一昨日、たまたま「放送大学」(TV)で「福州琉球館」と題する特別講義を聴いた。講師は、西里琉球大学教授だった。
http://pub.maruzen.co.jp/videosoft/houso/search/1271232.html
伝統的中国の国際関係は「冊封制度」と呼ばれ、近隣諸国は中国に対して朝貢貿易をすることによって、経済・文化的利益を享受していた。日本はこの「冊封制度」に組み入れられることはなく独自性を維持していたが、朝鮮、ベトナムなどの近隣諸国はすべてこのシステムに組み入れられていた。琉球国も例外ではなく、毎年のように中国に特使を派遣して、朝貢貿易を行っていた。
琉球特使の行き先は、福建省の省都・福州だった。福州には「琉球館」と呼ばれる施設があり、琉球の大使館の役割を果たしていたという。
先般、私はベトナム中部の古都、ホイアンを訪れた。そこには、「日本橋」と呼ばれる橋があり、海のシルクロードと呼ばれた時代の交流の歴史が残されていた。
ここには、今は忘れ去られたアジアの民族交流の歴史がある。東京中心、西欧中心の世界観からは、浮かび上がってこない歴史だ。
西欧列強が強制した「近代」とは、アジアの人々にとって、災厄以外の何者でもなかった。軽薄な欧米追随、欧米崇拝の悪癖を打破して、アジア人として考えること-これがいま一番大事なことだ。
来月、那覇の博物館に行き、福州琉球館の歴史に触れてみるつもりだ.
http://pub.maruzen.co.jp/videosoft/houso/search/1271232.html
伝統的中国の国際関係は「冊封制度」と呼ばれ、近隣諸国は中国に対して朝貢貿易をすることによって、経済・文化的利益を享受していた。日本はこの「冊封制度」に組み入れられることはなく独自性を維持していたが、朝鮮、ベトナムなどの近隣諸国はすべてこのシステムに組み入れられていた。琉球国も例外ではなく、毎年のように中国に特使を派遣して、朝貢貿易を行っていた。
琉球特使の行き先は、福建省の省都・福州だった。福州には「琉球館」と呼ばれる施設があり、琉球の大使館の役割を果たしていたという。
先般、私はベトナム中部の古都、ホイアンを訪れた。そこには、「日本橋」と呼ばれる橋があり、海のシルクロードと呼ばれた時代の交流の歴史が残されていた。
ここには、今は忘れ去られたアジアの民族交流の歴史がある。東京中心、西欧中心の世界観からは、浮かび上がってこない歴史だ。
西欧列強が強制した「近代」とは、アジアの人々にとって、災厄以外の何者でもなかった。軽薄な欧米追随、欧米崇拝の悪癖を打破して、アジア人として考えること-これがいま一番大事なことだ。
来月、那覇の博物館に行き、福州琉球館の歴史に触れてみるつもりだ.