失敗に向き合うことは

2018年03月24日 12時26分25秒 | 社会・文化・政治・経済
何度も失敗し、ご迷惑をかけた方々のことが忘れられない。
そこで、失敗学会事務局長・飯野謙次さんの言葉を引用する。
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失敗によって、さまざまな事故が生れます。
それをよく分析すると、ある事故にそっくりな事故が別のところでも起こっているのです。
全てを想定してといのは酷な話かもしれませんが、少しでも失敗をなくせるように、有意義な情報を世の中に広めていければと思っています。
失敗が起こると、どうしても精神論が先にきてしまいます。
しかし、人間の能力には限界があり、また体調が悪いなど、いつも一定の状態ではありません。
なので失敗が起きないような仕組みが必要です。
例えば、「マニュアル化する」。
これは、無意識になっているものを言葉にすることであり、思考の<見える化>ともいえます。
このほか、作業のチェックリストを作成したり、機械の力を使うなども挙げられます。
しかし、それでも100%ではありません。
失敗しない仕組みを作って一つ克服しても、また次の予期せぬエラーが起こります。
次は、それにどう対処するか。
その繰り返しの中で、物事は向上していきます。
失敗しない仕組みを求め続ける行為は、実に難しい。
今までにないものを生み出すことに挑み続けるのですから。
その意味からすれば、<失敗に向き合うことは、自分の創造性を高める>とも言えます。
「ハインリッヒの法則」
労働災害における経験則の1つであります。
1つの重大事故の背景には、29の軽微な事故 があり、その背景には300の異常が存在するという法則です。
ハインリッヒの法則を別名「1:29:300の法則(1 対29対300の法則)」とも 呼ばれています。
唱えたのは1930年代のアメリカの学者「 ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ(HerbertWilliamHeinrich)」.
ハインリッヒは、同一人物が起こした同一種類の労働災害を5,000件以上調べ上げ、その発生確率を ...
「1件の重大な事故・災害の背後には、29件の軽微な事故・災害があり、その背景には300件の異常がある」という労働災害に対する経験則の一つ。
小さな兆候を見逃さず、対処していけるかどうかで、その後の大きな失敗を防げるどうかが決まります。
小さな失敗への感度を上げることが、何より重要なことだと思います。
日本人は、文章にして、目に見えるかたちで確認するということをおろそかにしがちです。
「暗黙の了解」
<言葉にしなくても>
<大体わかっているだろう>という独特の考え方が、仕事や生活に根付いているからです。
日本人が起こす失敗は、ここに起因することが多いように感じます。
失敗しないために
1)精神論や、自分や他人の記憶に頼らない。
2)成功への努力を諦めない。
3)見聞を広め、柔軟にアイディアを生み出すよう心掛ける。















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新しい人材に託す<度量>

2018年03月24日 11時11分05秒 | 社会・文化・政治・経済
成功は99%の失敗に支えれた1%。
「今までにない技術で、新しい価値を持つ製品を売り出すべきだ」

革新的な製品を生み出すのは、精神論にとどまらず、絶えず変化し向上する姿勢を、個人の習慣、組織の文化にまで高めるしかない。
新しい人材に託す<度量>が責任者には期待される。
時代の変化に柔軟に即応し、新しい発想を生み出す力が青年にはあるはず。
それを守り、生かし、学ぶ先輩の立場であいたい。


















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私たちは同じ一つの船に乗っている

2018年03月24日 10時55分27秒 | 社会・文化・政治・経済
キリストもイスラムもそれぞれ極めて多様性がり、歴史的にさまざまな形態や反応、態度を示してきた。
性差や人種、民族といった特定のアイデンティティ(主体性)に基づく政治活動の中で、宗教本来の姿が、ゆがめられてきたのではないだろうか。
しかし、問題はむしろ政治的、経済的要因。
今日の巨大な利権などの影響で、イスラム世界が強く疎外される構造ができあがっていることに問題がある。
アラブの国々を、これまでと異なった方法で世界経済と文化の過程にいれる。
<西洋の下の存在>ではなく、<歴史の主体者>として真剣に受け止めることだ。
たとえ信念体系は大きく違っていても、イスラムの人々の権利を認めていく必要がある。
敬意をもって扱われれば、経済、政治、文化、そして宗教などの面においても、対等に世界の人々と関わりたいと考えるイスラム教徒は多くいる。
私たちは、同じ一つの船に乗っている―こうしたつながりがを認識し、広げ、教育する世界的な運動が必要だ。宗教学者・ミヒャエル・フォン・ブリュック
博士










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授業は皆でつくりあげるもの

2018年03月24日 09時43分32秒 | 社会・文化・政治・経済
学校の起源は?
教育は本来、宗教と密接な関係にあった。
世界の文字体系の多くは、宗教的メッセージを伝えるために発明された。
ハーバードなど欧米のトップ大学も、宗教指導者を育成する学舎としてスタート。
国家が教育に大きく関わるようになったのは近年に入ってからである。
イスラム預言者の伝承には<はるか遠くへ行ってでも、知識を求めよ>とある。
大事なことは、どんな知識を求めるのかではないだろう。
古代ローマやギリシャの知識の多くが、時代とともに失われた。
一方、イスラムの知識は<文化>となって伝わっていった。
現存する世界最古の大学は、9世紀にモロッコに誕生し、イスラム教育の中心拠点となったアル・カラウィン大学である。
それを支えたのは、古代ギリシャの膨大な学術書をアラビア語に翻訳した図書館の存在。
アリストテレスなどの文献が今も残るのは、こうした功績によるものである。
このようにイスラムは歴史上、教育を重視してきた。
「ではなぜ、イスラムにネガティブなイメージがあるのだろう」
「断片的なイメージで捉えられがちなイスラムについて、さまざまな角度から深めることで批判的な見方を養う。
こうした視野を広げる教育が期待される。
「<文化>とは何か」
「人間とはどのような存在か」
「科学と人文学にはどのような関係性があるのか」
一つ一つのテーマについて深く掘り下げていく。
労働、家族、政治などのあり方の多様性を学ぶ。
他文化を理解する中で、自らの文化をより深く見つめていく。
学生が専門分野を超えて集う。
一人一人が異なる領域を心得ているからこそ、一つのテーマを巡って、多様な見解が飛び交う。
授業に共通するのは、それが「問い」から始まっていることだ。
教員は内容を説明するというより、学生に問い掛け、時に教員が学生から学びながら、対話の形で行われる。
授業は皆でつくりあげるものなのだ。
<受け身>の姿勢が変わる、より多くのことを吸収できるようになるはず。
知識を得る以上に、皆でつくる授業には充実感がある。
教員と学生が、ともに学問を究め、人生を深める。
切磋琢磨の「対話の文化」がリベラルアーツ(一般教養)教育にある。






















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