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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

父の命日

2006-03-10 | 日々の生活
                  《父の著書 会津の史説と巷談》

昨日は父の命日、午前中に墓参りをした。
昨年秋に母3回忌、父17回忌の法事を終えたが、父や母への思いは年を重ねるごとに強くなっている。
ときどき二人にいろいろ聞きながら、新しい明日を生きていきたい。

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父の命日に人生を考える

 久しぶりに父の夢を見た。梅の香におう春浅き日に、あの明晰な父は静かに逝ってしまった。今、アルビノーニのアダージョを繰り返し聞きながら父を偲んでいる。
 その日の朝、形見となったペンや読みかけの書物に、やわらかな花の影が落ちていた。あれから十三回目の春を迎える。あのとき、眠り続ける父を前に、このまま対話できなくなってしまうことが信じられなかった。
 雄弁に歴史を語る父、いつもタバコを燻らせコーヒーを飲みながらものを書いていた父。生涯、人一倍ふるさとに思いを寄せた、波瀾万丈の人生であったと思う。
 そんな尊い一個の人格が、ある日突然に失われてしまう無念を恨んだ。これからも幾多の人生を悲しみ、嘆き続けるであろう。しかし、残された者はそれを強く乗り越えなければならない。人生ははかなく無常だが、父の命日にはいつもそんな思いに導かれている。
しばらくすべてを鋭く観察しながら、静寂の中で落ち着いた日々を送ろうと思っている。(2000.3)

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心に響いたこと

2006-03-08 | 日々の生活
○ ハクチョウの北帰行始まる 
雪の磐梯山を背景にコハクチョウの北帰行が始まった。
叫びながら猪苗代の雪原を舞う冬の使者との別れが、いつも哀れで切ない。
また暮れに来いよ。待っているよ。

○ 春を待つ 木々に降る雨 温かし
雪から雨へ。弥生3月の雨は、しっとりした春を感じさせた。
ウメのつぼみはまだ堅いが、雨の滴が枝に玉をなし光っている。
芽起こしの雨という表現があったかどうか?そんな温かさを感じさせる。
空に伸びる枝ごとに雨の滴が輝いてとても美しかった。
時が止まり、ふと、幸せって何だろうと考えた。


○ 手折りしレンギョウの 黄色目映し
軒の雪がどーんと落ち、植え込みのレンギョウの株が被害を受けた。
折れた枝を切りそろえて花瓶に挿し、暖かい室内に置いた。それから2週間、
米粒ほどの堅かったつぼみが膨らみ、色づき、黄金の花弁を開いた。
窓ぎわの春の陽に当てると、喜び輝いた。
戸外のレンギョウの芽は未だ堅いままだが、室内の新芽はもう5,6センチにも伸びている。
   レンギョウの 手折りし枝に 咲く真冬



感性、情操豊かな若者を!

2006-03-07 | 教育を考える
 夜のうちに積もった春の雪が青空に映え、降り注ぐ日の光がまぶしかった。しばらく雪雲に見えなかった秀峰磐梯が凛々しく聳え、あまりにも美しかった。
 いつも美しいものに触れ感動する感性を思っている。感性は価値あるものに気づく直感的な能力だが、外界への細やかな観察の積み重ねにより深い認識を持つことができる。学校教育のみならず青少年にはそうした場面が是非必要だ。教育が心豊かな人間らしい生き方を求めるならば、恵まれた郷土の自然の中で豊かな感性を養わなければならない。
 やわらかな日差し、雲の流れ、夕焼けの微妙な色相の変化、鳥のさえずり、木々のそよぎ等々、心動かされる刺激はいつも身近にあるが、若者のこうした生活体験は実に乏しいと思う。
 偽りの豊かさを享受し続ける一部の若者の乾いた心にふれる度に、あらためて知識だけでない、ゆったりした時の流れの中での豊かな感性、情操の大切さを思わざるを得ない。

フキノトウの香りと味を満喫

2006-03-06 | 食文化
 山頭火の句に「山深く蕗のとうなら咲いている」とある。放浪の俳人の心境はどうであったか、残雪にひときわ鮮やかな黄緑色が眼に浮かんでくる。
 県道沿いの、所々に雪が残る畦に、春一番の自然の贈り物を見つけた。
枯れ草の中に鮮やかに輝く蕗のとうは、黒い土やさわやかな春の青空によく映え本当に美しかった。雪解けが待ちきれず開きかけた苞に包まれ、房状に顔をのぞかせている頭花がかわいらしい。そっと手を触れマクロ写真に納めた。
 ごめんねと言いながら摘んだ指先に、土の香り、ほのかな蕗の香りが広がり、新しい季節のすがすがしさを感じた。
 蕗みそと天ぷら、お浸しやお汁には小さく刻んでまぶし、夕食は一足早い春の香りに包まれた。 
   残雪に ほのかに香る 蕗のとう


焼き物を楽しむ

2006-03-05 | 日々の生活
 陶芸に興味を持ってから、各地の美術館、記念館を訪ね鑑賞してきた。
 益子を訪れた折りに、浜田庄司やバーナードリーチ、柳宗悦、河井寛次郎等の名を知った。また、魯山人が新しい陶芸の世界をつくった総合的芸術家であることも知った。
柳宗悦は「美は用の現れ。用と美と結ばれるものが工芸」と述べ、雑器に虚心が生み出
す美しさを見いだした。また河井は、無名の職人たちが作ってきた雑器の持つ質実で素朴な美に大きく目を開かれた民芸運動の実践者であった。
よく焼き物の価値は、形が美しいこと、釉薬が美しいことそして使いやすいことと言われるが、さらに、手仕事で作られ伝えられた良さにあると思う。
  自分の趣味で自作した絵皿やぐい呑みを使い、祖先が営々と作った地方の料理を食べることはなんと贅沢だろうか。 
会津にも、400年の伝統を持つ本郷焼きがある。毎年8月初めの日曜日に開かれる「せと市」は、にぎやかな中に歴史と伝統に裏ずけられた趣きがある。
人混みを避け、町の細い路地に散在する十七ある本郷焼窯元を巡り、焼き物の楽しさを味わうことができる。技術を越えた感性を探しながら特色ある各窯元の焼き物を探すのはとても楽しい。
 今、人間や自然との調和を忘れかけた科学技術がよく言われる。大量消費社会の大量生産を支える先端技術は、これらの失われ易い伝統工芸的技術との共存が必要と考える。それが豊かな生活につながる文化だからだ。
 ある八十を越えた老陶芸家は「伝統とは生命の継承である。古いものの繰り返しではない。伝統は日々新しい闘いを続け、日々成長するものである」と言った。本郷焼きの新しい伝統を創造して行って欲しいと思う。

http://www.hongoyaki.or.jp/

私のスケッチ (磐梯を描く)

2006-03-04 | スケッチ
趣味で素人スケッチを楽しんでいる。
主に四季折々の磐梯山を描いてきた。
そのうち、各地からの磐梯を磐梯百景にまとめたいと思っている。
よくスケッチの余白にその時の感動を添えている。



【崎川浜の水鳥】


【中田浜から】

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磐梯を讃える

 磐梯山の眺め、雲の流れは季節を問わず美しい。
 山容は眺める場所によりかなり違うが、
 どこからも心を揺さぶられる。
 
 私はスケッチが好きだ。
 それらに動かされる心の豊かさが好きだ。
 凍える指先に吐息し、
 雪の原に立ちつくす数分間に、
 精神を集中し一気に大自然を描く。
 そんなスケッチの感動のひとときが好きだ。

 学生時代の浅間山のスケッチに
  「絵の具を溶くに水なし、
   畑の吹きだまりの輝ける残雪に吐息す。
   雪水に溶けた絵の具は丁度氷ミルクの如し。
   爽やかな寒中、大自然に抱かれしばし佇む。
   今、ひとりぼっちで自然と対話する喜びがこみ上げる。
   おまえは何をしてきたのだ。・・・・・・・
   山々の雄姿が呼びかける。」とある。
 スケッチの余白にはいつも感動のメモを添えるのが常だった。

 技術革新が進み、
 それらからの物質的な豊かさを享受する我々は
 何かを失い欠けているような気がしてならない。
 それは感性、情操、情緒であり、そして
 それらを育む 自然への畏敬の念ではないだろうか。
 
 今振り返って、スケッチからの感動が
 自分をだいぶ大きくしてきたと実感している。
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磐梯を讃える

2006-03-03 | スケッチ
 


雪の原に立つ
 雑木林 白く細く立てり
 大空に真白き磐梯映え 
 山麓を走る電車 音もなく静かに過ぎゆく
 
木々に囲まれし家並 凍てつく川面 青くさやけし
 段々に重なる雪の田 刈株の幾何学模様楽し
 落ちついた雪に埋もれた生活 豊かなり

 厳寒の大自然を前に 立ちつくす幸せ
 凍える顔、手、指先
 
景色を構成するものわずかなり
 雪の原、猪苗代湖、磐梯、白鳥、松の緑
 そそり立つ真白なる磐梯 
 湖に浮かぶ対岸の低い山々 麗し すがすがし

青き湖水に コハクチョウ列をなし緩やかに流れる
 自然の使者よ しばしやすらぎ 大自然に遊べ
 お前たちは素晴らしい
 この静寂に生きていることの喜びを共にせん 

全身に豊かなる大自然 
 涙あふるる静寂 
 磐梯 有難し

卒業は始まり 意欲ある日々を

2006-03-01 | 日々の生活
 卒業
今日3/1は県立高校の卒業式、昨年まで教職にあって、毎年卒業生に述べてきたことを思い出す。
でも、もう教壇から話をすることはない。
   ①生涯が学びだ ②意欲ある人生を ③つかの間の青春 

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卒業生諸君へ! 
 高校卒業おめでとう。君たちは今学業を終え、大いなる希望と少しの不安を抱きつつ社会へ巣立とうとしている。 しかし、実は卒業は始まりであって、終わりではないのだ。
 江戸時代の儒学者佐藤一斎は、
「少にして学べば則ち壮にして為すことあり/ 壮にして学べば則ち老いて衰えず / 老いて学べば則ち死して朽ちず 」と、生涯が人として生きるための学びであると諭している。
 また、君たちの人生が、目標に向かって意欲的に歩む「どうする人生」であってほしいと願う。
 目標も計画もない、どうなるかわからない「どうなる人生」は不安だからだ。
 青春はつかの間に過ぎてしまう。どうか、心して意欲ある日々を送って欲しい。
 「時よ止まれ/ 君は美しい/ そして美しいときはいつもすぐに過ぎて行く」
 「若き命も過ぎぬ間に/ 楽しき春は老いやすし/ 誰が身に持てる宝ぞや/ 君紅のかほばせは」
 これらはかつて教職にありて、いつも卒業の門出に、前途に幸多かれと祈りながら生徒に贈ったことばである。
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