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政治の決め手はユーチューブに

2025年06月18日 08時57分55秒 | 社会・文化・政治・経済

政治系切り抜き動画 総再生数35億超 誰が何のために?

政治家の発言を切り抜いて、文字などを載せて編集する“切り抜き動画”。近年、選挙の際にも話題になり、影響力が増しているとされています。

こうした動画を主に配信するチャンネルはここ数年で急増。NHKが調べたところ、総再生数は35億回にも上っていました。

いったい誰がどんな目的で行っているのか、発信している当事者を取材しました。

「切り抜きをしたら結構バズって」「収益化できてなんぼ」

 

「国会議員の中でも知名度のある方の切り抜きをしたら結構バズって、登録者数も増えて、このままやればおいしいんじゃないかなと思って。政治家さんの言っていることに自分なりの意見も載せて発信すれば、とても公益性の高いチャンネルになるなと」

国会中継などから政治家の発言を切り抜いた動画をYouTubeで配信している、石川県在住の30代の男性。

自分が共感する保守系とされる政治家の発言を切り抜いて紹介しています。

2024年春から本格的に始め、動画のチャンネル登録者は数万人に。

最も多いときには月に90万円ほど稼いだこともあり、これまでにあげた収益は400万円あまりに上るといいます。

「自分の思想と近い政治家の発言を発信していますが、収益にならなかったらちょっとやる気が出ないんで、やっぱり収益化できてなんぼという感じです」

政治系を選んだ理由は…

もともと公務員で、数年前に映像関係の事業を始めた男性。能登半島地震をきっかけにYouTubeでの発信を始めました。

「自宅が半壊して、事業ができなくなってしまった。パソコンひとつでできることがないかなと、トライしてうまくいかないままになっていたYouTubeをやってみようと思ったんですね」

男性は政治系の切り抜き動画を選んだ理由について、政治家の側から見ても主張を広められるメリットがあるため、その映像を使っても著作権侵害を訴えられにくく、「公益性」もあると考えたといいます。

公開してきた動画

動画では政治家の発言だけではなく、若い女性のキャラクターが感想や解説を述べたり、誰と誰が対立しどう協調しているかなど、自分なりに政治家どうしの関係も描こうとしたりしています。

視聴者は46歳以上が7割、そして、男性が9割と、一定のファンも付くようになりました。

「自分のチャンネルを見ているファンはどういった人が多いのかを意識しながらやっています。起きている間は、国会見たりとかXでどういったキーワードがトレンドになっているだろうかとか、そういうインプットは常にしています」

ここ数年で急増 総再生数は35億超に

去年の東京都知事選挙や兵庫県知事選挙でも注目された政治系の切り抜き動画、ここ数年、急増しています。

おもに政治系の切り抜き動画を扱っているYouTubeのチャンネルは、NHKが調査したところ、少なくとも332ありました。

政治家の動画発信が盛んになり、短尺の動画「YouTubeショート」が始まった2021年ごろから増え始め、参議院議員選挙が行われた2022年に急増。

2023年からは広島県の安芸高田市長だった石丸伸二氏に関連するチャンネルが増え、2024年には新たに110、開設されていました。

もともとゲームの実況をしていたチャンネルや、街歩きの様子を配信していたチャンネルが、最近になって政治系の切り抜き動画に「くら替え」しているケースも複数みられました。

私たちが確認した332のチャンネルの総再生回数は、政治家の切り抜き動画やその関連動画を合わせ35億超。再生数が1億を超えているチャンネルも5つありました。

再生回数3億超のチャンネルも

今回、再生回数が3億3000万回と最も多かったチャンネルの運営者に、直接話を聞くことができました。

待ち合わせた場所にやってきたのは、東京都内に住む30代の男性でした。

 

「もともとYouTubeはやったことがなくて、政治に特段興味があったわけでもないんですけど、やっぱりきっかけは石丸伸二さん。見れば見るほど、自分の中にたまっていくのがもったいないと思って、自分が持っている知識を発信したほうがより伝わるし、多くの人に伝えられるんじゃないかと思って始めました」

男性のチャンネルでは石丸氏の発言を中心に、毎日、動画を配信しています。これまでに投稿した動画はおよそ1000本に上ります。

男性は、勤めていた会社をおととしに辞め、いまはYouTubeの配信を専業に。

作業は1人で行っていて、議会の動画を作る際には、議会での発言のすべてを少なくとも4回は視聴してから作るとしています。

総再生回数3億回超

「収入は会社員時代の2倍、働いている時間も2倍になった」と述べる男性。

取材を行った日も朝まで動画を制作し、昼や夜、平日や休日の区別がないような生活になっているといいます。

動画を見た人からは「政治に興味はなかったけど初めて選挙に行こうと思いました」などといったコメントが付くようになりました。

「発言している人の意図を損ねないこと、あとは視聴者に分かりやすく伝わりやすくすること。僕の主観でしかないんですけど、落としちゃいけない情報はやっぱりあるし、いかに言っていることをブーストして伝えるかってところですね」

「自分がやっていることで世の中の人が興味を持って、例えば選挙だったら投票に行ってくれる。そんな仕事ができているって話じゃないですか。いろんな仕事がある中で影響力がある方の仕事かなと思う」

配信する理由、収益は

 
取材班

NHKでは、このほかにも、政治系の切り抜き動画を投稿しているチャンネルを対象に取材を試みました。

比較的再生回数が多かった68のチャンネルに取材の依頼をメールで送ると、対面でのインタビューに応じた2人以外に、4つのチャンネルから回答がありました。

その中で見えてきた、動画を発信する理由は…

「当初は収益が目的だったが、政治について意見交換するためのコミュニティーの役割も感じている」
「目的は収益だが、政治家の話を聞くことに面白みを感じはじめ、興味とも一致したから」

さらに、収益については…

「月30万前後」
「平均して一般のサラリーマン程度」
「月に50万から150万程度」

アウトソーシングも盛んに

政治系切り抜き動画の「ブーム」とも言える状況、中には編集作業を外注するケースも多く見られます。

大手の求人仲介サイトで政治系の切り抜き動画に関する求人がどれくらいあるか調べると、この1年だけでも600件以上見つかりました。

動画の編集や表紙に当たるサムネイルの作成、文字起こしの作業を1件当たり数千円ほどで募集しているものが多く見られました。中には、運営そのものについての求人で数十万円を提示しているものも。

私たちが取材した中にも、こうしたサービスを使って実際に外注していると答えた人や、運営が安定したら外注したいと答えた人もいました。

政治への関心高めるメリットの一方…

 

急増する、政治系の切り抜き動画。

インターネット上の情報の広がりを研究している東京大学の鳥海不二夫教授は「政治に対する関心を高める」「より多くの情報を得ることができる」というメリットがある一方、「情報が偏ること」や、偽情報や誤情報の拡散、ひぼう中傷などの問題があると指摘します。

「たとえば選挙において、街頭演説で候補者を見る機会はなかなかなくても、切り抜き動画で候補者の主張を聞けるという意味ではメリットがあります。候補者にとっても自分に関する多くの情報を出してもらえるということで、メリットがあります」

「デメリットとしては表示される情報が特定の候補者に偏ってしまうことがある。間違った情報を流していたとしてもそれがどんどん拡散してしまったり、ほかの候補者に対しての攻撃的な言動といったものが切り抜かれて拡散することも起こりえる」

情報の真偽はどう判断?

石川県で政治家の切り抜き動画を配信している男性のチャンネルでも、去年の兵庫県知事選挙に関する誤った情報がみられました。

政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、1月に亡くなった元兵庫県議会議員の男性について「警察の任意の取り調べを受けていた」などと発言している動画の切り抜きで、兵庫県警が否定し、立花氏も謝罪しましたが、このチャンネルでは現在も削除されずに公開されています。

どう考えているのか。男性はこう答えました。

 

「あくまで切り抜きチャンネルなので。情報の真偽はある程度精査して、正しいと思っている人をフィーチャーして発信していますが、1人でのファクトチェックには限界があるし、ひぼう中傷とかを一個人では止めることができない。加担しようとも思っていないですし、そこは波に乗って、流れに任せてという感じです」

メールで回答を寄せた人たちからは…

「直接政治家に話を聞いたり、記者会見の場に参加することはできないので、ノーカットのものを見るようにしている。思い込みや予測で言うときは『臆測』や『邪推』といった個人の主観であることを伝える」
「SNSによる誤情報、ひぼう中傷があることも事実なので、ないように尽力したい」

著作権の問題も…

また、許諾を得ずに映像を切り抜いているという問題も。

政治系の切り抜き動画では、ネットの番組や国会のインターネット中継など著作権のある映像を使っているケースも多く見受けられます。

取材した人の中には、著作権についてあまり認識せずに映像を使っている人もいた一方で「使用する動画について切り抜きOKと明記されているものや、不明なものは許可が取れたもののみを使用するようにしている」といった回答をした人もいました。

国会インターネット中継の切り抜き「打つ手がない」

国会での審議の様子をインターネットで中継している衆議院の事務局は「あくまで報道と教育に使用されることを想定している。衆議院に著作権はあるものの、一般の方がYouTubeなどでアップすることは想定していないし、確認もしていないので答えようがない」としています。

また、参議院の事務局も「参議院のクレジットをつけていたとしても、パソコンで収録して保存することは許可していない。配信して収益化をすることも許可しているわけではない。YouTube上の動画は引用元が分かりづらく打つ手がなかなかないというのが現状だ」としています。

 

YouTube側の見解は

YouTubeを運営するグーグルは、会社で定めるガイドラインに反するような誤情報や選挙妨害を促すようなコンテンツなどがあれば削除の対象となるとしています。

また、著作権については、「著作権利者が有効な申し立てをした場合には動画を削除して著作権侵害に関する警告を適用する」としているほか、90日以内に3回の著作権侵害の警告を受けた場合、そのアカウントは関連するチャンネルも含めて停止されるとしています。

“動画が表示される仕組み”を知る

政治系の切り抜き動画を私たちはどう受け止めていけばいいのか。東京大学の鳥海不二夫教授は、いま、YouTubeで見ている動画がどのような仕組みで表示されているのか知ることが大事だと指摘します。

政治系の動画についていうと、一度、ある候補者の動画を見始めると、「利用者はその候補者の情報を得ようとしている」と判断する「アルゴリズム」の仕組みが働いて、特定の候補者の情報ばかりが表示されるようになります。

東京大学 鳥海不二夫教授
「多くのプラットフォームではAIによる推薦システムを導入していて、できるだけ再生回数を増やす方向に動いていく。AIによって特定の動画を見させられているというような状況が作られていると思います」

また、配信した動画が多く再生されると広告収入が多く得られる、注目されることがお金になる「アテンションエコノミー」の仕組みもあります。

刺激が強い動画のほうが注目を集めやすいことに、注意が必要だといいます。

「自分の動画以外にも多くの動画があった場合、他の動画よりも自分の動画が選ばれるようにより刺激的であったり、より興味や関心を引くような動画を投稿しなければいけないということになります。よりよい情報を出して関心を奪うということであれば特に問題はないですが、より刺激的であったり、本当かうそか分からないけれどもみんなの興味を引きそうなもののほうがより再生されることになります」

「現在のこの情報空間がアテンションエコノミーに支配されているということをきちんと理解するのが必要と思います。情報空間がどのように成り立っているのか、きちんと理解するのは非常に重要なことではないかなと思います」

選挙のSNS活用で国の動きも

選挙期間中のSNS規制については、政治の側でも議論が行われています。

選挙でSNSの活用が広がる中、真偽不明の情報や偽情報の拡散が議題になっているとして、与野党7党は「選挙運動に関する各党協議会」を設けました。

協議会では、収益化の規制やプラットフォーム事業者の責任の明確化、それに公職選挙法の「虚偽事項公表罪」の適用の厳格化などについて話し合いを進めています。

情報も、食事と同様にバランスを

国やプラットフォームに求められることについて鳥海教授は。

「表現の自由と、それによって生じるリスクのバーターになると思いますが、私自身は民主主義の根幹である表現の自由を侵すべきではないという立場です。構造的なところから変えていく必要があると思います」

「国は情報空間全体がどうあるべきかというところをきちんと考えるべきだと思います。AIの力によって情報空間そのものがゆがめられていることを踏まえた上で、根本的な解決というところを目指すべきではないかなというふうに思います。技術的な壁や法的な壁もありますが、最終的には情報の接し方を自分たちでコントロールする権限を取り戻すことを目指すべきなのではないかと考えています」

最後に、私たちがいまできることについては。

「与えられる情報だけをそのまま摂取していくと、AIにコントロールされてしまうことになりかねません。食事を取るときに健康に気を使うのと同じように、刺激的でおもしろそうな情報に飛びついていいのか、それを信用するべきかどうかなど、慎重に考え、バランスよく情報を得ようと気を付ける必要があると思います」

(機動展開プロジェクト 籏智広太、金澤志江 / 経済部 岡谷宏基)


小池都知事が公明党支援へ

2025年06月17日 10時24分06秒 | 社会・文化・政治・経済

2025年6月15日

小池都知事の街頭演説(要旨)

公明と共に都政を前へ
信頼と連携ベースに 都民の命と暮らし守る

小池百合子・東京都知事は13、14の両日、大激戦を続ける公明党の都議選候補の街頭演説に駆け付け、支援を呼び掛けた。小池知事の街頭演説の要旨は次の通り。

“チルドレンファースト”の都政を都議会公明党と一緒に進めてきた。(0~18歳に月5000円を支給する)「018サポート」、そして保育料の第2子以降の無償化、これを一歩進めて第1子からの無償化を進める。子ども医療費無償化、給食費の問題も都議会公明党から再三要望をもらってきた。それを着実に、信頼と連携の基で進めているのが現在の都政だ。

物価高の折、暮らしを守るため、水道代の基本料金を夏の4カ月間、無償化する。これは都議会公明党からの提案があって成り立ったものだ。水道代が1世帯当たり5000円ほど抑えられる分、ぜひエアコンを使って室内での熱中症を防ぎ、猛暑から命と健康を守ってもらいたい。

首都直下地震、洪水、火山の噴火――。こうしたいくつものリスクに都は備えている。現在の都政は、都議会公明党からの要望、提案を盛り込んだ予算を基にスピーディーに進めている。だからこそ公明議員が地域課題を都に届けることは皆さんの命を守ることにつながる。

2025年は、「団塊の世代」が後期高齢者に入る年だ。シルバーパスを(10月から住民税課税世帯の年間負担額を)4割引き下げる。

東京を世界で一番輝く都市に。そして、一人一人が輝ける都政を都議会公明党とつくっていきたい。そのためにも、公明候補を都議会に送り出してもらいたい。


ドストエフスキーとの出会い

2025年06月17日 10時00分55秒 | 社会・文化・政治・経済

日本の近現代の文学に最も影響を与えた作家である。

人間は何のために生きるのか?

他人に役立っている時、生きる充実感を覚えるのが人間の本質ではないか。

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーロシア語Фёдор Миха́йлович Достое́вский[* 2] [ˈfʲɵdər mʲɪˈxajləvʲɪtɕ dəstɐˈjɛfskʲɪj] ( 音声ファイル)1821年11月11日ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕)は、ロシア帝国小説家思想家レフ・トルストイイワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。

28歳で空想的社会主義に関係して逮捕されるが、出獄後、社会主義に批判的になり、キリスト教人道主義へと思想を変化させ、代表作である『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』などを発表し、「現代の預言書」とまでよばれる文学を創造した。ドストエフスキーの著作は、世界中で読まれ、170以上の言語に翻訳されている

ソルジェニーツィンチェーホフニーチェサルトルウィトゲンシュタインアインシュタイン、日本人では、黒澤明湯川秀樹小林秀雄大江健三郎村上春樹三島由紀夫埴谷雄高などの多くの人物に影響を与えた。

生涯

幼少期

マリア・フョードロヴナ・ネチャエワ(母)
ミハイル・アンドレ―ヴィチ・ドストエフスキー(父)

フョードル・ドストエフスキーはモスクワのマリインスキー貧民救済病院の官舎で、ミハイル・アンドレ―ヴィチ・ドストエフスキーの次男として、生まれる。ミハイルは、マリインスキー貧民救済病院の医師であり、後に院長を務めた。母は、モスクワの裕福な商人の娘であった。敷地内にある実家で育つ。兄1人、妹2人、弟2人あり。1827年に、父が八等官に昇進して領地を持つことが許された。

四年後の1831年に、モスクワから150キロメートルほど南に離れたトゥーラ州にあるダロヴォーエを買う。その翌年には、隣村のチェリョーモシナを買い、「地主貴族」になった。しかし、土地を買ってすぐに大火事が起こり、二つの土地の屋敷は灰と化した。同年の夏には領地の屋敷は罹災から復興した。ドストエフスキーは、母が読み書きに使っていた『旧約聖書』や『新約聖書』、またシラーの『群盗』などに強い感銘を受けた。

青年期と両親の死

1833年、中学受験のため兄・ミハイルと一緒にドラシューソフの塾に通い、1834年に文学教育で有名な、チェルマーク寄宿学校に入学。1837年に母が死去した。そののち、兄ミハイルとともにサンクトペテルブルクに遊学。この年咽喉の病により発音が不自由となる。1838年16歳の時に帝都のサンクトペテルブルク陸軍中央工兵学校に入学[* 3]

1839年、父が農民に恨みを買い、ドストエフスキー家が所有する2つの領地であるダラヴォーエとチェルマシニャーの境界あたりで惨殺された

1840年士官候補生となる。1841年、野戦工兵旗手となる。1842年8月、少尉に任官。1843年8月に工兵学校を卒業した。卒業後に勤務したサンクトペテルブルクの工兵隊製図局が肌に合わず、約1年で中尉昇進のうえ退職し作家を目指す。工兵学校生・作家時代を送ったサンクトペテルブルクは、物語の舞台として数々の作品に登場する。

作家としてのスタート――新しいゴーゴリ

1846年、処女作『貧しき人々』を批評家のヴィッサリオン・ベリンスキーに「第二のゴーゴリ」と激賞され、華々しく作家デビューを果たす。デビュー前のドストエフスキーから直接作品を渡されて読んだ詩人ニコライ・ネクラーソフが、感動のあまり夜中にドストエフスキー宅を訪れたという逸話は有名である。

デビューこそ華々しかったが、続けて発表した『白夜』『二重人格』は酷評をもって迎えられる。

死の体験と流刑

その後、ミハイル・ペトラシェフスキーが主宰する空想的社会主義サークルのサークル員となったため、1849年に官憲に逮捕される。死刑判決を受けるも、銃殺刑執行直前に皇帝ニコライ1世からの特赦が与えられて(この一連の特赦は全て仕組まれたものであった)、シベリア流刑へ減刑となり、オムスク1854年まで服役する。

この時の体験に基づいて後に『死の家の記録』を著す。他にも『白痴』などで、死刑直前の囚人の気持ちが語られるなど、この事件は以後の作風に多大な影響を与えた。刑期終了後、セミパラチンスクにおいて兵士として軍隊で勤務した後、1858年にペテルブルクに帰還する[5]。この間に理想主義者的な社会主義者からキリスト教人道主義者へと思想的変化があった。その後『罪と罰』を発表し、評価が高まる。

自身の賭博にのめり込む性質、シベリア流刑時代に悪化した持病のてんかん側頭葉てんかんの一種と思われる。恍惚感を伴う珍しいタイプのてんかん)などが創作に強い影響を与えており、これらは重要な要素としてしばしば作品中に登場する。賭博好きな性質は、必然としてその生涯を貧乏生活にした。借金返済のため、出版社との無理な契約をして締め切りに追われる日々を送っていた。あまりのスケジュール過密さのため、『罪と罰』『賭博者』などは口述筆記という形をとった。速記係のアンナ・スニートキナは後にドストエフスキーの2番目の妻となる。

また、小説以外の著名作に『作家の日記』がある。これは本来の日記ではなく、雑誌『市民』でドストエフスキーが担当した文芸欄(のちに個人雑誌として独立)であり、文芸時評(トルストイアンナ・カレーニナ』を絶賛)、政治・社会評論、時事評論、エッセイ、短編小説、講演原稿(プーシキン論)、宗教論(熱狂的なロシアメシアニズムを唱えた)を含み、後年ドストエフスキー研究の根本文献となった。ドストエフスキーは『作家の日記』でユダヤ人を批判する反ユダヤ主義的な主張を死去するまで繰り返し、またアーリア民族を賛美した

その一方で、『作家の日記』においてドストエフスキーは、年少犯罪者や養育院など恵まれない子どもたちの生活に深い関心を寄せ、愛や人類の再生について考えていた[7]

ドストエフスキーの葬列を描いたスケッチ

晩年に、自身の集大成的作品『カラマーゾフの兄弟』を脱稿。その数ヵ月後の1881年1月28日午後8時38分、家族に看取られながら亡くなった。ドストエフスキーの葬儀には、三万人の人びと、七十二の団体、十五の聖歌隊が参加した[8]。1月31日にアレクサンドル・ネフスキー大修道院墓地に葬られる[9]。ドストエフスキーの墓には、『カラマーゾフの兄弟』の序文で引用した、新約聖書の『ヨハネによる福音書』第12章24節が刻まれている。

よくよく私はあなたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死なない限り、それは一粒のままだ。だが、死んだのであれば、それは多くの実を結ぶ。— 『ヨハネによる福音書』第12章24節

人物

女性関係

ドストエフスキーは多くの女性たちと複雑な恋愛関係を持ったが、それは直接的にも間接的にも作家活動に影響を及ぼした。最初の妻マリアは既婚であり、後の恋人ポリーナ・スースロワとの交際も屈折したものだった。2番目の妻であるアンナ英語版は家政をみるだけでなくドストエフスキーの速記役でもあるが、彼女たちはただ伝記のなかに現れるばかりでなく、小説中の登場人物のモデルとも考えられている

思想

刑期が終わり、サンクトペテルブルクで作家活動を再開したころから、ドストエフスキーは保守的な作家として活動を始める。しかし、その保守的な態度も検閲や監視を恐れたからであると、佐藤優は指摘している。

また、理想主義から転向したのちの、キリスト教やロシア帝国、皇帝を賛美するような言動も表向きの「二枚舌」であると亀山郁夫は指摘している。

 


冠遺跡の石器

2025年06月17日 08時26分34秒 | 社会・文化・政治・経済

広島 冠遺跡で約4万2000年前の石器を発掘 研究者が発表

広島県廿日市市にある旧石器時代の遺跡で、およそ4万2000年前の石器を発掘したと、奈良文化財研究所の研究者が発表しました。見つかった石器は、その特徴や地層の年代などからいわゆる遺跡発掘の「ねつ造問題」で見直しが迫られた、後期旧石器時代より前の時代のものの可能性があり、日本列島に人類が到達した時期を考える上で貴重な発見として注目されます。

これは、25日茨城県つくば市で開かれた日本考古学協会の研究発表会で、奈良文化財研究所の国武貞克 主任研究員などが発表したものです。

それによりますと、広島県廿日市市にある冠遺跡で去年9月行われた発掘調査で、3万6000年前の地層よりも古い地層から、石器およそ370点がまとまって出土したということです。

広島県廿日市市の冠遺跡の発掘調査の様子

その後、出土した地層から見つかった木炭を放射性炭素で年代測定した結果から、石器はおよそ4万2000年前のものだと分かったということです。

これまで国内で見つかった石器のうち、多くの研究者が最も古いと考えている3万7000年余り前のものを5000年ほどさかのぼるとしています。

見つかった石器の一部

さらに、見つかった石器の一部は縁が削り取られてノコギリの歯のようになっていて、中国大陸や朝鮮半島で見つかっている4万年以上前の中期旧石器時代の石器と特徴が似ているということです。

後期旧石器時代をさかのぼる時期の石器については、2000年に発覚したいわゆる遺跡発掘の「ねつ造問題」で見直しが迫られましたが、今回見つかった石器はその時代のものの可能性があり、日本列島に人類が到達した時期を考える上で貴重な発見だとしています。

国武主任研究員「中期旧石器時代の扉が開いた」

 
奈良文化財研究所 国武貞克 主任研究員

国武主任研究員は「日本列島における中期旧石器時代の扉が開いたと思う。日本列島の遺跡だけで完結して議論するのではなく、大陸と日本列島を同じそ上に乗せて研究すべきだ。『ねつ造問題』以来、特に慎重さが求められているので、今後も確からしさを積み重ねていきたい」と話していました。

専門家「旧石器時代の研究の進展に大きな期待」

 
岡山大学 稲田孝司 名誉教授

日本の旧石器時代に詳しい岡山大学の稲田孝司 名誉教授は後期旧石器時代をさかのぼる時代の可能性がある石器が見つかったことについて「『ねつ造問題』の時の石器とは異なり、冠遺跡では石器が地層の上から順番に非常に手堅く出土している。多くの研究者が可能性があると考えていた成果が得られたのではないか。九州の遺跡では冠遺跡の石器と似たものが見つかっているが、出土した地層がはっきりしないものがある。こうした石器を研究する基準資料となり、これからの旧石器時代の研究の進展に大きな期待が持てる」と話していました。

そのうえで、かつて「ねつ造問題」が起きたことを踏まえ「細かいところはこれから学会で検討していく必要がある。資料を広く公開し多くの人で検討してほしい」と話していました。

ねつ造問題後 これまでの研究は

国内の後期旧石器時代をさかのぼる遺跡をめぐっては、民間の考古学者による遺跡発掘のねつ造問題が発覚して以来、研究はいったん白紙の状態となっていました。

2000年に、およそ60万年前の石器が見つかったとされた宮城県の上高森遺跡などで考古学者が石器を埋めて発掘をねつ造していたことが判明。

日本考古学協会による検証が行われ、宮城県の上高森遺跡や座散乱木遺跡など、前期・中期旧石器時代とされたおよそ160の遺跡の資料は、「学術的な資料として取り扱わない」とされました。

このため、後期旧石器時代より古い時代の研究は、白紙に戻って再出発することになりました。

問題の発覚後におよそ12万年前の石器が見つかったと発表された遺跡もありますが、人の手で加工された痕跡がはっきりしないという意見もあり研究者の間で見方が分かれています。

そのため、これまでは、熊本市の石の本遺跡や静岡県沼津市の井出丸山遺跡で見つかった後期旧石器時代に当たるおよそ3万7000年前の石器が多くの考古学者から国内で最も古い資料だと見なされていました。

今回、冠遺跡ではそれらを5000年ほどさかのぼる石器が発見されたことになります。

ねつ造問題の際には雑誌への掲載や学会での報告を前に、報道発表が先行したことも問題視されたため、冠遺跡に関する報告は、他の研究者の検証も受けるために学会で発表する形を取ったということです。

冠遺跡で見つかった石器

冠遺跡は広島県廿日市市の山間部にある旧石器時代の遺跡です。

発掘調査は、おととしと去年の2回にわたって行われ、このうち去年9月の発掘調査で、3万6000年前の地層よりも深くて古い「VI層」(ろくそう)と呼ばれる地層から370点余りの石器が見つかりました。

「VI層」から見つかった木炭の放射性炭素による年代測定から、石器はおよそ4万2000年前のものだと分かったということです。

石器はほとんどが黒色安山岩で作られていて、このうち先端をとがらせた「せん頭器」と呼ばれる種類のものが3点出土したということです。

これらの「せん頭器」は、縁が削り取られてノコギリの歯のようになっていて、中国大陸や朝鮮半島で出土する4万年以上前の中期旧石器時代の石器の特徴が似ているということです。

このため、日本列島に人類が到達した時期を考える上でも貴重な発見だということです。

 


人間革命とは?

2025年06月16日 23時33分34秒 | 社会・文化・政治・経済

「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた」から始まる小説『人間革命』、「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」から始まる小説『新・人間革命』は、池田先生がつづられた創価学会の「精神の正史」です。

戸田先生と池田先生の姿を通し師弟の生き方が記された、学会員の「信心の教科書」ともいえます。

また、そこにつづられているのは、宿命の嵐と戦い、広宣流布に生き抜く、無名の庶民による人間革命の劇であり、それは、宿命を使命に転じ、蘇生した、地涌の菩薩の群像でもあります。

・『人間革命』『新・人間革命』には、学会員の生き方が描かれているんですね。

『人間革命』第1巻「はじめに」に記されている「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」との主題こそ、私たち創価学会の運動が目指すものです。

『新・人間革命』第1巻「あとがき」には、こうあります。「生命の続く限り、私は書き続ける。正しい仏法とは何か。正しい人生とは何か。そして、何が歴史の『真実』か。人間にとって『正義』の戦いとは何かを。そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ」この小説に示された指針を、私たちが「精読」し「実践」することが大切といえるでしょう。

人間革命(にんげんかくめい)は、創価学会の戸田城聖(第2代会長)によって唱えられた宗教思想。その意味は、自分自身の生命や境涯をより良い方向へ変革し、人間として成長・向上を目指すということである。さらに、各個人が「人間革命」を遂げることにより、社会全体の変革さえも可能であると説かれている。

小説の『人間革命』は、この「人間革命」の思想をテーマとして、創価学会の歴史と戸田城聖の生涯を描いた長編小説。

創価学会名誉会長(第3代会長)池田大作の代表的な著作である。創価学会では教学上重要な文献とされ、「精神の正史」と位置付けられる。

池田大作(名誉会長)の小説『人間革命』は1965年(昭和40年)に聖教新聞で連載を開始し、1993年(平成5年)に完結した。続編『新・人間革命』は1993年(平成5年)に聖教新聞で連載を開始し、2018年(平成30年)に完結した。

本項では、戸田城聖が1951年に聖教新聞の創刊号で連載を開始し、1954年に完結した同名の小説『人間革命』(後に『小説 人間革命』と改題)についても併せて紹介する。

小説

小説としての『人間革命』は、戸田城聖(第2代会長)の創価教育学会再建から戸田城聖の死去までの経過と、山本伸一(池田大作の別名義)の1947年(昭和22年)の創価学会への入信から1960年(昭和35年)の第3代会長の就任までを描いている。全12巻。 続編の『新・人間革命』は、山本伸一の1960年(昭和35年)の創価学会の第3代会長就任から1991年(平成3年)の日蓮正宗(宗門)との決別までを描いている。全30巻31冊。

戸田城聖による同名の小説『人間革命』と、池田大作による同名の小説『人間革命』(英語題:"The Human Revolution")で、いずれも『聖教新聞』に連載された。戸田版は創価学会草創期のエピソードを、池田版は創価学会再建期からのエピソードなどを小説化したもの。

事実に基づいたフィクションの体裁を取るため、登場人物の氏名は変更されている。戸田版『人間革命』において、戸田城聖は主人公の「巌 九十翁(がん くつお)」の変名で登場するが、創価学会初代会長の牧口常三郎は「牧田城三郎(まきた じょうざぶろう)」の変名を使っていた。だが、平成以降の増刷版では牧口常三郎については実名表記となり、事実上ノンフィクションとなった。

池田版『人間革命』並びに『新・人間革命』に牧口常三郎と戸田城聖は実名で登場するが、主人公の池田大作(第3代会長、のちに名誉会長)は「山本伸一(やまもと しんいち)」、第4代会長の北条浩は「十条潔(じゅうじょう きよし)」、第5代会長の秋谷栄之助は「秋月英介(あきづき えいすけ)」の変名で登場する。

聖教新聞社によれば、池田版の『人間革命』とその続編『新・人間革命』(英語題:"The New Human Revolution")は、2018年9月8日の連載終了時点で7,978回(『人間革命』1,509回、『新・人間革命』6,469回)に及んでいる。日本の新聞小説の連載回数としては山岡荘八の小説『徳川家康』を上回り、史上最長とされた。

池田版には川端龍子、三芳悌吉による挿絵がある。

成立過程

戸田城聖は「妙 悟空(みょう ごくう)」というペンネーム(筆名)のもと、1951年(昭和26年)から『聖教新聞』に『人間革命』を連載して1954年(昭和29年)に完結した。1957年(昭和32年)に単行本が刊行され、1988年(平成10年)に『戸田城聖全集』の第8巻に収録された。これを引き継ぐ形で、池田大作が「法 悟空(ほう ごくう)」というペンネーム(筆名)のもと、1965年(昭和40年)から『聖教新聞』に『人間革命』を連載し、1993年(平成5年)に完結した。

戸田版は1951年(昭和26年)4月20日(『聖教新聞』創刊号)から1954年(昭和29年)8月1日までの3年4か月、池田版は1965年(昭和40年)1月1日から1993年(平成5年)2月11日まで幾度の休載を挟みながら28年1か月強連載された。その後、1993年(平成5年)11月18日から2018年(平成30年)9月8日まで続編の『新・人間革命』が24年10か月弱連載された。『新・人間革命』の単行本の最終巻となった第30巻は上下巻に分割して刊行されたため、単行本は実質的には全31冊となった。これは、単行本第1巻の前書きで「全30巻を予定している」と記したものの、第30巻が1冊で収まらなくなるほどの分量となったためである。

現在、刊行されている池田版『人間革命』は、『池田大作全集』(「全150巻に及ぶ世界最大級の個人全集である」と創価学会側は主張している)に所収(第144巻 - 第149巻に収録。全12巻を6巻分に再編し、2012年9月から2013年7月まで刊行)される際に改訂されている(これを第2版とする)。

第2版では、全集刊行委員会が修正を提案し、池田の了承を得て修正した箇所が複数ある。変更箇所は主に日蓮正宗に関連する用語などで、例えば初版では作中に登場する日蓮正宗(宗門)の僧侶を「先生」や「尊師」といった敬称で呼んでいたところを、第2版では「住職」という比較的尊敬の意味の薄い呼び方に置き換えられた。この第2版は単行本としてではなく文庫(聖教ワイド文庫)版として、全12巻が2012年12月から2013年12月にかけて刊行された。

位置付け

『人間革命』は創価学会の教学上重要な文献とされ、1977年(昭和52年)1月の第9回教学部大会での講演「仏教史観を語る」で、第3代会長池田大作は自らの『人間革命』を日蓮の遺文を集めた御書(創価学会が刊行している「新編 日蓮大聖人御書全集」または「日蓮大聖人御書全集 新版」をさす)に匹敵する書物として位置付けた。

創価学会の教学部が実施する教学試験(任用試験、3級、2級、1級の4ランクがある)を受験しようとする創価学会員には日蓮大聖人の御書に加えて、『人間革命』三部作、その中でも特に池田版『人間革命』及び『新・人間革命』を理解することが求められた。

ただし、三部作はあくまでも事実に基づいたフィクションの体裁を取っている関係で、変名を使用しない完全な事実のみを記載したという意味では、同じく創価学会が発行する月刊機関誌『大白蓮華』の巻頭企画の方が歴史的な資料性が高い。

→「大白蓮華 § 企画」、および「創価学会 § 名誉会長・歴代会長」も参照

聖教新聞社によれば、2018年時点で『新・人間革命』の累計発行部数は2400万部、『人間革命』と『新・人間革命』を合わせると5400万部である。

批判

島田裕巳は、『戸田版』が別人による代作であった可能性を示唆した。その理由として、戸田には他にまとまった著作がほとんどないことを挙げている。

→「戸田城聖 § 著作・論文」も参照

また、『池田版』にもゴーストライターが存在するという指摘が月刊ペン事件の公判で明らかにされている。

さらに、『新・人間革命』や2006年(平成18年)3月から2023年(令和5年)11月に死去するまで池田大作が機関誌『大白蓮華』に寄稿していた巻頭言についても聖教新聞社の担当職員による代作説が指摘されていた。

これらの指摘に対して創価学会側は「『池田版』の一部の原稿については、後述する理由から池田自身が執筆していない」ことを公式に認めている。理由については、「『池田版』は著者の池田大作が多忙を極める中で執筆していたほか、池田自身の体調不良によって執筆が中断することもあったため、一部の原稿については池田大作の妻・池田香峯子や聖教新聞社で『池田版』を担当していた記者による口述筆記のほか、カセットテープに録音された池田の肉声を文章化(文字起こし)する形で補っていた」と説明している。

映画
人間革命
監督 舛田利雄
脚本 橋本忍
製作 田中友幸
出演者 丹波哲郎
音楽 伊福部昭
撮影 西垣六郎
製作会社 
東宝映像
シナノ企画

配給 東宝
公開 1973年10月6日
上映時間 160分
製作国 日本
言語 日本語
配給収入 13億円

続・人間革命
監督 舛田利雄
脚本 橋本忍
製作 田中友幸
出演者 丹波哲郎
音楽 伊部晴美
撮影 西垣六郎
製作会社 
東宝映像
シナノ企画

配給 東宝
公開 1976年6月19日
上映時間 159分
製作国 日本
言語 日本語
配給収入  16億700万円
(1976年邦画配給収入1位)

1973年(昭和48年)9月8日に、『人間革命』のタイトルで東宝と創価学会系のシナノ企画の共同製作で映画化された。1976年(昭和51年)に、ほぼ同じスタッフ・キャストで『続・人間革命』が公開されている。スタッフ、キャストともほとんどが創価学会の外部からの豪華な俳優メンバーであり、あくまで一般映画の大作としてアピールした。

東宝映像が制作を行っていることから、1作目の『人間革命』(1973年公開)での十界論のイメージや2作目の『続・人間革命』(1976年)での日蓮大聖人の著作「立正安国論」の天変地異の描写などに特撮が用いられている。

当時は映画業界の斜陽化により特撮作品の制作も減少していたが、東宝は本作品でその存在感を知らしめ、以後キャラクター・パニックもの以外の映画やCMなどでの特撮制作の受注が増加していった[26]。

1973年の観客動員数では、『日本沈没』に次ぐ第2位となった。

2006年にシナノ企画からDVDが発売されている。2018年10月〜11月にスカパー!の日本映画専門チャンネルでテレビ初放送された。

人間革命(1973年)
キャスト
戸田城聖:丹波哲郎
牧口常三郎:芦田伸介
戸田幾枝:新珠三千代
戸田喬一:木下圭介
山平忠平:森次晃嗣
栗川:名古屋章
奥村:桑山正一
工藤:伊藤るり子
片山:伊豆肇
高島:堺左千夫
三島由造:稲葉義男
北川直作:田島義文
藤崎洋一:浜田寅彦
岩森喜造:加藤和夫
本田洋一郎:内田稔
室田日照:山谷初男
清原かつ:福田公子
泉田ため:瞳麗子
小西武雄:佐原健二
原山幸一:長谷川明男
関久男:石矢博
堀米内務部長:草川直也
渡辺弁護士:平田昭彦
ジャンパーの男:渡哲也
検事:青木義朗
看守:谷村昌彦
刑事:細井利雄
学会員:鈴木ヤスシ、塩沢とき
病気の男:佐藤允
大喧嘩をする夫婦:雪村いづみ、江角英明
銀行強盗:黒沢年男
インターン:山本豊三
サラリーマン:高松しげお
若い女性:松下ひろみ
女性の恋人:鳥居功靖
日蓮大聖人:仲代達矢
スタッフ
企画:〝人間革命〟製作委員会
製作:田中友幸
製作補:田実泰良
監督:舛田利雄
脚本:橋本忍
原作:池田大作
撮影:西垣六郎
美術:村木与四郎
録音:増尾鼎
照明:森本正邦
音楽:伊福部昭
監督助手:渥美和明
編集:黒岩義民
スチール:中山章
特殊技術:中野昭慶
特殊撮影:富岡素敬
特殊美術:井口昭彦
特殊照明:大内良雄
合成:三瓶一信
製作:シナノ企画、東宝映像


キャスト


開示悟入の視点

2025年06月15日 11時37分35秒 | 社会・文化・政治・経済

梶田叡一著「教師力再興-優れた教師に満ち満ちた学校に」教育改革選書№2、明治図書出版、
2010 年6月刊を読む(2)
開示悟入の教育のために(2)
「開」と「示」と「悟」と「入」と
1.さて、それでは教育のあり方の何をどう工夫していったらいいのでしょう。どのような考え方に基づいて、どのような教育を目指し、どのような活動を展開していったらいいのでしょうか。
2.(1)私たちは「開・示・悟・入」という視点に立った教育の深め方を探求し、実践していくことによって、子どもの姿に現れている問題点を乗りこえ、現在の学校教育の当面する課題に応えていくことができるのではないか、と考えています。
(2)つまり「開」「示」「悟」「入」という四つのタイプの教育的働きかけを工夫し、実践的に深めていくことによって、一人ひとりが自らの実感と納得に基づき、自分自身にとって必然性のある課題にたくましく取り組んでいく、といった方向へ成長していくような教育が実現できるのではないか、と考えるのです。
3.(1)「開・示・悟・入」というのは、「開く」「示す」「悟らしむる」「入らしむる」ということですが、これはもともと、法華経の方便品にある言葉です。
(2)如来は何故にこの世に現れたもうたのか、という問いがあって、その答えとして言われている部分にあります。
(3)如来がこの世に現れたのは一つの大きな使命を果たすためだというのです。
(4)それは、衆生に仏の知見(悟りの境地、究極の知恵)を開かせて清浄にしてやるためであり、衆生に仏の知見を示したいからであり、衆生に仏の知見を悟らせてやりたいからであり、衆生を仏の知見の道に入らせたいからである、と言われています。
4.(1)私はここのところを初めて読んだ時に、仏教的な意味あいはさることながら、一つのことを本当に分からせるということには、なるほど「開く」という面、「示す」という面、「悟らせる」という面、「入らせる」という面、の少なくとも四つの面を同時に考えておかなくてはいけないのだな、と思ってハッとしたことを覚えています。
(2)日本の教育はどうしても知名度の高い学校を目指す受験競争の面を強く持ってしまっています。
(3)このため、学校では教科書の内容をストレートに「示す」だけに終わっていることが多いのではないだろうか、と考えたりもしました。
(4)また逆に、「開く」ことばかりを強調して、きちんと「示す」ということをないがしろにする教師もいるが、それで本当の教育と言えるだろうか、と考えたりもしました。
(5)ともかく、「開く」工夫、「示す」工夫、「悟らしめる」工夫、「入らしめる」工夫、のいずれをも大事にしなくては、知識や技能を真に主体化することはできない、ということを非常に強く思ったのです。
[コメント]
P132 ~ 134
教育のあり方の何をどう工夫したらよいか、その基本となる考えである「開」「示」「悟」「入」とは何か。その具体的内容が梶田先生により明らかにされていく。じっくりと考えたい。-2012年10月27日林 明夫


大学教育のあり方として人間教育を追求

2025年06月15日 11時33分52秒 | 社会・文化・政治・経済

学習指導要領/教育の情報化

人間教育とICT

現行学習指導要領のとりまとめの責任者であった梶田叡一・前中央教育審議会副会長(兵庫教育大学名誉教授・前学長)は、今春スタートした奈良学園大学の学長に就任、「梶田人間教育学」の名を冠した人間教育学部を創設され、自ら教授として教鞭もとられています。その梶田学長に、人間教育の目指すもの、ICTとの関係、そして、梶田学長が「人間教育シリーズ」として3冊の著書(『内面性の人間教育を』『たくましい人間教育を』『〈現代っ子〉に人間教育を』)を出版されたねらいを伺いました。

「不易」なる教育の根本課題に迫る

万古不易の教育の根本課題─。それが人間教育ではないかと思うのです。

今は経済的にも社会的にも世界各地の交流がどんどん進んでいって、世界が全体として動くようになりました。このため、世界市民としてやっていくためのグローバル・エデュケーションが大切だということは、あらためて言うまでもありません。また、技術革新は日進月歩ですから、今の世の中の動きについていくだけでも、特に理数系の学力はどうしてもつけていかなくてはなりません。また、こうしたことの土台として日本の伝統や文化を学び、それを基に世界各地の伝統や文化を学ぶことも不可欠となっています。

こうした教育課題は、いずれも大事なものですが、芭蕉の言葉でいえば「一時流行」であり、時々に変化していくものです。これと同時に「不易」の課題を、いつも頭に置かなければなりません。教育というのは、その時その時の課題ということで色付けしていかなければいけないけれども、そもそも本来どうあるべきなのか、があるわけです。芭蕉の言葉でいえば「万古不易」の、永久に変わらない教育の根本の課題があるのです。それが「人間教育」ではないでしょうか。

人間教育というのは、1人ひとりが深く自分の人生を生きていけるように教育していくことです。別の言葉で言うと、自分自身の固有の世界を大事にしながら、自分として本当に満足のいく毎日を送っていけるようにするということです。そこまで1人ひとりを深めていく、高めていく、そういうことが教育の究極的な課題ではないでしょうか。

その具体的な在り方として、現在の状況ではグローバルということが強調されたり、伝統文化が強調されたり、理数系の力が強調されている、と考えていくべきでしょう。根本が抜けた教育になってはいけないと思うのです。

例えば、良い学校に、有名大学への進学はどうかとか、一部上場企業への就職はどうかとか、そういう見方があるけれど、これももちろん大切です。しかし、こうした見方は、極端なくらい「一時流行」的なんですよ。表面的すぎるんです。一流大学へ行ったって、一流企業へ入ったって、良い人生になるかどうかはまた別の話なんです。だからこそ、やっぱり人間教育という不易の教育を考えていかなくてはいけないと思うのです。

同時にその教育を受ける過程、学習していく過程、その具体的な在り方もヒューマニスティックなものになってほしい。そういう期待が「人間教育」という言葉には込められています。

例えば韓国の大学受験の状況がよく報道されますが、あるいは中国でも一部そういうことがあると聞くわけですけれども、有名大学を目指すこと、そして社会的に出世することそのものが勉強の目標になり、そのためになりふりかまわず突き進む姿が見られると言われます。もしもそうであるなら、これは、とてもヒューマニスティックとは思えないでしょう。その子の豊かな可能性を全部削ぎ落とし、1つのことに特化して受験勉強をやっていく。こういう教育の過程、学習の過程では、人間的な成長と無縁になってしまうのではないかと思われてならないのです。

大学教育のあり方として人間教育を追求

人間というのは、その人なりの持ち味ができるだけ生きていかなきゃいけないし、その持ち味が生きていくためには、あまり特化し過ぎないで、いろんな可能性の同時追求が必要となります。大きな圧力のもとでとか、非常に厳しい指導のもとでということも、時にはあっていいのですが、自分からの内発的なものを大事にしながらやっていかないと、長い目で見たら、その人の持ち味は多面的に伸びていくことができないでしょう。

だから最終的に人間として深く生きられるようになるためには、プロセスの中でもそういう学習のあり方、教育のあり方を大事にしなきゃいけない。これが人間教育だということを今言っておかなければならないと思うのです。

そういうことは誰しも考えればわかることなんだけれども、どうしても目先のことだけになりがちです。奈良学園大学の人間教育学部をスタートさせるのは、そういうことは忘れないで、まず大学教育のあり方として人間教育を追求したいと思うし、同時にそこで育つ学生が教師になることで、人間教育を実践していってほしい、と思うのです。

人間教育の理念を実現するための具体的な教育活動の在り方だとか、カリキュラムの在り方も研究開発していけるような学部になってほしいと考えています。

人間教育の媒介としてのICT技術の大切さ

人間教育と、ICTに象徴されるような現代の技術的な発展が無関係だとか、人間教育では技術的な発展のことは考えなくていいといった誤解が一部にあるわけですが、そういうことではないと思います。深く生きるための情報を得る、深く生きるための知的な刺激を得るためにも、今のICT技術はとても大事です。

それだけでなく、結局は人が人を教育するわけですから、その媒介になるものとしてIT技術を活用すれば、人が人を教える、人と人とがコミュニケーションする、ということが今まで以上に効率的な形でやっていけますし、多面的な広がりをもってやっていけます。

例えば今一部の小学校、中学校、高校、大学でタブレットを持たせて学習することをやっています。タブレットを使うだけでも子どもは喜ぶでしょうが、そこで良いソフトを準備すれば、今まで以上に根本からいろんなことを考えるチャンスを子どもに与えることにもなるでしょう。また、1人ひとりの子どもが持っているこだわりも既習事項も関心のあり方も、それぞれ違うわけですから、その違いに対応した先生とのコミュニケーションが今まで以上にやれるでしょう。

集団的な授業の場面では、電子黒板が入ってきています。これは今までの黒板とは比べ物にならないぐらいわかりやすく大量の情報提供ができます。しかもどういう形で情報提示をしたか、あとで先生自身が振り返ってみるための記録がきちんと残せます。今までの黒板で、肉声で、教科書を使って、というだけの授業に比べれば何十倍、何百倍の深さと広さと効率性をもった教育の在り方を、その使い方によっては実現していけるでしょう。

「IT基本法」で活用の格差是正を

教授力を高めるために、積極的なICT活用を

ただ、これをやっていく上で今の問題は何かというと、やはり地域の経済力の差です。家庭の経済格差によって子どもの学力に大きな違いが出てくるという由々しき問題が表に出てきていますが、それにプラスして地域の経済力の違いもICT活用に関係してきています。また、市町村長、あるいは知事、あるいは国の教育行政を握る人の考え方次第で、ICT活用に大きな差が生じているように思います。IT技術がすばらしいものであればあるほど、さまざまな形で生ずる格差が、見過ごすことのできない問題になってくるのではないでしょうか。

ですから、国のレベルで「IT基本法」みたいなものをつくって、最低限これだけの環境を各学校に、また1人ひとりの子どもにしなくてはいけないといった措置を、こういう時代にはやっていくべきではないかと思います。

それに関連してもう一つ忘れてはいけないのは、現場の先生方、小中高には百万人近くの先生方がおられるわけですが、ICTに対する理解、活用能力に大きな差があることです。今教壇に立っている人たちは、教授力を高めるために、ITの活用技術についてはもっと積極的になるべきではないかと思います。こういう場面にはこういう機器を使って、こういうソフトを活用して、こういう活動をしていったら、10年前、20年前とは大違いの教育ができる、ということについて理解し、自分でそれをやっていける力をつけていくことが今特に必要じゃないか、と思われてなりません。

「人間教育シリーズ」出版の趣旨 子どもが人生を深く生きていく教育指導のために

「人間教育シリーズ」梶田叡一氏著最終的には子どもたち1人ひとりが自分の人生を深く生きていくようになってほしいわけですが、人間教育のプロセスとして、子どもがどういう資質能力を身につけていったらいいか、そのためにどういう活動を準備していったらいいか、指導していったらいいか、等々を考えるために、このほど「人間教育シリーズ」の3冊を出版しました。

内面性やコーピング(対処性)を強調

内面性ということを繰り返し言ってきたのですが、結局、深く生きるとか、自分の人生に責任をもてるようになるためには、1人ひとりが世の中のことをわからなければならないけれども、自分自身の独自固有の世界、「我の世界」ということがわかって、それを大事にできなければならない。

そのためには先生自身が、世の中で何がよしとされているのか、正しいとされているのかを教えるだけでなくて、自分の中でピンと来るものは何なのか、自分の中で本当にワクワクするものは何なのか、にこだわって指導していかなきゃいけない。これが内面性ということを言っている根本の理由なんですね。

そういうことをやっていく上で、どうしても当人の側からの世界への対し方が大事になってきますので、繰り返し言っているのが対処性(コーピング)です。まあ人間弱い面もありますから、しんどいことになると逃げたくなります、ごまかしたくなります。それをどう自分で克服していくか。逃げる、ごまかす姿勢の反対は、コーピング(対処性)という言葉で呼ばれてきました。心理学の概念です。しんどいことを克服するには、このコーピング(対処性)を身につけなくてはならない。

尼子十勇士の筆頭と言われた山中鹿之助が、月山の月を仰いで「我に七難八苦を与えたまえ」と言ったそうです。「我に勝利を与えてくれたまえ」でもなく、「栄誉栄華を与えたまえ」でもなく、「高い地位を与えてくれたまえ」でもなくて、「七難八苦を与えたまえ」と言う。こういうふうに人間が祈るときの姿は非常に意気軒昂なんですね。エネルギーに満ちあふれているんです。「何でも来い!どれだけ神が私に七難を与えようと、それを受けて立つぞ!」という立ち向かいの精神ですね。こういう人間にやっぱりみんな育っていってほしいですよね。

そうした強さがないと、自分の中にこういう大事なものがあると気がついて、育てていかなきゃいけないと思っても、世間のいろんな障害にぶつかって、結局は逃げるかごまかすかになってしまう。それを、しんどければしんどいほど頑張るという気持ちに変えていかなくてはいけない。これがコーピング(対処性)ということなんです。

これは日本でも武士の心構えとしてずっと言われてきたことです。ヨーロッパ、アメリカで心理学の概念として対処性が言われるわけですが、日本でも言われてきた伝統的な大事な精神であり、価値なのです。

教壇に立つ人は、みんなそういうことを心得てほしいし、あるいは親も心得てほしいし、社会一般の方々も心得てほしい。そして、そういう方向で今の子どもたちが育っていくようになってほしい。これが内面性と並んでコーピング(対処性)を強調したい理由なわけです。

「開示悟入」など指導する原理の再確認を

そのほかに私は「人間教育シリーズ」の中でいくつかのキーワードを語っております。例えば「開示悟入」です。子どもたちに大事なことをきちっと示すべきですが、その前に開くということがなきゃいけない。これからやることに対して心を開かせて、その上でポイントとなる点を示さなきゃいけない。そして示したことを当人がきちっと受け止めて、自分の納得にまで、悟らしむるところまで、いかなきゃいけない。最後は、入らしむる、入ですね。きちんと自分の身につくところまでいかなきゃいけない。

「開示悟入」というのは、指導する側からの原理です。これはもともとは法華経を中国で訳した羅什が、「示悟入」に「開」を加えたんですね。もともとの法華経には「開」はなかったんです。それが日本に入ってきて、日本でも心ある教育者は「開示悟入」ということを言ってきたことを、今思い起こさなくてはいけないと思うのです。

日本ではすぐ、「子どもに任せておけばいい」「指導でなく支援していくべきだ」というようなことが流行るんですが、やっぱり開くにしても示すにしても、親や教師や社会的指導者の責務なんです。放っておいて自ら何か気づいてくれるだろうというわけにはいかない。開くという働きかけによって、当面学ぶべきことの課題性に気づいてもらわなければいけないし、示すことで大事なポイントをどう考え、どう理解していくかをわかってもらわなければいけないし、その上で自分の納得のいくようにもっていかなくてはならないと、きちんと自分の身についていかない。こういうことをきちんと考えてほしい。

そういうように人間教育をする上で大事な原理として具体で考えるべきものを、この3冊の中で言っております。まあ言われてみれば当然だなということもあるかもしれません。しかし今、人間教育のあり方を教育界全体の共通基盤にしていかなくてはいけないのです。このことをみんなで再確認していきたいものだと考えています。

奈良学園大学
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わが胸中の偉大な「一念」の変革が決定打となる

2025年06月15日 09時51分23秒 | 社会・文化・政治・経済

▼思うようにいかないことがあればあるほど、喜び勇んで立ち向かっていくのだ。

何があっても強気で、思い切り戦うのだ。

▼不可能に見える高山に挑み、頂を極めてこそ、喜びは大きい。

▼一念を定め、知恵を絞り、団結していく。

そこに初めて、人々が不可能と思う「大きな勝利」「完勝」の扉が開く。

▼団結の力は、偉大である。

団結した民衆ほど、強いものはない。

いかなる逆境にも負けない。

どんな困難も乗り越え進む。

断じて勝っていける。

▼いかなる嵐があろうとも本物の「要」の人間がいれば、そして団結があれば、本陣は崩れない。

自分がその一人になると決意することだ。

▼勝負の鍵は、自分の外にあるのではない。

わが胸中の偉大な「一念」の変革が決定打となる。

▼羊千匹よりも獅子一匹。

▼快活は最高の宝—哲学者ショーペンハウアー

彼は、世界を「苦」と定義しつつも、「生の哲学の祖」としても知られています。ショーペンハウアーは、カントやインド哲学からの影響を受け、特にカントの認識論を批判し、独自の二元論を展開しました。

彼の思想は、人生の普遍的な問いに深く切り込み、ペシミズム(厭世主義)の代表格ともされています。 


「幻の名著」過去と思索 全7冊

2025年06月15日 09時15分22秒 | 社会・文化・政治・経済

ゲルツェン (著), 金子 幸彦 (翻訳), 長縄 光男 (翻訳)

一八六四年五月、ロシアに対するポーランド蜂起が終息。
一貫してポーランドを支持し続けたゲルツェン(一八一二―七〇)は、ロシアの世論から孤立し、新聞《コロコル》も終刊、失意の最晩年を迎える。
西欧の政治世界では英独仏の三強による覇権争いの時代が始まる。ゲルツェンは自分の時代が終わったことを痛感する。(全七冊完結)

目 次

 凡 例

 ゲルツェン関係地図
 ゲルツェン家系図

第七部 自由ロシア印刷所と《コロコル(鐘)》(承前)(一八五八―一八六二)
 第五十七章 R・ウェザリー商会「ウォード・ジャクソン」号
  1 海運業者トゥール
  2 〈陸軍大佐ワピンスキ〉と〈副官ポレス〉
 第五十八章 ペチェーリン神父
 第五十九章 イワン・ゴロヴィーン

第八部 断 章(一八六五―一八六八)
 第六十章 徒然に
  1 スイス点景
   バーゼル
   ローザンヌ
  2 旅先での無駄話とビュッフェの同郷人
  3 アルプスの向こう
  4 余りにもドイツ的な
  5 この世とあの世から
   Ⅰ あの世から
   Ⅱ この世から
    1.生ける花々──最後のモヒカン女
    2.八重咲きの花々
    3.ミネルヴァの花々
 第六十一章 〈ヴェネツィア、麗し〉(一八六七年二月)
 第六十二章 〈麗しのフランス〉
  1 門の前で
  2 〈内密に〉
  3 〈山々の重し〉
  4 ダニエルたち
  5 明るい点
  6 襲撃の後に

 訳 注
 訳者解説7
 訳者付論 ゲルツェン──時代・人・思想(長縄光男)
 総目次
 あとがき

 略年譜7 
 事項索引
 主要人名索引
 

著者について

ゲルツェン
1812-1870. 近代ロシアを代表する知識人。ロシア初の政治的亡命者。主著に『ロシアの革命思想』『向こう岸から』ほか。

金子 幸彦(かねこ ゆきひこ)
1912-1994. ロシア文学者。『プーシキン詩集』『イワンのばか』『オブローモフ主義とは何か』など訳書多数。

長縄 光男(ながなわ みつお)
1941年生。横浜国立大学名誉教授。ロシア社会思想史。著書に『評伝ゲルツェン』『ゲルツェンと1848年革命の人びと』ほか。訳書にゲルツェン『ロシアの革命思想』、同『向こう岸から』ほか。
 

アレクサンドル・イヴァーノヴィチ・ゲルツェンロシア語Алекса́ндр Ива́нович Ге́рцен、ラテン文字転写の例:Aleksandr Ivanovich Herzen[1]1812年3月25日ユリウス暦)または 4月6日グレゴリオ暦) - 1870年1月9日(ユリウス暦)または 1月21日(グレゴリオ暦)[2])は、帝政ロシア哲学者、作家、編集者である[3][4]

19世紀後半のロシアにおいて、農奴解放令実現に影響を与え『社会主義の父』として有名な人物の一人とされている[3][4]

経歴

1812年にロシア帝国モスクワにて、ロシア貴族地主)のイワン・アレクセイエヴィッチ・ヤコブレフ(Иван Алексеевич Яковлев、1795-1851年)の私生児として誕生。

彼の母ヘンリエッテ=ヴィルヘルミーナ=ルイーゼ・ハーク(Henriette Wilhelmina Luise Haag)は現在のドイツシュトゥットガルトで、ロシア貴族の代表だった父の使用人をしていた時に身籠もり、父がモスクワに連れ帰った。

姓は「彼の心の子」という意味合いを兼ねて、ドイツ語で心臓を表すHerzからとられた[5]

父はナポレオン戦争での1812年のモスクワの戦いの間、アレクサンドル1世に、ナポレオン・ボナパルトのメッセージを届ける伝令をしていた。

1830年、モスクワ大学に入学。1847年1月中、ロシア国境をわたりパリに居住した。パリではプルードンと協同した。同年9月にはイタリアへ向かい、翌1848年2月、ローマ滞在中にフランス2月革命の報を聞き、革命に加わるためパリに戻った。

しかし、革命の失敗により1852年8月、ジュネーヴニース、パリと滞在し、ロンドンに向かった。グレート・ゲームの時代背景のなか、ロンドンでは現カムデン区キングス・クロス界隈で自由ロシア印刷所を営みロシアツァーリズムに対して農奴解放を支援する「コロコル(鐘)ロシア語版」を発行した。

また後年のロシア革命メンシェビキ派の代表格となったユーリー・マルトフの父は、ゲルツェンを慕い居住先のロンドンまで訪問した。

1870年、パリ・コミューンの前年にフランス・パリで死去した。新聞『鐘』を主宰していた。墓所はニースにある。

影響

ピョートル・クロポトキンはゲルツェンに多大な影響を受けたことを自著で綴った。また、ゲルツェンは農奴である役者ミハイル・シェープキンとも交流があった。
 
「20世紀の人類は どこで何を間違えたのか?」沼野 充義 東京大学名誉教授
 
「ゲルツェンが読まれるべき時代が到来した」

大東亜共栄圏とは

2025年06月15日 08時58分30秒 | 社会・文化・政治・経済
第二次世界大戦下、日本を盟主とし、アジアの統合をめざす国策
 

「東亜」とは東アジアのことです。日本が中心となり、東アジア全域に巨大な経済圏を作り上げようとしました。

 

今回は、『大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)』について、簡単にわかりやすく解説していきます。

 

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大東亜共栄圏とは?

(大東亜会議に参加した各国首脳 出典:Wikipedia

 

 

大東亜共栄圏とは、第二次世界大戦中に日本で唱えられたアジア政策の理念です。

 

中国や東南アジアを欧米列強植民地政策から解放し、日本が中心となって独自の経済圏を打ち立てるという内容でした。

 

しかし、実際にはこの理念は日本のアジア侵略を正当化するために出てきたものです。

 

欧米列強は1930年代に起こった世界的な大不況を乗り越えるために、植民地支配を拡大していきますが、大東亜共栄圏の発想も実質的にはこれと同様のものでした。

 

大東亜共栄圏の理念には、欧米列強に植民地支配されていた民族を解放し、自主自立を促すことが含まれていたため、初めのうちはこの理念を歓迎する国々もありました。

 

しかし、日本の敗戦が濃厚になるにつれて、日本軍が現地の経済を混乱させたため日本軍に対する反乱が多発。結局、1945年8月15日の日本の敗戦とともに、大東亜共栄圏の理念は姿を消すことになります。

 

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大東亜共栄圏が生まれた背景・目的

(恐慌初期の取り付け騒ぎ 出典:Wikipedia

①列強の植民地政策

1930年代に欧米列強が帝国主義の考え方の下で、アジアやアフリカで植民地政策を進める背景には、1929年の大恐慌に端を発する世界的な大不況があります。

 

これに対して、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカは、本国と植民地を一体とした経済圏を作り、他国を排除して、自国の経済圏の中だけで貿易を活発に行う政策をとります。

 

これがブロック経済と言われるものです。

 

各国は不況を乗り越えるため、植民地を拡大し、自国の経済圏を広げようとしていきます。

 

日本もまた、1931年の満州事変を経て、事実上は満州国を植民地支配するようになり、日本と満州を一体とした経済圏を作り上げようとします。

 

これもブロック経済の一種として考えることができます。

 

 

②日中戦争の行き詰まり

しかし、1937年に始まった日中戦争は、戦争をどのように終結させるのかという手段を完全に見失い、泥沼化してしまいます。

 

そのような中、アメリカによる日本への経済制裁やドイツによるヨーロッパの快進撃を背景に、日本はやがてイギリスやアメリカと戦争することを見越します。

そこで石油を確保するため、ヨーロッパでドイツを相手に苦戦しているイギリスやフランス、オランダの隙を突く形で、これらの国々が植民地支配している東南アジアに進出し、経済圏を広げようと考えます。

これが後の大東亜共栄圏の発想につながります。

ちなみに、当時シンガポールはイギリス領、ベトナム・カンボジアはフランス領(フランス領インドシナ仏印)、インドネシアはオランダ領(オランダ領東インド蘭印)でした。

③日米開戦

しかし、日本のこうした動きにアメリカが強く反発し、日本の全兵力を中国と東南アジアから撤退させるように要求してきました。

その最後通牒として知られるのが、ハル・ノートと呼ばれるものです。

これにより、アメリカとの交渉は決裂してしまいます。

そして、1941年12月8日、ついに日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカとの開戦に踏み切ります。

これによって、アジア・太平洋戦争が始まります。

この戦争の目的として掲げられたのが、「大東亜共栄圏」という理念でした。

大東亜共栄圏の詳細

(大東亜共栄圏 画像引用元

①大東亜共栄圏の提唱&共栄圏の範囲

「大東亜共栄圏」という言葉が歴史に登場するのは、アジア・太平洋戦争が始まる4カ月前の1940年8月1日にさかのぼります。

当時の第二次近衛内閣松岡洋右外相が記者団に語った談話の中で、はじめてこの言葉が使われています。

 

(松岡洋右 出典:Wikipedia)

松岡外相は当時内閣で閣議決定された文書を念頭に置きながら、「大東亜共栄圏」という言葉を使いました。

そこで言う「大東亜共栄圏」とは、日本が中国や東南アジア諸国を欧米列強による植民地支配から解放し、日本を盟主とした独自の経済圏を作り上げるという理念です。

その経済圏の範囲としては、まずは日本・満州・中国が挙げられますが、将来的にはオセアニア諸国やフランス領インドシナ(仏印)、オランダ領東インド(蘭印)、ビルマ(ミャンマー)等を含むものとして、当時すでに構想されていました。

②大東亜共栄圏は場当たり的に拡大していった理念

しかし、こうした発想そのものは以前からありました。

これと同じ発想が、1931年に起こった満州事変の時には「日満一体」、1937年に始まった日中戦争の時には「東亜新秩序」と呼ばれていました。

つまり、大東亜共栄圏とは、1930年代を通じて、日本と満州を一体にした経済圏を打ち立てることから、日本・満州・中国を一体にした経済圏、そしてさらにオセアニア諸国や東南アジアを含めた経済圏を打ち立てることへと徐々に変わってきた理念なのです。

したがって、大東亜共栄圏という理念は、最初から一貫して提唱されていた理念だったのではなく、1930年代に場当たり的に拡大していった理念であると言うことができます。

③理念の内実

大東亜共栄圏という理念の根底には、天皇が徳にもとづいて統治するという「皇道」の考え方と、ドイツが侵略戦争の理念として掲げていた「生存圏」の考え方がありました。

したがって、この理念はドイツの侵略主義を東アジア流にアレンジしたものと見ることができます。

松岡外相が最初に「大東亜共栄圏」という言葉を使った時も、この二つの考え方が根底にありました。

大東亜共栄圏の考え方をよく表しているとされるのが、1943年11月6日の「大東亜共同宣言」です。

そこでは、欧米列強の植民地支配から解放された民族の自主自立を促すことや、それぞれの民族の文化を尊重すること、経済的に相互協力することが明記されています。

また、石油等の資源は国際的な公共財であるという進歩的な発想につながる記述さえ見いだすことができます。

こうした記述こそが、大東亜共栄圏の理念を美しく見せるものでした。

しかし、実際に大東亜共栄圏を広げるためには、こうした美しい理念を掲げるだけでは意味がありません。

まずは、すでに現地にある政府を打ち倒し、日本の支配下に置く必要があります。

そのため、大東亜共栄圏の理念は、日本による戦争拡大と切っても切り離せない関係にあると言えます。

大東亜共栄圏の結果・その後

1942年6月のミッドウェー海戦の敗北以降、アメリカによって日本が侵略した地域の輸送路が破壊されていくことで、地域内の貿易は利益が上がらなくなってきます。

そのような中、日本が現地で通貨を大量に発行し、物資を調達しようとしたため、インフレーションが起こり、現地の経済が混乱しました。これでは、欧米列強の植民地政策とやっていることは同じです。

その結果、最も打撃を受けたのが現地の住民たちです。

そのため、もともと大東亜共栄圏の理念に反発していたフィリピンだけでなく、当初は日本軍を「解放軍」として好意的に迎えていたフランス領インドシナ、オランダ領東インド、ビルマでも、アジア・太平洋戦争の末期には、日本軍に対する反乱が起こるようになりました。

大東亜共栄圏という理念は、結局は欧米列強の植民地主義と変わるところがありませんでした。

そのため、1945年8月15日の日本の敗戦とともに、この理念は姿を消すことになります。

まとめ

✔ 大東亜共栄圏とは、1940~1945年に日本が提唱していたアジア政策の理念のこと。

✔ その理念の内容は、日本が欧米列強によるアジアの植民地支配を解放し、日本を盟主とした経済圏を作り上げようというものだった。

✔ 1930年代の世界的な大不況を打開するために、欧米列強は植民地支配を拡大し、ブロック経済を進めようとしたが、大東亜共栄圏の発想も実質的にはこれと同様のものだった。

✔ 大東亜共栄圏の理念には、欧米列強に植民地支配されていた民族を解放し、自主自立を促すことが含まれていたが、日本の敗戦が濃厚になるにつれ、日本軍が現地の経済を混乱させたため、現地で日本軍に対する反乱が起こるようになった。

✔ 1945年8月15日の日本の敗戦とともに、大東亜共栄圏の理念は姿を消した。


難民問題の本質

2025年06月14日 08時09分26秒 | 社会・文化・政治・経済

難民とは?意味や世界・日本の取り組み、問題解決に向けてできること

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難民とは?意味や世界・日本の取り組み、問題解決に向けてできること
難民の現状と課題、解決に向けてできること(デザイン:増渕舞)
qaraq代表/大橋希

ロシアのウクライナ侵攻により、「難民」という言葉をニュースで目にすることが多くなりました。しかし、難民問題は、決して今に始まったことではありません。難民とは誰のことを指すのか、難民問題に対して国内外でどのような取り組みが行われているのか紹介しながら、私たちができることを考えます。

著者_大橋希さん
大橋希(おおはし・のぞみ)
2011年シリア内戦をきっかけに難民問題に関心を持つ。パソコンのリサイクルを通して日本の難民に仕事を生むピープルポート株式会社に2年間所属。2021年、中東ヨルダンに住む難民に仕事と生きがいを作ることを目的に、オリーブ食器の製造販売事業(MUUT/ミュート)と難民家庭へのホームステイ事業(MICHI STAY/ミチステイ)を運営する株式会社qaraq(カラク)を起業。

1.難民とは

難民とは、主に戦争被害や、宗教・政治的意見・性的指向などを理由とする迫害を避け、自分の身を守るために自国から逃れた人々です。

国際社会では、1951年に国連で採択された「難民条約」により難民の定義と各国の保護義務が定められていて、要約すると難民とは「人種、宗教、国籍、政治的意見などを理由に迫害を受けるおそれがあり、自国から逃げることを余儀なくされた人々」とされています。

難民条約の締約国は、この定義に沿って自国に逃げてきた難民を保護する義務があります。対して民間の難民支援団体は、難民の意味をより広く捉える傾向にあり、それぞれの解釈に沿って活動をしています。

(1)難民と移民の違い

難民と移民は定義が異なっています。

国際移住機関(IOM)の定義では、移民とは「一国内か国境を越えるか、一時的か恒久的かに関わらず、またさまざまな理由により、本来の住居地を離れて移動する人という一般的な理解に基づく総称」のことです。具体的には、移民労働者や密入国した移民、留学生など、さまざまな形で本来の居住地を離れた人々のことを指します。なお、国際的に浸透している「移民」の定義はありません(参考:移住〈人の移動〉について|IOM)。

このように移民とは一般的に「本来の居住地を離れた人々」のことであり、難民とは「迫害を受け、自分の身を守るために自国から逃れた人々」のことであり、その定義が異なっています。

(2)難民と国内避難民の違い

上述の通り難民は自国から出ていることが条件ですが、同じように紛争や迫害により自国の中で安全な地域に逃げた「国内避難民」も存在します。国内避難民のなかには国外への脱出を考えているものの、さまざまな理由で国境を越えることができない人たちも含まれます。

世界には、国内避難民は難民の倍近くいるとされており、他国の支援が届きにくいなかで深刻な問題を抱えて暮らしています。

2.難民の数や出身国、受け入れ国の現状

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所:United Nations High Commissioner for Refugees)が2023年6月に発表した年間統計報告書「Global Trends Report 2022(グローバル・トレンズ・レポート2022)」によれば、難民や国内避難民などの数は、2022年時点で1億840万人(このうち難民は3530万人で、国内避難民は6250万人)にのぼり、またその数は増加傾向にあります。

世界で故郷を追われた人の数の推移
世界で故郷を追われた人の数の推移(出典:UNHCR「Global Trends Report 2022」p.9)。それぞれの項目の意味は
・Internally displaced people=国内避難民
・Refugees under UNHCR’s mandate=難民(UNHCR支援対象者)
・Palestine refugees under UNRWA’s mandate=パレスチナ難民(UNRWA支援対象者)
・Asylum-seekers=庇護(ひご)希望者
・Other people in need of international protection=その他の国際保護を必要としている人

また、難民の主要な出身国で一番多いのがシリア(650万人)で、ウクライナとアフガニスタン(各570万人)が続き、上位3カ国で52%を占めています。また、受け入れ国の上位はトルコ(360万人)、イラン(340万人)、コロンビア(250万人)であり、それぞれ難民出身国の隣国です(参照:数字で見る難民情勢(2022年)|UNHCR)。

難民はヨーロッパや北米で受け入れられているイメージが強いかも知れませんが、ウクライナとロシアの戦争が起こるまでは、8割以上の難民は途上国で受け入れられていました。

そのウクライナでは、2023年5月時点で、825万人以上が自国を逃れ、さまざまな国に避難しています。最も多くの人が避難しているのが隣国のポーランドで、一時保護された難民の数は160万人以上に上ります(参照:Ukraine Refugee Situation|UNHCR)。

3.難民問題の解決策

1950年から難民支援を行ってきたUNHCRでは、難民の恒久的な解決策として以下の三つを挙げています。

自主帰還 難民が出身国に帰り、国からの保護を再び受けること
庇護国における社会統合 難民が受け入れ国で法的・経済的・社会的に保護を受けること
第三国定住 難民が第三国で定住資格を受け、生活をすること

なお、この三つの解決策は相補的なものであり、優劣の順位はありません。例えば、紛争による難民は、出身国の平和が取り戻されるまでは庇護国及び第三国で暮らし、安全になったタイミングで帰還することも考えられます。個別のケースにおいてその都度最適な解決策・支援策を選ぶことが重要です(参考:恒久的解決策|UNHCR)。

4.難民を支援するための具体的な取り組み

難民支援は、次の二つに分けられます。

①緊急人道支援
避難したばかりの難民がまず生きていけることを目的とした支援です。主に難民が最初に逃げた国(隣国であることが多い)で仮設テントの設置や最低限の物資支援が行われます。

②生活支援や法的支援など
長期的な滞在を目的とした支援です。ビザの取得や就労、教育へのアクセスなど、長期的に安定した生活を送れるような支援を行います。

これらを前提に、世界・日本では具体的にどのような取り組みが行われているのか、一緒に見ていきましょう。

(1)世界の取り組み

世界をみると、難民問題への取り組みを行うのは国連機関だけではなく、各国政府、NGOやソーシャルビジネス、民間企業、大学など多岐にわたります。それぞれの強みを生かして難民問題に取り組んでいます。

①緊急人道支援

ニュースでも取り上げられることの多い難民キャンプでの支援や国境での難民保護は、緊急人道支援にあたります。急な紛争や災害によって1日に何千人と押し寄せる難民の人たちをサポートする必要があるため、スピードと潤沢な資金が求められる支援です。よって、多くのケースでUNHCRの主導によって行われます。それを補う形でNGOなどの民間団体が細やかなサポートを提供します。

例えば、ロシアによる軍事侵攻がはじまった2022年当時、ウクライナ難民を1日2万人ほどのペースで受け入れていたポーランドでは、首都ワルシャワにNRC(ノルウェー難民評議会)が難民受け入れセンターを開設し、地域の団体や民間企業と連携しながら食事や医療のサポートを行いました(参照:New refugee reception centre opens in overwhelmed Poland|NRC)。

また、シリア内戦が起きたときはヨルダンに広大な難民キャンプが緊急で設置され、最低限の衣食住を送れるように、多くの国際団体が物資やインフラ整備の支援を行いました。

国境を越えてポーランド・メディカに入るウクライナ難民
国境を越えてポーランド・メディカに入るウクライナ難民(The Norwegian Refugee Council提供)

②生活支援

生活支援は難民を受け入れるどこの国でも行われている支援です。ドイツやカナダなど政府が率先して難民の社会統合に取り組む国もあれば、NGOなどの民間団体や難民雇用を目的とするソーシャルビジネスが盛んな国もあります。また、先進国では大企業が率先して難民雇用を行うケースもあります。

例えば、難民受け入れの先進国であるドイツでは、ビザを取得する難民に対して、ドイツ語とドイツの文化や生活様式を学ぶ授業の受講を義務づけています。さらに政府が難民に対して働く場所を提案するなど、難民の就労支援にも積極的です(参照:Asylum and refugee protection|Federal Office for Migration and Refugees)。

ソーシャルビジネスが盛んなイギリスでは、言語や文化の壁から既存の企業に就職することが難しい難民のために、個人起業をサポートするTERNや、パン職人として難民を雇うことを目的としたベーカリーのBreadwinnersなど、難民の就労をビジネスでサポートする民間団体もあります。

(2)日本の取り組み

日本政府がアフガニスタン難民やウクライナ難民の受け入れを決めたというニュースもありましたが、北米やヨーロッパに比べて難民の受け入れ総数が少ないため、日本の難民問題に対する取り組みは限られています。それでも、近年難民問題への関心の高まりを受けて、生活支援を行う団体や企業は少しずつですが増えてきています。

①法的支援と生活支援

難民は避難先の国の政府に対して難民申請を行い、それが政府から認定されることでその国で永住できる権利を得ることができます(難民認定)。日本の難民申請手続きは数年かかる複雑な手続きのため、専門家のサポートが必要ですが、難民支援協会などの民間団体が行政書士による難民申請のサポートを提供しています。

また、仕事を見つけるまで生活できるように、所持金がほとんど無い難民に対して仮の住居を提供したり、最低限の衣服や食料を提供したりする生活支援団体もあります。

②就労支援

難民が長期的に住むにあたって就労は必須です。日本での就労には一定程度の日本語能力が求められることが多いため、日本語の授業を提供している団体もありますが、機会はまだ不十分と言えます。

また、難民に対して就労先を紹介するNPO法人WELgee(ウェルジー)のJobCopassや、難民の直接雇用を目的としたパソコンのリサイクル事業を運営するピープルポートなど、ビジネスを通じた支援も増えてきています。

5.日本の難民支援にかかわる課題

難民支援は、日本においても、さまざまな取り組みが行われています。ただ、他の国々と比較すると、まだ多くの課題を抱えています。主に次の三つです。

(1)難民認定の基準が厳しい

2022年の日本の難民認定率は2.0%と、先進国の中では極端に低い数字です。米国やカナダ、イギリスといった国が40~60%台の認定率であることを鑑みると、日本の難民認定の厳しさが際立ちます。

日本の認定率が低い理由として、認定基準が他国に比べて非常に厳しいということが挙げられます。難民条約で定められている難民の定義はあいまいで、各国の解釈に委ねられているのですが、日本は他国と比べても限定した解釈をしているため、他国で認定されるような条件でも日本では不認定を受けてしまうことがあるのです(参考:日本の難民認定はなぜ少ないか?-制度面の課題から|難民支援協会)。

もし日本で難民であると認定されなかった場合、日本に永住することはできません。不認定の通知後は、まだ身に危険が及ぶ可能性が残っていても母国に早急に帰国せざるを得なくなり、大変厳しい状況に置かれます。

この状況が起きている背景には、難民問題への社会の理解が進んでいない現状があります。日本では難民の保護に関する議論が社会全体で活発でないために、政府も難民保護の重要性を感じておらず制度整備が滞っています。

受け入れ数が少ないため難民を身近に感じることができないという意見もありますが、毎年増え続ける難民の数を思うと、世界第3位の経済大国として世界から求められている役割を考えていく必要があります。

(2)就労が難しい

世界的には失業率が低く、さまざまな業種が存在する日本ですが、流暢(りゅうちょう)な日本語を条件とする仕事が大半です。仮に難民認定されたとしても、偶然日本に来ることになった難民にとって、日本語の習得は大きなハードルです。事実、高度な技術を持っていても、何年も仕事に就くことができない難民の人たちがいます。

(3)コミュニティーに溶け込みにくい

日本は英語を話す人も少ないためか、コミュニティーに溶け込むのが難しいと言われています。一方、難民も、自国から逃げてきたため、自国やその周辺国の人と関わることを避ける傾向にあります。

唯一話せる第二言語が通じない、でも母国語が話せる人との接触は避けたい……。その結果、信頼できる友人もできずに社会で孤立してしまい、精神的に厳しい状況に置かれる難民は少なくありません。

農場の水くみ場に並ぶシリア難民の子どもたち
農場の水くみ場に並ぶシリア難民の子どもたち=2013年、レバノン(撮影・朝日新聞)

6.難民問題解決のためにできること

上記のような課題があるなかで、難民問題の解決のために私たちには何ができるのでしょうか。難民支援をしてきた筆者の経験から、個人・企業、それぞれにできることをご紹介します。

(1)個人にできること

①難民問題を知る

まずは日本社会の難民に関する理解が進むことが大切です。ウクライナの件をきっかけに、難民がどのような生活をしていて、どんな困難に直面しているのかなどをネットで調べてみるのも、難民問題の理解を助けます。

また、難民は全国各地に住んでいるので、地元の難民支援団体が開くセミナーや難民との交流イベントに参加するのもいいでしょう。実際に支援をしている人や難民本人と話してみると、よりリアルな現状を知ることができます。

②行動に移してみる

難民問題の現状を知り、もし難民のために何かしたいという思いを強めた方は、ぜひ行動に移してみてください。

WELgeeや難民支援協会といった難民支援を行うNGOのマンスリーサポーターを始めてみるのもいいですし、ピープルポートが展開し難民の雇用につながるZERO PCでパソコンを購入したり、世界の難民が製作した雑貨をMADE51(注)で購入したりするのもいいでしょう。家からでもできる支援はたくさんあります。

(注)難民たちの手による手工芸品を集めたグローバルブランドで、UNHCRが2018年に立ち上げた。製品はオンラインショップで購入できる。「MADE」はMarket、Access、Design、Empowerment for Refugee Artisansの頭文字、「51」は難民条約が採択された1951年に由来するという。

また、余力があればSNSでウクライナやシリアの難民について発信したり、日本の難民について家族や知り合いと話したりしてみるのも、難民問題解決への大きな一歩になります。

(2)企業にできること

①難民雇用

難民にとって就労は、生活を送るための死活問題です。また、難民のなかには日本での収入で自国の家族を養っている人もいます。企業のなかで英語で働くことができるポジション、または言語があまり必要ない業務がある場合、難民の雇用を前向きに考えてみてください。

もし社内で難民への理解が進んでいない場合、社内での講演会やイベントを開催し、まずは難民問題を社内の人に知ってもらうきっかけを作るといいでしょう。

②NGOやソーシャルビジネスとの協働

企業が持つ強みは難民支援の現場で大いに生かされています。例えば難民キャンプでイケアは仮設テントの提供を、ユニクロは洋服の提供をしています。また、プログラミングやデザインなどのスキルを無償で難民の若者に教えている企業もあります。

難民は衣食住から医療、教育などさまざまな問題を抱えており、支援が追いついていない状況です。現場に詳しいNGOやソーシャルビジネスの企業とコミュニケーションを取ることで、あなたの会社の強みが生かされる支援方法を探してみてください。

7.難民と共に暮らすために

日本で暮らしていると、難民問題と聞いてもどこか遠くの国で起きていることに感じるかもしれません。

ただ、ここ日本でも、さまざまな困難を抱えながら生活を送っている難民がいます。彼ら/彼女らが安心して暮らせるように、まずは自分ができることを明日から始めてみてください。

(2023.7.10更新)内容を追加し、一部のデータをアップデートしました。


人間本来の<あり方>

2025年06月14日 07時57分46秒 | 社会・文化・政治・経済

「人間は万物の王者である」~松下幸之助塾主の新しい人間観~

 松下塾主は、著書『人間を考える』の中で、人間について次のように述べている。

 「人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる」

 この「新しい人間観」で、松下塾主はこれまでともすれば弱いものと考えられていた人間を、本質的に最も偉大な存在として認識しようとしている。この宇宙にはいわゆる「宇宙の摂理」「自然の理法」が働いており、その「自然の理法によって、すべてのものにはそれぞれ異なった特質が与えられている」と考える。「万物の王者」であるということは、自己の感情、欲望、愛情などにとらわれず、正しい価値判断につとめて、人間としてこれら万物それぞれを生かしつつ、同時に人間生活自体の物心一如の向上発展を生みだしていく権能があるということである。これが人間に与えられた「天命」である。そして、この「天命」を正しく行使していくところに人間としての責務があると説いている。

 しかし、現実を見れば、人間はこれまで長い歴史を通じて、身も心も豊かで幸せな社会を目指し努力を続けてきた一方で、世の中には貧者、弱者が相変わらず存在する。人間はこの「理不尽さ」に対して、怒りや憎しみ、絶望を感じ続ければ不幸となってしまう。これまでの人間の幾多の尊い努力が、どうして十分に報われないのだろうか。もともと人間にそのような本質が、いわば宿命的に与えられているのだろうか。いやそうではない。もしそうだとするならば、これはいくら努力を重ねても所詮は徒労に終わることになるからだ。そんな世の中で人間は生きていけるはずがない。結局はお互い人間が人間の本質を正しくわきまえず、これに基づいたものの考え方なりあゆみ方ができなかったからではないだろうか。

 そう考えるようになると、松下塾主の人間を根本的に肯定し、その役割の自覚を強く促す思想を理解できるようになる。「天命」という言葉の意味も分かってくる。人間に与えられた「天命」を自覚してこそ、人間は自らの本質を逐次発揮し、物心ともに豊かな共同生活を営んでいくことができるのである。そして、人間には本能に加え他の生物にはない知恵がある。その知恵によって自然の理法なり万物それぞれの特質を認識し、それを生かして発展させることができる。だから、人間というものがあって初めて万物それぞれの存在意義が明らかになり、その特質が生かされてくるのである。

 これが「万物の王者」としての「人間の本質」である。松下塾主は、人間がその王者としての「天命」を自覚し、実践していくことは、人間がこの地球上に発生した時以来、一貫して人間の上に課せられてきた使命であると説いている。これが人間全体に与えられた「天命」なのである。それでは、人間個人に与えられた「天命」とはどのようなものなのだろうか。松下塾主は次のように述べている。

 「人間一人ひとりは顔かたちも異なれば心も異なり、またそれぞれに与えられた素質なり天分といったものも違います。したがって、個々の人間には、そのそれぞれに異なった天分を発揮しつつ、自らの人生を全うしていくという使命があると考えてもいいでしょう。しかし、そういった個々の人間すべてを包括した人間全体の使命というものは、ここに述べたような万物の王者としての天命を自覚実践していくというところにあるわけです」

 「その意味では個々の人間の使命は、この長久な人間の使命からはずれるものであってはならないのです。その人間全体の使命を全うしていくことに寄与貢献するというかたちにおいて、一人ひとりの使命があり、その使命を自分の天分個性に応じて果たすことにつとめなければなりません」

 松下塾主は、人間個人は人間全体の「天命」に寄与貢献するかたちで天分個性に応じて「使命」を果たしていくべきだと説いている。ここで言う個人の「使命」とは「天命」と言い換えられるのではないだろうか。

 つまり、個人の人間は、人間全体の「天命」を自覚し、さらにその中で自らの「天命」を悟ったとき初めて、「人間」という存在足り得るのではないだろうか。

 一方で、東西の古典を渉猟し人間としてのあり方を模索した「人間学の中興の祖」といわれる安岡正篤氏は人間をどのように見て、「天命」についてどのように語っているのだろうか。


公明党のアピール

2025年06月14日 07時23分00秒 | 社会・文化・政治・経済

2025年6月13日

党アピール 公明勝利で生活に安心

 

本日、東京都議会議員選挙が告示され、6月22日(日)の投票日に向けて決戦の火ぶたが切られます。公明党は、20選挙区に22候補を擁立し、きょうから9日間、全員当選をめざし、死力を尽くして戦ってまいります。

都民の皆さま、全国の党員、支持者の皆さま、なにとぞ力強いご支持、ご支援を賜りますよう、心からお願い申し上げます。

東京都議選は、現下の物価高から約1400万人に上る都民の暮らしを守り、安心・安全な東京を作り、さらに、加速する少子高齢化や自然災害の激甚化などの課題の解決を、どの政党、どの政治家に託すのかが問われる選挙です。また、今年は都議選と参院選が重なる12年に1度の年であり、都議選の結果は参院選にも大きな影響を与え、国政の行方を左右する重要な意味合いを持っています。

60年前、都議会の議長選をめぐる贈収賄事件を受け、公明党は金権腐敗の一掃を掲げて署名運動を展開し、都議会を解散に追い込みました。出直し選挙で17議席から23議席に躍進した公明党は、現在に至るまで20議席以上を維持し、単独で過半数を占める政党・会派がなかった都議会において、合意形成の要役を担い、生活者の声から政策を実現し、都民本位の都政をリードしてきました。

“現場発”の実現力が都議会公明党の他の追随を許さない強みです。前回選挙からの4年間だけでも、妊娠・出産時の27万円支援、公立小中学校の給食費無償化、高3世代までの医療費無償化、帯状疱疹ワクチンの接種費補助、シルバーパスの4割値下げ、都公式アプリを活用し15歳以上の都民に7000円分のポイント付与、防犯カメラなどの購入費助成など――訴えてきたことは実現してきました。今夏の水道基本料金の無償化も決まり、首都直下地震や集中豪雨への備えも進んでいます。

都民の皆さま! 全国の党員、支持者の皆さま!

都議会公明党は今回の都議選に際し、物価高などから生活に安心と希望を取り戻すための重点政策「家計応援計画」を掲げました。中小企業の賃上げ支援などで今後5年間に現役世帯の平均年収を200万円アップさせるほか、子育て・教育の一層の無償化、路線バスなどに低額で乗車できる「学生パス」の導入、ポイント付与の1万円への増額などをめざします。

公明党の候補は、いずれも優れた政策立案力と行動力が持ち味の実力派です。16人の現職には豊富な実績があり、新人6人も区議・市議や党職員、上場企業の管理職経験者といった即戦力の人材ばかりです。しかし、かつてない大激戦が予想され、22人の公明候補を取り巻く情勢は大変に厳しいものがありますが、断じて負けるわけにはいきません。公明党の全員当選に向け、どうか最後の最後まで、絶大なるご支援を賜りますよう心からお願い申し上げます。

2025年6月13日 公明党


政治・社会を他人任せにしない

2025年06月14日 06時25分30秒 | 社会・文化・政治・経済

日本は今、将来の針路を大きく左右する転換期に立っている。

急速に進む人口減少、停滞する経済の立て直し、そして持続可能な社会保障制度の構築。

いずれも先送りできない課題である。

次世代への道を切り開くためには、困難な社会情勢を乗り越えようとした歴史に学ぶ必要がある。

50年前の日本はオイルショックの直撃を受け、物価は高騰し、経済は停滞し、社会全体が「先の見えない不安」に包まれた。

それから半世紀を経て、情報化社会の進展や技術の進歩など社会のありようは変わった。

そこで「人間の幸福とか何か」「真の豊かさは何か」といった根本的な問いかけは、不可欠である。

社会保障と税の在り方について、制度設計や財源論だけではなく、より根源的な「人間が人間らしく生きるためには何が必要か」との視点が重視されるべきだ。

この視点こそ、今の政治、ひいて私たち一人一人に問われている。

実際、今日の政治においても「社会保障と税」は大きな争点となっている。

「私たちは、税を何のために払っているのか。そして、それは誰のために、何のための使うべきか」「理想的な福祉国家とは何か」と、問いを深めるべきだ。

日本社会が抱える構造的な課題が明らかになってきた。

過剰な競争、自己責任の過度な強調もある。

そして、広がる格差と不平等ーこうした「生きづらさ」に対処する上で、政治は極めて重要な責務が問われている。

人間は人間らしく生きるためには、必要最低限の生活を保護する仕組みが欠かせない。

将来への不安を和らげるためにも、教育・医療・介護・育児・住まいといった社会サービスが、誰にとっても平等に行き渡る制度を整えることが求められている。

「人間の無限の創造性を引き出していくような、創造的環境社会。それは楽土とも呼べる。そのような楽土は、創造的生命の横溢するなかで築かれていく」

つまり、真の福祉国家は、人間の「生命の躍動、歓喜」といった内面の充実から生まれるものであり、そのためには人間の心の変革を促し、「創造性」や「主体性」を引く出す「宗教・哲学・理念・思想」が欠かせない。

人間の内なる力を育み、引き出しながら私たち一人一人が「主役」となり社会を築くために、新たな組織・団体の存在が期待されてた。

多くの人々がまるで、出来事をながめるように、政治を見ている。

「私たち一人一人が、つくりだす政治であり福祉社会なのだ」

「人道的競争」「価値の平等」「魂の会話」

<語るべき言葉>を一人一人発すれば、必ず人の心を揺さぶるだろう。

「なぜ、人間は価値ある存在なのか?」哲学者ハンス・ヨナスの問いかけである。

キーワードは「責任」である。

「責任」には「応答」が含まれる。

人間以外の動物は、自分の子には応答するが、見ず知らずの子を助けたりしない。

人間は家族の枠どころか、種の違いを超えて他者に応答する。

応答し責任を果たす。

それゆえに、人間の生命に価値があるとヨナスは考えた。

 


ニューサムカリフォルニア知事とトランプ大統領の対立

2025年06月14日 05時56分13秒 | 社会・文化・政治・経済
「私を逮捕しろ」とカリフォルニア州知事 移民摘発めぐるデモ、トランプ氏との政治的対立に発展
 
トランプ大統領「無能な知事」
 
ニューサム知事「暴力の扇動」

米ロサンゼルスで非正規移民の摘発をめぐる抗議デモが激化したことを受け、ドナルド・トランプ大統領は7日夜、一定の状況下で州兵を連邦政府の指揮下に置くことを大統領に認める連邦法に基づき、カリフォルニア州への州兵派遣を命令した。州兵は通常、州知事の要請に応じて出動する。

州兵は8日に現場に入ったものの、抗議デモ参加者らと警察・州兵などとの衝突が収まる気配はない。

カリフォルニア州のギャヴィン・ニューサム知事は、自分の要請なく州兵が派遣されたことに反発している。

トランプ政権関係者は、妨害する者はたとえベテラン政治家でも逮捕すると警告している。

こうした中、ニューサム知事は米MSNBCの取材で、「政権は一体何をしているんだ? 大人になるべきだ」などと怒りをあらわにした。

そして、トム・ホーマン国境問題担当長官に対し、「私を追及して逮捕しろ。さっさと終わらせよう」と述べた。

一方でトランプ大統領は、ニューサム知事を「無能」と批判。「我が国の偉大な州の一つを破壊している」と述べた。