澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「日大闘争」今昔

2018年06月01日 12時27分57秒 | 社会

  日大アメフト問題で、TVワイドショーは大騒ぎ。これを見ると、何やら懐かしいデジャブ感に襲われる。そう、50年前の「日大闘争」。あの紛争のおかげで、東大、東京教育大(現・筑波大)の入試が中止になり、痛い目を見た人が身近にもいる。

日大の対応に当時の日大闘争(紛争)とあの人を思い出す人たち」というサイトに次のような書き込みを見つけた。

 ・この会見、私共から言えば日大は秋田明大の時代から何一つ変わっていない。この大学もう完全に終わっていますね。 日大の内田前監督ら指示否定=関学大選手への反則行為-アメフット問題:

・50年前、歴史に名を残した日大全共闘の記録を読み直しています。古田会頭の独裁体制の中で、根底からの大学改革を求めた10万学生の大衆闘争でした。今回のアメフト部の問題に対する大学当局の知らんぷり作戦を見ると、50年たっても何も変わっていなかった、ことが分かります。 
 
・とうとう日大アメフト問題は、ゲスなマスコミの恰好のターゲットになってしまったな。あまりにも日大の対応が悪い。日大闘争の半世紀前の体質が何も変わっていないのか。上から目線と、学生をコマ扱いしている無意識と保身が、どんどんこじらせていく。まるでアベ劇場だ。

・日大闘争を思い出せ!秋田明大率いる日大全共闘vs右翼系体育会。本質は何も変わっていない。裏口入学斡旋が事の発端。

 
先ほどラジオで、日大OBの高田文夫が、上記の人たちと同じような話をしていた。相撲部出身の田中理事長は、元横綱・輪島と同級で、プロとアマで天下を取ろうと誓い合った仲だという。50年前、日大のボス、古田会頭を全共闘の学生から守ったが相撲部の田中(現理事長)だったとすると、「日大闘争」の因果は巡ると言えなくもない。

 ただ、50年前と違うのは、学生が意見表明したり、抗議運動をする姿が全く見られず、昔はなかったはずの日大教職員組合が顔を出しているということか。
 50年前、大学構内のアジテーション立て看板が政治的主張の伝達手段だったが、スマホ時代の今は、どんな情報も簡単に入手できる。学生運動や労働運動は影を潜め、個人主義が横行する時代となった。新しい「日大闘争」はもはや起こるべくもないが、日大アメフト部問題は、相も変わらない日本社会のメンタリティを垣間見せてくれた。「先輩、後輩」「長いものには巻かれろ」式の集団主義、権威への従属的思考は、運動部においては、今も脈々と生きている。

 思えば、懐かし?の学園紛争。秋田明大・日大全共闘議長(当時)は、中国人女性と再婚し、今は自動車修理工に。山本義隆・東大全共闘議長(当時)は、最近、岩波新書を著して、近代日本150年を批判している。ここでも、日大と東大の鮮やかな対比が見られるが、いずれにせよ、当事者はまだご存命でご健勝、それぞれの生き方を貫いておられるのだろう。
 早晩、こんな話も昔話になって、忘れ去られていくだろうとしても…。

 
 
 



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