今日の東京地方は強い北風が吹きすさぶ一日でしたが、もっと寒い新潟県関川村との交流会に行ってきました。
東京生まれで東京育ちの私にとってふる里と呼べる土地がありません。小学生の頃は夏休みに親の実家に帰った級友を羨ましく思い、学生の頃は遠方から下宿している同級生を尊敬のまなざしで眺めておりました。そんな私が新潟県関川村のふる里会に入会したのは、毎年夏に新潟県の粟島に友人と出掛けた帰路に関川村の温泉に立ち寄って何となく村の存在を知っていたところに、東京ドームで開催された「新潟の祭典」で関川村のブースで買い物をした際のアンケートで“ねこちぐら”が当たったことがきっかけでした。
ふる里会とは年会費を払うと年4回村の特産品の新潟産こしひかりや生ハム、しいいたけなどを送ってくれるシステムですが、30年も続けているところは珍しいそうで年に4回送られてくるのも他に例を見ないようです。
参加者は元村民で実家が村に残っていない人が多いようですが、私のように村とは無関係だった人、名字が関川だったから入会したという人もいらっしゃいました。
会場は上野の「精養軒」、別のフロアでは同じ新潟県の六日町高校の同窓会が行われていて新潟一色といった雰囲気でした。
ところが、新潟地方が大雪で新幹線に接続する羽越本線が遅れたために村長の到着が遅れるというハプニングがありました。村長がいなくてもできるアトラクションを先に行っているうちに20分ほど遅れて村長が到着しました。新潟駅で乗れたのが予定の新幹線の4本あと、それも掛け足で乗りこんで同行していた温泉組合の方々はさらにその1本あとになってしまったそうで、なかなか多難なスタートでした。
このふる里会、毎回趣向を凝らしていて、臼を持ち込んで餅つきをやったり、テーブルに雪だるまを置いて雪国を偲んだりと楽しいのですが、今回は“喜っ喜大会”でした。
喜っ喜とはこの地方のじゃんけんのことだそうですが、行司がいて対戦者同士は互いに礼に始まって礼に終わるという厳格なルールがあるそうです。今回の参加者は130人以上なので、まずテーブルごとに代表選出・・・私はここで敗退(・・;)
私は同じテーブルを勝ち抜けた小学三年生のK君を見守ります。優勝の賞品は村の温泉宿泊券交通費付きで、じゃんけんでも賞品が懸ってこれだけ厳格にやると盛り上がるもので、会場中が舞台の対戦に釘付けになっていてAKB48のじゃんけん大会のようでした。結局K君もトーナメント1回戦で敗退しましたが、見ていて楽しかったです♪
ところで、私はここ数年間はカーリングの試合や他の予定と重なることが多くて4年振りぐらいの参加だったのですが「久し振りですね。」などと声を掛けて頂いて、憶えてくれている人が意外に多いのに驚きました。また、アナウンサー講座でこの村を主題にした写真集「しあわせ猫ちぐら」を出版した五月書房の社長さんに偶然お会いしていたのですが、そのことを村長さんに話すと「あの社長さんは熱心に何回も村に足を運んでくれた。」と声を弾ませて話して下さりました。
村を取り巻く環境は厳しいようで七千人を超えていた村の人口は10年で六千五百人台まで減り、学校も統廃合が進んで村内に十校ぐらいあった小学校と二校あった中学校が一校ずつになったそうです。それでも村の人たちは元気で希望を持っていました。「東京のような都会は何でも揃っていていいけどたまに来るだけでいい。」こういう人達が村を、日本の食文化の原点を支えていることを再認識しました。平成の大合併の際にも近隣市町村との合併をせずに単独での存続を選んだ関川村を今後も応援してゆこうと思います。
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