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井伏鱒二と太宰治:師弟25年の軌跡

2025年06月28日 09時59分44秒 | 社会・文化・政治・経済

井伏鱒二と太宰治:師弟25年の軌跡

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井伏鱒二=本名・井伏満寿二:M31(1898).2.15生:広島県安那郡加茂村粟根(現、福山市)
                :H5(1993).7.10没(享年95歳):墓所 「持法寺」(東京・北青山)

太宰治=本名・津島修治:M42(1909).6.19生:青森県北津軽郡金木村 (現、五所川原市)
            :S23(1948).6.14没(享年38歳):墓所 「禅林寺」(東京・三鷹市)
         (没日:6/14は戸籍上、6/13は禅林寺過去帳、6/19は桜桃忌)

井伏鱒二と太宰治は師弟の関係にあった。
井伏がいなければ、作家「太宰治」も名作『人間失格』も
生まれなかったと言って過言ではない。

本項は、靑森の中学生 津島修治が井伏鱒二の小説を読んで興奮した時から
「井伏さんは悪人です」 と書き遺して愛人と心中死するにいたった25年間、
二人の親交と別れを辿った。

なお、主な参考文献(典拠)は本項の末尾に記した。
また、詳細については 「太宰治(人生と作品)」 など
本文中に記した関連の別項目も参照してください。

Ⅰ.太宰の人生の節目と井伏の関わり

太宰文学は、作品傾向から 「前期(~S13)」、「中期(~S20)」、 「後期(S21~)」 の三期に分けられる。
これを “実生活”の面から見ると、期毎に異なる女性との関わりが強く、この区分は文学というだけでなく、
太宰の人生の節目をも示す。そして、太宰の意識の中には、常に井伏が存在する。

(前期・・田部シメ子、小山初代(妻)、 中期・・美知子(妻)、 後期・・美知子(妻)、太田静子、山崎富栄)

・「前期」(~S13)は、“生家と井伏と社会に甘えた奔放生活” ・・・ 破滅を認識、再起を決意。

 ・「中期」(~S20)は、“生家と井伏と社会の規制に服した生活” ・・・ 平穏な処世、家庭生活。

・「後期」(S21~)は、“生家と井伏と社会から分立した独善生活” ・・・ 糸が切れた凧の状態。

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それにしても、井伏は、何故 これほどまでに太宰の人生に深い関わりを持ち続けたのか?
太宰の生家、兄文治の側にも都合があったという背景が考えられなくもないが、
仮にそうだったとしても、井伏が太宰の文学的才能を認めたからとしか察しようがない。

ちなみに、津島文治は、後に次のように語ったとある。(月刊「噂」(S48/6))

「井伏さんといえば、一部の方たちは私が若い頃から井伏さんのお書きになるものを
愛読していたので、”弟修治をよろしく頼みます”という手紙を出して指導をお願いした
のではなかろうか、と考えていらっしゃるようですが、そのような事実は無かったと
記憶しております。やはり、修治が一番先に、井伏さんのご人格、文筆力といった
ものに引かれ、ついで中畑君、北(芳四郎)君が「頼みます」と強引に修治を
お願いしたというのが順序です。」

(月刊「噂」(S48/6)は、「特集 ”保護者”が語る太宰治」 を載せている。)
・中畑慶吉 「女と水で死ぬ運命を背負って」
・津島文治「肉親が楽しめなかった弟の小説」
(いつ、どこで、誰に語ったのかは記載なし)


また、井伏節代(夫人)は、後に次のように語っている。(井伏鱒二著「太宰治」
(2018/7:中公文庫:巻末インタビュー(1998・齋藤慎爾)より)

「井伏は太宰さんを本当にかわいがっていました。「もうあんな天才は出ない」と、その
死をくやしがってもいました。(中略) 太宰さんの葬儀のとき、自分の子供が死んでも
泣かなかった井伏が、声を上げて泣いたことを河盛好藏さんがお書きになっています。
(中略) 私にとって井伏を思うことは、太宰さんを思うことでもあります。」

井伏の関わりがなければ、作家「太宰治」は存在しなかったといっても過言ではないのである。

 


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