東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

天台宗

2024-07-24 11:17:00 | 日記
 疲れたなあ。
 
 岩手県奥州市の水沢の羽田というところは南部鉄器の工場が密集してる場所で、新幹線の水沢江刺駅がある。水沢市と江刺市と胆沢町と前沢町と衣川村が合併して奥州市になってる。羽田は奥州市の前は水沢市だったけど、昔は江刺郡だったようだ。羽田村は明治22年(1889年)にできて、昭和29年(1954年)まであったようだ。
 
 水沢江刺駅の前には田茂山という丘のような山があって、坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれていて、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってる。奥のほうに愛宕神社があって、古塚がある。明治時代に愛宕神社の社殿を新しく建てたらしい。
 
 ここが大国主ということになってる人の墓所の気がしたんだけど、まったく自信が無い。自信が無いと何度も書いてるのに、なんとしても封じ込めておきたい人たちがいるのは、なんでだろう?。
 
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 天台宗では明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らないけど・・・。明治以降の天台座主も名前だけはウィキペディアに載ってる。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務めたようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。菅原栄海は昭和45年(1970年)に天台座主に就いたようだ。菅原栄海は江刺にある勝軍寺という寺の息子らしい。勝軍寺の山号は愛宕山だそうだ。中尊寺の貫首をしていた千田孝信という僧は菅原栄海の親戚らしい。
 
 菅原栄海の兄の菅原英信も僧で、菅原英信は日光にある輪王寺の門主や東京にある浅草寺の住職を務めたらしい。菅原英信の息子の菅原信海も僧で、ウィキペディアを見ると、菅原信海は日光の輪王寺にもいたらしいけど、早稲田大学の名誉教授らしい。
 
 天台宗の総本山は滋賀県大津市にある比叡山延暦寺で、天台宗は法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。天台宗が今のようになったのも明治以降としか思えないんだけど、呪われた人生だったなあ。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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