on-ice off-ice

氷上のスポーツ、カーリングをやっています!カーリング以外のことも書くのでon-ice off-iceです!

リフレッシュ at 遠刈田温泉

2015-11-30 21:51:38 | 旅行記
 勤労感謝の日を含む3日間、旅仲間4人で宮城県の遠刈田温泉(とおがったおんせん)に行って来ました。。



 東北新幹線の仙台駅から、七福神が湯浴みしているラッピングかわいらしいマイクロバスで、市街地を通り、郊外へ出て、更に山道を揺られ1時間20分ほど、固いシートでお尻が痛くなってきた頃、山間の盆地に開けた遠刈田温泉に着きました。宿泊先は「さんさ亭」。三畳、八畳、四畳の3部屋にソファーがある広縁と、4人でこんなにスペースを使っちゃっていいの?というくらい広々とした部屋で、luckyでした。
 お風呂は内湯と露天が男女それぞれ1ケ所ずつでしたが、こちらも広々していて気持ちよかったです♪

 食事も適量で、東北にしては薄味で美味しかったです。
 夕食はこんな感じ・・・













 遠刈田温泉は仙台と蔵王の間にあるのですが、蔵王への道は既に冬の通行止め期間にはいっていたので、温泉街周辺の散策。。


 歴史を感じさせる「豆腐屋さん」


 外湯「神の湯」


 変わった形の生け垣


 神社への道には熊に注意の看板が・・・。


 カニと鰻が戦った伝説があります


 神社の下には源泉がこんこんと湧きでていました。


 松川の流れ


 橋のたもとには大きなこけし


 こけし館(東北といえばこけし)


 昨年は電車が運休になるトラブルがあったのですが、今回は昼食を求めてハプニングがありました。。
ホテル周辺は商店や飲食店が多く、お食事処には事欠かない感じでした。昼食を食べようと、新しい感じの食堂の扉を開けて中に入ると、店員さんの姿が見えません。奥に進むと、席は3分の1ぐらい埋まっており、空席には食べ終わった食器が置かれたままになっています。どうしようかと思っていると、店員さんがやって来て、「時間掛かりますけど、よろしいですか。」と仰るので、「お一人でされているのですか?」と尋ねると、「そうです」とのこと。これ以上、忙しい思いをさせるのも気の毒なので、店をあとにしました。
 次に入ったお店は、手打ちそばと中華そばの看板を掲げており、「温泉に来たら日本そばでしょ!」と、暖簾をくぐると、おじさんが出て来て「すみません。中華そばだけになるんですけど、いいですか?」と言うではないか。手打ちそばの看板を見た瞬間に、「日本そばを食べたい!」という気になっていたので、ここでも「すみません。」と、退散しました。
 そのあと、2件ほど覗いたのですが満席でした。野菜や魚などの生鮮食料品から日用品まで扱っている小さなスーパーのようなお店で、メンバーのひとりが山芋をお土産に買い、近くのお勧めの飲食店を聞いたところ、ホテル近くに良心的なお店があると教えて頂き、そこへ行くと、夜は居酒屋になるお店で、雰囲気は居酒屋な感じでしたが、日本そばに香の物、冷や奴やデザートが付いてボリュームがあって、美味しかったです。





 この日の夕食は鍋しゃぶでした。

 最終日は松島へ行く予定だったのですが、残念なことに雨でした。雨の松島の悪くないと思いますが、同じ宮城県内でも遠刈田温泉からは3時間もかかるし、傘をさしながらの観光もしんどいと、中止することにしました。
 雨の時の予定を考えていなかったので、仙台では時間を持て余してうろつくことになりましたが、最近は休日も忙しく動き回ることが多かったので、久し振りにのんびりとリフレッシュできた旅でした。。

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母校を訪ねて

2015-11-07 23:53:59 | 日記・エッセイ・コラム
大学のサークル同窓会の招待状が届き、超超超久し振りに母校を訪ねて来ました!
数年前に私の2学年下の後輩ががんで他界してしまい、葬儀に集まった人たちの間で学園祭のときに集まろうという話が持ち上がったのがきっかけでした。既に、今年で3回目なのですが、これまではカーリングや旅行と重なってしまって参加出来ず、今回が初めての参加でした。

まず、バスを1停留所手前で降りて、2年前まで親戚が住んでいた場所へ向かいました。バス停の位置と周囲の雰囲気が変わっていて、一瞬戸惑いましたが、記憶を頼りに行き着くと、そこに家はありませんでした。道から1段下がった敷地に建てられていた家は、中二階に玄関があったのですが、道と同じ高さに造られた駐車スペースだけが残っていて、敷地は隣家の菜園になっているようでした。2階建てで5部屋程の家が建っていた土地も、何もなくなってみると小さく見えるもので、ここに本当に親戚宅があった気がしませんでした。それでも、近所の光景に記憶に留まっている建物などもあって、懐かしかったです。

ここから、道なりに進むと母校の裏側に出られます。子供時代の想い出と、学生時代の想い出が微妙に混ざり合ったルートを通ってもいいのですが、私は今来た道を引き返して、母校の正門を目指しました。久し振りに訪ねるのに、“裏口”はいけません。



正門の前まで来ると、以前はなかったゆうちょのATMができていましたが、それ以外は、在学中とさほど変わりはありませんでした。門を入って右手にある事務所の入った建物、その奥の食堂、左側の図書館も当時のままでした。それでも、奥へ進んでみると、建て替わった建物も多く、久し振り感を醸し出していました。懐かしい部室棟も残っていますが、そこに私が所属したサークルの部室はもうありません。既にサークルは無くなってしまったのです。



私が、在学中に入っていたサークルはユース研。ユースは、若者向けの宿泊施設ですが、サークルでは、ユースに泊まるだけでなく、夜通し歩き通すナイトハイク、キャンプ、ハイキング、子供たちをユース1泊に連れて行くオープンホステリングなど、様々な行事があって、理系の忙しい学業のストレス解消の場となっていました。

部室は無くなってしまったけど、私が4回生のときに1回生だった後輩が教授になっているので、その研究室が会場でした。
後輩の名前を冠した研究室に着くと、教授のAさんと幹事役のBさんが出てきました。「わっ!久し振りっ!」と挨拶を交わしていると、次々と懐かしい方々がやって来ました。風貌は変わっていてもしぐさでわかったCさん、当時やせ形だったDさんはお腹周りが立派になっていたり、大柄だったEさんは自転車ツーリングにはまってスレンダーな体型になっていたりという変化はありましたが、みんな誰が誰だったかはわかりました。そんな感じで、集まったのは総勢10名。Fさんは、奥さんとお子さんを途中で合流させて、いいお父さん振りを発揮していました。みんなの話では、1年目が一番多く集まっていたとのことですが、充分に賑やかな人数でした。今回、来られなかった人の情報も入っていて、期限ぎりぎりの8年生まで在学したにも関わらず、10単位ほど足りずに退学になった後輩はドラッグストアーの店長に落ちつき、また、社長になっている先輩の話も聞いて、みんな頑張っているんだなぁと感じました。ただ、残念なことに顧問の先生は、数年前に亡くなられたそうで、相撲部出身で横綱輪島の先輩だった貫禄ある先生にもう一度お会いしたいと思っていたので、悲しかったです。

今でこそ理系女子などと言われていますが、当時の理系はほとんど男子校みたいな中で、サークルは女子大との行事も多かったので、当時のアルバムを見ながら、あのとき誰々さんとデートしたとか、誰それさんを誘ったら「私は○○さんがいい」とサークルの別の人の名前を出されて断られたとかの懐かしい話も飛び交っていました。でも、話の中心は、現代の大学が抱える少子化と大学のレベルの問題やら、仕事に絡んだ話などの現在の話題で、「みんな社会人なんだなぁ~」と、あらためて感じました。



そんな楽しい時間はあっという間に過ぎて、帰りは駅まで懐かしい商店街を通りました。ここも建て替わったお店が目立ちますが、学生の街らしく本屋さん、スポーツ用品店、パチンコ屋さん、ゲームセンターなどは当時の姿を留めておりました。

後輩の他界という、悲しい出来事をきっかけに始まった集まりですが、再会の機会をくれた後輩に感謝しながら、「来年も集まりましょう。」と言って解散となりました。

懐かしさを感じるよりも、みんなが頑張っていることを再認識して、元気がもらえた母校再訪でした。
来年も都合が合ったら、行ってみたいと思います!
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