東京・大田区田園調布本町の桜坂は北村清治の思い出の場所である。
当時、小学生4年生の彼は、多摩川でよく近隣の子どもたちと遊んでいた。
その帰りに東急多摩川線の沼部駅の線路沿いあった「朝鮮部落」(通称)に足を踏み入れてみた。
劣悪な環境の中、手製のバラック小屋に住民たちは身を寄せていた。
屋根はトタンであであり、ほとんどカラス窓などなかった。
便所は粗末な小屋の一部に設置され、悪臭を放っていた。
豚や鶏、ヤギなどを飼っている住民もいいて、それらが雑多に悪臭の中に入り混じる。
その一角には清治の同級生の白川ジュンの小屋もあった。
ジュンの口からは、清治が食べてことのないニンニクの臭いがする。
そのことで、「お前、あっちへ行け!」と清治は邪見にした。
「せいちゃん、ジュンちゃをイジメてはダメよ!」白川園子が、心外にもジュンをかばうのである。
「なぜ、朝鮮人のジュンと園子の苗字が同じなんだ」清治はそんなことを不思議に思うであった。
中学生となった園子は私立の中高一貫の女子学生となっていた。
彼女の父親は医科大学付属病院の外科医であった。
また、母親は薬剤師だった。
その後、朝鮮部落は撤収されていた。
美しく成長した14歳の園子と桜坂で出会った時「せいちゃ、いい子になったの?」と笑顔の彼女は揶揄するのだ。
「この本を読んで、せいちゃんは、いい子になりさい」5年生の時にアンデルセンの童話を園子から渡された記憶が蘇る。
さらに、園子の母親を授業参観の日に見たことも思い出された。
「なんて、綺麗なお母さんなんだ」清治は子ども心にも見惚れたのだ。
それに比べて「俺のかんちゃんは、ダサいな」と彼は自身の母親と見比べては卑下する。
高校生になった清治は大田区から世田谷に移転していた。
桜が咲く時節に小学校の同窓会があった。
だが、期待した園子との再会はなかった。
清治は、園子に似た近所の中学生の14歳の芦沢由紀に心を動かせていたが、言葉をかけられずにいた。
その彼女も1年後には、何処へ移転していた。
彼女の父親は、商社に勤務して転勤したと噂で知る。
大学となった清治は、いわゆる文学少女で17歳の野村晶子と交際していた。
その晶子を連れて、中学生以来、足を向くことがなかったあの桜坂に行ってみたのだ。
「あなたの、思いでの桜なのね」晶子は清治のカメラで桜坂に立つ彼の姿を写す。
「君を撮ろう」
「私はいいの」彼女は写真撮影に応じることはなかった。
晶子は自身の左頬のアザを気にかけていたようだった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます