
鷲田 清一著
商品の説明
生きるために必要で、必要であるがゆえにあたりまえのこととして日常に組み込まれてきたため、つよく意識されなかった手わざ。
専門家と称する人にお金を出してなにかをやってもらうのではなく、身近なだれかが持っている兼業的な能力を信頼し、顔を知っている人たちのもう一つの「面」を使わせてもらう、融通の余力はかつてはあった。
いつか、なにかに役立つときがくる。
そういう感覚を人々はだいじにしていたし、職人たちは自分の仕事を成り立たせてくれる仲間との無言の連携を大切にして、互いのために手を抜かなかった。
利便性や効率より、貧しさと不便さのなかの豊さを実践していた。
しかしいま、そういう日々の営みが分断され、分業化されて、個々の仕事が見えにくくなっている。
特定多数への発信を可能にした通信機器の進化は、同時に一対一のつながりを外に持ち出し、相手以外の存在に目を向けなくさせうことで、逆に周囲から人を孤立させることにもなった。
このままでいいはずはない。
戦争や災害、人為による大事故が生じたら、生活を生活たらしめていたものが一瞬のうちに断ち切られる。
そうなるともう、ひとりではなにもできなくなる。
では、失った手のわざと協働の術をどのように回復したらいいのか。
内容紹介
モノの形の味わい、生きることの難儀さ、芸術の偉力、考えることの深さ。
多面体としての人間の営みとその様々な相に眼差しを向け織りなされる思索。日常を楽しみ味わいながら生きるための技法を、哲学者が軽やかに、しかも深く語るエッセイ80編余を収録。
内容(「BOOK」データベースより)
行きづまる社会に、“空き地”をひらくためにデザイン、芸術、哲学、地域活動の“声”を聴く。
著者について
鷲田 清一
1949年京都生まれ。哲学者。大阪大学学長、京都市立芸術大学学長を歴任。現在、せんだいメディアテーク館長。現象学研究に始まり「臨床哲学」を提唱・探求する。
朝日新聞で「折々のことば」を連載中。
著書に『顔の現象学』『〈弱さ〉のちから』『京都の平熱』『じぶん・この不思議な存在』『「ぐずぐず」の理由』『「待つ」ということ』『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』『哲学の使い方』など多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
鷲田/清一
1949年生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得。大阪大学文学部教授、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。現在、せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。現象学研究に始まり「臨床哲学」を提唱・探究する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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