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茨城県南部 満開前で、全くまたは殆ど開花していない状態

2023年03月17日 22時02分36秒 | 社会・文化・政治・経済
<picture>福岡堰桜並木の写真</picture>
※写真は満開時のイメージです。
開花状況(03月17日)
つぼみつぼみ
満開前で、全くまたは殆ど開花していない状態
例年の見ごろ時期
3月下旬~4月上旬
特徴

小貝川と堰から流れる用水の間の堤には、約450本のサクラが1.8kmにわたって延び、開花期には見事な景観を作り上げます。その美しさから付近一帯は「茨城観光100選」にも選定され、県内でも有数のサクラの名所となっています。春には開花に合わせて「福岡堰さくらまつり」が開催され、県内はもちろん県外からも多くの花見客が訪れます。

桜の種類

ソメイヨシノ

夜間鑑賞

なし


茨城県南部 満開前で、全くまたは殆ど開花していない状態

2023年03月17日 22時02分36秒 | 社会・文化・政治・経済
<picture>福岡堰桜並木の写真</picture>
※写真は満開時のイメージです。
開花状況(03月17日)
つぼみつぼみ
満開前で、全くまたは殆ど開花していない状態
例年の見ごろ時期
3月下旬~4月上旬
特徴

小貝川と堰から流れる用水の間の堤には、約450本のサクラが1.8kmにわたって延び、開花期には見事な景観を作り上げます。その美しさから付近一帯は「茨城観光100選」にも選定され、県内でも有数のサクラの名所となっています。春には開花に合わせて「福岡堰さくらまつり」が開催され、県内はもちろん県外からも多くの花見客が訪れます。

桜の種類

ソメイヨシノ

夜間鑑賞

なし


【今一度 振り返ってみよう 日本の宗教観】宗教はあぶない?!

2023年03月17日 12時37分59秒 | 社会・文化・政治・経済

2022/08/24


2022年7月以降、報道やネット上で大変話題になっている、「政治と宗教」の問題……その距離感や関係性が盛んに議論されています。

今回紹介するのは、仏教学者である末木 文美士(すえき ふみひこ)先生の講義。

一連のオウム真理教事件が最も大きく問題となった90年代半ばから、10年ほど経った、2006年に開講されました。

2006年とは、どういう時期であったか。
その少し前、2001年にイスラーム過激派組織によるアメリカ同時多発テロ事件があり、2003年にイラク戦争が起きています。
同時期に、国内では、小泉純一郎元首相の靖国神社参拝について政教分離を疑問視する議論がありました。
つまり、国内外において、政治と宗教の関係性に注目が集まるような機会が続いていた頃であると言えるでしょう。
また、宗教研究の分野にとっては「オウムから10年」と振り返る節目でもあったと末木先生は語ります。

それからさらに16年の時を経た2022年の私たち。
この期間に、アラブの春、過激派組織イスラム国の新興、天皇陛下の御生前退位など、様々な出来事を経験しました。
政治と宗教は、昔も今も常に変わらず、密接に関わり続けています。
この講義で語られる危機感や問いは決して遠い過去の話ではなく、未だ褪せることなく我々につきつけられています。

さて、この講義の主なテーマは、「明治時代以降、日本の政治が宗教とどのような関係性を持って営まれてきたか」「宗教を学問として研究することはできるのか」ということです。
日本の政治と宗教の関係性に大変な注目が集まっている今は、「そもそも歴史的に、日本で暮らす人にとって宗教ってどんな存在なんだろう?」「今後、宗教とどう向き合っていけばいいのだろう?」ということを改めて考える良い機会かもしれません。

現代の宗教観:日本で暮らす人にとって宗教ってどんな存在?

前述の通り、講義の当時は「オウムから10年」という節目の時期でした。
一連の事件以来、日本国内では、宗教に対して「なんだか危ないものなのではないか」といったイメージが広く形作られ、(東京大学ではそのような傾向は顕著ではありませんでしたが)大学で宗教研究を志望する学生が減少したと末木先生は語ります。

現在でも、「宗教はなんだか触れてはいけないもの」「日常生活とはかけ離れた特殊な領域にあるもの」というイメージを持つ人は、多いのではないでしょうか。

「あなたにとって宗教とは何ですか?」
「あなたは何教徒ですか?」

と、改めて自分自身と宗教の結びつきについて質問されたら、答えに困ってしまう人の方が多いのではないでしょうか。
先生ご自身も、仏教について研究しているけれども、「では仏教徒なのですね」と言われれば困惑があるのだとか。

さて、ある世論調査では、日本で信教(信じている特定の宗教)がある人は30%以下だそうです。
この数字を見ると、日本は世界の中でも「国民が宗教離れをしている国」と言えます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。

ここで、文化庁が行った統計調査による「宗教年鑑」を見てみましょう。
この統計は、あらゆる教団が各々信者の数を申告する方法をとっており、「仏教徒は9500万人」「キリスト教徒は190万人」と足していくと……

——全部でなんと2億人!!

「あれ? 信仰を持つ人が国民の2倍もいるなんて、随分と宗教に熱心な国なんだなぁ〜」

という笑い話になってしまうのですが、なんとも不思議な結果ですよね。


UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士
……と、ここで勘の良い皆さまはもうお分かりでしょう。

そう、日本で暮らす多くの人は、明確に特定の宗教を信仰しているわけではない、かといって完全に無縁になりきれるわけでもない日々を送っているのです。

(1)自覚的な信仰:「私はこれを信じている・この道にいる」などと明確に言えるもの。礼拝・修行・祈祷を行うなど。

(2)生活に根ざして習慣化した宗教由来の行動:冠婚葬祭、初詣、七五三、お盆など。

この2つは全く違うもので、自覚的に特定の宗教の信者だという人は少ないかもしれませんが、ほとんどの人は、生活の一貫や文化的な営みとして、お寺・神社・教会などを訪れる機会がたくさんあるのです。

そして、このような日本の文化について、

「クリスマスの飾りをはずして、数日後にはもう正月飾りを準備している」
「教会で結婚式をしたのに、お寺のお墓に入る」

などと茶化して話題にすることはありますが、大抵の人は強く問題視せずに暮らしていますよね。

歴史的な宗教観:明治時代に二重の「隠蔽・補完」が行われた日本の宗教とは?
なぜ日本の多くの人が、宗教由来の行動を習慣化しつつ、特定の宗教を意識せずに暮らしているのでしょうか。
ここで、近代日本で政治と宗教がどのような関わりを持って来たのか、歴史を辿ってみましょう。

時は明治の初め、西洋から様々な文化が流入します。
夏目漱石をはじめ、当時の人々は新しく入ってきた「自由」や「愛」などの概念にも次々と訳を当ててゆきました。
英語における「religion」——(当時は主にキリスト教において神と契約を結び救済されるために)個人が信仰を持つという、当時の日本人にとってやや新しい概念も流入してきます。
その訳語として、もともと仏典に登場する「宗教」という言葉が当てられ、定着していきました。
(「宗教」とは、「仏教の真髄を説く法」を表す、仏教でこそ意味をなす用語でした。)
それまでの日本の一般庶民にとって、宗教の存在は、共同体維持のための制度や習俗などに近いものであったと考えられるでしょう。

一方、時の政府は、列強諸国と肩を並べることができるよう、今まで各藩バラバラだった日本が固く強くひとつになれるような新しい体制を、一生懸命作っている最中です。
明治政府は、天皇を君主とした政治を行う「王政復古(おうせいふっこ)」の考え方を重視し、さらに神道を国教とする「祭政一致(さいせいいっち)」(政教分離の反対の体制)を目指します。

それ以前、江戸時代まではどうだったかというと、神道ではなく、徳川幕府の統制下にあった仏教が強大な力を持っていました。
末木先生は「仏教は事実上の国教だったのでは」と語ります。
例えば、徳川幕府は宗教統制の一貫として、「寺請(てらうけ)制度」というものを設けていました。
各お家(いえ)が特定のお寺の檀家(だんか)となることによって、キリスト教などの信徒ではないことを証明したり、お寺からの報告で地域の人口を把握したりしていたのです。
仏教は、政治の仕組みに組み込まれ、人々の生活とも深く結びついていたと言えます。

このように強い影響力を持つ仏教を、明治政府は、神道の対抗勢力になる恐れがあるとして、神道と仏教を切り離す「神仏分離(しんぶつぶんり)」を押し進めようとします。
やがて、分離が行き過ぎた「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の運動が広まり、具体的には、仏具の廃棄や寺院の所領の接収などを行い、仏教だけでなく、修験道(しゅげんどう)など他の関連する宗教も禁止されました。

ところで。
「神仏分離」とは反対の状態を「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と呼びます。
(この段落は授業には無い、おまけの説明です。)
みなさんは、パッと見ただけではお寺か神社か区別が付かない施設を見たことはありませんか?
例えば、東京の高尾山の上にある薬王院には、薬師如来(仏教)・天狗(修験道)・鳥居(神道)が大集合していて、建物の構造や形式なども入り混じっています。
このように、日本古来の神道と、6世紀に大陸から伝来した仏教とは、長い歴史の中で時にぶつかり時に形を変えながら、共存共栄する形を培ってきていました。
そして廃仏毀釈では、特にこの神仏習合のタイプの寺院が狙われ、寺の部分が破壊されるなどの被害に遭いました。
例えば、鹿で有名な奈良公園は、なんと、春日大社(神社)と共にあった興福寺(寺)の敷地の一部が接収された跡地なんです。
高尾山の薬王院は、破壊の手を逃れ、伝統的な神仏習合の様子が見て取れる貴重な場所なので、訪れる機会がある方は、ぜひよく見てみてください!

さて。
結果的に、無茶な廃仏の政策は失敗します。
当然、仏教側からの強い反発が起きますし、西洋から流入するキリスト教の勢いに対抗するためにも、影響力の強い仏教を排除することは現実的ではなかったのです。


UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士
仏教が権利を保ったことに加えて、欧米諸国からキリスト教の布教を進めたいという要望もあり、大日本帝国憲法(明治憲法/旧憲法)には「信教の自由」が明記されることとなりました。

かくして、日本で公的に、個人個人が自由に宗教を選んで信仰を持つことが認められたのです。

——進歩的! 
——日本の夜明けぜよ!

と思われるかもしれません。

しかし末木先生は、実はここで「二重の隠蔽と補完」が行われたという持論を展開します。

それはどういうことなのか、一緒に見ていきましょう。

まず、このスライドの画像をご覧ください。


UTokyo Online Education 学術俯瞰講義 2006 末木 文美士
ここで示されているのは、近代化した日本において、「仏教と神道が表層ではどのように扱われたのか」また「一方で実態はどのようであったのか」ということです。
いわば、仏教と神道の「本音と建前」です。

分かりやすいところから、左上の「個人宗教としての仏教」を見てみましょう。
これは、先ほども申し上げたように、1人の個人が、その人の心の問題として仏教を信仰してよいという自由が、憲法で保証されたということを表しています。
仏教がこのように英語の「religion」の意味で捉えられること自体は、まさに近代の幕開けだという印象を与えたかもしれません。

が、表層はそのように見えているだけであって、実際のところ、仏教が「お家(いえ)の問題」であることは、近代以降も引き継がれていました。
末木先生は、むしろ明治時代以降、「家」の縛りは民法によってますます厳しくなったというのです。
例えば、現在メジャーな「○○家の墓」という形式は、明治以後に定着したもので、遡ってみても幕末頃からしか見られない、新しい習慣であるとのこと。
いわゆる「葬式仏教」と揶揄されるものの始まりです。
このような家と仏教の切っても切れない結びつきは、深層に沈められた、江戸時代から続く「民俗としての仏教」の姿です。

次に、右下の神道を見てみましょう。
この頃、仏教の勢力には、「八百万の神を信仰して、土着の習慣と深く結びついた神道は、低俗であり、(religionとしての)宗教の要件を満たしていない」と主張する者もいました。
欧米の神学において主流であった「多神教は原始的な宗教であり、一神教は進歩的である」という考え方の影響があったと言います。
神道のこのような側面は、深層へ隠されます。

そのような考え方が存在する一方、明治政府は神道を「天皇家の祖先である神を祀り、その偉業を称えるもの」として、さらに憲法上「宗教ではないもの」「政治に属するもの」としました。
これが、「国家神道(こっかしんとう)」として理解されているものの始まりであり、上の画像の右上にある「非宗教としての神道」(神道非宗教論)です。
つまり、「個人の信教の自由を認めるけど、それとは別に(神道は宗教じゃないから)天皇の祖先のことはみんなで崇拝しようね」というわけです。
(この国家神道のあり方が、第一次・第二次世界大戦中の日本で大きな影響力を持ったことは、みなさんご存知の通りです。)

先生は、このような「二重の隠蔽と補完」が、近代日本の宗教体制を作り上げており、「新しい観念」と「実態」のずれや、「個人の内面の信教」と「制度的な都合」の捻れが、現代まで続く様々な問題を生んでいるのではないか、と主張します。
実際に、第二次世界大戦後にできた現行の日本国憲法では、政教分離が原則となっていますが、例えば、「公共施設の建造に際して地鎮祭をすることは祭事なのか、社会的な慣例なのか」ということは、度々問題に(裁判にも)なります。

「宗教」という言葉が指しているのは、信仰の対象としての宗教なのか、それとも習俗なのか……定義が揺れ動いてしまうため、違和感や居心地の悪さを伴い続けてしまうのでしょう。

今後の展望:宗教を学問することはできるのか?
さて、今までのパートでは、「今」を見つめ直すために「過去」を振り返りました。
ここからは、未来の話になります。

授業の最後のパートでは、これまでの議論を踏まえ、「それでは、学問的に宗教を定義することはできるのか?」「宗教を本質的に研究・学問するということはできるのか?」という問いへの答えが語られます。

——学問、そして大学は、本来、何のために生まれたのか。
——宗教も学問も、そもそも既存の人間社会の枠組みを飛び越えるためにあるのではないか。
——今、それらは部分現象として矮小化されており、今一度、問い直されるべきなのではないか。

このパートは最も熱く、先生の力強い言葉を、(特に学生のみなさんには)ぜひとも動画で見ていただきたいです!

また、この記事では都合上、歴史的経緯を主軸に抜き出しましたが、先生はその傍で、現代日本の哲学者・宗教学者らが宗教をどう定義しようと試みてきたか、繰り返し紹介しています。
我々にとって、宗教とは何なのか。
今まさに起きている問題をしっかり捉える・熟慮するためのヒントは、そこにあるような気がします。

今回紹介した講義:学問と人間(学術俯瞰講義)第5回 宗教はあぶない?! 島薗 進・末木 文美士先生

<文:加藤なほ/東京大学オンライン教育支援サポーター>


<生命の安全地帯>

2023年03月17日 11時49分42秒 | その気になる言葉

▼人生を決めるのは、環境や他人ではない。

全て自分の一念だ。

自分の可能性を確信して、無限の力を引き出そう!

▼社会運動の真髄は、頂点を高くすることにあるのではなく、裾野を広げることにある。

一人の意識変革は小さいかもしれないが、それが結集されてば大きな力となるだろう。

▼わが足元から一歩ずつ、平和の歩みをすすめよう。

▼問題は弱気である。

弱気を排して、勇気で進もう!

▼人間関係の希薄化。

つらさや悲しみといった赤裸々な心情を、安心して分かち合えるような信頼関係が期待される。

▼大変な状況に陥った時に「心配してくれる人がいる」ことで、「自分は一人じゃない」と思える、それが生きる力になる。

温かな人間味のある励ましがあれば、生きる希望となり、現実に立ち向かう力になる。

傷ついた人の心を蘇生させる<生命の安全地帯>の構築を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


介護士からプロ棋士へ  大器じゃないけど、晩成しました

2023年03月17日 11時32分31秒 | 社会・文化・政治・経済
 
今泉 健司  (著)
 
幼い頃から将棋を始め、中学2年生で一度はプロ棋士への道へ歩み始めるも、2度も退会を余儀なくされ、その度に類いまれな努力と忍耐力で復活を遂げて来た今泉健司さん。
本書では41歳という戦後最年長でプロ棋士合格を果たした彼の生い立ちから2度の挫折、決戦までを綴ります。
40歳をすぎて夢を実現させた「41歳のオールドルーキー」今泉健司さんの「大器晩成」の成功の秘密とは?
「可能性にふたをしなければ、年齢なんて関係ない!」
ーー今泉さんの人生は、期せずして名言に彩られている。
 

内容(「BOOK」データベースより)

41歳のオールドルーキー誕生!

著者について

今泉 健司
1973年愛知県生まれ。広島県育ち。幼い頃より父親から将棋の手ほどきを受け、めきめきと上達する。
1987年、14歳で奨励会に入会。
高校へは進学せず、中学2年生にしてプロへの道を歩み始める。
1999年、26歳という年齢制限のため奨励会を三段で退会。
奨励会退会後は地元の将棋教室で指導に当たるかたわら、調理師として働くなどして生計を立てていた。
2006年、過去1年の6つのアマチュア全国大会のいずれかで優勝し、かつ四段以上のプロ棋士から推薦があれば受験できるという新しい制度「奨励会三段リーグ編入試験」ができ、2007年、33歳で編入試験に合格、奨励会へ復帰する。
しかし、2年の間に四段に上がるという条件を満たせず、2009年3月、再び奨励会を退会する。
退会後は、広島県福山市の介護施設で職を得て、2014年末まで介護ヘルパーとして働く。
2014年12月8日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で行われたプロ編入試験第4局で石井健太郎四段に勝ち、対戦成績3勝1敗で見事合格した。41歳でプロ入りするのは戦後最年長。
 
 人と人とが密に関わる介護の職場。いわゆる食事、排泄(はいせつ)、車いすからベッドへの移乗といったスキルだけではなく、他人と心を通わせる姿勢が求められます。
お年寄りの声に耳を傾け、その心をおもんばかる仕事は人を成長させます。
それは時に人生を動かす大きな力になることも。奨励会を2度退会し、3度目の挑戦でプロ棋士となった今泉健司五段は介護現場で働く中で力を得ました。
4年間介護職として働き、その後夢をつかんだ今泉さんに仕事を通じて学んだこと、さらには地域の皆さんが介護に関わる意味や魅力について学ぶことができる。
 
 
 
文章は読みやすく、筆者の送ってきた人生を過去〜現在を通して理解することができました。
個人的にこの本に期待したのは、挑戦と失敗、挫折や苦悩に氏がどのように立ち向かい、過去と比べて現在の自分がどのように変わったかという点でしたが、もう少し深掘りしている方が好みでした。
ドキュメンタリー番組や雑誌記事などでよく取り上げられ、界隈で話題になった棋士ですし、間違いなく色濃い人生を送っている方だと思いますので、今後、本を出されるのであれば、もう一歩踏み込んだ内容を期待したいです。その時はまた購入して読んでみたいと思います。
おっさん!夢が叶ってほんと良かったな!って思う。

今泉先生の人生、カッコ良いいところも悪いところもセキララ本。

元気でました!ありがとう!!
 
 
本文の最後の最後。
『今泉健司41歳、新人です。よろしくお願いします!』という部分を読んで、不覚にも涙ぐんでしまいました。
なにか成し遂げたいことにむかって頑張っている人には、とても大きな励みになる本だと思います。
くじけそうになった時、読み返すことにします。
今泉健司四段、パワーをくれてありがとうございます!
 
 
電王戦前後から「見る将」になりました。

指す方はアマ15級もない初級者ですが、棋士の人生ドラマとかが大好きです。
電王戦、棋界の一番長い日、熊坂学五段……

今泉さんについても、知ったのはプロ編入試験受験のニュースを知ってから。
編入試験のときは、ニコ生や将棋連盟モバイルを見ながら応援していました。

この本を買い、そして読みました。
ほとんど一気に読んでしまうくらい、面白かったです。

必ずしも立派じゃなかった人の成功譚。一言で言えば、そんな感じです。
人間として普通にある弱さを抱えた人が、何度も門を叩き、ようやくプロの棋士になれるまでの
ストーリーを、丁寧に、かなりぶっちゃけて描いています。

今泉さんがこれからC2編入を目指す数年間を、より楽しむための1冊とも言えるでしょう。
急いで書いて出したせいか、「3球(3級)」「騎士(棋士)」など、校正もままなっていない
感じですが、これもご愛嬌、ということで。
 
 
テレビで今泉さんを拝見し、人柄に惹かれ購入。
40を過ぎた私にとって共感できる点が多々あり、前向きに生きるヒントがもらえました。
人生うまくいかないもんだと思っている全ての人におすすめです。
 
 
何度も挫折を経験しながらも一生懸命にその時その時を生きてきた今泉さん。
その生き様があればこそ、所期の目的を達成したのでしょう。
人間である以上、生きていくうえで挫折は付き物だと思いますが、
挫折にぶち当たった時にどう対処するのかを考えさせられる本ですね。
一生懸命に生きることの大切さを改めて肝に銘じました。
今泉さん、本当によかったね。
 
 
今泉さんを応援していました。
自分は人生挫折ばかりですが、読んでいると今泉さんに元気をもらったような気がします。
就職活動などで悩んでいる方にお薦めかと思います。とても良い本だと思います。
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残念の念を執念の変えろ

2023年03月17日 10時14分25秒 | その気になる言葉

教えて先輩!プロ棋士今泉健司さん

“凡人”が「天才」に勝てたのは

2019年09月27日 (聞き手:工藤菜摘 鈴木マクシミリアン貴大 )NHK

将棋界の“天才”藤井聡太七段を撃破するビックサプライズを起こしたプロ棋士・今泉健司さん(45)。

実は、遅咲きの超苦労人です。失敗を繰り返し、ギャンブルに逃げた20代。先が見えず、絶望しかなかった30代。そんな“凡人”が「天才」に勝つ大逆転劇を演じたきっかけは、ある『仕事』との出会いだったのです。

“事件”がおきたのは2018年6月11日。NHK放送センター内での対局となったNHK杯1回戦第16局 今泉四段vs藤井七段。下馬評は圧倒的に藤井七段有利でしたが、今泉四段が粘って、粘って、粘って、大逆転勝ち。将棋界では大きな話題に。

対局は公開処刑!?

学生
鈴木

注目の藤井聡太七段との対局。どのような気持ちで臨んだんですか?

自分は、予選から勝ち上がらないといけなくて。予選を勝ち抜くのも大変なんですよ。でも、何より出たい棋戦はNHK杯戦なんです。

今泉健司さん

学生
工藤

なぜですか。

テレビで放映するんで、いちばん目立つからね(笑)

予選を勝った時に「よっしゃ!NHK戦出れるー!」ってなったけど、トーナメント表ちらっと見て「藤井七段」っていう文字が見えて・・・

まさかの・・・

公開処刑かって感じでしたよ。僕との対戦だったら100人いたら99人藤井七段の勝ちって言いますよ。

そんなに差が・・・

でも、そんな負けることを想定しても絶対に奇跡は起こらないからね。

やれることをどれくらいやれるか、ってことばかり考えてました。

実際に対局する前は、どんなことを考えたんですか?

具体的には自分の得意戦法をやるということですね、

うまくいったパターンをひたすら想像する。野球に例えると、1対0という試合では絶対に藤井七段に完封されるから、1対0のような試合じゃダメだと。

8対7で勝つ、エラーも5個ぐらいあるような大乱戦というイメージで、自分の得意分野に引きずり込むような戦略でね。そのへんを話すと専門的になってくるんですけど、そう考えてました。

渋谷の中心で叫ぶ
159手で勝利。今泉さんは「奇跡がおきました」と振り返った。

実際に勝利した瞬間はどうでした?

それはもうこんな事もあるんだなって思いましたよ。

実感がなかった?

あまり実感がなかったんですけど、NHKを出てから帰り道の渋谷のセンター街で勝利を叫びましたね。「よっしゃー!」って。世界の中心で愛を叫ぶじゃくて渋谷のセンター街で勝利を叫ぶ今泉になりました(笑)

センター街で叫んだんですね(笑)

藤井七段って将棋界で言ったら最高の相手ですからね。テンション上がりますよね。

歳下でも藤井聡太さんに勝つのは大きいですか。

もちろん、もちろん。藤井七段っていう棋士は、野球界で言うと大リーガーの大谷翔平選手と思って下さい。レベル違いますもん。そういう棋士ですから。

失敗を繰り返し、自暴自棄になった20代

(プロ入りに失敗した)当時、不安があったりしましたか?どう考えていたのですか?

もう毎日不安だらけでしたよ。僕の人生どうなるんだろうって。で、僕、ギャンブルとかそういうところに「逃げる」生活を繰り返していた。26歳の時は・・・

現実逃避しても何も解決しないっていう事を、当時は、分かっていなかったんですよ。

今泉さんが棋士になったのは41歳。戦後最年長の超遅咲き。過去2度のプロ棋士のチャンスに失敗するなど相当遠回りをした。山あり谷あり涙ありの人生は、ことし5月に放送のNHKの番組「逆転人生」(総合 毎週月曜 午後10時)でも取り上げられました。

中卒で目指したプロ入り。あと1勝まで迫りながら失敗・・・
プロ棋士は狭き門

奨励会は、26歳の誕生日までに四段にならないと退会する規定がある。プロまであと1勝、チャンスはあったが、生かせなかった。感情的になって平常心を失うなど人間的な弱さがあったと振り返る。

飲食店で調理師として働いていらっしゃたんですよね。

まあ正直一番苦しんでた時期ですね。(料理に)やりがいを持っている人もいるでしょうけど、僕の中ではそもそも料理を作るのが好きではないという致命的な弱点がありまして・・・(苦笑)

そうだったんですか・・・

包丁を持った事ない人間が料理するという、妙な事やってて、「こんなんできるわけないやん」って・・・。

そんなんやったんで、職場の人から「いつやめてもらってもいいんですよ」って。それ言われるわなって状況でした。

そのような中でも将棋が好きだった今泉さん。アマチュアの大会で好成績を残した。33歳の時、新たな制度ができて、プロ入りのチャンスを得たが、またしても失敗。35歳でふるさとに戻った・・・。

35歳の時は本当に絶望以外なにものでもなかったですよ。プロになるとかそういう目的は35歳で完全に1回もう断たれましたから。

2度目のプロ入りのチャンスも生かせず・・・

うん。絶望以外なにものでもない。手に持っている技術はちょっと料理ができるようになったのと、将棋の技術・・・。

絶望感以外の何にもなかった。そんな人間がね、大きく変わるきっかけをもらったんですよね。

絶望を救った介護の仕事

地元帰って介護現場で働きはじめたんですよ。37歳くらいの時でしたね。その仕事をしたことで、人生が大きく変わった。

なぜ介護の仕事を選んだのですか?

地元帰っても、あんまり仕事ないじゃないですか。でも、介護職は、求人が多くあったというのが理由で。

だからスタートは決してそんな大志に燃えてとか、そういうものでは全然なくってね。

そうだったんですか。

ただね、人と接する事が僕は好きだったから、そんなに抵抗はないというか。

辛くなかったですか?

いや、正直ね、辛さはあまりなかったんです。

当初からですか?

僕の場合、自分の弱さと向き合えたんですよね。自分で失敗をたくさんする中で周りの人たちに、助けてもらう。

面と向かって怒られたこともあったけど、黙って助けて頂いた事もすごくいっぱいあってね。

そういう時に、いや本当に俺は周りの人に助けられて、生きているんだなって思って。それこそ本当に感謝できた時にちょっと変化しました。

そう思えるきっかけとかあったんですか?

何かというか・・・。目上の人に対する敬意。とにかくこれが全てかな。ここが無いとどうしてもうまくいかないと思うんですよ。

認知症の方々も皆さん人生経験をしっかり蓄えてきた目上の方々なんです。

まず敬意があって、そういう人たちに対して、心の底から感謝できた時に、いろんな事がちょっとずつ良くなりだしました。

そうだったんですか。

それと、介護現場で学んだのは、やっぱり人は必ず死ぬという事でした。

高齢の方が多いと

入所者をトイレに連れて行く時にめちゃくちゃ騒ぐおじいちゃんがいたんです。

ギャーギャー騒ぐおじいちゃんがその時は、トイレに行く時に、なぜか突然私の手握ってね「兄ちゃんの手、あたたかいな」って言い出して。

普段そんなこと全く言わないんですよ。そんな調子だったから僕も「なんやなんや機嫌いいやないか」って言ってトイレ連れていって「おやすみ。また明日なあ」言うて。

で、「おはよう」と言って部屋入ってたら、そのおじいちゃん亡くなってて・・・。人っていつ死ぬか分からないっていうか。

ショックですよね。

これもね高齢者の方に教わったんですけど、人生って2つしか平等がないって。何だと思います?

2つですか?何でしょうか。

1つは、時間です。1日は24時間でしょ。24時間を何に使うか。もう1つは死ぬ時を教えられていないこと。

たしかに。

この2つしか平等がないらしい。あーなるほどと思って。だからその時に大きく変わったのが何かいろいろ怒ったりしてるのが、ばかばかしくなったんですよ。

だっていつ死ぬか分かんないですよ。いつ死ぬか分かんないんだったらやっぱり自分を鼓舞して笑顔で過ごして終わりたい。

今日も1日よく頑張ったなって。人生、いろいろある、いろいろ無いわけはない。でもその中で明日も頑張ろうぜって思えて。

帰る場所が出来たから
介護の仕事を続けながらアマチュア棋士として好成績を残していた今泉さん。3度目のプロ入りのチャンスを生かし、戦後最年長41歳という超遅咲きのプロ入りを果たした。 2014年12月8日

プロ入りを決めた今泉さんを喜ぶ介護施設の同僚

介護の仕事をしていたときに、プロ編入試験の資格を得たんですよね。閉ざされたはずのプロ棋士に挑戦する機会がまたも。

これがね、不思議なんだよね。そういう介護現場で笑顔の日々を過ごしていたら、将棋の成績っていうのが何か知らんけど上がりだしたんですね。将棋は好きだったのでずっとやってましたから。

そういうものなんですか。

僕の場合、35歳まで将棋しかなかったんすよ。

そうでしたね。

だけど、仕事…まあ介護現場で働くことで、好きなものが将棋ともう一つできた。その2つが、両輪となって物事が何か面白いようにうまく回りだしたんです。不思議なくらい。

心の余裕ですか?

余裕…そうですね。あの、これも僕の場合ですけど、なんかね1つの物事にガーって打ち込んで成功するっていう人も当然いると思うんですが、僕はそれをやったら潰れました。というかそれをやろうとしてすぐ逃げてました。

はい。

でも、この時は違いました。将棋のプロ編入試験を失敗しても僕にはまだ介護の職場という帰る場所があるんだと。

そういうふうに、戻れる場所があることが、僕の心のゆとりに繋がりました。

苦しかった時は気付くのが難しかったんですね?

そう、その時は気付くのは難しかったけど、40歳近くになって、新たな仕事ができるなんて恵まれてますよね。

僕はもう一生介護ヘルパーとして勤めていくことになんの抵抗もなかったし。いろんなことが楽しかったから。不思議なんですよ、本当に。

望んで望んでもなれなくて・・・、それで諦めていたプロの棋士のチャンスがまた転がりこんで来るって。

仕事って何ですか?

介護の仕事をきっかけに、人生が大逆転した今泉さんに「仕事」とは?聞きました。じゃあ、これで。自分が喜べることを人に喜んでいただく事。

仕事って基本的に自分が喜んだり楽しんだりすることじゃないと、基本的に長くは続かない。

そのことを一生懸命やる中で人に喜んでもらえることがやっぱり仕事だと思うんですよね。

介護を通じて得た今泉さんらしいですね。

誰か1人でも笑顔になってくれたり、介護はそういうのがダイレクトにくる仕事だったから、やりがいがあったんですね。

だから、将棋でもね、もうツイッターとかで今泉先生頑張って下さいって書き込まれただけで俺すごい幸せだから(笑)

僕のモットーが将棋を通じて皆さまの『笑顔のもと』になるっていう事なんで、だから将棋を通じて、そういう日々を繰り返していきたいと思います!

編集:松井晋太郎