日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

西郷隆盛 「南洲手抄言志録」九十一 ~ 百一 佐藤一齋・秋月種樹(古香)

2020-01-26 23:08:18 | 西郷隆盛

南洲手抄言志録

佐藤一齋・秋月種樹(古香)

山田濟齋訳
 

九十一
靈光無障碍
則氣乃流動不餒、
四體覺


〔譯〕
靈光(れいくわう)障碍(しやうげ)無くば、
則ち氣き乃ち流動して餒(う)ゑず、
四體(したい)輕きを覺(おぼ)えん。


九十二
英氣是天地精英之氣。

聖人薀之於内
肯露諸外

賢者則時時露之。
自餘豪傑之士、全然露之。

若下夫絶無此氣者上、
鄙夫小人
碌碌不算者爾


〔譯〕
英氣は是れ天地精英の氣なり。
聖人は之を内に薀(をさ)めて、
(あへ)て諸(これ)を外に露(あら)はさず。

賢者は則ち時時之を露(あら)はす。
自餘(じよ)豪傑の士は、全然之を露(あら)はす。

(か)の絶(た)えて此(この)氣なき者の若きは、
鄙夫(ひふ)小人と爲す、
碌碌(ろく/\)として算(かぞ)ふるに足らざるもののみ。


九十三
人須忙裏占間、
苦中存樂工夫

〔譯〕
人は須らく忙裏(ばうり)に間(かん)を占め、
苦中に樂(らく)を存ずる工夫を著(つ)くべし。

〔評〕
南洲岩崎谷洞中に居る。
砲丸雨の如く、洞口を出づる能はず。

詩あり云ふ
「百戰無
功半歳間、首邱幸得返二家山
笑儂向
死如仙客。盡日洞中棋響間」
(編者曰、此詩、長州ノ人杉孫七郎ノ作ナリ、南洲翁ノ作ト稱スルハ誤ル)
謂はゆる忙(ばう)中に間を占むる者なり。
然れども亦以て其の戰志無きを知るべし。
余句あり、
云ふ「可
見南洲無戰志。砲丸雨裡間牽犬」と、是れ實録(じつろく)なり。


九十四
凡區處人事
當下先慮其結局處
而後下上手。

楫之舟勿行、
的之箭勿發。

〔譯〕
凡そ人事を區處(くしよ)するには、
當さに先づ其の結局の處を慮(おもんぱ)かりて、後に手を下すべし。

(かぢ)無きの舟は行(や)る勿(なか)れ、
(まと)無きの箭(や)は發(はな)つ勿れ。


九十五
朝而不食、
則晝而饑。

少而不學、
則壯而惑。

饑者猶可忍、
惑者不奈何

〔譯〕
朝にして食はずば、
(ひる)にして饑(う)う。

(わか)うして學ばずば、
壯にして惑まどふ。

(う)るは猶忍(しの)ぶ可し、
(まど)ふは奈何ともす可からず。


九十六
今日之貧賤不素行
乃他日之富貴、必驕泰。

今日之富貴不素行
乃他日之患難、必狼狽。

〔譯〕
今日の貧賤に素行する能はずば、
乃ち他日の富貴に、
必ず驕泰(けうたい)ならん。

今日の富貴に素行する能はずんば、
乃ち他日の患難(くわんなん)に、
必ず狼狽せん。

〔評〕
南洲、顯職(けんしよく)に居り勳功(くんこう)を負(お)ふと雖、
身極めて質素なり。

朝廷賜(たま)ふ所の賞典二千石は、
(こと/″\)く私學校の費(ひ)に充(あ)つ。

貧困なる者あれば、
(のう)を傾(かたぶ)けて之を賑(すく)ふ。 

其の自ら視ること欿然(かんぜん)として、
微賤(びせん)の時の如し。


九十七
雅事多是虚、
勿下謂之雅而耽上之。

俗事却是實、
勿下謂之俗而忽上レ之。

〔譯〕
雅事(がじ)多くは是れ虚(きよ)なり、
之を雅(が)と謂うて之に耽(ふけ)ること勿れ。

俗事却て是れ實なり、
之を俗と謂うて之を忽(ゆるがせ)にすること勿れ。


九十八
歴代帝王、
唐虞外、
眞禪讓

商周已下、
秦漢至於今
凡二十二史、
皆以武開國、以文治之。

因知、武猶質、
文則其毛彩、
虎豹犬羊之所以分也。

今之文士、其可武事


〔譯〕
歴代の帝王、唐虞(たうぐ)を除く外、眞の禪讓(ぜんじやう)なし。

商周(しやうしう)已下(いか)秦漢(しんかん)より今に至るまで、
凡そ二十二史、皆武を以て國を開き、文を以て之を治む。

因つて知る、武は猶質(しつ)のごとく、
文は則ち其の毛彩(まうさい)にして、
虎豹(こへう)犬羊の分るゝ所以なるを。

今の文士、其れ武事を忘る可けんや。


九十九
遠方試レ歩者、
往往舍正路
捷徑
或繆入林莾
嗤也。

人事多類此。
特記レ之。

〔譯〕
遠方に歩を試(こゝろ)むる者、
往往にして正路(せいろ)を舍(すて)て、
捷徑(せうけい)に趍り、
或は繆(あやま)つて林莾に入る、嗤(わら)ふ可きなり。

人事多く此に類(るゐ)す。
特くに之を記しるす。


智仁勇、 人皆謂大徳難一レ企。

然凡爲邑宰者、
固爲親民之職

其察奸慝
矜二孤寡
強梗
即是徳實事。

宜下能就實迹以試之可上也。

〔譯〕
智仁勇は、人皆大徳(たいとく)(くはだ)て難しと謂ふ。
然れども凡そ邑宰(いふさい)たる者は、固と親民の職たり。

其の奸慝(かんとく)を察し、
孤寡(こくわ)を矜(あはれ)み、
強梗(きやうかう)を折(くじ)くは、
即ち是れ三徳の實事なり。

宜しく能く實迹に就いて以て之を試(こゝろ)みて可なるべし。


百一
身有老少、 而心無老少
氣有老少、 而理無老少

須丙能執下無老少之心上、
以體乙無老少之理甲。

〔譯〕
身に老少(らうせう)有りて、 心に老少無し。
氣に老少有りて、 理に老少無し。

須らく能く老少無きの心を執(と)つて、
以て老少無きの理を體(たい)すべし。

〔評〕

幕府南洲に禍せんと欲す。
藩侯之を患(うれ)へ、南洲を大島に竄(ざん)す。


南洲貶竄(へんざん)せらるゝこと前後數年なり、
而て身益壯(さかん)に、
氣益旺(さかん)に、
讀書是より大に進むと云ふ。




西郷隆盛「南洲手抄言志録」八十一 ~九十 佐藤一齋・秋月種樹(古香)

2020-01-25 21:36:13 | 西郷隆盛

南洲手抄言志録

佐藤一齋・秋月種樹(古香)

山田濟齋訳


八十一
凡爲學之初、
必立下欲爲二大人一之志上、
然後書可讀也。

然、 徒貪聞見而已、
則或恐傲飾一レ非。

謂假寇兵
盜糧也、
虞。

〔譯〕
凡そ學を爲すの初め、
必ず大人たらんと欲するの志を立て、
然る後書讀む可し。

然らずして、
(いたづら)に聞見を貪(むさぼ)るのみならば、
則ち或は傲(がう)を長(ちやう)じ非を飾(かざら)んことを恐る。

謂はゆる寇(こう)に兵を假(か)し、
(たう)に糧(りやう)を資(し)するなり、
(おもんぱ)かる可し。



八十二
眞己假己、 天理也。
身我心我、人欲也。

〔譯〕
眞己(しんこ)を以て假己(かこ)に克(か)つ、天理なり。
身我(しんが)を以て心我を害(がい)す、人欲(じんよく)なり。


八十三
一息間斷、 
一刻急忙

即是天地氣象。

〔譯〕
一息(そく)の間斷(かんだん)無く、 
一刻(こく)の急忙(きふばう)無し。

即ち是れ天地の氣象(きしやう)なり。

〔評〕
木戸公毎旦考妣(ちゝはゝ)の木主を拜す。
身煩劇(はんげき)に居ると雖、少しくも怠(おこたら)ず。
三十年の間一日の如し。


八十四
於無一レ心、 工夫是也。
於有一レ心、 本體是也。

〔譯〕
心無きに心有るは、工夫(くふう)是なり。
心有るに心無きは、本體(ほんたい)是なり。


八十五
知而知者、 道心也。
知而不知者、 人心也。

〔譯〕
知らずして知る者は、道心(だうしん)なり。
知つて知らざる者は、人心(じんしん)なり。


八十六
心靜、方能知白日。 

眼明、始會青天。  

此程伯氏之句也。
青天白日、常在於我

宜下掲之座右、以爲中警戒上。
 

〔譯〕
心靜にして、方(まさ)に能く白日を知る。

眼明かにして、始めて青天を識り會(え)すと。

此れ程伯氏(ていはくし)の句なり。
青天白日は、常に我に在り。

宜しく之を座右(ざいう)に掲(かゝげ)て、以て警戒と爲すべし。


八十七
靈光充體時、
細大事物、
遺落
遲疑

〔譯〕
靈光(れいくわう)(たい)に充(みつ)る時、
細大(さいだい)の事物、
遺落(ゐらく)無く、
遲疑(ちぎ)無し。

〔評〕
死を決するは、薩の長ずる所なり。
公義を説くは、土の俗なり。
維新の初め、一公卿あり、南洲の所に往いて復古の事を説く。

南洲曰ふ、夫れ復古は易事(いじ)に非ず、
且つ九重阻絶(そぜつ)し、
(みだり)に藩人を通ずるを得ず、
必ずや縉紳(しんしん)死を致す有らば、則ち事或は成らんと。

又後藤象次郎に往(ゆ)いて之を説く。
象次郎曰ふ、復古は難(かたき)に非ず、
然れども門地(もんち)を廢(はい)し、
門閥(もんばつ)を罷(や)め、
(けん)を擧(あ)ぐること方(はう)なきに非ざれば、則ち不可なりと。
二人の本領自ら見(あら)はる。


八十八
人心之靈、 
太陽然。

但克伐怨欲、
雲霧四塞、
此靈烏在。

故誠意工夫、
先下於掃雲霧仰中白日上。

凡爲學之要、
此而起基。

故曰、誠者物之終始。
 

〔譯〕
人心の靈(れい)
太陽の如く然り。

但だ克伐(こくばつ)怨欲(えんよく)
雲霧(うんむ)四塞(しそく)せば、
此の靈(れい)烏いづくに在る。

故に意を誠(まこと)にする工夫は、
雲霧(うんむ)を掃(はら)うて白日を仰(あふ)ぐより先きなるは莫なし。

凡そ學を爲すの要(えう)は、
(これ)よりして基(もとゐ)を起(おこ)す。
故に曰ふ、誠は物の終始(しゆうし)と。 


十九
胸次清快、 
則人事百艱亦不阻。

〔譯〕
胸次(きようじ)清快(せいくわい)なれば、
則ち人事百艱(かん)亦阻(そ)せず。


九十〇
人心之靈、 主於氣
氣體之充也。

凡爲事、
氣爲先導
則擧體無失措

技能工藝、亦皆如此。

〔譯〕
人心の靈(れい)は、氣(き)を主(しゆ)とす。

氣は體(たい)に之れ充(み)つるものなり。

凡そ事を爲すに、
氣を以て先導と爲さば、
則ち擧體(きよたい)失措(しつそ)無し。

技能工藝(こうげい)も、
亦皆此(かく)の如し。




西郷隆盛「南洲手抄言志録」六十一~八十 佐藤一齋・秋月種樹(古香)

2020-01-24 23:17:12 | 西郷隆盛

南洲手抄言志録

佐藤一齋・秋月種樹(古香)


山田濟齋訳

 

六十一
 象山、
宇宙内事、
皆己分内事、
此謂男子擔當之志如一レ此。

陳澔引此註射義、 極是。

〔譯〕
象山の、
宇宙内(ない)の事は皆己(おのれ)分内(ぶんない)の事は、
(これ)男子擔當(たんたう)の志此(かく)の如きを謂ふなり。

ちんかう)此を引いて射義(しやぎ)を註(ちゆう)す、極はめて是なり。

〔評〕
南洲嘗かつて東湖に從うて學ぶ。
當時(たうじ)書する所、
今猶民間に存す。

曰ふ、「一寸の英心萬夫(ばんぷ)に敵す」と。
(けだ)し復古の業を以て擔當(たんたう)することを爲す。
維新征東の功實に此に讖(しん)す。

末路再び讖(しん)を成せるは、
悲しむべきかな。


六十二
 講論語、 是慈父教子意思。
孟子、 是伯兄誨季意思。
大學一、 如二網在一レ綱。
中庸、 如雲出一レ岫。

〔譯〕
論語を講(かう)ず、 是れ慈父の子を教ふる意思。
孟子を講ず、是れ伯兄の季(き)を誨(をし)ふる意思。
大學を講ず、網(あみ)の綱(かう)に在る如し。
中庸を講ず、雲の岫(しう)を出づる如し。


六十三
 易是性字註脚。
詩是情字註脚。
書是心字註脚。

〔譯〕
(えき)は是れ性(せい)の字の註脚(ちゆうきやく)なり。
詩は是れ情の字の註脚なり。
書は是れ心の字の註脚なり。


六十四
 獨得之見似私、
人驚其驟至

平凡之議似公、
世安其狃聞

凡聽人言
虚懷而邀一レ之。

安狃聞可也。

〔譯〕
獨得(どくとく)の見(けん)は私に似る、
人其の驟至(しうし)に驚おどろく。

平凡の議は公に似る、
世其の狃聞(ぢうぶん)に安んず。

凡そ人の言を聽くは、
宜しく虚懷(きよくわい)にして之を邀(むか)ふべし。

狃聞(ぢうぶん)に苟安(こうあん)することなくんば可なり。


六十五
 心理是豎工夫、 愽覽是横工夫。
豎工夫、 則深入自得。
横工夫、 則淺易汎濫。

〔譯〕
心理は是れ豎(たて)の工夫なり、愽覽(はくらん)は是れ横よこの工夫なり。
(たて)の工夫は、則ち深入(しんにふ)自得(じとく)せよ。
横の工夫は、則ち淺易(せんい)汎濫なれ。


六十六
 讀經、
宜下以我之心經之心
經之心釋中我之心上。

然徒爾講明訓詁而已、
便是終身不曾讀

〔譯〕
(けい)を讀むは、
宜しく我れの心を以て經の心を讀み、
經の心を以て我の心を釋(しやく)すべし。

然らずして徒爾(とじ)に訓詁(くんこ)を講明(かうめい)するのみならば、
便すなはち是れ終身曾(かつ)て讀まざるなり。


六十七
 引滿中度、 發無空箭
人事宜射然

〔譯〕
滿を引(ひ)き度(ど)に中あたり、發して空箭(くうぜん)無し。
人事宜しく射(しや)の如く然るべし。


六十八
 前人、謂英氣害一レ事。
余則謂、
英氣不無、
但露圭角不可

〔譯〕
前人は、英氣(えいき)は事を害すと謂へり。
余は則ち謂ふ、
英氣は無かる可らず、
(ただ)圭角(けいかく)を露(あら)はすを不可と爲すと。


六十九
 刀槊之技、
怯心者衄、
勇氣者敗。

必也泯勇怯於
勝負於

之以天、
廓然太公、
之以地、
物來順應。

是者勝矣。

心學亦不於此

〔譯〕
刀槊(たうさく)の技、
(きよ)心を懷(いだ)く者は衄(くじ)け、
勇氣を頼(たの)む者は敗(やぶ)る。

必や勇怯(ゆうきよ)を一靜(せい)に泯(ほろぼ)し、
勝負を一動(どう)に忘わすれ、
之を動かすに天を以てして、
廓然(かくぜん)太公(たいこう)に、
之を靜(しづ)むるに地を以てして、
(もの)來つて順應(じゆんおう)せん。

(かく)の如き者は勝(か)たん。

心學も亦此(こゝ)に外ならず。

〔評〕
長兵京師に敗(やぶ)る。
木戸公は岡部氏に寄つて禍(わざはい)を免るゝことを得たり。
後のち丹波に赴(おもむ)き、
姓名を變(かへ)
博徒(ばくと)に混(まじ)り、
酒客(しゆかく)に交(まじは)り、
以て時勢を窺(うかゞ)へり。

南洲は浪華(なには)の某樓に寓(ぐう)す。

幕吏搜索(さうさく)して樓下に至る。

南洲乃ち劇(げき)を觀るに託して、
舟を僦(か)りて逃げ去れり。

此れ皆勇怯(ゆうきよ)を泯(ほろぼ)し勝負を忘るゝものなり。


七十〇
 無我則不其身、 即是義。

物則不其人、 即是勇。

〔譯〕
(わ)れ無ければ則ち其身を獲えず、 即ち是れ義なり。
物無ければ則ち其人を見ず、即ち是れ勇なり。


七十一
 自反而縮者、 無我也。
千萬人吾往矣、無物也。

〔譯〕
自ら反かへりみて縮(なほ)きは、我(われ)無きなり。
千萬人と雖吾れ往かんは、物無きなり。


七十二
 三軍不和、 難以言一レ戰。
百官不和、 難以言一レ治。
書云、 同寅協恭和衷哉。
和字、 一串治亂

〔譯〕
三軍和せずば、 以て戰ひを言ひ難がたし。
百官和せずば、 以て治(ち)を言ひ難し。
書に云ふ、 寅(いん)を同じうし恭(きよう)を協(あは)せ和衷(わちゆう)せよやと。
唯だ一の和字、 治亂(ちらん)を一串(いつくわん)す。

〔評〕
復古の業は薩長の合縱が(つしよう)に成る。

是れより先き、
土人坂本龍馬、薩長の和せざるを憂(うれ)へ、
薩邸に抵(いた)り、
大久保・西郷諸氏に説き、
又長邸に抵(いた)り、
木戸・大村諸氏に説く。

薩人黒田・大山諸氏長に至り、
長人木戸・品川諸氏薩に往(ゆ)き、
而て後和(わ)成り、
維新の鴻業(こうげふ)を致いたせり。


七十三
 凡事有眞是非
假是非

假是非、謂通俗之所可否

年少未學、
而先了假是非
後欲眞是非
亦不入。

謂先入爲主、
如何


〔譯〕
凡そ事に眞是非(しんぜひ)有り、
假是非(かぜひ)有り。

假是非とは、通俗の可否する所を謂ふ。

年少(わか)く未だ學ばずして、
先づ假是非を了(れう)し、
後におよ)んで眞是非を得んと欲するも、
亦入り易(やす)からず。

謂はゆる先入主と爲なり、
如何ともす可らざるのみ。

七十四
果斷、 有二自義來者
智來者
勇來者
有下并義與一レ智而來者上、 上也。
徒勇而已者殆矣。

〔譯〕
果斷(くわだん)は、 義より來るもの有り。
智より來るもの有り。
勇より來るもの有り。
義と智とを併せて來るもの有り、上なり。
(たゞ)に勇のみなるは殆あやふし。

〔評〕
關八州(くわんはつしう)は古より武を用ふるの地と稱す。
興世(おきよ)王反逆すと雖、猶將門(まさかど)に説いて之に據(よ)らしむ。

小田原の役、豐(ほう)公は徳川公に謂うて曰ふ、
東方に地あり、江戸と曰ふ、以て都府を開く可しと。

一新の始はじめ、大久保公遷都の議を獻(けん)じて曰ふ、
官軍已に勝と雖、東賊(とうぞく)猶未だ滅(ほろ)びず、
宜しく非常の斷を以て非常の事を行ふべしと。
先見の明智ちと謂ふ可し。


七十五
公私在レ事、又在レ情。
事公而情私者有レ之。
事私而情公者有レ之。

爲レ政者、
宜下權二衡人情事理輕重處一、
以用中其中於上レ民。

〔譯〕
公私は事に在り、又情に在り。
事公にして情私なるもの之有り。
事私にして情公なるもの之有り。

政を爲す者は、
宜しく人情事理(じり)輕重の處を權衡(けんかう)して、
以て其の中(ちゆう)を民に用ふべし。

〔評〕
南洲城山に據よる。
官軍柵を植うゑて之を守る。
山縣中將書を南洲に寄せて兩軍殺傷の慘(さん)を極言(きよくげん)す。

南洲其の書を見て曰ふ、
我れ山縣に負(そむ)かずと、
斷然(だんぜん)死に就(つ)けり。

中將は南洲の元を視みて曰ふ、
(をしい)かな、天下の一勇將を失へりと、
流涕(りうてい)すること之を久しうせり。
(あゝ)公私情盡せり。


七十六
愼獨工夫、
當下如三身在二稠人廣座中一一般上。

應酬工夫、
當下如二間居獨處時一一般上。

〔譯〕
愼獨(しんどく)の工夫は、
(まさ)に身稠人(ちうじん)廣座(くわうざ)の中に在るが如く一般なるべし。

應酬(おうしう)の工夫は、
(まさ)に間居(かんきよ)獨處(どくしよ)の時の如く一般なるべし。


七十七
心要現在
事未來、 不邀。
事已往、 不追。
纔追纔邀、 便是放心。

〔譯〕
心は現在せんことを要す。
事未だ來らずば、 邀(むか)ふ可らず。
事已に往(ゆ)かば、 追(お)ふ可らず。
(わづ)かに追ひ纔かに邀へば、 便すなはち是れ放心(はうしん)なり。


七十八
物集於其所一レ好、 人也。
事赴於所一レ期、 天也
。 

〔譯〕
(もの)其の好む所に集まるは、 人なり。
(こと)期せざる所に赴(おもむ)くは、 天なり。


七十九
 人貴厚重、 不遲重
眞率、 不輕率

〔譯〕
人は、厚重を貴ぶ、遲重(ちちよう)を貴ばず。
眞率(しんそつ)を尚(たつと)ぶ、輕率(けいそつ)を尚ばず。

〔評〕
南洲人に接して、妄(みだり)に語を交(まじ)へず、人之を憚(はゞか)る。
然れども其の人を知るに及んでは、則ち心を傾けて之を援
(たす)く。

其人に非ざれば則ち終身言はず。


八十〇
 凡生物皆資二於養一。
天生而地養レ之。
人則地之氣精英。

吾欲三靜坐以養レ氣、
動行以養レ體、
氣體相資、
以養二此生一。

所二以從レ地而事一レ天。

〔譯〕
凡そ生物は皆養(やう)を資とる。
天生じて地之を養(やしな)ふ。

人は則ち地の氣の精英(せいえい)なり。
吾れ靜坐して以て氣を養ひ、
動行(どうかう)して以て體を養ひ、
氣と體と相資(と)つて以て此の生を養はんと欲す。

地に從うて天に事ふる所以なり。

〔評〕
維新の業は三藩の兵力に由ると雖、
抑之を養ふに素(そ)あり、
曰く名義なり、曰く名分なり。

或は云ふ、
維新の功は大日本史及び外史に基(もと)づくと、
亦理無(な)しとせざるなり。



西郷隆盛「南洲手抄言志録」四十六~六十 佐藤一齋・秋月種樹(古香)

2020-01-22 22:36:45 | 西郷隆盛

南洲手抄言志録

佐藤一齋・秋月種樹(古香)


山田濟齋訳



四十六
 君子自慊、小人自欺。
君子自彊、小人自棄。
上達下達、落在一自字

〔譯〕
君子は自ら慊(こゝろ)よくし、小人は自ら欺(あざむ)く。
君子は自ら彊(つと)め、小人は自ら棄(す)つ。
上達(たつ)と下達(たつ)とは、一の自じの字に落在(らくざい)す。


四十七
 人皆知身之安否一
而不心之安否

宜下自問中能不闇室否、
能不衾影一否、
能得安穩快樂否上。

時時如是、心便不放。

〔譯〕
人は皆身の安否を問ふことを知つて、
而かも心の安否を問ふことを知らず。

宜しく自ら能く闇室(あんしつ)を欺(あざむ)かざるや否いなや、
能く衾影(きんえい)に愧(はぢ)ざるや否や、
能く安穩(あんおん)快樂を得るや否やと問ふべし。

時時是かくの如くば心便(すなは)ち放(はな)たず。

〔評〕
某士南洲に面して仕官を求もとむ。
南洲曰ふ、汝俸給幾許(いくばく)を求むるやと。

某曰ふ、三十圓ばかりと。

南洲乃ち三十圓を與へて曰ふ、
汝に一月の俸金を與へん、
汝は宜しく汝の心に向むかうて我が才力(さいりき)如何を問ふべしと。

其人復(ま)た來らず。 


四十八
 無爲而有爲之謂誠。
爲而無爲之謂敬。

〔譯〕
爲す無くして爲す有る之を誠と謂ふ。
爲す有つて爲す無し之を敬(けい)と謂ふ。


四十九
 寛懷不俗情、和也。
立脚不俗情、介也

〔譯〕
寛懷(かんくわい)俗情(ぞくじやう)に忤(さか)はざるは、和なり。
立脚俗情に墜(お)ちざるは、介なり。


五十〇
 惻隱之心偏、
民或有二溺レ愛殞レ身者

羞惡之心偏、
民或有下自經溝涜者上。

辭讓之心偏、
民或有奔亡風狂者

是非之心偏、
民或有兄弟鬩牆父子相訟者

凡情之偏、
四端遂陷不善

故學以致中和
歸三於無過不及
之復性之學一。

〔譯〕
惻隱(そくいん)の心偏(へん)すれば、
民或は愛に溺れ身を殞す者有り。

羞惡(しうを)の心偏すれば、
民或は溝涜(かうとく)に自經(じけい)する者有り。

辭讓(じじやう)の心偏すれば、
民或は奔亡(ほんばう)風狂(ふうき)やうする者有り。

是非の心偏すれば、
民或は兄弟牆(かき)に鬩(せめ)ぎ父子相訟(うつた)ふ者有り。

凡そ情の偏するや、
四端たんと雖遂に不善(ふぜん)に陷(おち)いる。

故に學んで以て中和を致(いた)し、
過不及(かふきふ)無きに歸(き)す、
之を復性(ふくせい)の學と謂ふ。

〔評〕
江藤新平、
前原一誠等の如きは、
皆維新功臣として、勤王二なく、
官は參議に至り、位は人臣の榮を極(きは)む。

然り而して前後皆亂を爲し誅に伏す、
惜しいかな。

豈四端(たん)の偏(へん)ありしものか。


五十一
 此學吾人一生負擔、
斃而後已

道固無窮、
堯舜之上善無盡。

孔子自學、至七十
毎二十年、自覺其有一レ進、
孜孜自彊、
老之將一レ至。

假使其踰耄至一レ期、
則其神明不測、
想當何如哉。

凡學孔子者、
宜下以孔子之志爲上志。

〔譯〕
此の學は吾人一生の負擔(ふたん)
(まさ)に斃(たふ)れて後に已(や)むべし。

道固より窮り無し。
堯舜の上、善盡くること無し。

孔子學に志してより七十に至るまで、
十年毎に自ら其の進む所有るを覺(さと)り、
孜孜(しゝ)として自ら彊(つと)めて、
老の將に至らんとするを知らず。

(も)し其をして耄(ばう)を踰(こ)え期に至らしめば、
則ち其の神明測(はか)られざること、
(おも)ふに當に何如たるべきぞや。

凡そ孔子を學ぶ者は、
宜しく孔子の志を以て志と爲すべし。


五十二
 自彊不息、
天道也、君子所以也。

如下虞舜孳孳爲善、
大禹思日孜孜
成湯苟日新、
文王不遑暇
周公坐以待旦、
孔子發憤忘上食、
皆是也。

彼徒事靜養瞑坐而已、
則與此學脈背馳。

〔譯〕
自ら彊(つと)めて息(や)まざるは天道なり、
君子の以(もち)ゐる所なり。

虞舜(ぐしゆん)の孳孳(じじ)として善を爲し、
大禹(う)の日に孜孜せんことを思ひ、
成湯(せいたう)の苟(まこと)に日に新にせる、
文王の遑(いとま)あき暇(いとま)あらざる、
周公の坐して以て旦(たん)を待まつ、
孔子の憤(いきどほり)を發して食を忘るゝ如きは、
皆是なり。

彼の徒(いたづら)に靜養(せいやう)瞑坐(めいざ)を事とすのみならば、
則ち此の學脈(がくみやく)と背馳(はいち)す。


五十三
 自彊不息時候、
心地光光明明、
何妄念游思
何嬰累罣想

〔譯〕
自ら彊(つとめ)て息(や)まざる時候(じこう)は、
心地(しんち)光光明明(くわう/\めい/\)にして、
何の妄念(ばうねん)游思(ゆうし)有らん、
何の嬰累(えいるゐ)(けさう)有らん。 

〔評〕
三條公の筑前に在る、
或る人其の旅況(りよきやう)の無聊(むれう)を察して美女を進む、
公之を卻(しりぞ)く。

某氏宴を開いて女樂(がく)を設く、
公怫(ふつ)然として去れり。


五十四
 提一燈、 行暗夜

暗夜、 只頼一燈

〔譯〕
一燈を提げて、暗夜を行く。
暗夜を憂ふる勿れ、只だ一燈を頼たのめ。

〔評〕
伏水戰を開き、砲聲大内に聞え、愈激しく愈近づく。

岩倉公南洲に問うて曰ふ、勝敗何如と。
南洲答へて曰ふ、西郷隆盛在り、憂ふる勿れと。


五十五
 倫理物理、同一理也。
我學二倫理之學一、宜三近取二諸身一、即是物理。

〔譯〕
倫理と物理とは同一理なり。

我れ倫理の學を學ぶ、
宜しく近く諸(これ)を身に取るべし、
即ち是れ物理なり。

 

 

五十六
 濁水亦水也。

一澄則爲清水
客氣亦氣也。
一轉則爲正氣

客工夫、
只是克己、
只是復禮。

〔譯〕
濁水も亦水なり、
一澄(ちよう)すれば則ち清水となる。

客氣も亦氣なり、
一轉(てん)すれば則ち正氣となる。

客を逐ふの工夫は、
只是れ己に克つなり、
只是れ禮に復かへるなり。


〔評〕
南洲壯時(さうじ)角觝(かくてい)を好み、
毎(つね)に壯士と角す。

人之を苦しむ。
其守庭吏(しゆていり)と爲るや、
庭中に土豚(どとん)を設(まう)けて、
掃除(そうじよ)を事とせず。

既にして慨然(がいぜん)として天下を以て自ら任じ、
節を屈して書を讀み、遂に復古の大業を成せり。


五十七
 理本無レ形。
無レ形則無レ名矣。
形而後有レ名。

既有レ名、
則理謂二之氣一無二不可一。

故專指二本體一、
則形後亦謂二之理一。

專指二運用一、
則形前亦謂二之氣一、
竝無二不可一。

如二浩然之氣一、
專指二運用一、
其實太極之呼吸、
只是一誠。

謂二之氣原一、即是理。

〔譯〕
理は本もと形かたち無し。
形無ければ則ち名無し。
形ありて後に名有り。

既に名有れば、
則ち理之を氣と謂ふも、
不可無し。

故に專ら本體(ほんたい)を指せば、
則ち形後(けいご)も亦之を理と謂ふ。

專ら運用を指せば、
則ち形前も亦之を氣と謂ふ、
(ならび)に不可無し。

浩然(かうぜん)の氣の如きは、
專ら運用を指すも、
其の實太極(たいきよく)の呼吸にして、
只是れ一誠(せい)なり。

之を氣原(げん)と謂ふ、
即ち是れ理なり。

 

五十八
 物我一體、 即是仁。

我執公情以行公事
天下無服。

治亂之機、
於公不公一。

周子曰、
於己者、
於人

伊川又以公理
仁字

餘姚亦更博愛公愛
并攷


〔譯〕
物我(ぶつが)一體(たい)は即ち是れ仁なり。

我れ公情(こうじやう)を執(と)つて以て公事を行ふ、
天下服せざる無し。

治亂(ちらん)の機きは公と不公とに在り。

(しう)子曰ふ、己(おのれ)に公なる者は人に公なりと。

伊川(いせん)又公理(こうり)を以て仁の字を釋(しやく)す。
餘姚(よえう)も亦博愛を更(あらた)めて公愛と爲せり。

(あは)せ攷(かんが)ふ可し。

〔評〕
余嘗て木戸公の言を記せり。

曰ふ、會津藩士しは、
性直にして用ふ可し、
長人の及ぶ所に非ざるなりと。

夫れ會(くわい)は長の敵なり、
而しかも其の言此かくの如し。

以て公の事を處(しよ)すること皆公平なるを知るべし。


五十九
 尊徳性
是以道問學
即是尊徳性

先立其大者
則其知也眞。

能迪其知
則其功也實。

畢竟條路往來耳。

〔譯〕
徳性を尊ぶ、是を以て問學(ぶんがく)に道(よ)る、
即ち是れ徳性を尊ぶなり。

先づ其の大なる者を立つれば、
則ち其知や眞(しん)なり。

能く其の知を迪(ふ)めば、
則ち其功や實(じつ)なり。

畢竟(ひつきやう)一條(いちでう)(ろ)の往來のみ。


六十〇
 周子主靜、
心守本體


説自註無欲故靜
程伯氏因此有天理人欲之説

叔子持敬工夫亦在此。

朱陸以下雖各有得レ力處
而畢竟不此範圍

意至明儒
朱陸分黨如敵讐

何以然邪。

今之學者、
宜下以平心待上之。

其得力處可也。

〔譯〕
周子(しうし)(せい)を主とす、
心本體(ほんたい)を守るを謂ふなり。

(づせつ)に、
「欲よく無し故に靜せい」と自註(じちゆう)す、
程伯氏(ていはくし)(これ)に因つて天理り人欲(よく)の説(せつ)有り。

叔子(しゆくし)敬を持(ぢ)する工夫も亦此こゝに在り。

朱陸(しゆりく)以下各力(ちから)を得る處有りと雖、
(し)かも畢竟(ひつきやう)此の範圍(はんい)を出でず。

(おも)はざりき明儒(みんじゆ)に至つて、
朱陸(しゆりく)(たう)を分つこと敵讐(てきしう)の如くあらんとは。

何を以て然るや。

今の學ぶ者、宜しく平心を以て之を待つべし。

其の力を得る處を取らば可なり。


西郷隆盛 「南洲手抄言志録」三十一 ~ 四十五 佐藤一齋・秋月種樹(古香)

2020-01-21 22:46:16 | 西郷隆盛

南洲手抄言志録

佐藤一齋・秋月種樹(古香


山田濟齋訳


三十一
 意之誠否、須下於二夢寐中事一驗上之。
〔譯〕
 意の誠否は、須らく夢寐(むび)中の事に於て之を驗(けん)すべし。

〔評〕
南洲弱冠の時、
藤田東湖に謁えつす、
東湖は重瞳子(ちやうどうし)
躯幹(くかん)魁傑(くわいけつ)にして、
黄麻(わうま)の外套を被き、
朱室(しゆざや)の長劒(ちやうけん)を佩(さ)して南洲を邀(むか)ふ。

 南洲一見して瞿然(くぜん)たり。
乃ち室内に入る、
一大白を屬(ぞく)して酒を侑(すゝ)めらる。

南洲は素(も)と飮(いん)を解かいせず、
(し)ひて之を盡(つく)す、
(たちま)ち酩酊して嘔吐(おうど)席を汚(けが)す。

東湖は南洲の朴率(ぼくそつ)にして飾ところなきを見て酷(はなは)だ之を愛す。

嘗て曰ふ、
他日我が志を繼ぐ者は獨此の少年子のみと。
南洲も亦曰ふ、
天下眞に畏(おそ)る可き者なし、
唯畏る可き者は東湖一人のみと。

二子の言、夢寐(むび)相感(かん)ずる者か。

 

三十二
 不起二妄念一是敬。
妄念不起是誠。
〔譯〕
妄念(ばうねん)を起さゞるは是れ敬なり。
妄念起らざるは是れ誠なり。
 

 

三十三
 因民義以激之、
民欲以趨之、
則民忘其生而致其死
是可以一戰

〔譯〕
民の義に因つて以て之を激し、
民の欲に因つて以て之を趨(はし)らさば、
則ち民其の生を忘わすれて其の死を致さん。
是れ以て一戰(せん)す可し。

 

〔評〕
兵數は孰(いづれ)か衆(おほ)き、
器械は孰れか精なる、
糧食は孰れか積つめる、
この數者を以て之を較(くら)べば、
薩長の兵は固より幕府に及ばざるなり。

然り而して伏見の一戰、
東兵披靡(ひび)するものは何ぞや。

南洲及び木戸公等の策、
民の欲に因つて之を趨(はし)らしたればなり。
是を以て破竹の勢ありたり。

 

三十四
 漸必成レ事、
惠必懷レ人。

如二歴代姦雄一、
有下竊二其祕一者上、

一時亦能遂レ志。
可レ畏之至。

〔譯〕
(ぜん)は必ず事を成なし、
(けい)は必ず人を懷(な)づく。

歴代姦雄(かんゆう)の如き、
其祕を竊(ぬす)む者有り、

一時亦能く志を遂(と)ぐ。
畏る可きの至りなり。

 

三十五
 匿情似二愼密一。
柔媚似二恭順一。
剛愎似二自信一。
故君子惡二似而非者一。

〔譯〕
匿情(とくじやう)は愼密(しんみつ)に似にる。
柔媚(じうび)は恭順に似る。
剛愎(がうふく)は自信に似る。
故に君子は似にて非なる者を惡(にく)む。

 

三十六
 事君不忠非孝也、
戰陳無勇非孝也。

曾子孝子、其言如此。

彼謂三忠孝不二兩全一者、
世俗之見也。

〔譯〕
君に事(つか)へて忠ならざるは孝に非ざるなり、
戰陳(せんじん)に勇(ゆう)無きは孝に非ざるなりと。

曾子は孝子なり、
其の言此かくの如し。

彼の忠孝兩全(りやうぜん)せずと謂ふは、世俗の見なり。

〔評〕
十年の難、
賊の精鋭熊本城下に聚(あつま)る。

而て援軍未だ達せず。
谷中將死を以て之を守り、少しも動かず。
賊勢遂に屈し、其兵を東する能はず。
昔者むかし加藤嘉明(よしあき)言へるあり。

 曰ふ、將(しやう)を斬(き)り旗を搴(と)るは、
氣盛なる者之を能くす、
而かも眞勇に非ざるなり。
孤城(こじやう)を援なきに守り、
(せん)主を衆睽(そむ)くに保(たも)つ、
律義者(りちぎもの)に非ざれば能はず、
故に眞勇は必ず律義者に出づと。

 尾藤孝肇(びとうかうてう)曰ふ、
律義とは蓋(けだ)し直(ちよく)にして信あるを謂ふと。

余謂ふ、
孤城を援なきに守るは、
谷中將の如くば可なりと。

嗚呼中將は忠且つ勇なり、
而して孝其の中うちに在り。

三十七
 不誣者人情、
欺者天理、
人皆知之。

蓋知而未知。

〔譯〕
(し)ふ可らざる者は人情なり、
(あざむ)く可らざる者は天理なり、
人皆之を知る。

(けだ)し知つて而して未だ知らず。
 

〔評〕
榎本武揚等五稜郭の兵已に敗る。
海律全書(かいりつぜんしよ)二卷を以て我が海軍に贈つて云ふ、
是れ嘗て荷蘭(おらんだ)に學んで獲えたる所なり、
身と倶に滅ることを惜しむと。

 武揚の誣ふ可らざるの情天聽(てんちやう)に達し、
其の死を宥し寵用(ちようよう)せらる、天理なり。

 

三十八
 知是行之主宰、
乾道也。
行是知之流行、坤道也。
合以成二體躯一。
則知行、是二而一、一而二。

〔譯〕
知は是れ行(かう)の主宰(しゆさい)なり、乾道(けんだう)なり。
行は是れ知の流行なり、坤道(こんだう)なり。
合して以て體躯たいくを成す。
則ち知行は是れ二にして一、一にして二なり。

 

三十九
 學貴自得
人徒以目讀有字之書
故局於字
通透

當三以心讀無字之書
乃洞而有自得

〔譯〕
學は自得を貴ぶ。
人徒(いたづら)に目を以て有字の書を讀む、
故に字に局し、
通透(つうとう)することを得ず。

 當(まさ)に心を以て無字の書を讀むべし、
乃ち洞して自得するところ有らん。

 

四十〇
 孟子以讀書尚友
故讀經籍
即是聽嚴師父兄之訓也。

史子
亦即與明君賢相英雄豪傑相周旋也。
其可不下清明其心以對中越之上乎。

〔譯〕
孟子讀書を以て尚友(しやういう)と爲す。
故に經籍(けいせき)を讀む、
即ち是れ嚴師(げんし)父兄の訓を聽くなり。

史子(しゝ)を讀む、
亦即ち明君賢相英雄豪傑と相周旋(しうせん)するなり。
其れ其の心を清明にして以て之に對越(たいえつ)せざる可けんや。
 

 

四十一
 爲學緊要、
心一字

心以治心、
之聖學

政著眼、
情一字

情以治情、
之王道一。
王道聖學非二。
 

〔譯〕
學を爲すの緊要は心の一字に在り。
心を把(と)つて以て心を治む、
之を聖學と謂ふ。

政を爲すの着眼は情の一字に在り。
情に循(したが)うて以て情を治む、
之を王道と謂ふ。

王道と聖學と二に非ず。
 

〔評〕
兵を治(ち)して對抗(たいかう)し、
互に勝敗あり。

兵士或は負傷者の状を爲す、
醫い故に之を診察す。

兵士初め負傷者とならんことを惡む。

一日、聖上(せいじやう)親臨して負傷者を撫(ぶ)し、
恩言(おんげん)を賜(たま)ふ、
此より兵士負傷者とならんことを願ふ。

是に由つて之を觀れば、
兵を馭(ぎよ)するも亦情に外ならざるなり。

 

四十二
 發憤忘食、
志氣如是。

樂以忘憂、
心體如是。

老之將一レ至、
命樂天如是。

聖人與人不同、
又與人不異。 

〔譯〕
(いきどほり)を發して食を忘る、
志氣是(かく)の如し。

(たのしん)で以て憂(うれひ)を忘る、
心體(しんたい)是の如し。

老の將に至らんとするを知らず、
命を知り天を樂しむもの是かくの如し。

聖人は人と同じからず、
又人と異ことならず。

 

四十三
 講説聖賢
而不之、
之口頭聖賢
吾聞之惕、
辯道學
而不之、
之紙上道學
吾聞レ之再惕
然。

〔譯〕
聖賢を講説(かうせつ)して之を躬(み)にする能はず、
之を口頭(こうとう)聖賢と謂ふ、
吾れ之を聞いて一たび惕然(てきぜん)たり。

道學を論辯(ろんべん)して之を體(たい)する能はず、
之を紙上道學と謂ふ、
吾れ之を聞いて再び惕然(てきぜん)たり。

 

四十四
 學、稽之古訓
問、
之師友
人皆知之。

學必學之躬
問必問諸心
其有幾人耶。

〔譯〕
(がく)之を古訓(こくん)に稽(かんが)へ、
(もん)之を師友に質(たゞ)すは、
人皆之を知る。

 學必ず之を躬に學び、
問必ず諸を心に問ふは、
其れ幾人有らんか。

四十五
 以天而得者固。
人而得者脆。

〔譯〕
天を以て得たるものは固(かた)し。
人を以て得たるものは脆(もろ)し。 



西郷隆盛「南洲手抄言志録」十六~三十 佐藤一齋・秋月種樹(古香)

2020-01-19 16:47:25 | 西郷隆盛

南洲手抄言志録

佐藤一齋・秋月種樹(古香


山田濟齋訳


十六 
賢者臨歾、
理當一レ然、
以爲分、
死、
而希死、
故神氣不亂。

又有遺訓
以聳一レ聽。
而其不聖人亦在於此
聖人平生言動無二一一レ訓。
而臨歾、未必爲遺訓
死生眞如晝夜、無念。

〔譯〕
賢者は歾(ぼつ)するに臨のぞみ、
(り)の當(まさ)に然るべきを見て、
以て分(ぶん)と爲し、
死を畏(おそ)るゝを恥(は)ぢて、死を安(やす)んずるを希(こひねが)ふ、
故に神氣(しんき)(みだれ)ず。

 又遺訓あり、以て聽(ちやう)を聳(そびや)かすに足る。
而かも其の聖人に及ばざるも亦此に在り。
聖人は平生の言動一として訓に非ざるは無し。
而て歾するに臨(のぞ)みて、未だ必しも遺訓を爲(つく)らず。
死生を視(み)ること眞に晝夜(ちうや)の如し、念著つくる所無し。

 

〔評〕
十年の役、私學校の徒と、
彈藥製造所を掠(かす)む。

南洲時に兎を大隈山中に逐(お)ふ。
之を聞いて猝(にはか)に色を變(か)へて曰ふ、
(しま)つたと。

爾後(じご)肥後日向に轉戰して、
神色夷然(いぜん)たり。

 

十七
 堯舜文王、
其所遺典謨訓誥、
皆可以爲萬世法

何遺命如之。
於成王顧命、
曾子善言
賢人分上自當此已。

因疑孔子泰山之歌、
後人假託爲之。
檀弓叵
レ信、
此類
聖人
而却爲之累
 

〔譯〕
堯舜(げうしゆん)文王は、
其の遺(のこ)す所の典謨(てんぼ)訓誥(くんかう)
皆以て萬世の法と爲す可し。

何の遺命(いめい)か之に如(し)かん。
成王の顧命(こめい)
(そう)子の善言に至つては、
賢人の分(ぶん上)(おのづ)から當(まさ)に此の如くなるべきのみ。

 因つて疑うたがふ、
孔子泰山の歌、
後人假託(かたく)之を爲(つく)れるならん。

檀弓(だんぐう)の信じ叵(がたき)こと此の類多し。
聖人を尊ばんと欲して、却かへつて之が累るゐを爲せり。

 

十八
 一部歴史、
皆傳形迹
而情實或不傳。
史者、
要下就形迹以討中出情實上。

〔譯〕
一部の歴史、
皆形迹(けいせき)を傳(つた)へて、
情實(じやうじつ)或は傳らず。

史を讀む者は、
須らく形迹に就(つ)いて以て情實を討(たづ)ね出だすことを要すべし。

 

十九
 博聞強記、
聰明横也。
精義入神、
聰明竪也

〔譯〕
博聞強記(はくぶんきやうき)は、
聰明(そうめい)の横なり。
精義(せいぎ)神に入るは、
聰明(そうめい)の竪たてなり。

 

二十 
生物皆畏レ死。
人其靈也、
當下從死之中
揀中出不死之理上。

吾思、我身天物也。
死生之權在天、
受之

 我之生也、
自然而生、
生時未嘗知一喜矣。

則我之死也、
亦自然而死、
死時未嘗知一レ悲也。

天生之而天死之、
一聽于天而已、
吾何畏焉。

 吾性即天也。
躯殼則藏天之室也。

精氣之爲物也、
天寓於此室

遊魂之爲變也、
天離於此室

 死之後即生之前、
生之前即死之後。

而吾性之所以爲一レ性者、
恒在於死生之外
吾何畏焉。

 夫晝夜一理、
幽明一理。

始反終、
死生之理
何其易簡而明白也。

吾人當下以此理自省上焉。

〔譯〕
生物は皆死を畏(おそ)る。
人は其靈(れい)なり、
當に死を畏るゝの中より死を畏れざるの理を揀出(けんしゆつ)すべし。

吾れ思ふ、我が身は天物なり。
死生の權(けん)は天に在り、
當に之を順受(じゆんじゆ)すべし。

 我れの生るゝや自然にして生る、
生るゝ時未だ嘗て喜(よろこ)ぶことを知らず。
則ち我の死するや應(まさ)に亦自然にして死し、
死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。

天之を生みて、
天之を死(ころ)す、
一に天に聽(まか)さんのみ、
吾れ何ぞ畏れん。

 吾が性は即ち天なり、
躯殼(くかく)は則ち天を藏(おさ)むるの室なり。

精氣の物と爲るや、
天此の室に寓(ぐう)す。

遊魂(いうこん)の變(へん)を爲すや、
天此の室を離(はな)る。

 死の後は即ち生の前なり、
生の前は即ち死の後なり。

 而て吾が性の性たる所以は、
(つね)に死生の外に在り、
吾れ何ぞ畏れん。

 夫れ晝夜は一理なり、
幽明(いうめい)は一理なり。

始めを原(たづ)ねて終(をは)りに反(かへ)らば、
死生の理を知る、
何ぞ其の易簡(いかん)にして明白なるや。
吾人は當に此の理を以て自省すべし。

 

二十一 
 畏死者生後之情也、
躯殼而後有是情

 不死者生前之性也、
躯殼而始見是性一。

 人須得不死之理於畏死之中
乎復一レ性焉。
 

〔譯〕
死を畏るゝは生後の情なり、
躯殼(くかく)有つて後に是この情あり。

 死を畏れざるは生前の性なり、
躯殼(くかく)を離はなれて始て是の性を見る。

 人は須(すべか)らく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得(じとく)すべし、
性に復(かへ)るに庶(ちか)し。
 

〔評〕
幕府勤王の士を逮(とら)ふ。
南洲及び伊地知正治、
海江田武治等尤も其の指目(しもく)する所となる。
僧月照(げつせう)嘗て近衞公の密命を喞(ふく)みて水戸に至る、
幕吏之を索(もと)むること急なり。
南洲其の免れざることを知り相共に鹿兒島に奔(はし)る。

 一日南洲、月照の宅を訪とふ。
此の夜月色清輝なり。

 預(あらかじ)め酒饌(しゆせん)を具(そな)へ、
舟を薩海に泛(うか)ぶ、
南洲及び平野次郎一僕と從ふ。

 月照船頭に立ち、
和歌を朗吟して南洲に示す、
南洲首肯(しゆかう)する所あるものゝ如し、
遂に相擁(よう)して海に投ず。

 次郎等水聲起るを聞いて、
倉皇(さうくわう)として之を救ふ。

 月照既に死して、
南洲は蘇よみがへることを得たり。

 南洲は終身月照と死せざりしを憾(うら)みたりと云ふ。

 

二十二
 誘掖而導之、 教之常也。
 警戒而喩之、 教之時也。
 躬行以率之、教之本也。
 不言而化之、 教之神也。
 抑而揚之、 激而進之、 教之權而變也。

 教亦多術矣。

〔譯〕
誘掖(いうえき)して之を導くは、教の常なり。
警戒して之を喩(さと)すは、教の時なり。
(み)に行うて之を率(ひ)きゐるは、教の本なり。
言はずして之を化するは、教の神(しん)なり。

(おさ)へて之を揚(あ)げ、
(げき)して之を進(すゝ)ましむるは、教の權(けん)にして而て變(へん)なり。
教も亦術多し。

 

二十三
 閑想客感、由志之不一レ立。
一志既立、百邪退聽。
之清泉湧出、旁水不一レ得二渾入

〔譯〕
閑想(かんさう)客感(きやくかん)は、志の立たざるに由る。
一志既に立てば、百邪退き聽きく。
之を清泉湧出(ようしゆつ)せば、旁水(ばうすゐ)渾入(こんにふ)することを得ざるに譬(たと)ふべし。

〔評〕
政府郡縣の治ちを復せんと欲す、木戸公と南洲と尤も之を主張す。
或ひと南洲を見て之を説く、南洲曰く諾(だく)すと。
其人又之を説く、
南洲曰く、吉之助の一諾、死以て之を守ると、
他語(たご)を交まじへず。

 

二十四 
心爲靈。
其條理動於情識、 謂之欲
欲有公私、 情識之通於條理公。
條理之滯於情識私。

自辨其通滯者、 
即便心之靈。

〔譯〕
心を靈(れい)と爲す。
其の條理(でうり)の情識(じやうしき)に動ごく、之を欲と謂ふ。
欲に公私有り、情識の條理に通ずるを公と爲す。
條理の情識に滯(とゞこほ)るを私と爲す。

自ら其の通(つう)と滯(たい)とを辨(べん)ずるは、即ち心の靈(れい)なり。

 

二十五
 人一生所遭、
險阻
坦夷
安流
驚瀾

是氣數自然、
竟不免、
即易理也。

 人宜居而安、
玩而樂焉。

 若趨避之
達者之見

〔譯〕
人一生遭(あ)ふ所、
險阻(けんそ)有り、
坦夷(たんい)有り、
安流(あんりう)有り、
驚瀾(きやうらん)有り。

 是れ氣數(きすう)の自然にして、
(つひ)に免(まぬが)るゝ能はず、
即ち易理(えきり)なり。

 人宜しく居つて安んじ、
(もてあそ)んで樂(たの)しむべし。

 若し之を趨避(すうひ)せば、
(たつ)者の見に非ず。

 

〔評〕
或ひと岩倉公幕を佐くと讒(ざん)す。
公薙髮(ていはつ)して岩倉邸に蟄居(ちつきよ)す。

 大橋愼藏(しんざう)、香川敬三、玉松操、北島秀朝等、
公の志を知り、深く結納(けつなふ)す。

 南洲及び大久保公、木戸公、後藤象次郎、坂本龍馬等公を洛東より迎へて、
朝政に任ぜしむ。

 公既に職に在り、
屡々(しば/\)刺客(せきかく)の狙撃する所となり、
危難累(しき)りに至る、
而かも毫(がう)も趨避(すうひ)せず。

 

二十六
 心之官則思。
思字只是工夫字。
思則愈精明、愈篤實。
其篤實之行、自其精明之知
知行歸於一思字

〔譯〕
心の官は則ち思ふ。
思の字只是れ工夫の字なり。

思へば則ち愈精明(せいめい)なり、
愈篤實(とくじつ)なり。

 其の篤實より之を行と謂ひ、
其の精明より之を知と謂ふ。
知と行とは一の思の字に歸きす。

 

二十七
 處晦者能見顯。
顯者不晦。

〔譯〕
(くわい)に處をる者は能く顯(けん)を見る。
顯に據よる者は晦を見ず。

 

二十八
 取信於人難也。
人不於口、而信於躬
於躬、而信於心
是以難。

〔譯〕
信を人に取るは難し。
人は口を信ぜずして躬(み)を信ず。
躬を信ぜずして心を信ず。
是を以て難し。

〔評〕
南洲守庭吏(しゆていり)と爲る。
島津齊彬公其の眼光烱々(けい/\)として人を射(い)るを見て凡人に非ずと以(お)(も)ひ、
拔擢して之を用ふ。

公嘗かつて書を作つくり、
南洲に命じて之を水戸の烈公に致さしめ、
初めより封緘(ふうかん)を加へず。

 烈公の答書(たふしよ)も亦然り。

 

二十九
 臨時之信、
功於平日

平日之信、
効於臨時

〔譯〕
臨時の信は、功(こう)を平日に累(かさ)ぬればなり。
平日の信は、効を臨時に收をさむべし。

〔評〕
南洲官軍の先鋒となり、
品川に抵(いた)る、
勝安房(かつあは)、大久保一翁、山岡鐵太郎之を見て、
慶喜罪を俟‘(まつ)の状を具陳(ぐちん)し、
討伐を弛(ゆる)べんことを請ふ。

安房素より南洲を知れり、
之を説くこと甚だ力む。

乃ち令を諸軍に傳へて、攻撃を止とゞむ。

 

三十 
信孚於上下
天下無甚難處事

〔譯〕
信上下に孚(ふ)す、
天下甚だ處(しよ)し難き事無し。


西郷隆盛「南洲手抄言志録」一 ~ 十五 佐藤一齋・秋月種樹(古香)

2020-01-18 22:05:06 | 西郷隆盛

南洲手抄言志録

 

佐藤一齋・秋月種樹(古香)

 

山田濟齋訳

  

一 
 勿游惰以爲中寛裕上。
 勿下認嚴刻以爲中直諒
 勿私欲以爲中志願

〔譯〕
  游惰(いうだ)を認(みと)めて以て寛裕(かんゆう)と爲すこと勿なかれ。
  嚴刻(げんこく)を認めて以て直諒(ちよくりやう)と爲すこと勿れ。
  私欲を認めて以て志願(しぐわん)と爲すこと勿れ。

 


 毀譽得喪、眞是人生之雲霧、使人昏迷
 一掃此雲霧、則天青日白。

〔譯〕
  毀譽(きよ)得喪(とくさう)は、
  眞(しん)に是れ人生の雲霧(うんむ)
  人をして昏迷(こんめい)せしむ。
  此の雲霧を一掃(さう)せば、
  則ち天(てん)(あを)く日(ひ)(しろ)し。

〔評〕
 徳川慶喜公は勤王の臣たり。
 幕吏(ばくり)の要する所となりて朝敵となる。
 猶南洲勤王の臣として終りを克
よ)くせざるごとし。
 公は罪を宥(ゆる)し位に敍(じよ)せらる、
 南洲は永く反賊(はんぞく)の名を蒙(かうむ)る、
 悲しいかな。(原漢文、下同)

 


 唐虞之治、只是情一字。
 極而言之、 萬物體、 不外二於情之推

〔譯〕
 唐虞(たうぐ)の治(ち)は只是れ情の一字なり。
 極めて之を言へば、萬物一體も情の推(すゐ)に外ならず。

〔評〕
 南洲、官軍を帥ゐて京師を發す。
 婢(ひ)あり別れを惜みて伏水(ふしみ)に至る。
 兵士環(めぐ)つて之を視みる。
 南洲輿中より之を招き、
 其背を拊(う)つて曰ふ、
 好在(たつしや)なれと、
 金を懷中(くわいちゆう)より出して之に與へ、
 旁(かたは)ら人なき若し。

 兵士太(はなは)だ其の情を匿(かく)さざるに服す。
 幕府砲臺(はうだい)を神奈川に築きづき、
外人の來り觀るを許さず、
木戸公役徒(えきと)に雜り、
自ら畚(ふご)を荷(にな)うて之を觀る。

 茶店の老嫗(らうをう)あり、
公の常人に非ざるを知り、
善く之を遇す。

 公志を得るに及んで、
厚く之に報ゆ。
皆情の推(すゐ)なり。

 

四 凡作事、
 須天之心
 不有二示人之念

〔譯〕
  凡そ事を作(な)すには、
 須(すべか)らく天に事(つか)ふるの心あるを要(えう)すべし。
 人に示すの念(ねん)あるを要せず。

 


 憤一字、是進學機關。
 舜何人也、予何人也、方是憤。

〔譯〕
 憤(ふん)の一字、是れ進學(しんがく)の機關(きくわん)なり。
 舜(しゆん)何人(なんぴと)ぞや、予(われ)何人ぞや、方(まさ)に是れ憤(ふん)

 


 著眼高、則見理不岐。

〔譯〕眼(がん)を著(つ)くること高ければ、
  則ち理(り)を見ること岐きせず。

〔評〕
  三條公は西三條、
 東久世諸公と長門に走る、
 之を七卿(きやう)脱走(だつさう)と謂ふ。

 幕府之を宰府(ざいふ)に竄(ざん)す。
 既にして七卿が勤王の士を募(つの)り國家を亂さんと欲するを憂へ、
浪華(なには)に幽(いう)するの議ぎあり。

 南洲等力(つと)めて之を拒ぎ、
事終に熄(や)む。南洲人に語(かた)つて曰ふ、
七卿中他日關白(くわんぱく)に任ぜらるゝ者は、
必三條公ならんと、
果して然りき。

 


  性同而質異。
  質異、教之所由設也。
  性同、教之所由立也。

〔譯〕性は同じうして而て質は異なる。
  質異るは教(をしへ)の由つて設(まう)けらるゝ所なり。
  性同じきは教の由つて立つ所なり。

 


 喪己斯喪人。
 喪人斯喪物。

〔譯〕
 己(おのれ)を喪(うしな)へば斯(こゝ)に人を喪(うしな)ふ。
 人を喪へば斯に物(もの)を喪ふ。

 


  士貴獨立自信矣。
  依熱附炎之念、 不起。

〔譯〕
    士(し)は獨立自信を貴(たふと)ぶ。
  熱に依(よ)り炎(えん)に附(つく)の念、
  起す可らず。

〔評〕
 慶應三年九月、
 山内容堂公は寺村左膳、
 後藤象次郎を以て使となし、
 書を幕府に呈す。

  曰ふ、中古以還(くわん)
 政刑(せいけい)武門に出づ。

  洋人來航するに及んで、
 物議紛々(ふん/\)
 東攻西撃して、
 内訌(ないこう)嘗て戢(をさま)る時なく、
 終に外國の輕侮を招に至る。

  此れ政令二途とに出で、
 天下耳目の屬する所を異にするが故なり。

  今や時勢一變(ぺん)して舊規(きうき)を墨守す可らず、
 宜しく政權(けん)を王室に還し、
 以て萬國竝立(へいり)つの基礎を建つべし。

  其れ則ち當今の急務にして、
 而て容堂の至願なり。

  幕(ばく)下の賢(けん)なる、
 必之を察するあらんと。

  他日幕府の政權を還かへせる、
 其事實に公の呈書(ていしよ)に本(もと)づけり。

  當時幕府既に衰(おとろ)へたりと雖、
 威權(ゐけん)未だ地に墜(お)ちず。

  公 抗論(かうろん)して忌(い)まず、
 獨立の見ありと謂ふべし。

 


 有本然之眞己
 有躯殼之假己
 須自認得

〔譯〕
 本然(ほんぜん)の眞己(しんこ)有り、
 躯殼(くかく)の假己(かこ)有り。
 須らく自ら認みとめ得んことを要すべし。

〔評〕
 南洲胃(い)を病む。
 英醫偉利斯(いりす)之を診(しん)して、
 勞動(らうどう)を勸(すゝ)む。

 南洲是より山野に游獵(いうれふ)せり。
 人或は病なくして犬を牽(ひ)き兎を逐(お)ひ、
 自ら南洲を學ぶと謂ふ、疎(そ)なり。

 

十一
 雲煙聚於不已。
 風雨洩二於不一レ得レ已。
 雷霆震二於不一レ得レ已。
 斯可三以觀二至誠之作用一。

〔譯〕
 雲煙(うんえん)は已(や)むことを得ざるに聚(あつま)る。
 風雨は已むことを得ざるに洩もる。
 霆(らいてい)は已むことを得ざるに震(ふる)ふ。
 斯(こゝ)に以て至誠(しせい)の作用さようを觀(み)る可し。

 

十二
 動於不已之勢
 則動而不レ括。
 履二於不レ可レ枉之途一、
 則履而不レ危。

〔譯〕
 已むことを得ざるの勢(いきほひ)に動(うご)けば、
 則ち動いて括(くわ)つせず。
 枉(ま)ぐ可らざるの途(みち)を履(ふ)めば、
 則ち履んで危(あやふ)からず。

〔評〕
 官軍江戸を伐(う)つ、
 關西諸侯兵を出して之に從ふ。
 是より先き尾藩(びはん)宗家(そうけ)を援(たす)けんと欲する者ありて、
(ひそか)に聲息(せいそく)を江戸に通(つう)ず。

 尾(び)公之を患(うれ)へ、
田中不二麿、丹羽淳太郎等と議して、
大義親(しん)を滅(ほろぼ)すの令を下す、
實に已むことを得ざるの擧(きよ)に出づ。
 一藩の方向(はうかう)以て定れり。

 

十三 聖人如強健無病人
 賢人如二攝生愼レ病人一。
 常人如二虚羸多レ病人一。

〔譯〕
 聖人は強健(きやうけん)病無き人の如し。
 賢人は攝生(せつしやう)病を愼(つゝし)む人の如し。
 常人は虚羸(きよるゐ)病多き人の如し。

 

十四 急迫敗事。
 寧耐成
事。

〔譯〕
 急迫は事を敗やぶる。
 寧耐(ねいたい)は事を成なす。

〔評〕
 大坂城陷(おちい)る。
 徳川慶喜公火船に乘りて江戸に歸り、
諸侯を召して罪を俟(ま)つの状を告ぐ。

 余時に江戸に在り、
特に別廳べ(つちやう)に召めし告げて曰ふ。
 此に至る、言ふ可きなし。
 汝將に京に入らんとすと聞きく、
請ふ吾が爲めに恭順(きようじゆん)の意を致せと。

 余江戸を發して桑名に抵(いた)り、
柳原前光(さきみつ)公軍を督(とく)して至るに遇ふ。
 余爲めに之を告ぐ。

京師に至るに及んで、
松平春嶽(しゆんがく)公を見て又之を告ぐ。

 

 慶喜公江戸城に在り、衆皆之に逼(せま)り、
死を以て城を守らんことを請ふ。

 公聽(き)かず、水戸に赴く、
近臣二三十名從ふ。
 衆奉じて以て主と爲すべきものなく、
或は散(さん)じて四方に之ゆき、
或は上野に據よる。

 若し公をして耐忍(たいにん)の力無く、
共に怒(いか)つて事を擧げしめば、
則ち府下悉く焦土(せうど)と爲らん。

 假令(たとひ)都を遷すも、
其の盛大を極(きは)むること今日の如きは實に難からん。
 然らば則ち公常人の忍(しの)ぶ能はざる所を忍ぶ、
其功亦多し。
 舊(きう)藩士日高誠實(ひだかせいじつ)時に句あり云ふ。

 「功烈(こうれつ)尤も多かりしは前内府(ぜんないふ)
 至尊(しそん)直に鶴城(かくじやう)の中に在り」と。

 

十五 聖人安死。
 賢人分死。
 常人恐死。

〔譯〕
 聖人は死を安(やす)んず。
 賢人は死を分(ぶん)とす。
 常人は死を恐(おそ)る。 
      


西郷隆盛 「遺訓」 廟堂に立ちて大政を爲す

2020-01-17 17:18:58 | 西郷隆盛

遺訓

 

西郷隆盛

 

一 廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、
些とも私を挾みては濟まぬもの也。
 いかにも心を公平に操り、
正道を蹈み、
廣く賢人を選擧し、
能く其職に任ふる人を擧げて政柄を執らしむるは、
即ち天意也。

 夫れゆゑ眞に賢人と認る以上は、
直に我が職を讓る程ならでは叶はぬものぞ。
  故に何程國家に勳勞有る共、
其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。

 官は其人を選びて之を授け、
功有る者には俸祿を以て賞し、
之を愛し置くものぞと申さるゝに付、
然らば尚書(○書經)仲虺(ちゅうき)之誥(かう)
「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、
功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、
徳と官と相配し、
功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問(せいもん)せしに、
翁欣然として、其通りぞと申されき。


二 賢人百官を總べ、
政權一途に歸し、
一格(かく)の國體定制無ければ、
縱令(たとひ)人材を登用し、
言路を開き、衆説を容るゝ共、
取捨方向無く、
事業雜駁にして成功有べからず。
昨日出でし命令の、
今日忽ち引き易ふると云樣なるも、
皆統轄する所一ならずして、
施政の方針一定せざるの致す所也。


三 政の大體は、
文を興し、
武を振ひ、
農を勵ますの三つに在り。

 其他百般の事務は皆此の三つの物を助くるの具也。
此の三つの物の中に於て、
時に從ひ勢に因り、
施行先後の順序は有れど、
此の三つの物を後にして他を先にするは更に無し。


四 萬民の上に位する者、
己れを愼み、
品行を正くし、
驕奢を戒め、
節儉を勉め、
職事に勤勞して人民の標準となり、
下民其の勤勞を氣の毒に思ふ樣ならでは、
政令は行はれ難し。

 然るに草創(さうさう)の始に立ちながら、
家屋を飾り、
衣服を文かざり、
美妾を抱へ、
蓄財を謀りなば、
維新の功業は遂げられ間敷也。

 今と成りては、
戊辰の義戰も偏へに私を營みたる姿に成り行き、
天下に對し戰死者に對して面目無きぞとて、
頻りに涙を催されける。


五 或る時
「幾ビカ辛酸志始
丈夫玉碎愧甎全
一家遺事人知ルヤ
メニ兒孫中美田。」との七絶を示されて、
若し此の言に違ひなば、
西郷は言行反したるとて見限られよと申されける。


六 人材を採用するに、
君子小人の辨酷(べんこく)に過ぐる時は却て害を引起すもの也。
 其故は、開闢以來世上一般十に七八は小人なれば、
能く小人の情を察し、
其長所を取り之を小職に用ひ、
其材藝を盡さしむる也。

 東湖先生申されしは
「小人程才藝有りて用便なれば、
用ひざればならぬもの也。
去りとて長官に居すゑ重職を授くれば、
必ず邦家を覆すものゆゑ、
決して上には立てられぬものぞ」と也。


七 事大小と無く、
正道を蹈み至誠を推し、
一事の詐謀(さぼう)を用ふ可からず。

 人多くは事の指支(さしつか)ゆる時に臨み、
作略(さりやく)を用て一旦其の指支を通せば、
跡は時宜(じぎ)次第工夫の出來る樣に思へ共、
作略の煩ひ屹度生じ、
事必ず敗るゝものぞ。

 正道を以て之を行へば、
目前には迂遠なる樣なれ共、
先きに行けば成功は早きもの也。

 
八 廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、
 先づ我國の本體を居すゑ風教を張り、
然して後徐(しづ)かに彼の長所を斟酌するものぞ。

 否らずして猥りに彼れに倣ひなば、
國體は衰頽し、
風教は萎靡(ゐび)して匡救す可からず、
終に彼の制を受くるに至らんとす。

九 忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、
萬世に亙り宇宙に彌り易(か)ふ可からざるの要道也。
道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。

十 人智を開發するとは、
愛國忠孝の心を開くなり。
 國に盡し家に勤むるの道明かならば、
百般の事業は從て進歩す可し。

 或ひは耳目を開發せんとて、
電信を懸け、
鐵道を敷き、
蒸氣仕掛けの器械を造立し、
人の耳目を聳動(しようどう)すれ共、
何に故電信鐵道の無くては叶はぬぞ缺くべからざるものぞと云ふ處に目を注がず、
猥りに外國の盛大を羨み、
利害得失を論ぜず、
家屋の構造より玩弄物に至る迄、
一々外國を仰ぎ、
奢侈の風を長じ、
財用を浪費せば、
國力疲弊し、
人心浮薄に流れ、
結局日本身代限りの外有る間敷也。


十一 文明とは道の普く行はるゝを贊稱せる言にして、
宮室の壯嚴、
衣服の美麗、
外觀の浮華を言ふには非ず。

 世人の唱ふる所、
何が文明やら、
何が野蠻やら些(ち)とも分らぬぞ。
 予嘗て或人と議論せしこと有り、
西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、
否な文明ぞと爭ふ。

 否な野蠻ぢやと疊みかけしに、
何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、
實に文明ならば、
未開の國に對しなば、
慈愛を本とし、
懇々説諭して開明に導く可きに、
左は無くして未開矇昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、
其人口を莟(つぼ)めて言無かりきとて笑はれける。


十二 西洋の刑法は專ら懲戒を主として苛酷を戒め、
人を善良に導くに注意深し。

 故に囚獄中の罪人をも、
如何にも緩るやかにして鑒誡(かんかい)となる可き書籍を與へ、
事に因りては親族朋友の面會をも許すと聞けり。

 尤も聖人の刑を設けられしも、
忠孝仁愛の心より鰥寡(かんくわ)孤獨を愍(あはれ)み、
人の罪に陷るを恤うれひ給ひしは深けれ共、
實地手の屆きたる今の西洋の如く有しにや、
書籍の上には見え渡らず、
實に文明ぢやと感ずる也。


十三 租税を薄くして民を裕(ゆたか)にするは、
即ち國力を養成する也。

 故に國家多端にして財用の足らざるを苦むとも、
租税の定制を確守し、
上を損じて下を虐(しひ)たげぬもの也。

 能く古今の事跡を見よ。
道の明かならざる世にして、
財用の不足を苦む時は、
必ず曲知小慧(せうけい)の俗吏を用ひ巧みに聚斂(しうれん)して一時の缺乏に給するを、
理財に長ぜる良臣となし、
手段を以て苛酷に民を虐たげるゆゑ、
人民は苦惱に堪へ兼ね、
聚斂を逃んと、自然譎詐(きつさ)狡猾(かうくわつ)に趣き、
上下互に欺き、官民敵讐と成り、
終に分崩(ぶんぽう)離析(りせき)に至るにあらずや。


十四 會計出納は制度の由て立つ所ろ、
百般の事業皆な是れより生じ、
經綸中の樞要なれば、
愼まずばならぬ也。

 其大體を申さば、
入るを量りて出づるを制するの外更に他の術數無し。

 一歳の入るを以て百般の制限を定め、
會計を總理する者身を以て制を守り、
定制を超過せしむ可からず。

 否らずして時勢に制せられ、
制限を慢にし、
出るを見て入るを計りなば、
民の膏血かうけつを絞るの外有る間敷也。

 然らば假令事業は一旦進歩する如く見ゆる共、
國力疲弊して濟救す可からず。


十五 常備の兵數も、
亦會計の制限に由る、
決して無限の虚勢を張る可からず。

 兵氣を鼓舞して精兵を仕立なば、
兵數は寡くとも、
折衝禦侮共に事缺ぐ間敷也。


十六 節義廉恥を失て、
國を維持するの道決して有らず、
西洋各國同然なり。

 上に立つ者下に臨で利を爭ひ義を忘るゝ時は、
下皆な之に倣ひ、
人心忽ち財利に趨り、卑吝の情日々長じ、
節義廉恥の志操を失ひ、
父子兄弟の間も錢財を爭ひ、相ひ讐視するに至る也。

 此の如く成り行かば、
何を以て國家を維持す可きぞ。

 徳川氏は將士の猛き心を殺ぎて世を治めしか共、
今は昔時戰國の猛士より猶一層猛き心を振ひ起さずば、
萬國對峙は成る間敷也。

 普佛の戰、
佛國三十萬の兵三ヶ月糧食有て降伏せしは、
餘り算盤に精しき故なりとて笑はれき。


十七 正道を踏み國を以て斃るゝの精神無くば、
外國交際は全かる可からず。

 彼の強大に畏縮し、
圓滑を主として、
曲げて彼の意に順從する時は、
輕侮を招き、
好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。


十八 談國事に及びし時、
慨然として申されけるは、
國の凌辱(りようじよく)せらるゝに當りては、
縱令國を以て斃るゝ共、
正道を踐み、義を盡すは政府の本務也。

 然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、
如何なる英雄豪傑かと見ゆれ共、
血の出る事に臨めば、
頭を一處に集め、
唯目前の苟安(こうあん)を謀るのみ、
戰の一字を恐れ、
政府の本務を墜しなば、
商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。


十九 古より君臣共に己れを足れりとする世に、
治功の上りたるはあらず。

 自分を足れりとせざるより、
下々の言も聽き入るゝもの也。

 己れを足れりとすれば、
人己れの非を言へば忽ち怒るゆゑ、
賢人君子は之を助けぬなり。


二十 何程制度方法を論ずる共、
其人に非ざれば行はれ難し。

 人有て後方法の行はるゝものなれば、
人は第一の寶にして、
己れ其人に成るの心懸け肝要なり。


二十一 道は天地自然の道なるゆゑ、
講學の道は敬天愛人を目的とし、
身を修するに克己を以て終始せよ。

 己れに克つの極功(きよくごう)は
申シレ意甲シレ必申シレ固申シレ我」(○論語)と云へり。


 總じて人は己れに克つを以て成り、
自ら愛するを以て敗るゝぞ。

 能く古今の人物を見よ。
事業を創起する人其事大抵十に七八迄は能く成し得れ共、
殘り二つを終る迄成し得る人の希れなるは、
始は能く己れを愼み事をも敬する故、
功も立ち名も顯るゝなり。

 功立ち名顯るゝに隨ひ、
いつしか自ら愛する心起り、
恐懼戒愼(かいしん)の意弛み、
驕矜(けうきよう)の氣漸く長じ、
其成し得たる事業を負たのみ、
苟も我が事を仕遂んとてまづき仕事に陷いり、
終に敗るゝものにて、
皆な自ら招く也。

 故に己れに克ちて、
睹ず聞かざる所に戒愼するもの也。

 

二十二 己れに克つに、
事々物々時に臨みて克つ樣にては克ち得られぬなり。

 兼て氣象を以て克ち居れよと也。

 

二十三 學に志す者、
規模を宏大にせずば有る可からず。

 去りとて唯此こにのみ偏倚(へんい)すれば、
或は身を修するに疎に成り行くゆゑ、
終始己れに克ちて身を修する也。

 規模を宏大にして己れに克ち、
男子は人を容れ、
人に容れられては濟まぬものと思へよと、
古語を書て授けらる。

スル志氣
人之患
ナルハ乎下自私自吝。
ジテ於卑俗
而不中以古人

古人を期するの意を請問せしに、
堯舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。


二十四 道は天地自然の物にして、
人は之を行ふものなれば、
天を敬するを目的とす。

 天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、
我を愛する心を以て人を愛する也。

 

二十五 人を相手にせず、
天を相手にせよ。

 天を相手にして、
己れを盡て人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし。

 

二十六 己れを愛するは善からぬことの第一也。
 修業の出來ぬも、
事の成らぬも、
過を改むることの出來ぬも、
功に伐(ほこ)り驕謾(けうまん)の生ずるも、
皆な自ら愛するが爲なれば、
決して己れを愛せぬもの也。


二十七 過ちを改るに、
自ら過つたとさへ思ひ付かば、
夫れにて善し、
其事をば棄て顧みず、
直に一歩踏出す可し。

 過を悔しく思ひ、
取繕はんと心配するは、
譬へば茶碗を割り、
其缺けを集め合せ見るも同にて、
詮せんもなきこと也。


二十八 道を行ふには尊卑貴賤の差別無し。
(つま)んで言へば、
堯舜は天下に王として萬機の政事を執り給へ共、
其の職とする所は教師也。

 孔夫子は魯國を始め、
何方へも用ひられず、
屡々困厄に逢ひ、
匹夫にて世を終へ給ひしか共、
三千の徒皆な道を行ひし也。


二十九 道を行ふ者は、
固より困厄に逢ふものなれば、
如何なる艱難の地に立つとも、
事の成否身の死生抔に、
少しも關係せぬもの也。

 事には上手下手有り、
物には出來る人出來ざる人有るより、
自然心を動す人も有れ共、
人は道を行ふものゆゑ、
道を蹈むには上手下手も無く、
出來ざる人も無し。

 故に只管(ひたす)ら道を行ひ道を樂み、
若し艱難に逢うて之を凌んとならば、
彌々(いよ/\)道を行ひ道を樂む可し。

 予壯年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、
今はどんな事に出會ふ共、
動搖は致すまじ、夫れだけは仕合せなり。


三十 命もいらず、
名もいらず、
官位も金もいらぬ人は、
仕末に困るもの也。

 此の仕末に困る人ならでは、
艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。

 去れ共、
个樣(かやう)の人は、
凡俗の眼には見得られぬぞと申さるゝに付、
孟子に、
「天下の廣居に居り、
天下の正位に立ち、
天下の大道を行ふ、
志を得れば民と之に由り、
志を得ざれば獨り其道を行ふ、
富貴も淫すること能はず、
貧賤も移すこと能はず、
威武も屈すること能はず」と云ひしは、
今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、
いかにも其の通り、
道に立ちたる人ならでは彼の氣象は出ぬ也。


三十一 道を行ふ者は、
天下擧こぞつて毀(そし)るも足らざるとせず、
天下擧て譽るも足れりとせざるは、
自ら信ずるの厚きが故也。

 其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟讀して會得せよ。


三十二 道に志す者は、
偉業を貴ばぬもの也。

 司馬温公(しばおんこう)は閨中(けいちゆう)にて語りし言も、
人に對して言ふべからざる事無しと申されたり。

 獨を愼むの學推て知る可し。
人の意表に出て一時の快適を好むは、
未熟の事なり、戒む可し。


三十三 平日道を蹈まざる人は、
事に臨て狼狽し、
處分の出來ぬもの也。

 譬へば近隣に出火有らんに、
平生處分有る者は動搖せずして、
取仕末も能く出來るなり。

 平日處分無き者は、
唯狼狽して、
中々取仕末どころには之無きぞ。

 夫れも同じにて、
平生道を蹈み居る者に非れば、
事に臨みて策は出來ぬもの也。

 予先年出陣の日、
兵士に向ひ、
我が備への整不整を、
唯味方の目を以て見ず、
敵の心に成りて一つ衝ついて見よ、
夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。


三十四 作略(さりやく)は平日致さぬものぞ。
 作略を以てやりたる事は、
其迹あとを見れば善からざること判然にして、
必ず悔い有る也。

 唯戰に臨みて作略無くばあるべからず。
併し平日作略を用れば、
戰に臨みて作略は出來ぬものぞ。

 孔明は平日作略を致さぬゆゑ、
あの通り奇計を行はれたるぞ。

 予嘗て東京を引きし時、
弟へ向ひ、
是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆゑ、
跡は聊か濁るまじ、
夫れ丈けは見れと申せしとぞ。


三十五 人を籠絡(ろうらく)して陰に事を謀る者は、
好し其事を成し得る共、
慧眼(けいがん)より之を見れば、
醜状著るしきぞ。

 人に推すに公平至誠を以てせよ。
 公平ならざれば英雄の心は決して攬とられぬもの也。

 

三十六 聖賢に成らんと欲する志無く、
古人の事跡を見、
(とて)も企て及ばぬと云ふ樣なる心ならば、
戰に臨みて逃るより猶ほ卑怯なり。

 朱子も白刃を見て逃る者はどうもならぬと云はれたり。
 誠意を以て聖賢の書を讀み、
其の處分せられたる心を身に體し心に驗する修行致さず、
唯个樣(かよう)の言个樣(かよう)の事と云ふのみを知りたるとも、
何の詮無きもの也。


 予今日人の論を聞くに、
何程尤もに論する共、
處分に心行き渡らず、
唯口舌の上のみならば、
少しも感ずる心之れ無し。

 眞に其の處分有る人を見れば、
實に感じ入る也。

 聖賢の書を空く讀むのみならば、
譬へば人の劒術を傍觀するも同じにて、
少しも自分に得心出來ず。

 自分に得心出來ずば、
萬一立ち合へと申されし時逃るより外有る間敷也。


三十七 天下後世迄も信仰悦服せらるゝものは、
只是一箇の眞誠(しんせい)也。

 古へより父の仇を討ちし人、
其の麗(か)ず擧て數へ難き中に、
獨り曾我の兄弟のみ、
今に至りて兒童婦女子迄も知らざる者の有らざるは、
衆に秀でゝ、
誠の篤き故也。

 誠ならずして世に譽らるゝは、
僥倖の譽也。

 誠篤ければ、
縱令當時知る人無く共、
後世必ず知己有るもの也。

 

三十八 世人の唱ふる機會とは、
多くは僥倖の仕當(しあ)てたるを言ふ。

 眞の機會は、
理を盡して行ひ、
勢を審かにして動くと云ふに在り。

 平日國天下を憂ふる誠心厚からずして、
只時のはずみに乘じて成し得たる事業は、
決して永續せぬものぞ。


三十九 今の人、
才識有れば事業は心次第に成さるゝものと思へ共、
才に任せて爲す事は、
危くして見て居られぬものぞ。

 體有りてこそ用は行はるゝなり。
 肥後の長岡先生の如き君子は、
今は似たる人をも見ることならぬ樣になりたりとて嘆息なされ、
古語を書て授けらる。

夫天下非レバ
レバ
誠之至者。
其動也速。
才之周ネ者。
其治也廣
誠合
後事

 

四十 翁に從て犬を驅り兎を追ひ、
山谷を跋渉(ばつせふ)して終日獵り暮らし、
一田家に投宿し、
浴終りて心神いと爽快に見えさせ給ひ、
悠然として申されけるは、
君子の心は常に斯の如くにこそ有らんと思ふなりと。

 

四十一 身を修し己れを正して、
君子の體を具ふる共、
處分の出來ぬ人ならば、
木偶人も同然なり。

 譬へば數十人の客不意に入り來んに、
假令何程饗應したく思ふ共、
兼て器具調度の備無ければ、
唯心配するのみにて、
取賄ふ可き樣有間敷ぞ。

 常に備あれば、
幾人なり共、
數に應じて賄はるゝ也。

 夫れ故平日の用意は肝腎(かんじん)ぞとて、
古語を書て賜りき。

鉛槧也。
スル之才一。
劒楯也。
之智一。
才智之所一焉而已。
(○宋、陳龍川、酌古論序文)


   追 加 

一 事に當り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。
凡思慮は平生默坐靜思の際に於てすべし。

 有事の時に至り、
十に八九は履行(りかう)せらるゝものなり。

 事に當り率爾に思慮することは、
譬へば臥床夢寐(むび)の中、
奇策妙案を得るが如きも、
明朝起床の時に至れば、
無用の妄想に類すること多し。


二 漢學を成せる者は、
彌漢籍に就て道を學べし。

 道は天地自然の物、
東西の別なし、
苟も當時萬國對峙の形勢を知らんと欲せば、
春秋左氏傳を熟讀し、
助くるに孫子を以てすべし。

 當時の形勢と略ぼ大差なかるべし。


   問 答 

     岸良眞二郎 問

一 事に臨み猶豫狐疑(こぎ)して果斷の出來ざるは、
畢竟憂國之志情薄く、
事の輕重時勢に暗く、
且愛情に牽さるゝによるべし。

 眞に憂國之志相貫居候へば、
決斷は依て出るものと奉存候。
如何のものに御座候哉。


二 何事も至誠を心となし候へば、
仁勇知は、
其中に可之と奉存候。
平日別段に可養ものに御座候哉。


三 事の勢と機會を察するには、
如何着目仕可然ものに御座候哉。


四 思設ざる事變に臨み一點動搖せざる膽力を養には、
如何目的相定、
何より入て可レ然ものに御座候哉。


     南 洲 答 

一 猶豫狐疑は第一毒病にて、
害をなす事甚多し、
何ぞ憂國志情の厚薄に關からんや。

 義を以て事を斷ずれば、
其宜にかなふべし、
何ぞ狐疑を容るゝに暇あらんや。

 狐疑猶豫は義心の不足より發るものなり。


二 至誠の域は、
先づ愼獨より手を下すべし。

 間居即愼獨の場所なり。
小人は此處萬惡の淵藪(えんそう)なれば、
放肆(はうし)柔惰の念慮起さざるを愼獨とは云ふなり。

 是善惡の分るゝ處なり、心を用ゆべし。

 古人云ふ、
「主トシ人極○宋、周濂溪の語)是其至誠の地位なり、
愼べけんや、
人極を立ざるべけんや。


三 知と能とは天然固有のものなれば、
「無知之知
シテ而知
無能之能
シテ而能クス(○明、王陽明の語)と、
是何物ぞや、
其惟(たゞ)心之所爲にあらずや。
心明なれば知又明なる處に發すべし。


四 勇は必ず養ふ處あるべし。
孟子云はずや、
浩然之氣を養ふと。
此氣養はずんばあるべからず。


五 事の上には必ず理と勢との二つあるべし。
歴史の上にては能見分つべけれ共、
現事にかゝりては、
甚見分けがたし。

 理勢は是非離れざるものなれば、
能々心を用ふべし。

 譬へば賊ありて討つべき罪あるは、
其理なればなり。
 規模(きぼ)術略吾胸中に定りて、
是を發するとき、
千仞に坐して圓石を轉ずるが如きは、
其勢といふべし。

 事に關かるものは、
理勢を知らずんばあるべからず。

 只勢のみを知て事を爲すものは必ず術に陷るべし。
 又理のみを以て爲すものは、事にゆきあたりて迫つまるべし。

 いづれ
ツテ而後進
ニシテ而後動
(○陳龍川、先主論の語)ものにあらずんば、
理勢を知るものと云ふべからず。


六 事の上にて、
機會といふべきもの二つあり。

 僥倖の機會あり、
又設け起す機會あり。

 大丈夫僥倖を頼むべからず。

 大事に臨では是非機會は引起さずんばあるべからず。
 英雄のなしたる事を見るべし、
設け起したる機會は、
跡より見る時は僥倖のやうに見ゆ、
氣を付くべき所なり。


七 變事俄に到來し、
動搖せず、
從容其變に應ずるものは、
事の起らざる今日に定まらずんばあるべからず。

 變起らば、
只それに應ずるのみなり。
古人曰、
「大丈夫胸中灑々(しや/\)落落(らく/\)
光風霽月
自然
ラン二一毫之動心哉」(○明、王耐軒筆疇の語)と、
是即ち標的なり。

 如レ此體のもの、
何ぞ動搖すべきあらんや。


   補 遺 

一 誠はふかく厚からざれば、
自ら支障も出來るべし、
如何ぞ慈悲を以て失を取ることあるべき、
決して無き筈なり。

 いづれ誠の受用(じゆよう)においては、
見ざる所において戒愼し、
聞かざる所において恐懼する所より手を下すべし。

 次第に其功も積て、
至誠の地位に至るべきなり。

 是を名づけて君子と云ふ。
是非天地を證據にいたすべし。

是を以て事物に向へば、
隱すものなかるべきなり。
 司馬温公曰「我胸中人に向うて云はれざるものなし」と、
この處に至つては、
天地を證據といたすどころにてはこれなく、
即ち天地と同體なるものなり。

 障礙(しやうがい)する慈悲は姑息にあらずや。
 嗚呼大丈夫姑息に陷るべけんや、
何ぞ分別を待たんや。
事の輕重難易を能く知らば、
かたおちする氣づかひ更にあるべからず。


二 剛膽なる處を學ばんと欲せば、
先づ英雄の爲す處の跡を觀察し、
且つ事業を翫味し、
必ず身を以て其事に處し、
安心の地を得べし、
然らざれば、
只英雄の資のみあつて、
爲す所を知らざれば、眞の英雄と云ふべからず。

 是故に英雄の其事に處する時、
如何なる膽略かある、
又我の事に處すところ、
如何なる膽力ありと試較し、
其及ばざるもの足らざる處を研究勵精すべし。

 思ひ設けざる事に當り、
一點動搖せず、
安然として其事を斷ずるところにおいて、
平日やしなふ處の膽力を長ずべし、
常に夢寐(むび)の間において我膽を探討すべきなり。

 夢は念ひの發動する處なれば、
聖人も深く心を用るなり。

 周公の徳を慕ふ一念旦暮止まず、
夢に發する程に厚からんことを希ふなるべし。

 夢寐の中、
我の膽動搖せざれば、
必驚懼(きようく)の夢を發すべからず。

 是を以て試み且明むべし。


三 若し英雄を誤らん事を懼れ、
古人の語を取り是を證す。

 譎詐無クレ方。
術略横出
智者之能也。
リテ詭詐而示スニテシ大義
イテ術略而臨ムテス正兵
英雄之事。
而智者之所ルレ矣。
(○陳龍川、諸葛孔明論の語)

 英雄の事業如レ此、
豈奇妙不思議のものならんや。
學んで而して至らざるべけんや。

 


西郷隆盛 「遺教」 死生の説

2020-01-16 17:09:20 | 西郷隆盛

遺教

西郷隆盛
 

     死生の説

 

孟子曰ク。
(ヨウ)壽不レ貳(ウタガハ)
レ身以俟レ之
所ニ以立ツル一レ命也。(盡心上)

 

殀壽は命の短きと、
命の長きと云ふことなり。

是が學者工夫(くふう)上の肝要なる處。

生死の間落着(おちつき)出來ずしては、
天性と云ふこと相分らず。

生きてあるもの、
一度は是非死なでは叶(かな)はず、
とりわけ合點(がてん)の出來さうなものなれども、
凡そ人、生を惜み死を惡む、
是皆思慮分別を離れぬからのことなり。
 

故に慾心と云ふもの仰山(ぎようさん)起り來て、
天理と云ふことを覺(さと)ることなし。

 天理と云ふことが慥(たしか)に譯(わか)ったらば、
壽殀何ぞ念(ねん)とすることあらんや。

 只今生れたりと云ふことを知て來たものでないから、
いつ死ぬと云ふことを知らう樣がない、
それぢやに因つて生と死と云ふ譯(わけ)がないぞ。

 さすれば生きてあるものでないから、
思慮分別に渉ることがない。
 

 そこで生死の二つあるものでないと合點(がてん)の心が疑はぬと云ふものなり。

 この合點が出來れば、
これが天理の在り處にて、
爲すことも言ふことも一つとして天理にはづることはなし。

 一身が直ぐに天理になりきるなれば、
是が身修ると云ふものなり。

 そこで死ぬと云ふことがない故、
天命の儘(まゝ)にして、
天より授かりしまゝで復(かへ)すのぢや、
少しもかはることがない。

 ちやうど、天と人と一體と云ふものにて、
天命を全(まつた)うし終(を)へたと云ふ譯なればなり。

(按)右は文久二年冬、
  沖永良部島牢居中、
  孟子の一節を講じて島人操坦勁に與へたるものにて、
  今尚ほ同家に藏す。

 

     一家親睦の箴(いましめ) 
 

 翁、遠島中、常に村童を集め、
讀書を教へ、
或は問を設けて訓育する所あり。

 一日問をかけて曰ふ、
「汝等一家睦(むつ)まじく暮らす方法は如何にせば宜しと思ふか」と。

 群童對(こた)へに苦しむ。
其中尤も年長たけたる者に操(みさを)坦勁と云ふものあり。
年十六なりき。

 進んで答ふらく、
「其の方法は五倫五常の道を守るに在ります」と。
翁は頭を振ふって曰ふ、
否々(いな/\)、そは金看板(きんかんばん)なり、
表面(うはべ)の飾(かざり)に過ぎずと。

 因って、左の訓言を綴(つゞり)て與へられたりと。

 此の説き樣は、
只當(あた)り前の看板のみにて、
今日の用に益なく、
怠惰(たいだ)に落ち易し。

 早速(さつそく)手を下すには、
慾を離るゝ處第一なり。

 一つの美味あれば、
一家擧げて共にし、
衣服を製(つくる)にも、
必ず善きものは年長者に譲(ゆづ)り、
自分勝手を構(かま)へず、互に誠を盡すべし。

 只慾(よく)の一字より、
親戚の親(したしみ)も離るゝものなれば、
根據(こんきよ)する處を絶た專(せん)要なり。

さすれば慈愛自然に離れぬなり。

 

     書物の蠧(むし)と活學問(くわつがくもん) 
 

明治二年、翁は青年五人を選び、
京都の陽明學者春日潜庵(かすがせんあん)の門に遊學せしむ。

五人とは伊瀬知(いせぢ)好成(後の陸軍中將)
吉田清一(同上)
西郷小兵衞(翁の弟)
和田正苗、
安藤直五郎なり。

其時翁は吉田に告げて曰ふ。

貴樣(きさま)等は書物の蠧(むし)に成つてはならぬぞ。
春日は至つて直(ちよく)な人で、
從つて平生も嚴(げん)な人である。
貴樣等修業に丁度(ちやうど)宜しい。
と、又伊瀬知に告げて曰ふ。

此からは、
武術許ばかりでは行けぬ、學問が必要だ。
學問は活(いき)た學問でなくてはならぬ。
其れには京都に春日と云ふ陽明學者がある、
其處に行つて活きた實用の學問をせよと。

 

     私學校綱領 

一 道を同(おなじう)し義相協(かな)ふを以て暗(あん)に集合せり、
   故に此理を益研究して、
   道義に於ては一身を不レ顧ミ、
   必ず踏(ふみ)行ふべき事。

一 王を尊び民を憐(あはれ)むは學問の本旨。
   然らば此天理を極め、
   人民の義務にのぞみては一向(ひたすら)難に當り、
   一同の義を可事。

  (按)翁の鹿兒島に歸るや、
  自分の賞典祿を費用に當てゝ學校を城山の麓(ふもと)なる舊廐(うまや)跡に建て、
  分校を各所に設け專ら士氣振興を謀れり、
  右綱領は此時學校に與へたるものなり。