東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

八木

2024-05-26 17:22:32 | 日記
 謎だよなあ。明治時代の後半から大正時代の初め頃が怪しいんだけどさあ。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 明治天皇が亡くなって大正天皇が即位して、その後に大正政変があって桂園時代は終わりを遂げたようだ。桂園時代の後に山本権兵衛が総理になって、次に大隈重信が総理になって、次に寺内正毅が総理になって、次に原敬が総理になったようだ。原内閣は日本初の本格的な政党内閣といわれるらしい。
  
 及川古志郎は本籍は岩手県らしいけど、新潟県の古志郡の生まれらしい。及川古志郎は岩手県内の小学校に通って、盛岡の中学に進学したようだ。及川古志郎は海軍の軍人で、第二次近衛内閣と第三次近衛内閣で海軍大臣を務め、太平洋戦争では東条内閣の後に軍令部総長に就いたようだ。及川古志郎は昭和33年(1958年)に亡くなったらしい。
 
 及川古志郎が海軍大臣だった時に日独伊三国同盟が結ばれ、アメリカとの開戦を阻止できなかった海軍大臣として及川古志郎は酷評されてるみたいだけど、この人も謎なんだよなあ。古志郡で生まれたから古志郎という名前なの?。
 
 山本五十六という人は海軍の軍人で、太平洋戦争の開戦時の海軍の連合艦隊司令長官で、真珠湾攻撃を作戦実行した人らしい。山本五十六は太平洋戦争の戦時中の昭和18年(1943年)に飛行機で視察していたところをアメリカの戦闘機に撃墜されて亡くなったらしい。
 
 山本五十六は新潟県の古志郡の生まれらしい。山本五十六は新潟県にあった長岡藩の藩士の息子で、高野家の生まれで、大正4年(1915年)に山本家に養子に入ったらしい。長岡藩の藩主だった牧野氏の牧野忠篤が戊辰戦争で亡くなった山本義路という人の山本家を継がせたようだ。山本義路は山本帯刀ともいわれるらしい。山本五十六は高野貞吉という人の息子で、高野貞吉は大正2年(1913年)に亡くなったらしい。
 
 高野氏は宇津氏の系統の氏族で、長野県にあった上田藩の真田氏の家臣だったらしいけど、長岡藩の牧野氏の家臣になって高野を名乗るようになったらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 インターネットで調べると、京都市右京区の下宇津というところに宇津城跡という戦国時代の城跡があるらしく、宇津氏が拠点にしていたらしい。宇津城は織田信長に仕えていた明智光秀に攻められ、宇津氏は滅亡したらしい。宇津氏は土岐氏の末裔らしい。本当か知らないけど・・・。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。安倍氏の棟梁は安倍貞任で、安倍貞任は盛岡にあった厨川柵にいて厨川次郎というらしい。
 
 京都府南丹市八木町にある船井神社では住吉三神と春日四神を祀ってるらしい。船井神社の由緒は神功皇后の三韓征伐の話に由来するらしく、神功皇后が住吉明神を祀ったことになってるようだ。船井神社には安倍貞任の腕を祀る腕守社があるらしく、安倍貞任の腕を埋めたといわれる五輪塔があるらしい。
 
 船井神社のHPを見ると、岩手県で討たれた安倍貞任の遺体は京都に運ばれ、陰陽師の進言で有頭というところに埋められたらしい。京都市右京区の下宇津というところの辺りに埋められたことになってるようだ。安倍貞任は何度も生き返り、祟ったので、バラバラにして数ヶ所に埋められたらしい。下宇津周辺には安倍貞任の遺体が埋められたといわれる場所が何ヶ所かあるらしい。安倍貞任の頭は南丹市にある久留守神社に埋められたらしい。祟りを鎮めるために安倍貞任の霊は下宇津八幡宮に祀られたらしい。
 
 安倍貞任伝説も作り話の気がするけど、本当に腕を埋めて封じ込めてる気がするんだけどなあ。本当に遺体をバラバラにして山中に埋めたんだろうか?。
 
 船井神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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