ANN 桂宮さま逝去 宮内庁会見「昨日は異常なかった」 より。
お悔やみ申し上げます。
各記事参照
天皇陛下のいとこ、桂宮さま逝去 急性心不全
2014年6月8日15時58分
1987年、メルボルン交響楽団のコンサートを鑑賞する皇太子さま(右)と桂宮さま
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608000987.html
1994年、大日本農会の表彰式に出席した桂宮さま
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608000996.html
1994年、大日本農会の表彰式に出席した桂宮さま
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608000995.html
記者会見する西ケ広渉・宮務主管(右)と、名川弘一・皇室医務主管=8日午後0時22分、宮内庁
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608001122.html
東大病院を出る、桂宮さまのご遺体を乗せた車両(手前)=8日午後、東京都文京区、井手さゆり撮影
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608001324.html
宮内庁は8日午前10時55分、三笠宮ご夫妻の次男・桂宮さまが逝去された、と発表した。66歳だった。桂宮さまは天皇陛下のいとこで、皇位継承順位は6位。
皇室の系図
http://www.asahi.com/special/koushitsu/keizu/
両陛下の「お気持ち」、宮内庁が公表
http://www.asahi.com/articles/ASG685HGRG68UTIL006.html
「悲しみの念を禁じ得ません」首相が謹話
http://www.asahi.com/articles/SDI201406087931.html
宮内庁によると、桂宮さまは8日午前9時すぎ、東京大学付属病院に救急搬送されたが、既に心肺停止の状況だったという。
会見した西ケ広渉宮務主管と名川弘一皇室医務主管によると、死因は急性心不全。
桂宮さまは1971年に学習院大学法学部政治学科を卒業。
同年から73年までオーストラリア国立大学大学院に留学後、74年から85年までNHKに勤務した。
88年1月には独身皇族として戦後初めて新宮家を創設した。
だが、その年の5月に急性硬膜下血腫で倒れて以降、療養を続け、最近も発熱などで入退院を繰り返していた。
◇
桂宮さまの逝去を受け、今後通夜や、本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」などが予定されている。
2012年6月に桂宮さまの兄、寛仁さまが逝去した際は、逝去翌日から一般の弔問記帳が始まった。
6日後に通夜が始まり、8日後に「斂葬の儀」が営まれた。
「斂葬の儀」の前日には、天皇、皇后両陛下が宮邸を弔問し、ひつぎに最後のお別れをした。
ご遺体は火葬に。
逝去から9日後に墓所で儀式が行われ、その後、一般の人が墓所に拝礼する「一般参拝」が行われた。
今回も、寛仁さまの例に沿った日程が組まれる見通し。
桂宮さま逝去を受け、皇后さまは8日午後に予定していたコンサートへの出席を取りやめた。
http://www.asahi.com/articles/SDI201406087896.html
両陛下の「お気持ち」、宮内庁が公表 桂宮さま逝去
2014年6月8日17時36分
桂宮邸を弔問した天皇、皇后両陛下=8日午後5時11分、東京都千代田区三番町、山口明夏撮影
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608001376.html
弔問を終え桂宮邸を出る天皇、皇后両陛下=8日午後5時10分、東京都千代田区、白井伸洋撮影
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608001389.html
宮内庁は8日、桂宮さまの逝去に対し、天皇、皇后両陛下の「お気持ち」を公表した。
天皇陛下のいとこ、桂宮さま逝去 急性心不全
http://www.asahi.com/articles/SDI201406087896.html
◇
天皇、皇后両陛下には、今朝、桂宮宜仁(よしひと)親王殿下の御容体が急変されたとの報告をお受けになり、深く案じておられましたが、薨去(こうきょ)の報に接せられ、長い間ご入退院を繰り返してこられたお辛(つら)さなどに改めて思いを致されていらっしゃいます。
また、両陛下には、ご高齢の三笠宮同妃両殿下がどれほどにお力落としでいらっしゃることかと案じられ、お身内の方々の深いお悲しみにお触れになりつつ、服喪の思召(おぼしめ)しをお示しになりました。
「悲しみの念を禁じ得ません」首相が謹話 桂宮さま逝去(6/8)
http://www.asahi.com/articles/SDI201406087931.html
http://www.asahi.com/articles/ASG685HGRG68UTIL006.html
本葬は17日、一般記帳は10日から 桂宮さま逝去
2014年6月8日23時17分
宮内庁は8日、亡くなられた桂宮さまの葬儀日程を発表した。
本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は17日午前10時から、東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で営まれる。
喪主は父・三笠宮さま(98)が務めるが、高齢のため、桂宮さまのめいにあたる三笠宮家の彬子さま(32)が代行する場合もあるという。
お住まいの宮邸(東京都千代田区)は手狭なため、ご遺体は9日に赤坂御用地(同港区)内の赤坂東邸に移され、儀式は同所で執り行われる。
通夜は15日夕から17日の本葬当日の朝まで続く。
一般の人からの弔問記帳は10日から数日間、午前9時~午後7時に、赤坂東邸に設けた仮設テントで受け付ける。
赤坂御用地内には東門から入る。
両陛下、皇族方が相次いで弔問 桂宮さま逝去(6/8)
桂宮さま逝去「心にぽっかりと穴」 ゆかりの人々惜しむ(6/8)
両陛下の「お気持ち」、宮内庁が公表 桂宮さま逝去(6/8)
「悲しみの念を禁じ得ません」首相が謹話 桂宮さま逝去(6/8)
天皇陛下のいとこ、桂宮さま逝去 急性心不全(6/8)
http://www.asahi.com/articles/ASG687QD5G68UTIL01Q.html
桂宮さま逝去 宮内庁会見「昨日は異常なかった」(06/08 15:25)
天皇陛下のいとこにあたる桂宮さまが急性心不全のためお亡くなりになりました。66歳でした。
桂宮さまは8日朝、東京・千代田区のお住まいで呼吸が弱くなっているのが確認されました。
救急車で東大病院に搬送され、治療を受けていましたが、午前10時55分に急性心不全のため亡くなられました。
66歳でした。
宮内庁:「日頃からあまり良いといえる状況ではありませんでした。(血圧など)バイタルサインは、昨日の段階では異常はありませんでした」
桂宮さまは昭和天皇の弟・三笠宮さまの次男で、2008年に敗血症のため入院されてから自宅で療養を続けられていました。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000028427.html
桂宮さまご逝去=66歳、急性心不全で-陛下のいとこ、国際親善尽力
三笠宮さま(98)の次男、天皇陛下のいとこで、日・豪・ニュージーランド協会総裁などを務めた桂宮宜仁(かつらのみや・よしひと)さまが8日午前10時55分、急性心不全のため、東京都文京区の東大病院で亡くなられた。
66歳。
皇位継承順位は6位。
本葬に当たる斂葬(れんそう)の儀は17日に文京区の豊島岡墓地で営まれ、三笠宮さまが喪主を務める。
〔写真特集〕桂宮宜仁さま
宮内庁の西ケ広渉宮務主管と名川弘一皇室医務主管が記者会見し、逝去を発表した。
同庁によると、桂宮さまは8日朝、容体が急変し、千代田区三番町の宮邸から東大病院に救急搬送された。
午前9時すぎ、病院に到着時は心肺停止状態で、蘇生措置が取られたが、そのまま帰らぬ人となった。
7日は体調に異常がなかったという。
桂宮さまは1948年2月11日、昭和天皇の末弟、三笠宮さまの次男として生まれた。
5人きょうだいの3番目で、兄は故寛仁(ともひと)さま(2012年6月、66歳で逝去)、姉は日本赤十字社社長近衛忠※(※=火ヘンに軍)氏の妻★(★=寧の皿丁が用)子(やすこ)さん、弟は故高円宮さま(02年11月、47歳で逝去)、妹は茶道裏千家家元の千宗室氏の妻容子さん。
学習院初等科、中・高等科を経て、71年学習院大法学部政治学科を卒業後、オーストラリア国立大大学院に歴史研究のため2年間留学。
帰国後、74年から85年までNHKに嘱託として勤務し、サラリーマン生活を送った。
88年1月、三笠宮家から独立して桂宮家を創立。
同年5月、急性硬膜下血腫のため宮邸で倒れ、緊急手術を受けた。
91年11月に公務に復帰し、車いすで公務に取り組んでいたが、08年9月敗血症で入院。09年3月に退院後は、公の場に姿を見せることはほとんどなく、宮邸で療養生活を送り、近年も入退院を繰り返していた。
公務では、日・豪・ニュージーランド協会、大日本農会、大日本山林会、日本工芸会、日本漆工協会の各総裁を務めた。
天皇、皇后両陛下をはじめ、皇族方や親族のほか、安倍晋三首相らが8日、相次いで宮邸を弔問に訪れた。
皇室の構成は、天皇陛下と皇族方合わせ21人となった。(2014/06/08-23:17)
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http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2014060800032&j4
*最近、心臓疾患で逝去される方が、「非常に多い」と思う。
「桂宮さま」がお亡くなりになられたのも、「原発由来のセシウム」が関係している可能性も否定は出来ない。
このような状況で、汚染水処理もままならない状態で、海へ垂れ流れている状態で、「原発の再稼働」を行ないたい!と言う、「安倍政権、政府方針」は、あまりにも「無責任!」と言わざろうえない。
再び、同じような事が発生した場合、日本政府や、再稼働賛成派の者らは、「結局は何も出来ない」である。
汚染すれば、「汚染しっぱなし」と言う事になるのだ。
断言はできないが、宮様の心臓からもセシウムが検出されるかもしれない。
そうであれば、「経済界と与党の責任」は甚大なものと言う事になり、「取り返しのきかない深刻な事件」と言う事になる。
この事は、将来、真実が判明するかもしれない。
お悔やみ申し上げます。
各記事参照
天皇陛下のいとこ、桂宮さま逝去 急性心不全
2014年6月8日15時58分
1987年、メルボルン交響楽団のコンサートを鑑賞する皇太子さま(右)と桂宮さま
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608000987.html
1994年、大日本農会の表彰式に出席した桂宮さま
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宮内庁によると、桂宮さまは8日午前9時すぎ、東京大学付属病院に救急搬送されたが、既に心肺停止の状況だったという。
会見した西ケ広渉宮務主管と名川弘一皇室医務主管によると、死因は急性心不全。
桂宮さまは1971年に学習院大学法学部政治学科を卒業。
同年から73年までオーストラリア国立大学大学院に留学後、74年から85年までNHKに勤務した。
88年1月には独身皇族として戦後初めて新宮家を創設した。
だが、その年の5月に急性硬膜下血腫で倒れて以降、療養を続け、最近も発熱などで入退院を繰り返していた。
◇
桂宮さまの逝去を受け、今後通夜や、本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」などが予定されている。
2012年6月に桂宮さまの兄、寛仁さまが逝去した際は、逝去翌日から一般の弔問記帳が始まった。
6日後に通夜が始まり、8日後に「斂葬の儀」が営まれた。
「斂葬の儀」の前日には、天皇、皇后両陛下が宮邸を弔問し、ひつぎに最後のお別れをした。
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逝去から9日後に墓所で儀式が行われ、その後、一般の人が墓所に拝礼する「一般参拝」が行われた。
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http://www.asahi.com/articles/SDI201406087896.html
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2014年6月8日17時36分
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http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140608001376.html
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天皇陛下のいとこ、桂宮さま逝去 急性心不全
http://www.asahi.com/articles/SDI201406087896.html
◇
天皇、皇后両陛下には、今朝、桂宮宜仁(よしひと)親王殿下の御容体が急変されたとの報告をお受けになり、深く案じておられましたが、薨去(こうきょ)の報に接せられ、長い間ご入退院を繰り返してこられたお辛(つら)さなどに改めて思いを致されていらっしゃいます。
また、両陛下には、ご高齢の三笠宮同妃両殿下がどれほどにお力落としでいらっしゃることかと案じられ、お身内の方々の深いお悲しみにお触れになりつつ、服喪の思召(おぼしめ)しをお示しになりました。
「悲しみの念を禁じ得ません」首相が謹話 桂宮さま逝去(6/8)
http://www.asahi.com/articles/SDI201406087931.html
http://www.asahi.com/articles/ASG685HGRG68UTIL006.html
本葬は17日、一般記帳は10日から 桂宮さま逝去
2014年6月8日23時17分
宮内庁は8日、亡くなられた桂宮さまの葬儀日程を発表した。
本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は17日午前10時から、東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で営まれる。
喪主は父・三笠宮さま(98)が務めるが、高齢のため、桂宮さまのめいにあたる三笠宮家の彬子さま(32)が代行する場合もあるという。
お住まいの宮邸(東京都千代田区)は手狭なため、ご遺体は9日に赤坂御用地(同港区)内の赤坂東邸に移され、儀式は同所で執り行われる。
通夜は15日夕から17日の本葬当日の朝まで続く。
一般の人からの弔問記帳は10日から数日間、午前9時~午後7時に、赤坂東邸に設けた仮設テントで受け付ける。
赤坂御用地内には東門から入る。
両陛下、皇族方が相次いで弔問 桂宮さま逝去(6/8)
桂宮さま逝去「心にぽっかりと穴」 ゆかりの人々惜しむ(6/8)
両陛下の「お気持ち」、宮内庁が公表 桂宮さま逝去(6/8)
「悲しみの念を禁じ得ません」首相が謹話 桂宮さま逝去(6/8)
天皇陛下のいとこ、桂宮さま逝去 急性心不全(6/8)
http://www.asahi.com/articles/ASG687QD5G68UTIL01Q.html
桂宮さま逝去 宮内庁会見「昨日は異常なかった」(06/08 15:25)
天皇陛下のいとこにあたる桂宮さまが急性心不全のためお亡くなりになりました。66歳でした。
桂宮さまは8日朝、東京・千代田区のお住まいで呼吸が弱くなっているのが確認されました。
救急車で東大病院に搬送され、治療を受けていましたが、午前10時55分に急性心不全のため亡くなられました。
66歳でした。
宮内庁:「日頃からあまり良いといえる状況ではありませんでした。(血圧など)バイタルサインは、昨日の段階では異常はありませんでした」
桂宮さまは昭和天皇の弟・三笠宮さまの次男で、2008年に敗血症のため入院されてから自宅で療養を続けられていました。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000028427.html
桂宮さまご逝去=66歳、急性心不全で-陛下のいとこ、国際親善尽力
三笠宮さま(98)の次男、天皇陛下のいとこで、日・豪・ニュージーランド協会総裁などを務めた桂宮宜仁(かつらのみや・よしひと)さまが8日午前10時55分、急性心不全のため、東京都文京区の東大病院で亡くなられた。
66歳。
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再び、同じような事が発生した場合、日本政府や、再稼働賛成派の者らは、「結局は何も出来ない」である。
汚染すれば、「汚染しっぱなし」と言う事になるのだ。
断言はできないが、宮様の心臓からもセシウムが検出されるかもしれない。
そうであれば、「経済界と与党の責任」は甚大なものと言う事になり、「取り返しのきかない深刻な事件」と言う事になる。
この事は、将来、真実が判明するかもしれない。
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