キリングフィールドのネタバレあらすじ:承
1974年4月、クメール・ルージュは遂にプノンペンを制圧、ポル・ポトによる独裁政権が誕生しました。
これはカンボジアにとって想像を遥かに絶する地獄の始まりでした。
シャンバーグとプラン、アメリカ人カメラマンのアラン(ジョン・マルコヴィッチ)、イギリス人記者のジョン・スウェイン(ジュリアン・サンズ)はフランス大使館に避難し、国外脱出の準備を開始します。
シャンバーグらはプランも一緒に脱出させようとパスポートの偽造を試みますが、質の悪い紙を使ったために写真は黒く変色してしまい偽造は断念。
空港でプランは笑顔で「あなたは私の兄弟」と言い、脱出するシャンバーグたちを見送った後、クメール・ルージュによってどこかへ連行されていきました。
キリングフィールドのネタバレあらすじ:転
ニューヨークに戻ったシャンバークは、カンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を受賞していました。
しかし、シャンバーグにとってはカンボジアに残してきたプランの事がどうしても気がかりでした。
この賞はプランを置き去りにして受けたものだと批判を浴びたシャンバーグは自責の念に駆られ、何としてもプランを探し出そうとします。
一方、プランはクメール・ルージュが監視する集団農場で強制労働を強いられていました。
ポル・ポトの恐怖政治は家族の絆さえも否定され、数多くの人々は何の理由もなく虐殺されていきました。
特に教師や医者、新聞記者などの知識人への弾圧は常軌を逸したものでした。
ある日、激しい雨の中で極度の疲労から倒れ込んだプランは、一人の少年に助けられて集団農場から脱走します。
キリングフィールドの結末
プランが逃走の最中で見たものは、ポル・ポト政権により虐殺されたおびただしい数の人骨でした。
やがてプランはある労働集団の監督に助けられ、彼の身の回りの世話をするようになります。
プランは監督から事情を聞かれますが、知識層が虐殺される様を見てきたプランは口をつぐみます。
しかし、プランはラジオの外国語放送を隠れ聞いているところを目撃されてしまいます。
しかし監督はプランを拘束するどころか、自分の身になにかあったら子供を連れて逃げるよう言われます。
数日後、監督はクメール・ルージュの横暴を止めようとして殺害され、プランは子供や仲間たちと共に脱走します。途中で仲間たちは次々と命を落とし、子供も地雷によって死んでしまいます。
1979年、ようやくプランはタイ国境の難民キャンプに辿り着きました。
知らせを受けたシャンバーグは急いで現地に飛び、遂にプランとの再会を果たしました。
するシャンバーグにプランは笑顔で「あなたは私の兄弟」と言いました。
ラジオからはジョン・レノンの「イマジン」が流れていました。
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ジュリアン・サンズ
Jon Swain
賛否
この映画が公開された直後、本多勝一は政治的で差別的な内容であるとして、映画への批判を行なった。
本多はかつて、ポル・ポト派寄りの記事を書いたことがあり、ポル・ポト政権時代からシャンバーグの批判を行ない、虐殺行為についても懐疑的であった。
しかし1985年(昭和60年)の2本の記事においてはポル・ポト派の虐殺を認めている。
この映画については、カンボジア大虐殺の背景や全体状況がまったく描かれていないため、観客にカンボジア情勢を誤解させるような曖昧な表現が多いこと、シャンバーグが他のカンボジア人の救出に尽力せずプランの救出のみを考えており、差別的なこと、などを挙げて批判している。
そして、この映画に感動するのはカンボジア情勢に無知な人々だとして記事の表題にもしている。
本多と同じ朝日新聞出身である井川一久は、この映画(および原作)の欠点として、ポル・ポト政権による殺戮と文明破壊の実態を極めて不十分(せいぜい2、3割)にしか伝えていないこと。
クメール・ルージュについての背景説明がまったく描かれていないことをあげながらも、現実に起こったことを非常に不十分ではあるが伝えており、かなりのところまで歴史の真実に迫ろうという意思がある。
シャンバーグとプランの関係についても当時のインドシナの外国人特派員の中では最上に属する友情関係だと思うとしている。
また、この種の映画が日本では1度も制作も企画もされなかったのに対して、米国でそれが可能だったところに米国の文化構造の健やかな一面を見たとも述べている(この点については、本多も同様のことを述べている。
一方、ベトナム戦争中に毎日新聞駐サイゴン特派員であり、サイゴン陥落後に退去要求を受け、ベトナム人の部下を残して帰国した古森義久はこの映画を絶賛している。
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