東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

盛岡

2024-01-13 09:10:18 | 日記
 南部屋敷ですか・・・。
 
 ウィキペディアで調べると、南部藩の最後の藩主は南部利恭という人のようだ。次の南部氏の南部利祥は南部利恭の息子で、明治36年(1903年)に家督を継いだようだけど、南部利祥は陸軍の軍人で、明治38年(1905年)に日露戦争で戦死したらしい。
 
 次の南部氏の南部利淳も南部利恭の息子で、南部利祥の兄弟だそうだ。南部利淳は昭和5年(1930年)に亡くなったらしい。次の南部氏の南部利英は一条家から養子で入った人で一条実輝の息子らしい。南部利英は南部利淳の娘を妻にしたらしい。南部利英の時に太平洋戦争の終戦を迎えたようだ。
 
 一条実輝は四条家から一条家に養子で入った人で、四条隆平という人の息子らしいけど、四条隆平の兄の四条隆謌の息子として育てられたらしい。四条家は四条隆謌の四条家が本家らしい。一条実輝は明治16年(1883年)に一条家を継ぎ、大正13年(1924年)に亡くなったようだ。一条実輝は海軍の軍人で、大正9年(1920年)に明治神宮の初代宮司に就いたらしい。
 
 奈良県奈良市にある高橋神社と千葉県南房総市にある高家神社と栃木県小山市にある高椅神社では磐鹿六雁命を祀っていて、南房総市の高家神社のHPを見ると、磐鹿六雁命は料理の神様で、醤油醸造や調味料の神様らしい。ウィキペディアで調べると、膳氏の祖が磐鹿六雁命で、膳氏の人が高橋氏を名乗ったことになってるらしい。
 
 包丁式は高橋氏が執り行ってたらしいけど、藤原山蔭が四条流の包丁式を新たに編み出したらしい。本当か知らないけど・・・。南房総市の高家神社のHPで特殊神事で包丁式ってあるけど、これは四条流で行われるの?。
 
 藤原山蔭は藤原北家の人で、藤原魚名という人の子孫らしいけど、藤原魚名の直系の子孫が四条家らしく、四条家から分かれて明治維新の後に華族になった家もあるようだ。藤原山蔭は四条流包丁道の創始者らしく、今でも四条流包丁儀式が行われる神社があるようだ。
 
 岩手県盛岡市にある盛岡八幡宮は盛岡の鎮守らしいけど、盛岡八幡宮のHPを見ると、盛岡八幡宮は明治17年(1884年)の盛岡大火の後に再建が繰り返され、今の社殿は平成9年(1997年)の造営らしい。本当か知らないけど・・・。盛岡八幡宮には磐鹿六雁命を祀る高倍神社がある。
 
 盛岡八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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