東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

熊野

2021-05-03 01:32:36 | 日記
 首が痛い。
 
 和歌山県田辺市にあった紀伊田辺藩には安藤氏がいたようだけど、紀伊田辺藩が正式な藩になったのは明治維新の後で、紀伊田辺藩の安藤氏は紀州藩の藩政に関わっていたようだ。紀伊田辺藩の安藤氏と福島県にあった磐城平藩の安藤氏は同族らしい。
 
 福島県にあった磐城平藩の藩主だった安藤信正は井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された後、幕府の政治の最高権力者になったみたいです。安藤信正は坂下門外の変の後に失脚したみたいです。
 
 磐城平藩の最後の藩主の安藤信勇は長野県にあった岩村田藩の内藤氏から来た人らしい。藩政の実権は安藤信正が握っていたようだけど、戊辰戦争で磐城平藩は奥羽越列藩同盟に参加し、福島県の浜通りは戦場になり、いわき市の辺りも戦場になったみたいです。
 
 明治維新の話も怪しいんだよなあ。
 
 ウィキペディアを見ると、磐城平藩の安藤氏は大正時代に久留米藩の有馬氏の人が来て継いでるみたいだけど、安藤信昭という人は日本のプロ野球の草創期に関わった人で、安藤信昭の息子の安藤信和という人は昭和と平成の日本のアメリカンフットボールの功労者らしい。
 
 久留米藩の有馬氏は本当に明治維新の前に日本にいたんだろうか?。
 
 和歌山県田辺市にある熊野本宮大社の祭神は家都美御子大神で、スサノオのことらしい。熊野本宮大社のHPを見ると、熊野本宮大社には第一殿から第四殿までの上四社が祀られていて、中四社と下四社は熊野本宮大社が前にあった大斎原に合祀されてるらしい。熊野本宮大社は川の中州にあったみたいだけど、明治22年の水害で流されたみたいです。本当か知りませんけど。
 
 インターネットで調べると、音無川の上流には船玉神社があって、熊野本宮大社の奥の院ともいわれるらしい。
 
 熊野本宮大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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