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眠られぬ夜のために

2020年08月24日 14時46分15秒 | 社会・文化・政治・経済

ヒルティ (著), Carl Hilty (原著), 草間 平作 (翻訳), & 1 その他

内容(「BOOK」データベースより)

眠れない夜はつらい。しかしいたずらに嘆いていないで、我々はそれを、日頃怠りがちな自己反省のための、静かな妨げられない時間として活用しようではないか。ヒルティ(1833‐1909)は青年にむかってこう語りかける。スイスの哲学者で、国際法の大家でもあった著者が、聖書の言葉を引きながら、人はいかに生きいかに自分を深めてゆくかを、諄々と説く。
 
 
日記形式の人生論ですが完全に宗教書です
主張の論拠が聖書なので信仰心がない人には信じるのは難しいと思います
「人はこう生きれば幸せになれる、なぜなら聖書のここにそう書いてあるからだ」
「聖書を信じると幸せになれる、それは聖書の教えが証明している」
というようにいわゆる「貴方が言うならそうなんでしょう」式の論理がほとんどなので自分には合いませんでした

この本を参考にするのはいいですが、若い人がこれを完璧に実践するのは人間業ではないと思うので
似たようなことを言いながら挫折しまくっているトルストイの日記なんか合わせてを読むともう少し現実的に見れると思います

自分は読んでいてどうもこの作者の人間的な冷たさが引っかかりました
・無遠慮きわまる世間に対してはあまり柔軟すぎないこと
・賢明な人間は他人を軽蔑しやすいが、そうするより憐れむべきだ
・無能な仲間と一緒に登山してはならない、そういう相手にはこちらか降りていって低いところで交わるべき
みたいな文章から隠しきれない選民意識がところどろこ出ていて
この人は本音では貧乏人や怠け者や馬鹿が嫌いなんだなと思いました
低俗な世間も愛すべきみたいなことを言いますがあくまで「恵んでやってる」みたいなスタンスで
この辺は『自省録』とは違ってどうにも作者の器の小ささを感じる

・人間愛は、神に対する愛という根拠がなければ、幻想であり自己欺瞞である
という決めつけも酷くて
無宗教でも親切な人なんていくらでもいるだろうに作者には全くそういった人間が見えてないようです
ニーチェが発狂してくれたのもなんだか嬉しそうですし
信仰心がない自分とはほとんど交わらないところで生きてる作者の本と感じたので星2つです
 
 
 
聖書を土台にした思想をもとにして、学者ヒルティが人はいかに生きるべきかを著した書です。
キリスト信者ではなくても神の存在を肯定した生き方が、不安や怒りを払拭する最善の道であることに納得させられます。
巻末に載せられた訳者の「ヒルティの生涯と著作」からは、多忙な職務の傍ら寸暇を惜しんで勉学に励んだヒルティに深く感銘させられました。
深い学識と豊かな人生経験で築かれた卓越した思想は、我々の心をとぎほぐし安眠の道へと誘導してくれます。
 
 
 
日本人で信仰も持たない物にとっては理解するのが難しい本であるが、1月1日〜12月31日まで365日に分けられて少しずつ読み進めて行けばいいようになっている。私の場合は手に取って読んでいるとすぐに睡魔が襲ってくる。眠れなければそそまま読み続ければいいし、まさに眠られぬ夜のためにふさわしい本であると思う。内容はすんと腑に落ちる日もあれば、よくわからないこともある。わからないなりにその一文が心に残ることもある。それでいいのだろうと思う。
 
 
当該著書は、ヒルティの幸福論に比較し、より宗教色が濃くなる。人によっては、この敬虔なキリスト教信者の思想に違和感や頑固さすら感じるかもしれない。しかし、「人は如何に生き、如何に深化するか」を述べるこの人生論は、味わい深いものがある。人生論は365日に区切られているため、日毎に読み進むこともできる。
 若い人にも、私のように還暦に近い熟年にも、この人生論の受け止め方に相違があるにせよ、読み応えのある内容と思う。全体が、起承転結の論理構成になっているわけではない。日毎の部分が個々に完結したものであり、簡潔明瞭な思想を反映している。
 ヒルティの人生論は、概して、幸福に感じている時よりも、苦悩している時に読むのが向いているように思える。気の重さが軽くなり、また慰められ、徐々に生きる勇気を回復させてくれる。

以下、いくつか、心に残る格言を引用してみよう。

・一般に現代の人たちに欠けているのは、とりわけ、喜びの心である。(緒言)

・「平和」というものは、はっきり実在するものである。多くの人がそれを身にまとい、他人を快適にする雰囲気のように、いたるところに運んでゆく一つの現実的な性質、もしくは力である。(緒言)

・たえず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように努めなさい。(1月1日)

・「沈黙で失敗する者はない。」(1月10日)

・人生の幸福は、困難に出会うことが少ないとか、全くないとかいうことにあるのではなくて、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある。(2月9日)

・力の許すかぎり、中絶せずに有益な仕事をすることは、たえず神の近くにあることと並んで、およそ人生が与えうる一切のうちで、最も良い、最も心を満たしてくれるものである。(3月7日)

・偉大な思想は、ただ大きな苦しみによって深く耕された心の土壌のなかからのみ成長する。そのような苦痛を知らない心には、ある浅薄さと凡庸さが残る。(4月1日)

・死後にもその人柄の印象を長く残すような人は非常に少ない。たいていの人は、重要な地位にあった者でも、数年ならずして忘れられてしまう。(4月7日)

・「偉大なことをなしとげるのは、それ以外になすことのできない人のみである。」これはなんという真実であろう。(4月14日)

・苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするにすぎない。勇敢に堪えしのぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。(6月21日)

・「暇な時間」や「休暇」も、何か無益なことや、それどころか時には有害なことを行うためにあるのではなく、むしろ心身のためによい事をなすためにあるのだ。(8月17日)

・「この世とその営み」についての不平や愚痴は、およそこの世で最も無益なものである。(12月29日)
 
 
 
この本を読んでいる途中、やたら発奮して、
前勤め先の「ご意見・ご要望」の係りへ、投書したりしたものだ。
著者は、カール・ヒルティ。
スイス人、国際法の大家だ。
世間離れした、宗教家の観念論と違い、弁護士、裁判官、大学教授、代議士、
国際仲裁裁判所の委員・・・、現役を貫いて、世の中に奉仕した、
活動する、クリスチャンだった。

・・・この世で真によく人を助けうる者は、「とこしえに燃える火のなかにおるこ
   とのできる」者である。その他の者は、われわれがみずから助けうる以上
   には、われわれを助けることができない。
・・・実際、これまでも多くの試練は、初め予期したよりもはるかに速く、
   しかも奇跡的な仕方で、すべて終ってしまったのである。
・・・どんな幸福な生活にも数多く起る試練や心労を、堪えがたい重荷と考えるか・・・
・・・この道を進むものは「勇者」と呼ばれる。
・・・それでも、主のがわに立つ利益は、そのための損失よりもはるかに大きい。
   そして魂が十分成長して、「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。
   地にはあなたのほか慕うものはない」というほどになれば、
   魂はすでに「突きぬけた」のであり、人生の目標に到達したのである。
・・・人生は初めから厳しいもの、
   遊びを許すゆとりはない。
   この世にある安らぎはただひとつ、
   大いなる目標への確信だけです。
・・・・・破滅、不正、悪、虚栄心、宗教的な言葉が続く。
・・・あなたがとらわれていると感じたら、その鎖をたち切りなさい。
   鎖というものはすべて、ただあなた自身の力だけで切ろうとすれば硬いが、
   神の力にとっては決してそうではなく、しかも神の助力は、
   願えばいつでも得られるものである。
・・・だから、賢明な者ならば、つねにそのような祝福ある人と関係を結ぼうと
   努め、反対に祝福の宿らぬ人をできるだけ避けようとするだろう。
・・・悪い人間であって、しかも長く名声を保ったという例を、少なくとも私は、
   歴史上ただ一つも思い浮かべることができない。
・・・神と完全に友となった人にとっては、それ以後の人生において、
   もはや幸福な出来事しか起らない。

神への絶対的な信頼。
職業生活と信仰生活の並行。
信仰の歓び・・・。
わたしも、苦しい職業生活のなかですら、未来への展望が、神への信頼と
ぴったり重なってくることが多々ある。
この先出会う人々が、神の恩寵に満たされるであろう、という予感。
人生への確信。
読後、生きゆかん、といった、闘争心がめらめらと燃えてくる。
本書内に参照されている、「神曲」「ファウスト」なども、読んでみたくなった。

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