が一万の敵を殺して討死するも、
この権助が一両の金を失うて首を縊るも、
その死をもって文明を益することなきに至りてはまさしく同様のわけにて、
いずれを軽しとしいずれを重しとすべからざれば、
義士も権助もともに命の棄てどころを知らざる者と言いて可なり。

 これらの挙動をもってマルチルドムと称すべからず。

 余輩の聞くところにて、
人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、
その命を棄てて終わりをよくし、
世界中に対して恥ずることなかるべき者は、
古来ただ一名の佐倉宗五郎あるのみ。

 ただし宗五郎の伝は俗間に伝わる草紙の類のみにて、
いまだその詳らかなる正史を得ず。

 もし得ることあらば他日これを記してその功徳を表し、
もって世人の亀鑑(きかん)に供すべし。
  

 


福澤諭吉 「学問のすすめ」 第六編 国法の貴きを論ず 

2023-04-07 15:33:49 | 福澤諭吉

福澤諭吉 「学問のすすめ」
 
 六編  

   国法の貴きを論ず 


 政府は国民の名代にて、国民の思うところに従い事をなすものなり。
その職分は罪ある者を取り押えて罪なき者を保護するよりほかならず。

 すなわちこれ国民の思うところにして、
この趣意を達すれば一国内の便利となるべし。
元来罪ある者とは悪人なり、罪なき者とは善人なり。

 いま悪人来たりて善人を害せんとすることあらば、
善人みずからこれを防ぎ、
わが父母妻子を殺さんとする者あらば捕えてこれを殺し、
わが家財を盗まんとする者あらば捕えてこれを笞(むち)
うち、
差しつかえなき理なれども、
一人の力にて多勢の悪人を相手にとり、
これを防がんとするも、とても叶うべきことにあらず。


 たとい、
あるいはその手当てをなすも莫大の入費にて益もなきことなるゆえ、
右のごとく国民の総代として政府を立て、
善人保護の職分を勤めしめ、
その代わりとして役人の給料はもちろん、
政府の諸入用をば悉皆(しっかい)国民より賄(まかな)べしと約束せしことなり。

 かつまた政府はすでに国民の総名代となりて事をなすべき権を得たるものなれば、
政府のなすことはすなわち国民のなすことにて、
国民は必ず政府の法に従わざるべからず。
これまた国民と政府との約束なり。

 ゆえに国民の政府に従うは政府の作りし法に従うにあらず、
みずから作りし法に従うなり。
国民の法を破るは政府の作りし法を破るにあらず、
みずから作りし法を破るなり。

 その法を破りて刑罰を被(こうむ)るは政府に罰せらるるにあらず、
みずから定めし法によりて罰せらるるなり。

 この趣を形容して言えば、
国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるがごとし。
 すなわちその一の役目は、
自分の名代として政府を立て、
一国中の悪人を取り押えて善人を保護することなり。
 その二の役目は、固く政府の約束を守りその法に従いて保護を受くることなり。


 右のごとく、国民は政府と約束して政令の権柄(けんぺい)を政府に任せたる者なれば、
かりそめにもこの約束を違(たが)えて法に背くべからず。

 人を殺す者を捕えて死刑に行なうも政府の権なり、
盗賊を縛りて獄屋に繋(つな)ぐも政府の権なり、
公事(くじ)訴訟を捌(さば)くも政府の権なり、
乱暴・喧嘩を取り押うるも政府の権なり。

 これらの事につき、
国民は少しも手を出だすべからず。

 もし心得違いして私に罪人を殺し、
あるいは盗賊を捕えてこれを笞うつ等のことあれば、
すなわち国の法を犯し、
みずから私に他人の罪を裁決する者にて、
これを私裁と名づけ、
その罪 免(ゆる)すべからず。

この一段に至りては文明諸国の法律はなはだ厳重なり。

 いわゆる威ありて猛(たけ)からざるものか。
わが日本にては政府の威権盛んなるに似たれども、
人民ただ政府の貴きを恐れてその法の貴きを知らざる者あり。
今ここに私裁のよろしからざる所以と国法の貴き所以とを記すこと左のごとし。


 譬(たと)えばわが家に強盗の入り来たりて、
家内の者を威(おど)し金を奪わんとすることあらん。

 この時に当たり、
家の主人たる者の職分は、
この事の次第を政府に訴え、
政府の処置を待つべきはずなれども、
事火急にして出訴の間合いもなく、
かれこれするうちにかの強盗はすでに土蔵へ這入(はい)りて
金を持ち出さんとするの勢いあり。

 これを止めんとすれば主人の命も危き場合なるゆえ、
やむを得ず家内申し合わせて私にこれを防ぎ、
当座の取り計らいにてこの強盗を捕え置き、
しかる後に政府へ訴え出ずるなり。

 これを捕うるにつきては、
あるいは棒を用い、
あるいは刃物を用い、
あるいは賊の身に疵(きず)つくることもあるべし、
あるいはその足を打ち折ることもあるべし、
事急なるときは鉄砲をもって打ち殺すこともあるべしといえども、
結局主人たる者は、
わが生命を護り、
わが家財を守るために一時の取り計らいをなしたるのみにて、
けっして賊の無礼を咎(とが)め、
(その罪を罰するの趣意にあらず。


 罪人を罰するは政府に限りたる権なり、
私の職分にあらず。

 ゆえに私の力にてすでにこの強盗を取り押え、
わが手に入りしうえは、
平人の身としてこれを殺しこれを打擲(ちょうちゃく)すべからざるはもちろん、
指一本を賊の身に加うることをも許さず、
ただ政府に告げて政府の裁判を待つのみ。 

 もしも賊を取り押えしうえにて、
怒りに乗じてこれを殺し、
これを打擲することあれば、
その罪は無罪の人を殺し、
無罪の人を打擲するに異ならず。

 譬えば某国の律に、
「金十円を盗む者はその刑、
(むち)一百、
また足をもって人の面を蹴(け)る者もその刑、
笞一百」とあり。

 しかるにここに盗賊ありて、
人の家に入り金十円を盗み得て出でんとするとき、
主人に取り押えられ、
すでに縛られしうえにて、
その主人なおも怒りに乗じ足をもって賊の面を蹴ることあらん、
しかるときその国の律をもってこれを論ずれば、
賊は金十円を盗みし罪にて一百の笞を被り、
主人もまた平人の身をもって私に賊の罪を裁決し
足をもってその面を蹴りたる罪により笞うたるること一百なるべし。

 国法の厳なることかくのごとし。
 人々恐れざるべからず。


 右の理をもって考うれば敵討(かたきう)ちのよろしからざることも合点すべし。
わが親を殺したる者はすなわちその国にて一人の人を殺したる公の罪人なり。
この罪人を捕えて刑に処するは政府に限りたる職分にて、
平人の関わるところにあらず。

 しかるにその殺されたる者の子なればとて、
政府に代わりて私にこの公の罪人を殺すの理あらんや。

 差し出がましき挙動と言うべきのみならず、
国民たるの職分を誤り、
政府の約束に背くものと言うべし。

 もしこのことにつき、
政府の処置よろしからずして罪人を贔屓(ひいき)するなどのことあらば、
その不筋(ふすじ)なる次第を政府に訴うべきのみ。
 なんらの事故あるもけっしてみずから手を出だすべからず。
 たとい親の敵は目の前に徘徊(はいかい)するも私にこれを殺すの理なし。


 昔、徳川の時代に、
浅野家の家来、
主人の敵討ちとて吉良上野介
を殺したることあり。

 世にこれを赤穂の義士と唱えり。
大なる間違いならずや。
この時日本の政府は徳川なり。
浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来もみな日本の国民にて、
政府の法に従いその保護を蒙(こうむ)るべしと約束したるものなり。
 
 しかるに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、
内匠頭これを政府に訴うることを知らず、
怒りに乗じて私に上野介を切らんとしてついに双方の喧嘩となりしかば、
徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申しつけ、
上野介へは刑を加えず、
この一条は実に不正なる裁判というべし。

 浅野家の家来どもこの裁判を不正なりと思わば、
何がゆえにこれを政府へ訴えざるや。

 四十七士の面々申し合わせて、
おのおのその筋により法に従いて政府に訴え出でなば、
もとより暴政府のことゆえ、
最初はその訴訟を取り上げず、
あるいはその人を捕えてこれを殺すこともあるべしといえども、
たとい一人は殺さるるもこれを恐れず、
また代わりて訴え出で、したがって殺されしたがって訴え、
四十七人の家来、理を訴えて命を失い尽くすに至らば、
いかなる悪政府にてもついには必ずその理に伏し、
上野介へも刑を加えて裁判を正しゅうすることあるべし。


 かくありてこそはじめて真の義士とも称すべきはずなるに、
かつてこの理を知らず、
身は国民の地位にいながら国法の重きを顧みずしてみだりに上野介を殺したるは、
国民の職分を誤り、
政府の権を犯して、私に人の罪を裁決したるものと言うべし。

 幸いにしてその時、
徳川の政府にてこの乱暴人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、
もしもこれを免(ゆる)すことあらば、
吉良家の一族また敵討ちとて赤穂の家来を殺すことは必定(ひつじょう)なり。

 しかるときはこの家来の一族、また敵討ちとて吉良の一族を攻むるならん。

 敵討ちと敵討ちとにて、
はてしもあらず、
ついに双方の一族朋友死し尽くるに至らざれば止まず。
いわゆる無政無法の世の中とはこのことなるべし。
私裁の国を害することかくのごとし。
(つつし)まざるべからざるなり。


 古(いにしえ)は日本にて百姓・町人の輩(はい)
士分の者に対して無礼を加うれば切捨て御免という法あり。

 こは政府より公に私裁を許したるものなり。
けしからぬことならずや。

 すべて一国の法はただ一政府にて施行すべきものにて、
その法の出ずるところいよいよ多ければその権力もまたしたがっていよいよ弱し。

 譬(たと)えば封建の世に三百の諸侯おのおの生殺の権ありし時は、
政府の力もその割合にて弱かりしはずなり。


 私裁のもっともはなはだしくして、
(まつりごと)を害するのもっとも大なるものは暗殺なり。

 古来暗殺の事跡を見るに、
あるいは私怨(しえん)のためにする者あり、
あるいは銭を奪わんがためにする者あり。

 この類の暗殺を企つるものはもとより罪を犯す覚悟にて、
自分にも罪人のつもりなれども、
別にまた一種の暗殺あり。

 この暗殺は私のためにあらず、
いわゆるポリチカル・エネミ〔政敵〕を悪(にく)んでこれを殺すものなり。

 天下の事につき銘々の見込みを異にし、
私の見込みをもって他人の罪を裁決し、
政府の権を犯して恣(ほしいまま)に人を殺し、
これを恥じざるのみならずかえって得意の色をなし、
みずから天誅(てんちゅう)を行なうと唱うれば、
人またこれを称して報国の士と言う者あり。

 そもそも天誅とは何事なるや。
 天に代わりて誅罰を行なうというつもりか。
もしそのつもりならば、まず自分の身の有様を考えざるべからず。
 元来この国に居(お)り、
政府へ対していかなる約定を結びしや。

 「必ずその国法を守りて身の保護を被(こうむ)るべし」とこそ約束したることなるべし。

 もし国の政事につき不平の箇条を見いだし、
国を害する人物ありと思わば、
静かにこれを政府へ訴うべきはずなるに、
政府を差し置き、
みずから天に代わりて事をなすとは商売違いもまたはなはだしきものと言うべし。

 畢竟(ひっきょう)この類の人は、
性質律儀なれども物事の理に暗く、
国を患(うれ)うるを知りて国を患うる所以(ゆえん)の道を知らざる者なり。

 試みに見よ、天下古今の実験に、
暗殺をもってよく事をなし世間の幸福を増したるものは、
いまだかつてこれあらざるなり。


 国法の貴きを知らざる者は、
ただ政府の役人を恐れ、
役人の前をほどよくして、
表向きに犯罪の名あらざれば内実の罪を犯すもこれを恥とせず。

 ただにこれを恥じざるのみならず、
巧みに法を破りて罪を遁(のが)るる者あれば、
かえってこれをその人の働きとしてよき評判を得ることあり。

 今、世間日常の話に、
(これ)も上の御大法なり、
彼も政府の表向きなれども、
この事を行なうにかく私に取り計らえば、
表向きの御大法には差しつかえもあらず、
表向きの内証などとて笑いながら談話して咎(とが)むるものもなく、
はなはだしきは小役人と相談のうえ、
この内証事を取り計らい、
双方ともに便利を得て罪なき者のごとし。

 実はかの御大法なるもの、
あまり煩(わずら)わしきに過ぎて事実に施すべからざるよりして、
この内証事も行なわるることなるべしといえども、
一国の政治をもってこれを論ずれば、もっとも恐るべき悪弊なり。

 かく国法を軽蔑するの風に慣れ、
人民一般に不誠実の気を生じ、
守りて便利なるべき法をも守らずして、
ついには罪を蒙ることあり。


 譬えば今往来に小便するは政府の禁制なり。

 しかるに人民みなこの禁令の貴きを知らずしてただ邏卒(らそつ)を恐るるのみ。

 あるいは日暮れなど邏卒のあらざるを窺(うかが)いて法を破らんとし、
はからずも見咎めらるることあればその罪に伏すといえども、
本人の心中には貴き国法を犯したるがゆえに罰せらるるとは思わずして、
ただ恐ろしき邏卒に逢いしをその日の不幸と思うのみ。

 実に歎かわしきことならずや。
 ゆえに政府にて法を立つるは勉(つと)めて簡なるを良とす。
 すでにこれを定めて法となすうえは必ず厳にその趣意を達せざるべからず。

 人民は政府の定めたる法を見て不便なりと思うことあらば、
遠慮なくこれを論じて訴うべし。

 すでにこれを認めてその法の下に居るときは、
私にその法を是非することなく謹んでこれを守らざるべからず。


 近くは先月わが慶応義塾にも一事あり。
華族 太田資美(
おおたすけよし)君、
一昨年より私金を投じて米国人を雇い、
義塾の教員に供えしが、
このたび交代の期限に至り、
他の米人を雇い入れんとして、
当人との内談すでに整いしにつき、
太田氏より東京府へ書面を出だしこの米人を義塾に入れて
文学・科学の教師に供えんとの趣を出願せしところ、
文部省の規則に、
「私金をもって私塾の教師を雇い、
私に人を教育するものにても、
その教師なる者、
本国にて学科卒業の免状を得てこれを所持するものにあらざれば雇入れを許さず」との箇条あり。

 しかるにこのたび雇い入れんとする米人、
かの免状を所持せざるにつき、
ただ語学の教師とあればともかくもなれども、
文学・科学の教師としては願いの趣、
聞き届け難き旨(むね)
東京府より太田氏へ御沙汰なり。


 よって福沢諭吉より同府へ書を呈し、
「この教師なる者、
免状を所持せざるもその学力は当塾の生徒を教うるため十分なるゆえ、
太田氏の願いのとおりに命ぜられたく、
あるいは語学の教師と申し立てなば願いも済むべきなれども、
もとよりわが生徒は文学・科学を学ぶつもりなれば、
語学と偽り官を欺(あざむ)くことはあえてせざるところなり」と出願したりしかども、
文部省の規則変ずべからざる由にて、
諭吉の願書もまた返却したり。

 これがためすでに内約の整いし教師を雇い入るるを得ず、
去年十二月下旬、本人は去りて米国へ帰り、
太田君の素志も一時の水の泡となり、
数百の生徒も望みを失い、
実に一私塾の不幸のみならず、
天下文学のためにも大なる妨げにて、
馬鹿らしく苦々しきことなれども、
国法の貴重なる、
これを如何(いかん)ともすべからず、
いずれ近日また重ねて出願のつもりなり。

 今般の一条につきては、
太田氏をはじめ社中集会してその内話に、
「かの文部省にて定めたる私塾教師の規則もいわゆる御大法なれば、
ただ文学・科学の文字を消して語学の二字に改むれば、
願いも済み、
生徒のためには大幸ならん」と再三商議したれども、
結局のところ、
このたびの教師を得ずして社中生徒の学業あるいは退歩することあるも、
官を欺くは士君子の恥ずべきところなれば、
謹んで法を守り国民たるの分を誤らざるの方、
上策なるべしとて、
ついにこの始末に及びしことなり。

 もとより一私塾の処置にてこのこと些末に似たれども、
議論の趣意は世教にも関わるべきことと思い、
ついでながらこれを巻末に記すのみ。

 
 

 


福澤諭吉 「学問のすすめ」第五編 明治七年一月一日の詞

2023-04-07 13:52:42 | 福澤諭吉

福澤諭吉 「学問のすすめ」
    

      

 五編 明治七年一月一日の詞 
 

  『学問のすすめ』 はもと民間の読本または小学の教授本に供えたるものなれば、
初編より二編三編までも勉(つと)めて俗語を用い文章を読みやすくするを趣意となしたりしが、
四編に至り少しく文の体を改めてあるいはむずかしき文字を用いたるところもあり。

 またこの五編も明治七年一月一日、
社中会同の時に述べたる詞(ことば)を文章に記したるものなれば、
その文の体裁も四編に異ならずしてあるいは解(げ)し難きの恐れなきにあらず。

 畢竟(ひっきょう)四、五の二編は学者を相手にして論を立てしものなるゆえ、
この次第に及びたるなり。


 世の学者はおおむねみな腰ぬけにてその気力は不慥(ふたし)かなれども、
文字を見る眼はなかなか慥かにして、
いかなる難文にても困る者なきゆえ、
この二冊にも遠慮なく文章をむずかしく書きその意味もおのずから高上になりて、
これがためもと民間の読本たるべき学問のすすめの趣意を失いしは、
初学の輩(はい)に対してはなはだ気の毒なれども、
六編より後はまたもとの体裁に復(かえ)り、
もっぱら解しやすきを主として初学の便利に供し
さらに難文を用いることなかるべきがゆえに、
看官この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。

 

   明治七年一月一日の詞 

 わが輩今日慶応義塾にありて明治七年一月一日に逢(あえり。
この年号はわが国独立の年号なり、この塾はわが社中独立の塾なり。
独立の塾に居(い)て独立の新年に逢うを得(う)るはまた悦(よろこ)ばしからずや。

 けだしこれを得て悦ぶべきものは、
これを失えば悲しみとなるべし。
ゆえに今日悦ぶの時において他日悲しむの時あるを忘るべからず。

 古来わが国治乱の沿革により政府はしばしば改まりたれども、
今日に至るまで国の独立を失わざりし所以は、
国民鎖国の風習に安んじ、
治乱興廃、
外国に関することなかりしをもってなり。

 外国に関係あらざれば、
治も一国内の治なり、
乱も一国内の乱なり、
またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、
いまだ他に対して鋒(ほこさき)を争いしものにあらず。

 これを譬(たと)えば、
小児の家内に育せられていまだ外人に接せざる者のごとし。
その薄弱なることもとより知るべきなり。

 今や外国の交際にわかに開け、
国内の事務一としてこれに関せざるものなし。

 事々物々みな外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、
古来わが国人の力にてわずかに達し得たる文明の有様をもって、
西洋諸国の有様に比すれば、
ただに三舎を譲るのみならず、
これに倣(なら)わんとしてあるいは望洋の歎を免れず、
ますますわが独立の薄弱なるを覚ゆるなり。

 国の文明は形をもって評すべからず。

 学校と言い、
工業と言い、
陸軍と言い、
海軍と言うも、
みなこれ文明の形のみ。 

 この形を作るは難(かた)きにあらず、
ただ銭をもって買うべしといえども、
ここにまた無形の一物あり、
この物たるや、
目見るべからず、
耳聞くべからず、
売買すべからず、
貸借すべからず、
あまねく国人の間に位してその作用はなはだ強く、
この物あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、
真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のものなり。

 けだしその物とはなんぞや。
いわく、人民独立の気力、すなわちこれなり。

 近来わが政府、
しきりに学校を建て工業を勧め、
海陸軍の制も大いに面目を改め、
文明の形、ほぼ備わりたれども、
人民いまだ外国へ対してわが独立を固くしともに先を争わんとする者なし。

 ただにこれと争わざるのみならず、
たまたまかの事情を知るべき機会を得たる人にても、
いまだこれを詳(つまび)らかにせずしてまずこれを恐るるのみ。

 他に対してすでに恐怖の心をいだくときは、
たとい、我にいささか得(う)るところあるもこれを外に施すに由なし。

 畢竟、人民に独立の気力あらざれば、
かの文明の形もついに無用の長物に属するなり。

 そもそもわが国の人民に気力なきその原因を尋ぬるに、
数千百年の古(いにしえ)より全国の権柄を政府の一手に握り、
武備・文学より工業・商売に至るまで、
人間些末の事務といえども政府の関わらざるものなく、
人民はただ政府の嗾(そう)するところに向かいて奔走するのみ。

 あたかも国は政府の私有にして、
人民は国の食客たるがごとし。

 すでに無宿の食客となりてわずかにこの国中に寄食するを得るものなれば、
国を視ること逆旅(げきりょ)のごとく、
かつて深切の意を尽くすことなく、
またその気力を見(あら)わすべき機会をも得ずして、
ついに全国の気風を養いなしたるなり。


 しかのみならず今日に至りては、
なおこれよりはなはだしきことあり。

 おおよそ世間の事物、
進まざる者は必ず退き、
退かざる者は必ず進む。

 進まず退かずして潴滞(ちょたい)する者はあるべからざるの理なり。

 今、日本の有様を見るに、
文明の形は進むに似たれども、
文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴(おもむ)けり。
請う、試みにこれを論ぜん。

 在昔、足利・徳川の政府においては民を御するにただ力を用い、
人民の政府に服するは力足らざればなり。

 力足らざる者は心服するにあらず、
ただこれを恐れて服従の容(かたちをなすのみ。

 今の政府はただ力あるのみならず、
その智恵すこぶる敏捷(びんしょう)にして、
かつて事の機に後(おく)るることなし。

 一新の後、
いまだ十年ならずして、
学校・兵備の改革あり、
鉄道・電信の設あり、
その他石室を作り、
鉄橋を架する等、
その決断の神速なるとその成功の美なるとに至りては、
実に人の耳目を驚かすに足れり。

 しかるにこの学校・兵備は、
政府の学校・兵備なり、
鉄道・電信も、政府の鉄道・電信なり、
石室・鉄橋も、政府の石室・鉄橋なり。

 人民はたしてなんの観をなすべきや。

 人みな言わん、
「政府はただに力あるのみならず兼ねてまた智あり、
わが輩の遠く及ぶところにあらず、
政府は雲上にありて国を司り、
わが輩は下にいてこれに依頼するのみ、
国を患(うれ)うるは上の任なり、
下賤の関わるところにあらず」と。

 概してこれを言えば、古(いにしえ)の政府は力を用い、
今の政府は力と智とを用ゆ。

 古の政府は民を御するの術に乏しく、
今の政府はこれに富めり。

 古の政府は民の力を挫(くじ)き、
今の政府はその心を奪う。


 古の政府は民の外を犯し、
今の政府はその内を制す。


 古の民は政府を視(み)ること鬼のごとくし、
今の民はこれを視ること神のごとくす。

 古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。

 この勢いに乗じて事の轍(てつ)を改むることなくば、
政府にて一事を起こせば文明の形はしだいに具わるに似たれども、
人民にはまさしく一段の気力を失い文明の精神はしだいに衰うるのみ。


 いま政府に常備の兵隊あり、
人民これを認めて護国の兵となし、
その盛んなるを祝して意気揚々たるべきはずなるに、
かえってこれを威民の具とみなして恐怖するのみ。

 いま政府に学校、鉄道あり、
人民これを一国文明の徴として誇るべきはずなるに、
かえってこれを政府の私恩に帰し、
ますますその賜に依頼するの心を増すのみ。

 人民すでに自国の政府に対して萎縮(いしゅく)震慄の心をいだけり、
(あに)外国に競うて文明を争うに遑(いとま)あらんや。

 ゆえにいわく、
人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、
かえって民心を退縮せしむるの具となるべきなり。

 右に論ずるところをもって考うれば、
国の文明は上(かみ)政府より起こるべからず、
(しも)小民より生ずべからず、
必ずその中間より興りて衆庶(しゅうしょ)の向かうところを示し、
政府と並び立ちてはじめて成功を期すべきなり。

 西洋諸国の史類を案ずるに、
商売・工業の道、
一として政府の創造せしものなし、
その本(もと)はみな中等の地位にある学者の心匠に成りしもののみ。

 蒸気機関はワットの発明なり、
鉄道はステフェンソンの工夫(くふう)なり、
はじめて経済の定則を論じ商売の法を一変したるはアダム・スミスの功なり。

 この諸大家はいわゆるミッヅル・カラッスなる者にて、
国の執政にあらず、
また力役(りきえきの小民にあらず、
まさに国人の中等に位し、
智力をもって一世を指揮したる者なり。

 その工夫発明、
まず一人の心に成れば、
これを公にして実地に施すには私立の社友を結び、
ますますその事を盛大にして人民無量の幸福を万世に遺(のこ)すなり。

 この間に当たり政府の義務は、
ただその事を妨げずして適宜に行なわれしめ、
人心の向かうところを察してこれを保護するのみ。


 ゆえに文明の事を行なう者は私立の人民にして、
その文明を護する者は政府なり。

 これをもって一国の人民あたかもその文明を私有し、
これを競いこれを争い、
これを羨みこれを誇り、
国に一の美事あれば全国の人民手を拍(う)ちて快と称し、
ただ他国に先鞭を着けられんことを恐るるのみ。

 ゆえに文明の事物 悉皆(しっかい)人民の気力を増すの具となり、
一事一物も国の独立を助けざるものなし。

 その事情まさしくわが国の有様に相反すと言うも可なり。

 今わが国においてかのミッヅル・カラッスの地位に居(お)り、
文明を首唱して国の独立を維持すべき者はただ一種の学者のみなれども、
この学者なるもの時勢につき眼を着すること高からざるか、
あるいは国を患(うれ)うること身を患うるがごとく切ならざるか、
あるいは世の気風に酔いひたすら政府に依頼して事をなすべきものと思うか、
おおむね皆その地位に安んぜずして去りて官途に赴き、
些末の事務に奔走していたずらに身心を労し、
その挙動笑うべきもの多しといえども、
みずからこれを甘んじ、
人もまたこれを怪しまず、
はなはだしきは「野(や)に遺賢なし」と言いてこれを悦ぶ者あり。

 もとより時勢の然らしむるところにて、
その罪一個の人にあらずといえども、
国の文明のためには一大災難と言うべし。

 文明を養いなすべき任に当たりたる学者にして、
その精神の日に衰うるを傍観してこれを患うる者なきは、
実に長大息すべきなり、
また痛哭(つうこくすべきなり。

 ひとりわが慶応義塾の社中はわずかにこの災難を免れて、
数年独立の名を失わず、
独立の塾にいて独立の気を養い、
その期するところは全国の独立を維持するの一事にあり。

 然りといえども、
時勢の世を制するやその力急流のごとくまた大風のごとし。

 この勢いに激して屹立(きつりつするはもとより易(やす)きにあらず、
非常の勇力あるにあらざれば、
知らずして流れ識(し)らずして靡(なびき、
ややもすればその脚を失するの恐れあるべし。

 そもそも人の勇力はただ読書のみによりて得べきものにあらず。

 読書は学問の術なり、
学問は事をなすの術なり。

 実地に接して事に慣るるにあらざればけっして勇力を生ずべからず。
わが社中すでにその術を得たる者は、
貧苦を忍び艱難(かんなん)を冒して、
その所得の知見を文明の事実に施さざるべからず。

 その科(とがは枚挙に遑(いとまあらず。

 商売勤めざるべからず、
法律議せざるべからず、
工業起こさざるべからず、
農業勧めざるべからず、
著書・訳術・新聞の出版、
およそ文明の事件はことごとく取りてわが私有となし、
国民の先をなして政府と相助け、
官の力と私の力と互いに平均して一国全体の力を増し、
かの薄弱なる独立を移して動かすべからざるの基礎に置き、
外国と鋒(ほこさき)を争いて毫(ごう)も譲ることなく、
今より数十の新年を経て、
顧みて今月今日の有様を回想し、
今日の独立を悦ばずしてかえってこれを愍笑びんしょうするの勢いに至るは、
(あに一大快事ならずや。

 学者よろしくその方向を定めて期するところあるべきなり。