エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

早春の小さな虫 至福の里山巡り

2019-04-20 | エッセイ

3月末のエッセイ

 

季節は巡り桜前線が北上中だ。三寒四温、慣れ親しんだ言葉だが、なるほどこのところの実感だ。

穏やかな田の土手を歩いた。

いつしかオオイヌノフグリ、ナズナやハコベが満開、厳しい冬を乗り越えた草々がそれぞれに個性的なロゼット状の葉を広げていた。

躍動する自然には少し早いが、昨日の雪がうっすら残る林に踏み入った。

ユキヤナギの芽が銀色に膨らみ始めたが、木々の目覚めは遅い。

林間をたおやかに舞うウスバシロチョウを想った。

林床に目を懲らすとザラメ雪の間に,ウスバシロチョウの食草ムラサキケマンがギザギザの葉を拡げ始めていた。

やがて越冬した卵は孵化し食欲旺盛に成長し、連休明けには舞い始めるだろう。

清らかな流れには、じきにカワトンボが翅を輝かせて現れる。

ファインダー越しに小さな虫たちの命を見つめながら、心躍らせ至福の里山巡りを楽しみたい。

 

    

     

 


「令和」の時代迎え 我が半生振り返る

2019-04-06 | エッセイ

                       【会津慈母観音】

夜半に起きてラジオで深夜放送を聴いた。

昭和52年のヒット曲、「あずさ2号」「愛の終着駅」「昔の名前で出ています」等など、次々に懐かしい歌唱が流れた。ふと、時の流れを重ね合わせた。

降る雪や明治は遠くなりにけり」は中村草田男の句だが、青春を謳歌した私の「昭和」も遠くなってしまった。

物心ついてから昭和の時代を30数年、その後の平成の時代を30年、つかの間の時が流れた。

我が「昭和」の時代は、それなりに成長し、仕事に子育てに、一個の人間を主張しながら、夢を抱いてがむしゃらに生きた。

続く「平成」は良いこともあったが辛い時代だったような気がする。

父を、母を亡くし,自分も患った病との戦いだった。

元号に関わらず年齢的なものだろうが、いま、ふと去来する数々の思いに込み上げるものがある。

新しい元号「令和」の時代が始まる。こ

の時代が、家族にとっても、世の中にとっても、希望のある良い時代であってほしいと願っている。


早春の里山に 元気をもらう

2019-03-26 | エッセイ

雪が消え、柔らかい陽に包まれたフキノトウが淡く黄緑色に輝いていた。

待ちかねた季節に誘われ、ほころび始めたマンサクを撮りに里山を巡った。

例年楽しみにしている、浅い春の我が風物詩だ。

マンサクの語源は、早春に咲くことから、東北地方の訛り「まんず咲く」から来ていると言われる。

マンサクは、前年の葉の付け根から短い花序を出して開花、真っ赤なガクの内側と、

ねじれたリボンのような花弁や雄しべの黄色とのコントラストが何とも不思議な美しさを漂わせている。

魅力的なマンサクだが、サクラと同様、花の季節を過ぎるとあまり関心を持たなかった。

今度、花が咲き終わった後の芽吹きや葉、秋の実や種についても観察してみたいと思っている。

今、冬の眠りから覚めた里山の自然界では、生あるものすべての喜びが聞こえてくるようだ。

体調を気遣う日々だが、これからも自然から元気をもらい、感謝しながら過ごしていきたいと思っている。

 

  

 

 (参)マンサクを撮る  ヒメシロチョウの蛹   2019-03-13 | 自然観察


 賢治の世界 人々の幸せ

2019-03-13 | エッセイ

 

 「全世界の人々が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。」

これは尊敬する宮沢賢治の重く深い、崇高な言葉だ。

世界各地で続いている武力や経済紛争を思う。

人類の歴史は争いの歴史と言われるが、それは、人間の本性に起因しているのかも知れない。

飢餓や貧困、食糧難、核やテロなどの課題、さらには、環境破壊や地球温暖化など地球規模の問題、日常の生活上のトラブルまで、

すべては人間の我慾、愚かさによるものと考えざるを得ない。 

ときどき、賢治の心に響く詩 『雨ニモマケズ』を声を出して読んでいる。

そこにはそうありたい愛情に満ちた人間像がある。

「ヨクハナク ケッシテイカラズ イツモシヅカニワラッテヰル」

「ミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」

「サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ」  

人間が皆、この素晴らしいデクノボウであれば、個人も、世界中の人々も幸せになれるのではないだろうか。

 


コハクチョウの北帰行

2019-03-06 | エッセイ

                         笹山浜近くのお気に入りの原野で 定点鑑賞

 

ハクチョウの北帰行が始まった

しばらく過ごした磐梯山を背に舞うコハクチョウたちはどんな思いだろうか。

崎川浜ではしばらく湖水に浮かぶハクチョウを見ていない。

今日も崎川浜には水鳥たちはいなかった。湖までの田でコハクチョウの集団を見た。

赤井から 崎川浜で 

 

翁島まで足を延ばした。翁島の田には、コハクチョウたちが間もなく別れを惜しむように群れていた。

  

  

 

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昔の別れの感激を思い浮かべた。今その面影はなく残念だった。

 

以下は《同じ時期の、エッセイ》 

2018年  愛おしハクチョウ 感動の湖水清々し 

  快晴の猪苗代湖・崎川浜に水鳥を訪ねた。

 蒼い湖水に浮かぶ真白な会津嶺が、凛として神々しく聳え、静寂にコハクチョウの鳴き交う声が響いていた。

 描いた数葉のスケッチに、感動を添えた。

 『磐梯を讃える』   厳寒の大自然を前に 立ち尽くすしあわせ 凍える顔、手、指先

          景色を構成するものわずか 雪の原、湖水、磐梯、水鳥、 松の緑 すべてうるわし すがすがし 

          対岸の山々 湖に浮かび コハクチョウ 列をなし 静かに流れる 

                     大自然の使者よ お前たちは素晴らしい この静寂に しばしやすらぎ、遊べ 生きている喜びを 共にせん

                   全身に 豊かなる大自然 涙あふるる静寂 青き磐梯 うるわし ありがたし  

 感動に震えながら、どこまでも清らかな湖水を後にした。

 

2015年 水鳥の北帰行 別れ切なし 

  穏やかな春の陽に誘われて、すでに北帰行の始まった水鳥たちとの別れに猪苗代湖へ向かった。

長浜にはすでにコハクチョウの姿はなく、すっかり少なくなった水鳥たちが浜辺で憩っていた。

オナガガモより渡りが遅いのか、キンクロハジロやスズガモが目立ち、スマートなユリカモメも飛んでいた。

崎川浜へ回ると、未だ20羽くらいのコハクチョウが叫び合いながら漂っていた。

水草を食べているのだろう、さかんに潜って逆立ちをしていた。

誰もいない湖岸の砂浜に真っ白なコハクチョウの羽毛が風に揺れていた。

ふと、函館の浜辺に蟹とたわむれた啄木の心境が浮かんで、急に寂しくなった。

そして、大自然に一人佇むこのちっぽけな人生を思った。

しばし憩った猪苗代の水辺を離れ、いま北へ帰る純粋無垢な水鳥たちが愛おしくてならなかった。

大自然の使者よ、有り難う!お前たちに何度救われたことだろう。

湖に浮かぶ秀峰磐梯が眩しく輝き、感動の景色が広がっていた。


2014年  愛おしい水鳥と ほどなくお別れ

 気温は氷点下だが、風も無く穏やかに晴れ渡った午後、久しぶりに雪の猪苗代湖畔の崎川浜に水鳥を訪ねた。

厳しかった冬ともほどなくお別れ、そこここに、春の息吹が感じられるこの時期は、北へ帰る水鳥たちとの別れの季節でもある。

湖水に近づくと、静寂に「コーウ コーウ」と鳴き交うコハクチョウの切ない声が聞こえてきた。

湖水に浮かぶ磐梯、透き通る水に淡い春の陽が揺らめき、数百羽のコハクチョウ、オナガガモが憩う。

この純粋無垢な大自然のいのちはあまりに清楚で美しかった。

こんなに美しい世界が何処にあるだろうか。

今、彼女たちは北へ帰るときを感じていた。

ときどき羽ばたきし、集団で飛び立っては旋回、着水を繰り返していた。

今年も切ない別れの季節を前に、美しく愛おしく清らかな彼女たちの姿、大自然のすばらしさに震えた。

厳寒に眺める磐梯は、今日も筆舌に尽くしがたく麗しかった。

 

2013年 大自然に生かされる幸せ 

冬晴れの朝、猪苗代の崎川浜に水鳥たちを訪ねた。

凍てつく寒気にひとり立ち、どこまでも清らかな湖水、そこに憩う汚れなき水鳥たちを見つめていると、心からの感動を覚えた。

コハクチョウやオナガガモが厳寒の湖水に漂い、あるいは湖岸の雪に横たわり叫び合っていた。

彼女たちは何を思い何を語らうのか。

紺碧の湖水に浮かぶ凛々しい磐梯を仰ぎ、この美しい純真ないのちと一緒に生かされている一個の人間を思うと、涙があふれた。

また、この日初めて蜃気楼を見ることが出来た。

遠く湖南の雪の山並みと紺碧の湖水の境界に見えた揺らぎは、確かに蜃気楼に違いなかった。

この山紫水明の大自然に、また不思議な勇気をもらうことが出来た。

今年も自然を友にして心を遊ばせ、生かされている幸せに感謝しながら過ごしたいと思っている。

水鳥たちの北帰行までには、孫たちにもこの感動を味わって欲しいと思っている。

 

2012年 初めて出会った金色のコハクチョウ

今年も、厳しい冬を越した水鳥たちの北帰行も終わりに近づいた。

先日、お別れに猪苗代湖を訪ねた折りに、なんと金色のコハクチョウに出会った。数十年も観察しているが初めてだった。

その日は3.11、波間にただよい輝く黄金の使者が、なにか大震災の復興の兆しにも思えて嬉しくなった。 

その後、ネットの画像掲示板で尋ねるとすぐにコメントが届いた。

夢を壊すようで申し訳ないですが、と前置きがあり、鉄分が多い水が流れ込んでいる田んぼや池などで採食していて、色が染みついたのではないかと。

納得のいく回答に、謎が解けたと思った。 

首を突っ込み、逆立ちをして浅瀬の水草を探す姿や、豪快にしぶきを上げて湖水を飛び立つコハクチョウに慰められた。

いつも沢山の感動を貰っている純粋無垢な水鳥たちの無事の北帰行を祈った。

”しらとりはかなしからずや海の青 空の青にも染まずただよう”

別れはいつも切なくかなしいものだ。

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深閑な林の中で 賢治の世界観想う

2019-02-27 | エッセイ

深閑な林の中で 賢治の世界観想う

   

 春とはいえまだ暦の上、かなりの雪の残る林の中、スノーシューを履いて清らかな流れを見つめた。

いつもそこに行けば可憐に咲いている早春の花の様子を見たかった。

流れの淵にロゼット状のショウジョウバカマを見つめると、ようやく白い丸い小さなつぼみが膨らんでいた。

花はもちろん早過ぎる、やがて咲く薄紫色の花を思い浮かべた。

久々に、白一色の大自然に抱かれた思いがうれしかった。

静寂の林の中、大木の根明けや動物の足跡を見つけながら、ふと宮沢賢治の世界観を想起した。

人間が木々や動物だけでなく、積もった雪や流れる水、森閑なる空気など、すべての自然とつながっていることを思った。

彼はいつも紐のついたシャープペンシルを首から垂らして山野を歩きまわっていたと言う。

デジカメの情報だけでなく、やはりその場で感じた心象風景こそが大切と思う。

いよいよ春の訪れ、里山にありて賢治に学び、時々立ち止まり思いをメモに留めたいと思っている。

 

(参) ショウジョウバカマ     2019-02-19 | 日々の生活

   

講演 「会津のチョウ・トンボとその保護」

2019-02-10 | エッセイ

絶滅昆虫が心配  昆虫老人の思い 

  先日、自然愛好の方々の研修会で会津の虫の話しをした。

研修会の趣旨に添い、テーマを「会津のチョウ・トンボとその保護」とし、一昨年改訂された県のレッドリストを参考に昆虫老人の思いを話した。

暫く構想を練り、撮りためた沢山の虫の写真や日頃の思いをパワーポイントで整理した。

講演は学術的ではなく、努めて日ごろの里山巡りでの観察の様子を話し、皆さんに興味を持っていただけたようだ。

今回の改訂では、絶滅危惧種に挙げられた昆虫は増えたが、

反面、カテゴリー評価がダウンしたチョウやトンボもいて、さらに一覧から削除された種も多く疑問を感じた。

講演では、身近に細々と生息している絶滅が危惧されるチョウやトンボの保護について、

その緊急性を訴え、具体的な実践例や問題点を提言した。

慣れない講演を終えた今、私自身、

先ずは子ども達が自然に親しむ教育が大切なことを再認識し、

特に行政への要望を明確にすることが出来て良かったと思っている。


アルバムに残る 父の思いを偲ぶ

2019-01-21 | エッセイ

 

何年も開けない書棚に、父が残してくれたアルバムを手に取った。

傷んだアルバムの見返しに墨書された父の一文を目で追った。

俊彦アルバムのはじめに題す 成長して齢満7才に達す 成長の跡を省みて天地の恵みに感謝 

家族の慈愛に思慕の思いを致す折あらばと念じ 恙なく育まれかしと願う

やがてこの一巻にこよなく幼少のころをなつかしみ成人の暁にまたとない贈り物となるならん。”と。

開いた1ページ目には、学帽をかぶりランドセルを背負った凛々しい姿が写っている。

続いて、数々のセピア色の写真が糊付けされている。

皆、まぼろしのごとき遙かなる思い出だ。

そして、アルバムの裏の見返しには

とし坊君!あなたはうれしいにつけ悲しいにつけアルバムの頁をめくって「とし坊ちゃん」と呼ばれ過ぎ去った幼い日を偲ぶだろう。”と。

目を瞑ると、父や母、そして兄、妹の顔が浮かび、涙が溢れた。

 


戦場に散った 音楽学校の生徒

2018-11-01 | エッセイ

8月に放送されたNHKラジオ番組の再放送「五線譜に託した最期の想い」を聴いた。(9月29日(土) 午後4時05分~)

東京芸術大学では、近年、「学徒出陣」に関する調査を始めた。

(昭和18年(1943年)10月21日、明治神宮外苑の国立競技場)  

 

75年前に戦場に駆り出された音楽学校の生徒たちが残した楽譜について、

そして音楽を追求し懸命に生きた彼らの姿を聴いた。

ラジオに耳をかたむけながら、上田市郊外にある無言館が浮かんできた。

何年も前に訪ねた無言館での、戦場に散った画学生の絵や手紙などの展示を前に込み上げた涙を今も忘れない。

 無言館 (ネットより)  


絵画や音楽だけではないだろう、戦争に翻弄され散っていった有能な若い芸術家たちの無念さを思わざるを得ない。

今年は、巡った終戦記念日やお盆の8月には病床にあった。

手術を前に100回を迎えた甲子園での高校野球をテレビ観戦していた。

平和であればこその野球だ。

しかし、世界を見れば、今も各地で紛争が勃発し尊い命が失われている。

戦争を繰り返す人間は愚かだ。あらためて戦争の悲劇、そして平和の尊さを思った。(2018.9.30)


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(参)拙ブログ  「無言館の戦没画学生を思う」  2006-02-09 | 文芸

        blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/7e56f801ea91c80d6710798795c7a032

 


会津と長州は 仲直りできない

2018-02-07 | エッセイ

今しがた、ヤフーニュースを読んだ。 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6271233

 表題は 【「仲直りは無理」 会津の人々、長州に今も遺恨なぜ? 明治維新150年より「戊辰」

 この記事の宗像 精先生の思いは、会津の人たちが共感できる思いに違いない。

 小生も同じ思いだ。

 今年は戊辰150周年、市でもいろいろな企画イベントを展開しつつある。

戊辰150周年 ロゴマーク  

  • 「150」の文字に、会津松平家の御家紋と白虎隊を想起させる虎のシルエット。


 小生も関わる思いを、何度か新聞へ投稿した。

***** 星亮一氏が語る 維新史観に共感 *****
戊辰の役150周年を前に、歴史作家の星亮一氏の講演を聴く機会に恵まれた。テーマは「戊辰戦争から何を学ぶか ~我々に課せられた責任~」 戦争に至る時代認識、当時の会津藩の位置や白河での開戦の意義など維新史の持論を展開されたが、氏の維新観の多くに共感を覚えた。さらに、戦争を防ぐことは出来なかったか、その後の薩長主導の政治やこれからの会津の生き方をなどについて、すべてを再検討すべきではないかと結ばれた。/維新史を鳥瞰しつつ、再び会津の辿った悲惨な史実の数々に思いを寄せた。遺恨は根深い。昨今、会津と長州との和解が取り上げられるが、かつての市長が「仲良くは良いが、仲直りは出来ない。」と強調したと聞いた。この言葉が私の胸にストンと落ちた。でも、こうした思いも、やがて時の流れに消えていくのかと思うと寂しい。                                                                                                                                                     (2017.12.16付 福島民友新聞)

*****「戊辰戦争の歴史 見つめ直す機会」*****
来年は明治元年から数えて150年、会津若松市では「戊辰150周年記念」の事業を行うと聞いた。政府も記念事業を計画、かつての薩長、鹿児島や山口での呼び名は維新、高知でも「幕末維新博」を計画している。会津ではやはり悲劇の戊辰が心の底にあるのだろう。/ときに手に取り文字をたどる本がある。会津人芝五郎の少年期の記録だ。150年前のまさに騒然たる城下の様子や五郎少年の惨憺たる運命にいつも涙が止まらない。「故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤すれど、懊悩流涕やむことなし。」自害せし祖母、母、姉妹を偲ぶ血涙の辞が物語っている。/この記念事業を観光振興だけに終わらせず、立ち止まって会津の教育に目を向ける機会にできればと思っている。これから郷土をになう青少年に、あいづっこ宣言の精神と共に、時の流れに薄れゆく戊辰の歴史や幾多の先人をもう一度しっかり見つめる機会として欲しい。                                                                                                                                                                                                      (2017.2.21付 福島民友新聞)

 

あいづっこ宣言  


戊辰150周年 市のキャッチフレーズ

「義」の想い つなげ未来へ-。戊辰150周年。

 「義に死すとも不義に生きず」という自ら信ずるところに従い戦い続けた先人の思い、歴史を振り返りたいと思っている。


『豊かな自然写生 感動書き添える』

2018-01-25 | エッセイ

 数日前に、新聞に掲載されたエッセイ。 

  『豊かな自然写生 感動書き添える』

 

                  いつか描いたスケッチ

 

快晴の猪苗代湖・崎川浜に水鳥を訪ねた。

 蒼い湖水に浮かぶ真白な会津嶺が、凛として神々しく聳え、静寂にコハクチョウの鳴き交う声が響いていた。

 描いた数葉のスケッチに、感動を添えた。

 

 『磐梯を讃える』 


 厳寒の大自然を前に 

  立ち尽くすしあわせ 

 凍える顔、手、指先


 景色を構成するものわずか

 雪の原、湖水、磐梯、水鳥、松の緑 

 すべてうるわし すがすがし

 対岸の山々 湖に浮かび 

 コハクチョウ 列をなし 静かに流れる 

 大自然の使者よ お前たちは素晴らしい 

 この静寂に しばしやすらぎ、遊べ 

 生きている喜びを 共にせん


 全身に 豊かなる大自然 

 涙あふるる静寂

 青き磐梯 うるわし ありがたし   

 

 感動に震えながら、どこまでも清らかな湖水を後にした。

 


尊敬するナチュラリスト 田淵行男

2015-11-30 | エッセイ

 

昨夜、テレビでドキュメントドラマ「蝶の山脈~安曇野を愛した男~」を視聴した。

尊敬する山岳写真家・田淵行男の妻日出子の目から描く、安曇野の夫婦愛の物語だ。

彼は14年間にわたり9種類の高山蝶の生態研究を続け、その成果を『高山蝶』にまとめた。

その探求の日々を知り、数々の高山蝶、それらの驚きの細密画や北アルプス常念岳の大自然の美しい映像に魅せられた。

彼は、蝶を求めた私の青春に一本の道を教えてくれたナチュラリストだ。

何度も訪ねた穂高町の田淵行男記念館では、その都度新しい発見があり、写真はもとよりスケッチやエッセイ等、彼から学び導かれたものは実に大きかった。

いつしか老いた身に、ドラマを見ながら、二度と戻らぬ青春の感動が静かに甦ってきた。

これからもそれらを胸にカメラ、スケッチブックを携え、昆虫や植物をテーマに自然とのさらなる豊かなふれあいを楽しみたいと思っている。

久々に、本棚に並ぶ沢山の彼の写真集を手に取った。

 

何年も前に記念館で求めた絵葉書 「蝶の色彩」の一部

  

                                                                                      

 

 


与えられた境遇 豊かに生きたい

2014-11-05 | エッセイ

 

  超高齢化社会だが、老後の過ごし方などあらたまって考えたことはなかった。

 先日、ふと本棚の宮本輝著「三十光年の星たち」を手に取り、どんな話しだったか曖昧なページをめくった。

30年間という時間の生き方のヒントとなる、さわやかな物語を思い出した。そして、遅まきながら最中(さなか)にある自分の老後を意識した。

自分の来し方を振り返るに、行き当たりバッタリの目先の課題解決の繰り返しだったような気がする。

この年になり30年とは言わないが、10年でも先を見つめる新しい生き方を思い、ライフワークでもないが、ささやかな希望を実現させたい思いに刈られた。

どうにもならない境遇や与えられた時間を、身についたこころで生きていく、それが現実ではないかと達観している。

問題は残された時間だが、そこでは「求めない!」を旨に、季節の移ろいを静かに楽しむ穏やかな日々でありたいと思っている。

 


 深まる秋、癒された季節に感謝

2014-10-25 | エッセイ


 

 朝夕めっきり寒くなり、気づけばチョウやトンボの姿も消えた。春先から里山を巡り、小さな命を撮り続け、そのときどきの感動をもらってきた。

 深まる秋に、いつも癒されてきた四季の移ろいに感謝している。

 銀色に輝くススキが微かに揺れる山道で、色づいた木々の紅葉を楽しんだ。

 この時期にだけ訪れる静寂の落葉松の林を眺めていると、早春の芽吹きの美しさと共に、いつも東山魁夷作品「緑響く」を連想する。

 この静かな水面に映る緑はスギの林だろうか。私にはやがて色づく落葉松に思われてならない。

 大自然にひっそり、慄然と林立する幻想的な落葉松林はどこまでも美しい。

 しばし、薄黄色に染まった林を見つめていると、白秋の歌が浮かんでくる

  「からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。からまつはさびしかりけり。たびゆくはさびしかりけり。」

 やがて迎える雪の季節は、ときどき真白な秀峰磐梯を眺め、猪苗代湖に飛来する冬鳥たちと遊びながら過ごしたい。

      


胸塞がり涙先立つ「ある明治人の記録」

2014-10-20 | エッセイ

 

                                                    大庭が自刃に使用した脇差。
                                                    切腹に当たり、使用者が明確で短刀類も現存している会津藩士は数少ない  (福島民友新聞)
 
 民友新聞(16日付)で「150年ぶり「帰郷」北海道で自刃した会津藩士の遺品」を読んだ。

http://www.minyu-net.com/news/news/1016/news1.html

関連して【編集日記】(17日付)には、会津若松の恵倫寺に眠る柴五郎についてふれ、いづれの遺品も共に歴史に向き合わせてくれる“血涙”の記録であるとあった。

すり減るほどに読んだ文庫本「ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 」を再び手にした。

その扉には 「胸に詰まる思いで読了 懊悩流涕やむことなし」との読後感が認められていた。

そして、いつしか記憶してしまった血涙の辞の一節が口を衝いて出てきた。

 「幾たびか筆とれども、胸塞がり涙先立ちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢すでに八十路を越えたり。

       ・・・故郷の山河を思い過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤すれど、懊悩流涕やむことなし」

当時の五郎少年の純真な心情、その後の斗南での餓死との戦い等など、折々の彼の悲痛な心情に涙が溢れた。まさに血涙にまみれた資料だ。