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福沢諭吉が見ていた賢者と愚者の違い

2019年11月09日 22時20分52秒 | 社会・文化・政治・経済

適菜 収さん

小林秀雄が教育者の福沢諭吉に見出したのは魂のフォームだった。福沢は単なる啓蒙思想家でも民権主義者でもない。福沢は『学問のすゝめ』の冒頭で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と説いた。そこだけ見れば、啓蒙思想の理念である平等を説いたようだが、福沢はその後に「されども」と続けている。

されども、世の中には愚者がたくさんいる。では、賢者と愚者の違いはどこにあるのか? それは学問を身に着けているかどうかである。学問とは単に難しいことを知っていることではない。現実に即したもの、世の中に対する姿勢がきちんとしているかどうかであると。小林は言う。

福沢の文明論に隠れている彼の自覚とは、眼前の文明の実相に密着した、黙している一種の視力のように思える。これは、論では間に合わぬ困難な実相から問いかけられている事に、よく堪えている、困難を易しくしようともしないし、勝手に解釈しようともしないで、ただ大変よくこれに堪えている、そういう一種の視力が、私には直覚される。──「天という言葉」
小林が注目したのは福沢の目だった。それは傍観者の目ではない。その目は画家のような「外を見る事が内を見る事であるような眼」だった。福沢は文明や文化現象を客観的に分析したのではない。「文明の歴史的個性」を直視したのだと小林は言う。

彼は活路は洋学にしかないと衆に先んじて知ったが、ただそういう事なら、これは天下の大勢であって、早かれ遅かれ凡庸な進歩主義者にも明瞭になった事であった。福沢の炯眼(けいがん)はもっと深いところに至っていた。

洋学は活路を示したが、同時に私達の追い込まれた現実の窮境も、はっきりと示したという事が見抜かれていた。そこで、彼は思想家としてどういう態度を取ったろうというと、この窮地に立った課業の困難こそわが国の学者の特権であり、西洋の学者の知る事の出来ぬ経験であると考えた。この現に立っている私達の窮況困難を、敢えて、吾れを見舞った「好機」「僥倖」と観ずる道を行かなければ、新しい思想のわが国に於ける実りは期待出来ぬ、そう考えた。──「福沢諭吉」
福沢は復古主義者でもない。近代の構造が見えていたからだ。

独立とは国を風雨に耐える家屋のようにすること

文化の混乱期とは、文化論議だけでは片付かない、時間だけしか解決できないような本質的な困難が、見える人には見えている時期だと小林は言う。日本人は開国という「異常な過渡期」に生きているおかげで、旧文明の経験により新文明を照らすことができる。この「実験の一事」を福沢は「僥倖」と捉えた。

福沢は「天下の大勢」として脱亜入欧を説いたが、それは西欧の理念に迎合することではなかった。国の独立は偶然に成立するものではない。福沢は「風雨の来らざるを見て、家屋の堅牢なるを証すべからず」と言った。

独立とは国を風雨に耐える家屋のようにすることである。昔に戻ったところで、偶然の独立に恵まれる保証はない。福沢は「保守の文字は復古の義に解すべからず」とも言ったが、近代という宿命に向かい合うためには、「近代精神の最奥の暗所」に踏み込む必要がある。福沢の啓蒙は、そう読まなければならない。


政治はイデオロギーではない。臨機応変の判断であり、空想を交えぬ職人の自在な確実な知恵である。
どんな魅力的な政策も実現しなければ絵空ごと。
小林秀雄

侮蔑されたい人たちを動員するのが独裁

小林秀雄は政治的イデオロギーを嫌う

小林秀雄は、現代の知識人は、「科学的という、えたいの知れぬ言葉の力」により思い上がっていると言う。
しかし、それは厳密な意味における科学ではなく、「半科学」のお喋りにすぎないと。
心理学、社会学、歴史学といった人間について一番大切なことを説明しなければならない学問が、その扱う対象の本質的な曖昧さ、表現の数式化の本質的な困難といった問題について、なんの嘆きもあらわしていない。

彼らは無邪気に言葉を使う。乱暴に数値化、抽象化を行う。そして政治は常識から離れていく。合理主義の徹底は合理の限界に辿り着くが、問題は中途半端な合理である。科学の皮をかぶったイデオロギーである。
近代イデオロギーの根幹にはキリスト教がある。
民主主義は人間の生を歪めたキリスト教を換骨奪胎したものにすぎない。
民主主義は「一人ひとりが完全に平等である」という妄想で成り立っている。
社会に貢献する人も社会に害を与える人も同じ権利をもつ。

これは絶対存在である「神」を想定しないと出てこない発想だ。ニーチェは言う。

ヨーロッパを支配してきた道徳は宗教にすぎない。
民主主義や平等主義、国家主義などの近代イデオロギーは妄想にすぎない。
絶対的な善も絶対的な正義も存在しない。あの世もなければ、人生の目的もない。認識者の存在を抜きにした普遍的概念など存在しない。
すべては人間の認識が生み出した虚構である。
タチが悪いのは中途半端なニヒリストである。



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