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イチ押し!グッドモーニング歌謡曲♪ うえの夏まつり 公開収録

2022年07月08日 11時34分11秒 | 新聞を読もう

開催日 2022年7月28(木)
開 場 11:30
開 演 12:00
会 場 上野公園水上音楽堂
    みずどりのステージ
    (東京都台東区上野公園2−1)
料 金 全席自由 500円(税込み)
主 催 上野観光・(株)オフィスYアンドM

出演

-ゲスト-
鳥羽一郎
松前ひろ子
千葉げん太
青戸健
真木ことみ
川野夏美
瀬口侑希
黒川真一朗
千花有黄
岩波理恵
藤森美伃
花園直道
なつこ
塩乃華織
Nobby
津吹みゆ
一条貫太
六本木ヒロシ

竜徹日記
戸子台ふみや
Neontetra
三本木智子
立花しげる
原真由美
瀬川つよし
さの美佳
五十嵐隼人
三木ゆかり
八木儀和
泉沢しげる
西郷ひろし
寅谷リコ
西小路一葉
村田康生


-パーソナリティ-
梓 夕子・叶 竜也・吉村明紘・竹田博之・沓子


歌謡最前線 うえの夏まつり 公開収録 7月27日

2022年07月08日 11時09分18秒 | 新聞を読もう

歌謡最前線 うえの夏まつり 公開収録

開催日 2022年7月27(水)
開 場 11:30
開 演 12:00
会 場 上野公園水上音楽堂
    みずどりのステージ
    (東京都台東区上野公園2−1)
料 金 全席自由 500円(税込み)
主 催 上野観光・(株)オフィスYアンドM

 

 

出演

-ゲスト-
こまどり姉妹
扇ひろ子
三浦京子&ハニーシックス
山本リンダ
多岐川舞子
田川裕之
永井みゆき
西尾夕紀
水田竜子
川野夏美
瀬口侑希
山口ひろみ
谷龍介
岩波理恵
タブレット純


藤森美伃
美月優
花園直道
塩乃華織
沢田正人
金村ひろし
羽山みずき
おかゆ
金嶋昭夫
川辺明
京太郎
青山ひろし
三来秀
ハンリリ


-パーソナリティ-
野上こうじ・梓夕子・司 洋人・みず来明姫・木村徹二・戸子台ふみや

 

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生きる知恵を学ぶ

2022年07月07日 10時27分53秒 | 新聞を読もう

生きる知恵を学ぶ

混迷の時代をいかに生きるか.一遍,最澄,世阿弥,白隠,良寛,利休,芭蕉の生涯をたどり,生きる知恵を学ぶ.

はじめに 知恵とは何か
一 遍
最 澄
世阿弥
白 隠
良 寛
利 休
芭 蕉
おわりに 生死の旅へ
主な参考資料

本書は,NHKカルチャーアワー「生きる知恵」(ラジオ第2放送,2001年10月~2002年3月)に基づき,新たに書き下ろしたものです.
 
栗田 勇
1929年東京生まれ.作家,詩人,フランス文学者.東京大学文学部フランス文学科卒業.おもな著書に『西行から最澄へ』 『花を旅する』 『花のある暮らし』 『漂民』以上,岩波書店),『一遍上人 旅の思索者』(芸術選奨文部大臣賞,新潮社),『最澄』(全3巻,新潮社),『道元・一遍・良寛』(春秋社),『雪月花の心』(祥伝社),『栗田勇著作集』(全12巻,講談社).
この混迷の時代を,私たちはいかに生きていくことができるのだろうか.ここでは一遍,最澄,世阿弥,白隠,良寛,利休,芭蕉という先人達のさまざまな生き方をたどり,その思索に触れ,人生とは何か,生きるとは何かを問い,私たちが生きる知恵を学ぶ.わかりやすい語り口で,深遠な内容を平易に語る日本文化論への入門書でもある.

■著者からのメッセージ

一遍のところで「二河白道(にがびゃくどう)を往く」という言葉について触れました.
浄土とこの世の間に残虐な河が流れている.そこに一本の細い白い道がある.後ろからは盗賊が追いかけてくる.その道は30センチほどの幅で,いかにも落ちてしまいそうで,怖くてとても行けない.わしが保証するといわれても,それが信じられるだろうか.そのときに「二河白道を往く」と一遍が言われたわけです.
 二河白道は決して古い話ではなく,いま旅をすること,奥の細道を歩いていくこと,日常生活を過ごすこと,その一刻一刻が二河白道を往くことではないかと思います.そこで初めて,生きるという言葉が心に浮かび上がってきます.
 そのキーワード,南無阿弥陀仏は,信仰のある方にはもちろん最高でしょう.南無阿弥陀仏のみならず,さまざまな教えや宗教もたくさんあります.
ただ,人間のしていることには価値がある,そして人間と人間はつながっている.私たちにごく簡単にできることは愛する,愛ということではないでしょうか.
 しかし愛を考えると,これはまた難しいことになってきます.愛はそのへんに転がっているわけではありません.そこで愛語,人に優しい言葉をかけて笑顔をもって近づこうというのが,私たちに一番身近な,そして唯一実現できることではないでしょうか.
 すばらしい哲学者,お坊さん,歌人,芸術家,とうてい近寄れないような人々の話ばかりでしたが,その方々の心のひだを細かくたどっていき,私たちの一番手近なところに残された言葉,それが愛だと私は言いたいのです.
<本書「おわりに」より>

書評情報

産経新聞(朝刊) 2003年4月28日
日本経済新聞(夕刊) 2003年4月28日
東京新聞(朝刊) 2003年4月27日
読売新聞(夕刊) 2003年4月11日

日本仏教のあゆみ―信と行②法華思想の開花

2022年07月06日 11時25分07秒 | 新聞を読もう

 東洋大学学長 竹 村 牧 男
  ききて  草 柳  隆 三
 
草柳:  「こころの時代」です。今日取り上げる『法華経』は、多くの仏典の中で、特に多くの人から注目をされてきた経典というふうに言われています。何故そうなのか。今日取り上げる法華思想、『法華経』というのは、どういう教えなのかということについて、これから見ていくことに致します。お話は、仏教学がご専門の竹村牧男さんです。
竹村:  どうぞよろしくお願い致します。
 
草柳: 今日取り上げる『法華経』の教え、法華思想というのは随分早い時期に日本に伝わってきているんですね。
 
竹村:  そうですね。前回取り上げた聖徳太子が、『法華経』を講義したり、あるいは『法華経』の注釈書―『法華義疏(ほつけぎしよ)』を著したりしたと言われていますね。のみならず、平安時代には最澄(767-822)さんが、天台宗―この天台宗というのは、『法華経』に基づく仏教です。

これを重視されたと。そして鎌倉時代には、日蓮(1222-1282)さんがそれを実践的な仏教として展開された。その流れは近代の日本においても、いわゆる新仏教―新宗教の中の仏教教団の中に滔々と流れているんですね。天台、日蓮だけではなくて、例えば曹洞宗の宗祖であります道元(1200-1253)さんとか、禅宗の方々なども『法華経』を非常に重視されている。非常に日本仏教の中で中心的な役割を果たしていると言っても過言ではないと思います。よく中国とか韓国は、「華厳経の仏教だ」と。

それに対して日本は、「法華経の仏教だ」と言われますけれども、それは一つ特質を突いている言葉ではないかと思いますね。文化、芸術にも、例えば「扇面(せんめん)法華経」とか、古写経にたくさん優美な金銀装飾の法華経とか、たくさんの文化への影響がありますね。
 
草柳:  たくさんある仏教経典の中では、この『法華経』というのは、かなり物語に富んでいるというか、物語性のある何かドラマを見ているようなそんな展開になっているところもあるんだそうですね。
 
竹村:  そうですね。大乗経典の多くは、文学作品のような面がありますけれども、取り分け『法華経』は、短くもなく長くもなく、そして非常に巧みな比喩物語がいくつも盛り込まれていて、非常に興味深い面白い経典と言いますかね、親しみ易い経典になっていると言えると思います。
 
草柳:  その『法華経』の教えの中心になっているもの、核になっているものというのは、一体何なんでしょうか。
 
竹村:  よく『法華経』の教えの中心は、三つのテーマがあると言われますね。一つは、「一乗(いちじよう)思想」。もう一つは、「久遠実成(じつじよう)の釈迦牟尼仏(しやかむにぶつ)」。もう一つは、「菩薩の使命」ということなんんですが、「一乗思想」というのは、「一乗」という言葉は、「三乗」に対する言葉であります。「三乗」というのは、「声聞乗、縁覚乗、菩薩乗」という三つの乗り物。
「乗り物」というのは、「教義」を意味するんですけれども、いわゆる小乗仏教の声聞の教え、縁覚の教え、菩薩の教え。これは人間の側に、いわば宗教的資質と言いますかね、宗教的な能力において、いろいろ差があるから区別して教えがあるんだと。声聞や縁覚のものは、どんなに修行しても仏になれないんだ、という立場なんですね。これは「三乗思想」と言います。それに対して、「一乗思想」というのは、今声聞や縁覚で修行している人も、やがては菩薩乗―大乗の道に入って行って、そして仏になるんだと。「仏」というのは、「自利利他円満」と言いますかね、自らも大切にし、人々をも大切にしていく。その働きを自在になせる、そういう存在になる、というような意味合いで捉えればいいと思います。「誰もが仏になる得る」というのが「一乗思想」であると。これが『法華経』の一つの大きなテーマであると言われています。

『法華経』は、二十八品(ぽん)―チャプターが二十八あるわけですね。前半十四品を「迹門(しやくもん)」。
「本地垂迹説(ほんじすいじやくせつ)」という言葉がありますね。「迹を垂れる」と、その「迹」の方ですね。後半の十四品が「本門(ほんもん)」と言います。その「本門」において「久遠実成の釈迦牟尼仏」が登場してくるんですね。ある意味ではドラマチックなわけです。
 
草柳:  「久遠実成の釈迦牟尼仏」ということで言えば、そうすると二千五百年前に、菩提樹の下で悟りを開いたという実在の釈尊は、どういうふうに考えたらいいわけですか。
 
竹村:  これは大乗仏教の術語(テクニカルターム)になりますが、本来の仏を「法身(ほつしん)」とか、「報身(ほうしん)」とか言うんですね。それに対して姿・形を持って現れた仏様を「化身(けしん)」。「化身」という言葉はよくお聞きになると思いますね。姿・形を持って現れた仏様と。この本体の仏様が、この人々を導くために敢えて姿・形をとって現れた仏様だと、こういう位置づけになります。化身仏であると。
 
草柳:  本来の久遠実成の仏さまは、遍く世界中に、遙か彼方から、昔からズッと生き続けてきているんだ、ということなんですか。
 
竹村:  まあそういうふうになっていますね。それから「菩薩の使命」というのは、そういう『法華経』が証しているメッセージを人々に伝えなさいと。それがみなさんの使命ですよと、そういう呼び掛けですね。

末法の世―悪世になればなるほど、このことは非常に重要な意味を持ってくるんですよ、ということで、人々に『法華経』のこのメッセージをみんなに伝えるように、と。そこにあなた方の生きるいのちが、使命があるじゃないですかと、そういうことを説くのが「菩薩の使命」ということですね。大体この三つが、『法華経』の主たるテーマであると言われますね。
 
草柳:  こういう今、三つの基本的な『法華経』の性格をお話くださったわけなんですが、それをさらに支えている考え方というのは、何なんですか?
 
竹村:  それは、何故釈尊が、姿・形をとって現れたのかと。その背景にあるのは、人々を救済したいという願いですよね。それを別の言葉で言えば、「慈悲の心」仏さまのどんな衆生にも差別なく働き掛ける慈悲の心を「大悲」(マハーカルナー:「マハー」(Mah?)は「大」、「カルナー」(Karu??)は「憐れみ」(悲)の意で、合わせて「大悲」を意味する)と言いますがね、「偉大なる慈悲」ですね。その大悲―仏さまの根本は大悲なんだと、そのことを伝えていると思いますね。
 
草柳:  そしてこうした教えをできるだけ分かり易く伝えようということなんでしょうか、ちょっとお話がありました『法華経』には、譬え話がけっこう出てまいりますね。
 
竹村:  そうです。いくつも非常に巧みな譬え話がありまして、多分最も有名なのが、「三車一車の譬え」―「三車火宅の喩え」などとも言われるかも知れませんが、長者さんがいましてね、大変な富豪なんでしょうね。

その家が火事になるんですね。その家はもう古びた家だというふうに描写されていますが、その火事になりまして、しかしその家の中に子どもたちがたくさん居て遊んでいるわけですね。遊びに夢中になっていて、火事に気付かないわけです。お父さんは心配して何とか救い出したいということで、門の外に羊車(ようしや)、鹿車(ろくしや)、牛車(ごしや)―羊の引く車、鹿の引く車、牛の引く車、そういう車があるからそれで遊んだらどうかと言って呼び掛けますと、一目散に出て来るわけですね。

ところが実は無いんですね、この車が出てきたところ。子どもたちが、お父さんに、「さっき言ったその車をください」と言うと、別々にではなくて、みんなに等しく一大白牛車(びやくごしや)―大きな堂々たる牛が引く素晴らしい飾りを持った車が、みんなに等しく与えられたと、こういう譬え話があるんですね。これは実は、声聞の教えや縁覚の教えや菩薩の教えで導いて、最終的には大乗最高の教えに導くんだと。そしてみんなを仏にさせるんだという、そのことがテーマになっているわけです。
 
草柳:  それは一気にではなくて、段階を追って教えていくということの譬えなんですか。
 
竹村:  そうですね。やっぱりその人その人の心のあり方とか、性格とかありますから、その人に合った教えでもって導いていくと。それは仏さまが如何に方便を尽くして、相手のことを思って如何に一番いい方法で導くか。それだけ仏さまは、思いが深いんだという、そのことを現しているんですね。
 
草柳:  「方便」というのは、そういうところから出てきている言葉なんですね。
 
竹村:  「方便」という言葉は、仏教の言葉でしてね。「ウパーヤ」という言葉ですが、「近くにいかせる」と言いますかね、なかなか本来の道を行くのが困難な場合に、いわばバイパスを作ってすぐに近くにいかしめると、それが方便の元々の意味ですね。
 
草柳:  今の譬え話の中で、子どもたちが気付かなかったというか、ということは、つまり何かによっても、人々の生活が雁字搦めになっている。なかなかそれが解けないということを意味しているんでしょうか?
 
竹村:  喩え話は、遊びに夢中になっているわけですね。楽しいこと、愉快なこと、それに夢中になっているわけです。実は我々もさまざまな欲望、煩悩にどっぷり浸かっているわけですね。そしてどんな良い言葉も耳に入らないと、そういう状況を現していると思いますね。
 
草柳:  しかも『法華経』の中の仏―久遠実成の釈迦牟尼仏は、いつでもそういう人たちの手助けをしますよ。あなた方が悟りを開くための手助けをいつでもする用意があるんですよ、というメッセージを送っているということなんですか?
 
竹村:  そうですね。「如来寿量品」という後半のチャプターに、久遠実成の釈迦牟尼仏がまた描かれてくるんですけれども、そこでは久遠の昔に悟りを開かれてから、一時も休まずに、私たちに働き掛けている仏であると、そういうふうに出てきますね。
 
草柳:  お話を伺っておりますと、『法華経』の教えというのは―他の経典のことも勿論よく知らないんですけれども―かなり独自性を持った経典というか、教えというか、そういうふうなことが言えるんでしょうか?
 
竹村:  私は、例えば「一乗思想」というと、「どんな人でも仏になれる」という教えだと、よくこう言われるわけですよ。しかしそれだけではないわけですね。今の譬えにも明らかなように、如何に仏さまが心を砕いて人々を仏にならしむべく、いのちを全うさせるべく働き掛けているかと、そのことがテーマだと思うんですね。


草柳:  大乗の教えを一番根本的なところで貫いている考え方、教えだというふうに、
 
竹村:  一番核心となるところを、非常に豊かに描いていると思いますね。
 
草柳:  その『法華経』の思想を考え・教えが、日本の仏教史の中で、どういうふうに展開をしていったのかということを、またこの後見ていきたいと思うんですけれども、最初にちょっとお話が出た平安時代に入ると、最澄が登場しますね。
 
竹村:  最澄さんは、大変真面目な方で、純粋な方でして、中国に渡って留学して、天台の教えを学んで、そして日本に帰って来て、比叡山におりながら、天台宗だけではなくて、禅、戒、密教、当時の重要なあらゆる仏教を修行していけるような場を開いたんですね。
 
最澄は、『法華経』を根本経典とする天台教学を深く身に付けるため、中国・唐に留学を果たします。そして帰国すると、すぐに天台宗を創始し、僧侶の育成に力を尽くしました。比叡山延暦寺は、禅や戒律、密教などの仏教の教義を総合的に学ぶ場として発展し、後世多くの仏教者を輩出していくことになります。
 
 
草柳:  という最澄なんですが、途中今も紹介したんですが、唐に留学しますよね。比較的短い期間だったようですね。
 
竹村:  そうですね。一年程だったでしょうかね。
 
草柳:  でも帰って来て、精力的にその教えを弘めようとするわけですけれども、この最澄という人は、今日のテーマの『法華経』を、どういうふうに理解をしていたと考えられるんでしょうか?
 
竹村: 会津とか、筑波山を開いたのが徳一だと言われていますが、その方と激烈な論争をしていますが、これは一乗と三乗の間の論争なんですね。だから一乗ということも、これは一つの大きなテーマだったと思いますし、それから弘法大師空海さんが帰って来られた時に、盛んに密教を学びますよね。

密教というのは、「即身成仏(そくしんじようぶつ)」、死んでは生まれ、死んでは生まれながら修行していって、最終的に仏になるんだ、というのではなくて、この世のうちに仏になるという、それだけ勝れた教えなんだ、ということを主張するわけなんですけれども、最澄は、その密教を深く尊重しつつも、いや、『法華経』で充分それは可能なんだと。『法華経』が最高の教えであって、密教はそれに同ずる教えなんだと、こういう立場に立たれていましたね。
 
草柳:  その最澄が、『法華経』こそが最高の経なのだというふうに考えたその理由は、どの辺にあったわけですか?
 
竹村:  これは天台の教理の中に、その『法華経』がもっとも深い教えを説いていると、そういう理解がありますので、例えば後にお話しすることになるかと思いますが、「一念三千」とか、そういうことに基づいて深い教えであるという判断があったと思います。それだけではなくて、それだけのお経なので、これによる時はそれこそ即身成仏と言いますかね、短期間にその修行が進むんだと、そういうご理解があったように思いますね。
 

草柳:  「但(た)だ誦持(じゆじ)する」というのは?
 
竹村:  『法華経』を読誦して、それを絶えず身に離さず、一時も離さず読誦すると言いますかね、そんなようなことになるかと思います。
 
草柳:  それだけやれば、
 
竹村:  そのぐらい『法華経』は、素晴らしい功徳を有しているんだ、というメッセージだろうというふうに思います。この言葉を、最澄さんは見出していると言いますかね、それで円教(えんぎよう)を―天台の教理の中では、完全な教えという意味合いの「円教(えんぎよう)」と言いますけれども、この「円教(えんぎよう)」である『法華経』によれば、短期間のうちに修行も成就するんだと。ここに『法華経』の仏教があるんだ、ということを主張されたんだろうと思いますね。
 
草柳:  それはやはり送られてくるメッセージを、こちら側もやっぱりそれなりに信、あるいは行ということの中において、見せていかなければ、当然いけないわけでしょうかね。放っておけば誰でも、
 
竹村:  そういう素晴らしい教えに触れたら、自ずからその道に行こう、というような思いが起きてくるということじゃないでしょうかね。
 
草柳:  最澄が、もう少しその『法華経』をどういうふうに受け止めていたのかということを記したお弟子さんの言葉があるんだそうですね。それをご紹介してみたいと思うんですが、
 
法華の意に約せば、而(しか)も火宅の内に於(お)いて大白牛車(だいびやくごしや)に乗る。家の外に於(お)いて大白牛車に乗らず、初より後に到るまで菩薩戒を受けて而(しか)も菩薩僧となり、自性清浄の三学を修持して、而も迂廻(うえ)の道に留まらず、直(じき)に宝所に往(い)き、仏果(ぶつか)を得ん。
(光定『伝述一心戒文』)
 
これはどういうことを言っているんでしょうか?
 
草柳:  これは光定(こうじよう)という方の伝えているところですけれども、「先師曰わく」という言葉がこの前にありまして、これは最澄さんのお考えと見て差し支えないと思うんですけれども、先ほどちょっとお話させて頂いた、火事になった家に子どもたちが遊んでいて、という譬喩物語ですね。

その煩悩に塗(まみ)れて苦しんでいると、それが世間ですね。世間を入れて、諸世間に入って、そして初めて救われていくというような意味合いの物語であったわけですけれども、ここで最澄さんは、この火宅のうちにいながらも、大白牛車に乗っているんだと。無明の煩悩に纏わり付かれて、苦しい苦しいとのたうち回っている、そのただ中で仏さまのいのちの中に抱かれているんだと。だから外に求める必要はない。今ここで、仏さまに抱かれているということに気付けば、そこに救いがあるじゃないか、と。

なんかそこを今を遁れて、どっかに安らぎの世界があるんじゃないかとか、求めていくんではなくて、今ここで実は救われているじゃないかと、そういうことを言っている言葉だと思いますね。これは喩え話の非常に深い理解・解釈ではないかと思うんですね。
 
草柳:  気付きですか?
 
竹村:  そうですね。それは『法華経』の教えとか、あるいは師匠とかに教えて頂いて、気付いていくことができるわけですね。
 
草柳:  このことを、先ほどの、例えば道元とか良寛(1758-1831)も同じようなことを言っているんだそうですね。
 
竹村:  実は後ほどご紹介したいと思っているんですが、今ここで大白牛車に乗っているぞと。外に求めるな、というですね、それは日本仏教を貫く一つの理解かも知れませんね。
 
草柳:  そうしたその『法華経』を、最澄は、最上のものだというふうに考えていたとして、その教えをどういうふうに弘めていこうと、具体的にはそこで最澄はどういうふうな考えに至ったわけですか。
 
竹村:  こういう大乗の教えを人々に伝える人材と言いますかね、そういう人々を育てていこうと。大乗のその菩薩の道を行く人材を育てて、そのことが日本の社会への寄与になると、そういうふうには考えていたようですね。
 
草柳:  当時の仏教は、かなり国をどういうふうに造っていくか。つまり護国ということとかなり深い関係があったようなんですが、そうすると、最澄も、そのためにはやはり人材を育てていかなければいけないという、その繋がりの中で考えていたんでしょうか。
 
竹村:  護国ということも当然考えたと思いますが、むしろ社会のあり方を菩薩たちを生んでいくなかで変えていこうというふうに理解できるんじゃないかと思うんですね。
 
草柳:  人を育てることが如何に大事かということについて、書かれた文章がありますので、またそれを紹介したいと思うんですが、こういうふうに言っています。
 
国宝とは何物ぞ。宝とは道心(どうしん)なり。道心あるの人を名づけて国宝となす。
(『山家学生式』六条式)
 
つまり人を育てていくことの大切さは、これぞまさにいい人が育っていけば、それが国の宝なんだということですか。
 
竹村:  善い人―何が善い人かということがあるかと思いますが、簡単に言えば、他者のために働ける人でしょうね。よく最近「人材」という言葉がありますね。

「人材」というのは、「材料」の「材」を書きますよね。人間を材料だと見るというのは、僕はあんまりよく好きじゃないですね。手段として人間を見ていると。

「財産」の「財」という字を書いて、「人財(じんざい)」と読むのがいいんじゃないかと、私は思うんですね。まさに人はそれぞれ宝物である。その中でも、学問もできて、行動力もあると。そういう人が一番勝れた宝物なんだ、国宝なんだということを、最澄さんは言われています。と同時に、菩薩としての、大乗仏教徒ですね。菩薩としての理想は、どういうところにあるのかというと、一言で言えば、「忘己利他(もうこりた)」。

「忘」というのは、忘れるという字ですね。これは「ぼう」と読まないで、「もう」と読むらしいんですが、「忘己利他(もうこりた)」己を忘れて他を利益する。他者のために一心に働いて、自分のことは顧みないと。そういう人こそが本当の人材であると。国宝であると言いますかね、そういうことを言われていますよね。
 
草柳:  そういう思想を持った人こそが、いわば最澄の理想的な人間像だというふうになるわけでしょうか。
 
竹村:  はい。そういう人たちを比叡山で十二年間修行しなさいと。その十二年の修行の中で、そういう人材を輩出したいと。それが最澄さんの一番の願いだったと思いますね。
 
草柳:  そのためにもよく言われる「戒」ですね―「大乗戒」、これが大事なんだということも同時に最澄さんは主張されたということ、
 
竹村:  そうですね。戒律は、この前「律宗」のお話をちょっとさせて頂きましたけれども、出家したお坊さんが共同体を作って、そこでどういうふうなルールで修行していくかと。そのために細々としたことが規定されているわけですね。それに対して最澄さんは、我々の仏教は、大乗仏教なんだから、大乗の戒によればいいじゃないかと。大乗の戒として『梵網経(ぼんもうきよう)』という経典がありまして、「十重四十八教戒(じゆうじゆうしじゆうはちきようかい)」と。十の根本的な戒と、それから四十八のそういう規定があるわけですね。少し簡略化されているわけですけど、これでもう僧侶になれるんだということで、そういう大乗の仏教に相応しい実践の仕方というものを追求されたんですね。
 
草柳:  そんなに雁字搦めにはしなかったということですか?
 
竹村:  雁字搦めと言いますかね、大乗の精神を隅々まで行き渡らせたいということだったろうと思います。
 
草柳:  大事なところだけはちゃんと押さえろ、という感じなんでしょうか。
 
竹村:  そういうことだと思いますね。その大事なところというのは、一言で言えば、「忘己利他」これに尽きるということだろうと思いますね。
 
草柳:  この後時代は、平安から鎌倉時代へ移っていって、鎌倉時代に入りますと、日蓮がさらにこの教えを大衆に弘めていくということに取りかかっていくわけですね。
 
 
ナレーター: 比叡山で天台教学を学び、『法華経』こそがもっとも勝れた教えであると確信した日蓮。度重なる弾圧にも屈することなく、末法の今の世には、我こそが真の救済者であると宣言しています。
 
我れ日本の柱とならん、我れ日本の眼目(がんもく)とならん、我れ日本の大船(たいせん)とならん
 
いわゆる三大誓願です。日蓮は、『法華経』に帰依することを求め、鎌倉幕府を再三にわたって諫(いさ)めたものの受け入れられず、晩年は甲斐の身延(みのぶ)に庵を結び、門弟と共に九年を過ごしました。そして最後は武蔵野国池上で『法華経』を読みながら入滅したと伝えられています。現世に『法華経』に基づく真の仏国土を建設しようとしたその志は、多くの信者を生み出し、現代に受け継がれています。
 
 
草柳:  日蓮という人は、生きたその時代を、先ずは末法の世というふうに見ていたようですね。
 
竹村:  そうですね。日本では、一○五二年ですかね、末法に入ると言われていましたし、そういう年代的なことだけではなくて、元寇(げんこう)―元の軍が攻めてくるとか、あるいは天変地異、飢饉等々、いろいろな社会不安がありましたので、さらに末法の時代そのものと体感していたようなところがあったんじゃないかと思いますね。
 
草柳:  そうすると、その後の日蓮の活動というのは、今言った時代的背景等まったく無縁のものではなかったというふうに思いますね。
 
竹村:  勿論そうだと思いますね。
 
草柳:  そういう中で、日蓮が実際に起こした行動というのは、どういうことだったんでしょうか。
 
竹村:  やはり日本の世の中を安定したものと言いますか、よりよいあり方にするために、正法である『法華経』によるべきだと。こういうことは盛んに主張されたわけですね。『立正安国論(りつしようあんこくろん)』には、そのことを盛んに説いているわけですね。それから今三大誓願とか出ている『開目抄(かいもくしよう)』というような書物もあります。

しかし仏教の教理と言いますかね、仏教思想という点で、一番中心になるのはというと、『観心本尊抄(かんじんほんぞうんしよう)』という書物がありまして、「観心(かんじん)」というのは、心を観るということですね。あるいは心の本尊、心の中の本尊を観ると理解していいのかも知れません。その『観心本尊抄』という書物がありまして、これが日蓮さんの主著であるというふうに言われています。
 
草柳:  この『観心本尊抄』の一部をまた少し読んでみたいと思うんですが、
 
観心(かんじん)とは、我が己心(こしん)を観じて十法界を見る。これを観心と云ふなり。譬えば、他人の六根を見るといへども、いまだ自面(じめん)の六根を見ざれば、自具(じぐ)の六根を知らず、明鏡に向かふの時、始めて自具の六根を見るがごとし。たとい諸経の中に、所々(しよしよ)に六道(りくどう)並びに四聖(ししよう)を載(の)すといえども、『法華経』並びに天台大師所述(しよじゆつ)の摩訶止観(まかしかん)等の明鏡を見ざれば、自具の十界(じつかい)・百界千如(ひやつかいせんによ)・一念三千(いちねんさんぜん)を知らざるなり。
 
これはどういうことを言っているんでしょうか。
 
竹村:  「観心」ということは、ある意味で自分の本来の姿を見極めると言いますかね、明らかにすると。それはある意味では悟りを成就するということとも、決して別ではないことだと思います。従来の修行の仕方では、心を統一して三昧に入ってと言いますかね、その中で智慧を磨くと。その中で観法を行ずるというのが、本来のあり方なんですけれども、末法の世の中ですから、なかなかそういう心を統一して修行するというようなことは難しいですね。で、その時に、じゃ、どういう観心の方法があるのかということを証したのがこの書物なんですね。そもそも観心―心を観る。

本来どういう心のあり方なのか。それについて、ここに少し書かれていると思うんですね。鏡を見れば自分の顔がわかるように、ある教理に照らせば、自分の心の本来のあり方が見えてくると。じゃ、その教理とはどういうものかというと、要するに「一念三千」という教理。これは天台の教理の中で最高の教理だと。もっとも深い教理だというふうに言われているものです。「一念」というのは、「一瞬の心」という意味ですね。「三千」というのは、これはなかなか込み入ったことがあるわけですけれども、根本は「十界互具(じつかいごぐ)」。十界が互いに具えあっているということです。「十界」というのは何かと言いますと、「十の世界」ということでありまして、これは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏」と。「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」は、いわゆる「六道輪廻(ろくどうりんね)」の迷いの世界ですね。それから修行の世界、悟りの世界に入って行って、声聞、縁覚、菩薩、更には仏と。この十の世界が互いに具えあっているというわけです。人間の世界の中に、実は地獄の世界もある。仏の世界もある。仏の世界の中に実は人間の世界もあるし、地獄の世界もあると。逆に地獄の世界の中に仏の世界もあるというように互いに具えあっていると。

十界がそれぞれ十界を具えていますから百界になるんですね。百という数字が出てきます。それに天台では、世界を三世間で見ていくと。「衆生(しゆじよう)世間、国土(こくど)世間、五陰(ごおん)世間」と。「衆生」というのは、生き物、個体ですね。「国土」というのは、置かれている環境。その衆生と環境をそれぞれ作っているものが「五陰(ごおん)」―いわゆる「五蘊(ごうん)」ですね。「色(しき)・受(じゆ)・想(そう)・行(ぎよう)・識(しき)」というこの世界を構成している諸要素ということなんですが、そういう三つに分けて見ていますので、それにこの三百という数字が出てきますね。百界におのおの三世間があると。その三世間の各々に実は「十如是(じゆうによぜ)」という。これは『法華経』の方便品でしたかね、「諸法実相(しよぼうじつそう)」と。これは『法華経』の重要な言葉なんですけれども、本当の真実の姿ですね、諸法の実相。これは仏と仏しか知ることができない。

「唯仏与仏乃能究尽(ゆいぶつよぶつないのうぐうじん)、諸法実相(しよほうじつそう)」ただ仏と仏のみが即ちよく諸法の実相を極め尽くすと。唯仏与仏乃能究尽、諸法実相」。じゃ、その「諸法実相」はどういうものかというと、「如是性(によぜしよう)」とか、「如是相(によぜそう)」とか、十の「如是(によぜ)」で語られているんですね。それを「十如是(じゆうによぜ)」と言います。その三世間の各々に十如是があるから三十ですか、それが百界にあるということで三千と。自心(じしん)の中に地獄から仏までの様々な心が具わっている。我々の今ここの一念の中にあらゆるものが具わっていると。ミクロコスモスの中にマクロコスモスがあると言いますかね、ちょっと華厳的なんですけれども、そういう教理ですね。これが「一念三千」です。それの一番重要な意味は、「自分の中に仏さまがいるんだ」ということですね。諸仏諸尊がいます。諸尊もいますが、諸天もいるかも知れませんが、仏様がいるんだということですよね。逆に仏の中に自分が抱かれているということもあるわけですね。しかも、その仏というのが、仏は過去にもたくさんいますし、未来にもたくさん現れると思われますが、『法華経』はとにかく久遠実成の釈迦牟尼仏を証しているわけです。久遠の仏ですね。それが自分の一瞬の心の中にあると言いますか、あるいは久遠の仏の中に抱かれていると言いますかね、そのことが自己のいのちの本来の姿なんだと。そのことを証しているのが、一念三千の教理の一番重要なところではないかと思うんですね。
 
草柳:  まさに「一念三千」というのは、キーワードの中のキーワードという感じすらするんですけれども、でも「一念三千」というのは、ちょっと分かり難いところがあるんですが、
 
竹村:  その教理があって、その教理に照らせば自分の心がわかると言っても、それはなかなかそれ理解することは難しいですね。ところが日蓮さんは、その「妙法蓮華経」というこの五文字ですね、あるいは題目の中にそれがもう込められているんだと。だからこの題目を誦持すれば、自然(じねん)にその久遠仏の功徳というものが、自己に譲り与えられると。だからこの題目を称えなさいと、こういうことを言われるんですね。
 
草柳:  それがその実践ということなんですね。
 
竹村:  そうですね。その題目を称える中に、一瞬一瞬一念三千の世界が実現していると。その都度その都度実現していると。これが「事(じ)の一念三千」ということかと思います。天台のこれは『摩訶止観(まかしかん)』に出てくる教理ですけれども、そこにはまだ理論的に留まっていたと。それを日々の一瞬一瞬のいのちの中に証していく。実践していくんだと。それが日蓮さんの仏教だということになるんだろうと思います。
 
草柳:  お話の「一念三千」を、例えば具体的に表そうとした曼陀羅(まんだら)があるんだそうですね。
 
竹村:  ええ。日蓮さんの図顕(ずけん)の曼陀羅―図に表したという曼陀羅、有名なものがありますね。一念三千の根本は、結局は「十界互具(じつかいごぐ)」、要するに人間の中に仏も居れば、地獄の生き物もいるということなんですが、要するに自分の心の中に諸仏諸尊が存在しているんだと。

その諸仏諸尊とものいのちなんだということを表しているのが『法華経』ですね。ですから「南無妙法蓮華経」というのが中心にありまして、右側に多宝如来(たほうによらい)、左側に釈迦牟尼仏、その他数々の諸仏諸尊が描かれているわけですね。神さまも、天照大神も居たりしますけれども、言ってみればこれは本尊ということもあるかと思うんですが、その意味は「己心(こしん)本有(ほんぬ)の諸尊」自分の心の中に本来具わっている、本来存在している諸仏諸尊という意味で、この本尊と言われるんですね。
 
草柳:  一念三千を知るということが大前提のようですね。
 
竹村:  知るんですけれども、題目を称えれば、じゃわかるかと。了了(りようりよう)とそれが見えるかというと、なかなかそれは見えないだろうと思います。しかしそれを称えているうちに自然(じねん)にそのことが成就してきますよと。赤ちゃんが何も知らなくても、ミルクを飲めば育つわけですよね。それと同じように、題目を称えていれば、このことは悟りがいつかは実現しますよと。

ただそれよりも題目を称えているただ中に、久遠仏に抱かれている自分のいのちを体験していると言いますかね、あるいは自分の中に久遠仏が生きているというそのことを証すると言いますか、そのことが一歩一歩実現している筈だということじゃないでしょうかね。
 
草柳:  ここまで最澄から、そして日蓮の『法華経』が一体どういうものであったのかということを、お話を伺ってきたわけなんですけれども、例えば日蓮の同時代の他の人たち、あるいはその後の仏教者たちに、やはり『法華経』というのは、脈々と流れていっているわけですね。道元は最初にちょっとお話がありましたけれども、やはり『法華経』を大変重視されたようですね。
 
竹村:  道元さんは、小さい時にやはり比叡山に上ってですね、そして山を下りるんですが、その天台で学んだことなのか、『法華経』が「諸経の王だ」と。このことは生涯信念は変わらなかったように思いますね。あれだけ批判的なと言いますかね、あらゆることに吟味検討していく方が、『法華経』だけは絶対の存在だったようですね。「諸経の王だ」と、それを全面的に肯定されていますね。じゃ、道元さんにとって、『法華経』は何かというと、これはやっぱり禅者でありまして、『法華経』は、先ほど言いました諸法実相ということを説くわけですが、その諸法実相というのは何かと。諸法実相が『法華経』だと、ある意味では言えるわけですけども、じゃ、それは何かと。おそらくそれを詠ったんだと思いますが、
 
峯(みね)の色渓(たに)の響きもみなながら
  我が釈迦牟尼仏の声と姿と
(『傘松道詠』)
 
こういう歌を残されているんですね。「峯(みね)の色渓(たに)の響き」山の色、谷川の響き、音、これが『法華経』だと。こういうことを言われておりまして、日常の一つひとつ見るもの、聞くもの一つひとつが仏様のいのちそのものを表していると言いますかね、そこに『法華経』を見ると。こういうある意味では、ユニークな『法華経』の捉え方をされていますね。
 
草柳:  道元の著書に『正法眼蔵(しようぼうげんぞう)』という書物がございますね。その中にも『法華経』のことについてというか、その教えに書いている部分があるようですので、またそれをちょっと読んでみたいんですが、こういう文句です。
 
この理(ことわり)を信ずること不肯(ふけん)にして退席すとも、ことにしらず、白牛車(びやくごしや)に坐(ざ)しながら、さらに門外(もんげ)にして三車(さんしや)をもとむることを。
 
「白牛車」という言葉が出てまいりましたね。
 
竹村:  先ほども「一大白牛車」なんですね。最澄さんも、今ここで既に一大白牛車に乗っているじゃないかということを言われたんですが、道元さんもまったく同じことを言われているわけですね。本当は白牛車にもう乗っているにも関わらず自分の外に仏を追い求めている。それではいつまで経ってもらちがあきませんよ、ということを言われていると思いますね。
 
草柳:  時代がさらに下って、この後の人たちにとってはどうだったんでしょうか。
 
竹村:  実は同じ曹洞宗なんですけれども、時代を隔てて道元禅師にもほんとに私淑していたと言って差し支えないと思いますが、良寛さんですね。この良寛さんが、『法
華経』に漢詩の讃を付けた、そういう作品集を作っていらっしゃるんですね。

一つのチャプター―本に、いくつと決まっているわけではないんですが、全体として百の讃を付けたという作品があります。それは『法華讃』という作品なんですけれども、その中にもほんとは白牛車に乗っているのに、それに気付かないで、どこへ行こうとしているのかと。何を、どこへ求めに行こうとしているのか、というような讃があったりします。これは最澄、道元さんの見方をそのまま受け継いだ讃のあり方ですね。

『法華経』二十八品の各品に、この漢詩で讃を付けている。だからそれぞれを禅的な立場から非常に深く味わっていらっしゃるんですけれども、じゃ良寛さんは、その中でもどの品(ほん)に一番惹かれていたのか。あるいは尊重されていたのか、というそのことを考えた時に、おそらく「常不軽菩薩品(じようふきようぼさつぼん)」ではないかというふうに思うんですね。

常不軽菩薩というのは、どんな人に会っても、「あなたは将来仏になる方です」と言って、合掌礼拝したというんですね。

わけのわからない者に「仏になる」なんて言われても、気持ちが悪いだけで、「どっかへ行け」とか、時には石を投げ付けるとか、棒で叩くとか、そういうこともあったかも知れません。そういう時も少し難を離れて、大きな声で「あなたは仏になられる方です」と言って合掌礼拝されたと。そういう菩薩がいましてですね、おそらく良寛さんはその菩薩の行いというものに非常に深く惹かれていたんではないかと推測します。
 
草柳:  その『法華讃』を読んでみたいと思うんですが、こういう言葉なんです。
 
朝(あした)に礼拝を行じ、暮れにも礼拝す。
但だ礼拝を行じて、此の身を送る。
南無帰命常不軽(なむきみようじようふきよう)。
天上天下(てんじようてんげ)、唯(た)だ一人(いちにん)。
 
比丘はただ万事はいらず常不軽菩薩の行(ぎよう)ぞ殊勝なりける
 
最後の言葉は歌ですから、讃はその前の方ですね。
 
竹村:  はい。この一つだけではないんですけれども、「常不軽菩薩品」に関しては、あまり教理を捻(ひね)くると言いますか、弄(いじ)くり回すと言いますか、そういうことはまったくないんですね。唯々素直に常不軽菩薩を賛嘆されている。それだけに如何に尊敬されていたかということが伝わってくるような気がするんですよね。良寛さんはよく春の日にスミレを摘んだり、子どもたちと日長(ひなが)一日遊んでいたというふうに言われます。確かに無心に無邪気に子どもと一緒になって遊んでいたというのは間違いないと思うんですが、実は根底において、その子どもたちの将来を心配しながら拝んでいたと。「あなたは仏になって欲しいんだ」と拝んでいたというふうに思いますね。
 
草柳:  良寛は、自分がこうあるべきだという自分の姿に常不軽菩薩の姿をオーバーラップして見ていたというふうなことなのかもわかりませんですね。
 
竹村:  いわば乞食僧(こつじきそう)ですからね、正式にお寺に住していたわけではありませんし、しかし自分は仏教者だ、僧侶だというお気持ちは非常に真摯に持っていらっした方ですから、じゃ、自分は何ができるのかと。礼拝行で、もうこれで充分なんだと、そういう思いがあったんじゃないでしょうか。
 
草柳:  さらにもっと時代が下って、現代に近くなってくるとどうなんでしょうか。
 
竹村:  そうですね。例えば『法華経』に影響を受けた方は、たくさんいろいろといると思いますが、代表的な方としては、宮沢賢治(1896-1933)さんとか、
 
草柳:  宮沢賢治の「雨にも負けず風にも負けず」というふうな、あの詩はまさに『法華経』の世界なんですか。
 
竹村:  そうですね。常不軽菩薩のことでもあると思いますし、あるいは最初に言いました菩薩の使命をそういう形で詠っているということも言えるとも思いますね。
 
草柳:  当然生きている以上は、人は安らぎを得たい。ただその安らぎというのは、自分自身のための安らぎだけではなくて、他人(ひと)も同じように、その安らぎを得なければ、それは本当の幸せと言えないんだというのが、これが大乗を貫く思想なわけでしょう。
 
竹村:  宮沢賢治は、まさに「みんなが幸せにならなければ、自分は幸せになれない」ということを言ったと、有名な話がありますけれども、まさにそれは大乗の精神、『法華経』の精神だと思いますね。
 
草柳:  最後に今日のお話を少し纏める意味で、お話を伺いたいんですが、今現に生きている二十一世紀の私たちに、『法華経』は一体どういうふうなメッセージを送って来ているのか。それに私たちはどういうふうに応えていけばいいのか。その辺は竹村さんは、どんなふうに考えていらっしゃいますか。
 
竹村:  今日のお話の中で、多分みなさんも興味深いと思ったのは、「実はここでもう既に一大白牛車に乗っているんだ」ということですね。「自分一人だけで生きていると思っていたんだけども、そうではなくて、自分の足下に、いわば久遠仏の働き掛けのもとに生かされていたんだ」ということが、この『法華経』の理解の中で、みなさんが自覚されてきたことなんですね。最澄さんの場合は、「自性清浄の三学」なんていう言葉もありましたけれども、だからある意味では、「自性清浄心」とか、「仏性」というものが、その人その人の本来のいのちであって、そのもとに生かされているんだと。道元さんは、「この生死はすなわち仏の御いのちなり」と。この生死の―生死輪廻、あるいは毎日毎日の苦しみ、それもまた仏の御命の中で行われているんだ、というようなことがあります。一大白牛車に実は乗っているんだということも、教えを受けると、それに気付かされると。そうすると、やはり自分の生き方はどうあればいいのか。しかもそれは自分だけではないですね。他者もまた仏の一大白牛車に乗っているわけでありまして、そういう人と同じ自分がどういうふうに対していけばいいのか。そういうことを考えていくと、やはり理想の世の中と言いますかね、お互いに尊重し合いながら―常不軽菩薩(じようふきようぼさつ)のようにお互いに尊重し合いながら、それぞれがそれぞれ生き生きと生きていくと、そういうことを実現してくる、その道を開いているのが『法華経』の教えということになるんじゃないでしょうかね。
 
草柳:  そういうことをしっかりそれぞれが捉えることによって、初めて送り続けてこられているメッセージが生かされるということになっていくんでしょうね。
 
竹村:  と同時に、そのメッセージを伝えていこうという、その伝えていくことの大切さ、それもまた『法華経』は説いていると思いますね。
 
草柳:  日本の仏教の歴史を紐解いてズッとお話を伺ってきたわけですけれども、三回目の次回は、空海の密教の話ですね。また楽しみにしています。どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十七年五月十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである
 


熱中症搬送、6月過去最多 猛暑で1万5657人

2022年07月05日 21時16分43秒 | 新聞を読もう

7/5(火) 18:26配信 共同通信

強い日差しの中、日傘を差して歩く人たち=1日、名古屋市

 総務省消防庁は5日、6月に熱中症で救急搬送された人が全国で1万5657人に上ったとの速報値を発表した。6月の集計を始めた2010年以降で初めて1万人を超え、6月の1カ月として過去最多となった。これまでは11年の6980人が最も多かった。6月下旬から全国を襲った猛暑の影響とみられ、7割が6月24日~30日の1週間に集中した。

 搬送後に死亡が確認されたのは17人で、6月としてこれまで最多だった11年の14人を上回った。

 消防庁の担当者は「異例の猛暑に加え、急に気温が上がったため体が慣れず、体温調節が追いつかなかった可能性がある」と分析する。

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映画 マザー!

2022年07月03日 22時04分39秒 | 新聞を読もう

7月2日、午前1時30分から、CSテレビのザ・シネマで観た。

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解説

「ブラック・スワン」の鬼才ダーレン・アロノフスキー監督が、「世界にひとつのプレイブック」でアカデミー主演女優賞を受賞した若手実力派のジェニファー・ローレンスを主演に迎えて描くサイコミステリー。

郊外の一軒家に暮らす一組の夫婦のもとに、ある夜、不審な訪問者が現れたことから、夫婦の穏やかな生活は一変。

翌日以降も次々と謎の訪問者が現れるが、夫は招かれざる客たちを拒む素振りも見せず、受け入れていく。

そんな夫の行動に妻は不安と恐怖を募らせていき、やがてエスカレートしていく訪問者たちの行動によって事件が相次ぐ。

そんな中でも妊娠し、やがて出産して母親になった妻だったが、そんな彼女を想像もしない出来事が待ち受ける。

2017年製作/121分/アメリカ

原題:Mother!

スタッフ・キャスト
監督
ダーレン・アロノフスキー
製作
ダーレン・アロノフスキー
 
スコット・フランクリン
 
アリ・ハンデル
 
マーク・ヘイマン
脚本
ダーレン・アロノフスキー

ジェニファー・ローレンス

ハビエル・バルデム

エド・ハリス

ミシェル・ファイファー

 

リスト教をこき下ろすにもほどが有る‼️

ふざけた映画!全く意味不明。

おつむの弱い嫁と独善夫のラプソディ。作る側は聖書の話に仕立てて徹底的に女性を馬鹿にした話。これを女性の鑑賞者が論理的に批判できなければサルトルに舐めまくられたボーボワールの二の舞い。監督の舐めきったほくそ笑んでそれでお終いだろう!こう言う映画を許してはいけない!

 


最低
支離滅裂。
おまけにカメラワークがひどいので目がチカチカして疲れます。
不可解なので他のコメントを読ませていただきました。
これ宗教を題材にした映画なの?と目からうろこです。

聖書を知らないと理解できないと思う。と書かれている方がいますが、
私はイギリスで聖書を1年間勉強し、創世記から黙示録まで読んだ福音派のクリスチャンです。
福音派のクリスチャンは聖書の言葉を字義通り解釈します。
この映画には悪魔的要素を感じますが、キリスト教の要素は微塵も感じませんでした。
大体、主人公である人間を「神」と模倣する発想自体、聖書の教えに反します。
これが悪魔の隣人とされるローマ・カトリック教の感性に基づいているのであれば納得です。
韓国で作られた映画でも似たようなものがありました。
こういった悪魔的な発想に基づく映画は聖書のみ言葉を勝手に解釈し、不気味な表現を好みます。

 


宗教の気持ち悪さ

ろくにキリスト教を知らないし、仏教もあんまり好きじゃないし、
なんなら宗教全般から無理のない範囲で距離を置きたいと思ってる。

そんな飲み込みの悪い僕は、”黙示録”ってフレーズが出て初めて気づいた。
そこから先は、もう怒涛の混沌。不快きわまりない欲望の濁流。
ラストにも救いがなく、僕の生涯ランキングでもトップレベルの胸糞悪さだった。

不思議なのは見終わってみると、
感じていた不快感が何か重みのある問題意識に変わっていたこと。
宗教批判と環境問題をつなげてみせて、
人間のおぞましさと強さをしっかり描き切った作品だと思う。

最後に蛇足だけど”宗教”にはやっぱり欠陥があると思う。
個人の救済になることは否定しないけれど、それを人に勧めるのは違うというか。
”信じる”という力が強ければ強いほど害になり得たり
聖職者です、みたいな顔をしてる奴は信用ならなかったり。
要は都合のよい”正義”を与えるための装置でしかないんじゃないのっていう。

日本では公開が見送られた問題作。僕は見て良かったと思っています。

 


暴力と母

彼は心の臓から取り出した鉱石をディスプレイに飾った。・・・ふりだしにもどる。
──そんな輪廻のファンタジーだが、ドラマの気配がある。

たとえば、これはホラー映画です──と標榜されていると、怖くない。ってことはありませんか?
ホラー映画がhorribleなのはとうぜん──なので、その構えで見るとき、観衆には余裕が生じる。

ところがAronofskyはジャンルに規定されない作家なので、現実味がある。その現実味によって、Mother!は傍若無人な他人たちに、なにもかも侵犯されるサスペンスに見えてしまう。その見え方をするとき、この映画はとても恐ろしい。

ただし描写が苛烈すぎて、荒唐無稽。
世評は、胸糞な展開に対する嫌悪感によって賛否になったが、客観的に見るとMother!には、何かとほうもない迫力がある。

この映画のcons(下げ評)の理由は、どこまでもお人好し(──を通り越してマゾヒスト)の旦那と、彼と客人にすべてを奪われまくる母親の苦しみが、あまりにもダイレクトに表現されていること。何かの象徴──というわけでもなしに、ひたすら搾取される母親を見ているのが辛いから。

わたし/あなたの大切な住居へやってきた、どこの馬の骨ともわからない輩が、リヴィングにたむろし、キッチンを使い、調度を破壊し、寝室へ押し入り、そこらじゅう散らかして、ひたすら神経を逆なでする。

ぎゃくにpros(上げ評)の理由は、そうは言っても、すさまじい迫力によって、それが描かれているから。──である。過剰が面白さになっている。Aronofskyの中でもホラー値の高い作品だが、でもホラーとは言えない──そんな絶妙な風格もあった。

『監督のダーレン・アロノフスキーは「この映画は一般の観客に向けて作られたわけではなく、ある特定の人たちへ向けたものである」と語っている。』(ウィキペディアより)
じっさいのことは知らないが、アノロフスキーが自分の家を荒らした無礼な客人に対する私怨でこれを作ったのなら、迫力が生成されるのも当然だったと思う。

本作を悪名にしているのは、いやな感じのEd HarrisとMichelle Pfeiffer。

に加えてStephen McHattie。とりわけStephen McHattieはHistory of Violence(2005)のとき感じた強烈な冷酷さのまんまだった。Stephen McHattieの前では、悪い顔選手権なんぞお子ちゃまもいいところ、である。

かれらの憎々しさによって、どの映画でも気の強そうにしか見えなかったJennifer Lawrenceがとても気の毒に見えてしまう──という珍しい映画だった。

が、その嫌忌を越えて、有無を言わせないバイオレンスがある。と同時にmotherly(慈悲深さ)も感じられる映画だった。

 


愚行の輪。


私はやっぱりダーレンが好き♡


聖書とかを知ってないと見ながら理解出来ないと思います
わたしは見終わった後に考察まとめを読んで、スッキリしました

描写とかもろもろこれは制限かかりますね笑
閲覧要注意です!


前々から気になってたので、amazonレンタルでチラ見しました。

ふー。何だかなぁ。
見始めてから中盤まではず〜っと凄く面白くて、ポンコツ旦那にイラついたりしながら、はて?これってミザリーの現代版に近い感じ?なんて思ってたんだけど、最後の30分がアテクシの気持ちの全てを台無しにしてくれたかな。
んだって最後のシークエンスなんて戦争映画みたいじゃない、急に。

ランボーでも観てるのかな?って思っちゃったんだから。

んで何となくラストのオチが腑に落ちなくてネットでレビューとか見てみたけど、モチーフは聖書のお話だとか何とか。

これってよくある話だけど日本人にはあまりにもピンと来ないんだよね。
まぁ、勉強不足な自分が悪いんだけどさ。

けど仏教がモチーフでも日本史がモチーフでも、自分にはピンと来なかったと思う。

前段の設定があまりにも良いと思ったばっかりに。ジェニファーローレンス主演のホラー?を観たのはこれで2作目だけど、ボディ・ハントもピンと来なかったしなぁ。設定が良い割にとても残念でした。

あと、あの嫌な感じのおばさん、ミシェルファイファーだったのね( ³ω³ )

〜劇終〜

 


嫌悪感は自身への鏡

宗教観念の強さからか上映禁止となった話題作ということで鑑賞。

ジェニファー・ローレンス演ずる妻の忍耐強さに感服。だがそんな人間の傲慢さと身勝手さも、いつかは壊れてしまうものだ。人間の醜態とも言えるその"我"はまさに鏡のようなものだろう。誰しもが持つ煩悩、欲望、欲求とはここまで醜くカオスを生み、そして壊れてもなお再生するのだろうと思わされた。そして夫役の存在は何を意味していたのか、妻役の存在は何を意味していたのか各々考えが割れるだろう。


”我慢強すぎる創造の母” 不穏感、終末感が尋常でないダーレン・アロノフスキー監督節全開の、怪作である。創世記をモチーフにした作品でもある。】

 

この映画、完全に狂ってます。
凡人の私には、レベルが高すぎます。


傲慢さと身勝手さを創造主より引き継いだ人類の醜悪な姿は何度観ても爽快

「ローズマリーの赤ちゃん」、「皆殺しの天使」のオマージュもさることながら、マザーを破壊し尽くす強烈な不快感に圧倒される。出来ることなら劇場鑑賞したい作品

 


予備知識(ネタバレ)必須な作品


ジェニファー大好きなんですけどね、なんの刺激もないまま、後半は特に退屈でした。ジェニファーの美しさだけでかろうじて最後まで観れました。

 

ジェニファー・ローレンスとイカれた人たち→ただただグロい


見なくていいものを見た。時間を返してほしい。

 


悪夢をこうではなく撮るのが映画だろ。
きねまっきいさん 2021年3月19日 iPhoneアプリから投稿
黒澤明が米国資本におだてられて撮った晩年の大愚作「夢」を彷彿とさせる凡作。
それやったら何でもありだ。
似て非なる快作「歓待」の深田晃司はどう見たか。
悪夢をこうでなく撮るのが映画だろ。
こういう尤もらしい凡作をこそ面白くないと正しく言う責任が私達にはある。

 


なんだこれは!?

なんだこれは!?理解不能。

ひとつ言えるとしたら、ジェニファーローレンスのための映画、だったんだろう。ジェニファー寄り、が半分以上、いやそれ以上かもしれない。とにかくジェニファーをこれでもかとアップで、寄って寄って見せてくる。

あと、感想はやめとく。
いまのところ平均点くらいな評価なのがちょっと意外。アホすぎて笑えるのはたしかだし、ジェニファーろーれんすたっぷり見れるわけだが。。


日本人にはわからん。何かメッセージがあるんだろうけと、わからん?

 

焼けただれる顔のアップのオープニングにも意味があるとは
地獄の無限ループ
この映画で監督とJローレンスは付き合いだしたというから信じられない。
~招かれざる客があるカップルの家へとやってきて、彼らの穏やかな生活を壊していく。そのとき、カップルはその関係性を試される~
神様の話なのか?
解説が要る
創世記
アダムとイブがエドハリスとMファイファ-
グリーソン兄弟はカインとアベルとか
Jローレンスがしょっちゅう飲む黄色い粉は何?
詩人のストーカーとも思える熱狂的なファンが信者ってことか
信者に交じってただの便乗がたくさん
赤ちゃんがバラバラになって食べられるところはボカシ
Jローレンスがボコボコにしばかれるのはボカシ無し
クリスタルの為に無間地獄に落とされた若妻
子供を持つ不安
創造、創造いう年上の詩人はいうほど妻に愛情をかけない
ポスター全景は心臓を差し出していたのね
黙示録とかいうてたね
模様がちょいちょい胎児にみえるね
木目が穴に見えて血が噴き出る
女性から非難轟々きそうなんで公開中止かキリスト教信者から圧力がかかったのか

 


なんだかなー

全く不快な映画です。救いは女優さんが可愛い事だけ。
ストーリーが意味不明すぎて何も伝わらない映画。


ブラック・スワンがすごく好きだったので、この作品もみてみようと思い...

大草原の大きな家

救いがない…

終始不快で、まったく救いのない展開。
共感も持てないから、内容も入り込めない。
観賞するなら、どこまでも逝く不快感を楽しめるぐらいの覚悟で挑まないと121分、人生の無駄をします。

ヒロインの妊娠したあとの、艶らしさが唯一の救いかも。

よくわからないスリラー


野原の一軒家に住む新婚夫婦、夫(ハビエル・バルデム)は詩人、妻(ジェニファー・ローレンス)は家を改装中だ。
そこへ怪しげな男(エド・ハリス)がやってくるが夫は歓迎している様子、次に妻(ミシェル・ファイファー)、更に二人の息子も現れ・・・。
なんでも受け入れる夫に翻弄される妻、何を象徴しているんだろう?

 

サイコミステリーの皮を被った宗教映画。


問題作だけど実は傑作

理不尽さに不愉快極まりない

旦那は何がどうなれば正解の一途を辿るのだろうか、何度目の繰り返しを演じている。

謎の訪問者から、イラつく奥さん、行儀の悪い兄弟、関係あるけれど無関係な人々が入り乱れ、理不尽な事柄が起きマクる。

まるで、アメリカ特有の自宅パーティーが始まったかの如く「プロジェクトX」を想起させる展開に!?

平穏を取り戻したのも束の間、壮大な理不尽行為が家の中で様々なトラブルが忙しない程にシッチャカメッチャカに繰り広げられ、目を覆いたくなる場面も。

肝心な時に側に居ない旦那の理解不能な発言にイライラする、非常識極まりないミシェル・ファイファーには究極にイラつく。

人間の集団心理程、怖いものは無い。


考えさせられた。

自分自身も、交通事故の被害者になりながら、毒親に病院に連れて行かれなかった等の過去はあるが。乗り越えて、義務で面倒を見ています。彼の少年の母親への愛の源泉を、もっと知りたかったです。
金銭は与えますが、私には愛情はありません。
(秋子のような人物を知っています。)
自分も当時余裕があったのがいけなかったのですが、秋子のような人物と関わりました。3年以上働かず、パチンコ三昧。お金を渡した自分も悪いが、家が割と裕福な方なのに、すさんだ性格をされていました。精神的な病気かも?と通院も勧めましたが、更生しがたい性格なのかもしれないです。
 今は困難を抱えた子供たちに奉仕できないものか?考えるようになりました。

 


ユダヤ人キリスト教の神の再解釈。

まあまあだった

なかなか不条理なお話でした。 それだけにインパクトは強いですし、普...
刺繍屋さん 2019年9月5日 iPhoneアプリから投稿
なかなか不条理なお話でした。
それだけにインパクトは強いですし、普通にサイコスリラーとしても面白いような気がします。

僕は聖書に明るく無いので、観終わった後、解説を読ませて頂き、漸く少しだけ納得いきましたか、それでも分からない部分は多々有りますね。
細かい点を挙げればキリがないのですが、特に神と大地の関係が理解出来なかったです。

確かに聖書に準えて作られていたような感じですが、熱心な信者さんや聖書に精通した方なら全て理解出来るのでしょうか?

唯、監督の意図するものが完全に理解出来なくても、観て損のない作品だと思いますよ。
個人的には『哭声』に通じるものがある作品のような気がしました。

それにしても終盤の狂乱ぶり。
まさしく人間の行いそのものを上手く表現していたと思います。

あの状態では滅びても仕方ないかもしれないですね。

 


最後のシーンがなければ満点ですが

惜しいな、へんないじり方をしなければ名作なのに、残念

 


聖書をリアルにするとこんなになるのか・・・

怖い。
怖いしかない。
「父」は「我が子イエス」を殺される為に産ませる。
人々はそれにすがりそして殺す。
「マリア」=「母なる大地」は略奪され殺されても「産み続ける」
よく考えるとなんて悲惨なストーリーなんだ聖書。
それをリアルに表現したこの作品は人を選ぶけれど、何とも宗教とは恐ろしいと思わせてくれる作品。

 


なるほど。 そうと分かるまでは発狂しそうになるわ。

 


地球ちゃんがんばる!

1.0女優の演技力に頼りきった、くっだらない映画。全く、今になってこんな...

女優の演技力に頼りきった、くっだらない映画。全く、今になってこんな映画作る価値があるのかな?監督と脚本家は万死に。俺の時間を返せ。

 


まっさらで観たらそりゃ「ナンジャコリャ」となるでしょう。

トラウマメイカーことアロノフスキー監督による不条理物。元ネタ聞かなければ理解の範疇外だが、多少知れば手掛かりになって見えてくるものもある。
前半ドン引きしたと思ったら、後半はさらにドン引きする仕様。(イイゾモットヤレ)
なんか変な構造の家だなと思ったら、特典映像で理由が判明して納得した。
劇場公開を楽しみにしていたので、公開中止は残念だった。

 


強烈な聖書メタファー

日本人には理解し難いよ…。

きっと最後にとんでもないどんでん返しが…。
そんな期待を込めて観たのですが、思ったよりあっさりな結末。

個人的には彼女の妄想や想像が招いた悲劇だと思っていたのですが…。
中途半端に終わってしまったので、ちょっと拍子抜け。
結局、家に勝手に上がって来るお客様の正体って何だったんだろう…。
彼らの存在が一番謎でした。

あと、地下の存在って必要かな?
地下が重要なヒントを隠しているのかと思いきや、全然そんなことないし…。

全体的に色々とバラバラしていて、全てが惜しい感じです。
前半は理不尽な出来事の連続、後半は宗教っぽい感じという、なんとも受け入れ難い構成でした。
『ゲットアウト』のような大どんでん返しを期待している人には、物足りないかもしれません…。

ジェニファーローレンスの美しい姿が観れたのは良かったけど(笑)

 


不条理コメディ

はっきり言って理解不能です。
色んな隠喩があるんでしょうが、どの解釈もなかなか難しい。
きっと正解は監督の頭の中だけなんでしょう。
前半のエドハリス一家は序の口で後半はとにかくカオス!(笑)
胸糞悪いを通り越して笑えてしまいました。

聖書、環境問題、母なる地球…

歴史は繰り返される………かな???

 


最後まで観終わるのに、メンタルな強さが必要かも知れない映画(笑)
疲れてる時やブルーな時に観ると、余計にへこむかも知れません…ご注意を!(笑)
*人というのは、理屈で理解出来ないものに出会うと、非常に不安になるものです…



聖書的要素が多いなーと思いながら鑑賞し、のちに考察を検索すると、面白いほど出てくる出てくる笑
宗教絵画を読み解くのに近い楽しみがあるのではないかな
映画としては、確かに賛否両論というのに納得。
何も考えずにみていたから、ラストはちょっと感動した

 


テーマを知って納得…できん!

何の予備知識もなく見たら、このトンデモ展開にただただ驚いておりましたが、キリスト教が下敷きになっていると知ってなるほどねと。にしても、グロいしヒドいし、とても好きになれない。でも演技や美術、カメラなどすべてが一級品ということはわかる。日本じゃつくれないつくらない映画だなと思う。

 


頭を空っぽにして観てみると、
シロさん 2018年4月11日 スマートフォンから投稿 鑑賞方法:DVD/BD  
たまたま動画サイトで入ってきた広告動画。再生して何やら(色々な意味で)話題になったようで、気になってレンタルしてみました。

私は当初何が問題があったのか知りたくて、先に調べて前知識を入れました。
何故最低スコアのFを叩き出したのか。何故日本では公開が中止されたのか。

どうやら宗教絡みや道徳的・人道的に問題がありそう。と言う事だけ理解して再生ボタンを押しました。

正直、話の9割は全然意味が分かりませんでした。色々と唐突に目まぐるしくストーリーが進み、奥さんも状況が飲み込めずポカーン状態ですが、画面を通して観ている鑑賞者も恐らく殆んどの人が同じようにポカーンだと思います。

ですが、この作品はそれが正解なんだな。と言うのが、1番最後に判ります。
そして、だから冒頭の始まりがアレだったんだな。と納得しました。

この作品は何処に焦点を当てるかでまるで観る世界が変わるんだろうなと思いました。

この作品は、出てくる作品の全てが「理(ことわり)」であり「世界」であり「はじまり」であり「おわり」でもある。

難しい解釈をすると、確かにもっといろんな見方があるんだろうと思います。

ですがまずは、頭を空にして、作品をただ傍観して観ると、最初に抱いていた印象と、途中感じた疑問とは気にならなくなり、もっと大きなテーマに沿ってこの作品は出来上がっているんだなと思いました。

様々な問題を提起し、観る人によって感じ方を変えてしまう。
そう言うテーマを掲げていると同時に、それだけ色々な感じ方をする人が存在するという証明になった作品だなと感じました。

何度も見返すと、新たな発見がありそうな作品でした。

 


賛否両論!?

 

アメリカで賛否両論になり日本では未公開の作品。まず監督のダーレンの作品は毎回難解な作品が多い。今回の話も神の創造の話?
最初はごく一般の夫婦の話から後半は一転して場面がかわる。なんだこれって思ってしまった。
ジェニファーの演技は確かに素晴らしいけどやっぱ内容は肯定できない。

 


ラストシーンでなるほど

難解でした。

歴代胸糞悪い作品1位


招かれざる客たち

わからん

解説を読んでもよくわからない結局、彼女は家の何だったのか疑問だらけで消化不良でした。

「家」と「母」と「神」とアロノフスキー

ネタバレ解説を呼んでやっと理解できた?って感じ。 それがなかったら...
ポケさん 2018年4月1日 PCから投稿 鑑賞方法:DVD/BD
ネタバレ解説を呼んでやっと理解できた?って感じ。
それがなかったら全くわからん。
ネタバレ呼んでも全然すっきりしなかったけどね。
イラつき度が高く、スッキリもしないので2.5

 


マザー!の恐怖を体感せよ

前情報なしで見たら結局何を伝えたかったのかわからなかったので他の方のレビュー等の考察を拝見しました

非常に感情を揺さぶられる作品でやはりブラックスワンを作った監督が描いた物語だなあと

公開直前で中止になったのは非常に残念なくらい主人公の恐怖が効果的に演出されており、サラウンドヘッドフォンで鑑賞していたのですが細かい音までも演出されていたことも是非これから鑑賞される方は注目して欲しく思います


何が伝えたかったのかとかはよく分からなかった
もやしさん 2018年3月27日 iPhoneアプリから投稿
けれど、sfなのか、大人のおとぎ話なのか、観終わった後になんか面白く感じた。ストーリーを理解したと思ったら想定外なことが起きるし、見てて飽きることは無かった
さらに、人間性はかなりリアルでそこら辺は個人的地はとても良かったと思う。
ただ、なにかは伝わってこなかった、何も伝えようとしてないのかもしれないけど……

あとひとつ、色々なところでレビューを見ました。そこには必ずと言っていいほど、予備知識をつけろだとか、予備知識なしに見た方がいいとか言ってました。
捉え方の問題なのかも知れませんが、この作品に予備知識なんか何も無いと思います。何が言いたかったんでしょうか?


怖かったとかそういう内容ではない。
ひたすら胸糞悪い。
公開中止も納得。
人間の愚かさ、醜さ、欲。
宗教的描写。
ずっとイライラする映画。
え、なんで?なんで?と。
常識的にさぁ...と思うところしかない。
登場する人間
というか人間が嫌いになるレベル。
みんな殺してしまえばいいのにと思いながら見ていた。
最後まで見て、ようやく話の始まりを理解する映画。
それまで終始苛立ちしかない。
最後まで見てもこの苛立ち、見た事の後悔は消えない。
むしろ、オススメコーナーに置いていたレンタル店舗にすら腹が立つレベル。
イライラ作品大好きな人にはオススメ。

 


頭の中を覗き見た。

はっきり言って、見終わってもマザー=ホームくらいしか分からなくて、なんじゃこりゃ?と思った。
ラストまで観れたのは、やはり随所に仕掛けられた視覚的ギミックや妙な行動で、何とか謎を解くぞ!と目を離せなかった。
堂々とした夫。奇妙な来客。戸惑う妻。次から次へやってくる客と怒涛の展開。
何か変だけど、変に説得力がある。
何か何処かで観た事があるような…だけど答えが見つからない。
そんな感じで見終わり、
解説を見て全ての辻褄が合いました。

全てがメタファーであり、皆が知ってる事だったんですね。
ダーレン・アロノフスキーの頭の中どないなってんねん。頭の中を覗き見た感覚でした。
凄いわ…


宇宙の例え

衝撃の問題作として日本では公開中止になってしまったいわくつきの映画。

監督は『ブラックスワン』と同じダーレンアロノフスキーなのですが、どうも自分にはブラックスワンが合わなくて、どうだこれ!と見せられてる感が厭だったんです。

そして本作、マザー!はヒューマントラストシネマ有楽町にて行われた特別試写会にて鑑賞。

問題作とは聞いていたもののそれを遥かに上回るヤバさ。テーマくらいは知らないと平常心では見てられない。

実際、主演のジェニファーローレンスもそう述べている。

圧倒的な不条理をまるで地球が回るというかのように淡々と描いている。

主人公は名のない女性。彼女には作家の夫がおり、家事で焼けてしまった家を修復に取り掛かっている。この作品の最大の特徴は常にカメラは主人公の女性(ジェニファーローレンス)を追っており、他の人だけのカットは映さない。

そして細かいところは省くがどんどん夫が他人を招き入れ、彼らは家をめちゃめちゃにしていく。随所にあるシュールさが余計にキツイ。

ーーこの先は核心を突かないネタバレーー

主人公は本作における家のメタファーであり、それは世界で例えるなら地球。では地球を生かして、支えている寛大な心を持つのはだれか。

それはマザーの夫、作家である。彼が作家として何を書いているのかは不明だが、多分世界の変遷の物語だろう。

さまざまな星が破壊され、また復活する。

そのループを彼は本に描き、現実のものとなっている。あえて聖書には触れないが、家に入ってくる人々は人間、そして家を破壊していく彼らはまるで地球がさまざまな形(資源不足や温暖化)で警告してるのにも関わらず聞かずに環境破壊を続ける我々ではないか!

見ている側としてはかなりイライラする展開だが、それはマザー主観であるから。それを考えると恐ろしい。

しかし、個人的にこの作品は現代の世界を皮肉るのではなく、ありのままの現状を伝えたかっただけなのではないかとも思う。

好きな人は好きだろうなぁ

黙示録の後始末

 

強烈
アメリカで鑑賞。
久々のガツンとくる映画でした。
聖書の創世記をベースとした話なので軽くWikiで勉強してから観た方がいいかもしれません。
ブラックスワンでもあったような観ている人の感情も錯乱、不安、恐怖に貶めるような作品でした。
万人に受ける映画でないことは確かですがみて損はしない良質な映画です。一時も緊張を解かず2時間超集中して観て欲しいです。


めっちゃ楽しみ!たくさんの映画館で上映して下さい(*^_^*)

劇場公開が見送られたのも納得?ミニマルなのに壮大な寓話

人里離れた一軒家に暮らす作家とその妻。そこに訪ねてくる1人の男。不審に思う妻を尻目に夫は彼を受け入れ家に泊める。翌日には男の妻、その翌日には彼らの息子達と見知らぬ客が次々に訪れるが平然と受け入れる夫。

そして平穏な生活を踏みにじられた妻はその家に隠された秘密を知ってしまうが、なおも客が増える一方で・・・。

不穏なオープニングからジワジワと漂ってくる妖気の中で困惑し取り乱す妻を見つめ続けるドラマに身を任せていると次から次へと訳のわからないカオスがスクリーンの中でのたうち回り、呆気に取られているうちに訪れる結末。何を観せられたのかしばらく理解出来ませんでしたが、物語が一軒の家の中だけで展開するミニマルな物語なのに壮大なテーマに裏打ちされた極めてキリスト教的な寓話だと気づきました。

賛否両論どころか観客に毛嫌いされるタイプの難解な映画だと思いますが、徹頭徹尾不快な感じが個人的には心地良かったです。

 

 

 

 

 

 

 


外国人も同じ人間 ウィシュマさん一周忌 真相を求め法要やデモ

2022年07月03日 09時19分52秒 | 新聞を読もう

名古屋出入国在留管理局(名古屋市)で亡くなったスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)の一周忌となる6日、ウィシュマさんを追悼する法要やデモが各地であり、改めて真相究明を求めた。

 ウィシュマさんの遺骨が安置された愛知県愛西市の明通寺では法要があり、妹で三女のポールニマさん(27)や関係者ら約50人が参列。ポールニマさんは、ウィシュマさんの死亡が確認された午後3時25分に鎮魂の鐘をついた。シンハラ語と日本語で読経が行われる中、目を閉じて合掌し一心に祈り、遺影に花をささげ、冥福を祈った。

 遺族代理人の指宿昭一弁護士が「姉がまだそこにいるようだ。死亡から1年たったが、まだ真相は明らかになっていない。入管は責任を逃れている。再発を防止してほしい」との、妹で次女のワユミさん(29)のメッセージを代読。遺影を前に、遺族が国に損害賠償を求めて4日に名古屋地裁に提訴したことを報告した。「この裁判は、真相を究明し責任の所在を明らかにすることが目的だ。


【動画】「外国人も人間として扱って」 警察に不当聴取受けた南アジア人親子 慰謝料求め東京都提訴

2022年07月03日 09時17分00秒 | 新聞を読もう

2021年9月23日 06時00分

 南アジア出身の40代の女性と長女(3)が警視庁の警察署で不当な任意聴取を受けた上、個人情報を漏らされたと訴えている問題で親子が22日、「身体的精神的苦痛を負わされた。警察の対応は人種差別撤廃条約に違反し、差別を黙認、加担すれば差別は助長される」として、東京都に慰謝料440万円を求めて東京地裁に提訴した。
【関連記事】見知らぬ男性に公園で詰め寄られ、警察は3歳長女を1人だけで聴取…南アジア出身の母親「あまりにひどい」
警察による不当聴取について話す南アジア出身の女性(中)=22日、東京・霞が関の司法記者クラブで

この女性は「私たちは外国人だが人間。全ての外国人が人間として取り扱われるべきだ。3歳の娘は、不安感や抑うつ状態、過呼吸で苦しみ制服姿や大柄の男性を怖がるようになった。警察はこの事件を機に外国人との向き合い方を変えてほしい」と訴えた。
 訴状や弁護団によると、女性が6月1日、都内の公園で長女を遊ばせていた際、面識のない男性から「俺の息子を蹴った」と怒鳴られ、長女が突き飛ばされた。女性と長女は警察署で約3時間の聴取を受けた。
 女性と長女は蹴っていないと主張したが、警察官に蹴ったと認めるよう迫られ、さらに警察側は、女性が許可していないのに、男性に女性の名前、住所、電話番号を教えていた。(望月衣塑子)


「姉のため前へ」 ウィシュマさん入管死 妹2人、意見陳述の思い

2022年07月03日 09時12分17秒 | 新聞を読もう

和田浩明  毎日新聞 2022/6/19 17:00

ウィシュマさんの遺影を持って名古屋地裁前を歩く妹のポールニマさん(前列中央)とワユミさん(その左側)、弁護団ら=名古屋市内で2022年6月8日午後2時2分、和田浩明撮影

ウィシュマさんの遺影を持って名古屋地裁前を歩く妹のポールニマさん(前列中央)とワユミさん(その左側)、弁護団ら=名古屋市内で2022年6月8日午後2時2分、和田浩明撮影
 「心の中の圧迫感が、少し軽くなったように思います」。

ワユミさん(29)は、取材にそう打ち明けた。姉のスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)は昨年3月、名古屋出入国在留管理局で収容中に死去。ワユミさんら遺族が国に損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が今月8日に開かれ、意見陳述を行った後に取材した際の発言だ。

裁判官に「姉の死の真相や責任を明らかにしてほしい」などと直接訴え、「私ができることをやれた」と感じたという。記者が傍聴した第1回口頭弁論の詳しい内容とともに、ワユミさんや、妹のポールニマさん(27)らの思いを伝える。【和田浩明】

白い服に「願い」かけ出廷
 ウィシュマさんの妹で次女のワユミさんと、三女のポールニマさんは8日、名古屋市内の名古屋地裁第2号法廷で、佐野信裁判長ら3人の裁判官や、被告である国側の代理人と顔を合わせた。

 2人とスリランカで待つ母のスリヤラタさん(54)の3人は、名古屋入管がウィシュマさんが収容に耐えられない健康状態なのに違法な収容を続け、適切な医療を受けさせる義務を怠って死亡させたと訴え、慰謝料など約1億5600万円を国に求めている。「慣れない外国で、裁判自体も初めて。どうしたらよいか分かりませんが、姉に正義をもたらしたい一心です」。ワユミさんたちは意見陳述の前、取材にそう語っていた。

 姉の死で大きな心理的打撃を受け、今なお詳細な死因は不明で、収容中の様子を映した監視カメラ映像の全面開示も実現していないことの苦悩を理解してほしい――。そんな思いで法廷に臨んだ。

入管庁、「死因は特定できず」
 ウィシュマさんは2017年6月に来日。在留資格を失った後、20年8月に名古屋入管に収容されたが、21年1月中旬ごろから体のしびれなど体調悪化が深刻化。点滴や入院、健康上の理由で一時的に収容を解く「仮放免」などを求めたが認められず、3月6日に緊急搬送先の名古屋市内の病院で死亡が確認された。出入国在留管理庁は8月に公表した調査報告書で、名古屋入管での医療体制や情報共有などが不十分だったと認めた。ただ、ウィシュマさんの死因を病死と認められるとしながら、特定できなかったとした。

白い服に「願い」かけ法廷へ
 意見陳述の当日、ワユミさんとポールニマさんは白い服を選んだ。「スリランカでは“願いがかなう色”と言われます。正しい判決が出ることを願いました」(ワユミさん)

 裁判は、8日午後2時半過ぎに開廷した。国側は、原告側の請求棄却を求め、全面的に争う姿勢を示した。具体的な主張を含む準備書面について、次回7月20日の口頭弁論の前に提出すると答えたが、原告側が裁判での提出を求める監視カメラ映像や司法解剖結果などについては、明確な回答を避けた。

母に代わって育ててくれた姉
 午後2時38分、遺族の意見陳述が始まった。ワユミさんは証言台を前にうつむき加減に立ち、小さな声で話し始めた。証言台に置いた原稿の内容をしっかりと確認するように、指先でゆっくりとなぞりながら意見を述べていった。スリランカ人の男性通訳が内容を日本語で読み上げていく。

 昨年3月の姉の死を信じられない思いで聞いたこと。同年5月に来日して対面した遺体はやつれきって別人のようだったこと。「私たちは、その遺体を姉と認めたくありませんでした。姉がどれほど苦しんだかと思うと、遺体をまっすぐ見ることもできませんでした」

 記者は昨年5月、名古屋市内での妹2人と遺体の対面を、許可を得たうえで取材した。2人ともその場で泣き崩れた。ワユミさんの嘆きは深く、同行していた夫の手にすがり、ぐったりと座り込んだ。

 法廷で当時の記憶がよみがえったのか、ワユミさんの声はところどころ感情の高ぶりで震えているように聞こえた。早くに父を亡くして外で働く母に代わって、ウィシュマさんが妹の自分たちを育ててくれたこと、日本に留学したいと言う姉に当初は反対した母が「日本なら安全」と送り出したことを話した。ウィシュマさんの死後、法務省で収容中の監視映像の一部を見て衝撃を受け、昨年9月に一時帰国したと語った。

「姉の映像見てほしい」
 そのうえで「裁判官と全ての日本市民は少しでも早く、姉のビデオ(監視カメラ映像)を見てください。日本という国で、人間がどのように扱われて死んでしまったのか、見てほしいのです」と訴えた。日本政府には責任を認めて謝罪し、入管制度を変えるよう求めた。「こんな悲しい思いをするのは、ウィシュマと私たち家族で最後に…

 


働き続ける長寿国 年金では暮らせない

2022年07月01日 11時29分20秒 | 新聞を読もう

毎日新聞 2022/6/30 

年金収入では立ちゆかず、清掃の仕事をしている高齢女性。カレンダーに毎日の食費などを記入している=東京都新宿区で2022年6月3日、宮本明登撮影(画像の一部を加工しています)


年金収入では立ちゆかず、清掃の仕事をしている高齢女性。

カレンダーに毎日の食費などを記入している=東京都新宿区で2022年6月3日、宮本明登撮影(画像の一部を加工しています)
 老いてなお、働かざるを得ない。高齢化率が3割に迫る日本で、そんな人たちの姿が浮き彫りになってきた。

総務省の統計によると、2020年の日本の高齢者(65歳以上)人口は約3612万人。このうち就業者数は906万人と過去最高に達した。4人に1人が働く現状を「高齢者にも職があり、働く環境が整っている」と評価する声もある一方、「いつまで働けば……」と先の見えない老後に苦しむ人もいる。

東京新宿で6畳1Kのアパートに単身で暮らす女性(74)。

国からもらう年金は月額4万5000円で、7万3000円の家賃にも満たない。

時給1200円のビル清掃のアルバイトに週5日入り、そこで得られる10万円弱の収入が生活を支えている。

 

 

 


2022年の世界幸福度ランキング

2022年06月30日 09時57分21秒 | 新聞を読もう

2022年の最新ランキングはどのような結果になっているのだろうか。「World Happiness Report 2022」からすべての国の順位と、前年順位を見てみよう。(※2)
順位 国名 前年順位
1位 フィンランド 1位
2位 デンマーク 2位
3位 アイスランド 4位
4位 スイス 3位
5位 オランダ 5位
6位 ルクセンブルク※ 8位
7位 スウェーデン 7位
8位 ノルウェー 6位
9位 イスラエル 12位
10位 ニュージーランド 9位
11位 オーストリア 10位
12位 オーストラリア 11位
13位 アイルランド 15位
14位 ドイツ 13位
15位 カナダ 14位
16位 米国 19位
17位 イギリス 17位
18位 チェコ 18位
19位 ベルギー 20位
20位 フランス 21位
21位 バーレーン 22位
22位 スロベニア 29位
23位 コスタリカ 16位
24位 アラブ首長国連邦 25位
25位 サウジアラビア 26位
26位 台湾 24位
27位 シンガポール 32位
28位 ルーマニア 46位
29位 スペイン 27位
30位 ウルグアイ 31位
31位 イタリア 28位
32位 コソボ 33位
33位 マルタ 23位
34位 リトアニア 38位
35位 スロバキア 34位
36位 エストニア 40位
37位 パナマ 41位
38位 ブラジル 35位
39位 グアテマラ※ 30位
40位 カザフスタン 45位
41位 キプロス 39位
42位 ラトビア 51位
43位 セルビア 48位
44位 チリ 43位
45位 ニカラグア 55位
46位 メキシコ 36位
47位 クロアチア 60位
48位 ポーランド 44位
49位 エルサルバドル 49位
50位 クウェート※ 47位
51位 ハンガリー 53位
52位 モーリシャス 50位
53位 ウズベキスタン 42位
54位 日本 56位
55位 ホンジュラス 59位
56位 ポルトガル 58位
57位 アルゼンチン 57位
58位 ギリシャ 68位
59位 大韓民国 62位
60位 フィリピン 61位
61位 タイ 54位
62位 モルドバ 65位
63位 ジャマイカ 37位
64位 キルギス 67位
65位 ベラルーシ※ 75位
66位 コロンビア 52位
67位 ボスニアヘルツェゴビナ 64位
68位 モンゴル 70位
69位 ドミニカ共和国 73位
70位 マレーシア 81位
71位 ボリビア 69位
72位 中国 84位
73位 パラグアイ 71位
74位 ペルー 63位
75位 モンテネグロ 72位
76位 エクアドル 66位
77位 ベトナム 79位
78位 トルクメニスタン※ 97位
80位 ロシア 76位
81位 香港 77位
82位 アルメニア 86位
83位 タジキスタン 78位
84位 ネパール 87位
85位 ブルガリア 88位
86位 リビア※ 80位
87位 インドネシア 82位
88位 コートジボワール 85位
89位 北マケドニア 94位
90位 アルバニア 93位
91位 南アフリカ 103位
92位 アゼルバイジャン※ 90位
93位 ガンビア※ 98位
94位 バングラデシュ 101位
95位 ラオス 100位
96位 アルジェリア 109位
97位 リベリア※ 120位
98位 ウクライナ 110位
99位 コンゴ 83位
100位 モロッコ 106位
101位 モザンビーク 115位
102位 カメルーン 91位
103位 セネガル 92位
104位 ニジェール※ 96位
105位 ジョージア 108位
106位 ガボン 112位
107位 イラク 111位
108位 ベネズエラ 107位
109位 ギニア 102位
110位 イラン 118位
111位 ガーナ 95位
112位 トルコ 104位
113位 ブルキナファソ 113位
114位 カンボジア 114位
115位 ベナン 99位
116位 コモロ※ 131位
117位 ウガンダ 119位
118位 ナイジェリア 116位
119位 ケニア 121位
120位 チュニジア 122位
121位 パキスタン 105位
122位 パレスチナ※ 125位
123位 マリ 117位
124位 ナミビア 124位
125位 エスワティニ王国※ 130位
126位 ミャンマー 126位
127位 スリランカ 129位
128位 マダガスカル※ 135位
129位 エジプト 132位
130位 チャド※ 128位
131位 エチオピア 133位
132位 イエメン※ 141位
133位 モーリタニア※ 134位
134位 ヨルダン 127位
135位 トーゴ 136位
136位 インド 139位
137位 ザンビア 137位
138位 マラウイ 144位
139位 タンザニア 142位
140位 シエラレオネ 138位
141位 レソト※ 145位
142位 ボツワナ※ 146位
143位 ルワンダ※ 147位
144位 ジンバブエ 148位
145位 レバノン 123位
146位 アフガニスタン 149位

※ 2020年もしくは2021年の調査結果がない国で、2019年結果の平均値よりランキングを決定

ランキングデータからわかる特徴
2022年も上位を占める北欧諸国

2022年版ランキングにおいても、絶対的な強さを示したのが北欧諸国である。ランキング1位に輝いたフィンランドは、5年連続での首位獲得となった。北欧諸国は、どこもさほど大きな国ではない。昨今の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大にもかかわらず、幸福度を維持している点に注目すべきだろう。

北欧諸国の強みは、充実した社会保障制度や犯罪率の低さ、生活水準の高さなどが挙げられる。今回の調査によって、パンデミックにも負けない社会基盤の強さを示したと言えるだろう。

紛争や貧困の影響が色濃い下位国

一方でランキング下位国の顔ぶれも、前回のランキングとさほど変わっていない。経済的に貧しい国々や、過去の紛争の影響が色濃く残る地域、また現在も紛争がおさまっていない国においては、世界幸福度調査に関連する指標を上げることは難しいだろう。

一方で、タンザニアやジンバブエのように、毎年少しずつランクを上げている国もある。政情不安のない安定した状況の継続こそが、指標アップの鍵と言えそうだ。

 

2022年データにウクライナ侵攻は反映されず

2022年3月に発表された「World Happiness Report 2022」において、ロシアによるウクライナ侵攻の影響は考慮されていない。侵攻が始まったのは2022年2月のことであり、来年以降、多大な影響を及ぼすと考えられる。

ちなみに、2022年版ランキングでウクライナの順位は98位、ロシアの順位は80位である。軍事侵攻によってウクライナが受けた被害は甚大なものだ。また侵攻に伴い、ロシア国内でもさまざまな変化が生じている。来年以降、非常に大きなランキング変動が起こる可能性もあるだろう。

日本の順位と現状

2022年の世界幸福度ランキングにおいて、日本の順位は54位であった。2020年の62位、2021年の56位と比較すると、少しずつではあるがランキングが上がってきていることがわかる。とはいえ、そのほかの先進国と比較すると、まだまだその順位は低いというのが現状だ。

日本のGDPは高く、また社会保障制度も充実している。世界的に見ても治安は良く、暮らしやすい環境が整っていると言えるだろう。実際に、「1人当たり国内総生産(GDP)」「社会保障制度などの社会的支援の充実」「健康寿命」「人生の選択における自由度」の数値だけを見ると、ランキング上位国と、さほど大きな差がないのだ。

 

【2021年】最新世界GDP(国内総生産)ランキング 2050年の予測も紹介
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それにもかかわらず順位が伸びない理由は、「他者への寛容さ」と「国への信頼度」が低い点にある。また、国民それぞれが抱く「主観的幸福度」についても、1位のフィンランドの「2.518」に対して、日本は「1.487」。幸福感を抱きにくい社会の仕組みも、問題の一つと言えるだろう。ちなみに、日本よりもランキングが高い国々の中で、主観的幸福度が日本よりも低い国は、シンガポールとエストニアのわずか2つである。

2021年版ランキングでの日本の主観的幸福度の数値は「2.048」であった。新型コロナウイルスの影響の長期化によって、多くの国で数値が減少しており、もちろん日本も例外ではない。今後、新たな社会の中で、どのように幸福を実感できるようにしていくのかが、鍵となるだろう。

世界と日本のいまを考えるきっかけに

国連機関が毎年発表している、世界幸福度ランキング。毎年日本の順位が大々的に報じられることもあり、「つい気になってしまう」という方も多いのではないだろうか。

ランキングからは、各国が抱えている「いま」が透けて見えてくる。日本の順位が伸び悩む理由も、「課題」として前向きに捉えてみよう。ランキング上位国の顔ぶれは、今年も大きく変わっていない。幸福度とは何か、ランキング上位国から学んでみるのも良さそうだ。

 

 


映画 ローズマリーの赤ちゃん

2022年06月28日 11時15分47秒 | 新聞を読もう

ローズマリーの赤ちゃん

6月28日、午前3時からCSテレビのザ・シネマで観た。

解説

ポーランド出身の鬼才ロマン・ポランスキーがアイラ・レビンの同名小説を映画化したオカルトホラーの先駆的作品。

売れない俳優ガイと妻ローズマリーは、マンハッタンの古いアパートに引っ越してくる。

そのアパートは以前から不吉な噂がささやかれていたが、若い2人は気に留めることもない。

ある日、隣人の老夫婦の養女が不可解な飛び降り自殺を遂げる。

その後、隣人夫婦はローズマリーに、養女が生前に身に着けていたペンダントを贈る。

やがて奇妙な悪夢とともに妊娠したローズマリーは、次第に情緒不安定に陥っていく。

本作が映画初主演のミア・ファローが主人公ローズマリーを熱演し、一躍脚光を浴びた。夫役にジョン・カサベテス。

1968年製作/136分/アメリカ
原題:Rosemary's Baby
配給:マーメイドフィルム
日本初公開:1969年1月11日

ローズマリーの赤ちゃん

ローズマリー・ウッドハウスと売れない役者の夫ガイは、ニューヨークのアパートに引っ越してくる。隣人のローマン・カスタベットとミニーの夫妻は、少々お節介なほど世話好きな人達だ。

カスタベット夫妻にはテレサ・ジオノフリオというアフリカ系アメリカ人女性の養女がいたが、若くして自殺していた。

ガイはカスタベット夫妻と親密になり、ミニーはテレサの形見のペンダントをローズマリーにプレゼントする。

その後ガイとローズマリーの夫婦は計画を立てて子供を作ろうとするが、その当夜ローズマリーは気分が悪くなって失神し、悪魔に犯されるという、夢とも幻覚ともつかない体験をする。

実はカスタベット夫妻も、彼らが勝手に変えたかかりつけの産婦人科医も、それどころか夫すら役欲しさに悪魔に魂を売り渡した悪魔崇拝者だった。

自殺したとされるテレサはローズマリーの前任の悪魔の子を宿す候補者であり真相を知ってしまったため、自殺であるかどうかすら怪しく、ローズマリーを心配して再訪を約束した唯一の味方である初老の童話作家エドワード・ハッチも謀殺されてしまう。

悪魔崇拝者に囲まれたローズマリーの運命は?

Rosemary's Baby
Cassavettes Farrow.jpg

 

エピソード[編集]

  • ロマン・ポランスキーは、当初はスポーツ映画を撮りたいと考えていたが、ロバート・エヴァンスからスキー競技について描かれた『白銀のレーサー』と本作の原作が送られ、結果として後者の方に興味を抱き、脚本のみならず監督まで熱望した。
  • 舞台となるアパートの外観は、ジョン・レノンオノ・ヨーコ夫婦が住んでいたことで有名なダコタ・ハウスである(室内はセット撮影)。
  • プロデューサーのウィリアム・キャッスルは、悪魔崇拝者とされる謎の人物から「苦痛を伴う病気を発症するだろう」という手紙を受け取った後で腎不全を起こし、回復するまでに映画の成功で得た勢いは失われた。
  • 映画公開から半年後の1968年12月、ポランスキーと同郷で音楽を担当したクシシュトフ・コメダは、同じくポーランド出身の脚本家だったマレク・フラスコらとの屋外パーティの最中、ふざけたフラスコに突き飛ばされて崖から転落し、脳血腫を起こして昏睡状態となった。
  • また担ぎ込まれた先の病院はキャッスルが入院した病院であった。
  • コメダは翌1969年4月23日に37歳という若さで死亡。結果的にコメダを死に追いやったフラスコは、ポランスキーに呼ばれる前に住んでいたドイツに戻り、コメダの死のわずか2か月後に35歳で謎の死を遂げた。
  • 映画公開から約1年後の1969年8月9日、ロマン・ポランスキー監督宅がチャールズ・マンソンのカルト教団に襲われ、監督の妻だった女優のシャロン・テート、ヘア・スタイリストのジェイ・セブリング、監督の親友ヴォイテック・フライコウスキー、その恋人で有名コーヒーブランド「フォルジャーズ」の社長令嬢アビゲイル・フォルジャーが惨殺される「テート・ラビアンカ殺人事件」が起きた。
  • 亡くなったシャロン・テートも劇中のローズマリー同様、当時妊娠8か月の妊婦だった。
 
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  • ミア・ファロー

    ローズマリーミア・ファロー

  • ジョン・カサベテス

    ガイジョン・カサベテス

  • ルース・ゴードン

    ルース・ゴードン

  • シドニー・ブラックマー

    シドニー・ブラックマー

アイラ・レヴィン原作によるベストセラー小説を映画化した、ホラー映画の最高傑作。ニューヨークに住み、愛し合う若い夫婦が子供を授かった。
初めて出産するだれもが経験するように、妻ローズマリー(ミア・ファロー)も不安の真っ只中に
。そんなとき、意欲はあるが売れない役者の夫(ジョン・カサヴェテス)は名声と引き換えに悪魔と契約をしてしまう。ロマン・ポランスキー監督は出演スターそれぞれから、見事に魅力を引き出している。
そして、おせっかいな隣人役を演じたルース・ゴードンは、この映画でアカデミー賞助演女優賞に輝いた。
 
 
 

 旧ソ連時代、カザフスタンでは450回を超える核実験が行われ150万人が影響を受けた

2022年06月24日 14時42分28秒 | 新聞を読もう

カザフスタンのセミパラチンスク核実験場では、旧ソ連時代の1949年以降、約40年間に450回以上の核実験が行われました。

周辺住民には正確な情報が伝えられないまま、放射能汚染が繰り返され、150万人以上もの人が被曝したといわれています。

100回以上は空中や地上で行われ、放射性物質(ほうしゃせいぶっしつ)が広範囲にばらまかれました。 熱や地面の揺れを感じ、ほこりや雨を浴びたと答えた人もいます。

核実験の時、家の外に出るように指示されたとの証言(もあり、被害者の中には、人体実験だったと考えている人もいるそうです。

住民は、核実験の放射線がどれほど危険か知らされていませんでした。 放射線による悪性腫瘍の発生は白血病、甲状腺、食道、胃、肝臓、腸、 肺、乳房に観察されている。その他、染色体異常や奇形など放射線によるとさ れる異常が観察されている。


岡田彰布氏 阪神・大山の状態が少し気がかり 自分から崩れにいくような打撃

2022年06月24日 10時22分29秒 | 新聞を読もう

配信

「広島3-3阪神」(23日、マツダスタジアム)  阪神は引き分けたが、序盤の好機で得点を奪えていれば、勝てた試合だっただろう。特に6月は絶好調だった大山の状態が少し気がかりだ。

 2点を先制後の初回1死三塁は広島の内野が前進していたが、カウント1-1から3球目の内角高めの直球に詰まって浅い右飛に倒れた。三回1死満塁では空振り三振。特に気になったのは、同点の七回2死一、二塁だ。  2ボールから森の高めのチェンジアップを引っかけて三ゴロに倒れた。

この場面は1球見送ってストライクを取られても打者の方が有利なのだが、見送ればボール球のようにも見えた球を追いかけるように打った。

 大山は「狙い球を絞る」というより、「バッティングカウントなら打ちにいく」と決めているのかもしれないが、七回は決して無理して打ちにいく場面ではない。余裕があれば、ああいう打撃にはならなかっただろう。  

大山は構えた時にバットのヘッドが投手方向に入っているため、追いかけるような打撃になるとバットの軌道が波を打って、高いバウンドのゴロになるケースが多く、今日はそういう打撃に見えた。

 いい時は無心で自分のポイントで打てていたが、今日のように自分から「打ってやろう」と崩れにいくような打撃をしては状態が狂ってしまう。  

これまでの大山の打撃を振り返ると、調子の波が大きいことが気になっている。一球、一打席でバッティングは崩れるもの。調子がいい時ほど、謙虚な気持ちを忘れずに打席に立ってもらいたい。

 
 

インスタグラムから排除される

2022年06月23日 09時14分31秒 | 新聞を読もう

インスタグラムアカウントが凍結されたら?解除の方法と原因

Instagramアカウントを運用する上で気をつけなければいけないのは「炎上」だけでありません。

ある日突然アカウントが凍結されることもあるのです。
Instagramは企業や個人の情報発信ならば何をしても良いというわけではなく、Instagramのポリシーに則した投稿や運用を行わなければアカウントが停止や削除されることもあります。
継続的な集客や販促を行うためにはInstagramのポリシーをしっかりと理解しておく必要があります。

せっかく獲得したフォロワーを逃してしまうことにもつながりかねないので、注意しておきましょう。

もちろん、こうしたリスクはInstagramに限らず、twitterやFacebookなどほかのSNSも同様です。
Instagramはtwitterよりも凍結リスクが低いSNSとされてきました。しかし、facebookによる個人情報不正利用に関するポリシーが厳しくなったことから、凍結リスクが向上。これから先も同じようにアカウント凍結や削除のリスクが低いままではなくなりました。

時間をかけて大切に育ててきたアカウントであっても、誤ると一瞬で削除あるいは凍結されてしまいます。今回はInstagramアカウントの凍結対策について考えていきましょう。

「異議申し立て」の部分にリンクが設定してあり、リンク先に飛ぶとユーザー名などを記入するフォームが表示されます。フォームをきちんと埋めて「送信」を押すと、メールが届きます。

自動返信メールにはアカウント凍結解除方法が記載されており、解除には3つの手順が求められます。

  • メールに記載されているコード、名前、ユーザーネームを紙に書く
  • 自分の顔を含め、紙を持っている写真を撮る(アメリカの囚人写真のイメージ)
  • 画像を添付して返信する

なかでもハードルが高いのは自分の顔写真を含んだ写真を撮影するという点でしょうか。しかし、最近ではアカウントが本人か確認するため、こうした作業が求められています。
注意点としてはスパムではないのか事前に確認する点です。スパムメールに返信すると自分の個人情報が悪用される可能性があります。
Instagram凍結後に自分で処理したことを確認した後、写真を送るようにしましょう。

その後は1週間~1ヶ月後に確認が取れ次第、凍結解除されるようです。