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コメ価格の高騰をどう見る

2025年05月17日 11時00分44秒 | 社会・文化・政治・経済

コメの価格が決まる仕組み 実は複雑?特殊なメカニズムに迫る

コメの価格が下がりません。

備蓄米が放出されているにもかかわらず、スーパーで販売されたコメの価格は上昇を続けています。なぜこんなことになっているのか。いろいろな要因を聞いたけど、どうもふに落ちないという方も多いと思います。

複数の要因がからみあっているのですが、背景の1つにはコメの価格が決まる仕組みが複雑なことも指摘されています。コメをめぐる制度や歴史をひもとき、価格の硬直性を少し深掘りしてみます。
(国際部デスク 豊永博隆)

15週連続の値上がり!

政府の備蓄米は過去2回の入札で21万トンが落札され、3月下旬から流通が始まっています。

それでもコメの価格は下がりません。
全国のスーパーで販売されたコメの平均価格は4月13日までの1週間で5キロあたり4217円(税込み)で、15週連続で値上がりしています。

農林水産省によりますと1回目の入札で落札された14万トンあまりのうち、3月30日までにJAグループなどの集荷業者が倉庫から引き取った量は4071トン。
卸売業者から小売業者や外食業者など、消費の現場に届いた量はあわせて461トン。

全体の0.3%にとどまりました。

これについて農林水産省は、「通常のコメに加えて、備蓄米も流通することになるため、トラックの手配や精米の作業の調整などにはどうしても一定の時間がかかる」としています。

過去2回の入札はJAが9割落札

また、これまで地域によっては備蓄米が行き渡らないなどの不満の声もあがっていました。
1回目と2回目の入札ではいずれもJA全農が9割以上を落札していたことが明らかになりました。

農林水産省が備蓄米が転売されて価格がつり上がることを防ごうと条件を厳しくしていたため、卸売業者から取り引き実績のない中小の卸売業者や小売業者にコメが行き渡りにくいという現状がありました。

このため、4月23日から始まった備蓄米の3回目の入札では農林水産省は卸売業者どうしの備蓄米の売買を認めることにしています。

「流通の目詰まり」が少しでも解消し、備蓄米がこれまで届いていなかった地域にも届けば消費者の安心感につながり、いくらか価格低下に寄与する可能性があります。

さまざまな理由 どうもふに落ちない?

それにしてもなぜコメの価格がこうも下がらないのか。

これまでさまざまな要因が指摘されてきました。
コメを投機的に売り渋りしているとか、転売目的の「転売ヤー」のせいだといった指摘、さらにはインバウンド需要が増加してお米をたくさん食べたからなどの説明もありました。

農林水産省が2024年産のコメの生産量について過大に算定していて、想定よりも収穫できていないおそれがあるとの指摘も出ています。

不安心理から消費者が少しずつ買いだめすることで足せばかなりの需要が発生し、結果としてコメの生産量が追いつかない事態になっているのではないかとの分析もあります。

「なるほどそういうことなのか」と思う理由もあれば「本当にそうなの?」という理由もあり、モヤモヤ感が残る消費者も多いと思います。

コメの価格が決まる仕組み

コメの価格が下がらない背景の1つとしてコメの価格が決まる仕組みが複雑なことも実は指摘されています。

ふだん口にするコメですが、価格がどう決まるのか、そのメカニズムを知る機会はあまりないかもしれません。

レタスの場合は…

それを理解する前に一般的な野菜を例に価格の決定メカニズムを説明します。

例えばレタスでみると、価格は基本的に中央卸売市場で決まります。
人気があるもの=需要があるもの、あるいは供給が少ないものは価格が上がり、需要が少ないもの、あるいは供給が多いものは価格が下がります。

これが市場の原理です。

市場は透明性があり、売る側と買う側がそれぞれ公平に「売りたい」「買いたい」と価格を入れて値段が決まっていきます。

そして市場での価格情報が生産者である農家にダイレクトに伝わります。

高く売れる商品は何か、安くなってしまう商品は何かを作り手は市場での価格を通じて理解するわけです。

特殊な決定メカニズム

ところがコメには特殊な価格決定メカニズムがあります。
1.スーパーなどで小売業者が消費者に示す価格
2.集荷業者と卸売業者とのあいだで決める価格(相対取引)
3.JAが農家に提示する概算金

1のスーパーなど小売業者が消費者に示す価格はほかの農産物や製品と変わりません。

ところが2と3はコメの特殊な価格決定メカニズムです。

2の集荷業者が卸売業者とのあいだで決めるコメの価格というのは相対取引といって、売り手と買い手が直接交渉して決まる価格です。

直接交渉なので市場でオープンに取引されているわけではありません。

農林水産省がJAグループなどの報告をまとめて取引月の翌月に発表しています。

後にならないと価格が分かりません。

JAが農家に一時的に支払う概算金

 
JAが農家に一時的に支払う概算金
さらに概算金という制度の存在があります。

これはコメの刈り取り前7月ごろから9月ごろにJAがコメ農家に対して提示し、支払う金額のことです。

一時金なので仮渡金と呼ばれた時期もあります。

その年の生産見通しや販売見込みなどをもとにJAが「ことしのコメの価格はこれぐらいになりそうですよ」と提示し、一時金として支払います。

コメは多くの産地で1年1作であり、年間を通じて販売するため、販売価格が異なります。

協同組合で公平性を重視するJAとしては、農家のあいだでばらつきが出るのは好ましくないため、すべてを販売したあとに精算して分配する仕組みになっているわけです。

この概算金は集荷業者が卸売業者に示す価格にも少なからず影響するので、JAグループがコメの価格決定に大きな影響力を持っていることが分かると思います。

コメの価格が決まるメカニズムは硬直的です。

そして需給をすぐに反映しない、いったん価格が上がると下がりにくいということは指摘できると思います。

コメの価格はかつて国が決めていた

コメは日本人にとって欠かせない主食だったことから戦後、コメの価格は国が決めていました。

「食糧管理法」、食管法とも呼ばれる法律のもと、政府が米価審議会に諮問し、その答申に基づいて決めるという仕組みでした。
コメの価格はかつて国が決めていた
米価審議会(1995年6月)
この法律は1995年に廃止され、コメについては民間流通が基本となりました。

民間流通とはいえ、上述したとおり、オープンな「市場」がなかったため、コメの価格決定メカニズムは改革が遅れました。

コメの先物取引もいったんは廃止

厳密にいうと小さな「市場」は過去存在し、今、また設立され始めてはいます。

1つはコメの先物取引です。
2011年から大阪にある「大阪堂島商品取引所」がコメの先物取引を試験的にスタートしました。

試験的ではない本格的な取り引きへの移行を国に申請しましたが、2021年7月、農林水産省は認可せず、その後、取引は2023年に廃止されました。

私はこの認可をめぐる攻防が激しかったころ、大阪放送局のデスクと、経済部に移り、農林水産省を担当するデスクをしていたので、当時の動きをよく覚えていますが、農業界に「コメの先物は投機的なマネーゲームだ」と批判する人がいたこと、農林水産省は内々、先物の本格的な取り引きへの移行を認める方向で動き出したものの、自民党への調整や説得がうまくできず、頓挫した経緯があります。

農林水産省は名称を変更した「堂島取引所」に2024年、コメの先物取引を認可し、8月からコメの先物取引が始まっています。

また、もう1つ、需要と供給に基づいてオープンな形で価格を決める、コメの現物市場である「みらい米市場」が2023年に開設されました。

ただ、どちらも取引の量はまだ少なく、コメの価格形成をリードするには至っていないのが現状です。

今、必要なことは?

 
今、必要なことは?
酷暑の影響によるコメの品質低下と、2024年夏の南海トラフ地震臨時情報の発表で買いだめの動きから始まったコメの価格上昇。

さまざまな要因が重なって今も価格が上がり続けていますが、視野を広げて歴史を振り返ると、コメの複雑な制度が存在することに気付かされます。

必要な制度や仕組みに理解は示しつつも、消費者のニーズを的確にとらえ、価格に反映させる安定した市場とその仕組みづくりが必要であることを今、再認識させられました。
国際部デスク
豊永博隆
1995年入局
経済部 アメリカ総局(ニューヨーク) おはBizキャスター
大阪局デスクを経て現職
国際経済分野を担当

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南三陸町にモアイ像

2025年05月17日 10時52分47秒 | 社会・文化・政治・経済

モアイ像が南三陸町にやってきた!

2013年5月25日、イースター島(チリ共和国)から南三陸町に世界初となる本物のモアイ像が贈られました。

南三陸町に贈られたモアイ像には黒曜石とサンゴで作られた目が入っておりますが、目の入ったモアイ像は世界に2体しかない非常に貴重なものです。

モアイ像と南三陸町はどんな関係性?

この問いの答えは1960年に遡ります。

以下、南三陸町の情報誌より引用


きっかけは、1960年5月24日未明に、遠い遠い海の向こうから押し寄せて来たチリ地震津波
旧志津川町内だけで、41名が犠牲となり、312戸の家屋が流失、倒壊 653戸、半壊 364戸、浸水 566戸の壊滅的な被害を受けた。

この津波の記憶を未来に伝えようと、30年後の1990年に国鳥コンドルの碑がチリから贈られ、1991年には南三陸町がふるさと創生事業の一環としてチリ人彫刻家に依頼して創ったイースター島のモアイが、志津川地区の松原公園に設置された。

東日本大震災で公園は被災したが、流出したモアイ像の頭部は発見され、志津川高校の敷地内に移設された。

 

日智経済委員会チリ国内委員会が、南三陸町に新たなモアイ像を贈ろうと、イースター島の長老会に協力を求めた。
93 歳の老彫刻家マヌエル・トゥキ氏は、皆に呼びかけた。

「海に破壊された日本の町に、人々が再びそこで生きていきたいと思えるようなマナ(霊力)を与えるモアイを、贈れないのか? 私は息子とともに、日本の人たちが必要としているモアイを彫る!」長老会は大きな拍手で包まれた。

イースター島の石を使い彫られたモアイ像が、島外に出たことはない。
しかし、かつて倒れてバラバラになっていたモアイ像を、日本人がもとの姿に建て直す支援をしたことがあったことから、イースター島初のプロジェクトが始まった。

こうして息子のベネディクト・トゥキ氏は、石材を切り出して、親戚の彫刻家たちとともにモアイを制作。南三陸町を訪れたトゥキ氏は、設置されたモアイに白珊瑚と黒曜石で作られた眼を入れた。

眼が入ったモアイは、世界に2体しかない。

南三陸町を訪れ、津波の惨禍を目の当たりにしたトゥキ氏の目に涙があふれた。
「眼を入れるとマナ (霊力)がモアイに宿る。南三陸の悲しみを取り払い復興を見守る存在になることを願っている」と彼は語った。

 

チリも南三陸町も、豊かな海から糧を得、その恩恵に感謝している。そして、長い歴史の中で、いとも簡単に人間の命や暮らしを奪う海の恐ろしさを熟知している。

地震を感じなくても、津波は地球の反対側から襲ってくることがある。双方の地は長い時間の中で大自然の災禍を体験し、人間がどう自然と共生すべきかを学んできた。

そして、どんな困難にぶつかったとしても、勇気を持って立ち向かう心意気を勝ちとってきた。

「モアイ」は、イースター島のラパヌイ語で「未来に生きる」という意味。

門外不出の大切なものを贈ってくれたチリ共和国とイースター島の人たち、そして高さ3メートル重さ2トンの巨大な像を、はるかな島から運び設置するために力を尽くしてくれた企業や多くの人たちの気持ちが、南三陸のモアイには込められている。

未来に生きる南三陸町の人々を、遠い未来まで勇気づけ、見守り続けることだろう。

 

 

南三陸町のモアイスポット

南三陸町には、イースター島から世界で初めて贈呈された本物のモアイ像を始め、モアイスポットがあります。南三陸町に足を運んだ際には、モアイスポットを制覇してみては!?

▶2025最新!南三陸町モアイスポットのまとめ記事はこちら

うみべの広場に立つ本物のモアイ像

イースター島から南三陸町に贈呈された本物のモアイ像と震災前からのモアイ像2体が、2023年7月「うみべの広場」に移設され、志津川湾を背に展示されております。

【所在地】
〒986-0743 宮城県本吉郡南三陸町志津川字南町68

館下橋の欄干に立つ2体のモアイ像

南三陸町の入谷地区(西部)にある館下橋の欄干に、2体のモアイ像が展示されております。

【所在地】
南三陸町入谷地区、国道398号線途中(入谷サン直売所付近)

志津川湾に浮かぶモアイ岩

 

 

 

 

 


 

 

 

 


分断を超える「文学」の力

2025年05月16日 10時53分41秒 | 社会・文化・政治・経済

ボストン大学 アニータ・パターソン教授

身近な<一人>こそ偉大な存在である―アメリカ・ルネサンスを代表するエマソンやソローの叫びは、仏法の思想にも通じている。

当時、エマソンを中心に「超絶主義」という新しい哲学・文学運動が起こり、彼らは人間生命に偉大な力が内在するという理念に着目していた。

悲嘆の中で、文学は人生にいかなる影響を与えるのか。アメリカ・ルネサンスの思想に、普遍的な自我の肯定があり、人間の精神を再生させる英知の源があり、人生の意味を教えてくれた。

それは、仏教の思想にも通じる。

他者に紛動されず、自己に忠実に主体的生きることだ。

それが、仏教の「大我」の生き方である。

エマソンは、社会の風潮に流されない人が偉大であると訴え、「汝自身を信頼せよ」という自己信頼を教えた。

一方、は、仏教の「大我」の生き方を通して、一人の人間が偉大な人格を備え、自己自身を仏法の指導者主体的に生きられることに言及した。

文学は人生の意味を見いだし、人間として再生する力を与えてくれた。

仏法の指導者は、大乗仏教の視点から、分断と対立の原因が思想や精神性の乱れにあると指摘した。

そうした状況を乗り越えるためには、人間自身の「内なる変革」が重要であり、生命の内奥に広がる<宇宙的大我>にいざなう翼こそ「文学の力」であると述べて。

さらに、それぞれの国が誇る文学に学び、感動を分かち合う内なる変革と平和を育む「心の対話」に連動すると強調した。

文学との触れ合いは、民族や文化、宗教などの違いを超えた<開かれた対話>であると表現した。

文学は、私たちを隔てる、さまざまな違いを乗り越えるのを助けてくれる。

文学と対話は、苦難の時こそ、価値を発揮する。

それは、人生の意味をもう一度生み出し、他者とのより良い関係を築き、自身の存在を高めてくれる。

そして、人生と社会に希望を感じることができれば、世界は私たちにとって、意味あるものとして輝き始める。

そうすれば、どんなに困難な状況に陥ったとしても、自分と他者のために貢献したいと思える一人一人に成長していけるはずだ。

今。世界には「希望」が欠けている。

人々は、民主主義への信頼を失っているように見える。

今日の世界では、独善的な「怒り」と「党派性」によって、異なる人同士が対話することが難しくなってます。

怒り、そして対話の欠如が、現代社会の至る所で深刻な影響を与えている。

「希望」とは決意である。

人間にとって最も重要な決意である。

希望はすべてを変革する。

希望こそ、理想を実現するための行動力の源泉である。

「夢」を失わないかぎり「希望」は生き続ける。

平和といっても、決して日常を離れたところにあるものではない。

一人ひとり現実の「生活」の中に、また「生命」と「人生」に、どう平和の種を植え、育てていくか。

ここに、永続的な平和への堅実な前進がある。


三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実

2025年05月15日 07時53分26秒 | 社会・文化・政治・経済

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

5月15日午前6~CSテレビのチャンネルNECOで観た。

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

CAST
  • 本人三島由紀夫
  • 本人芥正彦
  • 本人木村修
  • 本人橋爪大三郎
  • 本人篠原裕
  • 本人宮澤章友
  • 本人原昭弘
  • 本人椎根和
  • 本人清水寛
  • 本人小川邦雄
  • 本人平野啓一郎
  • 本人内田樹
  • 本人小熊英二
  • 本人瀬戸内寂聴
  • 本人東出昌大
ジャンル
  • ドキュメンタリー

©2020映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

美と共同体と東大闘争 (角川文庫) 文庫 – 2000/7/21

 
 

三島 由紀夫

(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威。

1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。

主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。

 

闘い

当時の闘うもの達の記録。DVDそのままの言霊の飛び交いが、スリリング。

 

記録として出すなら表現も当時のまま出すべき。

文庫化にあたっての編集部からの追記に「今日の人権擁護の見地に照らして不適切と思われる箇所は、著作権継承者の了解を得て、"(中略)"とした」旨が明記されているが、ドキュメンタリーとしては越権行為だと強く思った。
星5でなく4の理由はそれのみ。

内容についての感想は、「これは、討論でない以前に“v.s.”ですらない」。
冒頭p16での三島由紀夫の言葉にもあるように、「お互いに相手を理解しないことを前提としながら」言葉をぶつけ合った過程に過ぎないと感じた。

そこいらの映画やドラマを軽く凌駕しているっ!

「三島由紀夫VS東大全共闘」は、昭和44年の三島と学生の討論
会。右翼対左翼、ラジカル対リベラル、アバンゲール対アプレゲー
ルである。
その内容には多くの論評がある。田原総一朗は「反米と自立で一致
していた」と説く。(3月22日、朝日新聞)
討論で天皇についての意見は交わされたが、アメリカという言葉は
出てこない。それでも反米や反被植民思想からの自律という点に両
者が向いている事が読みとれる。
確実に言える事は50年経って日本人は退化したという事。ネット
やスマホの発達で「言葉」はあらゆる世界で飛び交っているが、果
たしてそれらは有効か。
百戦錬磨の三島由紀夫に二十代の若者が挑んだ。樺美智子の本気度
は、その日東大900番教室に居た団塊の世代に伝播していた。
三島も嗜む剣道には合議という制度がある。双方の疑わしき点を相
談して確認する。勝負ではあるが、制度の上で合議しようという意
志があった。三島は「熱情」と言った。
シナリオのないドラマは、そこいらの映画やドラマを軽く凌駕して
いた。

学生たちの名前が

学生たちの名前がアルファベットで表記されているのはなぜ?
映像作品をみていれば大体はわかるのだが。
内容は東大生が自分の今の心持ちをしっかりと受け止めてくれる大人に分かってほしかったんだと思う。
内容が相当脱線してもしっかり受け止めている三島由紀夫は素晴らしい!

 

東大全共闘の貴重な記録


断片的に上がっている物を見たに過ぎず、全体像を把握したく、読んでみることにしました。

確かに、一瞥しただけでは東大生が主張することはへりくつではありますが、しかし、彼らの主張やその考え方をひねり出した過程はまさしく”サイエンス”そのものであったと感じます。

自分はなぜ東大全共闘が三島をわざわざ呼びつけたのか、最初は不思議でたまりませんでした。
しかし読み進めて行くにつれて、彼らは自分たちの対局にいる三島のサイエンスと、自分たちが持っているサイエンスを戦わせて、三島を下すことで自分たちの主張が正しかったことを証明したかったのだと、この本を読んで理解することが出来ました。

学生からは、今の日本人がなくした何かを含んだ、熱い言葉が飛び出します。
その主張の理解が出来ないのは、自分に文化系の教養がない故だと理解していますが、お互いの主張をあのようなレベルでぶつけ合えた当時の学生には、ただ感心するばかりです。

日本人はディスカッションが苦手だと言われて久しいですが、彼らに関してはそれは嘘だと、感じることが出来ます。

彼らのしたことのすべては肯定しないけれども、少なくとも何も考えず単位取得マシーンと化した大学生よりかは、ずいぶんとまっとうな生き方をした物だと感じています。そして向こう見ずかもしれないけれども、自分たちの力で現状を変えようとする意思を行動に変えた。その行動は過激で、今ではテロリストと揶揄されるが、日本が変わるはずだと信じて立ち上がったその行動力は、何があっても認めたいと思います。

今は学生から思考力・行動力を奪う教育が横行しています。
この本を読めば、大学生が本当に身につけなければならない力とは何か、そしてなぜ当時の日本がアメリカのGDPの75%に迫るまでに躍進できたのか、理解することが出来ます。

極右、極左の違いこそあれ、全共闘と三島は同じ方向を見ていたのだと分かります。
彼らの行動があのような荒削りの力任せではなかったのなら、きっとただの事件で終わることなく、この国の大学制度や考え方を変えることが出来たのだろうと思います。

彼らの起こしたことをただの馬鹿騒ぎで終わらせるのはもったいない。そう考えさせられる本でした。

 

三島由紀夫 美と共同体と東大闘争


三島が全共闘と対峙しようとしたことに、彼の真摯さを感じる

読後の第一感想は、東大全共闘の頭デッカチで難しいことばかり言うことに辟易したことだ。

三島は、真摯に向き合いながらも内心は彼らを見下していたように思う。

自分は50代で、一応大学出で、今まで500冊くらいは読んできたと思うが、

東大全共闘の主張はさっぱりわからないし、なので心にも響かなかった。

時間とか空間とか、異常にこだわるし。

青二才の戯言にしか聞こえない。読む前は期待していたのだが。

賢い人は、難しい事を分かりやすく言い、愚かな人は、簡単なことを難しく言う、言葉を思い出した。

テレビのインタビューとかで、農作業のおばあさんが『わしゃ難しい事はいっちょんわからん』

と言ったりするのを目にすることがあるが、そちらの方が余程賢くて健全だと思えた。

三島の遺言的な言葉は『若きサムライ達へ』の方がより直接的だと思う。

 

三島とは何者だったのか

 この討論会の1年数か月後のある日の午後の地下鉄東西線の乗客を思い出す。ほとんどの乗客がその日の夕刊を手にしていたからだ。2・3人の紙面を覗いてみるとそこには三島の首がポロリと床に落ちていた。大学に行ってみると法大全共闘の学生が「三島由紀夫糾弾集会」を開いていた。1970年11月25日のことだった。
 さて、1969年5月13日、東大全共闘との討論会では「諸君の熱情は信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じる」と告げ、壇を後にした。

この時は、翌年の11月25日の事件を予感もできなかった。


 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


夜のパン屋

2025年05月14日 08時41分03秒 | 社会・文化・政治・経済
 

夜にだけあらわれる、小さなクリーム色のワゴン。さまざまなパン屋さんで売れ残りそうなパンを集め、販売している「夜のパン屋さん」です。フードロスを減らしながら、雇用機会をも創出するための取り組みとして、料理家の枝元なほみさんがスタートしました。そんな枝元さんは、認定NPO法人ビッグイシュー基金共同代表を務めるなど、「食」や「働き方」の社会課題に大きな関心を寄せているといいます。

「AIがどれだけ進歩したってかぼちゃひとつつくれないでしょ?」と微笑む枝元さんにとって、食べることの根幹とは何なのでしょうか? 夜のパン屋さんに込めた想いや、今後目指していきたい社会のかたち、そしてその先にある「気持ちの豊かさ」について伺います。

 

「施し」ではなく「仕事」を提供する、対等な仕組み

画像: 「施し」ではなく「仕事」を提供する、対等な仕組み
――まずは、枝元さんが社会問題への取り組みに携わりはじめたきっかけを伺いたいです。

枝元:ホームレス状態にあったり、生活に困窮している方たちの社会復帰を支援するため、雑誌の発行・路上販売をしている「ビッグイシュー」という団体の活動がきっかけでした。駅前などで「ビッグイシュー」という雑誌を掲げている人を、見たことありませんか? 20年ほど前、日本でのビッグイシューの取り組みが始まったころにたまたま新聞でその紹介を読み、活動に共感して、料理の連載記事を担当させてもらうようになったんです。以降ずっと、団体のさまざまな取り組みに関わっています。
※The BigIssue Japan…市民が市民自身で仕事、「働く場」をつくる試み。生活困窮者の救済(チャリティ)ではなく、仕事を提供し自立を応援する事業。原型は1991年にロンドンで生まれた。

――枝元さんも、ビッグイシューが主に携わる「貧困」や「雇用」の問題について思うところがあったということですか。

枝元:そうですね。雇用にまつわる課題意識は、自分の日常でも感じることがあったんです。

たとえば、テレビのお仕事でギャラがとても安かったとき。「料理を仕事として認めていただけていない気がします」と正直に伝えたら「“交通費”という名目ならギャラが増やせる」と言われたんです。それじゃ結局、“料理の仕事”の価値は低いままですよね。公共施設での料理教室の講師を担当したときもギャラは安くって、だけど「せっかく頼んでくれたのだから一肌脱ごう」と思って伺ったら、会場がやけに立派で……ガラス張りのエレベーターや大きな噴水のあるロビーを見て憤りを感じました。

対して私は、たくさんの食材を買い込み、自分でタクシーで運び、すっかり赤字でした。労働に対して使われないお金の存在に、やるせなくなりました。日本社会は、人がどんな思いで仕事をしているか、そこにどんな価値があるかをきちんと理解していないんじゃないかしら、と感じていたんです。

そうした中で、私にとってはビッグイシューの取り組みはとてもすっきりしていて、わかりやすいものでした。困っている人に施しをするのではなく、仕事をつくって、賃金を得る機会を提供する。雑誌価格の450円を、半分は販売した方に、半分は雑誌制作費に回すというのも明快です。そのとてもわかりやすくてフラットな関係を応援したいし、自分も輪の中に入りたいと思いました。
※2025年3月現在、500円となっています。

 

雇用創出とフードロスに向き合う「夜のパン屋さん」

画像: ▲取材当時使用されていたワゴン。2025年3月現在は別の車で活動されています。

▲取材当時使用されていたワゴン。2025年3月現在は別の車で活動されています。

――2009年に立ち上げられた認定NPO法人ビッグイシュー基金では、理事に就任し、その後共同代表に。2020年には、フードトラックでパンを販売する「夜のパン屋さん」のプロジェクトを始められましたね。これはどのような取り組みですか?

枝元:さまざまなパン屋さんから、営業時間内に売りきれなさそうなパンをお預かりし、ほぼ値段を下げることなく販売するお店。同時にピックアップや販売などの雇用を生みだしています。
パンの売値はパン屋さんご自身に決めていただき、その半値から60%の価格でおろしていただいており、その差額でギャラを生み出すというサイクルです。ロスになるかもしれないパンを救出する気軽な窓口にもなっています。

立ち上げのきっかけは、ビッグイシュー基金で「衣食住」にまつわる新たなプロジェクトを考えていたとき、ある篤志家さんから「循環する使い方をしてください」と寄付を託されたこと。
北海道・帯広で6店舗を展開するパン屋の「満寿屋」さんが、各店舗で売れ残った商品を本店に集め、夜に販売しているというお話もヒントになりました。東京ならたくさんのパン屋さんがあるし、さまざまなお店でロスになるかもしれないパンを集めて、いい仕組みがつくれるかもしれないと思いたんです。

――まさに「食」にまつわる、循環するプロジェクトですね。

枝元:たとえばね、パンを焼くのは簡単じゃないし向き不向きもあります。職人さんをイチから育てるっていうのは大変なことです。けれど、集めて売る仕組みなら、私たちみんなで挑戦できるんじゃないかなって思いました。

オープンは2020年10月16日。世界食糧デーであり、本来なら東京オリンピックが終わってみんなが少し気落ちしているであろうタイミングを狙っていました。

画像: 雇用創出とフードロスに向き合う「夜のパン屋さん」
――思い描いた仕組みを実現するには、多くのパン屋さんの協力も必要ですよね。そのあたりの相談や準備は、スムーズでしたか?

枝元:もうね、本当に大変でした! 売れ残ったパンを買い取らせてくださるお店が、なかなか見つからなかったんです。企画書と名刺と自分の著書を持って、毎日いろんなパン屋さんを回ったけれど、企画を説明しても店主さんからは「考えとくわ」って言われて、そのまま撃沈。
私ね、営業マンが仕事の終わったあとに「ビールでも飲まなきゃやってらんねぇよ!」っていう気持ちがそのときとってもよくわかりました!

そんな撃沈続きだったから、最初に承諾してもらえたときには涙が流れました。そうやって地道に提携先を増やしてきて、いまは約20店舗が協力してくださっています。夜のパン屋さん自体も田町駅前からはじまって、飯田橋、神楽坂と3店舗に増えました。
※2025年3月現在、田町、神楽坂、大手町、三軒茶屋の4店舗で営業。飯田橋はクローズしています。

――店舗が増えれば、雇用も自然と増えていく。いい流れですね。

枝元:でも、必要なのは1店舗につき販売が3人、ピックアップが数人程度……ビッグイシューの販売みたいに、まだ多くの人に働いてもらうことはできません。提携しているパン屋さんに売れ残りが出なかった日は、ピックアップに行くはずだった人の仕事がなくなります。コロナが落ち着いてお客様が戻ってきたのか、近ごろはとくにそういう日が増えました。最近は原材料費の高騰によって廃業なさるお店もあったりして……運営を安定させるのは難しいなと感じています。

 

“夜パン”は非効率なお店。でもきっと、これからの本流になる

画像1: “夜パン”は非効率なお店。でもきっと、これからの本流になる
――ただ、料理家の枝元さんが、フードロスと絡めながら雇用創出に取り組むということには大きな意義があるように思えます。ご自身ではどのように考えていましたか?

枝元:料理の仕事を数十年続けてきた私ですが、もう「早い・安い・うまい・見た目がいい」みたいなことばっかり追求する時代じゃないよなぁって。未来を生きる子どもたちにちゃんとした「食」と「食の仕組み」を手渡せるように行動しなくちゃと思うようになったんです。

――「食の全般に関わること」とは、とても大きなテーマです。

枝元:私は、食べることに対してラディカル(根源的)でいたかったんです。食べることの原点って、毎日見栄えのする料理をつくることじゃなくて、人を飢えさせないっていうこと。誰もが飢えずに食べられる仕組みづくりのひとつとして、夜のパン屋さんを思いつきました。

さまざまな格差がこれだけ広がっているなかで、そこに目を向けないまま、社会がこれまでのように右肩上がりの成長を続けていくのはもう難しいでしょって思います。急坂のような発展を続けるために、斜面をギリギリで登っていく人とずり落ちてしまう人に分かれるんじゃなくて、社会をフラットな輪っか状にすればいい。みんながぐるぐる循環するような仕組みに移行していくべき時期が来ている、と思うんです。

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――夜のパン屋さんは、まさにその仕組みを体現していますね。売上を最大化するためにぎりぎりまで各店にパンを残し、売れなかったときに捨ててしまうのではなく、残ったパンを循環させることで、雇用やお金も回していく……。

枝元:そうなんです! いちパン屋さんとしては超弱小もいいところなんだけど、これから本流になっていく仕組みだと鼻息荒く思っています。だって、1袋500円のパンを各250~300円で10袋買い取って、全部売り切っても5000円。売上の2500円をスタッフで分けたら、何も残りません。全然儲からない(苦笑)。でもこれだけ多くのメディアに取材をしていただけるのは、みんな心のどこかで“利益だけを追求するんじゃない、こんな仕組みがいまの世の中に必要だ”って思っているからかもしれませんよね。

ただ、いまのままではビジネスとして成立しないし、私も生活のためにもお給料をいただきたいから(笑)、やり方は改良していかなくちゃいけませんね。

だけど「いま良しとされている“効率的”な価値観」からずり落ちている感じが、最高で最強だなとも思うんです。効率が悪いからこそ、得られるものがあるんですよね。

「私たち、めんどくさいことやっているでしょー! でもねー、それが最強なのよー!」って胸を張ってるみたいな。

――立ち上げから2年が経ち、いま、どのような手ごたえを感じていらっしゃいますか?
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枝元:じわじわとお客様の認知が上がっていて、取り組みを説明しなくても「テレビで見たわよ」「知ってるよ」と、やさしいお声をかけていただけるようになりました。パン屋さんのいいところは、お互いに頭であれこれ難しく考えなくても「おいしそうね」「おいしいんですよ」という会話で、やわらかくつながっていけるところ。これは、食べ物が真ん中にあるからこその“温かさ”だと思います。

夜のパン屋さんでレスキューしたパンは、この2年間で6万個を超えました。数字で聞くと、案外大きな成果を出せているなとうれしくなります。だけど、それだけじゃない。関わる人たちがみんなお店を自分事ととらえ、いきいきと働いてくれるようにもなっていて……そういう言葉にならない価値にも明かりをともしていけることこそ、夜のパン屋さんの意義です。だから数字にとらわれすぎず、自分たちや周りのやさしい変化に目を向けていきたいと思っています。

 

「シェア」や「利他」の精神で、できることを一歩ずつ

画像1: 「シェア」や「利他」の精神で、できることを一歩ずつ
――2022年末には、築150年の古民家にて「夜パンカフェ ※」もオープンされました。どうしてカフェ業態にチャレンジされたのでしょうか?

※夜パンカフェ…隔月第二土曜日開催し、カフェの他に、夜のパン屋さんやマルシェなども出店。“次に来る誰かの” 食事代などを先払いできる「お福わけ券」というしくみを用意するなど、金銭的に余裕がない人でも利用しやすいように工夫されているカフェ(2025年4月修正)

枝元:きっかけは、夜のパン屋さんにシングルマザーのスタッフがいたことです。彼女は3人の子どもがいるから、夜働くのは難しい。そして、私たちがときどきポップアップカフェを開催している古民家は、彼女にとって通いやすい位置にある……だったら昼間、そこでお店をやったらいいんじゃないかと考えました。

夜のパン屋さんでは初期投資をかけないためにフードトラックを選んだけれど、カフェは私たちの取り組みに賛同してくださる企業がサポートしてくださって、実現にこぎつけたんです。

――パン屋さんには、食べ物を扱うからこその温かさがありました。カフェには、それに加えてどんな良さがありますか?

枝元:カフェは、誰でもゆったりとした時間を過ごしてもらえる空間です。パン屋さんでは買ってくださる方の接客が中心になってしまうけれど、カフェの縁側なら、どなたにでも座っていただける。ひらかれた空間だから、私自身も訪れるたびに「ここならずっといられる」「ずっといていい場所だ」と感じます。とっても素敵な場所なんですよ。

空間づくりへの想いは、「ビッグイシュー」で関わったイベント「大人食堂」などが原体験になっています。日払いの仕事がなくなって困っている方に食事を提供するのですが、あるとき厨房が本当に忙しく、お渡しするおにぎりを握る暇もないことがありました。でも、炊飯器をあけたら、もわんと立ちのぼった湯気の向こうにうれしそうなみんなの顔が見えて。おにぎりをつくるのが大変だったら、そうやって炊き立てのごはんをわかちあうだけでいいんですよね。食事をいっしょに楽しんだり、おしゃべりをしたり、ちょっとずつしかないおいしいものを分け合ったり、それでいい。そういう「シェア」や「利他」の精神が、夜パンカフェにもあるんです。

――次に来る誰かの食事代を先払いしておく「お福わけ券」といった制度もあるんですよね。まさに、シェアや利他の精神です。
画像2: 「シェア」や「利他」の精神で、できることを一歩ずつ

枝元:路上生活者支援に取り組む、つくろい東京ファンドさんが、「カフェ潮の路」でされていた仕組みに教わりました。お金や余裕があるかないかって時の運だから、なきゃないで仕方ない。だから、夜パンカフェはお金がなくても平気でいられる場にしたいと思っているのですが、やっぱり引け目を感じてしまう方が多いので、お福わけ券が活躍してくれます。凛とした佇まいで「お金はありません。この券でお願いします」と言ってきてくれるお客様を見たとき、まさに夜パンカフェではこういうことがやりたかったんだと、うれしくなりました。

――最後に、これからやりたいことや目標を聞かせてください。

枝元:私はビッグイシュー基金の共同代表ですが、与えられている役割は「考えすぎずに好き勝手言う係」だと思っています。だから、夜のパン屋さんをはじめるときにも「これはビジネスとして成り立つのか」「どう実現すればいいか」の具体的な部分はあまり考えていなかったし、だいたい見切り発車なんですね。でもこのままで、これからも困っている人の助けになるさまざまなことに取り組んでいきたい。活動をはじめてから何年も経つのに雇用や貧困、フードロスといった社会の課題は本当に解決に向かっているとはいいがたいけれど……それでも、ちょっとずつは変わっていると感じられるから、ネガティブにならないように。しぶとくいこうと思っています。

 
画像: 「夜のパン屋さん」の原点にある想い。考案者の枝元なほみさんが提唱する、循環する社会をつくる「第一歩」
枝元なほみ

横浜市生まれ。劇団の役者兼料理主任、無国籍レストランのシェフなどを経て、料理研究家としてテレビや雑誌などで活躍を続ける。一方で、農業支援活動団体である「チームむかご」を立ち上げたり、NPO法人「ビッグイシュー基金」の共同代表を務め、雑誌「ビッグイシュー日本版」では連載も。2020年に「夜のパン屋さん」をスタートする。著書は、『捨てない未来 キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』(朝日新聞出版)など多数。

取材・執筆:菅原 さくら
編集:山口 真央
写真:梶 礼哉


引きこもり146万人

2025年05月14日 08時23分57秒 | 社会・文化・政治・経済

「ひきこもり」推計146万人 主な理由“コロナ流行”内閣府調査

外出をほとんどしない状態が長期間続くいわゆる「ひきこもり」の人は、15歳から64歳までの年齢層の2%余りにあたる推計146万人に上ることが、内閣府が去年11月に行ったアンケート調査でわかりました。ひきこもりになった主な理由の1つとして、およそ5人に1人が「新型コロナウイルスの流行」をあげ、コロナ禍での社会環境の変化が背景にあることをうかがわせる結果となりました。

内閣府は、いわゆる「ひきこもり」の実態を把握するため、去年11月、全国の10歳から69歳の合わせて3万人を対象にアンケート調査を行い、1万3769人から回答を得ました。

このうち「生産年齢人口」にあたる15歳から64歳までの年齢層では、広い意味で「ひきこもり」と定義している「趣味の用事のときだけ外出する」や「自室からほとんど出ない」などの状態が6か月以上続いている人は、2%余りで、推計でおよそ146万人に上るとしています。

年齢層別に見ますと、15歳から39歳の子ども・若者層では、7年前に公表された調査の1.57%から2.05%に、40歳から64歳の中高年層では、4年前に公表された調査の1.45%から2.02%に増えていました。

また、ひきこもりになった主な理由の1つとして、およそ5人に1人が「新型コロナウイルスの流行」をあげ、コロナ禍での社会環境の変化が背景にあることがをうかがわせる結果となりました。

40歳から64歳まで 女性が半数を上回る

これまで内閣府では、子ども・若者層と、中高年層で別々に調査を行ってきましたが、今回は対象の年齢や人数を大幅に拡大して同時に調べる調査となり、さまざまな「ひきこもり」の実態が浮き彫りになっています。

このうち性別では、4年前に公表された40歳から64歳までの調査では男性が4分の3以上を占めていましたが、今回の調査では、同じ40歳から64歳まででは、女性が52.3%と半数を上回り、15歳から39歳でも45.1%となっていました。

これまで主に男性の問題と受けとめられることも多かった「ひきこもり」が、女性に広く存在していることを示す結果となっています。

また、安心できる「今の居場所」を尋ねる質問では、15歳から39歳の「ひきこもり」の人は、そうでない人に比べて、家庭や学校、それに職場などのリアルな場を居場所と思う割合が低く、その一方でSNSなどのインターネット空間を居場所と捉える割合が高くなっていました。

このほか、「どのような人や場所なら相談したいと思うか」を尋ねた質問では、「誰にも相談したくない」と答えた「ひきこもり」の人は、15歳から39歳で22.9%、40歳から64歳で23.3%に上りました。

その上で、その理由を尋ねたところ、「相談しても解決できないと思うから」と答える人がいずれの年齢層でも半数を超えて最も多く、相談や支援のあり方に課題があることをうかがわせる結果となっています。

池上理事「自分事と受け止めて」

内閣府が4年ぶりに行った「ひきこもり」の実態調査について、「ひきこもり」の人の家族などで作る「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の池上正樹理事は、「50人に1人がひきこもり状態と推計されたが、実態はもっと多いと思っている。コロナ禍の影響が初めてデータで示されたが、もともと生きづらさを感じていた人たちが、より一層、精神的に不安定になったと考えられるほか、弱い立場にいる人が雇用を切られるなどして諦めてしまったことなどが考えられる」と述べました。

また、男性だけでなく、女性にも「ひきこもり」の問題が広がっていることについて「日本の伝統的な価値観の中で、女性は夢や希望を追い求めようとしても、家事や育児などで男性よりも高いハードルを課せられて、諦めてきた人が多くいる。そうした人たちが自分の状況を認識し、存在が顕在化してきたのではないか」という認識を示しました。

さらに「相談しても解決できない」と考える「ひきこもり」の人が半数を超えていることについて、「解決型の支援や個人を社会に適用させる支援のあり方に限界があると感じている。一人ひとりに寄り添って信頼関係を作り、悩み事を聞くなかで、社会につながるきっかけを作る支援が求められている。自宅以外に安心して声を上げられる場をネット空間などにいかに作っていくかが大事になっている」と述べたうえで、「ひきこもりは遠い世界の問題ではなく、自分や家族もなるかもしれない自分事と受け止めてほしい」と訴えました。

宗教の役割・意義

2025年05月13日 14時38分07秒 | 社会・文化・政治・経済

〈インタビュー〉 現代社会における宗教の役割2022年12月2日

  • 東京工業大学教授 弓山達也さん

 あらためて宗教の存在意義が問われる昨今の状況と、今後の展望について、弓山達也氏に話を聞いた。(「第三文明」12月号から)
 

1963年、奈良市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。大正大学大学院文学研究科宗教学専攻博士課程満期退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、大正大学人間学部教授を経て、2015年から現職。専門は宗教社会学。現代世界の宗教性・霊性について研究する傍らで、財団法人やNPOの活動を通じ、学生と市民をつなぐネットワークを模索している。著書に『天啓のゆくえ』(日本地域社会研究所)、共著に『平成論「生きづらさ」の30年を考える』など多数。
1963年、奈良市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。大正大学大学院文学研究科宗教学専攻博士課程満期退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、大正大学人間学部教授を経て、2015年から現職。専門は宗教社会学。現代世界の宗教性・霊性について研究する傍らで、財団法人やNPOの活動を通じ、学生と市民をつなぐネットワークを模索している。著書に『天啓のゆくえ』(日本地域社会研究所)、共著に『平成論「生きづらさ」の30年を考える』など多数。
現れてくる宗教的なもの

 旧統一教会の問題については、かつてのオウム真理教の問題との類似性が指摘されています。宗教団体の反社会性という点では同じですが、少なくともアカデミズム(学術界)の受け止め方はずいぶん違っているように思います。

 オウムの事件が起きたとき、アカデミズムの人々は宗教団体であるがゆえに起きた出来事だと捉えました。だからこそ、宗教に関するさまざまな議論が巻き起こったわけです。
 他方、今般の旧統一教会の問題は、お布施の強要という会員に対する抑圧・収奪の体制や、自民党議員と教団との関係性ばかりが指摘され、宗教的な側面はほとんどクローズアップされていません。それにもかかわらず、世間には「宗教=危険」という漠然とした印象が蔓延しています。

 明らかに一線を越えている旧統一教会が、社会的な非難や指弾を受けるのは当然です。
 しかし、その一例をもって宗教全般が危険だと捉えたり、宗教団体の政治参加を問題視したりというのは、社会にとって極めて危うい議論です。旧統一教会の問題を契機に社会から宗教を排除しようとする空気感がありますが、宗教が存在しない社会というのは、図書館や書店、映画館といった施設がない地域のようなもので、文化的に貧しいと言わざるを得ません。

 興味深い現象があります。それは、仮に社会から宗教コミュニティーがなくなったり、宗教を排除したりしたとしても、結局のところは“宗教的なもの”が現れてくるという現象です。私はこれまで東日本大震災の被災地に定期的に足を運んできました。少なくない被災地域では、未曽有の災害によって宗教コミュニティーが失われてしまったものの、時間がたち、地元住民や移住者、ボランティアの人たちによる新たなコミュニティーが成立してくると、「祭をやろう」という話が出てくるのです。

 こんなケースもあります。地域から疎外された水俣病事件の被害者らは、かつては「神や仏などあるものか」と思っていました。それがやがて「本願の会」という患者団体ができ、その活動のなかで野仏をつくったりしているのです。東日本大震災の被災地にしろ、水俣にしろ、宗教団体をつくったり、宗教的なスローガンを掲げたりはしていないものの、救いを求めるなかで結果的に宗教的な表現形態を取っているのです。

 他方、共産主義もまた“宗教的なもの”の一つです。
 善悪の階級闘争の末にプロレタリア独裁を目指すという思想については、多くの宗教学者が宗教的な構造だと指摘しています。共産主義の特徴の一つに、人類の歴史や世界を意味づけ、維持したり変革したりすることがあります。これは長らく宗教が担ってきた役割であり、そうした宗教の枠組みからどのように自由になるかという問題意識から生まれたのが共産主義なのです。

 裏を返せば、宗教の側は共産主義から学習すべき点があると言えます。ユートピアを目指しながらも、結局は人々を抑圧する国家をつくってしまった共産主義。それと同じことが宗教においても起き得るということです。その一例が、旧統一教会の問題です。

教団に所属することの重要性

 私は宗教には本来的に三つの役割があると考えています。
 第一に、人々をつなぎ合わせ社会を統合すること。第二に、人々に善悪の基準や倫理観を与えること。第三に、人々に意味や価値、使命感を与えることです。

 近代以前はこの三つの役割を宗教が果たすことによって、人類の文化が育まれてきました。それが近代以降には、教育や医療、福祉、政治などの専門化が進み、宗教が担ってきた役割が分散します。唯一、代替不可能だったのは死の問題です。死に直面したときにその意味を見いだしたり、苦しみを和らげたり、死後について思いを巡らしたりといったことだけは、今なお宗教の重要な役割となっています。

 専門化は一面では人々の生活を豊かにしましたが、一方で宗教との距離が開いてしまったために多くの人々は生活や人生に意味を見いだせなくなってしまいました。とはいえ、先述したように宗教がなくなろうとも“宗教的なもの”は再び現れてくるという見方もあります。
 かつての私は、どちらかといえば後者の考え方を持っており、宗教教団はなくなったとしても、人々は宗教的に生きていけると思っていました。ちょうど15年ほど前に、占いやパワースポットなどのスピリチュアリティのブームが起きた頃のことです。

 しかし、今では考えを改めています。この15年間の研究のなかで、教団の重要性に気がつきました。定量的な共同調査を行ってみたところ、教団に属さずにスピリチュアルな生き方をしている人々のなかには、幸福度が低かったり、他者と共生していく志向性が弱かったりするケースが多いことが明らかになったのです。

 あるいは、終末期の患者に対する宗教者によるスピリチュアル・ケアを見ていると、宗教者が醸し出す力や背後にある教団の力、そのさらに背後にある神仏の働きを感じることが少なくありません。病院に来る宗教者は、服装などの見た目は一般の人と何ら変わりません。患者との対話の内容も、基本は傾聴に徹して何か特別なことを言っているわけではない。それでも、患者は癒やされるのです。

 同じようなことは、創価学会の座談会に参加したときにも体験しました。法衣を着ているわけではない市井の人々にもかかわらず、会員の方々が語る言葉には、不思議と信仰を持たない人とは明らかに違う何かがあるのです。安定的で独善に陥らない信仰のためには、やはり教団に所属するということが大切なのだと思います。

宗教が持つ両側面

 今や世界中の津々浦々に創価学会の会館が存在しています。10年以上前に東京・巣鴨にある戸田記念講堂で絵本の展覧会が開催された折には、私も娘と一緒に足を運びました。今後はますます地域の文化施設としての役割を担っていただきたいと思っています。
 地域に開かれた会館という点では、東日本大震災がその可能性を示してくれた部分があります。岩手県・宮城県・福島県の沿岸部の会館は、会員のみならず地域の人々にとって一時的な避難場所となったのです。

 創価学会が支持する公明党は、連立与党としての経験が20年を超え、多くの地方議会でも重要な立場にあります。その点、創価学会には一宗教団体という枠には収まらない社会的な責任が生じていると言えます。セキュリティーの問題などはあるにせよ、学会の会館が地域の人々を主役にする場として機能すれば、学会にとっても地域にとっても良いはずです。

 宗教団体として、これまで以上に社会に開いていくためには、宗教間の対話も大切です。創価学会のような圧倒的な規模の宗教団体ともなれば、すでに他教団とは比較にならないほど社会的なつながりを持っています。
 ゆえに、これまでは他宗教と歩調を合わせなくともやってこられた。ただ、これからの宗教教団は今まで以上に社会的責任を求められます。圧倒的な規模を誇るのであればなおさら、宗教界の横綱として宗教間の対話を先導してもらいたいと思っています。
 オウム真理教や旧統一教会に象徴されるように、宗教は常に危険性をはらんでいます。しかし同時に、宗教には人々を豊かにさせる面もある。

 先の共同調査では、宗教に心寄せる度合いが高い人ほど主観的な幸福度が高く、図書館や美術館、音楽のコンサートなどに行く頻度も多いということがわかりました。教団に属せば、定期的な集まりやお布施もある。それを負担だと見る人もいるかもしれません。
 しかし、それらのことを補ってあまりある喜びや豊かな人間関係を得られるのです。ゆえに、危険性だけを取り上げて恐れるのではなく、危険性を熟知した上で関わっていくこと。すなわち宗教リテラシーが大切なのです。

 人々の宗教リテラシーを高めるためには、宗教文化教育が必要不可欠です。日本の教育現場では宗教そのものがタブー視されていますが、私は小中学校でも宗教の基本的なことは教えられるし、教えるべきだと思っています。
 宗教戦争を起こすのも宗教だし、この国を代表する美術作品を生み出してきたのも宗教です。
 今後は、そうした宗教が持つ両側面を語っていくことが重要だと思います。

 

 

 

 

 


コメ価格「評価する水準にない」 農相

2025年05月13日 12時50分23秒 | 社会・文化・政治・経済

備蓄米の流通加速へ


5/13(火) 11:01配信 共同通信


 江藤拓農相は13日の閣議後記者会見で、コメの店頭価格が18週ぶりに値下がりに転じたことを歓迎した上で「消費者の方々が大いに評価する水準にはない」と述べ、備蓄米の流通を加速させる考えを示した。
なおも前年同期に比べ約2倍の高値圏で推移しているためだ。  
今月に予定する備蓄米の4回目の入札については、時期や数量に言及しなかった。  
2回目までの入札で大半を落札した全国農業協同組合連合会(JA全農)の出荷は8日までに32%(6万3千トン)にとどまっており、農林水産省は流通拡大に向け条件緩和を検討している。政府が同量のコメを原則1年以内に買い戻す条件が入札参加のハードルになっているとの指摘がある。
 林芳正官房長官は13日の記者会見で「上昇した価格を落ち着かせることができるようにしっかりと対応策を検討したい」と語った。  
農水省は12日、全国のスーパーで4月28日~5月4日に販売されたコメ5キロ当たりの平均価格は前週比19円安の4214円だったと発表した。


女性差別撤廃条例批准から40年

2025年05月13日 12時13分01秒 | 社会・文化・政治・経済

〈社会・文化〉 女性差別撤廃条約批准から40年 勧告が映し出す日本の課題 清水奈名子2025年5月13日

1985 年の批准から約 40 年、我が国は、女子差別撤廃条約を一つの重要な拠り 所とし、法律上の及び実質的な差別の撤廃を目指して、男女共同参画のための取 組を進めてきました

女性に対するあらゆる差別の撤廃及び男女共同参画社会 の早期の実現に向けて、今後も女子差別撤廃委員会とともに歩みを進めていき ます。

 
日本の女性政策を審査する国連女性差別撤廃委員会の会合(スイス・ジュネーブ、2024年10月)=共同
日本の女性政策を審査する国連女性差別撤廃委員会の会合(スイス・ジュネーブ、2024年10月)=共同

 2025年は、日本が女性差別撤廃条約を批准してから40年の節目に当たる年である。40年が経過した現在、日本における女性の権利をめぐる問題状況は改善したと言える…

 

女子差別撤廃条約
第9回日本政府報告代表団長 冒頭ステートメント
【冒頭の挨拶】
女子差別撤廃委員会委員の皆様、本日、第9回日本政府報告に対する審査のた
めにお集まりいただき、誠にありがとうございます。世界中の女性に対する差別
の撤廃のため、日々精力的に活動されている女子差別撤廃委員会の活動に敬意
を表します。
また、委員会では秋月弘子委員が副委員長として活躍なさっており、我が国と
しても大変誇りに思っております。日本から本審査のためにお越しいただいた
市民社会の皆様にも日々の多大なる貢献に感謝をお伝えします。
1985 年の批准から約 40 年、我が国は、女子差別撤廃条約を一つの重要な拠り
所とし、法律上の及び実質的な差別の撤廃を目指して、男女共同参画のための取
組を進めてきました。女性に対するあらゆる差別の撤廃及び男女共同参画社会
の早期の実現に向けて、今後も女子差別撤廃委員会とともに歩みを進めていき
ます。
【男女共同参画行政の推進体制】
まず、我が国の男女共同参画行政の基礎について説明いたします。
ご存じのとおり、男女共同参画はほとんどすべての政策領域に関わると言っ
ても過言ではございません。そのため日本政府においては、女性に対する暴力、
雇用差別、政策・方針決定過程への女性の参画といった個別の政策課題について
各省庁において分担して取り組みつつ、各省庁の施策の統一を図るための総合
調整や基本計画の作成・推進などは内閣府が担うなど、全省庁的な推進体制を取
っています。
また、内閣府に置かれ、関係する大臣と有識者からなる男女共同参画会議にお
いて、男女共同参画基本計画について議論するとともに、関連する事項について
の調査審議、基本計画等の施策の実施状況の監視等を行っています。そして、内
閣に置かれ総理大臣を含む全ての国務大臣によって構成される男女共同参画推
進本部及びすべての女性が輝く社会づくり本部では、基本計画の達成に向けた
具体的な施策のパッケージを、「女性活躍・男女共同参画の重点方針(女性版骨
太の方針)」として毎年策定しています。
さらに、国内本部機構の強化の観点から、独立行政法人国立女性教育会館につ
いて、文部科学省から内閣府に主管を移管したうえで、男女共同参画に関する新
たな中核的組織として機能強化・整備することを検討していることもお伝えで
きます。
2

【前回最終見解フォローアップ事項の進捗】
続いて、「第7回及び第8回報告に対する女子差別撤廃委員会最終見解」での
委員会からの勧告のうち、特にフォローアップを求められていた事項について、
第9回報告以降の進捗について報告します。
勧告 13(a)のうち、結婚開始年齢については民法改正案を国会に提出したこと
を、「最終見解に対する日本政府コメント」にて報告していましたが、当該改正
案は 2018 年6月に成立し、2022 年4月から施行されています。
また、女性の再婚禁止期間の廃止については、第9回報告にてその在り方を検
討する必要があると述べていたところ、2022 年 12 月にその全ての廃止を含む改
正民法が成立、2024 年4月に施行されました。
さらに、結婚に際する旧姓の維持の選択という点については、婚姻後も仕事を
続ける女性が大半となっていることなどを背景に、婚姻前の氏を引き続き使え
ないことが婚姻後の生活の支障になっているとの声がある一方、家族が同氏と
なることで夫婦・家族の一体感が生まれ、子の利益に資するとの声などもあり、
国民の間に様々な意見があります。政府としては、選択的夫婦別氏制度の導入は、
社会全体における家族の在り方に関係する重要な問題であり、幅広い国民の理
解を得る必要があると考えています。この考えの下、第5次基本計画において国
民各層の意見や国会における議論の動向を注視しながら、司法の判断も踏まえ、
更なる検討を進めることとしています。
同時に政府として、婚姻により改姓した人が不便さや不利益を感じることの
ないよう、旧姓の通称としての使用拡大に向けて取り組んできたところであり、
現在までに例えば、マイナンバーカード、パスポート、不動産登記等において旧
姓併記が可能となっています。また、内閣府のホームページにて各種国家資格、
免許等における旧姓使用の現状等について公表するなど周知を図っています。
勧告 21(d)(e)については、外国人やルーツが外国であること、アイヌの人々
であること、部落差別に関すること等を理由とした社会的困難を抱えている場
合、固定的な性別役割分担意識や性差に関する偏見を背景に、更に複合的な困難
を抱えることがあると認識しています。第5次基本計画においてもこの観点を
前提に、差別は許されないとの理念を盛り込んだ、ヘイトスピーチ解消法、部落
差別解消推進法、アイヌ施策推進法に基づいた施策に取り組んでいるほか、人権
教育・啓発を総合的かつ計画的に推進するための「人権教育・啓発に関する基本
計画」においても、女性、部落差別、アイヌの人々、外国人を人権課題として掲
げ、各種人権教育・啓発を推進しております。
なお、この「人権教育・啓発に関する基本計画」については、社会情勢の変化
や国際的潮流の動向を踏まえつつ、既存の人権課題とともに、新たな人権課題に
3
適切に対応した効果的な人権教育・人権啓発活動を推進することができるよう、
現在、内容の見直しを進めていることを付言します。
ここからは、第9回報告以降の我が国における女性差別撤廃に係る進捗につ
いて説明いたします。
【女性に対する暴力】
まず、女性に対する暴力の根絶に向けて大きな前進がありました。
第9回報告のとおり、勧告 23(a)(b)(c)に関わり、2017 年の刑法の改正によっ
て、強姦罪の対象を拡張し、罪名を強制性交等罪に変更、法定刑の引上げ、監護
者わいせつ罪及び監護者性交等罪の新設、性犯罪の非親告罪化を行いました。
今回の報告では、更なる刑法の改正についてお伝えすることができます。2023
年の改正により、強制性交等罪を不同意性交等罪、強制わいせつ罪を不同意わい
せつ罪と改め、これらの要件を明確化しました。また、「婚姻関係の有無にかか
わらず」これらの罪が成立することを条文上明確にしたことを強調致します。加
えて、①いわゆる性交同意年齢の 13 歳未満から 16 歳未満への引き上げ、②わ
いせつ目的での 16 歳未満の者への面会要求等の犯罪化、③性犯罪の公訴時効期
間の延長も実現しました。
さらに、この3年間だけでも、いわゆる撮影罪を新設する法律(性的姿態撮影
等処罰法)、従事者の性犯罪の事実を確認する仕組みを含め、学校設置者等及び
民間教育保育等事業者による児童対象性暴力の防止のための措置について定め
た法律(こども性暴力防止法)、性行為映像制作物への出演による被害の防止を
図る法律(AV出演被害防止・救済法)をはじめとする多くの法律が新たに成立
したことは、性暴力の根絶に向けた日本政府の着実な努力を示すものです。
配偶者やパートナー間の暴力の防止に向けた進展もありました。既に述べた
不同意性交等罪等が配偶者間においても成立することの明確化に加え、2023 年
の関連法の改正により、身体的な暴力だけでなく、精神面での危害を加える非身
体的な行為の場合にも、裁判所が接近等の禁止を命ずる命令を発令できるよう
にしました。こうした裁判所が発令する保護命令は、同性パートナー間の暴力に
も適用されてきたことの周知も進めています。
日本国政府の努力は、法整備だけではありません。女性に対する暴力、ジェン
ダーに基づく暴力を根絶するための政策を推進してきました。例えば、全閣僚で
構成する本部において毎年策定する「女性活躍・男女共同参画の重点方針」の中
で、性犯罪・性暴力への対策、パートナー間の暴力、ストーカー、セクシュアル
ハラスメントへの対策をアップデートし、関係府省が取組を進めてきました。
これらの暴力の被害者への支援も強化しています。2022 年、暴力被害を含む
困難な問題を抱える女性たちが最適な支援を受けられるよう、その発見、相談、
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心身の健康の回復や自立して生活するための援助等の多様な支援の包括的な提
供を定めた新たな法律(困難な問題を抱える女性への支援に関する法律)が成立
し、被害者支援の枠組みに法的根拠を与えたことを紹介させていただきます。
勧告 25 については、第9回報告では 2019 年成立の旧優生保護法一時金支給
法に基づき、強制不妊手術等を受けた障害を持つ方たちに対し 320 万円の一時
金を支給していることを報告していました。その後も対応を進め、2024 年5月
末現在で、累計 1,110 件(内女性は 801 人)が受給者として認定されています。
さらに旧優生保護法の規定に基づいて不妊手術を受けた方々等が、国に対し、国
家賠償法に基づく損害賠償などを請求した訴訟について、2024 年7月には最高
裁判所は、旧優生保護法の不妊手術について定めた規定が違憲である旨の判決
を言い渡しました。この判決を踏まえ、総理大臣が、原告団等との面会において、
同法を執行してきた立場として、政府を代表して謝罪を表明しています。さらに、
2024 年9月 30 日に、原告団・弁護団・支援団体との間で、旧優生保護法問題の
全面的な解決を目指す「基本合意書」を締結しました。本合意書をもとに、恒久
対策等の施策の具体化などのため、継続的・定期的な協議の場を開催していく予
定です。なお、旧優生保護法に関する新たな補償の仕組みについては、超党派議
員連盟で議論いただいた結果、2024 年 10 月 8 日に、「旧優生保護法に基づく優
生手術等を受けた者等に対する補償金等の支給等に関する法律案」が国会で可
決・成立しました。政府としては、本法案が制定されるに至った経緯や趣旨も十
分に踏まえ、補償金等の支給を着実に行っていきます。
また、勧告 27 については、2005 年、国際組織犯罪防止条約及び同条約の補足
議定書である人身取引議定書を締結することにつき国会で承認され、2017 年、
国際組織犯罪防止条約の締結に必要な国内担保法が成立・施行されたことに伴
い、我が国は、同条約と共に同議定書を締結しています。
【政治的及び公的活動への参画】
続いて、政治的及び公的活動への参画に係る進捗についてご報告申し上げま
す。前回審査では勧告 31(a)(b)(c)において、指導的地位への女性の参画に関し
て勧告を受けております。これに関してはすでに第9回報告でも一部は報告し
ていますが、2021 年6月に政治分野における男女共同参画推進法が改正され、
政治分野における男女共同参画の推進に取り組む関係機関が明示されたほか、
政党その他の政治団体の取組の促進が図られるとともに、国・地方公共団体の責
務等の強化や、新たにセクシュアルハラスメント、マタニティハラスメント等へ
の対応が義務的施策に追加される等の国・地方公共団体の施策の強化が図られ
ました。政府においては、同法の趣旨に沿って、候補者に占める女性の割合が高
まるよう、第5次基本計画に基づき、衆議院議員及び参議院議員の候補者に占め
5
る女性の割合を 2025 年までに 35%とすることを努力目標として念頭に置きな
がら、政党に対し、自主的な取組の実施を要請しています。さらに、その取組状
況の調査も実施し、各政党が候補者に占める女性の割合について目標を定めて
いることなどを把握しております。
また、行政分野や司法分野など公的活動においても、女性の参画拡大を目指し、
様々な取組を行っております。例えば、女性活躍推進法では、国及び地方公共団
体に対し、それぞれの機関における女性の活躍状況の把握・分析とともに、その
結果を踏まえた目標設定、目標達成に向けた取組を内容とする行動計画の策定、
女性の活躍状況に関する情報公表等を義務付けています。さらに、公表内容につ
いては、一覧性・検索性を確保したウェブサイトの整備を通じて「見える化」を
図っております。これらの取組を通じて、第5次基本計画で定めた行政分野・司
法分野における女性参画に関する成果目標達成に向けて一歩一歩、着実に前進
しています。
【結婚・家族関係】
続いて、結婚・家族関係に係る進捗についてご報告申し上げます。前回審査で
は勧告 49(a)(b)(c)において、夫婦間の財産分与、親権、養育権、養育費の支払
い等について勧告を受けておりました。第9回報告では、関連法令の改正により、
離婚した者が債務者である元配偶者の財産に関する情報を第三者から取得する
ことができる手続きを新設したことを報告しております。これにより、養育費の
支払いが滞っている場合における債務者の財産に対する強制執行の実効性が高
まりました。
その後、希望する全てのひとり親世帯が養育費を受領できるようにすること
が重要との認識の下、2031 年に、全体の受領率(養育費の取決めの有無にかか
わらない受領率)を 40%とし、養育費の取決めをしている場合の受領率を 70%
とすること、2023 年4月に政府目標として策定・公表しております。
さらに、2024 年5月の民法改正により、父母間での取決めがなくとも子と同
居する親が別居する親に一定額の養育費を請求できる「法定養育費制度」が創設
されたほか、養育費や財産分与の算定の基礎となる情報収集のための手続きが
拡充されました。また、この改正では、父母の離婚等に直面する子の利益を確保
するため、子の養育に関する父母の責務を明確化するとともに、親権に関する規
定を見直しました。これにより、離婚した際に父母双方を親権者と指定すること
ができるようになりました。この改正では、子への虐待やDVへの懸念に対応し、
それらのおそれがあるケースなどでは必ず単独親権とすることが国会でも繰り
返し確認されております。
【雇用】
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続いて、雇用に係る進捗についてご報告申し上げます。まず、勧告 35(a)に関
わって、女性活躍推進法に基づく関連制度を改正し、常時雇用する労働者が 301
人以上の事業主に対し、「男女の賃金の差異」の公表を義務付けました。これを
通じて、各企業が男女間賃金差異の原因を分析することにより自社の女性活躍
の現状を点検し、賃金差異の縮小に向けた取組につなげることを期待していま
す。政府としても各企業における男女間賃金差異の要因分析・改善に向けたコン
サルティングの実施、賃金格差要因分析ツールの活用促進など、企業の支援に取
り組んでいます。
なお、国及び地方公共団体に対しても、更なる女性活躍推進に向け、2022 年
に全ての機関に対して女性活躍推進法に基づく「男女の給与の差異」の公表を義
務付け、毎年、各機関において職員の男女間給与差異の情報を公表することとな
りました。公表内容については、内閣府においてフォローアップを行い、一覧性・
検索性を確保したウェブサイトの整備を通じて「見える化」を図っております。
男女の給与の差異は、差異の数値だけではなく、差異の要因等の把握・分析が重
要であることから、各機関における差異の要因分析等の取組が促進されるよう
支援していくこととしています。
また、勧告 35(b)に関わって、2021 年6月に育児・介護休業法を改正し、原則
子が 1 歳になるまで取得可能な通常の育児休業とは別に、子の出生後8週間以
内に4週間まで分割して2回取得可能な「産後パパ育休」制度を創設いたしまし
た。同改正では男女労働者の育児休業の取得状況の公表を、常時雇用する労働者
が 1000 人超の事業主に義務付けましたが、2024 年6月に同法を再改正し、公表
義務の対象を常時雇用する労働者が 300 人超の事業主に拡大しています。さら
に、3歳以上の小学校就学前の子を養育する労働者に関し、事業主が職場のニー
ズを把握した上で、テレワークや短時間勤務など柔軟な働き方を実現するため
の措置を講じ、労働者が選択して利用できるようにすることも義務付けていま
す。加えて、同じく 2024 年6月に雇用保険法を改正し、通常、子の出生後 180
日間は休業前賃金の 67%、180 日以後は 50%となっている育児休業給付につい
て、子の出生直後の一定期間内に両親がともに 14 日以上育児休業を取得した場
合、28 日間は休業前賃金の 80%を支給することとしました。この給付は非課税
の取り扱いとなっており、また、育児休業期間中の社会保険料の支払いは免除さ
れることから、これにより最大 28 日間は、手取りで休業前賃金の 10 割の給付
を実現することになります。
【最後に】
以上で、女性差別の完全撤廃と男女共同参画社会の確立を目指したさまざま
な取り組みを実施することで、委員会の前回の対日勧告と一般勧告に対応する
行動をとってきたことについての説明を終わります。議長、最後のご挨拶の前に、
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まず在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の尾池特命全権大使から、「女性・平
和・安全保障」アジェンダを推進するための日本の取り組みについて、最新の情
報をご提供いただきたいと思います。
【尾池厚之大使より】
議長、女性差別撤廃条約の原則に沿った外交政策の柱として、「女性、平和、
安全保障」の視点を推進する日本の最近の取り組みをご紹介できることを光栄
に思います。日本は3次にわたり国家行動計画を策定し、外務省はWPSタスク
フォースを、防衛省はWPS推進本部を立ち上げ、国内の横断的な調整にも取り
組んでいます。また、アジア、アフリカ、中南米など世界各地で 57 件の支援事
業を実施しているところです。引き続き、女性の参画及びリーダーシップを増進
し、平和で安定した国際社会に貢献するとのコミットメントの証として、WPS
25 周年となる来年には、WPSの世界最大のネットワークであるフォーカル・
ポイント・ネットワークの共同議長に就任し、国際的なWPSアジェンダの推進
により大きな責任を担っていく所存です。ありがとうございました。最後に代表
団長にご挨拶をお願いしたいと思います。
【代表団長より】
今、尾池大使から説明のあった WPS アジェンダの推進に対する日本のコミッ
トメントは、女性差別撤廃に向けた私たちの行動の重要な側面です。再び日本全
体の取組に目を向けますと、我々は実現した成果を誇りに思うと同時に、解決す
べき問題が数多く残されていることも認識しております。例えば、政府による男
女共同参画に関する世論調査でも社会全体における男女の地位の平等感につい
て十分な結果が得られておりません。この背景には、長年にわたり人々の中に形
成された固定的な性別役割分担意識や性差に関する偏見・固定観念、無意識の思
い込み(アンコンシャス・バイアス)があるものと考えています。その解消は一
朝一夕にはいきませんが、これからも粘り強く、取組を続けてまいります。
委員の皆様の意見を頂戴できる本機会は有難く、政府としても、誠意を持って
回答を行う用意があります。本日お集まりいただいた委員と市民社会のみなさ
まに改めて感謝するとともに、女性に対するあらゆる差別を撤廃していくとい
う皆様との共通のゴールに向けて、今後も引き続きご協力いただけたら大変心
強く思います。
有り難うございました。
以上


コメの価格が決まる仕組み 実は複雑?特殊なメカニズムに迫る

2025年05月12日 12時31分21秒 | 社会・文化・政治・経済

コメの価格が下がりません。

備蓄米が放出されているにもかかわらず、スーパーで販売されたコメの価格は上昇を続けています。なぜこんなことになっているのか。いろいろな要因を聞いたけど、どうもふに落ちないという方も多いと思います。

複数の要因がからみあっているのですが、背景の1つにはコメの価格が決まる仕組みが複雑なことも指摘されています。コメをめぐる制度や歴史をひもとき、価格の硬直性を少し深掘りしてみます。
(国際部デスク 豊永博隆)

15週連続の値上がり!

政府の備蓄米は過去2回の入札で21万トンが落札され、3月下旬から流通が始まっています。

それでもコメの価格は下がりません。
全国のスーパーで販売されたコメの平均価格は4月13日までの1週間で5キロあたり4217円(税込み)で、15週連続で値上がりしています。

農林水産省によりますと1回目の入札で落札された14万トンあまりのうち、3月30日までにJAグループなどの集荷業者が倉庫から引き取った量は4071トン。
卸売業者から小売業者や外食業者など、消費の現場に届いた量はあわせて461トン。

全体の0.3%にとどまりました。

これについて農林水産省は、「通常のコメに加えて、備蓄米も流通することになるため、トラックの手配や精米の作業の調整などにはどうしても一定の時間がかかる」としています。

過去2回の入札はJAが9割落札

また、これまで地域によっては備蓄米が行き渡らないなどの不満の声もあがっていました。
1回目と2回目の入札ではいずれもJA全農が9割以上を落札していたことが明らかになりました。

農林水産省が備蓄米が転売されて価格がつり上がることを防ごうと条件を厳しくしていたため、卸売業者から取り引き実績のない中小の卸売業者や小売業者にコメが行き渡りにくいという現状がありました。

このため、4月23日から始まった備蓄米の3回目の入札では農林水産省は卸売業者どうしの備蓄米の売買を認めることにしています。

「流通の目詰まり」が少しでも解消し、備蓄米がこれまで届いていなかった地域にも届けば消費者の安心感につながり、いくらか価格低下に寄与する可能性があります。

さまざまな理由 どうもふに落ちない?

それにしてもなぜコメの価格がこうも下がらないのか。

これまでさまざまな要因が指摘されてきました。
コメを投機的に売り渋りしているとか、転売目的の「転売ヤー」のせいだといった指摘、さらにはインバウンド需要が増加してお米をたくさん食べたからなどの説明もありました。

農林水産省が2024年産のコメの生産量について過大に算定していて、想定よりも収穫できていないおそれがあるとの指摘も出ています。

不安心理から消費者が少しずつ買いだめすることで足せばかなりの需要が発生し、結果としてコメの生産量が追いつかない事態になっているのではないかとの分析もあります。

「なるほどそういうことなのか」と思う理由もあれば「本当にそうなの?」という理由もあり、モヤモヤ感が残る消費者も多いと思います。

コメの価格が決まる仕組み

コメの価格が下がらない背景の1つとしてコメの価格が決まる仕組みが複雑なことも実は指摘されています。

ふだん口にするコメですが、価格がどう決まるのか、そのメカニズムを知る機会はあまりないかもしれません。

レタスの場合は…

それを理解する前に一般的な野菜を例に価格の決定メカニズムを説明します。

例えばレタスでみると、価格は基本的に中央卸売市場で決まります。
人気があるもの=需要があるもの、あるいは供給が少ないものは価格が上がり、需要が少ないもの、あるいは供給が多いものは価格が下がります。

これが市場の原理です。

市場は透明性があり、売る側と買う側がそれぞれ公平に「売りたい」「買いたい」と価格を入れて値段が決まっていきます。

そして市場での価格情報が生産者である農家にダイレクトに伝わります。

高く売れる商品は何か、安くなってしまう商品は何かを作り手は市場での価格を通じて理解するわけです。

特殊な決定メカニズム

ところがコメには特殊な価格決定メカニズムがあります。
1.スーパーなどで小売業者が消費者に示す価格
2.集荷業者と卸売業者とのあいだで決める価格(相対取引)
3.JAが農家に提示する概算金

1のスーパーなど小売業者が消費者に示す価格はほかの農産物や製品と変わりません。

ところが2と3はコメの特殊な価格決定メカニズムです。

2の集荷業者が卸売業者とのあいだで決めるコメの価格というのは相対取引といって、売り手と買い手が直接交渉して決まる価格です。

直接交渉なので市場でオープンに取引されているわけではありません。

農林水産省がJAグループなどの報告をまとめて取引月の翌月に発表しています。

後にならないと価格が分かりません。

JAが農家に一時的に支払う概算金

 
JAが農家に一時的に支払う概算金
さらに概算金という制度の存在があります。

これはコメの刈り取り前7月ごろから9月ごろにJAがコメ農家に対して提示し、支払う金額のことです。

一時金なので仮渡金と呼ばれた時期もあります。

その年の生産見通しや販売見込みなどをもとにJAが「ことしのコメの価格はこれぐらいになりそうですよ」と提示し、一時金として支払います。

コメは多くの産地で1年1作であり、年間を通じて販売するため、販売価格が異なります。

協同組合で公平性を重視するJAとしては、農家のあいだでばらつきが出るのは好ましくないため、すべてを販売したあとに精算して分配する仕組みになっているわけです。

この概算金は集荷業者が卸売業者に示す価格にも少なからず影響するので、JAグループがコメの価格決定に大きな影響力を持っていることが分かると思います。

コメの価格が決まるメカニズムは硬直的です。

そして需給をすぐに反映しない、いったん価格が上がると下がりにくいということは指摘できると思います。

コメの価格はかつて国が決めていた

コメは日本人にとって欠かせない主食だったことから戦後、コメの価格は国が決めていました。

「食糧管理法」、食管法とも呼ばれる法律のもと、政府が米価審議会に諮問し、その答申に基づいて決めるという仕組みでした。
コメの価格はかつて国が決めていた
米価審議会(1995年6月)
この法律は1995年に廃止され、コメについては民間流通が基本となりました。

民間流通とはいえ、上述したとおり、オープンな「市場」がなかったため、コメの価格決定メカニズムは改革が遅れました。

コメの先物取引もいったんは廃止

厳密にいうと小さな「市場」は過去存在し、今、また設立され始めてはいます。

1つはコメの先物取引です。
2011年から大阪にある「大阪堂島商品取引所」がコメの先物取引を試験的にスタートしました。

試験的ではない本格的な取り引きへの移行を国に申請しましたが、2021年7月、農林水産省は認可せず、その後、取引は2023年に廃止されました。

私はこの認可をめぐる攻防が激しかったころ、大阪放送局のデスクと、経済部に移り、農林水産省を担当するデスクをしていたので、当時の動きをよく覚えていますが、農業界に「コメの先物は投機的なマネーゲームだ」と批判する人がいたこと、農林水産省は内々、先物の本格的な取り引きへの移行を認める方向で動き出したものの、自民党への調整や説得がうまくできず、頓挫した経緯があります。

農林水産省は名称を変更した「堂島取引所」に2024年、コメの先物取引を認可し、8月からコメの先物取引が始まっています。

また、もう1つ、需要と供給に基づいてオープンな形で価格を決める、コメの現物市場である「みらい米市場」が2023年に開設されました。

ただ、どちらも取引の量はまだ少なく、コメの価格形成をリードするには至っていないのが現状です。

今、必要なことは?

 
今、必要なことは?
酷暑の影響によるコメの品質低下と、2024年夏の南海トラフ地震臨時情報の発表で買いだめの動きから始まったコメの価格上昇。

さまざまな要因が重なって今も価格が上がり続けていますが、視野を広げて歴史を振り返ると、コメの複雑な制度が存在することに気付かされます。

必要な制度や仕組みに理解は示しつつも、消費者のニーズを的確にとらえ、価格に反映させる安定した市場とその仕組みづくりが必要であることを今、再認識させられました。
国際部デスク
豊永博隆
1995年入局
経済部 アメリカ総局(ニューヨーク) おはBizキャスター
大阪局デスクを経て現職
国際経済分野を担当

 


Q&A】コメ価格 高止まりの背景は?今後は?専門家に聞く

2025年05月12日 12時27分05秒 | 社会・文化・政治・経済

コメの値上がりが止まりません。全国のスーパーでの平均価格は去年の2倍を超える高値となっています。

なぜ高止まりが続いているのか、ことし収穫されるコメの価格はどうなるのか、専門家に話を聞きました。

(経済部記者 野中夕加)

話を聞いたのは、東京大学大学院農学生命科学研究科の安藤光義教授。農業政策が専門です。
Q. コメの価格が高い状況が続いているのはなぜでしょうか。
政府が放出した備蓄米については、安い価格で供給されています。

ただ、スーパーなどにコメを販売する卸売業者は、備蓄米以外のコメを去年の秋から高い価格で買い取っているため、簡単に価格を下げることはできないということだと思います。

仕入れ値よりも安い価格で売ったら商売も成り立ちませんし、そのような行動に出るほどコメの市況が悪化している、軟化しているところまできていないということだと思います。
Q. 政府は3月から備蓄米の放出を始めたほか、夏まで毎月放出することも表明していますが、この対応をどうみますか。
コメの値決めにあたっては、概算金(各地の農協が農家に支払う前払い金)がどうなるのかが一番重要です。例年8月終わりごろから各農協が示しますが、農協以外のほかの集荷業者も、農家のもとに、概算金プラス500円とか1000円とかで買いに来るわけです。

最初の概算金が高めでスタートすれば、そこから値段が決まってきますので、なかなか価格は下がる見込みはないことになってしまいます。

今は備蓄米でマーケットを冷やそうとしていますが、もう少し早く、去年、各地の農協が概算金を示したくらいの段階で出していれば、多少は価格が変わったかもしれません。

ただ、備蓄米を出してマーケットが過剰に反応し、価格が暴落してしまったら生産者は困りますから、あくまでも結果論でしかなく、そこは判断が大変難しかったと思います。

コメなどの食料品は、少し足りないと価格が大きく上がり、少し余りめだと価格がぐっと下がるのが大きな特徴なので、一定の価格を形成するのは大変な側面があります。
全国のスーパーでのコメの平均価格は、4月20日までの1週間では、5キロあたり税込みで4220円。前の週より3円値上がりし、16週連続の上昇となりました。

スーパーでは高値続く 仕入れ先は?

それでは、スーパーなどにコメを販売する卸売業者の段階での価格はどうなっているのか。NHKは、「全米販」=「全国米穀販売事業共済協同組合」に加盟する全国の業者のうち13社に取材しました。
備蓄米の放出が始まってからのコメの仕入れ価格について、13社すべてが「下がっていない」、または「ほとんど変化はない」と答えました。さらに、4月に入ってから、取引先のスーパーなどに値上げを要請したという会社が5社ありました。

卸売会社からは「備蓄米は市場に出てきてはいるが、価格を下げられるほどの量ではない」といった声や、「流通したとしても全体から見れば少量なので、コメの価格に大きな影響はないと思う。よくても価格は上がらない程度ではないか」という意見が聞かれました。

ことしのコメは…

Q. ことしは、コメの作付けを増やそうという産地が多くなっていますが、こうした動きは価格にどう影響するのでしょうか。
ことし、令和7年産の生産量がかなり増えそうだということになると、コメの市場は軟化していくと思いますが、まだその見通しが立っていません。過去の例では、米価が上がると翌年は生産が過剰になって価格は下落していますが、今回はどうなるのかわかりません。

農家全体の高齢化がかなり進んで、コメ作りをやめる人も増えている中で、特に東日本の米どころで、どこまで生産が復活するかにかかっています。

また、大規模な農家の方々は、コメだけでなく麦や大豆も作っていますが、すべてをコメにしてしまうと、作業が間に合わなくなるため、コメの生産を増やすのには限界があります。

この1年は今後の米価がどうなるかということと同時に、日本の農業の行く末を占う年になると思います。
Q. 去年からの一連のコメをめぐる混乱とも言える状況から、私たちは何を考える必要があるのでしょうか。
食料は簡単に調達できるものではないので、備蓄も含めて安定的に生産できるような状況をつくっておかないといけないということを認識したのだと思います。

そのような点では、食料安全保障に対する意識は、皆さん高まったのではないでしょうか。

また、備蓄というのはお金がかかります。蔵に入れておくと、質が少しずつ劣化していきますし、売る時は安い価格で処分するような感じですので、そうすると、いざという時に備え、どこまでコストをかけられるか、国として、そこがまさに問われることになったなと思います。
(4月28日「ニュース7」などで放送)
経済部記者
野中夕加
2010年入局
松江局 広島局 首都圏局を経て現所属

旧統一教会、二審も敗訴

2025年05月12日 12時23分16秒 | 社会・文化・政治・経済

北九州市議会の断絶決議

配信<button class="sc-1n9vtw0-1 eJnCsT" data-cl-params="_cl_vmodule:cmtmod;_cl_link:count;" data-cl_cl_index="26"></button>

福岡高裁=福岡市中央区

映画 ストーリー・オブ・ラブ

2025年05月12日 08時50分14秒 | 社会・文化・政治・経済

5月9日午前3時15分~CSテレビのムービープラスで観た。

ストーリー・オブ・ラブ』(The Story of Us)は1999年アメリカ合衆国ロマンティック・コメディ映画

監督はロブ・ライナー、出演はブルース・ウィリスミシェル・ファイファーなど。 結婚15年目で破局の危機を迎えた1組の夫婦が、初めての出会いから今日に至る過去の思い出を振り返る中で心が大きく揺れ動く姿を描いている[2]

ストーリー・オブ・ラブ│番組一覧│映画専門チャンネル ...

ストーリー・オブ・ラブ - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ ...

ブルース・ウィリスの映画 「ストーリー・オブ・ラブ」 夫婦の ...

 

ストーリー

結婚して15年のベンとケイティは子供たちの前では仲のいい夫婦を演じているが、実際はほとんど口もきかず、たまに口を開けば言い争いという典型的な倦怠期夫婦である。

そんな2人は、子供たちが夏休みのキャンプで長期間留守にするのをきっかけに別居生活を始める。

離れて暮らす2人の頭に浮かぶのは夫婦として過ごした15年間の日々ばかり。冷却期間を置いたことで2人は今でも相手を愛していることを自覚するが、実際に顔を合わせると、その度に些細なことでぶつかりあってしまう。

キャスト

作品の評価

Rotten Tomatoesによれば、批評家による一致した見解は「ブルース・ウィリスとミシェル・ファイファーの間のケミストリーのなさが、退屈で予測可能な『ストーリー・オブ・ラブ』を致命的に蝕んでいる。」であり、117件の評論のうち高評価は26%にあたる31件で、平均点は10点満点中4.80点となっている[3]。 Metacriticによれば、33件の評論のうち、高評価は5件、賛否混在は15件、低評価は13件で、平均点は100点満点中37点となっている[4]


近世スペインの小説家 セルバンテス

2025年05月12日 08時42分28秒 | 社会・文化・政治・経済

ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547年9月29日 アルカラ・デ・エナーレス - 1616年4月23日マドリード)は、近世スペイン小説家で、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(Don Quijote de la Mancha)の著者として著名。

生涯

1547年9月29日イダルゴ(下級貴族)の家の次男としてマドリード近郊のアルカラ・デ・エナーレスで生まれた。

父は外科医であり、祖先を1492年以前にさかのぼるとユダヤ人だったとして、セルバンテスはコンベルソカトリックに改宗したユダヤ教徒)もしくは新キリスト教徒ではないかという研究者もある[1][2]

これに関しては諸説あり、新キリスト教徒の歴史研究者はアメリコ・カストロ英語版をはじめセルバンテスの母がコンベルソだったとしているが状況証拠に依る説であること、コンベルソであったならセルバンテスの人生にまつわるいくつかの疑問を説明できることが指摘され[3]、あるいは文学界にこの説を強くおすアントニー・カスカルディ(比較文学論)[4]やアイゼンバーグがある[5]

ところがクラウディオ・サンチェス‐アルボルノス英語版などはまったく受け入れていない[6]

少年時代から、道に落ちている紙切れでも字が書かれていれば手にとって読むほどの読書好きであったが、父の仕事がうまくいかず、バリャドリードコルドバセビーリャと各地を転々とする生活であったので、教育をまともに受けられなかった。

だが1564年ごろ、マドリードに転居したセルバンテスはルネサンスの人文学者ロペス・デ・オヨスに師事する。

オヨスは1568年に出版された詩文集にてセルバンテスを「わが秘蔵の弟子」と呼び、高く評価した[7]1569年教皇庁の特使であったアックアヴィーヴァ枢機卿の従者としてローマに渡り、ナポリスペイン海軍に入隊するまでの生い立ちについては、あまり解明されていない。

この時期に、セルバンテスが決闘相手に傷を負わせた罪を告発する文書が残っているが、同名の別人かどうかは定かではない。

スペイン最盛期の象徴であるレパントの海戦(1571年)において被弾し、左腕の自由を失った後も4年間従軍を続け、チュニスへの侵攻にも参加した[8]

そして本国へと帰還する途中、バルバリア海賊に襲われ捕虜となる。

このとき仕官のための推薦状を持っていたことが仇になり、とても払えない巨額の身代金を課され、アルジェで5年間の虜囚生活を送る。

この間、捕虜を扇動して4回も脱出を企てるがことごとく失敗。このとき処刑されなかった理由は、推薦状により大物と見られていたためと思われるが、定かではない。三位一体修道会(キリスト教の慈善団体)によって身請けされ本国に戻ったが、仕官を願うも叶わず、1585年に最初の作品牧人小説『ラ・ガラテーア』を出版するが、あまり評価されなかった。

1585年に父親ロドリーゴが亡くなると、セルバンテスの家庭は本人・姉・妹・姪・妻・娘(私生児)の六人家族となり、稼ぎ手の少ない家計は逼迫した。

無敵艦隊の食料調達係の職を得てスペイン各地を歩き回って食料を徴発するが、教会から強引に徴発したかどで投獄され、さらに翌年アルマダの海戦で無敵艦隊が撃破されたため職を失う。

その後なんとか徴税吏の仕事に就くが、税金を預けておいた銀行破産、併せて負債として30倍の追徴金を背負わされ、未納金につき1597年に投獄される。

そのセビーリャ監獄の中には、ピカレスク小説『グスマン・デ・アルファラーチェ』(1559年)の作者マテオ・アレマンもいたという。

ドン・キホーテ』の序文でも、牢獄において構想したことをほのめかしている。

そして1605年、マドリードにて『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』が出版された。

『ドン・キホーテ』は出版されるやいなやたちまち大評判となり、同年中に6版が重ねられた[9]。『ドン・キホーテ』の成功にもかかわらず、版権を安く売り渡していたため、生活面での向上は得られなかったが、その後も創作活動は展開され、有名なものに『模範小説集』(1613年)、『ドン・キホーテ 後編』(1615年)、遺作『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』(1617年)などを世に送り出した。

1616年、69歳でその波瀾に満ちた人生を終えた。

息を引き取った最後の借家はマドリード中心部の2つの通りが交わる地点にあり、片方の通りの名は彼の名を取りセルバンテス通りと名付けられている[10]

イギリスシェークスピアと死亡した日が同じであるとされることが多いが、当時はヨーロッパ大陸とブリテン島とで異なるを使用しており、実際には同じ日ではない。

これは、1582年にローマ教皇ユリウス暦からグレゴリウス暦へ暦の変更を決定し、大陸のカトリックプロテスタントの国々が順次変えていったのに対し、当時のイギリスは、カトリック教会の権威が及ばないイギリス国教会が優勢だったために新しいグレゴリウス暦を受け入れることが遅れたからである。

影響

圏による最初の文学者であり、現代に至るまで多大な影響を与えた。
同時代人のは『ドン・キホーテ』を読んでいたと言われる。
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世界的に名声を得たスペイン語圏による最初の文学者であり、現代に至るまで多大な影響を与えた。同時代人のシェイクスピアは『ドン・キホーテ』を読んでいたと言われる。チャールズ・ディケンズギュスターヴ・フローベールハーマン・メルヴィルフョードル・ドストエフスキージェームズ・ジョイスホルヘ・ルイス・ボルヘスらは、影響を受けた作家たちのほんの一部である。

ミゲル・デ・セルバンテス (著名なスペイン人の肖像画集, 1791)。

スペインを代表する大文化人であり、スペインに関係する多くの文学賞や施設などに彼の名が冠されている。

1976年にはスペイン教育文化スポーツ省が、スペイン語文学に貢献してきた作家の業績に対して送るセルバンテス賞が創設され、スペイン語圏内における最高の文学賞とされている[11]。また1991年にはスペイン語の教育及びスペイン文化の普及を目的としたセルバンテス文化センターが設立され、20カ国以上に支部を置いている。

また、ユーロ硬貨のうち10、20、50セント硬貨のスペイン国内発行分の片面にはセルバンテスの肖像が刻印されている。生地であるアルカラ・デ・エナーレスには生家が保存されており、町の中央広場も彼の名を取りセルバンテス広場と改称されている[12]


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2025年05月11日 20時10分55秒 | 社会・文化・政治・経済

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