2014年の箱根駅伝は東洋大学の優勝で幕を閉じましたが、その東洋大学の10区のランナー大津顕杜選手が最優秀選手に贈られる金栗杯を受賞しました。
ところで・・・金栗杯って何でしょう?!
賞の名前の由来は金栗四三(かなくり・しそう)氏で、あの大阪の道頓堀川の川端を今も走り続けているグリコマンのモデルになった方なんだそうです。
この金栗氏、1912年のストックホルムオリンピックに日本人初のマラソン代表選手として出場しているのです。当時は国が渡航費を出してくれるわけでもなければ、スポンサーがついて援助してくれるなんていうこともなく、その割に国を背負うというプレッシャーだけは着いてまわるという厳しい環境の中、自費でストックホルムに渡ったそうです。そういう時代だったんですね。。
で、結果はどうだったかというと、暑さのために途中で倒れてしまって沿道の民家に救助されていたのです。
ここで「なんだ、途中棄権か」となるのですが、話はここでは終わらないのです。棄権の届けを出さずに帰国したため、金栗氏の記録は“スタートはしたけれどゴールしていない”コースの途中で“消えたランナー”として当時の関係者の間では話題になっていたそうです。
そんな記憶も忘れていたころ、ストックホルムでオリンピック開催55周年のイベントが行われることになりました。そこで、ゴールしていない金栗氏にあらためてゴールして欲しいという要請があって、金栗氏は再びストックホルムの地へ向かい、競技場に張られたゴールテープを切りました。
このあとのアナウンスがいいんです。
「以上で、第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了した」
55年越しの閉会宣言ですよ!粋なことをやってくれますね!スウェーデンのオリンピック委員会!
そんな痛い経験をした金栗氏は強いマラソン選手を育て上げることに全力で取り組み、その一環として駅伝の普及にも尽力されたということで、今では箱根駅伝の個人賞として金栗賞が制定されたそうです。
グリコマンと箱根駅伝の賞にあった不思議な繋がり、何事も調べてみると意外な発見があって面白いですね。
私も一応カーリングの指導員資格を持っている者として、競技の普及に少しでも力を注ぎたいと思いました。