日本城郭協会

2024年03月28日 10時18分38秒 | 社会・文化・政治・経済

日本城郭協会は、昭和30年2月に任意団体として設立されました。その後昭和42年6月に文部省(現、文部科学省)の認可を受け、現在は公益財団法人日本城郭協会として活動を続けています。
活動の目的は「日本および世界各国の城郭に関する研究、調査、啓蒙を通じて、民族、歴史、風土に関する知識の普及を図り、もって教育、文化の発展に寄与すること」と定款に定められています。

日本城郭協会のあゆみ

◇日本城郭協会の創立
昭和30年2月、井上宗和によって学術研究と文化交流の任意団体として「日本城郭協会」が創立された。目的は前記「城郭学」の樹立と、各分野の城の研究者の交流を図り、世界の城を総合的に研究するためである。

このときの参加者は次の通りであった。

(順不同役職名は当時)
井上 宗和(故人) 代表世話人 常任理事 城郭学
鳥羽 正雄(故人) 理事 東洋大学教授 日本史
藤岡 通夫(故人) 理事 東京工業大学教授 建築史
田辺 泰(故人)  理事 早稲田大学教授 建築史
城戸 久(故人)  理事 名古屋工業大学 建築史
岸田日出刀(故人) 評議員 東京大学教授 建築史
堀米 庸三(故人) 評議員 東京大学教授 西洋史
喜内 敏(故人)  評議員 金沢大学教授 土木史
藤島亥治郎(故人) 評議員 東京大学教授 建築史
小野 忠凞(故人) 評議員 広島大学教授 考古学

他、各分野の城の研究家、地方史家が加わった。(創立より少し後に参加した人もある) 日本城郭協会はその基金も高額のものではなかったが、役員と研究者のボランティア的協力によって基本的な成果を上げ、徐々ではあるが知名度も高まり、存在を評価されるまでになった。この間において常任理事井上宗和は、吉田茂首相、今村忠助文部政務次官、星島二良衆議院議長、平山孝運輸次官などの強力な知遇を得るまでに至った。
さらに加藤陽三防衛庁事務次官の絶大な協力によって任意団体日本城郭協会を、さらに強力な活動の基盤にすべく、公益法人化を計画した。

◇財団法人日本城郭協会創立
昭和42年3月、井上宗和理事長は臨時顧問であった加藤陽三と相談の結果、加藤陽三を申請人として、文部省社会教育局に財団法人日本城郭協会創立申請書を提出した。はじめ学術研究団体として、文部省学術局に申請書を提出する予定であったが、学術研究のほかに、城の文化性の普及、という新しい分野を付加したため、社会教育局への申請書提出となった。

昭和42年6月、文部省より創立許可の正式通達があった。

基金は500万円で、全額井上宗和の献金であった。基金提供を申し出る企業は数多かったが、運営上の都合でその申し出を辞退し、単独出資としたのは、加藤陽三と井上宗和の相談の結果であった。

創立後、財団法人日本城郭協会の運営は井上宗和を中心として政界、経済界、学界の協力、援助のもとに、目覚しい実績を積み上げていった。

各種データ

日本城郭協会定款
日本城郭協会会員規則

協会役員
学術委員会

事業計画・報告
財務諸表等

 

日本の城を極める

講師
日本城郭協会理事 加藤 理文
 

近世の城と言えば現存12天守が浮かんで来る人が大多数ではないでしょうか。

城の建物と言うと天守建築ですが、その他に御殿、櫓や城門、土塀や橋、さらに井戸や馬屋、番所などもありました。

こうした皆さんが日頃注目しない建築物も多く残されています。建物だけでなく石垣や堀、土塁、切岸など、中世以来の防御施設も利用されています。近世城郭は、土木機技術の粋を集めて築き上げられていたのです。築城者は知恵を絞って、様々な考えからパーツを配置し、城を造り上げたのです。

今回はこうした城に残る様々な建物や仕掛けについて、詳しく見ていきたいと思います。こんな見方もあるんだと、新たな城の魅力に触れることが出来ると思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 47都道府県・城郭百科 (47都... | トップ | 同じ曲の歌手比べをする »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会・文化・政治・経済」カテゴリの最新記事