日々呟く。

とうとよ/清貧の独り言。

アピール

2009年03月25日 00時34分41秒 | 司書日記
寝るのが遅くなると、明日が辛いのだけど、気になるから書いておこう。
ダメなら、半日ぐらい休んじゃうのも手だよな。
有給あるんだから。
仕事には、そんな余裕ないけどさ。


私は、自分をプラスの方向にアピールするのが、もの凄く苦手です。
私、こんなことができるよ! こんなことしましたよ!
って言うのが苦手です。

逆に、マイナスのアピールは得意です。
私、これもできないんです。 こんなことすらできないんです。
と言うやつですね。

人の同情を買おうとしている…といわれると、そうなのかもしれません。
また、できるよりも、できないほうが、楽だ、というのもあるのかもしれません。

そして、私は、自分自身を、基本的にダメなところばかりな人間だと思っています。
本当に、あれもできない、これもできないってことばかりですので…。

ですので、最近、私、ほとんど怒っていません。
怒るって、その原因となったことに対して、「理不尽だ!」「間違っている!」と思うから怒るんですよね。

ですが、私は、怒る前に、悲しくなったり、落ち込んだりしてしまいます。
何かの出来事に対し、「理不尽だ!」とか「間違ってる!」と思う前に、「そうかもしれないなぁ…」とか、「私のやり方がまずかったからかなぁ」とか、原因を自分のほうに引き寄せてしまうんですね。

そうすると、理不尽で、間違ってるのは、自分だということになっちゃうので、怒るようなこともなくなります。

もちろん、子どもを叱ることはあります。
でも、叱るって、怒るのとは違いますよね。
叱っていても、心は怒ってるんじゃなくて、悲しんでますよね。
「なんでこんなことをしちゃったのかなぁ…、私がもうちょっと早く注意しておけばよかったかなぁ…」とか考えてしまうので、怒れません。


でと、こっからが本題なんですが。
今日の会議で、私が提出した資料には、こんなことが書いてありました。

今年度、うちの図書館の貸出数は、もの凄く増えたのです。
それは、以前にもこのblogに書いたことと思います。

で、その増えた事実と、その考えられる要因を書いていたのです。

要因として考えられるのは、大きく3つ。

1、開館日数の増加。
2、夏に新規購入した本や、それまでに溜まっていた修理本を、職員作業で手伝っていただきつつ、全部受け入れ、修理完了し、9月の新学期早々より、貸出することができたこと。
3、各学級の担任の先生が、図書の時間を積極的にとって下さったり、図書の時間以外でも、学級での呼びかけや、「図書館に行く時間」を作って下さったこと。

この3つを、…表現はもうちょっと簡略化しましたが、要因として書きました。

この資料から、指摘されたのは、このようなことでした。

「これら3つの要因は、司書の取り組みではなく、単に日数の調整や、職員作業、各担任の先生が取り組まれたことですよね?先生が司書として取り組んだことはないんですか?」

と。


私、この指摘を伺ったときに、初めて、「ああ、そういう風に受け取られるんだなぁ…」と気付き、驚いてしまいました。
そうですね。
この文章には、司書って言葉は一つもでてきませんね。
なるほど…。

しかし、私としては、この3つの要因の中に司書の取り組みも、当然加わっているものと考えていました。

1の開館日数の増加。
この日数の増加は、長期休業後の返却を速やかに完了させたり、蔵書点検の日程をずらして、3月の2週目まで閉館を遅らせたりしてひねり出した日数です。
そのために、司書が早く返却してもらえるよう、学級への呼びかけ、個人への呼びかけを行ったり、開館の方法自体に工夫をこらしてみたりしました。
叢書点検の日数も少なくなっていますので、その分、司書の作業量が増えています。

2の職員作業。
この作業にかかる準備は、司書が行いました。
本の受け入れ…つまり、本のフィルムかけは、慣れが必要な作業ですので、なるべく簡単に行えるよう、いろいろな工夫をしました。
特別な作業が必要になったり、フィルムかけが難しそうな、特殊な形状の本や、ソフトカバーの本は、町内の司書の先生とも協力しましたが、司書が先にフィルムをかけておくという作業をしました。
また、フィルムかけ方法の説明に関しても、なるべく分かりやすいようにと心がけながら、司書が行いました。
修理本に関しても、道具を揃えたり、修理の方法を簡単に説明したり、どこを修理すればいいのか、本に目印をつけたり、などという作業は、司書教諭の先生にも手伝っていただきましたが、メインの部分は司書が行っています。

そして3の担任の先生の働きかけに関して。
たとえ、どんなに図書の時間を増やしていただいても、図書館に来る時間を増やしていただいても、図書館にだれもいなかったり、貸し出せる状態になっていなかったりしては仕方がありません。
毎回毎回、担任の先生同伴で、子どもたちが来る訳でもありませんし。
ですので、いつ利用があっても大丈夫なように、いつも待機して、図書館の準備を整えていたり、もし、私が図書館にいることができないときは、事前に連絡をし、急に来られたとしても大丈夫なように、様々な準備を施したりするのは、すべて司書が行ったことです。


と、このように、3つの要因の中には、私の仕事も内包されていましたので、私としては、司書の取り組みも含めて、それらの要因を挙げたつもりでした。
しかし、先に挙げたようなご指摘を受ける結果となり、また、今説明したような、司書としての取り組みも説明したのですが、ご指摘いただいた先生には、それは司書としての取り組みとは受け止められなかったらしく、「?」という顔をされていました。

私の説明の仕方もまずかったのでしょう。
こうやって文章に書くようには説明できませんでしたから。


そうなると、確かに、展示、掲示は足りず、新しい本も、本の修理も手伝ってもらわないと出来ず、読みきかせも、ほとんどボランティア任せ、さらに、蔵書点検も一人では満足に終わらせることすらできないような人間は、なんにも仕事してないことになるんでしょうね。


「司書の取り組み」って…なんなんだろうなぁ。



展示や掲示も、やってないわけではないのです。
ただ、展示というにはあまりにその場しのぎ的であったり、手作り間バリバリの見た目の悪いものだったりするだけで…

読みきかせも、やってないわけではない。
担任不在の図書の時間などに、少し本を読んで時間をつないだり、懇談会最中の、託児所図書館で、本を読んだりしたことはあるのです。
ただ、数が少ないし、公言したりはしていないだけで。

蔵書点検も、今年度は一人で終わらせるつもりで動いていたのですが、お手伝いの申し出があったので、管理職とも相談して受け入れることにしただけ。


しかし、どれも、私自身から見て、不十分なのです。
ですから、今年度の成果としては入れませんでした。
できてないことの方が多いですから。


それでも、さぞ「やりました!」みたいに書いておいたほうが良かったのでしょうか。
自分のことを、プラスプラスに書いておいたほうがよかったのでしょうか。


でも、そんな当たり前のことや、不十分なこと、書いても仕方ない気がしちゃうんですよね。



んー。
なんか上手く文章まとまってない気がする。
論点ずれたか?


伝えるって難しい。

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2 コメント

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Unknown (ほんまるこ)
2009-03-25 11:08:40
できていようが、できていまいが、司書の存在価値をアピールするようには、しとかないとね。
いないと困るのよ、困るよ、困るよ、としつこくアピールしてないと、ポジション自体が無くなる可能性もあるわけで・・・。

それにしても、そこの先生達、言い方がひどくない?
子ども達、荒れてない?
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Unknown (Unknown)
2009-03-25 22:36:58
今日の経過を見てる限りでは…。
もういっそ、いなかったら良かったのにと思ったりしなくもない。

なんだか、今日の出来事で、嫌でもアピールしちゃうような状況になっちゃいそうです。
これが、職員の無関心の表れだとするなら…。

もう、そんなところに望みはない。


言い方はどうなんでしょうね。
実は、私が書いた文章の方が、実際よりやわらかいのかも…とかいうお話もありますが。

まあ、別に乱暴な言い方をされたわけでもないんですけどね。


子どもたちですか?
荒れてるかどうかは…よく分かりません。

いろんな子はいますし、いろんな事情もあります。


私はみんないい子たちだと思ってますけどね。

なんというか。
この3年間で、ちっとやそっとでは、荒れてるとかなんとか思わなくなっちゃった。
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