今年もお盆を迎えた。父、母を、そして自分の生き様を反省するお盆だ。
昨日、お昼寝を終えたころ真ちゃんから電話。お墓の掃除をしてくれた。
枯葉を集め10袋にもなったようで、我が家の庭に捨てに持ってきてもらった。
例年は春彼岸に汗を流していたが今年は省略、お墓の掃除が気がかりだった。
数年前から一族の集まりもなくし、吾輩の体調もあり、妻も一緒は無理な身体となったりで、少しずるい心がもたげてもいた。
いつもお盆には子どもたち家族と都合をつけてお参りし、食事会をしていたが、コロナ禍でもあり今年は取りやめることに。
思いがけない真ちゃんの手伝いでこころが晴れた。
広い墓所、秋に降り積もった枯れ落ち葉集めの作業は一大事だ。
真ちゃんが枯葉を届けてくれた後、ばあちゃんと墓参りをすることにした。
豊岡の静寂にミンミンゼミの合唱が聞こえた。しばらくぶりのお墓は清々していた。
あらためて、真ちゃんの心遣いに感謝した。ありがとう。
例年の通り、花春で盆花を求め、庭に咲く菊やメゾハギと一緒に墓前に供えた。
目を閉じていっぱいの線香を手向けた。先に逝った方々を思う。父や母が浮かんできた。
そして、今のささやかな幸せを感謝した。
親があり、親の親があり・・・。
父の残した「家系概記」に
「厳然存在する現世の個人は,必ず先祖より伝承された個人であって,何人も忽然とこの世に生まれ出たものではない。」とある。
「お盆」をブログ内で検索した。
檀家の小冊子にあった詩を見つけた。
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夏のきみへ
たとえばきみの親の親の親
きみの子の子の子
遠い過去からはるかな未来へと続く
ひとつのつながりの中にきみはいる
そしてきみは
わずかな時間を生きて死んでいく
だけれどもきみはきみ
ほかのだれをもっても替えられない
ただひとりのきみなのだ
道に迷ったら引き返せ
転んだらどうにかして身をおこせ
そうしてまた歩き出せ
きみがほんとうのきみになるために
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そんな、少し若いころの思いは薄れたが、息子や娘、孫たちに教えたい心だ。
今を大切にしたい。
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