出口治明・権丈善一「今は重要な準備期間だ」
野村 明弘 : 東洋経済 解説部コラムニスト
2020/08/20 5:10
コロナ禍でさまざまな社会経済の変化が起きているが、歴史的な視点で俯瞰してみることも重要だ
内閣府が17日に発表した2020年4~6月期の国内総生産(GDP、速報値)は前期比7.8%減、年率換算で27.8%減と戦後最大の落ち込みを記録した。パンデミック(感染症の世界的流行)によって全世界同時で起こる生活様式と経済の激変には圧倒されるばかりだ。そんな今だからこそ考えてみるべきなのは、何が本質的な変化であり、われわれは何に注目したらよいか、だろう。
「人類と歴史」の視点で情報発信を続ける立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏と、年金、医療・介護など社会保障論の第一人者で歴史通でもある慶應義塾大学の権丈善一教授がオンラインで意見を交わした全2回の対談。初回はリモート化や米中対立など経済全般について語り合った(所得再分配政策と財政問題を扱った後編は8月下旬の公開を予定しています)。
まず時間軸を分けて考えてみよう
――コロナ禍でいろんなことが起こり、不安やストレスを溜める人が多いですね。心を整理する意味でも、コロナ禍とどのように向き合ったらいいですか。
出口 治明(以下、出口) 何十億年も地球に住んでいるウイルスは、20万年前に生まれたホモサピエンスの大先輩。一定の確率で動物を介して人間と出会い、時にパンデミック(世界的流行)が起きることもある。ただ、みんなが感染して免疫ができたり、ワクチンや治療薬が開発されたりして、いつかは必ず終わる。それまでの間は、ウイズコロナの時代として付き合っていくしかない。
手洗い、マスク着用、ソーシャルディスタンシングというニューノーマル(新常態)の3点セット、さらに感染が拡大すれば、ステイホームも仕方がない。ステイホームを基本にしながら、下火になったら少しずつ町に出て行くことしかウイズコロナの時代にはできないと割り切ったほうがいい。
世界中のリーダーにとっては、ステイホームやニューノーマルをどうやって市民に説得するかが腕の見せ所だ。一方でステイホームは、極論すれば仕事をしないことであるため、パート労働者やアルバイトに象徴される経済的弱者にしわ寄せが行ってしまう。したがって、緊急的な所得再分配政策をいかに迅速に行うかが重要になる。
さらに、ステイホームは、医療・介護従事者やスーパーマーケットの従業員などエッセンシャルワーカーの犠牲のうえに成り立っている。それを考えると、そういう人たちへの感謝の気持ちや行動をいかに社会政策の中で設計するかも大切なポイントだ。
ワクチンや治療薬が開発されたアフターコロナの時代になったら、僕の友人の言葉を借りれば、ハグし放題に戻る。人間の意識が「ウイズ」から「アフター」へすぐ戻るかという議論はあるが、コロナを考えるうえでは、ウイズとアフターでは戦略も考え方も異なるので、時間軸を分けて考える必要がある。
権丈 善一(以下、権丈) コロナ禍によって、エッセンシャルワーカーとリモートワーカーとに仕事を分ける考え方が表にできた。相対的にエッセンシャルワーカーのリスクが高まっているわけだが、賃金に対して経済学では、一般に限界生産力仮説、効率賃金仮説に加えて、アダム・スミスが論じた補償賃金仮説というものがある。
権丈善一(けんじょう・よしかず)/慶應義塾大学商学部教授。1962年生まれ。2002年から現職。社会保障国民会議、社会保障制度改革国民会議委員、社会保障の教育推進に関する検討会座長などを歴任。『再分配政策の政治経済学』シリーズ(1~7)、『ちょっと気になる社会保障 V3』など著書多数(写真:尾形文繁)
エッセンシャルワーカーのリスクを賃金でどう補償するかを考えると、市場における自動調整もあるだろうが、医療・介護など公的部門での対応も大きな比率を占めてくる。そのため、将来的には財政との関わりも出てくると考えている。
もう1つ、「リモートワークになると生産性(物的労働生産性)が高まる」と、政府の未来投資会議でも盛んに議論されているが、経済政策との関係でみる場合には、「付加価値労働生産性」で考える必要がある。リモートが増えれば交通費などさまざまなコストが節約され、その節約分はGDPのシュリンクを意味する。これがどう埋められていくのかという話も今後、重要になってくるだろう。シュリンクした経済が相似形で元に戻るとは考えられない。
「必要条件」と「十分条件」で現状を整理する
――リモートワークの拡大は、今後の経済にとってプラス面とマイナス面があるということですね。
出口 今回のステイホームでは、みんながITを活用するなどリモートワークに習熟したことによって、将来の労働生産性が高まるための必要条件が整った。ただし、改革を行う十分条件が必要だ。コロナ禍が終わったら、会社の上司が「みんな早く会社に戻ってこい」と言ったら、結局のところ労働生産性は上がらない。
日本のDX(デジタルトランスフォーメーション)化は世界に10周遅れで、今回のリモートワーク拡大でもせいぜい5周遅れになる程度だという指摘もある。いずれにせよ、労働生産性の向上は中長期的な可能性としては十分期待できる。
一方で、今年4~6月期のアメリカのGDP成長率はマイナス32.9%と発表されたが、マクロで見たらステイホームは仕事をしないことと同じだから、経済のパイが縮むのは当然だ。今年の世界のGDPがガタガタになることと、今後リモートワークで生産性が上がることは別次元の問題として考えたほうがよい。
権丈 そのとおりだ。そしてさらに将来、GDPが縮小から元に戻っていく過程において、交通関連やオフィスなどへの需要が縮小することによって、その方面ではGDPのパイは完全には戻らないだろう。その縮小分を埋め合わせするような新たな需要が生まれ、そこに生産要素がシフトしていくには、ある程度の時間が必要になるのではないかと思う。シフトを加速する政策を期待したい。
出口 アフターコロナの時代になると、便利だからインタビューは全部リモートになるかといえば、やはり実際に会いたいとか、実際にその場所に行ってみたいといった形で、意外にリアルは強いと思っている。ただし、リモートとのハイブリッド型になるのは間違いない。権丈さんがおっしゃるように、無駄を省いた分が経済全体のシュリンクにつながるが、それで浮いた時間をどう新しいところに振り向けて全体のパイ拡大につなげていくかが重要になる。
――日本銀行のリポートは、オンライン授業導入に伴うコスト低下によって、5月の学習塾業界の授業料が低下したことを指摘しています。大学もリモート化の最前線ですが、教育の世界ではリモート化による経済のシュリンクがすでに起き始めているのでしょうか。
出口 オンライン授業にはそれなりのメリットがあり、みんなが賛成する。だが一方で、それは大学が通信制大学や放送大学になることを意味する。おそらく放送大学の授業料は一般の大学と比べれば、5分の1くらいだろう。つまり、先生方の給与も5分の1になるということだ。放送大学化の行く手には、はたして5分の1のお金で大学の研究教育の場を維持できるかどうかという問題が出てくるだろう。
出口治明(でぐち・はるあき)/立命館アジア太平洋大学学長。1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。2008年にライフネット生命を開業。2018年1月から現職。『生命保険入門 新版』、『人類5000年史 Ⅰ~Ⅲ』、『還暦からの底力』など著書多数(写真:梅谷秀司)
さらに、オンライン授業では講義の巧拙がすぐにわかるので、たとえばある学問ではみんながこの先生の講義をコピーして聴けばいいということになってしまう。その先生の年収は予備校のカリスマ講師並みに上がるだろうが、それ以外の先生は全部職を失うことになりかねない。大事なのは、本当にこういったことをみんなが望んでいるかどうかということだ。
僕は、大学は場所のビジネスであって、お互いに冗談などを言いながら励まし合い、学び合う場所にお金を払っているので、アフターコロナの時代もみんながキャンパスに集まってくることを前提に考えるべきだと思っている。知識を与える一部の教育にはオンラインを使ってもいい。でも、オンラインで浮いたお金や時間を使って、たとえばゼミナールや論文指導などを徹底する。そのように持って行かないと、豊かな大学生活は送れないと思う。
われわれは何から「気づき」を得ているか
権丈 今日は私も、出口さんからこれからの大学がどうなるのかを個人的に聞きたかった(笑)。世の中の普通の人たちが「生産性」という言葉を日常用語にするほど、社会を挙げて業務効率化に邁進している。だが、コミュニケーションなども重要だとなれば、確かにオンラインでは代替しにくい。
出口 次のような話がある。国際的な学会に出席すると、キーノートスピーカーは最先端の研究者だ。しかし、学会に出た人にとって何が「気づき」になったかといえば、実はキーノートスピーカーの話ではなく、昔の同僚とのおしゃべりやランチ、ディナーでの馬鹿話だったりする。そうした体験から、実はわれわれはものすごく大きな気づきを得ている。
つまり、オンライン授業はキーノートスピーカーの発表のようなものだ。本当の気づきや刺激というのは、むしろ同僚とのチャットや会話の中にある。講義そのものはある程度オンライン授業で代替できるが、人間が肉体を持つ3次元空間の存在である以上、講師や学友とふれあうことの刺激のほうがはるかに大きい。これは、人間が学ぶことの基本構造だと思う。ビジネスだったらオンラインでもいいが、教育や学問、研究の分野ではむしろ無駄がものすごく重要になってくる。
――日本銀行のリポートは、オンライン授業導入に伴うコスト低下によって、5月の学習塾業界の授業料が低下したことを指摘しています。大学もリモート化の最前線ですが、教育の世界ではリモート化による経済のシュリンクがすでに起き始めているのでしょうか。
出口 オンライン授業にはそれなりのメリットがあり、みんなが賛成する。だが一方で、それは大学が通信制大学や放送大学になることを意味する。おそらく放送大学の授業料は一般の大学と比べれば、5分の1くらいだろう。つまり、先生方の給与も5分の1になるということだ。放送大学化の行く手には、はたして5分の1のお金で大学の研究教育の場を維持できるかどうかという問題が出てくるだろう。
出口治明(でぐち・はるあき)/立命館アジア太平洋大学学長。1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。2008年にライフネット生命を開業。2018年1月から現職。『生命保険入門 新版』、『人類5000年史 Ⅰ~Ⅲ』、『還暦からの底力』など著書多数(写真:梅谷秀司)
さらに、オンライン授業では講義の巧拙がすぐにわかるので、たとえばある学問ではみんながこの先生の講義をコピーして聴けばいいということになってしまう。その先生の年収は予備校のカリスマ講師並みに上がるだろうが、それ以外の先生は全部職を失うことになりかねない。大事なのは、本当にこういったことをみんなが望んでいるかどうかということだ。
僕は、大学は場所のビジネスであって、お互いに冗談などを言いながら励まし合い、学び合う場所にお金を払っているので、アフターコロナの時代もみんながキャンパスに集まってくることを前提に考えるべきだと思っている。知識を与える一部の教育にはオンラインを使ってもいい。でも、オンラインで浮いたお金や時間を使って、たとえばゼミナールや論文指導などを徹底する。そのように持って行かないと、豊かな大学生活は送れないと思う。
われわれは何から「気づき」を得ているか
権丈 今日は私も、出口さんからこれからの大学がどうなるのかを個人的に聞きたかった(笑)。世の中の普通の人たちが「生産性」という言葉を日常用語にするほど、社会を挙げて業務効率化に邁進している。だが、コミュニケーションなども重要だとなれば、確かにオンラインでは代替しにくい。
出口 次のような話がある。国際的な学会に出席すると、キーノートスピーカーは最先端の研究者だ。しかし、学会に出た人にとって何が「気づき」になったかといえば、実はキーノートスピーカーの話ではなく、昔の同僚とのおしゃべりやランチ、ディナーでの馬鹿話だったりする。そうした体験から、実はわれわれはものすごく大きな気づきを得ている。
つまり、オンライン授業はキーノートスピーカーの発表のようなものだ。本当の気づきや刺激というのは、むしろ同僚とのチャットや会話の中にある。講義そのものはある程度オンライン授業で代替できるが、人間が肉体を持つ3次元空間の存在である以上、講師や学友とふれあうことの刺激のほうがはるかに大きい。これは、人間が学ぶことの基本構造だと思う。ビジネスだったらオンラインでもいいが、教育や学問、研究の分野ではむしろ無駄がものすごく重要になってくる。
――コロナ禍の対応で大学も大変ですが、要はこうした変化をチャンスに変えていけるかですね。
出口 その意味で今回のコロナ騒ぎの中で、最も反省すべき点は秋入学の見送りだと思っている。素直に考えたら、今一番不安に思っているのは高校3年生だろう。僕が政府なら来年から秋入学をやると宣言する。交付金を減らすといえば、大学は全部秋入学に対応するだろう。そして高3には、「春入学、秋入学とチャンスは2回あるから、安心して勉強してや、心配せんでええで」と言えば済む。
小学校から高校までは5年くらいかけて調整すればいい。時間軸を分けて考えればいいのに、メディアを含めて秋入学といえば、小学校から高校まですぐに一律にすべて移行しないといけないといった議論になってしまった。先ほど話したリモートワークと同じで、コロナ禍によって秋入学の機運が生まれて必要条件が整った。
しかし、政府やメディアが大きな方向性(十分条件)を示さなかったため、そうした好機は生かされなかった。やはりリーダーやメディアが改革の未来図を描かないと、十分条件は成り立たない。秋入学は、それを示す証左だ。
なぜ今が重要な準備期間なのか
権丈 出口さんも私も歴史好きだから、われわれにとって今のような新型コロナへの社会様式の調整は歴史の一過程に見えてくる。いずれ来る次の世界に頭を巡らせている。そのときの準備をどう進めるのか。出口さんのリーダーシップやビジョンの話は全部こことつながっている。
出口 歴史を見ると、滅んだ王朝は山ほどあるが、それらは新しい時代に対する準備をしていなかったとか、危機感がなかったわけではまったくない。それなりにみんな改革しようとしていた。ところが、多くはそのスピードが遅かったり、将来に対するビジョンが曖昧だったりしたため、世界の流れに取り残されて滅んでしまった。
極論すれば、日本に陽はまた昇るのか、あるいはこのままズルズルと衰退していくのかは、そのときのリーダーやメディア、市民の動きなど偶然の寄せ集めがどう作用するかで決まってくる。つまり今は、ものすごく大切な時期だと強調したい。
――外に目を向けると、米中対立の深刻化もアフターコロナの大きな変数になってきています。
出口 米中対立や分断化というのは、確かに活字になりやすい。この10年間くらいを見ても、トランプ現象やブレグジットなどがあり、みんな世界は悪化していると錯覚していた。しかし、『ファクトフルネス』という本が世界で約300万部のベストセラーになったのは、「世界は分断などしていない」「結構みんなが協調してうまくやっているよ」という話だったのだ。世界は複雑で、ジグザグに歴史は進んでいくので、分断の方向に振り子が振れたら、協調の方向にも振り子は振れる。歴史は決して、一方向的に進んでいるわけではない。
象徴的なのは、アメリカのEV(電気自動車)メーカーのテスラだ。この4~6月期のアメリカのGDPは約33%減だったのに、同社の利益は順調で4四半期連続の黒字になった。その主因は中国・上海工場の本格稼働だ。米中対立は、かつての米ソ対立とはまったく違う。米ソの対立は、ベルリンの壁に象徴されるようにヒトやモノの交流がなかった。ところが米中では、ヒトもモノもお互いに行きあっている。
ときに誤解も拡散されるオンラインニュースの時代。解説部コラムニスト7人がそれぞれの専門性を武器に事実やデータを掘り下げてわかりやすく解説する、東洋経済のブリーフィングサイト。画像をクリックするとサイトにジャンプします
いま使っているZOOMを作ったのは誰か。エリック・ヤンという1997年にアメリカに出稼ぎに行った中国人の青年だ。米中の関係は、世界のNo.1とNo.2のケンカ、軍事やAI(人工知能)の覇権争いという面はもちろんあるが、「下半身」(経済)ではお互いに結び合っている。そこにさらにトランプ大統領という特殊な個性の要素も入ってきているので、本当の関係を知るには、この3つの方程式を解かなければならない。米ソのようにきれいに上から下までケンカというのではない。読み解くのは結構難しい。
欧州は歴史的な「十分条件」を示した
――コロナによって世界は単純に分断へ進むのではないということですね。
出口 協調の例は、欧州連合(EU)で合意された95兆円の復興基金だ。今までEUのアキレス腱だった財政統合への大きな一歩となるだろう。合意したときは50時間のマラソン会議になったらしいが、コロナ禍という必要条件を、リーダーたちが将来に向けてプラスに転化した十分条件の好例だ。日本の秋入学見送りという悪い例とは対照的だ。
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