『悪霊』(あくりょう、Бесы)は、フョードル・ドストエフスキーの長編小説。1871年から翌年にかけて雑誌『ロシア報知(英語版)』(露: Русскій Вѣстникъ)に連載され、1873年に単行本として出版された。
無政府主義、無神論、ニヒリズム、信仰、社会主義革命、ナロードニキなどをテーマにもつ深遠な作品であり著者の代表作。
『罪と罰』、『白痴』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』と並ぶドストエフスキーの五大長編の1つで3番目に書かれた。
題名は作品のエピグラフにも使われているプーシキンの同題の詩および新約聖書<ルカによる福音書>第八章三二-三六節からとられている。
晩年のニーチェがこの本を読み、とりわけキリーロフの人神思想に注目して抜書きなどをしていたことも知られている。
ネチャーエフ事件
ドストエフスキーはこの小説の構想を1869年のネチャーエフ事件から得ている。
架空の世界的革命組織のロシア支部代表を名乗って秘密結社を組織したネチャーエフが、組織内で相互不信が募る中、当時学生だったイワン・イワノフをスパイ容疑により殺害した事件である。
本作ではネチャーエフをモデルにピョートルが描かれている。
「スタヴローギンの告白」
当初は第2部第8章に続く章として執筆されたが、その告白の内容が「少女を陵辱して自殺に追いやった」という過激なものであったため、連載されていた雑誌(ロシア報知)の編集長カトコフから掲載を拒否された。
やむをえず後半の構成を変更して完成させたため、単行本化のさいにもこの章は削除されたままとなり、約50年の間、原稿自体が所在不明となっていた。
編集長カトコフの意向に沿うようにドストエフスキーは悪霊に加筆修正を加え、スタヴローギンの悪魔性や宗教性を和らげた表現に直した。
しかし、1921年から1922年にかけてこの章の原稿が2つの形(校正刷版と夫人による筆写版)で発見され、いずれも出版されることとなった。
章題を直訳すると「スタヴローギンより」となるが、これは正教においては福音書を「ヨハネより」「マタイより」などと呼ぶことになぞらえている(日本正教会では「イオアン(ヨハネ)伝による聖福音經」「マトフェイ(マタイ)伝による聖福音經」と訳されている)。
章中、スタヴローギンとチホン僧正の対話において、「完全な無神論は、完全な信仰へ向かう道である」という認識が共有される。このことはスタヴローギンが、その無神論が聖性への一歩手前にありながら、最後の壁を越える契機を得ることなく破滅に終わってしまう悲劇的な人物として書かれていることを意味する。
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