つい深く考えることなしに常識や当たり前にとらわれ、
型にはまった考え方をしてしまう私たちに、
ウィトゲンシュタインは別の見かたを差し出し、
言葉を明確にし、明晰に語り、真面目に思考することを求める。
後期ウィトゲンシュタインを深く読み、対話、像、規則の問題、
言語ゲーム、私的言語論などのエッセンスをわかりやすく解きほぐしながら、
知的に誠実であることを貫いたその哲学的思考の営みにふれる、心ゆさぶる入門書。
大谷/弘
1979年京都府生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻博士課程満期退学。博士(文学)。現在、東京女子大学現代教養学部准教授。専門は西洋哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(独: Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 - 1951年4月29日)は、オーストリア・ウィーン出身の哲学者である。
のちイギリス・ケンブリッジ大学教授となり、イギリス国籍を得た。以後の言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。
『論考』での記号論理学中心、言語間普遍論理想定の哲学に対する姿勢を変え、コミュニケーション行為に重点をずらしてみずからの哲学の再構築に挑むが、結局、これは完成することはなく、癌によりこの世を去る。62歳。
生涯独身であった。なお、こうした再構築の試みをうかがわせる文献として、遺稿となった『哲学探究』がよく挙げられる。そのため、ウィトゲンシュタインの哲学は、初期と後期が分けられ、異なる視点から考察されることも多い。
言葉を曖昧にとらえて人と接するとき、時に私たちは他者を傷つけたり、他者の可能性を制限したりしてしまうことがある。
言葉の意味を分析するのは、「自分自身を取り戻す」ことにもなるという。
当たり前だと思われていることに振り回されているだけでは、自分らしく生きることなど到底不可能だからだ。
著者が ウィトゲンシュタインから見出すのは、現場主義である。
ある言葉が使用される現場に目を向けることで、そこで言われている内容をより明確化するということだ。
言い換えるとそれは、この世の中で人間が行っている多様な実践を「よく見る」ことだという。
私たちがよく生きることができないのは、言葉とそれを取り巻く現実をいい加減に見ているかにほかならない。
小川仁志哲学者・山口大学教授
ビジネスに役に立つ教養という視点で様々な哲学書を読んでいます。過去何冊かウィトゲンシュタインの入門書に挑戦したのですが、全て挫折しています。この本は、内容は高度ですが、途中挟まれる例や筆者の解釈のおかげで、じっくり読めば、理解が深まり、ビジネスに応用出来る考え方を身につけることができる良書です。
①著者のウィトゲンシュタイン理解は、思考の根拠を「明確化」するということだ。その点は納得がいくものだ。
前提1)教師は親と同様である。
前提2)親は休めない。→
結論1)教師は休めない。2)教師は育休を取るべきでない。
以上の前提・結論の根拠を問う。
著者は育休を取得したが、尊敬する先輩教師から「教師は育休を取るべきでない」と助言され、同僚と相談して仕事の負担を軽減し、休まず勤務すべきであると主張した。
②前提1)教師は親と同様であると主張する命題の根拠は何か。
可能性として考えられるのは、親が我が子との関係を断ち切ることが出来ないのと同様に、教師は学生との関係を断ち切ることはできないという意味であろうか。親が我が子に対して親としての関係を断ち切れないと主張しているのであろうと思われる。例えば、親がいかなる状態にあっても自分の子供に異変が生じた場合、無条件に駆け
つけなければならないことから見ても正しいと判断できる。
③二つの前提から、教師と学生の関係は、親と我が子との関係と同じであり、教師にとって学生は我が子と同じであると考える主張なのである。
しかし、ここから大きな疑問が生じる。疑問点1)教師にとって学生は「我が子」と同じではない。他人の子である。ここから教師は学生に対して「我が子」のように接しなければならない義務は生じない。
疑問点2)親と我が子との関係は血縁によって生じた親子関係(肉親関係)であるが、
教師と学生の関係は仕事(職務)上から生じる関係である。
この関係の発生は教師が大学との間に取り結ぶ雇用契約によって生じる関係である。したがって、そこには労働基準法や介護・育児休業法が適用可能である。ここから教師は必要に応じて法的関係の適用を主張できる。
結論:教師は育児休業を取得できる。
こう考えるのが思考の根拠を問うウィトゲンシュタインの思考の根拠の明確化ではないか。
参考になる論点が満載だ。
お勧めの一冊だ。
不明瞭なことを明確にする営みとしての哲学という捉え方自体はそれほど特異ではないと思うけれど、規則や心などの具体的な論点でウィトゲンシュタインがそれをどう実践したかを解説して、読者にもそれをうながす本。影響力自体は大きいけれど、哲学としては離れ小島にあるようなウィトゲンシュタインが、実はオーソドックスな哲学をやっていたのだと主張していると受け取った。
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