澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台湾映画「海角7号」

2009年02月06日 11時21分59秒 | 音楽・映画

台湾映画「海角7号」が熱い。

http://www.youtube.com/watch?v=hs2wKY5wl6E (youtube映像)

台湾映画といえば、「悲情城市」が有名だが、もう20年も前の映画になってしまった。「悲情城市」は、日本統治時代が終わり、蒋介石の国民党軍が台湾を支配しようとする時代の物語で、歴史に翻弄される台湾人家族の運命を描いた秀作だった。
「多桑」(父さん)も忘れられない。死ぬ前に東京に行き、皇居を見てみたいと願っていた父と、その気持ちを理解できなかった息子の話だ。ここでも、日本統治時代の記憶が、重くのしかかっている。

台湾の人口は、2,290万人ほど。中国大陸の東北部、大連、鞍山、瀋陽の3都市の人口を合わせたくらいだ。大陸の人口圧力がいかに大きく、台湾がいかに小さいか分かるだろう。この規模故に、日本は台湾を「政治的に」見捨てたのだということもできよう。

映画産業に関しては、台湾は香港、中国映画に押されていたが、この「海角7号」は、久々の大ヒット映画となった。
ストーリーは下記のとおりだが、注目すべき点は、ここでも日本との関係が出発点になっているということだ。台湾人の日本に対する感情は、日本人が思っているほど悪くはない。大陸の中国人が見せる、あの冷たくよそよそしい態度は、台湾では見られない。日本統治時代がすべてよかったわけではないだろうが、その後の国民党による独裁政治が、あまりにひどかったのだ。極めて親日的な現在の台湾を、これ以上見捨てるようなことだけはしてほしくないと思う。

「海角7号」は昨年末、大陸でも公開された。娯楽映画として楽しまれるのだろうが、これを見た中国人は台湾人の日本に対する感情が自分たちとは明らかに違うことをを発見するだろう。それが彼らの深層心理にどういう影響を及ぼすのか知りたいところだ。

この映画が日本で公開されるめどは立っていないという。そのこと自体が大いに考えさせる問題だと思う。
できるだけ多くの人の目に触れるように、ぜひ、早期の公開を望みたい。

ウィキペディア】より

海角七号(かいかくななごう)は、2008年8月に公開された范逸臣田中千絵主演の台湾映画。台湾では映画産業が長期的に盛況とはいえなかったが、この映画の興行収入は5億台湾ドルを突破。タイタニックに次いで、台湾歴代映画興行成績のランキングで2位になった。

原題の表記は『海角七號』で号が日本の旧字体であり、英語名は『Cape No.7』で、両題名とも直訳すれば「岬七番地」となる。

ストーリー

日本統治時代であった1940年代に、台湾最南の町恒春に派遣された日本人の教師(中孝介)は日本名小島友子(梁文音)と言う地元の少女と恋に落ちる。 第二次大戦の日本敗戦の後(1945年)に、彼はやむを得ず内地に戻るが、 途中で彼は、駆け落ちを約束していた恋人の友子を、台湾に置いてきたため、後悔や惜別から7通の恋文(こいぶみ)を書き綴った。

彼が友子を置き去りにした約60年の後に、台湾南部で物語りが再び時を紡ぎだす。アガ(范逸臣)は台北で成功を夢見たが、挫折した恒春出身の歌手だった。 彼が故郷である恒春に戻った後に、町議長を務めるアガの継父(馬如龍)は、オートバイ事故の後で休暇中の老齢の茂伯(林宗仁)の代わりとして、アガに郵便配達人の仕事を世話する。 ある日、アガは郵便局に返されるべきであった「非-提出物」(あて先不明)の古い手紙を見つける。それは、もうすでに亡くなった日本人の教師の娘が、その7通の恋文を発見した後、父が渡せなかった恋文を台湾に届けようと郵送したものだった。 興味を持ったアガは、詳細を知るために不法にも、封を破って開けるが、もう古い日本統治時代の住所である「高雄州恆春郡海角七番地」をみつけることはできなかった。

その間、墾丁国家公園の中にあるリゾートホテルでは、中孝介(60年前の日本人教師と日本人歌手である本人の一人二役)が公演するビーチコンサートを計画がもちあがり、アガは継父が「コンサートの伴奏のバンドのメンバーが地元の人から選出されるべきだ」と主張する彼の公的立場を利用し、 かなり職権乱用的に急場凌ぎでアガを中心に6人の地元の人々で、バンドが結成される。そしてこの多くの問題を抱えるバンドをマネージメントする立場として友子(田中千絵)(中国語が話せる恒春に派遣された盛りを過ぎている日本人ファッションモデル)に白羽の矢が立つ。 そして、さなざまなアクシデントやトラブルを経て、アガと友子は唐突に急接近する。 ホテルの女性従業員である明珠(シノ・リン)などをはじめとする多くの人々の助けとともに、友子もアガが小島友子(7通の恋文の正しい受取人)を探し出し手紙を渡す事を、手伝うようになる。 アガは、問題だらけのこの地元のバンドと共に、中孝介のビーチリゾートのコンサートにのぞむが...。

【Record China】より

 

日台の恋描く「海角七号」が空前の大ヒット、ロケ現場が観光スポットに―台湾

2008年9月12日、台湾映画「海角七号」が公開スタートと同時に快進撃、これまでの台湾映画の興行成績を塗り替える記録的ヒットとなっている。中央日報が伝えた。

台湾で先月21日から上映されている「海角七号」は、3週間で興行成績が5400万NTドル(約1億8000万円)を突破。このほど日本で行われた「第4回アジア海洋映画祭イン幕張」でもグランプリを獲得し、台湾映画界の巨匠ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督を「こういう映画を長いこと待っていた」と感嘆させるほどの秀作に仕上がっている。

「海角七号」は、第二次世界大戦終結による日本占領時代が終わった台湾で、日本へ引き揚げる男性教師が台湾人女学生にあてて書いた7通のラブレターをもとにした作品。人気アーティストのヴァン・ファン(范逸臣)、メイクアップ・アーティストのトニー・タナカ氏の娘で女優の田中千絵、日本人歌手の中孝介らが出演している。

大物スターは出演していないが、登場人物たちの秀逸な演技、心に迫る音楽、台湾の美しい風景に惹かれてリピーターも続出。また、台湾最南端・屏東県でロケ現場になった主人公の家にも映画ファンが押し寄せ、韓国ドラマ撮影現場さながらの一大観光スポットになっているという。(翻訳・編集/Mathilda)

馬英九総統が映画「海角7号」について語る

発信日時:2008/12/4

馬英九総統が映画「海角7号」について語る

 馬英九総統は12月3日、中央広播電台(中央放送局)のラジオ番組のインタビューに応じ、今年台湾で人気を博した映画「海角7号」について語った。

 馬総統は、「海角7号」が台湾人の熱狂的な人気を獲得した主な理由として、「芸術的な手法を用いて、熱い郷土への想いから台湾の現況を忠実に描いたからであり、特に脚色しているものではない。現実の庶民生活から現れる数多くの人間性、感情、人と人との変わらない愛情などが共感を得たのだ」と述べ、同映画を高く評価した。

 馬総統は「中国大陸にも、また両岸との間でも必ず似たような物語がある。『海角7号』の物語はフィクションだが、多くの人々の想像をかきたてた」と述べ、中国大陸住民に対して「大陸と60年間隔てられた社会を理解するつもりで、楽しんで、包容力をもって観賞してほしい」と呼びかけ、同映画を推薦した。

 中国大陸当局が同映画の上映を見送った理由の一つに、映画中の日本統治時代の台日間の恋愛シーンを考慮したと報道されていることに関して、馬総統は「この点は大陸同胞も学習して理解する必要がある。台湾は日本に50年間統治されたが、人と人との恋愛感情の発生を排除することはできない。中国大陸の東北地区でも同様で、日本に統治された一時期に、似たような物語があったはずだ」と指摘した。

 そのうえで馬総統は「たとえ戦争中であっても、評価に値するような人間的な要素がある。日本と台湾には数多くの恩情と恨みが入り混じった感情があり、それは大陸との間にもある。しかし、それでも人は人であり、人間性を消し去ることはできない。この角度から見れば、多くの場面や物語は理解できるだろう。大陸同胞もこの角度で『海角7号』を見ることを望む」との考えを語った。

《2008年12月4日》

 



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