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幼馴染みの米屋の<やっちゃん>に再会

2021年06月26日 22時38分59秒 | 日記・断片

昨日は、東京・北区へ行く予定であった。
ところが、「北区は富田さんが行っているので、大田区にしましょう」と林さんが言うの、大田区に変更した。
ナビの予定では、午前11時10分ほど到着と表示されていた。
約2時間10分ほど、取手からは62キロ以上の距離である。
先日、佐々田さんと高速道路を使った時と同じ時間帯(蒲田周辺)だが、一般道路なので渋滞もあり、目的地の東雪谷2丁目の知人(佐藤さん)宅に到着した時は、11時45分となる。

知人の佐藤さんはあいにく留守だったので、田園調布2丁目の大森さんに会いに行く。
大森さんとは4人ぶりであるが、仕事中で会えなかったので、要件を受付の人に伝え資料を託した。
小学校時代の同級生たちと田園調布駅周辺で遊んでいたことが思い出された。
懐かしいので、生まれ育った沼部(田園調布本町)まで行く。
桜坂を目指す。

訪ねると、驚くことに米屋も現存していた。

そして、幼なじみの米屋の<やっちゃん>に再会したのだ。

当時、森米屋の前にあった三井精機の寮の6畳一間に、我々家族4人で住んでいた。

沼部駅(ぬまべえき)は、東京都大田区田園調布本町にある、東急電鉄東急多摩川線である。

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蒲田方面駅舎(2010年3月14日
 
桜坂

写真:桜坂

写真:桜坂

東急多摩川線沼部駅から東光院前を通り北東へ向かうと、田園調布本町19番あたりから石垣にはさまれた切通しの坂道になります。これが桜坂で、坂名は坂道の両側に大正時代に植えられた桜にちなむものです。
この坂は旧中原街道の切通しで、昔は「沼部の大坂」といい、勾配がきつく荷車などの通行は大変であったようです。また、かつてこのあたりの村落(沼部の村落)は荷車、旅商人の往来でにぎわい、腰掛け茶屋などが坂道の両側にあったともいわれています。
坂下には、かつて六郷用水が流れていたましたが、下水道の普及につれ、この用水も埋められました。しかし、少しでも昔の姿を残そうと、その一部を自然の湧水を使って「六郷用水の跡」とし、現在は保存しています。

なお、当時は、田園調布に遊園地もあった。
多摩川園
現在の東急電鉄多摩川駅の駅前に正面入口があり、面積は約5haであった。

多摩川園遊園地の空撮(1938年(昭和13年))
 
 
多摩川園遊園地入り口(1940年(昭和15年))

1964年(昭和39年)の東京オリンピックの年には、年間入場者数約100万人を記録した。そのころには観覧車、丘陵地に登るリフトと滑り台(大山滑り)、野球用軟球を玉に使ったバズーカ砲、ウヰスキーの樽を模した車体のジェットコースターなどの遊戯施設があった。

南東側には大きな池がありボートも漕げたが、後に駐車場にするため埋め立てられた。また大規模な室内催事場「読売館」も設置され、夏季の納涼スリラーショー(お化け屋敷)、秋季の菊人形展が人気を集めていた。

なお、3時10分ほど、取手に戻った。

往復120キロ余の行程だった。

とても疲れた。


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